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THE映画評論『キネマの神様』

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1993年。約27年前。

 

 

小学生の私は父親に連れられて浅草六区の地下にあった松竹で『学校』を鑑賞しました。

当時の浅草はゴーストタウン化していて薄暗く、治安も悪かったので、小四ながら父親と手を繋いで歩いたのを覚えています。

 

『ドラゴンボール』を筆頭に数作品をまとめ上映していた人気企画『東映まんが祭り』や、藤子アニメ『ドラえもん』『忍者ハットリくん』『キテレツ大百科』そして『ジブリ映画』などを好んでいた小学生の私にとって、それが初めての「大人の映画」でした。

 

 

 

 

(ありがとう田中邦衛さん)

 

 

あなた様にもあるでしょうか?

「子供の頃に何処何処へ連れて行ってもらった」等、幼少時代の体験を人間は記憶の海馬に印象深く残しているものです。

 

 

少年少女から時を経へ大人の年齢になっても、いい年齢になっても、子供時代の記憶やキッカケを覚えているのですから、小さいお子様がいらっしゃる方は思い出づくりをされると良いのではないでしょうか。

 

 

これまでも過去を振り返る際に何度か紹介しましたが、1本の作品『学校』が私のバイブル(聖書)になったのです。

 

 

「相手の気持ちを考える」という人間形成の基礎の部分を山田洋次監督は私に教えてくださった、もしくは私が勝手に山田洋次監督作品から読み取ったのかも知れません。人の出入りが多い家庭環境と人情味ある昭和平成初期の下町で生まれ育ったことも影響があるのでしょうね。

 

 

とにかく私は人情ドラマが好きだし、そんなこんなで人情的な性格になったと思っています。前書き終わりぃ!

 

 

___

 

 

 

アメブロで映画を描くようになって10年越え。「映画評論」と偉そうに題打っているのに、ここ数年間で「鑑賞した映画を全て書く」という当初のスタンスは完全に崩れましたし、日本映画に関しては基本スルーに。

 

 

20代から30代。体力や気力も低下する。同じ熱量で続けるのは難しい(^◇^;)と月並みな言い訳。

 

 

それでも【三谷幸喜】監督作品と、【山田洋次】監督作品は、文章にして紹介しようと、これだけは心がけるようにしています。

 

 

 

『キネマの神様』

 

 

原田マハ先生著の原作小説を、文庫本で初読したのは今から5年ほど前。

 

当時の私は映画漬けの毎日で映画検定試験を受けたりするなど玄人ぶっていたので、話の内容は面白いけれど、知識力としては物足りなさを感じて読みました。

 

 

本作品を8月6日。公開初日の金曜日に鑑賞。

緊急事態宣言下での外出になるため、念には念を入れることが大切。

 

 

今年のお盆は多くの上京者が帰省を諦めた為、東京の街は例年より人が多い。

公開二週目となる翌週はお盆休みとぶつかり映画館の混雑が予想される。

 

だからこの日がいい。

さらにこの日は夕方からサッカー五輪男子の3位決定戦。

個人的にはコロナ渦の中で密にならない映画鑑賞日和だ。

 

 

鑑賞1時間前に、前もって各劇場の座席購買状況を確認。

運営側には申し訳有りませんが、座席数が多い大きなシアターでお客様が少ない上映回を選んで出発です。

 

 

夏休み期間なので、クーラーの効いたショッピングモールや映画館は混んでいる都内。事前予想と鑑賞経験を活かし一切密になることなく、有意義に作品を鑑賞することが出来ました。

 

 

鑑賞後。自宅に直帰し本棚の『キネマの神様』を再読。

 

 

ブログを書く資料として、正直、印象薄く曖昧だった当時の読破本を照らし合わせる。

先日。大量に本棚を整理し、多くの書物を処分したのですが、この原作は残していた・・縁なのかな。

 

 

原作小説と今回映像化された映画では大きく舞台設定が変わっていますので、原作のファンの方には違和感があるかもしれません。

 

 

この下からは原作小説の内容を少し紹介致します。

 

 

主人公の最寄駅は東京メトロの九段下。JRなら飯田橋駅。

靖国神社から徒歩1分という都心の超一等地に建つマンションで管理人業をしている円山家の物語。

 

都内の超一等地のマンションですから住人も超リッチなのでしょう。

マンションオーナーならば話は別ですが、マンションの管理人というだけで、住人のようにお金持ちではない円山家。

 

管理人に与えられた部屋で両親と暮らす主人公の長女・歩は勤続17年の再開発企業を退職。退職金は300万円。

そのタイミングでギャンブル依存の道楽者である父親の借金の額が300万円、という事実を知ります。

 

(わーぉ、ピッタリΣ(・□・;))

 

 

_____

 

 

