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THE映画評論『Minari』

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前回の記事から1ヶ月近く間隔が空きました。

 

 

久しぶりの投稿になってしまい読者の方には「すまねぇ」の気持ちですm(._.)m

 

 

理由はハッキリしています。

 

 

実は3月の間は「映画館」に殆ど訪れておらず、月間鑑賞数は僅か3作品のみでした。

 

 

15年来の親友(片思い中)である我がHOMEのTOHO-CINEMASに至っては、1月に鑑賞した邦画『さんかく窓の外側は夜』から約3ヶ月の間、足を運びませんでした。

 

 

私のTOHOマイページ鑑賞履歴をご開帳。

 

 

 

image

 

 

鑑賞履歴だけを見ると私のTOHO離れが克明に表れています。

 

 

2ヶ月間・・2週間だって間隔を開けたことがなかったTOHOでの映画鑑賞。

年間劇場鑑賞数・平均135本ほどを10年以上続けてきましたので、単純に週に3回はTOHOシネコンにいた計算。

 

 

顔馴染みの劇場スタッフにすれば生存確認が必要なくらい事件かもしれませんね。

 

 

コロナ渦で外国の映画が中々入ってこないという事もあり、このまま映画離れになるのかな?なんて思ったりもしましたが、

 

 

これも単純な性格なので、映画を観ただけで、やっぱり映画が好きだ!となり・・記事を書くモチベーションにも繋がるのです(笑)

 

 

 

_______

 

 

 

『ミナリ』

 

 

 

 

 

監督🎬【リー・アイザック・チョン】

 

 

父親【スティーブン・ユアン】

 

母親【ハン・イェリ】

 

長女【ネイル・ケイト・チョー】(新人)

 

長男【アラン・キム】(新人)

 

祖母【ユン・ヨジャン】

 

 

従業員【ウィル・パットン】

 

 

配給[ギャガ]

本編[1:55]

 

 

 

 

 

「いい映画だったよ」とこの記事を書きながら体が言葉を綴らせます。

 

 

正直、鑑賞中はそれほどでもなく、評価は中の中という感じでした。

しかし鑑賞から2週間が経ち書き始めたところ、作品を振り返り総括した語り口が「いい映画だったよ」で始めたいと成ったのです。

 

 

題名『ミナリ』。

 

 

聞きなれないMinariという英語。

「セリ」の韓国名を「ミナリ」と呼ぶそうです。

 

 

セリといえば、「春の七草」を連想します。

そして東北旅が好きな私の場合、秋田県の郷土料理であるキリタンポ鍋等、お鍋の具材に入っている緑黄色野菜というイメージが強く・・あぁ想像しただけでお腹がすいて来ました(笑)

 

 

(食いしん坊Σ(゚д゚lll))

 

 

ただ、

 

セリについてこれまで深く考えたことがなかったので、知識を入れるためにWikipediaでセリを調べたところ。日本原産の草ということを知りました。

 

 

劇中の感じから韓国野菜だと思って鑑賞していたから・・・なんだかとても嬉しい。

 

 

 

 

 

 

以下は。Wikipedia内の中から本映画と関連性がある情報を抜粋しました。

 

 

・ 数少ない日本原産の野菜のひとつ

 

・ 西洋では食べる習慣がない

 

・ 北半球一帯とオーストラリア大陸に広く分布

 

・ 土壌水分の多い場所に郡生

 

・ 春に苗を植え付け、秋に収穫

 

・ 冬の野菜

 

・ 水田栽培の呼び名は「田ゼリ」

 

 

 

あなた様にとってセリは見慣れたものでしょうか??

 

 

東京の下町生まれの私には、子供時代から「田んぼ」は勿論、「畑」自体を見たこと自体が殆どないので、それらは遠足や旅行といった行事事でしか見る機会がなかったです。

 

 

そのためセリを見て育った記憶がなく、劇中の中でも雑草としか認識せず、正直大人になった今でも「どれがセリだか」見分けがつきません(^_^;)育って来た環境なんだなぁ。

 

 

大人になってようやく、セリのクセや苦味を味わうようになりました。

 

 

セリの話やエピソードトークをここまで語るつもりはありませんでしたが、語り始めたら・・これ性分。

 

 

西洋には馴染みのないセリという香草。

韓国移民のお婆さんがアメリカの川に苗を植え付けます。

 

 

アメリカで生活する娘夫婦のもとに、韓国から移住して来た老婆が、近くの川に持参したセリの苗を植える、という導入。植え付けや手入れの様子や描写があまりにないのは・・残念な点。

 

 

一つ想像を働かせると。

 

 

旅人が、自生しているセリを見つけて「どうしてアメリカにセリが!?大発見だ!」とかにならないのかな(^_^;)

まぁ植えるのに許可はないだろうから、結構好き勝手、生態系を変えるのだろう。

 

 

いや、ちょ待てよ。

 

 

私の2つ目の想像ですが、おそらく近くて遠い国の韓国としては日本原産野菜という自国輸入を認めたくないだろうから、「セリは韓国が原産だ!」と事実をすり替える人もいるのでしょうね。

 

 

(現在は、キムチの発祥は韓国or中国か?と、両国が綱引きしてるらしい。)

 

 

日本原産という言葉は守りたいなぁ。

 

 

___

 

 

 

まず初めに。今作品は本年度第93回アカデミー賞にノミネートを果たしております。

 

 

 

 

 

 

主要6部門では・・なんと作品賞・監督賞・主演男優賞・助演女優賞の計4部門でのノミネートという大快挙。

 

 

特に俳優部門は5人しかノミネート枠がありませんからね。名だたるハリウッドスターの中に韓国人が2名もいるなんて、個人的には驚きしかありません。それについて考える時間を設けました。

 

 

近年のアカデミー賞はデリケートで、打たれ強いのか打たれ弱いのか分からない。

 

白人が中心となれば差別だとなり、どんなにいい演技をしても大賞には選ばれない。

 

そんな年があれば、次の年には非白人を押す流れになり、だいたいその年は非白人(主に黒人)がノミネートや受賞をする傾向が強い。

 

 

今年も後者の流れになっています。大統領が交代したことも大きいかもしれませんね。

 

 

昨年の『パラサイト』は、素直に大絶賛できなくてねぇ(^_^;)これが天下のアカデミー賞の作品賞なの!?というモヤモヤが私の意識の纏を覆いました。

 

 

(自分の中で『万引き家族』の方が上だと思うから、外国語映画扱いではないことに納得出来なかったんだろうな)

 

 

昨年の記事です。

 

 

 

 

 

「前半はS」で「後半はB」と言った怒涛の展開で点数的には70点くらい。

 

