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Channel: mAbによる映画一期一会

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THE映画評論『Silent Night』

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『サイレント・ナイト』

 

 

 

 

 

 

監督🎬

【カミーユ・グリフィン】

 

 

(母親)ネル

【キーラ・ナイトレイ】

 

(父親)

【マシュー・グッド】

 

 

長男【ローマン・グリフィン・デイヴィス】

 

 

双子【ハーディ・グリフィン・デイヴィス】

  【トーマス・グリフィン・デイヴィス】

 

 

ソフィー【リリー・ローズ・デップ】

 

 

サンドラ【アナベル・ウォーリス】

 

 

配給[プレシディオ]

 

本編[1時間30分]

 

 

________

 

 

 

エンドクレジット含めて90分間という短い英国作品で、

タイトルから自ずとクリスマス映画だということを想像できます。

 

 

【キーラ・ナイトレイ】[37]は2010年代前後の世界的大スター。

まだまだ年齢的には30代とお若いが、キャリアや知名度はベテランの域。これからは演技派として実力派女優になっていくのかな。

 

 

子供の頃、クリスマスの時期に『きよしこの夜』を聞いて感動した記憶があります。

それから何年か経ち、『きよしこの夜』が外国(ドイツ・オーストリア)の歌で英語曲題『サイレント・ナイト』と知り、2度に渡って聞き惚れました。

 

 

ジャンルは[スリラー・ドラマ]・・というところ。ドラマ部分の要素のほうが強い。

ウィキペディア先生には「コメディ映画」と紹介されていますが、喜劇には見えません。ただし悲劇でもありません。

 

 

本場ヨーロッパのクリスマス風景を銀幕で見たいと私は劇場に足を運びます。

 

 

(本編80分台の)短い映画ですから、どのように書いていこうか考えます。

 

 

80分のうち60分くらい迄の内容を紹介します。

 

 

今作品は冒頭からある程度は展開の向かう先を観客に想像できるよう描かれていますし、この映画は「どうなったか?」という結末だけを書かなければ、ネタバラシにならないと考えますので。

 

 

あとは、私の読者の方は「いつもの文章」だとご理解いただきお読みくださいませ。

 

 

では・・楽しい映画の時間です(^^)

 

 

________

 

 

 

まもなく世界中の生物は死滅する。

 

 

猛毒ガスが地球上の全てに蔓延し、それを吸った生き物は毛穴から血が吹き出し、苦しんで死を迎える

 

 

(主人公が住む)英国に猛毒ガスが到達するXデーは12月25日のクリスマスナイトである。

 

 

____

 

 

 

都心部から離れた郊外の一軒家で暮らす仲の良い5人の家族は、朝からクリスマスパーティーの準備に勤しんでいる。

 

 

夫の【サイモン】と妻の【ネル】は学生時代からの付き合いで結婚した夫婦。

2人の愛の結晶である天使たちは、長男の【アート】と双子の【ハーディとトーマス】の男三人兄弟。

 

 

彼らが暮らす「終の棲家」に、パーティーに招待されたゲストが続々と到着する。

ゲストは夫婦の学生時代の同級生たちだ。

 

 

一番乗りで到着したのは親友の【サンドラ】と旦那の【トニー】。同じく同窓生の夫婦。彼らの一人娘【キティ】。

 

 

白人の【ベラ】と黒人の【アレックス】のカップルは同性愛者。

 

 

最後に到着したのは【ジェームズ】。彼が現在交際している少女【ソフィー】も同伴する。

 

 

ソフィーの年齢は実は15歳。大人たちは笑顔を作るが、この「終焉祝いの同窓会」には相応しくないと、あまり歓迎はしていない。

 

 

_______

 

 

 

集まった学生時代の同窓生たちは再会を懐かしみ、夜のディナーに向けて気分を高めていく。

 

 

ただ一人、夫婦の長男【アート】だけは今の状況を喜べずにいた。

 

 

実はクリスマスのこの日。

発生元不明の毒ガスにより、全人類は絶滅すると報道されていた。

 

 

毒ガスは人間が撒いたのか?、それとも自然の猛威なのか?詳しくは分からない。

 

確かなことは、毒ガスは風に乗って世界中に飛散される。吸うと確実に死に至るということである。

 

 

発表があってから、人類は生存方法を必死に模索をする。必死に必死に模索した。

 

 

その結果、生き残ることは不可能だと結論付けた。

 

 

英国政府は、迫りくるXデーに向け、国民に「尊厳死」推奨する。

 

 

毒ガスを吸って苦しんで死ぬよりは、開発された自殺カプセル薬「EXIT」を飲み、安らかな最期を迎えることが良いはずだと。

 

 

主人公一家も家族会議を重ね、いよいよの瞬間にはEXITを飲み、家族仲良く苦しまずに死ぬことを決めていた。

 

 

クリスマスディナーが始まり、他愛のない会話で盛り上がる。

 

 

 

 

 

毒ガスは風に乗り世界を旅し、到達した地域は人間を含めた生物が息絶えていく。

 

そしていよいよ、英国に到来する。

 

 

 

 

 

その時が来るまで、愛する人と、愛する家族と、今この時を楽しむのだった。

 

 

________

 

 

 

具体的な内容は上の物語文に書いていませんが・・物語自体は割と単純で、分かりやすい作品でした。

 

 

「20☓☓年の12月25日の夜、毒ガスにより人類は滅亡する」というノストラダムスの予言的な出来事が実際に起こる。という設定で描かれています。

 

 

殺傷能力は100%です。劇中では超巨大な雲が迫ってくる感じでした。

 

 

Q.その毒ガスはどこから来たの?

A.分かりません。

 

 

ここが謎ですね。誰もが知りたいところです(^_^;)

 

 

人類滅亡を目論むロシアによる犯行だと噂話されますが(おそらく民間人には)謎のまま当日を迎えます。

 

 

現実的に考えるなら、ロシアは勿論、中国かも知れないし、アメリカかも知れないし、英国かも知れません。

地球温暖化の影響かもしれない。宇宙で何かが起こったのかも知れない。

 

 

とにかく憶測や噂が飛び交っていますが、本当の真実はわからない。

なにしろ人類滅亡ですから、規模が違う。

 

 

人類滅亡の危機・・これが単純に(と言っては過去の名作たちに悪いんですけど)隕石ならば、『ディープ・インパクト』のように地球への落下は防げないと判断し、抽選に当たった人類(&動物)がシェルターに入れて時を待ったり、『アルマゲドン』のように、地球に衝突する前に、採掘のスペシャリストが宇宙飛行士となり、隕石に飛び移り宇宙空間で爆発させる展開になるけれど・・・毒ガスって・・防ぎようがありませんね。考えただけでゾッとします。

 

 

(吸引力で有名なダイソンの掃除機もお手上げな案件だΣ(゚Д゚))

 

 

今作品は、そういう物凄く大きな規模の状況であって、英国の1地域の1家庭だけを描いているので規模は狭いです。

 

 

CGをふんだんに使ったパニック映画や『日本沈没』のような国家の防衛機関は登場しません。そこ(中枢)を描いていないぶん、何が起きているのか?まったく分からない。

 

 

従来のパニック映画で、国家や災害学者は真実を知っているけれど民間人は知らないまま死を迎える、という設定を多く見ますが、今作品はいち民間人だけに焦点を絞っているので、小規模が想像力を生む結果となりました!

 

 

この映画はその状況下の中の、とある「平和な民間人の物語」なので、「逃げろ!」や「守れ!」のハリウッドのパニック映画規模では描かれませんが、民間規模(視点)で考えたほうがハッピーなのかも知れませんね。

 

 

____

 

 

 

舞台が英国。毒ガスのXデーが12月25日。

 

 

リアルで考えると、日付変更線の関係で、東の地域から被害に遭っていくとなるのでしょう。

 

 

イギリスと日本の時差は約9時間で、日本のほうが先に日出ずる。

英国到達時点で日本は終幕を迎えている筈です。

 

 

そこで私は個人的に考えてしまう。。。その時、日本は??(日本人としては知りたいよね(^_^;))

 

 

既に毒ガスが到達した国や地域とは連絡がつかない様子。

もし生き残りがいれば、その「生存確率や情報・条件」も知りたいところだけれど、この主人公家族は、情報を集めようとはしない。

 

 

これは私の想像です。

 

12月25日に人類が滅亡するというのは、決定事項で報道されているらしく、

 

発表後は、世界中が大混乱に陥ったことでしょう。

 

どうせ死ぬならいつ死んでもいいと、誰かを殺してもいいと事件を起こした人もいるでしょう。それが人間です。

 

 

死ぬまでにしたいリストを、実現する人達も大勢いると思います。

 

 

劇中の主人公一家は、何事もないように12月25日をスタートしています。

そうするまでに沢山、生きる情報を模索したそう。だけど、生存が難しいと知ると、家族で楽しく過ごすことを選ぶ。

 

 

諦めるのではなく、受け入れたのですね。

 

 

この映画で私が素敵だなと思ったのが、そういう世界の終わりの1日がクリスマスで、親しい家族や友人と集まって、語り合って死を迎えようとする選択をすることです。

大人たちも、難しく考えずに、嫌なことを忘れて楽しんでいるし、普通のクリスマスの1日にするよう誰もが努めている。

 

 

 

 

強いて言えば、クリスマスを祝う文化がない国や地域の人にとっては、25日は特別な日ではないだろうし、非カトリックの国々の人が、どういう最期を迎えるのか?が気になります(^_^;) そこはまぁ・・欧米圏にとって都合のいい記念日を選びましたね。

 

 

クリスマスはイエスの誕生日を祝う聖なる日なので、ほとんどのイスラム諸国は祝っていないと聞きます。

だからもしかすると・・クリスマスを祝わない国々は助かっているのかも?と言うのが、私の裏予想です。

 

 

(我が日本は、クリスマスを宗教的な日として祝いませんので、私が考えて描くなら、クリスマスより1月1日のほうが特別だから、Xデー(毒ガスが日本に来るの)は元旦・三が日が理想。。。って話を拡げ過ぎ(^_^;))

 

 

____

 

 

 

主人公家族(一世帯)の家に、学生時代の同窓生たちが集結し、最期の1日を過ごします。

 

 

ここで素朴な疑問。「各自、親や兄妹とは過ごさないの?」が気になります。

特に欧米はクリスマス=家族で過ごす、というイメージがあるので余計に。。

 

 

主人公一家はリモートで、母方の祖母と会話するワンシーンが用意されていました。

 

 

 

 

(想像するに、この日までに「最期のお別れ」は各自済ませているのかも知れませんね。)

 

 

仲間意識が強い同窓生という関係性が昔話に花を咲かせる。

 

 

主人公一家の他に、家庭を持っているのは1組だけ。

サンドラとトニーの同級生カップルに、一人娘のキティはワガママに育って反抗期中。女の部分を全面に出す母親に冷たい。

 

 

全員の大人メンバーが同窓生ではないと思いますが、そうでない人も顔馴染み。

 

 

白人と黒人の同性愛カップル。

白人女性のベラは、パンツ姿で足を広げて座っているので、宝塚で言うところの男役なんだとすぐに分かります。

 

 

そして仲間内に1人はいる、恋愛体質な人。

 

 

同級生設定なので40前後だと思います。

 

黒人のジェームズが連れてきた恋人は、なんと15歳Σ(゚Д゚)。

 

 

地球最後なんだから・・別にいいかと思いますけど(笑)

同級生、それも女性陣はひそひそ話。ジェームズ君、相変わらず異常性癖(ロリコン)ね、という感じ(^_^;)

 

 

ソフィー役を演じる女優はジョニー・デップの娘【リリー・ローズ・デップ】。個人的に(インスタをフォローしてるので)お顔は知っていますが、演技は初見なので鑑賞が楽しかったです。

 

 

40前後の彼氏の同級生宅のクリスマスパーティーに参加するのも、私からすればかなり肝が座っていますけど(^_^;) ティーンエージャーのソフィーに対して、他の大人たちの態度が、結構、冷たいのが印象的でした。

 

 

大人と子供のグループに分かれる時は、大人の団欒には入れてもらえません。

 

 

彼らにとってみれば、最後の日なのだから出席するメンバーを選びたいところだけど、

 

ソフィーにとってみても条件は同じ最後の日なんだし、受け入れてほしかったというのが私の気持ちです。

 

 

___

 

 

 

何が起こるのか、何が起こっているのか?それは分かりませんが・・

毒ガスが流れた地域から、生物が死滅していくのは確定しているようです。

 

 

軍隊で使用するような毒ガス用のマスクを装着して、その時をやり過ごせばいいという訳でもない。

考えられる想定できる対策は政府も個人もしてきたでしょうし、それこそ地球を救うためのプロジェクトだって発動したのでしょう。

 

 

苦しんで死ぬのは嫌だ。

という事で英国政府は、ガスマスクを各家庭に配るのではなく、毒薬を配ることにします。

生きろ!ではなく、眠れ!(サイレント)というメッセージだと私は受け取ります。

 

 

開発されたのは「EXIT」という名称の自殺ピルで、カプセルを飲むと、数分後に苦しむことなく即死します。

 

 

これを「尊厳死」として、英国政府は採用し、希望する国民に配布します。

 

 

尊厳死と自殺は違いますので、尊厳死という言葉を使うほうが聞こえはいいです。

このEXITが、例えばコロナワクチンのファイザー製とかモデルナ製みたいに世界中で広く使用されるのか、それとも英国だけなのか、他の国はどうなのか?も私は知りたいです。(英国はEUを離脱しましたからね。)

 

 

ハリウッド映画ならば、自殺ピルを製造する製薬会社が実は黒幕だったりするので、そこを考えてしまいますが、この映画に謎解きは描かれません(^_^;)

 

 

英国の田舎町の一軒家に集まった同級生メンバーは、この最期の1日を親しい友人や家族と過ごす選択をします。

「これから死ぬこと」や「毒ガスの話」はタブーで、話の話題になっても都市伝説くらいのレベルの噂話にする。

 

 

辛い話は無しにして、とにかく「これから死ぬこと」は極力考えずに、クリスマスの1日を祝っていく。

 

 

そんな中で、長男のアート君だけは、自殺カプセルを飲むことに躊躇いを見せている。

他の家族も、両親の友人たちも、来るべき時が来たらカプセルを飲むことを決めているので、自分だけが飲まないという訳にはいかない。

 

 

この映画的なキャラクターがいるので、なんとか80分の上映尺になったんじゃないかな。下手したら1時間番組になっていたかも(^_^;)

 

 

その時、世界では何が起こっているのか?

私はハリウッド基質なので、それをどうしても知りたいのですけど(^_^;)

民間人主点の作風だと分かりやすいし理解しやすかったです。

 

 

特に先程も書きましたが、ジョニデの娘のリリー・ローズの役柄が秀逸的で、

 

人類最後の1日に、40前後の男性に付いていき、彼の同窓生たちと過ごす15歳の少女。

 

 

ハリウッドなら「最後の日なんだから(おそらく)自由だ」という意見になるかも知れませんが

 

英国の田舎なので、モラルが存在します。

 

 

同窓生とその子供たちだけで祝おうと決めたクリスマスに、独身の同級生中年男子が15歳のギャルを連れてきたら、歓迎ムードにはならない。

 

 

最期のディナーで食事前のお祈り。育ってきた環境も違うから郷に従えない。家主のサイモンがキレる。

 

 

 

 

(写真左の黒人男性が同窓生で彼氏。彼女が集中砲火を受けるさい、特に擁護はしない。)

 

 

個人的には「最後の日はご両親と過ごしたほうが良いよ」と心配する保護者目線のメンバーが、女性陣の中に1人はいて欲しいのですが(^_^;)気の強そうな女優さんばかりで、あまり母性的なタイプは出演されていませんでした。

 

 

最後の最後まで愛する人と一緒にいるという状況は、究極の愛のスタイルなんだと思います。

 

 

_____

 

 

 

今回の記事では「人類最後の1日」という状況設定を最初から書いていますm(_ _)m

 

 

劇中でそれが分かるのも割と早い段階なのですが、暫くの間はそのことを伏せて展開しています。

このことはチラシや公式サイトにも表記されていますが、出来れば知った上で鑑賞するほうが私は理解しやすくなると思いました。

 

 

人類最後の日、と知った上で本作を鑑賞したほうが、納得できると言うか・・面白い場面が多い。

 

 

冒頭のサンドラ一家が到着する場面なんて特にそう。

 

 

 

ご覧のように今の時代にABBA風な衣装で登場する目立ちたがりのお母さんです。

 

娘のキティが反抗期のワガママ娘で、クリスマスケーキを楽しみにしている!と車内でも機嫌がいい。

 

 

(キティに関して言えば、父親とは仲がよく、母親に対して拒否反応を示している思春期女子でした。)

 

 

到着して、その旨を伝えると、「あっ!ケーキ焼いてないわ!」と主催のネル。

 

 

「それは大変だわΣ(゚Д゚)」と大騒ぎ。キティは「まさか、ケーキないの?」不機嫌になっている。

 

 

確かにケーキはあったほうが良いけれど、ないならないで、手料理もたくさん作っていますし、ないくらいで騒ぎ過ぎじゃない?と私は思いました。

 

 

尻に敷く夫のトニーに「あーた、街まで行ってケーキ買ってきて」と伝える。

 

 

 

「そりゃ大変だ!!でも・・ケーキ屋やってるのか??」と疑問を問いかける。

 

「やってなければ、窓ガラスぶち割ってでも盗んできなさいよ!」と鬼妻。

 

 

結局、ケーキ屋は営業していて、無事にクリスマスケーキを購入して戻ってきます。

 

 

「人類最後の日に」という説明があると、こうした乱暴な表現も、理解度が高まります。

 

 

クリスマスケーキがないクリスマスもいいけれど、最後のクリスマスだと考えれば用意したいし、子供の喜ぶ顔が見たいと行動する様子は親心を視れる。

 

 

それと、人類最後の日に、ケーキ屋さんが営業していたことも、私にはグッと来るものがあったな。

 

 

劇中の何気ないセリフでしたが、ケーキ屋にはケーキ屋の最期の過ごし方があるんだと想像して、感動します。

 

 

作品の2家族は、夫より妻のほうが強いのですが、【ルーファス・ジョーンズ】が演じる父親トニーが良かったです。

演技の仕方も『東京家族』の林家正蔵さんを連想しました。

 

 

____

 

 

 

「地球最後の日にあなたは何をしますか?」というよくある質問で、「私ならこうする」という一例を80分の中に凝縮させた作品。

 

 

(「無人島に1つ持っていくなら?」と上の質問はベターでマストですよね。)

 

 

女流監督の【カミーユ・グリフィン】は今作品が長編監督デビューとのこと。

 

 

息子の【ローマン・グリフィン・デイヴィス】[15]は『ジョジョ・ラビット』で俳優デビューし、世界中の映画ファンが認知する名子役。これが2作品目となりますが、知名度が充分です。

 

 

それに、このお母さん監督で驚くのが、ご自分のお子様をローマンだけではなく他に2人も出演させているのです。

 

 

今作品でキーラ・ナイトレイ演じる母親の3人の息子たちは・・その3人全てが監督のお子様ということΣ(゚Д゚)。

 

 

双子の【ハーディ・グリフィン・デイヴィス】と【トーマス・グリフィン・デイヴィス】。

役名もハーディとトーマスなので、実生活の延長で役に入りやすいだろうし、、、なんだか私には職権乱用みたいに感じるのですが(^_^;)それに気付くのは映画鑑賞後のウィキペディア先生になるので、鑑賞中はまさか実兄弟だとは思えなかった見事さです!