 

話の途中ですが映画の本文に入ります。

 

 

(わーぉ、ビックリΣ(・□・;))

 

 

原作と違うのは、主人公を娘の視点から父親に変えたことですね。

小説では父親は中心人物(自身が再就職した会社の映画コーナーで父親の批評が人気となる流れ)で、それを娘の視点で語っていますが、映画では主人公は主に父親の視点を移し、山田洋次作品らしく、「みんなが主人公・カメラが映す家族像」を愉しめます。

 

 

娘・歩(あゆみ・以下歩)役を演じた【寺島しのぶ】さん[48]はバツイチの出戻りで、高校生の息子と、一軒家の実家に住んでいる設定に変更しています。

 

個人的には原作の中年の独身女子の描き方に好感を覚えていて。主人公より若い同性の登場人物を俯瞰で視る女流作家ならではの着眼点が好きだったんだけど。

 

 

【宮本信子】さん[76]演じる母親・淑子(よしこ・以下淑子)は陰日向に咲く存在。

酒に女に賭け事に。そんな道楽者の旦那に強く言えずに「飯炊き母ちゃん」とも言える昭和の母親像。

「母さん、メシ!」「はい。分かりました」

 

 

映画を観ながら・・

今の男女平等参画社会の世の中だと、こういう「男性に尽くすだけの女性」は現代人にどう見えるのだろう?と少し思いました。

 

 

旦那や世間に対して強く言えない。

女性は3歩下がるのが・・古い考えかも知れませんが、日本人の美人(大和撫子)の考え方。

 

 

宮本信子さん演じる淑子が大正昭和の日本人母親像だとしたら、それに対して、娘の歩はその女性から生まれた子供の世代。

 

 

見方によって面白いのが、この老夫婦の娘の代(40代〜50代)は時代も社会的な価値観も違う。

「女性は家庭に入るもの」という考え方は今では古い。映画と外れるが「将来の夢はお嫁さん」も多分古いのだろう。

 

 

離婚率も高くなり、劇中のような実家暮らしのシングルマザーも多くなる。

 

https://www.gender.go.jp/policy/men_danjo/pdf/basic/kiso_chishiki1.pdf

 

 

これを老夫婦の孫の代(10代〜20代)まで焦点を移すと、又違った三代の社会的な価値観が出てくるのだろうと思った。

 

 

___

 

 

 

旦那や世間に対して強く言えない女性。

 

 

「ちょっとお父さん!」と働く世代の娘が、母の気持ちを代弁して父にモノを言う。

 

こういう昭和の父親に強くモノが言えるのは、息子よりも娘の方かなと思います。

 

 

娘の背中に隠れるように母親はバツが悪そうに、上目遣いで戦況を見つめる。

女優さんなので、肌も綺麗ですし佇まいはお美しいけれど、現実の70代後半女性で考えると「小さくなった母親」という親子のフォルムになるのかなと想像。

 

 

彼女達が対峙しているのが、この映画の主人公・郷直(さとなお・愛称ゴウ・以下ゴウ)。

 

 

 

 

【沢田研二】さん[73]演じるゴウ。年齢は78歳と実年齢よりも老いた役を演じています。

メタボリックな体型に長髪の白髪頭と髭面が特徴的。赤い服を着せればサンタクロース(笑)

 

 

公園の清掃と年金が現在の収入ですが、その殆どは競馬と麻雀と酒代に消えてしまう、生粋の体たらく気質。

 

 

(賭け麻雀=賭博?をしているってことなのかな?)

(素朴な疑問ですが、この亭主、ちゃんと年金納めてたのかな?多分、奥さんに任せていたんだろうな。)

 

 

冒頭。公園の清掃(仕事)中にラジオで競馬中継を聞き、ハズレ馬券にチクショー!と掻き集めた落ち葉を蹴る。

 

 

その際に、彼の近くにいた子供連れの親御さんが我が子を守る動作をしているのが、いかにも山田洋次演出らしいです。

 

 

実際に街中で清掃員が感情的に暴れていたら・・・近寄りたくないですからね。

ここ何年かで「キレる老人」がニュースになっているからそれを連想します(^_^;)

 

 

こういう咄嗟の判断で、子供を守る親の防衛本能って私は美しいと観れて。

 

 

近年はファンクラブ会員にエキストラを協力してもらっていますが、昔のように給料が発生するエキストラ事務所の方が個人的には作り手も演出も熱を入れられると思うのです。勿論、好きな俳優に会えて、その作品にチラッとでも出演できれば記念になるとは思うんですけどね。

 

 

ハプニングが起きてもエキストラを素通りさせている「主人公中心」の作品が多くなりましたが、どう考えても街中で物音がしたら一度は見ますから、こういう昔ながらの演出の方が自然に感じます。冒頭の一瞬の描写ですが、作品を鑑賞される方は、作り手のこだわりも同時に観てくださったら、更に映画は活きるでしょう。

 

 

____

 

 

 

相も変わらずグダグダ描いていますが・・改めまして・・・さあ楽しい映画の時間だ!