それでもアカデミー賞の作品賞を受賞という歴史的大快挙を遂げたことは、本当に素晴らしいこと。

 

 

今作品は製作がアメリカでハリウッド映画という扱いになりますので、mAbの予想だと、助演助演賞を受賞する可能性が非常に高いと視ています。

 

 

 

 

(今年のオスカー助演女優賞部門は中堅と古豪の闘い)

 

 

正直、母国語でオスカーにノミネートして大賞を受賞するのなら、韓国としては理想的でしょう。

 

 

2年連続、大韓民国出身者がアカデミー賞のオスカー像を手にする画は・・永遠のライバルである日本人としては、先を越された感が強いし、予想しにくいのですが、

 

 

一度受賞すると免疫が出来ますから、今後も韓国がアカデミー賞常連国となるのは間違いないでしょう。

 

 

それでは程良く、この素敵な映画を語りたいと思います。

 

 

___

 

 


 時の大統領はロナルド・レーガン。

アメリカに移住し暮らす韓国移民の物語です。

 

 

1月期の深夜ドラマ『その女、ジルバ』の脚本にどハマりしました。

そこから太平洋戦争・戦前戦後の日系ブラジル移民を検索し、Wikipediaのページから各国に移住した日本移民の歴史をネットサーフィンして熟読したタイミングの鑑賞だったので、この映画への興味関心はのっけから強かったです。

 

 

主人公一家は人物(家族)構成がハッキリしているので、本編鑑賞中に「ここに至るまでの背景」が理解しやすいです。

 

 

対して、主人公一家(アジア人)以外の(白人の)相関説明は極端に弱いですね。エキストラ程度。

 

 

「家族以外」は外野のようにも感じるし、こういう箇所は「家族」に執着的に展開しすぎている感があります。いい意味で視点が集中していて、悪い意味で視野(執着しすぎて周囲を見渡さない)が狭くなって描かれる。

 

 

(韓国映画+アメリカだと、血縁者で一箇所に固まるような「ポツンと一軒家」に視えます)

 

 

私の解釈だけで書き進めていくので実際に思い描かれた「正解」とは異なるかもしれません。その点はご了承下さいm(._.)m

 

 

 

【イ】一家が、米国アーカーソー州の草原に移住するシーンから映画は始まります。

 

 

アーカーソー州って・・・どこ??

 

 

位置を確認いたしましょう。

 

 

 

 

アメリカの南部。やや東部よりです。

 

 

周囲にはテネシー州・ミシシッピ州・オクラホマ州・テキサス州・ルイジアナ州と南部でも有名な州が多く、南部色の強い土地柄なのかなと想像致します。

 

 

こうしてみると「海なし県」の話題で盛り上がる日本とは規模が違って「海なし州」が殆どなんですよね、大陸って。

 

 

 

主人・【ジェイコブ・イ】

 

夫人・【モニカ・イ】

 

 

二人の間に、長女【アン・イ】、長男【デビッド・イ】がいて、未就学児の幼いデビッドは心臓に持病を持っています。

 

 

(以下、first name名前表記)

 

 

先程の冒頭書きに

もう1設定、付け加えます。

 

 

アメリカに移住した「クリスチャン」の韓国移民の物語です。

 

 

日本は宗教に関してとてもデリケートな国なので、上の言葉1つでまた違った想像になると思います。

 

 

韓国人にクリスチャンが多いことは、恥ずかしながら昨年韓国の教会で新型コロナウイルスの大量クラスターが発生したニュースで初めて知った次第です。

 

 

この一家は他の韓国人移民とつるむ事を避けているので、アメリカ南部の白人(中心)教会に通っています。避ける理由は「色々あるのよ」とセリフにありましたが描写はありませんので、想像のみの解釈です。

 

 

そして過疎化的な脳内でお恥ずかしいのですけど・・

 

個人的に違和感なのが、イングリッシュネームなんですよね。

 

 

ジェイコブとかデビッドなどは白人の名前として脳が認識しているので、すんなりと名前が入ってこないんです。

 

 

(極東人の西洋進出・国際化の昨今に何を言ってるんだ!という話ですが。。)

 

 

極東人が祖国の名前を付けないのは私には違和感があるので、疑問を調べてみると、ネットに記事が挙げられていました。

 

 

納得のできたコラムを貼らせていただきます。

 

 

 

 

 イングリッシュネームは欧米圏で暮らしていくには便利という理由もあるし、そもそもこの一家はクリスチャン。

詳しいことは知識不足なので膨らませるつもりはないですが、その都度勉強したいと思っております。

 

 

___

 

 

 

引越し先に向かい一本道を走る車が一台。

アメリカ映画では非常によく見るオープニングです。

 

 

その車内の顔立ちが白人や黒人ではなく平たい顔の黄色人種というのは・・・アメリカ映画では、これ珍しい。

 

 

ちなみに韓国人の顔の特徴で検索したところ、韓国人はアジアの中で目が小さく、顔が平べったくエラが張っている、と説明されていました。参考にした記事のリンクを貼らせて頂きます。

 

 

 

 

 

草原に横長のトレーラーハウスが1台、停まっている。

今日からここが我が家だと、運転席から降りた大黒柱の父親が云う。

 

 

 

 

まだ踏み台のないトレーラーハウスの玄関。80cmは高さがある入り口に足をかけ飛び乗って、主人は家族に手を差し伸べる。

 

 

2人の子供たちは状況に臨機応変。両親がいれば何だって大丈夫。子供ってそういうものだと思う。

だけれど妻は不安げで動揺している。「なに、ここ?」「大丈夫なの?」

 

 

ジェイコブはこの田舎の地で畑を耕し、韓国野菜を作り、都市のコリアン商店に卸そうと農業開拓を夢見て移住を決めました。

都市には韓国移民は多いが、良質な韓国野菜が少ないことに、目を付けたわけです。

 

 

農業の素人である私が見ても、無謀な夢だと思いました。ここを開拓していくのは並大抵の努力では難しいと思いますし、何より、自分一人で開拓を行おうとしているからです。

 

 

ジェイコブの決意は固く、タンスの奥に貯めていたドルを使い、中古の耕運機を現地のアメリカ人から購入して行動していく。

 

 

だがいかんせん!資金がない。この最も定番な問題がネックとなり、このドラマに終止付き纏うのです。

 

 

男のジェイコブはいいです。夢がありますからね。

だけれど、妻は不安で心細い。2人の子供のことも第一に考えたい。

 

 

女性のタイプも様々で、こういう家族映画の際に「女」を強く出すか「母親」を強く出すかで分かれます。

 

 