 

 

____

 

 

 

「欧米」と一括りにされますが、年間の1割ほどで観る機会がある英国映画は、やはり米国映画とは少し違うと感じます。

特に文化や伝統を大事にしていることや、服装もそうですし、あとは女優陣のお顔立ちもヨーロピアン。

 

 

米国映画は世界中から製作に集まりますが、イギリス映画はイギリス人が作り上げている印象が私にはあります。そういう意味でお国柄を知れるし、日本と何かと通じるものがあるのではないでしょうか。

 

 

この作品のクリスマスディナーの晩餐会の風景も、キラキラこそしていますが、

 

日本の盆正月で、実家に親戚が集結して宴会していると考えれば、同じように見れます。

お酒を飲むおじさん達と、子供たちは子供たちで固まって、1つの場にいる・・言おうとしていることが通じれば幸いです。

 

 

生き延びる方法を探すパターンも見たいのですが、これはこれでアリだと消化不良にはなりませんでした。

 

劇場公開されていましたら、オススメしたい英国映画です。

 

 

 

 

 

 

脚本 15点

演技 14点

構成 13点

展開 14点

完成度13点

 

 

[69]点

 

 

 

余談に。

 

 

秋の紅葉が終わり、イルミネーションが街中に灯ると、一気にクリスマスムードになる単純な感覚の持ち主です。

 

 

願わくばこのタイトルなので、クリスマスの1、2週前にロードショーをして欲しかったな。

 

 

11月18日公開の今作品が、シネコン時代で一ヶ月間生き残るとは予想できませんし、

 

これが昔の単館劇場だったのなら、クリスマスの時期に合わせてロードショーしていたと考えると、尚更。

 

 

個人的な話ですが、私のインスタグラムでは毎年クリスマスの時期に、1人寂しく映画鑑賞したよ!という内容を投稿しているので(笑)今年はネタ的にこれが良いなぁと思いつつ・・クリスマスを前にシネコンから消滅しそうな流れだったので、ソリ(自転車)に乗って鑑賞してきました。

 

 

一風変わったクリスマス映画で、そこまで観ていて苦しくなるような映像や描写はございません。

ご鑑賞はお早めに。

 

 

 

フォローしてね

 

 

【mAb】

 

 

THE映画評論『I Wanna Dance with Somebody』

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『ホイットニー・ヒューストン』

 

 

 

 

インパクトのある邦題だと思います。ハリー・ポッターみたいな(笑)

 

 

最初は映画館で上演される人気歌手のライブ映画(現在だと中島みゆきさんやMr.Children)だと思いましたが(;´∀`)普通に伝記映画でした。

 

 

今後、ビートルズやマイケル・ジャクソンなどの超大物の伝記映画が制作されていく流れだと予想できますが、

 

その際も日本では原題ではなく邦題『ビートルズ』『マイケル・ジャクソン』で行くのでしょうね。名前のほうが分かりやすく集客効果もあるでしょうから。

 

 

(『I Wanna Dance with Somebody』(誰かと踊りたい!)が放題だったら曲名ではありますが、集客も悪くなるはず))

 

 

米英のエンタメ偉人の生涯を描いた伝記映画が好きです。

記憶に新しいのが『ボヘミアン・ラプソディ』のフレディ・マーキュリーですね。ここから火が点いたと印象があります。

 

 

(『ボヘミアン・ラプソディ』(曲名タイトル)の成功例は稀。)

 

 

やはり「日本でヒットした」という点が大きいです。

その後も伝記映画は頻繁に制作されて、その再現度の高さからアカデミー賞に直結し、毎年のように賑わいを魅せます。

 

 

今作品は絶対音域の歌姫『ホイットニー・ヒューストン』の伝記ですから、私がまず第一に期待するのが主演女優賞へのノミネートです。製作段階からアカデミー賞を意識したキャスティングをしたはず。

 

 

普通レベルの女優ではこの役は務まりませんし、失敗すると世界中から非難される可能性大です。

演技力・歌唱力・そして存在感、この三点を兼ね備えている女優を銀幕で見れるのは・・観る前から確定しています。

 

 

あとは伝記映画に多い指摘(残念)点になりますが・・物語が面白いといいなぁと単純に願います(^_^;)

結局20世紀の大スターって、中間の展開がほとんど一緒ですからね。ワンパターンとも言えるかな。

 

 

下積みを経てデビューし、成功する。順風満帆の中で、薬や異性や対人関係のトラブルで低迷する、という流れは・・先に書きますがこの作品も一緒でした。10作品以上は観てきたと思いますが・・スターの実話ってだいたい似たような転落人生に描かれますね。

 

 

後は、歌を聞いて、体や脳が自然にノレたらいいなぁと願います。日本の映画館なので、あまり揺れたり出来ませんけど(笑)

 

 

では始めます。

 

 

_______

 

 

 

1970年代後半〜80年代前半。アメリカ合衆国ニュージャージー州。

 

 

エルヴィス・プレスリーなど大物歌手のバックコーラスなどを務めた【シシー・ヒューストン】を母に持ち、著名な音楽一家に生まれた【ホイットニー・エリザベス・ヒューストン】。(エリザベスは洗礼名)。

 

 

彼女は天性の歌声の持ち主だった。

カトリック系の学校に通いながら、プロ歌手の母親の指導の下で音楽の能力を伸ばし、教会ではメインボーカル、母親のライブではバックコーラスとして歌っている。

 

 

両親の夫婦仲は悪い。父親の【ジョン・ヒューストン】は女癖が悪く浮気性。それが原因で夫婦喧嘩が絶えない。

アーティスト活動で遠征に出かける母親の代わりに、父親が育児をしていた時期もあり、子供たちは一概に父親だけを責められないでいる。

 

 

ある夜。母親シシーのライブに、大手レコード会社アリスタ・レコードの社長【クライヴ・デイヴィス】が現れる。

シシーは娘にオープニングソロを任せ、圧巻のパフォーマンスを披露し、見事にクライブの目に止まった。

 

 

離婚した両親がサポート役に周りアリスタ・レコードと契約したホイットニー・ヒューストンは、1985年に全米デビュー。

その後、7曲連続で全米シングルチャート1位という全米未踏の大記録を打ち立てる。

 

 

私生活では、学生時代に親友の【ロビン】と知り合い、同性同士の同棲生活を送る。

 

 

いつもホイットニーの隣りにいるロビンの存在は直ぐに噂が立った。

「黒人」「同性愛」という世間的・社会的なマイナスイメージを恐れる父親のジョンは、それを払拭させようと【テディ・ペンダーグラス】との男女デュオを組ませるなどし、娘の意識を変えていく。

 

 

その結果「子供が欲しい」「家族が欲しい」と男性との将来を願うようになったホイットニー。半狂乱のロビンを説得し「恋人」から「親友」の関係へと変化する。

 

 

順調な歌手生活の中、勢いに乗る若手スター歌手の【ボビー・ブラウン】と出会い、結婚。

 

 

女癖が悪く、麻薬の常習者であるボビー・ブラウンとの結婚生活は、幸せでもあり、依存でもあった。

 

 

1991年 アメリカの国民的行事であるスーパーボールで国歌斉唱をしたホイットニー・ヒューストン。

この時の歌唱は「史上最高の国歌斉唱」と後世まで語り継がれているものになる。

 

 

 

 

翌1992年、人気絶頂であったケビン・コスナー主演の映画『ボディガード』が公開され、主題歌『I Will Always Love You』が大ヒット。

 

 

しかし年齢や薬物により、天性の音域を持つ歌姫と呼ばれた彼女のかつての声域は狭くなりつつあった。

 

 

 

監督🎬

【ケイシー・レモンズ】

 

 

ホイットニー・ヒューストン

【ナオミ・アッキー】

 

 

ボビー・ブラウン

【アシュトン・サンダース】

 

 

シシー・ヒューストン

【タマラ・チュニー】

 

 

ジョン・ヒューストン

【クラーク・ピータース】

 

 

ロビン

【ナフェッサ・ウイリアムズ】

 

 

クライヴ・デイヴィス

【スタンリー・トゥッチ】

 

 

配給

[ソニー・ピクチャーズエンタテインメント]

 

 

本編[2時間22分]

 

 

______

 

 

 

手短に。

 

 

まず、とにかくスケールが違うなぁと圧倒されるステージが多くあるので、彼女のファンならば相当楽しめるはず。

黒人の希望の星だし、白人も熱狂するし、逆に黒人に非難される時期もある。人種を背負うって私には想像出来ないくらいの深い歴史に感じます。

 

 

ステージは凄い。しかし「映画としての魅力」は少なく感じました。

 

 

ホイットニー・ヒューストンの年表に載っているライブや出来事を、再現映画で表しているだけですし、その部分に乗っていける気分の高まりは私には正直なかったのが残念です。

 

 

演じた【ナオミ・アッキー】[30]は、抜群と言えるほどの再現度でした。これだからハリウッド映画の伝記映画の鑑賞は止められません(^o^)

 

 

ホイットニー・ヒューストンといえば神がかった音域の広さが代名詞です。

歌に絶対的な自信があるのが演じ手から伝わりますし、小生意気な10代時代と、「私らしい」というスタイルで行うレーベル契約の様子。レズビアン・バイセクシュアルという立ち振舞も良かったです。

 

 

とにかく、顎の筋肉と唇の可動域がよく前後に動く歌い手でした。鼻から下が動きっぱなし。

 

 

 

女優の眉毛の角度が本家とは違うので、

柔らかい表情のホイットニー・ヒューストンに似ているのか?ちょっと分かりかねますが、女優の音楽への表現は相当なものです。

 

 

 

(この角度だったら似ている。。そもそも本人に似ている・再現度を追求することが正義なのだろうか?)

 

 

歌唱シーンは圧巻ですから、ファンならずとも楽しめると思いますが、

展開と各部分の掘り下げ感の低さが、私にとっては加算材料が少なく低得点になっています。

 

 

____

 

 

 

冒頭にも書きましたが、20世紀後半を代表するスターの伝記映画は、展開や内容が似たり寄ったりの気がしています。

 

 

下積み→デビュー→天下→転落→再起

 

 

この展開を基本の軸に、ヒット曲の誕生秘話や歌唱などでファンを楽しませる作りに。

 

 

(日本では、尾崎豊さんをイメージしますが、ご子息も芸能界にいますし、ドラック絡みの伝記映画は製作しないでしょうね)

 

 

享年48歳。ホイットニー・ヒューストンの死因が「薬物使用による心臓発作」であることは有名ですが、この映画全体のホイットニー・ヒューストンに薬物というイメージがないような「聖人君子」な雰囲気が、演じる女優から感じました。

 

 

こういうスター伝記映画って、主人公の感情の起伏が激しくて、それに逃げるように薬物中毒になっていくけれど、ナオミ・アッキーが演じるホイットニー・ヒューストンは大人しい性格。周りの登場人物が賑やかで、それらの様子や自分の置かれた状況・積み上げた状況を、どこか俯瞰で見ているように映ります。

 

 

主な中心人物は5名。

 

スーパースターを描いた映画にしては珍しく、取り巻きが少なく私生活のプライバシーを守るように描かれていました。

 

 

一番私の印象が良かったのが、母親シシーです。

有名な黒人歌手でエルヴィスなど大物の歌手のバックコーラスとしても歌っている凄い人。私はシシー・ヒューストンは存じませんが、黒人音楽が盛んであるニュージャージー州での知名度は非常に高いそう。

 

 

そんな母親が先生となり、娘のホイットーは幼い頃から英才教育を受けています。教会でコーラス隊を後ろに従えて気持ちよさそうに歌っているオープニング。個性を出そうとして、母親から注意を受けています。

 

 

母親のシシーは音楽家としては厳しかったけれど、娘の才能に関しては絶対的に信じていて、何より・・同じ歌手として、親の能力を超えていく娘を認めているが良かったです。

 

 

 

父親ジョンは、おそらく観る人は印象が悪いはず。

歌手活動に忙しい妻の代わりに育児を務めたそうで、それを劇中に「俺はお前を育てたんだ!」と言い合いのたびに何度も主張しているのですが、その育児部分の回想がないので、ホイットニー成功後に、娘のお金を私欲のために使い込む父親という印象しか持ちません。使い込みの領収書を見て心が折れそうになるホイットニーが不憫でなりません。

 

 

 

 

演じる【クラーク・ピータース】[70]を観ながら「モト冬樹さんに似ているなぁ」と思ったりしていたのですが(^_^;)ちょっと怖いくらいにお金に取り憑かれていた父親でした。でもまぁ・・娘がツアーで歌うたびに札束が胸元に入ってくるんですから、止められなくなりますよね。

 

 

この点は他の伝記映画と違くて、普通なら絶縁レベルですが、ホイットニーは父親を見捨てません。

 

 

娘の稼いだお金を使い込み、何か言って来ても正当化して言い包める自信がある父親という感じなので、それは父と娘だからなのかなと思います。

 

 

これが同性の家族・・母と娘だったり、父と息子だったら絶縁するのでしょうけどね。父と娘の切っても切れない縁を観ている感覚でした。

 

 

親友ロビンの存在は、私にとって少し強烈でした。

学生時代にナンパされて友人関係になり、その後、恋人関係になり、デビュー後は恋人関係を親友関係にして、歌手ホイットニー・ヒューストンのビジネスパートナーとして傍に置きます。

 

 

 

 

小柄なホイットニーに対して、ロビンを演じた【ナフェッサ・ウイリアムズ】は男性的に映りました。

 

 

同性愛について今の時代は否定的な意見は書けませんが、当時は違います。

デビュー後に、飛ぶ鳥を落とす勢いのホイットニー・ヒューストンに、張り付くパパラッチ。

いつも横にいる女性ロビンは、パパラッチにとって、ファンにとって興味の材料。

 

 

同性愛者であることを知られると商品価値が一気に無くなる。そもそも同性愛はカトリック教徒であるヒューストン家にとって罪。

 

 

(聖書では同性愛を不品行な性的罪として禁止しているため重罪になります)

 

 

ロビンはホイットニー一筋の純愛ですが、ホイットニー自身はバイ・セクシャルで、男性と交際し、子供を産み家族を作りたいという幸せな将来を捨てきれない。両親の仲が悪く喧嘩が絶えない環境だったという幼少期があるので、仲の良い家庭を作りたかったのだと想像します。

 

 

父親により人気男性歌手とのデュエット曲が発表されて、その歌手と交際に発展すると、「彼と寝たわけ!?」と恋人ロビンがブチギレる。付き合っているわけだから浮気になるんだろうけど・・なんだかとても複雑ですよね。

 

 

この時の相方ロビンの暴れっぷりは、観ていて気の毒に思いました。家の家具をとにかく破壊する「物に当たる」様子は、ちょっとDV夫を連想しました。

 

 

結局、恋人から親友に関係を変更して、仕事のマネージャーにすることで、ロビンとの関係は落ち着きます。

気になったのが、後半の方は見た目や服装も女性的になっていますが、ホイットニーと付き合っていた時は男性的だったんですよね。付き合う相手によって男役か女役に変わるのかな?と思いました。

 

 

ホイットニー・ヒューストンの結婚相手といえば【ボビー・ブラウン】です。

 

 

音楽祭でジャネット・ジャクソンに負けてしまい気丈に振る舞うホイットニーに声を掛けるボビー・ブラウンに、電話番号入りの名刺を渡したのが出会いの始まりだと、劇中で描かれています。それまでは生意気な天狗の坊やという感じでした。

 

 

このボビー・ブラウンが、映画で視ていてイマイチ掴みどころがないキャラクターでした。

本来なら悪役に徹して欲しいキャラクターなのに、いい印象や哀愁も出そうとするのです。

 

 

ナオミ・アッキーのように、ボビー・ブラウンも歌手としての歌唱再現があるのかと思いましたが演技のみです。

 

 

ならばとドラマ演技に期待しますが、編集が悪いのか、女癖が悪いくせに悪びれた様子がなく、「心をこめて謝れば毎度許してくれる妻」みたいな、ある意味純粋な男性でした。

 

 

この映画の編集が悪いのでしょうね(^_^;)

ボビー・ブラウンはホイットニー・ヒューストンに帯同していることが多く、映画では献身的に尽くしていますが、浮気の常習犯で、大麻やコカインの常習という、イメージダウンになるような「裏の顔」はあまり描こうとしていません。

 

 

そのわりに「優しい男」という感じの良さを【アシュトン・サンダース】[27]が演じているんですよね。

ホイットニー・ヒューストンにプロポーズして、指輪をはめて、「隠してることは今教えて!」と伝えられて、「元カノが妊娠してる!これで隠し事がない、結婚しよう!」と伝えるんですから・・・ちょっと感覚がぶっ飛んでますよ(^_^;)

 

 

(男に言い包められるホイットニー・ヒューストンもホイットニー・ヒューストンだけど)

 

 

最後の主要登場人物は、レコード会社の社長で生涯に渡りホイットニー・ヒューストンを支えたクライヴ・デイヴィス

演じる俳優は名優の【スタンリー・トゥッチ】[62]。個人の予想では、来年のアカデミー賞で助演男優賞にノミネートしたならば受賞するのではないかな?と考えています。

 

 

全体的な作品の評価は低めですけど、スタンリー・トゥッチに関しては役にハマっていたと思いますし、彼にすごく合っていた様に視えました。

 

 

 

 

プロ歌手のシシー・ヒューストンのステージにやってきた音楽プロデューサーが、彼女の秘蔵の娘の歌声を聞いて雷に打たれる。

音楽家が歌姫に出会う、という瞬間は言葉には表せないものがあります(^o^)

 

 

彼女の歌声を聞いたデイヴィスは、確信的な可能性を感じ契約。

映画の展開だけを追っていくと、やや背景が不明に感じまるほどトントン拍子に事が進んでいきますが、社長がどれだけホイットニー・ヒューストンに賭けていたのか?が解るシーンが何箇所かありました。

 

 

特別、新曲の選曲を2人だけで行うのが印象的です。

レコード会社というのは、契約した製作者や持ち込み・応募の製作者によって毎日多くの楽曲がお蔵に眠ります。

 

 

大手になるほど、聞かずにお蔵に入れるもの(特にマイナーな作曲者は)ですが、

クライヴ・デイヴィス社長は、来た曲を一通り聞いていて、その中で彼女に聞かせられる楽曲を、彼女に聞かせる。

 

 

同じくレコード会社に勤める私から見れば、新人の女性シンガーに社長自ら「これどう?」と聞かせて選ばせるのは不思議なのですが・・(^_^;)後の歌姫は、直感でビビビと来た曲を「これに決めた!」と自分が歌う楽曲を決めます。

 

 

スタンリー・トゥッチ演じるクライヴ・デイヴィス社長は、常に彼女の味方で肯定的。私生活で麻薬漬けになっているホイットニー・ヒューストンの身を心配して入院を勧めるシーンも大変印象的でした。商品としての価値より、人間としての彼女を大事にしている感じがとてもします。

 

 

(個人的にサンミュージックの相澤社長とどこか重なります)

 

 

だけど、これは当然のことですけど、社長は私生活まで介入しないので、非常に良きビジネスパートナーとしての関係性を最後まで観れました。

 

 

ホイットニー・ヒューストン自身は、劇中で観るに、浮気はしないですし、娘との確執もない。唄を歌うことが中心となり描かれるので見せ場は「ライブ」となる。

 

 

黒人問題や人種差別ももっとしっかり描いてほしいのだけれど、今の時代のセイ(責任)なのか、そういうことがあったよと部分的に紹介されているだけで、ネルソン・マンデラ(元南アフリカ大統領)が具体的に何をして、彼女が何のためにステージで歌っているのかくらいは紹介してほしかったです。知らない人には知る権利が、知っている人にはより理解するキッカケを与えてほしかったなぁ。

 

 

私生活の部分は、父親への「甘さ」と言いますか、絶縁状みたいなものを突き付けますが、結局は縁を切れずに、父親は娘が稼ぐお金のことを考えながら死んでいきます。娘のギャラで会社を運営して、その社員全員に、「何でも好きなの買って良いよ。ただし無駄遣いは程々にね」とクレジットカードを渡すのは、言葉は悪いけれど、地獄に落ちろ!と思ってしまいました(^_^;)

 

 

これは家族の愛みたいな同情なので、他人がトヤカク言うことではないのかな。

だけれど、ホイットニー・ヒューストンのお金で運営して甘い汁を啜っているのだから、彼女が父の会社を訪れた時に、社員の腰が高いままなのは個人的になったなぁ。「お疲れ様ですホイットニー様!」ぐらいやってほしいものだ(笑)(笑い事ではないけど)

 

 

当時のホイットニー・ヒューストンの全世界の熱狂ぶりを私は知りません。

スーパーボールで国歌斉唱し、その国歌斉唱が過去最高と言われていることも、あまり良く知りません。今だったらネットがありますが、日本のテレビでスーパーボールは放送しませんからね。

 

 

 

 

そもそもホイットニー・ヒューストンと言えば『ボディガード』の主題歌『I Will Always Love You』が一番先頭に思い浮かぶので、それ以前のヒット曲は、正直あまり知りませんし、耳馴染みがありません。

 

 

7作品連続全米チャート1位を記録したと全米未踏の記録が存在しますが・・

 

 

私の周りに90年代前後の洋楽好きがいなかったので、『I Will Always Love You』の「エンダ〜!」だけがエンドレスリピートしている感じです(^_^;)そういうわけで劇中でようやく「知ってる曲来た!」と興奮した感じでした。

 

 

ちなみにボディガードのサウンドトラックは全世界で4200万枚のセールスを記録し、うち280万枚が日本の売上記録です。

 

全世界のセールス約1割が日本ですから、そりゃ日本人にとってみれば「ホイットニー・ヒューストン=ボディガード」になるのも無理ないのかも。

 

 

この映画は「どこが良かった?」と聞かれれば「歌唱シーン」と答える以外に私の言葉のバリエーションはありませんが、とてもいい音楽映画を聴けた気分の良さはありました。

 

 

ホイットニー・ヒューストンは2012年。グラミー賞前夜のホテルの浴槽で発見され亡くなります。薬物による心臓発作が死因だったそうです。

 

 

劇中のナオミ・アッキーが演じるホイットニー・ヒューストンは、静かで大人しいキャラクターに徹していたぶん薬物とは無縁の歌姫に視えましたから、現実とのギャップに映画とは言え少しショックだったなぁ。

 

 

あ💡出待ちのファンに対応するホイットニー・ヒューストンのシーンで、とても印象的なファンがいます。観ていて結構ドキッとさせられました。先程、良かったところは歌唱と伝えましたが、鑑賞される方に、このファンのシーンもオススメに追加したいです。

 

 

映画では紹介されませんが、ボビー・ブラウンとの間に生まれた2人の子供。長女のクリスティーナと長男のボビー・ブラウンJr.(映画には出演なし)は、ホイットニー・ヒューストンの死後、若くして2人とも亡くなっています。

 

 

ホイットニー・ヒューストンと成長したクリスティーナは後半で母娘一緒にいるシーンが何度かあるので、それを知っていたので・・切ないなぁと思いました。

 

 

 

 