 

 

(えっ、また最初から書くのΣ(・□・;)??)

 

 

 

 

 

監督【山田洋次】

 

 

ゴウ:

オールド【沢田研二】ヤング【菅田将暉】

 

 

淑子:

オールド【宮本信子】ヤング【永野芽郁】

 

 

テラシン:

オールド【小林稔侍】ヤング【野田洋次郎】

 

 

 

令和時代:

 

 

2人の娘【寺島しのぶ】

 

その孫【前田旺志郎】

 

 

 

昭和時代:

 

 

監督【リリー・フランキー】

 

看板女優・園子【北川景子】

 

 

 

配給[松竹]

 

本編[2:05]

 

 

 

物語)

 

 

時代進行は2019年の秋から始まり、追加設定で撮られた緊急事態宣言下(コロナ時代)の現在まで。

 

 

日本開催のラグビーW杯で国中が盛り上がっていた2019年(大会開催期間は9月から11月)。その翌年には新型コロナウイルスの猛威がわが国を襲うことになるとは・・と寺島さんによるナレーション。

 

 

(※ナレーションの文言は正確ではありません)

 

 

長女・歩が勤める会社のオフィス。

社内の人たちはラグビーのテレビ観戦中。

仕事に支障をきたす様子だが、社内ムードは良い。

 

 

そこに「円山さーん。お電話です。」と、応援のテンションのまま受話器を取る歩。

 

 

電話の相手は闇金融(架空の会社名を名乗る闇金)。父親の借金をどうにかしろ、お宅に伺いますよと。

緩んだ表情が一変。私は父と関係ありませんから。と受話器をガチャ。

 

 

ラグビー応援の社内ムードの中、一変し溜息に変わる。この時、鼻息荒く、血圧が上がった顔色を魅せる寺島しのぶさんが見事!

 

 

(ただ、このシーンに苦言もあります。歩の設定は「派遣社員」とのことですが、劇中で視るにベテランのお局感(正社員感)がありました。派遣と正社員の間に発生する「特有の空気感」をもう少し役作りで出しても良かったのかな?と思います。)

 

 

その夜、長女が帰宅すると家の前には闇金融が1人。山田洋次監督作品の常連【北山雅泰】さん[54]。

恫喝するオラオラ系ではないが、ニヤニヤとねちっこいタイプの方が現実的に怖い。

 

 

閉めるドアに足を挟み強行突破!!

家の中に入って玄関先でニヤニヤ。円山さーん、いるんでしょ!

住居不法侵入になるので境界線は突破しない。

 

 

「警察呼びますよ!」「取り立てなんて、いちいち警察は守ってくれねーよ!」と。

こういう「個人の緊急事態」時に警察は守ってくれない、そうした現実もセリフの中に込められているのでしょう。

 

 

結局・・長女は財布から抜いた紙幣を5、6枚渡し、ヒーフーミーと指で数える。「これじゃ全然足りないんだけどね。また来月、来るわ」とバイバイ。

 

一応は場が収まりますが、観ているこちらは映画の中の物語とは言え、気の毒に思ってしまいます。追い詰めれば身内が助ける、ある意味、闇金取立ての常套手段。

 

 

私と父は関係ありませんから、という日中の電話口の切り捨ては、その日の夕方、あっさりセロテープでくっ付けられるわけだ。例えが微妙ですけど。

 

 

借金取りが帰った後。お風呂から居間に姿を現した父親。

お風呂に入っているなら浴室・脱衣場で物音一つは生活音として出ると思うから・・典型的な確信犯。

 

 

バツが悪い様子も恥じる素振りも見せず、トボける父親。

 

娘に「夕ご飯は抜きよ」と強く言われ、解散。

立場は逆転。まるで子供を叱る親。反省しない父親。

 

 

居間の向かいの部屋から孫が登場。

夕食をトレイに乗せて、「部屋で食べる」と再び自室にこもる。

 

孫の部屋へ行き、その食事を恵んでもらう祖父。

「お祖父ちゃん。食べますか?」「いいのか!」。

 

 

食い意地が張っていそうだが、食欲こそ長生きの秘訣だろう。

 

 

そんな円山家。70代後半の父母。娘・孫の4人家族。

 

 

___

 

 

 

借金取りが自宅にやってきた!

