なんとなしに景色を見れば気付くこともある。
下を見る。
道端の花や雑草。誰かが無責任に捨てた空き缶。
上を見る。
白い雲がもくもくもく。月は何故にこんなにはっきりと見えるのだろう。行った気になれる。
歩く時はどこを見ていますか?
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フランスの作家【ジャン・ジオノ】のフィクション小説『木を植えた男』。
原作を読んだことはないのだけれど、
アカデミー賞(第60回・1987年)を受賞した短編アニメーションは以前、何かのきっかけで観たし、情緒であったり作品が何を描きたいのかは分かり易かったです。
日本の活字本の知識もままならない身分で、洋書どうこうは言えないけれど、
こういう発想で描かれた話は、僕が知らないだけで沢山あるんだろうな。
そもそも、僕がどうして洋書を読まないのか?
単純に「外国人と日本人は違うから」という感覚的な理由もあるんだけど
1番の理由は、翻訳かな。
日本人に読みやすいように翻訳されることは、純粋に喜ばしく嬉しいことですが
翻訳本は、活字に心が入っていないように僕は感じます。
逆に日本の小説は、活字を読むだけで、作者が血反吐を吐いて満身創痍で描き切ったような魂を感じます。
これを逆の感覚で考えた場合、
村上春樹先生がノーベル文学賞を受賞できない1つの理由(が翻訳)になるのではないでしょうか。
例えば、外国を舞台にしたミュージカルを、帝国劇場だとか赤坂ACTシアターなどで観劇する際は毎回、外国人の役を純日本人が演じる違和感が発生し、俯瞰で観てしまいます。一流の舞台役者こそ日本人を演じればいいのに。カタカナばっかで・・小池百合子かΣ(・□・;)
(どうしたいきなり?)
洋書の話でしたね。
ハリウッド映画は滅茶苦茶観ているので、もはや心は欧米人なんだけど(笑)
やっぱり笑うタイミングだとか、ノリだとかは掴めなくて、ついていけない時があって・・・洋書は特に、あと舞台もそうだな、日本人として日本の小説を読むように、母国語感覚で読めたら(観れたら)どんなにいいかって、、、映画評論を書き続けてきてアレだけど、内心腹では思ってる。
大学在学中にカリフォルニアに短期留学しました。今でも記憶の情景が浮かびます。
その時に、小説を読みながら大号泣していたり、お腹がちぎれるほど笑ったり、そういう欧米人を見て、単純だとも思ったし、心から「羨ましいな」と思ったものです。
ちなみに、日本人は「礼に始まり礼に終わる」が基本。
挨拶であり御辞儀も子供の頃から大人に習い、周りに合わせ、身に付いていますけれど、
外国人から見れば、頭を下げたり会釈をするなどの仕草は、相手に後頭部(急所)を差し出す行為に捉えるそうですね。
その(お辞儀・礼の)代わりに、あいつらは強く握手をするんだ、目を見ながら。
まるでそう。
目・と・目・で通じ合ぅー、って感じかな。
(静香Σ(・□・;))
政治家やアイドルは、相手の目を見ながら握手し、「(私を)宜しくお願いします」とお辞儀をしますので、上で書いた欧米式と日本式をミックスしているな。最早・・人間の総合体だ。
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今回も前置きが長くなりました。mAbです。
(長すぎだよΣ(・□・;))
ここからはサッと書いて、バイバイビーと去って行きますね。
あっ💡
かき氷の青色といえば「ブルーハワイ」ですけど、どうしてこんな景気のいいネーミングなんでしょうね?不景気ジャパンなのに。
「スカイ」がいいよ。青空、スカイブルーで。ブルーハワイを頼んでも、ハワイには行けないし、行けるのはせいぜい九十九里浜。
だったら緑色のかき氷は抹茶になるけど、東京で発売される際にには、ネーミングを「ユリコ・コイケ」にしようよ。品のいい抹茶みたいな色の服を着てるからさ。。。言ってみただけ。