ホイットニーが若い時、プロの歌手だった母親に歌の指導を受けていたけれど、母親となったホイットニーが自分の娘に同じ様に歌の指導をしていたのかなぁ?今となっては聴けませんね。

 

 

展開の助けを借りて・・という表現がありますが、歌の助けがあるから140分観れた気がします。

いい映画ですが、もの凄く期待値を上げて観ると、少々物足りない完成度に感じるかも知れません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

脚本 13点

演技 15点

構成 13点

展開 13点

完成度14点

 

 

[69]点

 

 

今年も一年間ありがとうございました。

来年も宜しくお願い致します。

 

 

 

【mAb】

THE映画評論『The NorthMan』

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『ノースマン』

 

副題『導かれし復讐者』

 

 

 

 

 

監督🎬【ロバート・エガース】

 

 

 

アムレット【アレクサンダー・スカルスガルド】

 

グートルン王妃【ニコール・キッドマン】

 

フィヨルニル王【クレス・バング】

 

オルガ【アニャ・テイラー=ジョイ】

 

ホーヴェンディル王【イーサン・ホーク】

 

ヘイミル【ウィレム・デフォー】

 

ソーリム【グスタフ・リンド】

 

 

 

配給[パルコ=ユニバーサル映画]

本編[2時間17分]

 

 

______

 

 

 

遅くなりましたが今年最初の記事となります。本年も宜しくお願い致します。

 

 

年明けからは昨年に公開された映画を何作品か劇場で鑑賞して過ごしました。

変なこだわりを持つ書き手です。昨年中に公開された映画は、12月だとしても新作映画として書く気持はございません。

 

 

役所広司さん主演の日本映画『ファミリア』が2023年度公開としては初めての劇場鑑賞になりました。

1月は新作映画が少ないので、シネコンで公開されればロングランはほぼ確定。機会があればファミリアを書きたいと思っていますが、有言実行できていないので確実なことは言えません。

 

 

鑑賞に至るまでの自分の経緯を書きます。

 

 

怠慢により年々、最新映画をチェックしないようになりました。

サイトを検索して作品の存在を知ることも少なくないです。

 

 

何度となく書いていますが、私の通うシネコンは3つ。TOHOシネマズ、MOVIX、ユナイテッド・シネマ。

3社ともアプリをスマホに入れていて、劇場鑑賞が出来る日になるとアプリを開いて3社のアプリサーフィンします。

 

 

ネットで指定席を購入することが多くなりました。自分の観やすい角度の席(映写機の下)を確保しておきたいからです。

 

 

今年は新作の洋画がかなり少ない。1月は普段はライバル同士のシネコンも同じラインナップ。「何か(観たいと思える作品は)ないかな?」と。

 

 

そこで見つけた『ノースマン』。アクション・ダークファンタジー。

 

 

TOHOサイトの作品紹介から

 

 

>9世紀、スカンジナビア地域にある、とある島国。
若き王子アムレートは、旅から帰還した父オーヴァンディル王とともに、宮廷の道化ヘイミルの立ち会いのもと、成人の儀式を執り行っていた。しかし、儀式の直後、叔父のフィヨルニルがオーヴァンディルを殺害し、グートルン王妃を連れ去ってしまう。10歳のアムレートは殺された父の復讐と母の救出を誓い、たった一人、ボートで島を脱出する。
数年後、怒りに燃えるアムレートは、東ヨーロッパ各地で略奪を繰り返す獰猛なヴァイキング戦士の一員となっていた。

 

 

 

その時の気分が、あまり難しく考えたくなかった(頭を使いたくなかった)ので気軽に観れる洋画ドラマを探していたのですが、

 

筋肉隆々の男たちが繰り広げる歴史スペクタルのアクションと、舞台地が10世紀頃のアイスランドと、映画とは不馴染な土地に興味が惹きました。(冒険ファンタジーのロケ地としては北欧はよく使われますが)

 

 

大陸から離れたアイスランドが、この時期に入植されたということはウィキペディア先生で読んだことがあります。

 

 

中世は西洋が「世界の中心」という考え方だとは言え、「氷の国」と「野獣的な筋肉」の組み合わせは個人的興味をそそります(笑)

 

 

(筋肉=南国のイメージが私にはあるので、雪国の筋肉を見てみたい。)

 

 

驚いたのがキャスト陣。

 

出演者がアカデミー賞の常連だったり大物クラスばかりの、とにかく豪華キャスト。

 

【アレクサンダー・スカルスガルド】【ニコール・キッドマン】【ウィレム・デフォー】【イーサン・ホーク】など、このメンツを見る限り単なる歴史スペクタル映画ではないだろう。売れ線のキャストではないけれど、実力派を揃えた印象。

 

 

そして、『mAbによる映画一期一会』の読者の方には、昨年1年間で1番書いた【アニャ・テイラー=ジョイ】[26]が出演していたのが決め手ということも、合わせて紹介いたします(^^)すっかりファンになりましたが、相当なペースで日本で出演作が公開されていますね、まさにJOY(歓び)。

 

 

1月期の新作映画不足で「これを観るしかないかな・・」と消去法だったのですが、アニャ・テイラーとアイスランドのワードを知った瞬間から、「これを観るしかない!」に気持ちが切り替わりました。

 

 

では始めます。

 

 

_____

 

 

 

895年「北の国」 

 

 

テロップが表示。

その後、場面展開のたびにが表示されます。

ファンタジー映画ではよく見られる展開移動の変え口です。

 

 

公式サイトのあらすじ紹介では「9世紀 スカンジナビア地域にある、とある島国」と紹介されていますので、それを参考にします。

 

スカンジナビア地域はノルウェー・スウェーデン・デンマークの三国を主に指します。

 

 

 

 

(現在のウクライナ戦争でNATO加入問題が取り上げられている国々でもありますね)

 


その地区にあるヴァイキングの港町に、オーヴァンディル王が帰還するシーンから映画は始まります。

 

 

 

 

映画では移動手段に船を使いますが、この時代によく海路を迷わず目的地にたどり着けるものだと、そちらにも興味関心を持ちます。

 

 

ちなみに大航海時代は15世紀から始まりますが、その500年も前の時代の船技術ってどういう作りだったのでしょう?映画で紹介してほしかったですね。

 

 

高台に建つ宮廷から王の艦隊を確認しているアムレート王子。

 

 

 

 

興奮しながら宮殿を走り、母親である王女に報告します。王女役は【ニコール・キッドマン】[55]。

 

 

着替え中だった王女の反応が印象に残りました。急に扉を開けるんじゃないわよ!叱るよりも睨む。

子供を躾けると言うよりも、まるで思春期の子供が自部屋のドアを急に開けた親に言うような反応だなと思いました。(ニコール・キッドマンって男性ぽい表情が多い)

 

 

王の帰還に出迎える面々。宮殿に緊張感が走ります。王役は【イーサン・ホーク】[52]。

 

 

この映画全体に言えることですが、おそらく室内も氷点下だと思いますが、あまり温度感を画面から感じないので、少しだけ作り物的な見方をしてしまいました。これから何十・何百体も殺戮合いを行いますが、凍結の遺体って・・あったかな?

 

 

王の威厳は充分。とにかく息子を大事にしている王様で、皆の前で王子を抱きかかえ父親の顔に。これを機に場の雰囲気も和みます。

 

 

その和やかな宴の最中に現れる王の弟フィヨルニル王弟殿下。目付きがギラギラした・・いかにも悪役という感じ。フィヨルニル役はデンマークの俳優【クレス・バング】[55]。

 

 

帰還の祝宴の席ということで、この場は大人しく従う王弟。

 

 

その夜。王は王子を連れて、王家の秘密の洞穴のような場所で、儀式を行います。

王は自分の退位を予見していて、その後継者にはもちろん王子を考えている。そのことを王女に相談しますが、まだ子供よ(10歳前後)と反対されていました。

 

 

洞穴ではシャーマンのヘイミル立ち会いのもと、火を囲みながら夜通し完全に野生の獣となって過ごします。ヘイミル役は【ウィレム・デフォー】[67]。

 

 

ヨーロッパの演劇という感じがします。日本の舞台では、まずここまで獣になりきれる演技に出会えないでしょう。

 

 

そして朝方。地上に出てくる父子。

 

感覚の研ぎ澄まされた王子が雪という自然物に舌を出して悦んでいる背後で・・父親である王様が暗殺されるのです。

 

 

 

実行犯は王の弟フィヨルニル。王様は死に際に辞世の句のような言葉を告げた後、首を切り落とされます。

 

フィヨルニルは自分が王になるため、王位継承者となる王子を殺さねばなりません。

 

「捕まえて、殺せ!」必死に逃げるアムレート王子。城ではフィヨルニルの手下が、王に忠実な国民の殺戮を行っていて皆殺し状態。

 

 

父親の死を目撃して間もないアムレート王子は、さらなる衝撃な光景を目にします。それは母親の王妃が眼の前で連れ去られていく光景です。マザー!と声を出せば見つかり殺されてしまう。今は逃げるしかない。アムレートは声を殺して海岸へ走る。

 

 

そしてボートに乗り込み、大海原へ逃走します。王子ですが王国に味方は誰一人としていません。

 

 

(都合よく逃げた先にボートがあった感じもしますけど(^_^;))

 

 

目的(キーワード)となる合言葉を復唱しながらボートを漕ぎます。「父親の仇を討つ!母親を取り戻す!フィヨルニルを殺す!」と。

 

 

___

 

 

 

第二章。数年後、表記。

 

 

数年後。ロシアでヴァイキングの一員となっていたアムレート。

 

 

 

 

ヴァイキングは8世紀末から約250年間に渡って、東ヨーロッパで略奪や殺戮を繰り返していた組織・集団です。

そういう時代があったと考えれば納得できますが、女子供も躊躇なく殺すので見ていて辛いものがあります。

 

 

 

 

 

これまでヴァイキングといえばヨーロッパの盗賊団というイメージが私にはありましたが、

この映画を観る限りだと、現代で言うオスマン帝国やソビエト連邦みたいな感じなのかな。

 

 

アムレートもヴァイキング帝国の王族の子孫ということなので、ヴァイキングが管轄する何処かの国の王子なのだと思います。知識が少なくて想像で書いていますが、すみませんm(_ _)m

 

 

身分を隠して、ヴァイキングの戦闘員となっているアムレートは「ベオウルフ」という別名で、次々に村を襲っていきます。

 

 

 

 

 

映像は迫力満点。槍(斧)と盾を持ちながら猛突進。

ヴァイキングの攻撃を予測するのは難しく、突然襲いかかってくる半裸の猛獣軍団に、村の兵士は慌てて防御のための攻撃をするしか術がない。

 

 

弓矢を交わしながら突っ込んで、防壁をよじ登り村に侵入すると、そこからはあっという間、斬り合いが始まる。

 

 

アムレートの特徴は男以外(男は基本誰も兵士)の殺生はしないことでしょうか。殺るか殺られるかの世界なので常に修羅場ですが、敵を斬った後は次の敵が現れるまで他の村人には手を出さず息を整えます。

 

 

ヴァイキングは百戦錬磨。攻撃されたら最後だと思い知りました(^_^;)。

そして、ここが重要。村を陥落させたあとは、生き残った村人たちを鉄鎖に繋いで奴隷にします。

 

 

村を襲撃して→奴隷を集めて→その奴隷を各地の王族の元へ送る。

 

奴隷は主に女子供。老人は置いていくのでしょう。

 

奴隷の反乱を起こさせないために兵隊の男連中を最初に殺して、闘争心の無くなった男は奴隷として連れて行っていました。

 

 

西洋や北欧出身の彼ら(ヴァイキング)が、中欧や東ヨーロッパ(ロシアなど)を侵略し、奴隷として同盟国へ連れ去っていたのは歴史の1ページ。

 

 

(500年後。大航海時代になるとコロンブスなどの奴隷商人がアメリカ大陸に黒人を連れて行く)

 

 

奴隷となった者達は無抵抗です。これからどう足掻いても奴隷という立場は変わらない。

戦争と同じ。降参したら捕虜となる。

 

 

襲撃前までは普通に生活していた筈ですが、一瞬にして立場が変わってしまうのは・・可哀想過ぎますね(^_^;)

 

 

勝利の宴は火を囲み、肉を喰らい、闇の草むらでは女と体を交える様子。そして狼のように獣として吠える。

 

 

 

 

(あの可愛かった王子が・・・ってか数年後の設定で老け過ぎじゃない?Σ(゚Д゚))

 

 

こういう部分は野性的ですが、システムは文明的。


村を侵略、占拠したあとは、捕まえた村人を奴隷にし、ヴァイキングの幹部たちにより、王家の領地へと振り分けていきます。

 

 

兵隊要因の男・器量の良さそうな女性はS国へ。

それより落ちる奴隷はA国へ、B国へ、という感じで振り分ける。

 

 

(ふと字幕を見るとキエフのことをキーウと表記していました。1年前の字幕だったらキエフなのでしょうね。)

 

 

奴隷の振り分けを背中で聞いていたアムレート王子が振り向き、兵士に聞く。「今なんて言った?」

 

 

奴隷の行き先が父親の仇であるフィヨルニルの国だと知り、復讐心が沸騰。

 

 

父親を暗殺し国王の座に就いたフィヨルニルは、その後、大陸から離れた彼の地「アイスランド」の島国で羊飼い同然になっているということ。

 

 

このシーンの説明が不足していて残念です。

 

 

兵士が言うには、その後、別の王家の人間が女王となって、フィヨルニル新王は他の地域に移って国を築いたとのこと。都落ちみたいな感じなのかな?

 

てっきり宮殿に戻って復讐劇を繰り広げると予想していたので、冒頭アムレートがいた地域が現在どうなっているのか?も映画で紹介してほしかった。

 

 

この兵士の会話を聞いていなければ、これまで通りヴァイキングの戦闘員として生きていった(感じだった)アムレートですが、この情報と、【ビヨーク】演じるスラブ族の巫女の導きによって、復讐だけしか考えられなくなる。

 

 

 

 

(オスカーを賑わせた『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の主演女優。お久しぶりの銀幕は・・目がなかった(^_^;))

 

 

この映画は時代劇中にシャーマンなどのダークファンタジー要素も随所に差し込まれるので、鑑賞者も切り替えが大事だと思います。

 

 

復讐を誓い故郷を立ってから数年。

ヴァイキングの幹部からも一目置かれるようになっていた戦士アムレート。



北欧白人ヴァイキングの特徴である金髪で長髪。

 

 

その長い髪を切り落とし(それでもセミロング)奴隷の焼印を鎖骨の下に自ら付けて、アイスランド行きの奴隷船に乗り込むのです。髪を切ったくらいで同僚に気付かれなくなるのだから、案外、見た目重視なのかも知れませんね。

 

 

9世紀のスカンジナビア地区は、北欧三国に加えて、フィンランドやアイスランドを含みます。

 

私の勝手な想像ですが、ヴァイキング軍はゲルマン・デンマーク系が多いのでデンマークの位置から考えます。

 

アイスランドまでは1800キロ以上あり、900年代の木造船でよく辿り着けたなぁと・・そっちの驚きのほうが大きいΣ(゚Д゚)

 

 

 

 

何処から出港したのかは分かりませんが、相当過酷な船旅だったはずで・・嵐のシーンや、陸路到着時に水死体などは描写で用意されていましたが、この船旅を省略してしまうのは、かなり勿体無い気がします。

 

 

(時代も場所も違いますが、日本で遣唐使や遣隋使の船旅だけでも命からがらだったと読みます)

 

 

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ここから数十分の間隔で何章かあります。正確な章数とテロップ表記を覚えていませんm(_ _)m

 

 

奴隷船でアムレートは運命的な出会いをします。同じ奴隷の【オルガ】です。

オルガは巫女の能力を持っているスラブ人(東欧系)で、奴隷として紛れ込んだアムレートに理解力を示す。

 

 

 

奴隷は話すことを禁じられているので、夜間などにこっそりと会話し、自分の目的なども伝えています。

 

 

演じる女優は前書きに書きましたmAbの大注目女優【アニャ・テイラー=ジョイ】。

これまで観てきた出演作の中で一番体を張っていましたけど、これまではオーラで演じているような印象でしたし、こうして泥臭い演技をすることで演技派になってほしいですね。

 

 

アイスランド行きの奴隷は、振り分け具合を見るに三軍(捨て駒)のような人達ですから・・

その中に、筋肉質なアムレートと、金髪白人のオルガがいると2人だけ目立つので、結構違和感でした(^_^;)

 

 

島に上陸してからは首に鎖を繋がれて、フィヨルニル王が住む地区まで移動します。

 

 

フィヨルニル王は威厳こそありますが、すっかり落ちぶれていて、小国のリーダーといった感じです。

アムレートの母親でもあるグートルン王妃との間に産まれた王子からは、どうして父さんは王様なのに羊飼いをやっているの?と疑問を持たれているくらい、王様としての圧倒的な背中は見せられていません。

 

 

 

 

(ここに至るまでのフィヨルニルの失脚の経緯も知りたいところ)

 

映画の内容とは関係ありませんが、ウィキペディア先生のアイスランド解説を引用します。

 

 

>定住した人類は木炭を作るために森林を広範囲に伐採した。人類が入植する前は、国土の4分の1がの森林であったが、19世紀まで続いた伐採により森林面積は1パーセントに減少した。入植者はといった家畜をアイスランドに持ち込んだが、寒冷地ゆえに羊毛を目的とする羊の飼育が盛んになった。羊は植物であれば若木を含めて食べてしまうため、国土の3分の2を覆っていた植生が2分の1に減少し、アイスランドは表土の露出した荒涼たる風景となってしまった。

 

 

(丁度映画の時代だと思うので「なるほどな」と納得しましたし、人間が入植しなければアイスランドって殆どが森林だったんだと勉強になります。)

 

 

すっかり落ちぶれた印象のフィヨルニルの前に、奴隷が到着する。10〜20人ほどです。

 

緊張感のなかった王族や兵隊たちにスイッチが入る。奴隷を横一列に並ばせる。国王軍の数も少ないので王や王子が自ら選別します。

 

最果ての地まで辿り着いた奴隷たちを並ばせ、使えそうにないとその時の気分で殺してしまう。

 

 

ベオウルフ(アムレート王子)や金髪美人のオルガは生かされる。この2名だけ奴隷の中で見た目が別格です(^_^;)

 


甥っ子(アムレート)の顔や目を至近距離で見ても、フィヨルニルは気が付きません。(そんなことある?(^_^;))

 

 

奴隷は男は力仕事、女は雑用や性奴隷として捨て駒的に使われていく。映像描写としては描かれませんが安易に想像。

 

 

アムレートはとにかく従順に奴隷として働き、夜間になると野生動物となり目を光らせて偵察する。

 

 

ある時、北極狐に導かれて辿り着いたシャーマンにより、巨人族の剣を手に入れたアムレート。

 

 

(こういう部分で急にファンタジーになります。)

 

武器を手に入れ、復讐の時を心待ちにしていく。

 

_____

 

 

物語文は以上です。

 

 

リアリティのある肉肉しい映像表現のなかで、時々、スピリチュアリズムな展開を挟むのが特徴です。

 

巫女によるお告げが合ったり、その助言に導かれるように主人公が進んでいくロールプレイング。

 

あまりスピリチュアルを投じすぎるのも、せっかく物語性が高いレベルの作品なので良くないと思いますが、

 

海外の人からすれば、こういうのはむしろもっと過剰にしたほうがいいのかな?