 

 

(サンタが街にやってきたみたいに書くなΣ(・□・;))

 

 

母と娘はそれをキッカケに『ギャンブル依存症と闘う家族の心構え』というセラピーに参加し【原田泰造】さん演じる「家族の会」代表からアドバイスを受けます。

そのアドバイスの内容は、借金は本人に返済させること・本人のために自己破産させること・など家族である自分たちが心を鬼にすることが患者にとって最も大事だと有ります。

 

 

早速「情けをかけないこと」を実行。

 

 

その夜。ソファで寝転がってテレビを見ている父。リモコンを取りテレビを消す娘。当然「なに消してるんだ!?」の流れ。

お母さんも私も決めたの。お父さんが作った借金は自分で返してもらうって。通帳やカードは私が預かります。毎月振り込まれる公園の清掃アルバイトと毎月の年金を借金の返済に充てていきます。と娘。

 

 

この突き放す展開。現実の世界で考えても、世の中に数多く存在する各依存症者の言い分は大抵同じだと思います。

 

 

お前は鬼か。

俺の生きがいを奪おうっていうのか。ギャンブルが出来なければ、俺は何をすればいいんだ。

 

 

(働けよ!と言いたいところですが、78歳・・もう元気に働ける年齢ではないから、返答が難しいですよね。)

 

 

「映画があるじゃないの」と後ろから母(妻)。あなたは昔、活動写真家だったでしょ。

 

 

その会話きっかけで、シニア割やミニシアターなどの料金を算出。毎月の年金とお給料から借金を返し、余ったお金で映画を見れば良いと提案。

 

 

そうじゃないんだ・・このオヤジはアルコールとギャンブルが生き甲斐なんだ(^_^;)。

 

 

グーの音も出なくなり出て行くゴウ。ちょっと待って!

娘に銀行と郵便局のカードをここに置いていって!と言われ、ワナワナワナ、まるでメンコのように自分のカードをテーブルに叩きつけ出て行く父親。

 

 

(公園のシーンみたいに、カッとなって物に当たったり、家族に当たったりしなくてよかったぁ。)

 

 

そして山田洋次監督しかり、日本映画のドラマで、こういう自己中心な生き方をしている登場人物から「生きがい」というワードが出た場合は、基本的に「家族」に行き着くのがセオリーのように感じます。「生き甲斐」=「家族」。これぞ人情ドラマ。

 

 

 

 

 

 

______

 

 

 

円山家のシーンが終わり、続いての登場人物です。

 

 

「テアトル銀幕」という屋号。今となっては懐かしい町中の映画館。

 

 

ちなみに、よく名前を目にする「テアトル」はフランス語で「劇場」という意味になります。近年では英語の「シアター」を屋号にする劇場が多いかな。ミニシアター(単館劇場)もそうですしネ。映画の始まりはフランスですので、個人的にはヨーロッパの言語発信に惹かれてしまいます。

 

 

原作小説では「テアトル銀幕=JR市ヶ谷駅から徒歩圏内のミニシアターで、洋画を中心に上映している名画座」と背景のイメージがしやすかったのですが、映画は都内のミニシアターという「セット感」(舞台建造物)ある様子になっているので、少し寂しかったです。

 

 

平成の初期辺りまでは同じような映画館はごく自然に街中にありましたが、20世紀末のショッピングモール建設ラッシュにより、モール内に併設されたシネコン。その時代の波に飲まれ閉館した映画館は数知れず。

 

 

映画館も世代交代なのかな?ベテランよりも若い人の方がいいんだね。

残念ながら街中の劇場は閉館していくサダメになるのだろうと想像します。

 

 

今作品の中でもテーマにしている新型コロナウイルス。

作中にもコロナ渦での撮影の難しさ、制限の中でも製作陣の工夫さを映画を見ていて随所に感じます。

 

 

街の映画館・テアトル銀幕。銀幕とは映画館で映写する幕のことを言います。

 

 

現在、妻の淑子が清掃員としてテア銀でアルバイトしていて、今では見かけなくなった小便器やトイレの背景が印象的。

 

 

これは前半のうちに紹介されますが、淑子とゴウ、劇場支配人のテラシンの3人は旧知の仲間。

 

 

若い頃。松竹の撮影所で映画監督を目指し働いていたゴウ。映像技師として働いていたテラシン。撮影所近くの映画人行きつけの飲食店の看板娘だった淑子。この関係性は映画の早々で分かるため、紹介します。

 

 

何らかのきっかけで、ゴウは映画監督の道を諦めることになり、テラシンとは半世紀近く疎遠となります。

そのきっかけは是非、映画でご覧くださいませ。

 

 

妻・淑子のアルバイト先が、まさか偶然、旧友テラシンの劇場だったことで友人関係が復活したという経緯。

人生って面白いですね。50年前の親友と老人になってから再会して語り合うなんて・・!!