妻のモニカは母親として存在感の方が強いです。前半終わりに韓国から母親が移住し同居しますが、それ以降は保護者的な感情表現が多くなる気がします。

 

 

夫が引越し先を決め、家族で移動。

「あなたの夢が私の夢」という女性ではなく、「あなたが決めたことに付いてきた」という感じの女性に思えます。

 

 

開拓は夫1人で行います。農耕民族なんだから夫婦で耕せばいいのに・・と思うのは昭和の考えかな。

 

 

___

 

 

 

夫婦は韓国からの移民で、長男だけがアメリカで出生したと映画から知り得ます。

 

 

それを知ると韓国時代の生活映像(回想シーン)も劇中にあったらいいのになぁ・・と細かい描写にこだわる私は思ったりするのですが、アメリカで踏ん張る移民の話ですからね、過去の描写は必要ないのかも知れません。

 

 

また、アメリカで生まれた長男は韓国語と英語を話します。妻のモニカが若干英語に手間取っていますが日常会話は問題ない。これって移住先で生活する上でとても大きいですよね。

 

 

この映画の理解を高める上で、最も重要人物だと思うのが妻であり母親のモニカなので、彼女についてを特に注視して鑑賞しました。

 

 

夫婦喧嘩の言い合いから、妻のモニカは韓国時代の出身地はソウルだったと知ります。

 

 

「都会出身の君には分からない」と旦那が言います。

追い込まれた時に感情的にいう「君には分からない」という口喧嘩。言われた方は突き放されたみたいに感じてショックなんですよね(^_^;)

 

 

ただ、モニカは都会出身という雰囲気を出さないし、妻としても母親としても献身的に仕事もしている女性に視えます。何れにしても「夫婦喧嘩は犬も食わない」ので・・次に進みましょう。

 

 

(アカデミー賞の選考では最も好まれる要点の気がします。口喧嘩のシーンはね。)

 

 

慣れない土地+海外生活+友達がいないという環境に心細さを感じている。

そんなモニカの気持ちを読み解くのも、この映画を語る上で外せない点でしょう。

 

 

だからこそ子供たちの存在が救いになるわけですからね。

 

 

___

 

 

 

 

長女のアンは年齢10歳くらいかな。公式サイトには記載がなく、プロフィールの情報から今年で12歳と知ります。



描写こそありませんが、この地に引っ越し、地元の一般学校に通っていると想定します。

 

 

(学校の描写がないのが残念!韓国人学校とか近くにあるのかな?都会だったらあるだろうけど。)

 

 

弟の面倒見が良く、母親や父親も「しっかり者」という信頼を寄せています。

 

 

 

 

そして何より英語を苦にしないのでコミニュケーション能力が高い。夫婦が移住した時期は長女が幼い頃でしょうから、物心ついた頃から英語がネイティブに身に付き、母国語の韓国語と二ヶ国語を喋れる。

 

 

対して、未就学児の長男は、良い意味で「手のかかる子」。しっかり者の姉、好奇心旺盛な弟。この性格の関係性がとてもいいです。

 

 

子供は天使と表現される。まさにそれ。

 

 

 

 

子役の2名は共にアメリカ在住で本作品が俳優デビュー作とのことです。

 

 

それを感じさせないのは、ハリウッド映画の人選眼なんでしょう。

また、「この両親の子供」と考えた時にしっくりくるので、きっと骨格的にも顔の作り的にも計算して選んだのでしょうね。

 

 

日本では両親役と子供役の顔立ちの系統が似ていない事が非常に多いので、懸念して来ましたし、それが私のハリウッド愛への方向を強く向かせた要素の1つです。

 

 

___

 

 

 

農地を開拓し、タネを植え出荷する。それまでには歳月がかかり、農業経営に使うために貯めた資金は直ぐに底をつきます。

 

 

夫婦は同じ孵卵工場でヒヨコの鑑別(性分け)をする仕事をしていて、それが収入源です。

 

 

前に住んでいた土地でも同じ仕事をしていたそう。

 

 

ひよこの鑑別。完全手作業で、1羽1羽ヒヨコのお尻を覗いて性別を見分けます。

 

オスとメスを籠ごとに分けていくのです。

 

 

夫のジェイコブはその道のプロで、新しい職場でも即戦力。工場1のスピードと正確さを誇るTHE・職人。

 

 

妻のモニカはまだ不慣れの段階で、ヒヨコを家に持ち帰り勉強をしています。おうちピヨピヨ。

 

ここの説明も劇中にはありませんが、おそらく生活費のために自分も始めたんだと想像します。

主人のように上手く出来なくて・・と隣の韓国人パートに話していましたから。

 

 

このヒヨコ工場のシーンで印象に残ったのは冒頭。

 

 

この段階では子守がいないので、未就学児の長男デビッドを工場に連れて来ています。託児所はないのでフラフラしている感じ。

 

 

屋外に煙草休憩に出た父親に添う長男。

 

 

煙突からモクモク。「あの煙は何?」と指差して聞く。

 

 

父親ジェイコブは「あれはオスのヒヨコを殺処分しているんだ。オスは卵を産まないし、食べても美味しくないからね」と教える。

 

 

このシーンは結構私には衝撃的でした。

 

 

見方を変えれば、この工場でジェイコブやモニカは、瞬時に命の選択をしているわけ。

メスに生まれたら繁殖・食用となり、オスに生まれたら殺処分。成鳥になる前にヒナの段階で処分する。

 

 

こういう描写って日本の作品では描くことが少ないですね。

そういう日常的な免疫が日本で生まれ育った私にはないので衝撃的に感じるのです。

 

 

中韓の映画を見ると「命を頂くこと」の描写が残酷だったりしますが、アメリカ映画として考えるととても合っているワンシーンでした。

 

 

長くなりましたが、ここまでが映画開始20分で描かれる『ミナリ』です。

前半部分まで書こうと思いますが、こんなペースで書いていたら、読まれる方も嫌気が差すだろうと思います。

 

 

・・・頑張って読んでください。

 

 

(簡潔に書くとは宣言しないんかーいΣ(゚д゚lll))

 

 

____

 

 

 

(シーンが変わると)韓国から渡米して来たモニカの母スンジャ。

 

 

(イングリッシュネームではないから、個人的にはしっくりきます。)

 

 

これは私の想像なんですけど、祖母はテレパシーみたいに娘のSOS(心細さ)を感じて、アメリカにやってきたのだと思います。

 

 

「お母さん、淋しいよ、助けてよ」という描写は一切ないため、夫婦喧嘩の言い合いの末の解決が、韓国から母親が移住してきたというシーン展開になります。

 

 

年老いた母親が、娘夫婦の家で暮らすというのは日本でもよくある事だと思いますが、外国への移住というのは非常に大きな決断だと私は思います。

 

 

祖母スンジャは70数年の間韓国で生きてきた女性なので、韓国に未練はないのかな?とも想像しましたが、それ以上に娘のことが心配で、終の住処となるアメリカに渡米したんでしょうね。

 

 

(時差ボケ等なかったのだろうか?)