こちらは完全に好みだと思いますけれど、私としては無駄に多い印象です。

 

 

とは言え、900年代初頭の話ですし、当時の西洋人がどれほど文明や文化よりも、「星」や生活に重きを置いていたのだろうと考えると楽しいです。

 

 

アイスランドということで単純にオーロラなどの映像を期待しましたが、そういう神秘的な映像ではなく、ただただ満天の星空を映画は映していたのも、おそらく意図があるんだと思います。

 

 

アイスランドは1600万年前に北大西洋に誕生したとウィキペディア先生にあります。

 

 

 

 

多くの火山があるアイスランド。最終局面ではマグマの中で両名が戦います。

 

 

大陸から離れた孤島で開拓していく王家の物語という、見方・面白さも私にはありました。

 

 

フィヨルニル王の行動を見ていると、人口を増やし国を繁栄させるという目的ではなく、自己顕示欲で王家を築いていくだけに見えます。映画の時代に、アイスランド島に別の集落や国があったのか?も知りたいところです。

 

 

___

 

 

 

こういう映画を観ると、まず登場人物の多さだったり、ヨーロッパの馴染みの薄い名前だったりを、覚えて付いていくのに疲れてしまうものですが、

 

 

主要登場人物が少なく話も分かりやすかったのが、一番に良かったです。

 

 

主人公のアムレート王子とヒロインのオルガ。(序盤で亡くなる国王)敵であるフィヨルニル王と、母親である王妃。この4名の物語。

 

 

そこに従弟の王子であり、【ウィレム・デフォー】演じるシャーマンなど、ある程度、把握していけばスムーズに観ることが出来る作品だと思います。

 

 

(正直、役の年齢設定が不明ですが(^_^;))王女役の【ニコール・キッドマン】も良かったです。

 

 

冒頭10歳の王子がいる王妃役としては老けすぎた登場シーンだったけれど(祖母と言ってもいいくらい)。アイスランド編からは別の人格になったように表情の表現が変わっていましたし、エラの張った感じに老いを感じて、役者として円熟味を感じる。

ニコール・キッドマンと言えば、怒った時に釣り上がる目が特徴だと思いますが、何だかこの映画で一番彼女が「役を理解している」感じがしたな。

 

 

王子役の子役であり王役のイーサン・ホークであり、主演の【アレクサンダー・スカルスガルド】も一切の「我」を捨てていました。これって本当に物凄い高いレベルだと圧倒されます。

 

 

演技で我が見えると「自分を捨てろ!」と演出家から指導を受けます。


日本人俳優には多いですけど、何をやっても同じ演技にしか見えない主演役者っていますよね。

 

 

それはそれで日本らしい商業演劇としては良いのかも知れませんけど、例えば、日本人の人気俳優が縄文人の役柄を演じて縄文人に視えるのか・感じるのか?と考えると想像することが出来ません。武士には見えますが、縄文人には見えない。

 

 

映画からはそれてしまいましたがm(_ _)m 男優陣の野獣感は相当なものでした。

 

 

私のお目当てアニャ・テイラー=ジョイ演じるオルガは、紹介ではスラブ人の魔法使いと書いてあります。

限りなく人間に近い巫女でそこにリアリティーを感じますが、後半は急に魔法使いに。


出来れば徹底してほしかったかな。

 

 

 

 

傷ついた運命の男性を温泉という泉の中で治療したり、神秘的と女性的な描写は見応えがあるのですが

 

オルガに関しては矛盾や疑問も多いです。

 

 

 

 

こういう馬も何処から調達してきたのだろう?2人とも何も持たない奴隷だったのに(^_^;)

 

 

(父親の魂が鴉となりヴァルハラから使いを寄越す描写は感動)

 

 

 

____

 

 

 

最後に、鑑賞後にiPhoneに箇条書したメモを貼り付けます。

 

 

ヴァルハラ ヴァルキリー スラヴ人 奴隷や生贄や新略、女子供への扱いなどは、見ていて辛いものがあるのだけれど、侵略戦争の時代では当然あった描写ですし、そこまでの抵抗感はなかった。それよりも主人公含め千年前の人間の獣感だったり獣臭が秀逸で、なかなかお目にかかれない表現力だった。2時間半の尺で前中後半と分けたとして、前中の出来を考えれば、後半に突然展開を早めた印象がありそこを残念に思う。後半にまとまりがあれば、統一感は半端なかったはず。とにかく映像や役者のレベルは物凄く高いし、カメラワークも最適だが、最後は編集点の問題で私としては評価を下げた感じ。

 

 

補足として、『スカンジナビアの神話』や『アイスランドの英雄物語』『ヴァイキング伝説』などを組み合わせて着想した物語で、もう脚本家とすれば、羨ましいくらい自由ですけど、ヴァルハラ(北欧神話における主神オーディンの宮殿)やヴァルキリー(ワルキューレ;戦場で生きる者と死ぬ者を定める女性)など神話ベースなので、その知識を入れておくと鑑賞に役立つでしょう。

 

 

演者の表現力カメラワークずば抜けて秀逸に思えます。

残酷なシーンも多いですがスプラッターにはせずに、名優と泥臭アクションで見易く仕上げられていました。

 

 

スピリチュアルや神話などの解釈は、私より詳しい方が沢山いらっしゃいますが、思いの外、特に難しくなくて頭で考えずに、展開ごとに物語を読める映画でした。

 

 

アカデミー賞の前哨戦と呼ばれるゴールデングローブ賞が先日行われましたが、今作の名前はありません。

 

 

ファンタジーアクションは賞レースに不利ですが、もし今作がアカデミー賞に選出されるならアレクサンダー・スカルスガルドの主演男優賞ノミネートとクレス・バングの助演男優賞ノミネートを願います(^^)

 

 

 

 

 

 

 

 

脚本 13点

演技 18点

構成 14点

展開 13点

完成度14点

 

 

[72]点

 

 

 

フォローしてね

 

 

 

【mAb】

 

THE映画評論『The Banshees of Inisherin』

0
0

 

 

『イニシェリン島の精霊』

 

 

 

 

 

監督🎬

【マーティン・マクドナー】

 

 

パードリック

【コリン・ファレル】

 

コルム

【ブレンダン・グリーソン】

 

 

シボーン

【ケリー・コンドン】

 

ドミニク

【バリー・コーガン】

 

 

配給[ウォルト・ディズニー・ジャパン]

 

上映時間[1時間49分]

 

 

_______

 

 

 

鑑賞した理由は2つ。①「シネコンで洋画の新作が公開されない時期だから」と②「アカデミー賞の時期だから」です。

 

 

① 毎年1月は最新映画の閑散期ですが、今年は2月になっても洋画の公開が少なく、1週間で洋邦合わせて2作品ほどの公開です(アニメやドキュメンタリーを除く)。ハリウッドのエンタメ映画が好きな私にとっては、映画館に通う頻度も激減しています。

 

 

洋画の公開が世界一遅い国とされている我が日本。

②アカデミー賞最有力候補の洋画を日本では1月末〜3月に公開する傾向です。

 

 

私はブログ名にも付けているように本家の「アカデミー賞」に相当強く惹かれていて、やはりこの時期になりますと、待ち望んでいたぶん、その気持ちを強調した文章内容になります。

 

 

今作品では「アカデミー賞の前哨戦」と言われるゴールデングローブ賞で、作品賞・脚本賞・主演男優賞の3部門を受賞し、日本で公開される事になりました。順当に行けば、アカデミー賞でも複数部門がノミネートされるものだと思います。

 

 

1月27日の公開で、公開2週目での鑑賞となりました。

観客の入りはどのシネコンも程々で混んではいません。公開2週目ともなれば、200席ほどある座席のうち1割も観客は入っていませんでした。

 

 

個人的に上映時間が予告を含めて2時間は丁度いいです。

 

 

ウィキペディア先生の評価欄で、批評家が「観客を嫌な気持ちにさせる」と書いているのですが、まさにその通り!で、こういう陰気な作風は日本では玄人好みで大衆受けはしないかなぁ?なんてネ。

 

 

3月までシネコンで上映されているか?は微妙なライン。アカデミー賞をもし獲った場合は再上映されて、興行的にはそれなりにヒットするのだと予想します。

 

 

____

 

 

 

では mAbの語り口調で、この映画の物語を紹介していきます。

知識や理解を要する作品なので、いつにも増してトンチンカンな文章になるかも知れないです(^_^;)

 

 

時代は1923年。

全米は2022年の公開ですが、日本的には丁度100年前ということになりますね。

 

 

舞台はアイルランドの孤島イニシェリン島。言語は英語。

 

 

アイルランドはイギリス諸島の西にある島国。

 

 

アメリカのハリウッド映画では、よくアイルランド移民のルーツを揶揄される印象があります(リーアム・ニーソンなど)

 

 

 

 

アイルランドは面積こそ違えど日本の三重県みたいな形(下の部分)をしているなと、パッと見で思います。

 

 

地図右がイギリス諸島ですが、アイルランドとイギリスの関係も、近くて遠い国なんですよね。

 

 

1920年代のアイルランドというだけでは頭の中に背景が浮かびません。

さらにアイルランドの本土から離れた聞き馴染みのない小さな島イニシェリンが舞台になりますので、謎が謎を増します(^_^;)

 

 

ここはどこ、歴史はなーに?です。

 

 

日本映画だと、こういう馴染みのない土地を描く場合、ナレーションや俳優を通して語り部役を必ず用意するものですが、アカデミー賞を意識した洋画だと、そういう俯瞰的に島を語る役柄は用意しません。(強いて言えば妹シボーンがその役を担っていた。愛想も悪いし、陰気な島だ、などの紹介。)

 

 

英国映画で何回か書く機会がありました。2世紀に渡り「アイルランド問題」という内戦をしています。今作品はアイルランド側で、さらに内戦に参加しない島人の俯瞰な視点と、更に謎が増します(^_^;)

 

 

 

 

(学生時代の世界史の授業で習ったを覚えていますが、学校の授業なので大まかな内容しか解説されず、卒業してから映画や本で知識を増やしていった感じです。)

 

 

本土では内戦が繰り広げられ、島にも轟音が響いている状況ですが、数十キロ離れたイニシェリン島は戦争とは無縁です。

無関係というわけではないのでしょうけど・・独立派だとか宗教的対立だとか、そういう二分割の争いは島や島人にはないです。

 

国民性、人種性は分かりませんが、誰も楽しそうではないように私には視えます。

 

と言いますか・・つまらない雰囲気を、この映画の出演者が作り出しているのです。

 

平和だけれど、何だかつまらなそうで、陽気な性格の人がいない←この映画に出てこない。

 

 

島には娯楽がないので、一部の島民は刺激を求めます。

 

 

女性は噂話。商店(コンビニ)の女店主が「面白い話(痛い話)を聞かせて」と商品を渡す交換条件を付けるのが印象的です。

 

 

男性はパブで飲酒。盛り上がる日はマレで、そういう人は日々(人生)に抑揚(アクセント)がありますが、大概の島民は静かに飲んでいます。

 

 

主人公の【パードリック】は優しさが取り柄の中年男性です。目尻が下がっていて、ハの字のゲジゲジ眉毛。

パードリックは妹の【シボーン】と2人で暮らしています。年齢設定が分かりませんが、観た感じ中年の兄妹

 

 

パードリックは「普通の男」です。特に特徴がなく、良いところを探せば「優しい」くらいの目立たぬ人。

正直、映画の主人公には不向きな性格です。だからこそ好演すれば評価を受けるのでしょう。

 

 

演じる【コリン・ファレル】[46]と言えば、20年前はアクション映画で大活躍していたハリウッドスターですから、こうして静かなドラマを演じていると、自分的には年齢による落ち着きを感じます。

 

 

パードリックだけではなく、イニシェリン島の島民の1日はワンパターンに視えます。

 

 

起きて、自分の仕事(役割)して、パブで酒飲んで、家帰って寝る。それだけ。

 

 

パブで飲む友人も座る席もだいたい毎回同じで、パードリックで言うと、バーカウンターか窓際の席で親友の【コルム】と話すのがお決まりになっています。

 

 

他愛のない話。

テンションが低いです。男同士下ネタで盛り上がるとか、酔っ払って歌を歌う、みたいではなく、2人はずっと他愛のない話をしています。(何が面白いんだろう?)

 

 

彼にとっては、ルーティンと化したそんな普通の毎日。そんな普通の毎日に、ある日突然、大きな変化が起こります。

 

 

いつもの午後コルムの家に行き、「パブの時間だよー!」と窓越しに声を掛けます。

 

 

おそらく、いつもは「おー!」と返事が帰って来るのでしょうけど、この日は反応がなく、窓を覗き込むパードリック。

 

 

 

 

コルムは家の中にいました。

 

毎日同じ繰り返しなので、些細な変化も違和感に感じます。

 

 

その日、家の中のコルムは、パードリックの声掛けに返事をせず、背中を向けて椅子に座り、ゆっくりタバコを吸っています。

 

 

中の様子を窓から見ているパードリックは、首を傾げながら、「さ、先に行ってるからね(あとで合流しよう)!」とパブへ。

 

 

 

作品チラシにはパードリックを「この島の誰からも愛される素朴な男」と書かれているのですが、誰からもというのは違うかなと思いました。

 

 

妹シボーンにこの話をします。「返事がなく、ゆっくりタバコを吸っているだけだった」←劇中で強調しています。

 

「喧嘩でもしたんじゃない?」「えっ、身に覚えがないけど・・」「きっとそうよ。」「きっとそうだよ(パブの店主)」。

 

 

パブにやってきたコルム。パードリックを視界に入れず居ないように接します。

 

 

 

パードリックにとって親友と呼べる唯一の存在コルム。彼と仕事終わりにパブで酒を呑むことを日課にしています。

 

 

勿論パードリックは問い詰めます。「なんで無視するの?俺、なんかした?」。映画で視ていて当然の疑問です。観客も戸惑うはず(^_^;)

 

 

 

 

そんなパードリックにコルムは「お前とは友達をやめる。もう話しかけるな。」と怖い形相で睨みつけ、冷たく絶交宣言をするのです。

 

 

____

 

 

 

主演のコリン・ファレルが46歳。

親友役の【ブレンダン・グリーソン】が御年67歳です。

 

 

この2人の年齢設定が全く分かりませんが(;´∀`)もし俳優の実年齢通りのだとしたら、親子ほど年の離れた同じ島民の男同士と言うことになりますね。


そんな歳の離れた2人の男性が、いつ意気投合したのか?と言うのも気にはなります。年齢差のある友人、この映画を紐解く鍵。

 

 

そんな長年、毎日のように友の盃を交わしていたコルムに、突然「お前は友達じゃない」と一方的にエンガチョされる。

 

 

パードリックじゃなくても・・私だって嫌ですよ。同性の親友に前触れもなく絶交されるなんて・・リアルに嫌です(^_^;)

 

 

理由も説明も原因も言わず「これ以上、話しかけるな」と強く言うコルム。

 

 

そう言われてもね。社交的な性格でないパードリックは、新しい友達を作れるタイプではなく、コルムしかいない。

 

 

明日になれば気が変わる、そうか昨日はエイプリルフールズじゃないか!?など希望を持ちます。

 

しかし明日になっても明後日になっても、親友の気は変わらない。

 

 

とにかく理由を教えてくれ!

 

(駄目なところがあったら直すから・・少し目女々しい。)

 

 

そして教えられる絶交の理由。

(劇中の序盤に説明されます)

 

 

「お前は退屈だ。シラフの時は特に」。

 

 

友達を辞める理由が・・退屈だから?

 

 

コルムはバイオリン弾きの音楽家で、本土からも彼を慕って音楽家が訪ねてくる人格者。

 

 

 

 

シカトをされ続けて・・胃がキュンとなって、寂しそうな表情のパードリック。



まるで不機嫌なドラえもんみたいなコルム。

 

 

(なに、その比喩Σ(゚Д゚))

 

 

 

 

それでも納得できないパードリックが近づくと、

 

コルムは信じられない忠告をします。

 

 

「これ以上、俺に関わったら、指を切ってお前の家に投げつけるからな」。

 

 

発言後、バーにいた皆がシーン。

 

 

「あいつは本気だ」。「パードリック!悪いこと言わない、彼に話しかけるな!」喧嘩の仲違い期間だと思っていた島民も、この発言以降は仲直りを勧めなくなります。

 

 

指を切断する瞬間のシーンはありませんが、指を投げつけたり、指の失くなった手はあまりにリアルで、どうやって撮影したんだろうとその技術にも注目できます。

 

 

_____

 

 

 

「着眼点が凄い」と書けば高評価になるのだろうけど・・まず、不思議な観点から作品を作ったなぁと驚きます。

 

 

内戦で荒れている当時のアイルランドは、整理をしても何が何だか分からない情勢です。

その時期に内戦に参加していていないイニシェリン島の住人たちは、アイルランド人なのか?島人なのか?立場はよく分からないが、とにかく一線を引いているのは分かる。本土は今日も(戦争)やってるねーという他人事に温度差がある。

 

 

同じ国内でも、島と本土。俯瞰的に「その時の国内の歴史」を紹介しようとするなら映画はもってこい。

 

 

コルムが自分の思いの丈を哲学的に話すシーンが印象的でした。

 

 

俺もお前も誰もがいずれ死ぬ。その時に何が残る?何も残らないだろう。

だが芸術は違う。音楽は作者が死んでも作品は残る。

 

 

そうしてコルムは、絶交宣言以降、映画のタイトルにもなる『The Banshees of Inisherin」(イニシェリン島の精霊)の作曲を日課にします。

 

 

コルムの言っていること・・分からなくもないけど、割と描かれてきた人間描写のセリフ(自分が生きた証を遺したい的)が、深いようで浅いと言いますか・・

 

例えば昭和の頃に映画館で3本立てで上映していたロシア映画やフランス映画のように、描いている内容に面白さを見つけなければ退屈なだけかも知れません。

 

 

終始、こういう表情で、口角が上がることはありません。

 

 

 

 

(コリン・ファレルも老けたなぁ・・しみじみ)

 

 

その退屈で凪な人間模様の中で、気色が悪い老婆(精霊だと思う)が行く先々で現れるスピリチュアルさや、「俺に関わったら指を切断してお前の家に投げつける」という狂気さ・本気度があるので、飽きが来そうで飽きが来ない出来に仕上がっていました。

 


______


 

この映画を語る上で、主観点を探します。

 

主要登場人物は少ないけれど、それぞれに「生き様」が表されています。

 

 

主人公のパードリック親友コルム。この2人が主人公で、他に4名+αが脇を固めます。

 

 

パードリックの妹シボーンは、「私には読書しかない」と読み書きが出来て、それ以外の魅力はないことを自覚している。頭がいいので、イニシェリン島の島民を俯瞰で観ているのも印象的。

 

 

演じる【ケリー・コンドン】[40]はハリウッドで大活躍するアイルランド出身の女優。

自分としては『アベンジャーズ』のフライデー役の印象が強くありますが、ドラマ演技として視た場合は可もなく不可もなしですね。最初は島の集落から離れた土地で静かに暮らしている印象でしたが、結構男っぽくて気の強い画を出す中盤辺りからが見どころだと思います。

 

 

 

島の警官は差別的で暴力的。映画を見た観客は警官のことを大嫌いになるでしょう。演じる俳優は【ゲイリー・ライドン】[58]。

 

 

警官の息子ドミニクは精神面が弱い青年。今風で言うと発達障害でしょうか。空気が読めず、自分の世界があって、情緒が激しい。

この映画の1番のキーパーソンです。

 

 

ドミニクは島人から相手にされませんし放って置かれていますが、おそらく彼のようなタイプの人間はイニシェリン島だから生きられるのであって、本土だとイジメの対象になるのでしょう。

 

 

ドミニクにとって、自分を相手にしてくれるパードリックとシボーン兄妹は気宇壮大な存在。

コルムに拒否されて以降パードリックに懐き、話し相手のいなくなったパードリックは彼と一緒にいることが多くなります。

 

 

 

印象的なのは冒頭の登場シーンで、パードリックに自分を気に入ってもらうために、自宅にある酒を拝借しにドミニクの自宅へ。

そこにいたのは全裸で椅子に座り眠る警官で、ドミニクは卓上の酒瓶をくすめます。

 

 

ドミニクにとっては父親ですから怯まない。パードリックにとっては怖い存在。

 

 

ヨーロッパの映画なので下半身にモザイクは特にかかっていませんが、パードリックと同じ言葉を私も頭の中で呟きましたよ・・うぇっ、見たくないものを見たって(^_^;)

 

 

ドミニク役を演じた【バリー・コーガン】[30]はアイルランド出身で、『エターナルズ』『ザ・バッドマン』などハリウッド映画の大作にも出演が続く俳優です。

 

 

俳優の人生が壮絶で、ウィキペディア先生によると、5才の時に母親がヘロインに手を出し家庭が崩壊。兄弟で里親宅で過ごす。その後、ヘロイン中毒で母親が死亡してからは祖母に育てられたという・・なんとも子供に罪はないのになぁ・・と思ってしまう人生です。そういう環境の子供が俳優になってハリウッド映画で大活躍する人生。応援したい気持ちになる(^^)

 

 

そして、巫女のような精霊のような老婆が不気味で、この映画を更に陰気な雰囲気にしています。

 

演じる女優は【シェイラ・フリットン】。

 

 

正直、私には解釈不明のキャラクターでもあるのですが、神出鬼没で行く先々に登場しています。

 

 

序盤は「気の優しいお婆ちゃん」という感じでしたが、中盤からは「明日、島の人間が2人死ぬよぉ」と予言したり、主人公も姿を見て物陰に隠れるなど、「不気味な老婆」と化しています。

 

 

 

 

川向うから手招きしているシーンも、御老体でどういう移動をしているのだろう?この世の者ではないのかな?など、謎多き不気味で神聖な存在でした。

 

 

___

 

 

最後に。

 

 

忘れてはいけない主要登場人物が動物です。

 

2人の中年(独身)男性は共に相棒となるペット(家族)を飼っています。

 

コルムは犬。

 

 

 

主人が指を切断する気配を汲み取り、刃物を咥えて何かを訴えいる犬の表情も愛しい気持ちになりました。

 

 

そして主人公のパードリックはロバ。

最初は家畜?と思いましたが、こういう場面を見ているとペットという認識になり、孤独の隙間を埋めるように傍に居る。

 

 

 

 

農夫として、どのような収入源で生計を立てるのか分かりませんが、そもそもイニシェリン島の島民は出世欲や野望みたいな様子が視えないため、毎日何となく生きていて、お酒を飲んで友と語り合うのを楽しみにしていて、野心がある人は島を出ていくだけのこと。

 

 

このロバや犬が可愛くて、映画では外で飼うような動物を室内に居れるほど、なるがままに暮らしています。

妹のシボーンはロバを家に入れると怒ります。排泄するから(^_^;)

 

 

最初から2人の主人とも悪い人間には映りませんが、動物の目を通して見ることで、彼らが悪い人間ではないことが明確になります。

 

 

監督の前作『スリー・ビルボード』も記事にしました。

 

 

 

 

あの映画は自分が好む作風ではなかったけれど・・(女性の言葉遣いが悪いと気持ちが引いてしまう)・・76点という私の採点の中でかなりの高得点を付けました。

 

 

1つの作品で一躍、次回作=アカデミー賞を確実視できる監督になったわけだから、今作品も期待しました。

アイルランド国籍を持つマーティン・マクドナー監督が、自国民の精神を描いた力作だそうです。

 

 

(自国民の精神・・日本で言うなら大和魂ですね。)

 

 

個人的な予想では、今作品がアカデミー賞にノミネートした場合、受賞して欲しいのは助演の【ブレンダン・グリーソン】だけかな。コリン・ファレルも「誰?」と思ったほど素朴な男を演じていたけれど、演技派か?と考えれば首を傾げる。

 

 

中盤以降の妹シボーンの行動やドミニクの存在など、ミステリー要素を加えるのは作品に変化があって良かったけれど、前中盤と後半の速度と展開が合っておらず、後半部分も前半と同じく、じっくり説明的に描いても良かったのではないか?と物足りなさを感じました。

 

 

1920年代のアイルランド。同じ種族同士が殺し合う内戦で、本土から離れたイニシェリン島で平和に暮らしている人々の・・物語。

 

 

 

 

 

脚本 14点

演技 15点

構成 14点

展開 13点

完成度14点

 

 

[70]点

 

 

____

 

 

 

もうしばらくお付き合いください。

 

 

1月24日にアカデミー賞のノミネート作品の発表がありました!