 

 

家を飛び出したゴウは、その足でテアトル銀幕へ。(ある意味、行き場所。)

 

 

銀行カードを置いてきた父親が無一文状態で家出する流れですが・・Suicaとか持ってるのかな?

自宅⇄劇場間の距離あるだろうし単純に疑問。細かすぎるか。

 

 

【小林稔侍】さん[80]演じる劇場支配人テラシン。

役名「寺」林「新」太郎で、愛称がテラシンです。

 

 

 

 

(看板の1文字が消えているのに拘りを感じます。年季の入った消えた看板・・最近見ないなぁ。)

 

 

小林稔侍さんは山田洋次作品の常連で、個人的にお会いした事もある大好きな俳優さん。

近年の作品でも名脇役として出演されてきましたが、今作品では脇役やゲスト出演ではなく、メインの立ち位置で演じられているのが大変嬉しく思います。

 

 

この作品を語る上で、原作小説も映画も、テラシンは最重要人物です。

 

 

昭和の映写技師時代は代役可能ですが、「テラシンなくして令和バージョンはない!」と言っても過言ではない。

それだけ、主人公ゴウの「逃げ場所」だし、彼らにとって映画とは「人生が詰まっている」大きな存在だと思います。

 

 

私も映画を書いているし、語ってきましたが、年季の入った先輩方が好きな映画を話されていると「あぁ良いなぁ」と思いますもん( ◠‿◠ )

 

 

____

 

 

 

テラシンはとことん善い人で、ゴウが家出をすれば自宅に泊めて、営業後に無料で映画を見せて、売店のビールが盗られていることにも目を瞑る。さすがにお金は貸しませんが、それ以外のサポートはしてくれるという親友。

 

 

おそらく初見の方は、このテラシンを見て「お人好し過ぎる!」と思われるのでしょう。

テラシンの家族はこの映画に登場しませんけど、もし身内だったら「あんな人と付き合うのはやめて!」と止めるはず(^_^;)

 

 

だけど・・その理由が私にはなんとなく分かります。

テラシンは旧友でもあり元映画人であるゴウの才能に惚れているからだと思うのです。

 

 

松竹撮影所時代での交流は数年だけで、その後50年近く会わなかったように映画は描いていますが、若い頃のテラシンにとって監督ゴウは最たる才能を秘めていて、彼のヒーローだったのでしょう。

 

 

おそらく映画を見る観客の殆どが、ゴウよりテラシンの方が立派な人間に見えるでしょうし、私もそう思いますが、男が男の才能に惚れるってよっぽどのことなんですよね。憧れの存在。私はこの映画でオールド・テラシンが一番好きなキャラクターです。

 

 

さてさてW主演となります。

オールド・ゴウの沢田研二さんからヤング・ゴウの【菅田将暉】さん[28]へ引き継ぎです。

 

 

____

 

 

 

閉店したテアトル銀幕。デジタルではなく古いフィルムで、映写室からカタカタカタと銀幕に命を吹き込む。

テラシンは当時、松竹で映像技師として働いていた「この道」50年以上の大ベテラン。

 

 

単館劇場と映写機。日本映画史では初期から近年までセットだった上映方法。

 

 

その日本映画の歴史を共有する老人たち。

こうした描写が現代劇で観れるのは、もう少なくなっていくのでしょうね。

 

 

銀幕に古い映画が映し出され、始まり、ガサツな態度だったゴウも真剣な顔つきに変わる。

映写室から出た親友テラシンが後ろに座って、小津安二郎風の作品の批評をしている。

 

 

なんたる偶然(必然)だろうか。非常に縁が深い作品が映し出される。

 

次のシーンで桂園子の黒目にカチンコを持った僕が映るぞ!とゴウ。

 

どうやらこの作品の助監督を務めていたらしい。

 

 

回想に入るための動線部分。

銀幕では【北川景子】さん演じる昭和の大女優・桂園子が映り、黒目のアップになっていく。

 

 

 

__カット!!__

 

 

 

どの作品でも、回想シーンへの入り方にパターンがあります。

 

 

写真を撮るシャッター音。ハイ、ポーズ!カシャ。その時撮った写真を現在で(写真立て等のアイテム)見る主人公。逆もあり。

 

 

オーソドックスですが、これら一番輝いていた時代・瞬間キッカケで、過去・現在に繋げたり、

 

今作品のようにカチンコのヨーイスタート!で回想シーンに繋げる技法と切ない雰囲気が好きです。

 

 

キャメラの真横でカチンコを鳴らした若き日の郷直(さとなお)。愛称はゴウ、ゴウちゃん。以下、ゴウ。

 

 

沢田研二さんは新鮮(プレミア感)ですが、【菅田将暉】さんは年に何回も主演作品を観ているので、新鮮さは感じません。

 

 