 

 

お年寄りは腹の括り方が違うと思います。

 

 

スンジャがトレーラーハウスに到着し、子供に「今日から一緒に暮らすのよ」と。

 

 

母親の顔を見て心から安堵するモニカ。見た感じ義母とは当たり障りのない関係性のジェイコブ。

 

 

続いて孫と御対面。アンには「大きくなったね」。デビッドとは「初めまして」。初対面は近寄らない。

 

 

スンジャが住むことになると、日中は子供達の子守を彼女に任せ、夫婦は其々仕事に出れるようになりました。

 

 

これによりジェイコブは畑仕事に没入する時間が増えたり、ヒヨコ工場にも連れていくこともなくなったので、映画の展開が2者方向と可動域が広がり(映画が観やすく)スムーズになっていきます。

 

 

だけど自分が思い描いた「お祖母ちゃん像」ではないのが意外です。

 

 

祖母スンジャは家事や料理が出来ず、勉強もろくに出来ない、趣味は花札。

 

 

趣味が「花札」ということで東京の下町育ちの私にとっては、子供の頃に祖父母がしていた記憶があるので懐かしいけれど、この時代の女性で家庭の仕事が出来ないと宣言している人は珍しくて意外。

 

 

そのくせ韓国から韓国食材や苗を沢山持って来るので、だったら料理は出来るんじゃないのかな?なんて思ってしまったり(^_^;)

 

 

兎に角、登場から暫くの間の祖母スンジャは、口が汚く、梅干し口のお婆さん、という印象が強かったです。

 

 

(中盤以降は明らかに表情が柔らかくなるので印象が変わります)

 

 

前半のハリケーン注意報の夜の夫婦喧嘩で、先ほども書きましたが、妻が「都会出身」とネタにしていましたけど、つまりモニカの実家はソウルという事でしょ。ソウルと言ってもピンからキリまであるだろうけど、都会の括り。このお祖母さんと都会ってどうも結びつかないんですよね(^_^;)教会の募金を盗んだりしてるし。

 

 

____

 

 

 

4人家族が5人家族となり、

 

 

両親はヒヨコ工場で働き、それが収入源。

 

 

父親は工場仕事の傍らで、本業にしたい農園の開拓に精を出す。

 

 

イ農園には従業員が1人。中古の耕運機を売ったカトリック教徒のアメリカ人に雇用を懇願され、以降は2人で行います。

 


そのアメリカ人ポールは、十字架を背中に背負いながら歩く、地元でも有名な変人でしたが、農業の知識は深く、文句も言わないので功労的に役立っています。

 

 

2人の子供は穏やかで優しい性格です。

 

 

長男のデビッドは心臓に持病を持っていて、母親や祖母の心配の様子はスクリーン越しから伝わってくるほどでした。

 

 

そのデビッドと祖母スンジャは、初対面だったからか子供の喧嘩みたいに因縁の相手でしたが、一悶着を経て「最愛の孫・祖母」の関係性になってからは、美しい家族愛だなと思いながら観ることができます。

 

 

 

 

 

 

(おばぁちゃん。って感じですよね(^ ^)とても自然でした。)

 

 

映画の物語紹介は一先ず書き終わりましたので、最後にいくつか総括した視点を書いて記事を締めたいと思います。

 

 

____

 

 

 

映画を観ていく途中で、観客は先の展開を予想する、こう来たらこうなるだろうと。

 

 

その描写が描ききれていなかった為、仕方がなく、こうなったんだろうと、自分なりに納得させて消化不良を感じないようにした。

 

 

アメリカ合衆国は移民大国ですが、移民にとっては、祖国があるぶん居心地だったり肩身の狭い想いは必ず経験があると思います。

 

 

なかでも「南部=白人社会」の地域で生活する物語なので、「アジア人への人種差別」という描写は必ず描かれると予想しましたが、この点は拍子抜けしました。

 

 

この映画の白人たちは、いい意味で無関心で、色物を見ている感じはしますけど、だからと言って仲間はずれにはしないんですよね。

 

 

白人の教会のミサにアジア人一家が1組混ざっていると、変な例えになるけれど「みにくいアヒルの子」みたいに指や目線を指すと私は考えるのだけど、崇める者(イエス・キリスト)が同じということで、フレンドリーさがありました。

 

 

 

 

のちに友人となる白人の男の子が、デビッドに「君はおかしい。どうして顔が平たいの?」と真剣に聞いたシーンは、日本人の私にとっても心当たりがありますからグサッ!と突き刺さりました。この台詞を素直な子供に言わせるのがいいですね。悪気がないので。

 

 

____

 

 

 

日本だと、ワイワイガヤガヤ、「貧乏だけど笑顔が絶えない家庭」という家族ドラマが理想的ですが、

 

 

この家族は家族4人ともそこまで笑顔がなく、妻も「フッ」と笑うタイプだし、賑やかな性格ではありません。

 

 

だからこそお婆ちゃんという明るさがカンフル剤になっているように感じます。

 

 

欧米人は表情豊かなので、アジア人の表情は何を考えてるか分からないなんてよく聞きますけど、

 

それを象徴している映画のカットがこれで

 

 

 

 

笑顔の少ない家族だけど、幸せの感じ方は心の中を覗かないと分かりませんからね。

 

 

____

 

 

 

次の記事で書く予定のロードムービー『ノマドランド』も同じなんですけれど、水の滴る様子だったり風景や鳥の飛翔など、生きとし生けるものの様子を、展開(日付)の切り替えの際にワンショットで差し込んでいます。都会の映画だとない描写ですね。

 

 

味気のない見方ですけど、なんというか・・こういう固定カメラで映す風景のカメラワークは(賞レースを意識した)流行りなのかな?と思って観てしまいました。

 

 

(26日のアカデミー賞。『ノマドランド』は作品賞最有力と予想しますが、自分的には「面白い作品」ではなかったです。)

 

(※『ノマドランド』はアカデミー賞の式後に記事にする予定です。)

 

 

主演のジェイコブを演じた【スティーブン・ユァン】[37]は、海外ドラマ『ウォーキング・デット』シリーズのメインキャストのグレン役として人気を博した韓国人。

 

 

映画鑑賞中心の私も、上記の作品は殆どネット鑑賞してきたので、ドラマ出身の俳優を映画で観る機会は少ないので嬉しかったです。

 

 