 

 

記事を書き終わってからノミネート発表済みに気付きました(^_^;)なので上の映画評論は、ノミネート前の段階で予想して書いていますm(_ _)m

 

 

 

 

ここまで書いてきた『イニシェリン島の精霊』は、主要7部門(作品賞・監督賞・脚本賞・主演男優賞・主演女優賞・助演男優賞・助演女優賞)のうち対象者がいない主演女優賞を除き・・・なんと全てでノミネートされましたΣ(゚Д゚)

 

 

アメリカでの配給会社がアカデミー賞で常連のサーチライト社というのも大きいですね。日本はウォルト・ディズニー・ジャパン社が配給です。

 

 

ノミネートの顔ぶれを見る限り、2or3部門は受賞するのではないか?と予想します。

助演のブレンダン・グリーソンは鉄板。それと脚本賞もあるのではないか。

 

 

主演男優賞が有力視されている今作主演のコリン・ファレルも・・主演男優賞の顔ぶれが今年は弱いので、今回受賞できなければ獲る機会はないのではないか?と考えますので、大賞をなるのではなる予感を感じます。


ですが・・コリン・ファレルがオスカー俳優って私的にはピンと来ないんですよね。

 

 

俳優部門で、信じられない・・と疑問に感じているのが、

 

W主演の形であるコリン・ファレル、ブレンダン・グリーソンは納得できるのですが、

 

 

助演男優賞候補に同作品からもう一人、ダニエル役を演じた【バリー・コーガン】。

 

助演女優賞候補にシボーン役を演じた【ケリー・コンドン】のお2人もノミネートしていること。

 

 

正直、2名とも「えっ?なんで?」と思いました。

これって私が思うに・・海外の批評家に『イニシェリン島の精霊』が高評価を付けられていて、その相乗や便乗効果で、上の2人もノミネートしたのではないかな(^_^;) 演技そのものは優秀で上手だと思いましたが、天下のアカデミー賞のオスカー候補者と考えると、意外中の意外です。

 

 

今回の記事を読んで頂いた読者の方には、私がこの映画で感触をよく伝えている部分が俳優ではないことが分かると思います(^_^;)

 

 

1月は閑散期。

日本の映画館でアカデミー賞が盛り上がるのは毎年1月後半から3月。

 

 

本年度のアカデミー賞で最有力候補とされているのは「3作品」で、3作品のもとにオスカー像は手渡されること確実。

 

 

その3作品の中には今作『イニシェリン島の精霊』が入っています。

今年のアカデミー賞でアイリッシュ旋風が吹き荒れるか!?注目したいです。

 

 

他に『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』と『フェイブルマンズ』。共に3月3日のひな祭り公開なので盛り上がりそうです。

 

 

これから日本で公開される作品で、未鑑賞なので想像でしか書けませんが、

 

 

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は中国系監督のダニエル兄弟の評価が極めて高く、主演女優賞候補にミシェル・ヨーが最有力とも呼び声が高い。

 

 

ミシェル・ヨーを銀幕で見るたびに、宝塚の真矢みきさんを私は連想します。演技派ではないと思いますが、アジア人初の同賞受賞の期待と、ここ数年でアジア人がアメリカのアカデミー賞を受賞することに慣れてきた感があるので、今回も数部門でアジア系が受賞するのでしょうね。

 

 

個人的に、一番期待しているのが『フェイブルマンズ』。監督は生きる伝説【スティーブン・スピルバーグ】。

 

 

スピルバーグ大好き人間のmAbですから、スピルバーグが「自身の半生を映画化した映画」と聞いて、それだけで何だか感動しますし、功労的にもアカデミー賞会員の票を集めるだろうと予感しています。

 

 

『イニシェリン島の精霊』の記事を書いてきて、最後にこんなことを書くのも場違いですけど、個人的にはフェイブルマンズに、作品賞・監督賞・脚本賞の三部門を受賞してほしいです。

 

 

本番が3月13日で、上記2作品の公開が3月3日。

アカデミー賞本番までに、超最有力候補の2記事を書けるように意識を高めておきたいです。

 

 

 

フォローしてね

 

 

 

【mAb】

 

THE映画評論『Empire of Light』

0
0

 

 

『エンパイア・オブ・ライト』

 

 

 

 

監督🎬

【サム・メンデス】

 

ヒラリー

【オリヴィア・コールマン】

 

スティーヴン

【マイケル・ウォード】

 

ノーマン

【トビー・ジョーンズ】

 

 

スティーヴンの母親

【ターニャ・ムーディ】

 

同僚

【トム・ブルック】

 

 

エリス支配人

【コリン・ファース】

 

 

配給[ウォルト・ディズニー・ジャパン]

 

本編[1時間53分]

 

 

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英国が舞台の英米映画。

 

監督のサム・メンデスは1999年のデビュー作『アメリカン・ビューティー』で衝撃デビュー。

この頃、主演のケビン・スペイシーの活躍が飛び抜けていましたね。(今はハリウッド追放危機ですが)

 

その後、『007』シリーズ、2019年『1917』で全編ワンカットの戦争映画を監督し、手がける作品は注目度が高く「賞レースに絡む監督」という認識が出来ています。

 

 

1980年代初頭の英国(イングランド)の港町が舞台。

女帝マーガレット・サッチャーのサッチャイズム政策のしわ寄せにより労働者会は混乱を極め、世界恐慌以来最悪の失業率に英国民は陥る。

 

 

このドラマは、その背景を説明はしませんが、描いている内容は欧州では有名のようです。

 

 

私はよく皮肉的に書きますが、欧米が製作する歴史映画は、描く映画の時代背景を説明しないんですよね。

 

これについては欧米諸国はこの手の歴史は、知っていて当然だから無駄を省くのだろうという見方がされています、

知っていることを改めて説明されるのは、面倒だということ。

 

 

私は日本人ですから、日本の義務教育では、英国の人種差別の歴史や意識やストライキなど教わらずに学校教育を終えます。

世界史が得意科目だったので、教科書に掲載されていることは頭に入れましたが、テストのために覚えた知識なので説明できる自信はないです。

 

 

現在も続くアメリカの黒人差別問題についても、学校では必要以上には教わりませんし、人種差別の歴史について熱心に教えてくれる指導者も学校現場にはいない気がします。そういう教師は教育現場から排除される時代でしょう(^_^;)

 

 

欧米映画で「知っていて当然」みたいな進行をされるのを見ると、私は無知を思い知りますが、それと同時に欧米と日本の教育が違う事も知ります。

 

 

この映画は、白人の女性と黒人の青年の恋愛物語仕様のドラマです。

白人女性は中年(40代?)独身で鬱病。

黒人男性は大学を諦めた青年(20代)。

 

 

肌の色だけでも差別描写としては(1つの作品作りとしては)十分なのに、そこに「年齢差」や「精神疾患」など差別される対象が、いくつか盛り込まれた設定になっているので見所は多そうです(^_^;)

 

恋愛映画としての知識は理解力だけで充分ですが、ある程度、歴史や時代背景の知識が必要になると思います。

 

 

では楽しい映画の時間ですv

 

 

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1980年

イングランド ロンドン南東部ケント州の港町マーゲット。

 

 

 

 

湾岸のエンターテインメントエリアに建つ映画館「エンパイア劇場」で働く女性社員の出勤風景から映画は始まります。

 

 

彼女の名前は【ヒラリー】。女優や役の見た目から、年齢は40代後半だろうと推測します。

鍵番を任されているので立ち位置的にフロア長になると思いますが、映画の中で役職は説明していなかったと思います。女性スタッフでは年長者でベテラン風。

 

 

映画開始からワンカットずつヒラリーの性格と毎日のルーティンを丁寧に伝えていていくのが印象的です。

 

 

自宅での朝の様子。眠れず天井を見つめる様子。出勤してポップコーンマシーンのスイッチを付けて、ストーブでパンプスを温める様子など、1つ1つに意味をもたせる演出になっています。

 

 

仕事に望む意識の高さ、劇場で働く姿勢は、映画ファンとしても観ていて嬉しいですね。

 

 

ヒラリーを演じるのは2018年『女王陛下のお気に入り』でアカデミー賞主演女優賞を受賞した【オリヴィア・コールマン】[49]。英国女優は世界的演技派が多い。

 

 

そんなコールマンを・・鑑賞中「誰かに似ているなぁ」と考えていて、答えを見つけて一人で納得していました。

 

 

 

杉田かおるさんに似てるんだ!!)

 

 

ヒラリーは感情の起伏が少ない物静かな女性ですが、冒頭に精神科医の診察を受ける場面があります。

どうやら精神病院に入院し、退院後に職場復帰をした模様。

 

 

精神科医の診察は、処方した薬や近況などの質問で、ヒラリーは淡々とその問いに応じていきます。

 

 

処方されているのがリチウム剤ということなので鬱病であることが分かりました。

 

 

主人公が心に疾患を持っているのが、この映画のキーだと思っているので、それを踏まえた上でこの映画を前半から観ていくことをオススメします。

 

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業務がスタートします。楽しい映画の時間です。

 

 

数名のスタッフ数が、各自のポジションに就く。チケット売り場、売店、チケットもぎりは両脇の階段に1名ずつ。

 

 

職員の休憩場所。お調子者がいたり、ロックな女性がいたり、明るく賑やかな雰囲気です。

 

 

ヒラリーは入口手前の椅子が指定席になっていて、スタッフ同士の和気藹々の様子を静かに同化して座っています。

 

 

ここで日常のシーンに急展開。

 

 

休憩が終わり、各自がそれぞれの持ち場に移動するため腰を上げると、

ヒラリーは支配人のエリスに呼ばれ、彼のオフィスで性行為を行います。

 

 

他の従業員もおそらく知っているのでしょうけど、このことに関しては誰も何も言いません。

 

 

ヒラリーは嫌がっておらず、だけど望んでもいない。彼を愛してもいない、しかし都合のいい女にはなっている。

性的被害という被害者的な描写はしていませんが、エリスの都合だけで体を求められるので可哀想には思います。

 

 

エリスを演じるのは【コリン・ファース】[62]

コリン・ファースも2010年の『英国王のスピーチ』でアカデミー賞主演男優賞を受賞しています。

 

 

英国の王様(ジョージ6世)と女王様(アン王女)を演じアカデミー賞を受賞した「英国を代表する俳優」の共演という事にもなりますね(^o^)

 

 

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ある日。エンパイア劇場に新入社員が入ります。バイトなのか社員なのか雇用形態は分かりません。

 

 

黒人青年【スティーヴン】。

 

 

後に建築科を目指し大学に行きたいが挫折をしたと紹介されます。

 

エリスから彼の教育係に任命されたヒラリーが、業務内容や施設内を指南していきます。

 

 

本当に立派な劇場で、まるでコンサートホールのよう。スティーヴンと共に観客の私も感動します。

 

スティーヴンは立入禁止区域を指差し「この上は何?」と質問。「今は使われていないシアターがあるわ。」

 

「行きたい!行きたい!」とスティーヴン・・・子供みたいというより、上司に対する新入社員の態度ではないですね(^_^;)

 

 

まぁ・・恋愛映画に発展するので、立入禁止区域は禁断の恋への入り口に。

 

 

 

 

エンパイア劇場の外観は映画で分かりますが、内観は1階エリアとシアターの紹介だけですから、中がこんなに広いとは想像出来ません。最盛期は4つのシアター。現在は2スクリーンで、1階2階部分を使用しているよう。

 

 

使われなくなった廃スクリーンは、広く開放的なカフェテラスと鳩や野鳥の休憩場と化しています。

 

 

この2人、特に上司のヒラリーに関して、結構時間を自由に使っているように見受けます。

 

若い新入社員の青年の好奇心に付き合いますが、他の社員が自分の仕事をしている時に、使われなくなったシアターに数十分。

 

 

上映開始時刻はいつなの?

仕事中にこんなところで時間潰していていいの?など、私としてはプロフェッショナル的な疑問感が生じてしまいます(^_^;)

 

 

そこで翼の折れた鳩を見つけ、両手で包み込み介抱するスティーヴン。

 

鳩は「自由の象徴」なので、劇中のセリフでは語りませんが、生きづらい差別からの開放を想像させるシーンとして描かれているのでしょう。

 

 

ヒラリーに鳩を渡す際に距離が近かったり、スティーヴン役を演じる黒人俳優【マイケル・ウォード】[25]が、ヒラリーに限らず対人相手のシーンは口を少し開けて、見下ろす目線になるので、少し・・やらしかったです(笑)

 

 

自分の履いている靴下を翼の折れた鳩のギプスにして、ヒラリーの母性もくすぐり、治療の経過を診るために2人で立入禁止区域に行く口実にもなる。

 

 

この2人がお似合いか?で考えると、母と息子の年齢、上司と部下の姿にしか私には視えませんが、

 

どちらも「隙だらけ」なので、隙間を埋めるようにお互いを必要としたのでしょう。

 

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大晦日。

 

1980年、日本だと除夜の鐘に紅白歌合戦がこの時代は定番ですが(笑)

 

英国の港町だと、年越しの瞬間に打ち上げ花火で新年を祝います。

 

 

(紅白に変わるTV番組って英国にあるのかな?)

 

 

同年代のスタッフ同士でカウントダウンパーティーに行っていたスティーヴンが劇場に戻ってきて、門番のヒラリーを誘い屋上で年越しを迎えます。

 

 

 

カウントダウンの声出し、夜空に満開の花が咲き、スティーヴンにしたキス。

 

ごめんなさい。。とその場から逃げ出すヒラリーに、スティーヴンが口にする「いいんだよ。」

 

 

そして交際が始まります。

 

 

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立入禁止のカフェテラスで体を交え、時にはバスに乗って海水浴に出かけたりする。

 

 

 

 

(まるで生徒と引率の教師みたい)

 

 

「年齢差」や「肌の色」に関して私は違和感を持ちますが、2人は驚くほど気にせずに一緒にいます。

 

 

このバスでも、手を繋いでいる2人に、乗客がジィーっと観ているシーンが用意されていましたが、

 

英国の人種差別って、アメリカのように直接的な暴力ではなくて、差別相手を蔑んで見たり、エンガチョするように距離をとったりするイメージが私にはあります。

 

 

目が合っても視線を逸らさずにジィーっと見ているから、こういう描写が一番心の表れを表しているのでしょね。

 

 

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スティーヴンと恋愛関係になり、彼女の心も落ち着いていましたが、このビーチのデートで再発します。

 

さっきまで笑っていたのに、突然怒り出す。どこに引き金があるのか分からない。

 

 

砂浜に作った建築科志望のスティーヴンの完成度の高い砂の城を、突然崩壊し出すヒラリー。

 

 

(美術スタッフの力作がΣ(゚Д゚))

 

 

その時期、エンパイア劇場は超話題作のプレミア上映を行う劇場に選ばれました。

 

 

作品名は『炎のランナー』。後にアカデミー賞作品賞を含む4部門を受賞した名作です。

 

 

大ヒット確実視で話を進めていますが、実際に当時はこの作品に対する公開前の評価が凄かったのでしょうね。

 

エリス支配人は南イングランドで一番の映画館でこの作品を上映できる!と地位と名誉を手に入れるわけで意気込んでいます。

 

当日のゲストは市長は勿論、ポール・マッカトニーなどの超ビッグネームもセリフの中にありました。

 

 

だがその時期に、ヒラリーは精神の不調で自宅に引き篭もるようになっていました。

 

 

この準備期間中に起きた再発、目にした光景、その後の内容などは是非劇場でご覧になってください。

 

 

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物語紹介は以上です。

 

 

この映画を観ていて、いくつかの部分に疑問を感じました。

 

 

まず、ヒラリーの欲望、とくに性欲の部分が、異様に強いということ(^_^;)

「精神疾患を抱える中年女性」という設定があるので、多少の違和感を持ちます。

 

40代後半の女性ということで、更年期という影響も主人公像に生じてくると思われますが、常に情緒不安定に映ります。

求められれば嫌とは言えず、だけど静かに一人で生きていたい。そんな中で出会ったのが20以上年の離れた黒人の青年。

彼の存在は精神病院から退院した彼女が、社会復帰に踏み止まれる酸素になっていきます。

 

 

事情(経緯)を知る劇場スタッフの仲間は、最初距離をとって見守っていましたが、ロッカールームで談笑するなど段々と彼女の空気を作っていきます。

 

 

しかし本人は常に不安で、天井を見つめているなど静止しているシーンなどは、前兆があって何を考えているのか、観客に頭の中を読まさないほど物静かに小さく微笑んでいます。

 

 

1980年代の映画館が舞台です。

彼女の職場復帰を受け入れたエリス支配人は、そんな彼女と不倫関係にあります。

ヒラリー自身は独身で、過去の男に対して我慢をしてきたとの本音が、中盤のプッツン時に発せられています。

 

 

「ヒラリー、話があるから、この後ちょっと部屋に来てくれ」とスタッフが集まるロッカールームで伝えていますが、

エリスの目的がエロスであることは他のスタッフも分かっているはず。

 

 

(上手いこと書いたね)

 

 

「欲」があるということは「人間らしい」とも言えます。

エリスは自分の権力あ威厳を本能のままに使っていて、ヒラリーが彼の要求を拒むと、「妻とは長いことセックレスなんだ」と彼女がこういえば同情するなど性格を、ある意味よく理解しています。

 

 

そんなヒラリーもレストランに一人で食事をし席につくと、エリス夫妻が来店し鉢合わせの危機。

ヒラリーは彼の立場を気遣って奥様に見つからないように退店するシーンがあります。あくまでも彼を自分のものにしたい欲はない。お互いに愛していないことも分かります。エリスもエリスだけれど、ヒラリーもヒラリーだなと思うシーンでした(^_^;)

 

 

今後が注目される黒人俳優【マイケル・ウォード】[25]演じるスティーヴンは、新入社員の挨拶後で指導係になったヒラリーと恋に落ちます。20以上年の離れた女性なので、マザーコンプレックスが強い男の子なのもしれませんし、恋に理屈は必要ないのかもしれません。ちなみにスティーヴンは同年代の黒人女性という相手がいますので、どうしてこうなのったのか?考察も必要です。

 

 

スティーヴンは、日本人の私からすれば、馴れ馴れしい初日の態度です。

劇場の設備やスケールに感動した後、立入禁止区域の旧劇場に入ることを願います。

駄目よ、と言われて、お願いお願い、で願いが叶います。

 

 

これが指導係が男性の場合は、こういうふうに「立入禁止区域を見せてください、お願い先輩〜!」なんて頼んだのかな?

 

 

上階部分は現在使われていない劇場とカフェテラスがあって、湾岸沿いの建物ですから鳥たちが住み着いている状態です。

そこで棚の上で動きがない鳩を見つけたスティーヴンが、両手を伸ばし鳩を抱きかかえます。

 

 

このシーンで、両手を伸ばしズボンからシャツの裾が出たスティーヴンの脇腹がチラッと映り、ヒラリーは生唾を飲みます。

 

 

えっ・・(^_^;) さっきまで何の関心もない新入社員君だったのに・・肌をチラリズムで見た瞬間に発情したの(^_^;)

この部分は精神医学や心理学の話になりますが、ヒラリーの原動力になったのは間違いありません。

 

 

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映画は精神病院から退院し時間が経過した状態から始まり、職場復帰後にスティーヴンと出会い恋をするのが「前半」。

 

 

まるで開き直るように感情のまま発言するヒラリーの野生感は「中盤」以降に全面的に表れますが、誰かに干渉されたくないという前半の描写を強くしたほうが理解できるのだけどな。うつ病患者(メンタルヘルス)というテイで描くなら、これだと対人依存しているように視えます。

 

 

一概に鬱病と言っても各々症状が違うので、暴走の中でも理性があるヒラリーは個性的でした。

 

 

また性の場面は結構ありますが、遠目からの映像だったり、状況説明だけに徹底していました。

肌の露出に関しては、演出なのか、オリヴィア・コールマン側のNGなのか? いずれにせよR指定にならないのは納得です。

 

 

またオリビア・コールマンの繊細な演技を堪能したのは、精神状態を表していると思う、見た目の七変化です。

 

 

見た目は年相応。50前後の英国女性。

お母さん(母性)のように映るときもあれば、オバちゃんのように映るときもあり、お婆さんのように映るときもあり、恋する女性に映るときもある。

 

 

このシーンの評定なんて、まさに相手を愛しいと思う、恋するレディーですよね。

 

 

 

 

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ヒラリー役を演じるオリビア・コールマンには何の不満もありませんが、設定と脚本には少しだけ注文をつけたいです。

 

 

設定を盛り込み過ぎという印象です。

 

「メンタルヘルス」の中年の「独身女性」、上司と「不倫関係」、「黒人」の若者、「年の離れた恋愛」関係、「中年の白人女性と若者の黒人男性」。

 

(世間体という角度からは、この作品は描いていないようです。)

 

 

そのどれも意図は分かるのですが、設定を1つ2つ消した場合は、この映画は名作になったのではないか?と鑑賞者として勝手に残念に思っています。

 

 

例えば、他のキャストに、その役を担わせて(分配し)準主役級のキャストを登場させるなどしても良かったのでは?