髪を伸ばしたり刈ったり巻いたり・・毎回髪型に変化をつける俳優さん。

演技自体は舞台俳優向きだと視ているのですが、表情筋を使い熱演する様子は勢いがあるし、本当に器用な男優だなと毎回感心。

 

 

 

 

上の写真。若い助監督にピントを合わせると、後ろの老いた監督の立ち位置が霞む。縦社会の芸能界に若者の台頭。これはなかなか面白い映像ですね。

 

 

令和でオールド・ゴウが観ていた映画。

 

 

半世紀以上前に自分が助監督を務めていた映画を、令和の時代の波に飲まれていく映画館で鑑賞し回想シーンに入るという流れ、個人的に浪漫があって胸高まる気持ちです。

 

 

エンドロールで名前が出るわけですから、もう少し自慢したっていいのに・・。

 

 

先程。過去への回想シーンは「一番輝いていた時代・瞬間」と書きましたが、忙しなく過ぎる20代の夢老い時代こそ輝いていた時代であり、彼の人生の分岐点となるのですね。寝なくたって体力がありました(笑)

 

 

朝も夜も毎日のように撮影していた時代ですので、六畳一間のアパートには寝に帰るぐらいで、撮影所と酒場の往復がメイン。

 

 

山田洋次作品ならでは、人気だけの選出ではない実力派俳優陣の場面出演も魅力。

 

 

松竹の看板女優・桂園子役を【北川景子】さん[34]。

 

 

松竹の人気監督役を【リリー・フランキー】さん[57]。

ここ数年のフランキーさんは、下を巻く喋り口調が田中邦衛さんみたいに感じるので山田洋次監督に合うのかな?と懐かしい感覚にもなります。

 

 

劇中の松竹撮影所の現場は、まるで家族のような空気感があって、ピリピリもしているしワイワイもしている。

 

1つの作品を生み出すまでの「期間限定の家族」なんですけど、多分現在の芸能界よりももっとはっきりと物を言っていたと思います。縦の関係も凄かったんだろうけど。

 

 

フランキーさんも登場から、看板女優に対して「演技が下手くそ!」だとか、今だったら相当な関係性と信頼がなければ言えないだろし、そこだけ切り取られたらハラスメントになるセリフにドキドキ(^_^;)

 

 

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文字数も絶賛増量中ですし、読者の方にとっても読みづらくなっていると思うので、要所だけを紹介します。

 

 

昭和と令和。この2つの時代を交互に展開し、20代と70代の主人公ゴウを、沢田研二さんと菅田将暉さんが演じます。

 

 

(平成はスルーΣ(・□・;)トリプル主演にして連続ドラマ化にして!)

 

 

昭和と令和、どちらも登場するキャラクターは、「ゴウ」と後に夫婦となる「淑子」、「テラシン」の3人です。

 

 

令和では二人の間に産まれた長女「歩」とその孫「勇太」。それとなくテアトル銀幕のアルバイト役に【志尊淳】さんが出演しているのにも魅力を感じます。さりげなく良い若手俳優が山田洋次作品に起用されてる!

 

 

昭和では、フランキーさんが存在感を出してのご出演ですが、演技の癖が強い為、この位の出演時間が丁度いいのかも(^◇^;)

 

 

北川景子さんが演じる松竹の看板女優・園子。

 

 

プライドは高そうだが、お高くとまる女性ではなく、現場スタッフとも親しい。

 

看板女優ですから、俳優や監督と交際している勝手なイメージがありますが、

 

桂園子は年下の助監督ゴウに対して好意を寄せていたり、ゴウの周りの仲間とも交流する。

 

そして引き際もしっかりしている女性で、ラストシーンが何とも印象的です。

 

 

 

 

私は記事の投稿数の割に北川景子さん出演の映画を書く率が高いのですが、毎回、驚く際の表情についてを書きます。

 

ドラマでもサスペンスでもコメディでも・・目(上瞼)をクワッとさせて仰け反る場面が特徴だと思います。

 

 

それが今作にはなく、終始「お姐さん」として若い子達を見守る様子に好感を覚えました。

 

 

昭和の女優さんって、相手役の俳優の目を、今の時代より、もっとしっかり見つめているから、雰囲気があったのでしょう。

 

目鼻立ちがハッキリしているから澄まし顔が絵になる!