個人的には「何故?」ですが、スティーブン・ユァンは主演男優賞にノミネートしています。

 

 

今年の主演男優賞は、先日癌のため43歳という若さで亡くなった【チャドウィック・ボーズマン】が受賞になると思いますが、ハリウッドの花形であるアクションも出来て、今作でドラマ演技も評価を得たので、アジアを代表するハリウッド俳優になるのかしら。

 

 

妻・母親モニカを演じた【ハン・イェリ】[36]も韓国では中堅の大女優だそうです。公式サイトには10回以上の受賞に輝いていると記されています。たいしたもんだ。

 

 

 

 

こちらの女優さんも初見で、私には【スティーブン・ユァン】だけが「観た顔」。まぁでもその方が、なんの先入観も持たないので、映画のみを視るには好条件だと思います。

 

 

ハン・イェリさんは・・じっくり観察しましたけど、表現力よりも演技力の方が全面で出るタイプの女優さんですね。

 

 

お顔立ちが私には【綾瀬はるか】さんと【安藤サクラ】さんを足して2で割った感じに観えて、

 

遠目からだと、綾瀬はるかさんのモノマネをされる【沙羅】さんに似ていると思います。綾瀬はるかさんをギュッとした感じ。

 

 

ウィキペディアやGoogle画像では、今作品のモニカとは雰囲気も変わり、可愛らしいルックスでびっくりしました。

目が細くて鼻が丸い、先ほどリンクを貼らせていただいた記事に書かれていた韓国人の特徴がマッチする。

 

 

 

そして忘れてはいけません。

祖母役を演じた女優【ユン・ヨジュン】[73]は韓国では大女優という地位ということなので、韓国映画やドラマが好きな方には、初見の私を「どうして知らないの?」と思われるでしょう。

 

 

この年代の女優さんって熟成されていますし、日本でも同等かそれ以上の演技力がある方が数名思い浮かびます。

(こういう役柄を演じさせた時に私が思い浮かべる女優は、桃井かおりさんと、故・樹木希林さん。)

 

 

初登場は「教養のない粋なお婆さん」という印象ですが、「孫命のお祖母さん」という中盤、展開にキッカケを与える後半。演技や表情も3パターンはあり使い分けていますので、冒頭にも書きましたが、私の予想では助演女優賞の筆頭です。

 

 

韓中の映画やドラマは殆どと言って観ていないので、記事で語ろうとすると、知識力の無さが露呈してしまいますね・・もう少し観てみようかな。(ちなみに最近、Netflixに加入したので『愛の不時着』だけを観ています。北朝鮮の物語、興味深い。)

 

 

最後に。本当に最後に。

 

 

恒例となっている劇後にスマホのメモアプリに箇条書きした映画の寸評のコピペです。

今も当時も書き手は私自身なので、同じチョイスをしている箇所もあると思います。

 

 

韓国映画の最大の特徴は良い意味でも悪い意味でも怒涛だと私は思っていて、昨年のオスカー然り、展開がハマるハリウッド映画は韓国の作風と合っているのだと解釈した。日本は展開よりも脚本重視の国だから作風自体が違う。

 

今作は2年連続で韓国系が米国のオスカーを狙うわけだけど、開拓移民+韓国のわりに思ったほど「泥臭くない」し、部分部分の出来事を丁寧に描いている、言ってしまえばそれだけ。

 

男優はデッドで馴染み。女優は綾瀬はるか似。お婆ちゃんはタイトルのミナリ(セリ)から幸運を呼んでくる存在なんだろうと想像。あれだけハッキリ喋り、目の中に入れてもいたくない孫を「死なせない」と抱きしめて眠った翌朝に、脳卒中。親が子供に対して身代わりになりたいと祈る体現を感じた。ここの「奇跡」の説明を描き切ることが出来たら、もう少し得点が上がるけど、中途半端で残念。

 

また、この映画の最大の設定が宗教、カトリックで、宗教にデリケートな日本ではこういう設定をまず描かない。韓国は大陸だし、鎖国化の日本よりも早くキリスト教が拡がったのかな?と想像するし、正直昨年のコロナで韓国の教会の存在をWikipedia先生で検索し、色々知識を覚えた次第。カトリック・移民=アメリカ映画の世界観に馴染むのは必然なのかなとも思った。ところでワンシーンに注目。心臓に持病を持つ長男のタンクトップの絵が、おそらく日の丸で、ジャポニカな服だと思います。韓国は『鬼滅の刃』を始め、近年日章旗とか度々文句を付けてくるから気になりました。

 

現地のアメリカ人(白人)に「どうして平たい顔なんだ?」と聞かれていたけれど、日本人も同じように見えるはずから区別なんてしていないんだろうな。細かい点を気にしなければ(それが一番難しんだけど)非常にいい映画です。

 

 

韓国系の演者の演技は「キレ」と「泥臭さ」の2つが際立って表れると私は思っています。

演技(の感情表現)も熱演となるので、リアクションの大きいアメリカ向き。

 

 

それを踏まえると、子役の男の子も含め、父親(男性陣)の演技は、上手は上手だけれど以前にも味わったことのある・観たことのある想定内の演技に視え、加点はないです。

 

 

孫・娘・母親、

3世代を演じた女優陣の演技を高く評価したいです。

 

 

そしてこの記事を書いていて、何というか、心地がよく穏やかな気分で描けたことを伝えたいなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

脚本 13点

演技 16点

構成 14点

展開 13点

完成度14点

 

 

[70]点

 

 

 

今回も長くなりましたが、最後までお読み頂きまして有り難うございます。

 

 

 

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THE映画評論『Nomadland』

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先月4月25日。

3ヶ月ぶり3度目の緊急事態宣言が発令されました。

 

 

連休前に期限を決めた短期集中の運びでしたが、結果として運ばれたのは災-WAZAWAI-で、

 

「緊急事態宣言地」となる都府県の「国民」と「国」の息が全く合ってないかったように感じます。

 

 

そんな不審感情を、私が愛する映画の記事の中に書き出しとはいえ差し込むのは脱腸の思いですが、スルーも嫌なので自分と関連する考えはお伝えします。

 

(断腸ね)

 

 

関東では唯一、私が住む東京都が緊急事態宣言の対象地となり、映画館に関しては昨春以来二度目の休館となっています。

 

 

昨春の時は、宣言地がその後全国に拡張しましたので映画館も休館しましたが、

今回の場合は4都府県(5月11日までの宣言地)限定になるので、特に私のように商業施設内にあるcinema complexを利用して映画鑑賞する者にとっては気になることがあるのです。

 

 

4月25日ー5月11日の間。

東京や近畿3府県以外の映画館は営業されているため、予定通り新作映画が公開されているかと思いますが、

 