 

 

 

 

「主人公」と恋人の「黒人青年」だけに重い荷物を背負わせているような感じがするから窮屈に感じるわけで、荷を軽くしてほしかったです。

 

 

また中盤に、サム・メンデス監督の手腕なのかエゴなのか分かりませんが、

 

 

精神病院に再入院するヒラリーに代わり、スティーヴンが主人公に変わる時間がありますが、結果中途半端になるので主人公(視点)を中間で交代するなら、全体的に徹底してほしかったです。

 

 

1980年代の戦後最悪の失業率の英国という状況下で、正社員で雇用されている2人の社会的弱者、という着眼点は素晴らしい映画造りですが、前半ヒラリー、後半スティーヴンという視点の分け方のほうがしっくり来たはずです。

 

 

または、ヒラリーを主人公に徹底して欲しかったとも思います。

精神病院の中のシーンはなく、その部分でスティーヴンの視点に切り替わるようになっていますが、精神病院内でのヒラリーの様子(態度)も相当私にとっては気になるので、この映画では視せていない部分を、映像で観せて欲しかったです。

 

 

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物語を紹介する記事の中でも書きましたが、業務中に性行為を行ったり、プロ意識に欠ける部分が何箇所かありました。

 

 

「お客様は神様です」の意味を勘違いしているような白人の常連客が、チケットもぎりの黒人スティーヴンに飲食物の持ち込みを注意され、空気が張り詰めるシーンがあります。

 

 

チップスを食べながら入場する客に「すみませんが、劇場内は飲食(持込)禁止ですので、ご飲食は入場前にお済ませください」と丁寧に伝えています。それで「これは俺の朝食だぞ!」と訳のわからない言い分で通過しようとするオッサン(^_^;)

 

 

スティーヴンは駄目ですと見過ごしません。素晴らしい劇場スタッフの対応だと思いますが、これによりオッサンは苛ついた態度に出て、館内の空気をピリつかせる。

 

 

「お客様どうなさいましたか?」とヒラリーが駆け寄って、トラブル回避の対応をする。

 

 

結局、オッサンは、彼の目を見ながらその場で飲食を済ませるのですが、

 

 

 

 

スティーヴンは耐えきれず、劇場を飛び出してしまいます。

 

 

それを追いかけて説得するヒラリー。差別を受けた従業員を追いかける上司、という見方も出来ますが、業務時間内に職場から飛び出す行為は、プロ意識としてはどうなのかなぁと思ってしまうのは私だけでしょうか?

 

 

 

 

人目にも付きますし。せめて従業員のロッカールームに逃げる選択肢もあったのではないか。

 

 

(この場面は、差別どうこうより、こういう周りを不快にする客は、世界中に不特定多数いるので、サービス業の方は特に大変だと腹立たしい気持ちで同情しました。)

 

 

ただ、こういう扱いを受けるシーンは今作品の中では稀で、

 

 

世間は戦後最悪の失業率により、黒人が働いていることに抗議や暴動が起きているけれど、

 

劇場スタッフにスティーヴンを差別意識で見ないし扱う者はいません。観客も視線を送る人はいたかもしれませんが、あからさまに態度で差別を示すのはこの時の常連客だけでした。

 

 

逆にハリウッド映画みたいに、スタッフの中に差別意識があるいじめっ子キャラ的な人物がいても映画的には良くなると思いますが、英国の人種差別は奥深いので実際にはもっと陰湿なのかもしれません。

 

 

私個人の意見としては、英国の黒人差別映画を観る機会があまりないので、もっと具体的に描写だったり、何が行われていたのか映画を使って再現してもいいのではないかと望みます。

 

 

スティーヴンに関しては、黒人差別の紹介役を担っていると思います。

 

 

終盤には「ホワイトパワー・スキンヘッド」という白人至上主義集団がデモ行進をして、非常にショッキングな映像が用意されていますが、1980年代という近代でイングランドで黒人差別が過激化していたという事実に衝撃を覚えます。日本の学校では習いませんから、馴染みがないぶん衝撃波も大きいはず。

 

 

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ここでも少し紹介しましたが

描いている背景など、鑑賞前に知識を入れておくと、映画鑑賞の役に立つと思います。

 

 

1979年 英国総選挙でマーガレット・サッチャー[1925ー2013]が保守党を大勝に導き、新自由主義的な政策を開始。

俗に言うサッチャリズム政策。

 

 

 

 

この政策により貧富の格差が生まれ、世界恐慌以降最悪の失業率を記録します。

 

 

映画の開始は、そんな国民が混乱に陥っている1980年から始まっていて、翌年の春辺りまでが時代背景になっています。

 

 

かつてメリル・ストリープが演じたことでも記憶に残っていますが、「鉄の女」と呼ばれたマーガレット・サッチャーという英国首相のことを、英国の国民はどう感じているのか?

少なくとも、黒人であり、この映画の弱者たちは評価していないように視えます。

 

 

おそらく高い評価を得るように創られた映画ですが、表面的には規模が狭く、劇場全体を巻き込んでほしかったです。

 

 

話は変わりますが、

 

英国に旅行や留学に行った人から話を聞くと、やはり今でも人種差別というものは存在するので、個人としては英国は大好きな国ですが、反面で差別する国という認識も持っています。

 

 

臭いものに蓋をするではないけれど、

日本人には馴染みのない英国の近代史の中でもカテゴリーが人種差別になるので、よりハジメマシテの知識となりました。

 

 

エンパイアというカタカナを聞くと、ニューヨークの『めぐり逢い』などでも舞台になったエンパイア・ステート・ビルを連想します。タイトルからして名作の恋愛ドラマを予想したのですが・・あなたにはどう感じるのでしょう?

 

 

ちなみにEMPIREは「帝国」という意味ですから、エンパイア劇場の名は「帝国劇場」になりますね。

 

帝国劇場だと凄いタイトルですが・・映画の題名は『Empire of Light』、直訳すると「光の帝国」。

劇中の登場人物たちは光を見つけたのでしょうか。

 

 

【トビー・ジョーンズ】[55]演じる勤続40年の映像技師ノーマンが、光の粒子を銀幕に届けるギフト。映画を愛する人にとっては、いつも光があると想像すると嬉しいものです(*^^*)

 

 

2月23日公開。

久しぶりに公開1週目に載せることが出来ました(^o^)

劇場の土地にもよりますが、そこまで混雑はしないと思います。

 

 

周りの座席に観客がいないシネコンで、静かに浸るように鑑賞することをオススメ致します。

 

 

港町が舞台ですが、凪のようで、それでいて波が立つと心を攫って行ってしまうような作品でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

脚本 14点

演技 14点

構成 14点

展開 14点

完成度14点

 

 

[70]点

 

 

フォローしてね

 

 

【mAb】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

THE映画評論『The Fabelmans』

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『フェイブルマンズ』

 

 

 

 

監督🎬

【スティーブン・スピルバーグ】

 

 

サム(サミー)・フェイブルマンズ

青年期【ガブリエル・ラベル】

 

 

母親ミッチィ

【ミシェル・ウィリアムズ】

 

 

父親バート

【ポール・ダノ】

 

 

ドニーおじさん

【セス・ローゲン】

 

 

ボリス叔父さん

【ジャド・ハーシュ】

 

 

配給[東宝東和]

 

本編[2時間31分]

 

 

 

私はこの作品が好きだ。I Like this movie!

 

 

1952年から始まる時代、家族構成は、主人公の少年、仲の良い両親、2人の姉妹。翌年(53年)に生まれる妹で5人家族。

 

 

他に、親友だという同居人(おじさん)が常に一家の中に居ます。

 

 

両親それぞれの母親(親族)がクリスマス(ユダヤ系なのでハヌカ?)など祝いの席で食卓を囲む機会はあるけれど、5人家族の一家+両親の親友のおじさんで都合6人家族のコミュニティとなります。

 

 

少年の名前はサム。

しかし少年の名前は映画の中盤に本人が名乗るまで極力明かさないよう工夫されていました。

普通の家族ドラマだと、名前を呼ぶことは、出だしから当たり前のことですから、字幕表示が出ないのが不思議でした。

 

 

私の推測ですが、その理由はこれかな。

 

映画の開始前、ユニバーサル映画の題名と共に、字幕者の名前が表示されていますが、普通、字幕者の名前が表記されるのはエンドロール終わりの明るくなる前です。

 

 

ユニバーサル映画

「フェイブルマンズ」

字幕 戸田奈津子

 

 

映画監督が76歳のスピルバーグならば、音楽は91歳のジョン・ウィリアムズ、日本も御年86歳の大ベテランに字幕作成を依頼したということか。

 

 

戸田奈津子女史は、何十年もトム・クルーズ作品を担当なさっていましたが、昨夏の最新作では担当を断ったというニュアンスの報道がなされました。大御所が身を引いていくのは時代の波とは言え寂しいものです。

 

 

戸田奈津子さんの日本語訳をとやかく言う人もいますが、私は大変お世話になった身で・・銀幕でお名前を観るたびに「あゝエンタメ映画を観た」という気分にさせてくれる気宇な存在。

 

 

映画のタイトルが『フェイブルマンズ』。

 

 

一見、英単語にありそうだけど、英単語ではない、謎のタイトル、フェイブルマンズ。

 

 

先程、序盤は名前を名乗らない(字幕に表記しない)時間帯が長いと伝えましたが、その意図は主人公が人種差別の激しいカリフォルニア州に引っ越ししてから明かされます。

 

 

「おい、お前の名前はなんて言うんだ」

 

「僕の名前はサム。サム・フェイブルマンだ。」

 

「フェイブルマンだって・・お前ユダヤ人か」

 

 

と言う流れ。正直、ここまで作中で引っ張らなくても良いとは思いますが、スピルバーグ自身がユダヤ系ですので、ここには人一倍意味の込められているのでしょう。

 

 

アカデミー賞最有力と呼び声が高い本作品のタイトルが「ユダヤ系の名字」だとは驚き。

 

 

カリフォルニアの若者たちは「フェイブルマン」という名字を聞いて、即座に「ユダヤ人か」という反応をしているので、そこまで珍しくない名字なのかも知れませんね。

 

 

日本だと「田中」や「佐藤」や「斎藤」を映画のタイトルにしてるみたいなのかな。ちょっと意味が違いますけど(^_^;)

 

 

戸田奈津子氏の字幕も、いい感じに其処に至るまで字幕で表さなかったのですが、以降は解禁されたように呼ばれていました。

 

 

では繰り返しになる部分もございますが、mAb調の作品紹介をしていきます。

 

 

_____

 

 

 

(以下はサムで統一します)

 

 

1952年 ニュージャージー州

幼い5歳のサムが両親と3人で映画を見に行くシーンから物語は始まります。

 

 

いつも行動を共にしているはずの2人の姉妹は、このシーンにはいません。

 

 

なぜだろう?お留守番?

まぁいい。サム(スピルバーグ)が初めて「映画に触れるきっかけ」となる大事なシーン!

 

 

劇場前で「暗闇が怖い!」と、まるでお化け屋敷に入るみたいに嫌がるサムに、父親が力説するモーションピクチャーの仕組み。

 

 

前記事『エンパイア・オブ・ライト』でも劇中の映画技師が殆ど同じ解説をしていたので、このシーンは個人的なリンクをしましたが、今作品の時代は1952年ですから仕組みを理解している人の解説はひと味もふた味も凄さが違う。

 

 

父親はコンピューター関係の仕事をしている科学者。頭脳明晰で穏やかな性格。

 

 

暗闇を怖がる息子に「映画の仕組み」を解説する際、この父親の人柄が表れていると思ったのが、子供の目線に姿勢を低くして話す優しさです。解りやすく短い言葉で穏やかに伝える。

 

 

「映画は素晴らしいものだ」というより「映画は素晴らしい科学だ」と力説している理系なんですけどね。私は文系なので母親寄りの考え方・捉え方が理解しやすいです。

 

 

母親はプロのピアニストで、劇中では母方:芸術家系(文系)vs 父方:科学者系(理系)だと言い切っていて、見事に感性の線引しています。

 

 

夜の時間帯の映画館という状況なので、周りには子連れは殆どいません。暗闇を怖がる5歳の息子を連れて行くというのも、ある意味、両親の荒療治みたいに感じます(^_^;)

 

 

その映画『地上最大のショウ』。(私は観たことがありませんが)1952年の公開作品。封切りのROADSHOWということでしょう。当時のアメリカ人にとっては超話題作を映画館に観に行く感じだったのかな。

 

 

 

 

昔の人々(今も欧米ではあると思うけど)の鑑賞中のリアクションは、観ていて楽しいです(^^)

 

 

大人も子供も老若男女が、驚いたり悲鳴を上げたり、少年サムのように目をキラキラさせて、映画の世界に魅了される者もいる。

 

 

21世紀に入り、日本もシネコンの普及で映画館や映画は身近になりましたが、以前は映画館で映画を観るということは特別なことだったと懐かしみます。時代は違いますが、それを思い出させてくれる映像でもありますね(^^)

 

 

 

 

映画を観るまでの彼はどんな少年だったのか分からないけれど、この鑑賞体験が大きなキッカケになったのは言うまでもない。

 

 

特に彼を引きつけたのが映画終盤の線路に侵入した強盗団の車が汽車と衝突するシーン。乗客を乗せた汽車は脱線して大惨事の展開に。

 

 

サムは、この時の衝突(クラッシュ!)に異常なまでに興味を示します。

 

 

この『地上最大のショウ』という作品は152分間の超大作。その中でも、汽車が衝突する1場面だけに執着したのは、少年の中の何かが目覚めた解釈になるのかな。(強盗の方向に影響されなくてよかった)

 

 

そしてクリスマスプレゼントに鉄道模型セットを願う。ライオネル社の機関車鉄道模型。

 

おそらく高価なものだろうから裕福な家庭だと思った。4人兄妹で男の子は1人だけですから、特に愛されて育ったのでしょう。

 

 

さらに母親から8ミリフィルムを手渡される。サム(スピルバーグ)の監督人生がスタートするのだ!!

 

 

 

早速、ガレージに作った鉄道模型を走らせ、「地上最大のショー」のワンシーンを再現する。

衝突音に就寝中の両親が飛び起きる。それほど、衝突こそにエンターテイメント性を感じたんだと思う。

 

撮影した映像を自ら編集して、結んで開いて、それを楽しむ。

 

 

 

 

年齢は幼稚園の年長くらいだろうから、すごい再現度!スーパー幼稚園児現る!だ。

 

 

後のスティーブン・スピルバーグ。エンタメ芸術の天才は幼少期から才能がずば抜けていた。

 

どちらかのDNAに偏るのではなく、

 

父親からは物創りの仕組みを、母親からは物創りの遺伝子を受け継いだんだろうと、この映画を観ていると解る。

 

 

____

 

 

 

父親が大手コンピューター会社にヘッドハンティングされ、一家はニュージャージー州からアリゾナ州に移住をすることになった。

 

 

1950年代中盤辺り。

 

 

この引っ越しの際に、

居候のトビーを連れて行くか、置いていくか、どうするか?で両親は少しだけ揉めている。

トビーは両親の親友だが、居て当たり前のような、精神安定剤のような存在で紹介される。

 

 

結局、今回はこれまで通り、一家+トビーでアリゾナへ移住するのだが、

 

はて?このトビーという男は何者なんだろう?という疑問が付きまとう。

 

 

父親の会社の同僚で、夫婦の親友という紹介をされているが、映画開始から一家の同居人であり、

 

子供たちにとっても物心付いた時から傍に居る「トビーおじさん」という両親の友人である。

 

 

父親バートがコンピューター技師として出世していくたびに、親友(同僚)トビーも連れて行くことがセットになりますが、

 

そのつど彼の仕事も面倒を見ることになるので、企業のレベルが上がれば、彼を連れて行くことが無理みたいになる。

 

 

それでも連れて行くのだから、彼の本音も描いてほしいところです。ヒモではないけど世話になってるように視える。

 

 

中年の独身で、性格や人格的にも爽やかな男ですが、腹の中は謎。

 

 

この映画は、母親役の【ミシェル・ウィリアムズ】[42]の感情や表現をどう読み解き・解釈するかで決まると思います。

 

 

トビーに執着しているのは、父親でも子供たちでもなく母親のミッチィであることは、序盤の描き方から何となく予想できるように創られています。

 

 

展開・舞台が移る前に、町に竜巻が出現するシーンがあります。

アメリカの竜巻のニュースは毎年のように日本でも報道されますね。

 

 

この竜巻のシーンでは、生まれたばかりの赤ん坊を旦那に任せて、子供3人を連れて「竜巻を見に行くわよ」と車を走らせます。

 

 

竜巻から逃げる人々と逆の方向に。子どもたちも「ママ!大丈夫なの!?」とパニックです。

観ている私も、どんな母親なのか?この前半のシーンでは解釈しきれていません。オズの魔法使いなら別世界に行けるけれども、明らかなリアル。

 

子供を連れて竜巻に向かっていくなんて・・イカれているとしか思えません(^_^;)

 

 

母親は自身の座右の銘を唱える。「出来事には意味がある」。それを子どもたちに何度も復唱させる。

 

 

そして舞台が移り、子役の子供たちもチェンジです。

 

 

スピルバーグのドラマで何が一番凄いか?と考えれば、子役の表現力だと私は思います。

 

 

子供の繊細な部分、あるあるの部分を見事に映像で表していて、なにより子役の選び方が神がかっている。

スピルバーグ映画に出演した子役でその後大スターになるのはドリュー・バリモアや(mAbが大好きな)エル・ファニングら女性が多いけれど、本当にその時の一番いい状態を引き出すのでしょうね。

 

 

___

 

 

 

アリゾナ編は、映像や描写からスピルバーグらしさが充分に詰まっています。

 

 

アリゾナ州と言えばグランド・キャニオン!!。

アメリカの国立公園は入園料がかかるそうですが(グランドキャニオンの場合は1人12ドル。)この時代や地元の子供たちにとっては遊び場みたいですね。

 

 

グランドキャニオンの岩場に手を突っ込み・・真っ黒なサソリを手掴み。

 

 

黒光りをしたサソリを手掴みして大喜びをしている・・ある意味、衝撃映像。

同級生たちと行っているのは「サソリの捕獲」。捕獲したサソリは高く売れる、毒の強いサソリは更に高く売れると大喜び。

 

 

(この後、岩を持ち上げると20匹ほどのサソリの群れ。苦手な方はご注意をΣ(゚Д゚))

 

 

観ている私からすれば命がけに思えるけど、子供の小遣い稼ぎの方法が(手掴み・編みで掬う)ワイルドで面白い。

 

 

(猛毒のヘビなども売っていたのかな?サソリを獲るんだろうから、そうだろうな。)

 

 

サソリを売って手にしたドルで同志たちと映画を作る。そういう仲間と出会うのも巡り合わせですね。

 

 

8ミリカメラを手にして鉄道模型を走らせていた少年は、新天地で16ミリカメラを持ち撮影する青年に成長しています。

 

 

 

 

ティーン期を演じる俳優はカナダ系アメリカ人の【ガブリエル・ラベル】[20]。

撮影時期は10代ですから、表情にあどけなさがありますし、それがまたいい味を出しています。

 

私的には侍ジャパンのヌートバー外野手に視えて、外国人外国人していない親しみやすい童顔な顔立ちに想います(^^)

 

 

幼少期を演じた子役の名前や情報を知りたくてネットで検索するけれど・・探したけれど見つからないの(井上陽水かΣ(゚Д゚))

 

 

 

子供時代、青年時代と2人の男優がサムを演じています。

面白いのが比較できること。

 

 

ハリウッドの子役のレベルは「天才子役」と言われるほど高いので、こういうエンタメでも大人顔負けの存在感を出す。幼少期を演じた子役はそういう存在感です。眼力がありますね。

 

 

逆にガブリエル・ラベルのようにティーンになってから大映画に大抜擢されると、意識もするだろうし、透明感みたいな純粋な演技を観れることになる。眼力と言うより優しい目です。

 

 

子供(子役)の頃のサムは、買ってもらった鉄道模型と、手にした8ミリカメラで、自分の見た映画を再現し、自分の個性を出していた。部屋に引き篭もり凄い集中力でエンタメを作る。

 

 

それが子供時代から中・高生くらいに成長(役者交代)すると、「周囲を巻き込む」ようになっている。これはきっと成長力なんだと思う。子供時代は1人だったが、少年時代は10人以上で映画づくりをしている。

 

 

そして(スピルバーグの自叙伝)大器の片鱗はティーン時期から惜しげもなく魅せていて・・それが演出です。

 

 

戦争映画の自主製作に取り掛かっていて、アリゾナというロケーションを活かして荒野で銃撃戦。

主演の兵士役に演出をするサム。どう撮るか?というよりは、どう表現させるか?に感じます。

 

2人共(監督と主演)感情移入して号泣。いやぁ・・名シーンの誕生ですよ。

 

 

完成披露の上映会。

 

 

上映会というよりは、ボーイスカウトの発表会なので、出演者たちは自分が映ると誇らしい顔。保護者の喜ぶ顔。

 

 

だけれど手作り映画の発表会にしては異常な完成度。作品としての評価が高く「まるで映画」のスタンディングオベーション。

 

 

どんなに絶賛されようとサムはあくまでの裏方で、天狗にならないのが観ていて凄いなぁと思いました。

 

 

自分が作ったのだから、自分が役者の演技を最大限に引き出したのだから、もっと調子に乗ってもいいと思うのですが・・客席の中央通路で映写機を回して光の粒子を見つめる。観客の視線は常にスクリーンに注がれ、終演後に拍手喝采の中でもサムは静かなものです。

 

 

 

 

お調子者というタイプではないので、職人タイプですね。

 

 

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このアリゾナ編で、家族旅行で山にキャンプに行きます。

オフロードのような瓦礫道で、家族でギャアギャア騒ぎながら道中を楽しんでいる。

 

 

撮影役は勿論トム。

カメラを向けると皆ポーズをとる愉快な家族たち。

 

 

(関係ないけど、車酔いはしないのかな??)