 

 

「北川景子=人情ドラマ」というイメージが私には湧かないのですが、ここ何年かで母性的なオーラが自然と出ているように視えるので、次は山田洋次監督作品のヒロインとして銀幕で観たいです。

 

 

令和時代では(オールド)園子は登場しませんが、ご存命なら80代かな。個人的には生死の情報(ベタですが新聞で知るなど)なども作中にあったらドラマに感じるでしょうね。

 

 

___

 

 

 

そして、この映画のヒロインが淑子。

自己紹介で「紳士淑女の淑子です」と自身の名前の漢字の伝え方はウケました。

 

 

令和では【宮本信子】さんが演じ、昭和では【永野芽郁】さん[21]が演じます。

 

 

笑顔の感じが違うタイプの2名。永野芽郁さんは口角を上げてニコニコ笑いますが、宮本信子さんは口角を少し下げて笑顔を表現する女優です。この50年の間に「淑子も苦労したんだなぁ」と、私は良いように変換しました。

 

 

永野芽郁さん演じるヤング淑子は、撮影所の近くにある飲食店「ふな喜」の看板娘。

 

 

 

【広岡由里子】さん演じる女将は主張をせずに店の奥。陰日向に咲く「らしさ」が大変良い。

 

 

このお店は、撮影所のスタッフが行きつけで打ち上げにも使われますが、普通に芸能人も来店する大衆割烹屋って・・何だかいいなぁ。

 

 

 

 

撮影所に出前。「ふな喜のカツ丼」。

この時ゴウは、仕事仲間テラシンに馴染みの店の淑子を紹介するキューピッド役。三角関係の系図。

 

 

この映画の最重要人物であるテラシン。令和で再会する3人の最初の出会いです。

 

 

ヤング・テラシン役はRADWIMPSの【野田洋次郎】。

コロナ渦で誕生会を開いたことが明るみに出てネットで叩かれていますが、初演技とは思える小慣れた感がありました。

唇の動きが人情系ドラマと合いそうなので、今作品のように準主役で三枚目のポジションが個人的に合っていると思います。

 

 

テラシンは淑子に一目惚れし、淑子は密かにゴウに片想い。そんなゴウは純粋に親友のためを思い女の子を紹介する。

 

 

ゴウはお姉ちゃん遊びに勤しみ、酒・女・博打・仕事の毎日。これは令和でも引き継いでいる性分(酒と博打)。

 

 

大変残念なのは、菅田将暉さんが、女遊びやギャンブルをするよう軟派な男に視えないことです。

劇中でもその場面は台詞のみで、何となく暈されているように感じました。ギラギラはしているけどテカテカしてないんですよね菅田将暉さんって。

 

 

助監督として数々の現場を経験し場数を踏んでいくゴウ。

いつか自分の監督作品を撮りたいと、彼女や仲間に構想を語る。

 

 

 

 

生きた時代が悪かったと言ってしまえば、それだけのこと。

型に嵌まるセオリーや似たり寄ったりの演出、カメラワーク・・。

ゴウの頭の中の思いは、なかなか現場の家族(年上のスタッフ)には伝わりません。

 

 

そうして映画は、令和と昭和を行き来するのです。

 

 

物語はここでおしまい。最後にもう少し「現代劇」を書いて終わります。

 

 

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昭和も令和も、どちらも現在進行の映画になりますが、20代と70代と間が半世紀あるので、夫婦生活の50年間も想像させて欲しかったのが正直な気持ちです。

 

 

令和のゴウは、俺なんかじゃなくて別の男と一緒になった方がお前は幸せになれたはずだ、と弱気になるたび悔いています。

 

 

映画が好きで松竹の撮影所で働いて、型にハマらない自分の作風を取り入れた監督作品を目標に突っ走っていたあの頃。ギラギラもキラキラもしていた若い日のゴウ。それがただただ落ちぶれて。。

 

 

高齢になって後悔している様子を観るのも観客としては寂しい気持ちになりますし、酒に溺れ女々しく嘆く老人の様も切なく思う。

 

だからこそ、そんな過去を知る友人テラシンの存在がこの映画では観客にもゴウにも救いになると思うのです。

 

 

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最後に1人、気になった登場人物。

 

 

長女、歩は出戻り。

バツイチかバツ2かは分かりません。その情報を気にするのは私ぐらいでしょうね(^_^;)

 

 

劇中に淑子の会話でチラッと察する「別れた夫」。

その夫との間に生まれた高校生の息子・勇太と実家に出戻り暮らしています。

 

 

細かい設定の説明がなされていないので私の想像となりますが、このお孫さんの描写が大雑把。

 

 

 

 

「学生」なのでしょうか。学校へ行っているシーンはなく、部屋に引き篭もりパソコン作業をしているので、よく分かりません。

 

 

孫役は【前田旺志郎】さん[20]。是枝映画2011年公開『奇跡』など、子役の頃から観ていて、現在上り調子の俳優さん。

 

 

演出だと思いますが、不思議な喋りをする役でした。

セリフも最初は棒読みで、黒目の位置も伏し目がち。

所々間が抜けているので、社交性が低い子なのかな?とも映画を見ていて感じると思います。

 

 

後半に大活躍しキーマンとなる孫。

 

 

 

そんな彼に対し、一番気になったのが、だらしない所作です。

 

 

孫がトイレから出てくる流れが劇中にありますが、太ももまでズボンを下ろした状態でトイレから出てきて、移動しながらズボンを上げる。

 

 

自分としては考えれられない!