 

例えば『るろうに剣心』(先月23日公開)等は既に上映されていますが、緊急事態宣言下では鑑賞する術がありません。

 

 

23・24日で駆け込みで観られた方以外で、「るろ剣、鑑賞して来たよ!」なんて言うと「えっ?」と引かれてしまうかもしれませんね(^_^;)。それこそ信用問題に関わる。

 

 

映画館の受付で住所が判る身分証の提示はないので、例えば、荒川や多摩川や中川を超えて千葉・埼玉・神奈川県で鑑賞する術はありますけど、そこは何というか・・東京出身プライド(^_^;) あっしは緑のご貴婦人の下僕でございます。

 

 

「東京で映画が観れないのなら・・千葉や神奈川に行けばいいじゃないの!」

 

なんてマリー・アントワネットみたいに空気の読めない思考はありません。

 

 

気になるところの話に戻りますが、

 

緊急事態宣言が明けるのは今月下旬か、再々延長になった場合 来月の中旬辺りになるでしょう。

 

 

(東京都で話を進めて恐縮ですが)その時には『るろうに剣心』等の4月末〜5月に公開された新作映画は公開1ヶ月を過ぎていている状態。

 

 

(蔓延防止等重点措置の地域が緊急事態宣言地に変わる可能性も高いと予想しますが)

 

 

そうした宣言地以外で公開された新作映画は、公開第1週の扱いでリスタートするのかな?

 

 

他県では1ヶ月が経ち上映終了した作品が、東京では公開第1週扱いなんて状況になるのかな?

 

 

そこのところが気にあります。シネコンでロードショーされる映画は上映期間が短命。早く観なければロードショーが終わっちゃう!・・なーんて長年の映画館鑑賞気質でソワソワしてしまうのです(^_^;)

 

 

(『るろうに剣心』は数ヶ月上映するので余裕で待てますが、通常2週間ほどで上映終了になる洋画やミニシアター系の作品が他県のTOHO・MOVIX・Unitedのサイトで見つけるとソワソワする(^_^;)そもそもの上映本数が少ないので暫くは今ある作品で回してていくのでしょうけど)

 

 

前書きの段階で長く書いてしまいましたm(__)m

 

 

2004年、17年前の公開。

私が大好きな映画『ターミナル』のキャッチフレーズに「人生は待つこと」とあります。

母国で内戦(クーデター)が起きパスポートが無効。アメリカに入国出来ず空港内で暮らした主人公を描いた作品です。

 

 

COVID-19に感染した主演の【トム・ハンクス】の名作に習い、待つことの先に好転があると信じて。

 

 

 

_____

 

 

 

まず作品を書く前に。

 

 

先日。アカデミー賞の本番前に記事にした『ミナリ』で、予想した通り韓国人女優【ユン・ヨジャン】[73]が見事アカデミー賞主演女優賞を受賞しました。おめでとうございます👏👏

 

 

歴史的大快挙。日本ではニュースで一報は伝えられましたが、そこまで大きな話題にはなりませんでしたね。本当は特集を組むレベルだと思うのですが。

 

 

過去に【菊地凛子】さんや【渡辺謙】さんが同賞の助演(女優・男優)賞候補になった際は、連日ニュースで盛り上げましたので、少々寂しい気持ちでした。

 

 

近くて遠い国。実力の距離まで遠く離されてしまいました。

 

 

『ミナリ』は心から良い作品でしたし、今年度は助演賞の顔ぶれの中にアジア系のお年寄りが1人いて、私の目には人種的にも目立って観えました。こうした条件が揃うのもタイミングなのだと思います。改めておめでとうございます。

 

 

では続いては作品賞・監督賞・主演女優賞と主要3部門を受賞した映画を語ります。

 

 

 

『ノマドランド』

 

 

 

 

 

監督🎬

【クロエ・ジャオ】

 

 

CAST:

 

ファーン

【フランシスコ・マクドーナンド】

 

 

デヴィッド

【デヴィッド・ストラザーン】

 

 

配給[ウォルト・ディズニー・ジャパン]

 

 

本編[1:48]

 

 

 

 

 

 

日本では3月26日〜の全国公開。

アメリカでは2月の公開とあります。前年1年以内でロサンゼルスで上映された作品がノミネートに該当する。アカデミー賞のルールとしては特例だと思いますが、大会直前に公開されたことにより、熱度や記憶を保ち、より受賞に近づいた印象を私は持ちました。

 

 

ジャンルはロードムービー調のドラマ映画。

 

 

2008年のリーマン・ショックの余波により家を手放すことになったシニア女性ファーン。

 

 

彼女は1人、自家用車でアメリカ国内を移動し、行く先々で日雇いのアルバイトをしながら車上生活を送り続けていく。そんな彼女の「人生ここから」な旅行記です。

 

 

 

 

 

メインキャスト(俳優)は主に2名のみ。

 

 

劇中で出演される登場人物は実際に車上生活をされている方々を起用しているそう。

 

 

彼等が演技経験者か未経験者かは分かりませんが、映画の中ではあまりに自然体で芸達者な素人様方。

 

 

ドキュメント映画で俳優の方が素人の方にインタビューする等のシーンをよく見かけますけど、

 

実際の方を起用する場合、プロの俳優と違い独特な空気感が出ますが、俳優と呼吸が合っていて誰の目にもちゃんとした演技が出来ているから、先程も書きましたが自然体で良いです。

 

 

今作で3度目アカデミー賞主演女優賞受賞となった【フランシスコ・マクドーナンド】[63]。

 

 

まさに二足・三足の草鞋。主演でプロデュースも手掛けた彼女の、今作までの経緯を知ると、改めてアメリカという国は自己プロデュースに長けていると脱帽します(*_*)

 

 

Wikipediaに記載されている情報です。

 

 

2017年に原作本を読み感動→若き日に思い描いていた「自分のシニア像」はまさにRV車で放浪生活→しかし理想と現実は違う→マクドーナンドはこの原作本を映画化したいと動く→自分のお眼鏡に叶った監督を起用→翌年には主演で撮影が開始→3年後にアカデミー賞受賞。

 

 

「これを映画化するわ!」と使命感を得て製作し、その3年後に主演女優賞。

小説を読んで、ビビビと来て、製作すると言う流れは舞台に映像にと、非常に多いパターン(出逢い)ですけど、そこからアカデミー賞まで行くのは、それは運命でしかない!

 

 

さらに、自らが起用した監督の【クロエ・ジャオ】も今作でアカデミー賞監督賞を受賞しましたので、運命的な巡り合わせです。

 

 

 

 

若干39歳の女流監督。中国出身。有色人種の女性で初めてのアカデミー賞監督賞受賞です!!