(いいから早く続き書けよΣ(・□・;))
気象学的なことは語れませんが、体感として今年の夏を暑く感じています。
「今年は暑いわね」・・「暑いですね」・・ニュースを点ければ
猛暑日・最高気温を伝えると共に、陽炎が揺れるアスファルトの映像。なんだか毎夏同じような気がするけど(^◇^;)
僕は完全なる冬好き人間なので、夏がくるたび「乗り切るぞ!」と[心構え]をするほど自分自身に気合を入れなければ、耐えられないと思い込んでいます。
だけどまぁなんだかんだと充実した夏になるんですけどね。
短い夏。12ヶ月中の2ヶ月間くらいです、ヤバいのは。
それで・・冒頭の話に戻りますが
「木を植えた男」
通勤や移動でロードバイクに乗っています。
ハンドルがグワンと曲がってるアレです。
そんな特化した自転車を漕ぎながら、
荒川のサイクリングロードを走っていると
大きな「木」がポツンポツンと1km間隔で在るのに気付きます。
(写真は夕暮れ時に撮影)
多分、この木がこの場所に来たのは
ここ何年かの物語だとは思いますけど、
この木を見かけるたびに、
僕は「木を植えた男」を連想してしまいます。
してしまいます。と書いたのは、まるで不可抗力、その都度頭に浮かんでくるからです。
荒川の河川敷(土手)って関東地方以外の方はイメージしにくいでしょうけど・・
・・・金八先生を思い浮かべてくれれば、話しやすいです。
というか上の写真を撮った場所って、ほぼ金八先生のロケ地ですから(笑)
ランニングしている人、僕のように自転車を漕いでいる人、夜明け前の薄暗い道を走っている人、楽器を弾いている・吹いている人、少年野球・草野球をしている人、いろんな目的の人達がそこにはいます。
(途中、スタートラインΣ(・□・;))
このように川幅の広い荒川の河川敷には沢山の人がいるのですが、(自分の移動範囲内で)休憩をしている人・・・って僕の記憶では少なかったと思います。
休憩している人になると、上半身裸で日光浴しているオジサンくらいかな。よく野球のグラウンドのベンチで寝てます。荒川の河川敷には普通に出現します。
夏は日照時間が長いし、草むらが多く虫が多いので、他の河川敷と比べても、日陰のない荒川の河川敷は=休憩しようと思うような場所ではなかったです。
(自分の移動範囲内での荒川の河川敷での話です)
日中はそんな感じですけど、夕暮れ時になると、放課後のデートかな、河川敷の階段やベンチに座っている学生を見かけます。
二人の世界。
通り過ぎていく僕等は、アベックにとってみれば、ただのエキストラ。
あの日の僕を見ているようで懐かしく思いながら通り過ぎます。
ヒューヒュー。
(でも君たちが座ってるそのベンチって、日中、裸のおっさんが日光浴に使ってるんだけどね(笑))
そんな荒川の河川敷に、ちらほらと見かける木。
照りつけるアスファルトを走っていると、日陰が出来ていて、思わず「涼しそうだなぁ」と感動してしまいます。大袈裟ですが「オアシス」ってこんな感じなのかな。
そしてその木の下で休んでいる人を見かけます。
子供連れの家族はシートを敷いて、まるで桜の季節のように過ごす。
日陰を創った事で誰かは救われる。
日差しが強くてクタクタになった時、大きな木が見えてきて「ラッ木ー」って駆け寄り、休む。
(シーン)
空を見上げれば美しい地球が確認出来て。
地面を見下ろせば未来と過去が繋がる道を想像する。
前を見れば極彩色の世界が広がる。アブラカダブラ、ナムアミダブツ、チチンプイプイ。まだまだ知らない事ばかりだ。知り得たいな。
相変わらず、書きながらテーマを広げていき着地点のないブログになっていますけれど、そんなこんなでオチにします。誰かは存じませんが「ここに木を植えた人」を誇らしく思います。
ありがとSUN。
【mAb】