 

 

現実のシーンで例えると

よくデパートなど公衆トイレなどで、入口の段階でチャックを触っていたり、ベルトをガチャガチャしたり下ろしながら小便器に向かって歩いていく男性がいますけれど、彼はそのタイプの人種なのかな??

 

 

私の場合は羞恥心の塊ですから(笑)家で1人の時も完全着衣の状態でトイレから出ます。

 

 

孫や息子に干渉していない家庭環境。ご飯も一緒に食べない。

親のしつけ的にもどうかと思いますし、あまり気持ちのいいシーンではなかったですね。

 

 

ただ孫・勇太は祖父・ゴウと芸術的感性が似ている血筋を描いているのと、劇中に数カ所DNAを見つけました。

 

 

テラシンと同じ「才能に惚れている」ことの尊敬があるため、ここに意図があるでしょうし、それを考えると興味深い映画脚本に思います。

 

 

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鑑賞した日の帰り道で、スマホのメモアプリに残した恒例の書き殴りを載せます。これまで書いてきた内容と被ることはご了承下さい。(今回、ちょっと長いです(^_^;))

 

 

 

 

後半の20分ぐらいはコロナ渦と言う今の時代風景を作品に差し込んでいて、私には映画の進行上余計な描写かなと思いましたが、映画スタッフもたくさんメッセージを込めて思うことがあるだろうし、私自身も10年以上映画と言う愛すべきものを書いてきているので気持ちが分からなくもない複雑な気持ちになります。

 

残念だったのは、魅力的な登場人物・・銀幕女優だったり映画技師だったり沢山登場するのに、その描写・編集は場面出演感が拭えず結構消化不良な感覚になりました。この点は人情ドラマの第一人者である山田洋次監督らしくないな、と。

 

沢田研二さんはギャンブル依存症の老人役を荒っぽく、そして無邪気に演じられていらして、空元気なリアクションなので演技が上手いかどうか特には分からないけれども、その点を小林稔侍さんや周りの人たちがうまく固めているような気がしました。「あー生きていればこうだったかなぁー」など沢田研二さんに志村けんさんの面影を重ねたり、ある意味映画の中に志村さんの魂が描写されているんだと至る所で感じました。映画の中に魂が宿る。きっと相当な愛が込められて出来上がった作品なんだね。

 

細かいことを気にすれば、例えば大井競馬場に行くのなら勝ち馬投票権(馬券代)はいくら使うのか(100円から購入出来る)そういうことを考えたり、闇金融から借金を借りて返しているわけだけど取り立てがそこまでの感じだったし、借金の描写が前半のみに集中していて、それが設定の1つぐらいにしか考えを感じないのが残念です。銭ゲバ感はゴウだけでいい気がするのに、後半は家族で100万円を連呼したり、ここもしつこいように感じます。

 

 

今回の菅田将暉くんの演技にほとんど欠点はなかったんですけど強いて言えばギャンブルや麻雀や女好きって言う設定があまり感じられなかったので、それは沢田研二さんの接点や雰囲気に寄せて欲しかったです。

 

 

今は話題になった漫画や小説は大概映像化される流れで、この小説もいずれ映像化するのだろうと想像しながら読んだ原作小説。それを山田洋次監督がメガホンをとる知った時は意外に思いました。小説の設定である洋画の名画座で上映される『ニューシネマパラダイス』から、昭和の日本映画を上映するミニシアターに変更になっていたけれど、それが「ヨサ」になっているから素敵。文庫本の解説を書いていた片桐はいりさんが1場面で出演されていたのも嬉しかった。一度見れば満足する邦画が多い昨今、時々、ふっと観たくなる伝統的な日本映画。

 

 

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テラシンの「テアトル銀幕」。

 

 

映画という完成度で考えてしまうと、新型コロナウイルスという社会情勢を作品に入れ込んだことで、後半部分はメッセージ性が高くなってしまっている。

 

 

これでいいのかもしれないが、何事もなく通常で映画製作されたのなら、どんな作品になったのだろう?とやはり思ってしまい、それが私のこの映画の鑑賞法の後悔です。

 

 

山田洋次監督が手がけた作品ということで、今後リメイクする可能性が低くなるため、やはりこれでいいのでしょう。

 

 

小学生の頃。父親に連れられて浅草六区の地下にある松竹の小劇場で『学校』を観た。

そんな幼少期の記憶が重なる幸福なデジャヴを得た作品です。

 

 

 

ありがとう 志村けん さん。

 

 

 

 

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【mAb】


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