 

 

(ジャオ監督は過去に故郷である中国批判を行ったそうで、中国ではこのオスカー受賞という大ニュースなど彼女の名誉は反感報道として扱われたそう。かなしー。)

 

 

過去の監督作品は日本では上映されていないので、お名前を存じず今作が初見です。

昨年は韓国人。今年は中国人。という流れですから来年は・・それは無理か。来年は難しくても将来は是枝監督が筆頭候補!

 

 

 

フランシスコ・マクドーナンドに戻〜る。

 

 

アカデミーフリークの私としては、シニア女優でアカデミー賞に愛されている女優は【メリル・ストリープ】の一択だったのですが、

 

 

2017年(日本公開2018年)の『スリー・ビルボード』で二度目の主演女優賞を受賞されてからは、なんと言うか・・風向きが変わった気がします。

 

 

 

 

メリル・ストリープは私の目には女性的な演技で気丈や芯の強い女性像。対して今作のフランシスコ・マクドーナンドは男性的な演技で素朴。相手の目をじっと見る視線以外は対照な二人。

 

 

私が鑑賞して来た彼女の作品では母性的や女性的な部分をあまり魅せていないため、『スリー・ビルボード』の印象が強く、今作も正直、汚い言葉や乱暴な態度で演じていたら苦手だなぁ・・と思っていたのですが、とてもいい意味で「普通のおば様」だったので安心しました。

 

 

男性的と書きましたが、今作は車上生活者を演じメイクも薄いので、ケービン・ベーコン系の男性的なお顔に観える場面も多かったです。超越しているなぁ。。

 

 

 

主演フランシスコ・マクドーナンド=監督クロエ・ジャオ

 

 

ジョニー・デップとティム・バートン。レオナルド・ディカプリオとマーティン・スコセッシ。個人的にはソフィア・コッポラとエル・ファニング。監督と俳優の共同の絆って強いですから、今後も『ノマドランド』出発の女性コンビが賞レースの主役となる可能性は大でしょう。

 

 

Nomad Land

 

 

Nomadのノマドの意味は「遊牧民」や「放浪者」などを意味し、現代では「時間や場所の概念に捉われずに働く」ノマドワーカーと呼ばれる働き方もありますね。

 

 

Landのランドは普段から聞き馴染みのある遊園地を意味したり、国や領地を意味します。

 

 

直訳すると「遊牧民の国」。

深刻な経済危機の余波で仕事や家を失ったシニア世代の物語ですから、それを「遊牧民の国」と表現するのは、とても想像力があって良きタイトルだと思いますね。

 

 

(日本でも大ヒットした2017年の同賞受賞作『ラ・ラ・ランド』以来のランド名)

 

 

洋書を読まない私は原作となった小説を読んではいませんが、読んでいないから、「シニアの放浪体験記」を自叙伝に記し出版しベストセラーになったという見方を気軽にしてしまいます。

 

 

______

 

 

 

作品の流れを汲みながら、最後まで書いていきます。

 

 

主人公のこだわりが詰まった作風。

 

 

この映画を見て一番初めの率直な気持ちは「色々あるんだな人生って」でした。

 

 

一人旅をしてみたい。自分がリタイア世代になった時にそういう憧れを持っていた。

だけどいざリタイア世代になった時に、現実はあの頃に思い描いた未来ではない事が殆ど。

 

 

主人公のように、家を失い自家用車で移動する生活を送る事は、思い描いた方向性ではないはず。

 

 

 

私にとってアカデミー賞の作品賞に選ばれる作品面白さよりも統一性・芸術性であることが受賞の決め手かなと思っていて、

 

その思考から伝えれば、今作品は特別面白くないし、人によっては見ていて飽きてくると思います。申し訳ないですが。

 

 

だけど、芸術性という面ではやはり素晴らしくて、自然の美しさの前に人間は一部でしかないと教わる。

 

 

何より「生き方」の貫き通し方だったり命が美しいことを考えられますし、この映画を見ていて(例えば鳥肌みたいに)肌で感じるようでした。

 

 

___

 

 

 

独り身の初老の女性が、自家用車(RV(レクリエーショナル・ビークル)車)で独り旅をしながら、「その日暮らし」をしていて・・

 

 

端から見れば、書き手の私から見ても、「孤独な人・変わっている人」に映るのですが・・

 

 

各々事情があって自分探しの旅をしているわけで・・本人からすれば「放っておいて」でしょうし、彼女と同じようにアテもなく旅を続けているノマドランド達は劇中に確かに存在している。ゴールのない旅をしている。

 

 

劇中の焚き火を囲んで語り合うシーンで言っていたけれど、彼ら(ノマド)の多くが主人公のように老人で、独り旅が多いらしい。基本はシニアの独り旅。。淋しい印象を受けるのは私だけでしょうか?

 

 

還暦や喜寿など、記念で夫婦旅をする境遇ではないから会話も少ない。

 

 

日本で考えると、お年寄りになってから独り旅に出かけるのはイメージが湧かないし・・四国のお遍路さんくらいかな。

そもそもアジアの高齢者の旅は仏になっていく道筋にあるからね。家族に頼らない

 

 

今来た道に話を戻します。

 

 

ノマド達の多くが老人という訳ですから、旅の途中で顔見知り(仲間)の訃報を聞いたりします。

 

 

こうしたオバ様同士の「息抜き」の画もあります。

 

 

 

 

ワンショットでもこういったポップなシーンを用意することで、数分間だけでも微笑ましく見ることが出来て良かったです。

 

 

_____

 

 

 

劇中を観察しながら「静かな雰囲気だな」と思いました。

 

 

 

 

コミュニケーションは挨拶程度で、身の上話を語る相手もいるけど、それは時々で。広く浅くの関係性

 

 

情報を共有はするけれど、つるむことは少ない。若者達はキャンプ場で騒ぐけど、老人ノマドは静かなもの

 

 

駐車料金を支払って長期滞在する場合もあれば、許可なく停車して「車内泊はお断りだ!」と注意されることもある。

 

 

その注意されるシーンも印象的で、男性警備員に車を覗かれて「キャー」。「車内泊はお断りだ!」。

 

 

寒波が来ている地域では車内で毛布にくるまり震えて眠る。年齢も年齢ですし、なんだかお年を召した方がホームレス扱いで怒られていると、胸が締め付けられる気持ちになるんですよね(^_^;)

 

 

個人的には一番引っかかったのはアメリカの地図

 

 