 

 

トム以外の家族は、撮られる側です。

 

 

例えば、家族旅行や友人旅行などで、カメラ役の人に「あなたも撮ってあげる」と気を遣う光景は普通にあると思います。特に子供の頃なんて、家族の記録で子供の写真を撮るものですが、この家族はそういうのがありません。トムはカメラマン・撮影監督の役。

 

 

映り手側を勧めることは劇中に一度もなかったと思います。

 

 

スピルバーグの自伝的映画と、公開前から説明がされているから、誰もがそういう目線と意識でこの映画を観ていると思いますが、

なんだか家族旅行も、カメラを撮っているのは、なんだか寂しいなぁと私は思いました。本人が満足しているから、それでいいのだと思いますけどね。

 

 

この映画を観ていると・・少年トムは母親を被写体にすることが非常に多いと感じます。

それも異常なまでにピントを合わせています。

 

 

しかし映画全体を通してこの点を考えると、特別マザコン的には思えないんですよね・・自立していますし。

ならば被写体として優秀なのか?という意識で鑑賞しました。

 

 

目立ちたがり屋な性格の母親は、感情表現が豊かで、カメラを向けると常にヒョウキンです。

 

 

 

 

(例えるなら、大阪のオバちゃん的なノリ!?)

 

 

思春期の年齢の男の子がそんなに母親を撮るかなぁ?

中学生くらいの男の子が、30代中盤の母親を撮っているようなもの。

 

 

キャンプの火を囲み、スケスケのネグリジェで即興ダンスをするシーンなど、母親役のミシェル・ウィリアムズが、この演技でアカデミー賞の主演女優賞にノミネートされていますが

 

 

映画を観る観客は、「母親を撮る息子」の二人の姿を、カメラワーク的に後ろから観ているわけで、第三者目線(俯瞰)になります。そういう目線で視ていると、それだけ被写体向きなんだと思うけど・・少し過剰表現に感じました(^_^;)

 

 

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(長女が父親の遺伝子を継いでいることが解るメガネ)

 

 

所変われば品変わる。

 

 

これまでと毛色が違うのがカリフォルニアに移住した時のこと。映画の中では3回目の引っ越しとなります。

 

 

ニュージャージー州→アリゾナ州→カリフォルニア州。東から西へ、アメリカ横断。

 

 

このカリフォルニア編で一番強く描かれているのがアウェイ感だと思います。

 

 

北カリフォルニアの高校に転校したサムがまず驚くのが身長差

劇中では、極端に思えるほど、巨人の中に入っていく様子が描かれています。

 

 

それまでいたアリゾナでは同級生たちと並んでも、少し背が低いくらいでしたが、まるで北欧に引っ越したくらいの映像。

 

 

身長差が20〜30cmはあるので、単純ですけどカリフォルニアの人達って背が大きいんだと思ってしまいます(^_^;)

 

 

まるでロード・オブ・ザ・リングのガンダルフとホビット族ですよ。

 

 

さらにフェイブルマン一家のストレスになったのが、住む家が借家ということ。

 

引っ越しが多い家庭なんだから贅沢なこと言ってるんじゃないよΣ(゚Д゚)とは個人的には思いますが(笑)

 

借家で、家の規模もこれまで住んできたものより落ちる、ということで子供たちは不満気です。

 

 

父親はそんな家族の様子を気にして、もう少し経てば、大きな家に住めるからとフォローしています。

 

 

日本的な考え方だと、家族一緒なら何処でも生きていける、に私は慣れていますので、普通よりもいい暮らしをしていて不満や愚痴を言うから、父親をもっと敬ってほしいとは思うのですが(^_^;)

 

 

そんな新しい土地や環境で、子供たちを苦しめたのがイジメ。

 

 

姉妹がどういう扱いを受けたのかは分かりませんが、主人公のサムは、学年の中心人物の男子生徒から人種差別を受けています。

 

 

アリゾナ編の終盤に、ある原因によりサムは撮影を辞めてしまいます。

 

 

 

おそらくアリゾナでは「映画を撮る人」と同級生や町民には認識されていたと思います。一芸があるので同級生からは尊敬されていたんじゃないかな。

 

 

それがなくなったわけですから、カリフォルニアに転校してからはイキイキしていませんし、巨人の世界に足を踏み入れて萎縮していて、「田舎(アリゾナ)から転校してきたユダヤ人の転校生」という見方をされています。

 

 

劇中では、サムをいじめるのは一部のグループぐらいで、実際にどれくらいのイジメがあったのかは分かりません。ただ、その一部による差別の描写だけでも、十分ダメージがありました。

 

 

そんな彼にカトリックのガールフレンドが出来ます。劇中では初めての彼女です。

 

彼女との出会いで、あからさまなイジメは減りましたし、キリスト教徒とユダヤ教徒の似て非なる宗教の葛藤も視れました。

 

 

 

(それにしても、広い一人部屋だなぁ)

 

 

サム役のガブリエル・ラベルのガブリエルは聖書で「神の言葉を伝える天使」とされ、名前の意味は「神の子」。この映画の人選にピッタリなのかも知れませんね(^^)

 

 

彼女と出会ったのをキッカケに、卒業記念のビーチパーティーで撮影係を任されたサムは、再びカメラを持ちます。

 

 

 

編集作業も1人で行う、その作業の工程自体が好きみたいです。

 

アリゾナではボーイスカウト隊で映画造りの同士がいましたが、カリフォルニアでは1人で作業をしているのも印象的ですね。

 

(実際には周りのサポートもあるかもしれないが、劇中での映画編集は常にサム1人で行っている)

 

 

そして、卒業プラムの上映会で大喝采を浴び、映画人の未来へ進む。

 

 

学園生活と私生活、この両方向を描きながら進行するドラマ映画です。是非とも劇場でご覧ください(^^)

 

 

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それでは最後の項目として、いくつか個人的に気になった点を書いていきます。

 

 

まずはフェイブルマン家がユダヤ教ということで、戦争映画を観る大人の家族を意識しました。

第二次大戦の終結から数年しか経っていないぶん同胞の悲しみにはどんな感情になるのだろう。

 

 

スピルバーグ監督といえば『シンドラーのリスト』でユダヤ人迫害を描いていますし、戦争ドラマを撮らせると右に出る者がいないというのが私の認識ですが、この場面は戦争映画を観ているのが、アメリカ人なのか、ユダヤ人なのか、を少し気にする私がいました。

 

 

サムはティーンの時に、仲間たちと戦争映画を製作し、完成披露上映会で拍手喝采を浴びます。

 

 

自主映画で学生製作・戦争という悲惨さを作品に取り入れていることに驚きます。

見たところ10代の男の子達で作り上げています。

 

 

中学生が「西部劇」を作るというなら想像できますが、「戦争映画」を作るという発想や想像がつかないので、1950・60年代とはいえ何というか・・凄いです。

 

 

 

兵士役の主演の男子に、「仲間も死んだ、敵も死んだ、君は生き残った」と台本の意味を説明し、2人で感極まって涙を流す演出シーン。撮影でカットがかかってからも、主演が役から抜けない状態となるので、演出家としてのスピルバーグは物凄いレベルにあると思いました。いやぁ・・何度でも観たくなる映画のワンシーンですね。

 

 

この映画の全体を通して、観ているだけで感情を揺さぶられたのが、劇中にそうして創られた上映会の様子でした。

それを観ている時の観客の様子がネ。友達とか親とかではなく、映画を楽しんでいる観客の表情になっています(^^)

 

 

彼が作った映像作品を、観客も劇中の家族や生徒たちと一緒になって鑑賞出来るのと、それを見る観客の反応も青春絵。

 

 

皆で作った映画を上映するというアリゾナ編の青春っぽさ。

卒業遠足の撮影係を任されたスクールカースト下位の目立たぬサムが、単なる記録映像に仕上げず、ドキュメンタルコメディ作品に編集し、拍手喝采で認められるカリフォルニア編。上映会の様子は、右肩上がりに気持ちが上がっていきました。

 

 

特に「引き立て役」も「ヒーロー」も1本の中に仕立てる卒業パーティー映像は、観ているだけで感極まって私の涙腺も緩みました。彼が映画人として歩いていく過程にこの上映会があるんだと思うと、なんだか誇らしい気分になったのです。

 

 

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先のゴールデングローブ賞で、今作品は作品賞(ドラマ部門)と監督賞の2部門を受賞しています。

 

日本では今週公開された『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』がコメディ部門で作品賞を受賞し、アカデミー賞でも2強になると呼ばれていますが・・

 

 

私としてはアカデミー賞も主要部門は作品賞と監督賞の2部門が『フェイブルマンズ』で良いのではと期待します。

 

 

演技部門からは【ミシェル・ウィリアムズ】[42]が主演女優賞にノミネートしていますが、今作での演技を見ていると・・個人的には彼女の演技が少々鼻(オーバーリアクション)につくので(^_^;) ここはミシェルはミシェルでも・・アジア人初の受賞がかかるミシェル・ヨーが大方の予想通りになるかなと。

 

 

これまで4度のアカデミー賞にノミネートしているミシェル・ウィリアムズですが、オスカー像は手にしていません。彼女が出始めた頃から映画館で出演作を観てきましたが、どこか演技&演技しているように私には視えるんですよね。レニー・ゼルウィガーみたいなタイプかな。功労者ですが、円熟味が増すのはまだ先のような気がします。

 

 

スピルバーグ映画の素晴らしさは、子役選びと、その子役の演技を最大限に映像で引き出せる能力。

出演者や制作陣はみなファミリーで、家族一丸で素敵な映画づくりをしているように想わせてくれます。

 

 

俳優部門から、劇中の中盤に10分ほど登場する、叔父さん役【ジャド・ハーシュ】[87]が助演男優賞にノミネートされています。

出演時間は短いけれど確実に印象を残したキャラクターで、映画会の大巨匠となるサム(スピルバーグ)に「芸術は栄光をもたらすが、一方では胸を裂き孤独をもたらす」とアドバイスし、人生の岐路に経った彼に大きな影響をもたらします。

 

 

 

 

叔父さんが訪問する前夜に、母親の夢に、死んだ母親(サムからみて祖母)が出てきて、明日、招かざる客が来るから家に入れるな!みたいな展開があるのですが、ここの祖母の夢枕の描写を考えるのも興味深いですね。映画はあくまで趣味にと、手に職を求める父親と、芸術に理解があるピアニストの母親。その前に現れた叔父はアメリカを旅する元サーカス団員の自由人。

 

 

劇中で観ている時間より、今こうして思い出して書いていると、ジワジワ上昇してくるワンポイント・キャラクターです。

 

 

そしてなんと言っても劇中に流れるサウンドがたまらなく良かったです!!

 

 

音楽を担当したのはアカデミー賞作品の巨匠【ジョン・ウィリアムズ】で御年91歳。

 

8ミリフィルムの映像が流れる中で、まるで奇跡みたいな、作品の進行を一切邪魔しない音楽が流れていて、映画の世界に連れて行ってくれました。

 

 

毎年、力作には沢山出逢っていますが

これほどの映像体験が出来るのはスティーブン・スピルバーグ作品だけのような気がします。

私の好き度が高いのかも知れませんが、映画の世界に引き込まれて行く感覚が、他の作品より強いんですよね。

 

 

エンタメ性もあって、その中にユーモアだったり、人の心の純粋な部分に触れる温かさが投入されている。

 

 

私自身2時間を超える最近の映画の風潮には苦言を呈していますが、都合がいいようですが、時間の進み方が早く感じた2時間30分でした。

 

 

普段は買わないポップコーンを買いました(笑)

純粋に映画を楽しむ気が満々でした。

 

 

映画を観て、その帰りに、お茶や食事をして映画の話で盛り上がる。スピルバーグにはそれが似合う。皆が楽しめる。

 

それこそ映画の在り方なのかもしれません。

 

 

アカデミー賞でよく言われる。

 

こんな映画、観たことない!

 

・・ではなく

 

こういう映画を観たかった!

 

です。

 

 

 

期待以上にいい映画でした。

This movie will win an Oscar!

 

 

 

 

 

 

 

 

脚本 15点

演技 15点

構成 16点

展開 13点

完成度14点

 

 

[73]点

 

 

 

明日13日のアカデミー賞で、この作品が大賞を受賞されることを心から願っています(^o^)

 

 

 

フォローしてね

 

 

【mAb】

 

 

 

 

 

 

 


THE映画評論『A Man Called Otto』

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『オットーという男』

 

 

 

 

監督🎬

【マーク・フォスター】

 

 

オットー

【トム・ハンクス】

 

 

若き日のオットー

【トルーマン・ハンクス】

 

(トム・ハンクスの実の息子)

 

 

マリソル

【マリアナ・トレビーニョ】

 

トニー

【マヌエル・ガルシア=ルルフォ】

 

 

ソニア

【レイチェル・ケラー】

 

 

配給[ソニー・ピクチャーズ・エンターテインメント]

 

本編[2時間6分]

 

 

 

________

 

 

 

 

 

私の大好きなトム・ハンクス作品がまた1つ増えました。

 

 

そして年齢が30代後半になった筆者は、この「ハートが大きな優しい老紳士」の物語を深く噛みしめました。

 

 

この映画評論ブログを書き始めたのは20代の中盤です。

 

未だ未熟な文章力ながら、人生経験を積み、物事の理解力・物語の読解力は多分・・大きく増えています。

 

 

全体を通して、話の筋書きはありふれたものに感じます。

亡き妻の居ない「残りの人生」を生きていくことに後悔がない老人が、移民の家族との交流をキッカケに人生を輝かせるといった内容です。類似した脚本は何作品か思い浮かびます。孤独に心が押し潰されそうな・・移民大国アメリカならではの人生ドラマだと想いますね。

 

 

2人で1つだった。ニコイチだった。

 

 

大切な人がこの世に居ない世界で、生きていくことに意味はあるのか?

 

 

喪失感

 

 

生きていく意味が見当たらない。

 

誰しもが一生に一度は、そうした感覚を味わい、なり得るのかも知れませんね。

 

 

この主人公には、「時間が必要」ではなく、生き甲斐が必要。

 

では始めます。

 

 

____

 

 

 

【オットー・アンダーソン】という初老の老人が主人公です。年齢は60代中盤辺りの設定でしょう。

 

 

几帳面で神経質で曲がったことが許せない風紀委員タイプの男性です。

自分が住む居住区(私道)に神経を尖らせ、部外者が侵入したら文句を言ったり質問責めにします。

 

 

私道と書いてあるのが見えないのか? 

見たならどうして入ってくるんだ(怒)

 

 

日本でも昭和の頃に、こういう方が地域に1人はいた記憶があります。ルールに厳しいコラオジさんが。

大人子供関係なしに「あれは駄目!」「これは駄目!」と注意してくる・・(我関せずの)今(の日本)となれば懐かしい存在(人在)。

 

 

オットーはかなりキッチリとしています。ルーティン化した「すること」が沢山あります。

仕事(おそらくクジゴジ(9時-17時))の合間の朝晩には、ゴミの分別・自宅の庭先の清掃・ガレージの管理、エトセトラ。

 

 

全ては居住区の住人たちが気持ちよく生活できるように彼一人が自主的に務めているのですが・・無愛想と攻撃的な性格が誤解されやすく玉に瑕です。

 

 

居住者たちからは「口うるさく・いつも怒っているオジさん」という印象で協力的(手助け)はありません(頼ることもしない)。

 

 

オープニング。真っ先に私が驚いたのが主演オットーを演じる【トム・ハンクス】[66]の見た目でした。

 

 

 

 

「あれ、トム・ハンクス・・体が小さくなってない。」という心配です。

 

 

武漢ウイルスのコロナが全世界に蔓延した年に、トム・ハンクスが夫婦で感染したニュースを見て、個人的に不安な気持ちになったことを覚えています。

 

この時期は日本でもそうでしたが、多くの著名人がコロナ感染=重症化となりましたし致死率も高かったので、連日コロナ感染がニュースの第一報で流れるたびに、緊急事態宣言下・外出自粛の自宅の部屋で最悪な想像ばかりしてしまいました(T_T)

 

 

その影響があるのか詳しいことは分かりませんが、私の記憶にあるトム・ハンクスとは違ったフォルムで驚きました。

 

 

 

 

トム・ハンクスの従来の見た目は、私には上記に載せた写真です。

 

 

昨年公開された『エルヴィス』では太った敏腕プロデューサー役でしたが、あれは明らかに役作りで不健康的な体を作っています。

 

 

(アカデミー賞にノミネートされた『エルヴィス』。記事にするタイミングを逃し記事を載せませんでした。途中まで(と言っても5000文字近く)書いておいて投了していない作品が多い(^_^;)ROADSHOW期間が終わると載せる気持ちがなくなるタイプです。。)

 

 

顔が細くなり首元も痩せていて、なによりお顔にシワが刻まれているのが、見た目の老いを観た感じがして、少しショックを受けましたね。

 

 

コロナ感染の影響か、または今作の役作りで減量したのか? 分かりませんが、66歳のご年齢より年老いて視えました。

 

 

____

 

 

 

オープニングで紹介されているのは、集団行動が出来ないそんなオットーの特徴的な「性格」の紹介&上記で「昔はよく居たと近所のオジさん」と比喩にして書きました「時代の流れ」が表されています。

 

 

彼はキッチリしている性格で、外出時は身だしなみに気を使います。

 

清潔感のある初老人です。

頑固者で毒舌で人を傷つけるけれど・・ここだけは相手を不快にしません(^_^;)

 

 

この日はまさに運命の一日

 

 

ホームセンターのシーン。

 

 

自分が首を吊るための縄を買うための来店ですが、店員が切るルールのロープを持参のナイフで切り、レジでは値段の計算式(メートルorヤード)が違うと若い店員に文句を言い「オーナーを呼べ!」と大騒ぎ。自分が納得出来ない点はとことん問題にします。店側からすれば迷惑なクレーマーですね。(ちなみに安く買えるのですが、得をしたい訳ではないのです。)

 

 

レジは長蛇の列が造られる。おそらく、だいたい毎回、列が作られます。納得しないと文句を言うので。

 

 

見かねた後ろの買い物客が、差額分の小銭を俺が払うよ!と言うが「そういう問題じゃない!」と更に怒鳴る。

 

俺と店側の問題だ。口を挟んでくるな!

 

とにかくメチャクチャ怒ってます。頭に血が上って倒れるんじゃないか?と観ている側が心配するほど不機嫌です。

 

 

この後、どうやって解決したのか?帰路に着いたのか?までの展開は描いていませんが、

 

印象的だったのが副店長の女性が現れた時の表現。「君が副店長?まるで高校生じゃないか」と驚いている様子に、オットーという男の人間性を観た気がしました。

 

 

(※セリフは正確ではありません)

 

 

主観ですが、この部分はオットーに同感する気持ちが私にはありました。

これをお読みの貴方様も同じように思い浮かべる事かと思います。

 

 

バイトや若い社員では話にならないから店の責任者に代われと願うケースで、

 

やって来る責任者は=自分よりも上の年齢の大人のイメージがあると思います。

 

 

クレームで責任者を呼んだ時に、スーツを着たビシッとした人が「お客様すみません」と来るイメージが漠然とあって・・

 

 

オットーのように60代・70代の高齢者が店にクレームを入れて責任者をやって来ても、自分より下の年齢となるのは致し方ないですが・・

 

そこに来るのがラフな服装で責任能力が問えないような子供(バイト)みたいな年の差があると想定外過ぎて驚きの方が勝るのだろう、とこの描写を視ていて思いました。

 

 

そこにショックを受けるのだと思いますし、まさに開いた口が塞がらないという表情でした。

 

 

続いて、長年勤め上げた職場を退職します。人生において結構な出来事が詰め込まれる1日です。

 

 

納得して辞めたわけでなく見切りをつけた感じで、退職パーティーを開いてくれた同僚に皮肉交じりで挨拶。ここの場面もまた映画タイトルになる「オットーという男」の人生が紹介されます。

 

 

同僚達もケーキまで用意して頑固オヤジの退職を祝っていたけれど、勤続数十年の大ベテランの最後の光景が、怒って帰るという・・なんとも「オットーという男らしい」去り方です。(自分の顔写真が入ったケーキにナイフを入れられるのもどうかと思いますが。アメリカンジョーク?)

 

 

彼が扉を開けて去ったあと、職場の仲間達が「さぁ、ケーキを食べようぜ!」と盛り上がる。それを背中で聞く切ない描写。

 

 

1つ1つ、彼が彼自身の意志で、これまで歩んだ道や場所にケジメを付けていきます。

退職し、電気ガス水道を止め、止める時も電話で「月額請求ではなく今日まで使った金額を請求しろ!」と怒鳴っています。

 

 

これから死のうとしている男が光熱費の心配をしている様子は滑稽で、最期まで自分の気質を貫き通す孤独な男に視えました(^_^;)

 

 

自宅の居間で天井に穴を開け、金具を設置し、買ってきたロープを結び、輪っかを作る。

 

 

今しがたホームセンターで購入した(新品で)頑丈なロープなので、途中で切れることはないと確認。強度を確認、「よし!」。

 

 

これで準備完了。よし!死のう!

 

 

椅子の上に登り、首をかけようとした時・・

 

 

・・先に伝えますが、この映画はオットーが自殺を試みる今際の状況で、生きることを強調する展開が用意され未遂で終わるように創られています。「お決まりのパターン」とも言えますが、主人公に絶望感・緊迫感があるので、鑑賞中は見入ってしまいます。

 

 

何事もキッチリしている・キッチリしなければ気が済まない性格の人間が、周到に用意した自殺計画だけは失敗する。

 

 

死を思い留まらせるのではなく「邪魔が入る」ように描くことで、「生きること」を強調するメッセージになるのでしょう。

 

生きるのも死ぬのも、そう簡単ではありません。

 

 

首つり台から、気が散る音声、何やら外が騒がしい。

 

 

ブラインドを指で開き外を確認すると、自宅向かいの家で縦列停車が出来ずに大騒ぎしている男女を見つけます。

 

 

オットーは神経質です。常にルール違反のアンテナを張って生きています。

私道に侵入してきた配達の車でさえも、一目散に駆けていき、「ここは私道だ!許可所のない車は入ってくるな!!」とドライバーに注意したり説教したりする男です。

 

 

見知らぬ車と人間が外にいれば・・これでもうオットーは放っておけませんね。

 

 

駆け足で外に出て、「誰だお前たち!車の許可証はあるのか?(運転手:ありますよ)・・あるならどうして見えるところに貼っておかないんだ!」と詰め寄ります。

 

 

初対面の人に説教から始まる面倒くさい男ですが(笑)・・言っていることは正論なんですよね。

郷に入っては郷に従えルールの押し付けが非常に強いだけです。規則正しくがモットーの私立高みたいな感じですね。逆に彼のような人がいるから地域民は安心して暮らせている筈なので物は考えようです。

 

 

それにしても・・運転手のトミーは、よくここまで来れたなと思うほど運転の下手な男で、バックをするたびに歩道に乗り上げたり、垣根に突っ込んでは奥さんは悲鳴を上げています。

 

 

アメリカ映画では、車はぶつけて駐車するのがアメリカ人の常識だ!というお国柄性を観ますが、私は日本人なので物の扱いは大切で、新居に引っ越し初日に車が突っ込むなんて悪夢です(^_^;)奥さんの「やめてー」とパニックになる気持ちがよく分かります。

 

 

オットーはアメリカを代表する自動車メーカーのフォード社を愛車にしている「アメリカンな男」です。

 

 

運転手はパニック、誘導する奥さんもパニック。地獄絵図です(^_^;)

 

 

埒が明かないとオットーは「代われ!」と運転席に乗り込み、「何だこの車、オートマか!」と不満を口にしながら、見事に一発で縦列停車を成功させる。

 

 

そして後部座席には2人の少女が笑って見てる。

 

子供を乗せて最悪な運転をしてきたと思うと、そっちのほうが驚きですけどね。

 

 

メキシコから移住してきた4人家族は、その後、引っ越しのメキシコ料理(サルサ)を持参して夫婦で感謝の言葉を伝えにオットー宅を訪問します。「先程はどうもありがとう!」

 

 

 

 

日本で言う「引っ越し蕎麦」的なご挨拶かなと解釈しましたが、こうして1人暮らしの初老の老人宅に、元気なメキシコ人家族が引っ越してくるというのは、抑揚のない展開に動作が生まれるので非常に効果的になると想います。

 

 

明るくて世話焼きなメキシコ人女性と、ドジでおっちょこちょいなメキシコ人男性、ちなみに2人とも大学卒。

 

 

2人が(玄関先から)帰ったあと、タッパーを開けて、メキシコ料理を口に運ぶ。

リアクションは解りやすく、美味しいものを食べると、「うん、うん」と口角を上げて頷くのがオットーの特徴です。

 

 

(何を食べても表情を変えない人が日本には多いですが、こうしてリアクションがある欧米人は良いですね(^^))

 

 

そうして再び、首吊り台に。引っ越し騒動で中断しましたが、目的は遂行します。

 

 

床の椅子を蹴る。支えるものが失くなった重力は下へ下へ。そして走馬灯

 

 

この亡き妻との出会いからを描いた回想(走馬灯)が、自殺を試みるシーンで繋がっていくのですが、本当に素敵な話です。

 

 

______

 

 

 

今は亡き君との出会い。君のことを思い出すと、僕はそれだけで幸せな気分になれる。

 

 

若き日のオットーは貧乏で、陸軍に入隊し、その手当を生活の宛にしようと考えています。

しかし健康診断で心臓肥大が判明し、入隊は叶いません。

 

 

「僕の名前はオットー。父親も同じ名前だよ。」と話すので「オットーJr」という名前の解釈なのでしょうか。

軍隊への憧れなのか、収入が手に入るからなのか、この点は私には想像でしかありませんが、金銭を目的に入隊するというアメリカ映画は多いので、その認識です。

 

 

若き日のオットーは、そこまで神経質ではなく物静かで、少し「木偶の坊」に視えます。

 

 

演じる俳優は・・なんとトム・ハンクスの実の息子【トルーマン・ハンクス】で、今作品が俳優デビュー作品とのこと。

 

 

 

 

こうして親子で並んだ写真を観ると特に輪郭が似ていますが、映画の最中はそう思わず普通に俳優だと思っていました。鑑賞後に知って驚いた感じです。ちなみにトム・ハンクスの息子といえば【コリン・ハンクス】が名脇役として活躍している印象が付いています。

 

 

俳優デビュー作ですが、人の善さそうな雰囲気が画面から出ていて、表情はあどけなさがあるけれど、表現自体は何も気にならなかったです。むしろ垢抜けていないから素敵な俳優さんだなぁと鑑賞中は観ていました。相手役の女優さんがリードできるタイプ(姉さん系)だったから良かったのかも。

 

 

街中で迷彩服姿の兵隊とすれ違う際に、隅っこに移動して道を譲るシーンの表情は素晴らしく、繊細な演者だと思います。

 

 

以降、オールド・オットーが自殺を試みる際に、若き日に切り替わり、妻ソニアの出会いから結婚までを走馬灯方式で進行していきます。

 

 

ピッツバーグ行きの切符。駅名が作中に出ていたのでペンシルベニア州辺りが映画の舞台かなと思います。

駅で切符を購入すると残金は1ドルと少しだけ。往復切符は買えません。

 

 

ホームで電車を待っていると、

反対側のホームを歩く若い女性が小説本を落としたのを気付かずに進んでいきます。

 

 

オットーは「落としましたよー!」と声を出しますが、女性は気付かずに来た列車に乗り込んでいく。

 

 

階段を駆け上がり、反対側のホームで落とした本を拾い、発車のベルが鳴る汽車に乗り込む。

 

 

本を渡して、感謝を伝える彼女は向かいの空席に座るように願う。

 

 

 

 

 

 

自己紹介をしていると車掌が切符を確認しに車両に。

 

 

次の駅で降りるので、次の駅までの運賃を支払うことに。しかし彼は片道切符さえ買えない所持金。

 

 

話は変わりますが、外国の紙幣って、クシャクシャですよね。私の感覚からすると、クシャクシャな紙幣ってかなり嫌です(^_^;)

 

 

ポケットからクシャクシャの1$紙幣。小銭を探すフリ。

 

車掌は情けなど掛けずに、無賃乗車風な青年を見つめている。

 

 

その様子を見た彼女が「私、小銭があるの」と残りを支払ってくれるのです。

 

 

そうして反対方向の汽車に乗ったことで、彼は彼女と出逢い、恋に落ち、結婚します。

 

 

 

 

 

人生何が起こるかわからないものですね。

 

 

______

 

 

 

毎朝のルーティーンとして、彼はこの時の彼女がくれた25セントをお守りにして外出します。

 

 

当時の25セントは純銀で貴重なものですが、オットーにとってはそれ以上に貴重な出会いという思い入れがある品です。

 

 

向かいに越してきたメキシコ人家族は、その後も頻繁に彼を頼るようになります。

 

 

工具を貸してくれ、車に乗せてほしい、運転の指導をしてほしい、留守の間子守をして欲しい。など。

 

 

メキシコ人夫婦は大卒ですし、臨時でベビーシッターを雇えないほどの経済状態ではないと思うんですよね。

 

幼い娘の子守を、向かいの家の一人暮らしの老人に任せるなんて、よっぽど信頼していないと無理だと思います。

 

 

だからメキシコ人夫婦の人を見抜く力もあるんだと思います。

 

 

ご覧の通り、オットーに愛想はありません。質問をしても無愛想だし、余計なことを聞くと怒鳴ります。

 

 

 

 

それでも何かしら毎日のように気にかけるマリソルに、彼も少しずつ自分のパーソナルな情報を話すようになります。

 

 

幼い娘さんたちは、メキシコのプロレスラーのソフビ人形を持って、人形同士を戦わせる・・男の子みたいな遊び方をしています。

 

 

孤独だったオットーは「オットーおじさん」となり、メキシコ人家族と交流していきます。

 

 

ある日、ドジなトミーがハシゴから落っこちて病院に入院することに。運転の時点でいつか事故を起こすような感じだった人。

 

 

病院の待合室で子守をするオットー。

 

 

 

 

そこに地元の慈善事業でボランティア活動をしている名物ピエロがやって来て、マジックを披露します。

 

 

 

 

この時、ためらいながら渡した純銀の25セントが、別の25セントとして返ってきて、大激怒。

 

 

ピエロに悪意はないです。マジックのタネとして、あらかじめ仕込んでいた25セントを手品中に渡したのでしょう。

 

 

オットーにとっては毎日眺めている宝物。「返せ!俺の25セント!」とピエロを殴り、セキュリティを呼ばれ、警察沙汰に。

 

 

夫が転落事故で骨折→入院手続き。娘たちを任せていた隣人オットーは警察に事情聴取中。

 

 

事情を知らないマリソルは「どうしたの?」と子供に聞きますけど・・幼い娘たちの様子はと言うと・・怯えていないんですよね。むしろケラケラしている。

 

 

「てめぇーこの野郎、俺の25セント返しやがれΣ(゚Д゚)!」と結構な剣幕で「街の人気者のピエロ」に詰め寄っていったから、普通なら子供は泣くと思うのだけど・・プロレス好きだからかな。恐るべしメキシカンガール。

 

 

___

 

 

 

メキシコ人家族はオットーに警戒心がなく、親しみのあるご近所付き合いをします。

 

 

特にマリソルは彼を気にかけ、事あるごとに彼を頼ります。

それは恋心ではなく、純粋に親切心。またはソールメイト的な気持ちかもしれない。

 

 

虚無だった生活にリズムが生まれます。鑑賞しながら、自ずと自殺を思い留まらせるキッカケを期待してします。

 

 

しかしオットーの死ぬことへの決心は一切揺るぎません。

メキシコ人家族と交流していても、自殺の計画や準備は淡々と進めます。

 

 

 

愛車でのガス自殺、電車へ飛び込み、猟銃を喉元に・・しかしそのたびに、彼にとっては不本意な邪魔が入ります。

 

 

彼にとってこの世に未練はないはずなのに・・。

 

 

ある日、マリソルの運転指導をすることになった時、運転でパニック状態になる彼女に彼はいいます。「君は立派な女性だ。メキシコから来て、これから家族を支えていくんだろ」と、この映画の冒頭からは想像できないオットーの前向きなアドバイスでした。

 

 

彼にとって、お節介にも自分を必要としてくれる前向きで明るいマリソルと過ごすうちに、彼自身が変わっていきます。

 

彼には子供は居ませんが、2人の娘たちを孫のように可愛がります。子供は一人では生きられませんので、彼はとても必要な存在。

 

 

新居に越してきて、もう数十年の付き合いとなる隣人の黒人夫婦。

競い合うようにアメリカ車の新車買い換えをステータスにしていたけれど、仲違いをしていた隣人との再交流。

 

 

電車に飛び込むつもりだったけれど、先に持病で線路に落ちて意識を失った老人を助けたことでSNSでヒーローになったこと。

 

 

(このシーン。救出劇を携帯で動画を取るのはいいけど、電車が来ているのに殆どの人がスマホを向けているから・・もっと手助けしろΣ(゚Д゚)とは思いました。)

 

 

ソニアは数年前に癌で他界しました。彼との出会いが本を落としたことから始まったように、本好きの女性。足が不自由で車椅子でしたが、支援学校で教師をしていたそうです。

 

 

古い付き合いの住人達は、彼の最愛の妻ソニアとも交流があり、教師で社交的だったソニアを偲んでいます。

 

 

対して内気で、町会ルールに厳しいオットーは、ソニアの死後から更に内に閉じこもったのでしょう。

 

 

奥さんが明るくて、旦那が暗い、という夫婦像は現実的によくあると思います。そうやって陰と陽のバランスが取れるのでしょう。

 

 

「町一番の嫌われ者」みたいに紹介が映画広告のキャッチコピーに書かれているのが、少し残念です。

 

 

私が観る限りは、ソニアを知る町民はオットーのことをそんなに嫌いではないと思うんです。口煩いので煙たがってはいますが(^_^;)

 

 

隣人はソニアの話をしません。彼もソニアの話をしません。

 

 

メキシコ人のマリソルも、様子を見ます。そうしてやがて、話を聞こうとしますが、案の定、怒鳴り散らして鍵を締めます。

 

 

 

君がいない世界で、どう生きていくのか、楽しくもなんともないのに生きていく意味があるのか?

 

 

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最後の項目。

 

愉快な2人(匹)の登場人物を紹介します。

 

 

隣人の陽気なトレーニングマン。

 

毎日、太ももを上げてウォーキングすることを日課にしていて、「はい、オットー!」と挨拶をします。

 

 

 

 

(昔のアメリカ人って、こういう陽気な人が多くいたイメージがあります。)

 

 

しかしオットーは、たまに相槌を打つぐらいで、だいたい無視。

なので・・けっこうシュールな時間です(^_^;)

 

 

挨拶を挨拶で返せないのは人としてどうかな(^_^;)と思いますけど、毎日が面白くないと思っている人が再生していくドラマということを踏まえて、そうした「周りの抑揚」に面白みが加わるし、心を動かされるのが良かったです。

 

 

アンダーソン夫妻が新居に移り住んでから40年位経っていると思うので、トレーニングマンは子供の頃からの顔見知りだと思います。

 

 

妻が生きていた頃はご近所付き合いをしていたであろうオットー。社交的な妻と内向的な夫は、例えるなら光と影。

 

妻が亡くなってからご近所付き合いをしなくなったであろうオットーのことを、近所の住人たちは話しかけづらいんだろうなと、観ていて想像するのも映画を解釈しやすくなると思います。

 

 

そして、霊感動物と呼ばれるの存在も、この映画ではとても重要です。

映画の冒頭から、彼の居住区に居着いた野良猫。事あるごとにオットーの近くで、目線を逸らさずに見つめています。

 

 

最愛の人を亡くした映画やドラマで主人公が相棒にする動物は「犬か猫」のどちらかで脚本を作ると思います。

 

 

個人的にはトム・ハンクスのイメージとして犬(アメリカの一軒家なのでレトリバーくらいの大型犬)でもいいと思うのですが、霊感の愛玩動物で考えれば猫かもしれませんね。

 

 

この猫は何処から来たのか分かりませんが、彼の飼い猫になりたいと願っているのは眼差しで分かります(^^)

 

 

妻の寝ていた場所に猫が乗ることを、最初は酷く拒否していましたが、いつしかその場所を飼い猫に譲る「時の消化」も観れます。

 

 

朝目覚めた時に隣に妻が居ない。その虚無感が、この猫のおかげで少し解消されます。

 

 

 

 

_______

 

 

 

2015年に上映され国内外でヒットしたスウェーデン映画『幸せなひとりぼっち』のリメイク作品ということです。

 

 

私はシネコン中心の書き手・鑑賞者ですので、ヨーロッパ映画を観る機会が非常に少なく、元の作品の存在も存じていません。

 

なので今作品が私の初見になるので、比較することなく鑑賞できました。

 

 

『オットーという男』のウィキペディアのページが、充実していないため、元になった『幸せなひとりぼっち』を参照にしたところ・・あらすじがほとんど同じでした。リメイクですから当然でしょうけど(^_^;)

 

 

 

 

元の作品では、陽気な隣人がイラン人と書いてあるのですが、

 

アメリカ版は、陽気な隣人はメキシコ人になっています。

 

 

陽気で言うと・・イランより、メキシコのほうがイメージあるので・・私的にはピッタリだと思います。

 

この記事を書き終えたら、スウェーデン版もテレビ鑑賞してみましょう(^o^)

 

 

 

少し残念だったのが、オットーの青年期とオールド期の性格の振り幅が大きいことと、

妻との晩年の結婚生活のオットーの様子があまり想像できないことです。

 

 

夫婦の描写で描いているのが、出逢いから結婚生活までの30代くらい迄。

人生は中年になってからのほうが長いので、その部分を描いて、こちら側に想像させてほしかったかな。

 

 

(隣人の黒人とアメ車の新車で張り合う描写はあります。)

 

 

 

映画の最後には「いのちの電話」の画面が表示されます。

日本でも近年、悲しい別れが起こるたびにニュースで観る機会が多くなりましたね。

コロナ渦になってからは特に表示される機会が多くなりましたが、アメリカでも自殺は時事問題になっていることを知ります。

 

 

この映画の主人公のように、奇跡的にも彼のことを放っておけない友人や隣人の「存在」が近くに居ればいいですが、大抵の方はそうした存在には出逢いません。かと言って自分を助けてくれる「存在」を探すのは相当難しいものです。

 

 

私が精神安定剤になるのなら、アプローチがあれば、いくらでも貴方のお話を聞きます(^^)

 

そして趣味があることは強みです。映画という存在は素晴らしい「救い」ですから、辛いときこそ「気休め」になるこうした作品があるのだと思います。

 

 

 

最後に

 

 

彼は妻のお墓参りを日課にしていますが、

 

墓石には「ANDERSON」と書かれていて、日本式で言う「◯◯家」の名字が刻んでありました。

 

 

名字が刻んであるということは、同じ墓に入るということなのかな?

彼らに子供は居ないので、あとで合流できるのかな。

 

日本人としては、なんだか日本を連想できて良かったです。

 

 

最初に縊死を試みて、縄が切れて失敗に終わった瞬間。

新聞の広告に「花のセール」を見つけて、キミが好きな色の花だ!と口にするオットーが素敵でした。

 

 

ところで・・次のシーンではその花束を持参してお墓参りをしていますが・・お花屋さんではクレーマーにはならなかったのかな?そこは描いていません(笑)

 

 

 

 

 

 

 

脚本 14点

演技 14点

構成 15点

展開 15点

完成度14点

 

 

[72]点

 

 

 

※3月の中旬に鑑賞し、その時期に書き始めましたが、怠慢により約1ヶ月近く経って載せる運びになりましたm(_ _)m

上映するシネコンも少なくなった事と思いますが、とても素敵な作品でしたので、劇場・配信・レンタルなどで鑑賞して頂けると嬉しく思います。

 

 

 

 

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【mAb】

 

 

 

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『シネマの間』

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読者の皆様。

いつも記事を開いて下さり、どうもありがとうございます。

 

 

元々、不定期の更新でありますから、このような報告を書くかどうかを悩みましたが

 

暫くの間、『mAbによる映画一期一会』をお休み致しますm(_ _)m

 

 

今年に入り映画館に行く事自体・仕事以外でパソコンを開く事自体が激減しており、毎日の原動力であった映画に対して情熱を注ぐことが難しくなっています。

 

 

映画鑑賞はこれからも続けていきますが、アメブロに関しては心技体が絶好調の時に文章にして言葉を書いていこうと思います。

 

 

再開時期は次の季節・・紫陽花か、向日葵か、秋桜が咲く頃に。

 

 

気分屋なのですぐに前言撤回するかも知れませんが、気長に待って頂けると幸いです。

 

 

 

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【mAb AcAdemy】





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