地図や位置情報が頭に浮かんでいるわけではないため、「今何処にいて、何処を走っているのか?」がよく分かりませんでした。ハリウッドのロードムービーは大体こんな感じ(説明なし。会話で拾う。)なので仕方ありませんが、彼女の出発点はネバダ州なので、願わくばラインが欲しかったですね。

 

 

____

 

 

 

映画はAmazonの配送工場のシーンから始まります。主人公の冬はここで短期の日当たりバイトをしていて、当面の生活費を確保します。お給料は良さそう。

 

 

毎冬ここで働き、それが終わると次のキャンプ地に移動し、キャンプ場の清掃員だったり、フードコートのファーストフード店で働くなどして「その日暮らし」をする様子を描きながら映画は進行しています。

 

 

ノマド民の平均年齢は高く高齢者が多いので、60代の彼女より年上の方々ばかりです。

 

 

ノマドは「遊牧民」と「時間や場所に捉われずに働く」という2つの意味がありますので、主人公は後者。

 

 

劇中で観る高齢のノマド民は明らかに前者になるので、アルバイトも出来ないでしょうから、どうやってガソリン代や食費を賄っているのだろうか?は私の気になる疑問です。

 

 

特にアメリカの場合は「保険制度」の手続きや問題が日本に比べると平等ではないと思いますので、

 

「職業・旅人」のノマド達にはどういう保険に加入されるのかな?・・気になる点は描かれていない。

 

 

 

2008年のリーマン・ショックで多くの国の国民が被害に遭いましたし、それに関連したドラマ映画は多く制作されてきました。

アメリカの場合はより身近にあるぶん、気持ちの入れようも入り方も強いと思うし、それが背景で作られたドラマは評されている気がします。

 

 

この映画は、リーマン・ショックが、現役ではないリタイア世代にも悪影響を与えたことを教えます。

 

 

家を手放すことになり、多くの高齢者が自家用車での寝泊りを余儀なくされる。家も職もない高齢者たちが、働き口を求めて国内を移動していた。

 

 

10年以上時が流れた現在のアメリカの様子は分かりませんが、その現状を私自身考えていなかったので衝撃を覚えました。

 

 

___

 

 

 

臨時教員として働いていた主人公は、リーマン・ショックの影響で職と自宅を同時に失い、自家用車に死別した夫との思い出品を積み込み旅を始めます。

 

 

劇中でのワンシーンで、車の修理代不足で妹に援助を頼み、妹宅に滞在します。久しぶりに戻った地元。「先生、久しぶり」と教え子に声をかけられる。だけど地元ではノマドになった彼女は噂の元。バーベキューでは「生き方」を聞かれて自我。コダワリの強い人の怒り方は怖い(^_^;)「一緒に暮らしましょう」と血縁関係の姉妹は言う。保留は続く。再び旅に出る主人公。

 

 

こうなってくると「1つの場所に落ち着く」と言う生き方はしなくなりますね。

不思議なもので、街育ちなのに、アメリカの荒野の方が似合うように見えます。

 

 

物々交換だったりフリーマーケットや無料譲渡の使用品。

 

 

会話だけに限定すると今作品は老人同士が多いですが、主人公の旅目線(ロードムービー)になると、喫煙用のライターをプレゼントした親子ほど年の離れた男性や、バイト先で知り合うヒッピー風の男女など、「その時だけ」「一期一会」の出逢いが描かれているのが見所だと思います。どこかの土地で再会したら「あぁあの時の」で盛り上がる。

 

 

主人公自身が彼らくらいの年齢の時は、1970・80年代だと思うし、社会的にも同じように旅をしていなかったはずですから。

 

 

アメリカの広大で壮大な山々や太陽に月、星空。

そうした「人類が作り出していないもの」を言葉少なめで眺めたり、女流監督の【クロエ・ジャオ】は中国の北京出身ですから、そうした自然を長じる感性を表現したかったのかな?と想像します。

 

 

(私なんて、あんな壮大で圧倒される景色に出会ったら溜め息の1つでも吐いてしまいます。)

 

 

人間は死ぬと土に還りますが、彼らノマドは、良く言えば現代の社会人がしたくても出来ない自分探しを遂行しながら逝くので、大地の一部になっていく感じがして、先住民族だったり、そうした地球に愛される存在にも思える。

 

 

だけどやっぱり知りたいな・・・ノマドのお爺ちゃん・お婆ちゃんは、生命保険は加入しているの?とか、そうならば受取手のご家族とか、現実的なこと(笑)

 

 

演技面が高く評価されるが決め手不足なロードムービー調のハリウッド映画は沢山観て来ました。

 

 

ロードムービーの鑑賞法として、「自分と重ねられるか?」が1つの鍵になると思います。

自分と似ている要素があれば、共感も出来るし、こんな生き方羨ましいなと憧れる事も出来ます。

 

 

なにか特別な盛り上がりがあるわけでもないし、主演のマクドーナンドが完璧に演じていることで哲学的。

 

1つも自分と該当しなければ「他人の人生」をただ観ているだけですからね。気持ちが入らなければ退屈な作品です。

 

 

今作は女性が主人公ですから、男性の私にとっては、彼女に好意を寄せるノマドが、その該当部分なので彼を通して退屈しない事ができました。

 

 

 

 

(主要キャストで唯一の俳優。ハリウッドの名バイプレーヤー【デヴィッド・ストラザーン】[72])

 

 

この映画から、色々な経験を経てこれまで生きてこられた年配の方々が語る言葉に重みを感じ、上手くは言えませんが「前向きになる気持ち」を学びました。劇中に登場する年配の方々は実際のノマドの方々だと知りましたが、この年代の方は、セリフと言っていいのか、本音で物事や摂理を語っているように感じて人生の勉強になります。

 

 

劇中に登場する実際のノマドの方々は、後ろ向きな方がいなくて、めちゃポジティブなタイプか、「これでいいんだ」と自分の人生に納得して生きていらっしゃるタイプの2つに視えました。

 

 

人間の気質はそう簡単には変わりませんので、若い頃から旅人気質だった方もいると思います。

 

 

主人公のように喪失感をキッカケとして独り旅を始めた方もいるので、人其々の生き方を画面を通して鑑賞し、人生って喜劇だなと改めて思いました。

 

 

_______

 

 

 

最後に。

 

 

鑑賞後にスマホのメモアプリに箇条書きした今作品のコメントを。

これまで書いて来た内容と重複している点はご了承ください。

 

 

 

ロードムービー感が強め。抑揚があるわけでもないし、彼らノマドの生活風景を波風立てずに描いているように見えた。マクドーナンドとアカデミー賞ということで(Fワードなど荒い)言葉や表現が強めなのかと想像。

 

 

近年のオスカーで主演女優賞は泥臭い演技をした女優が受賞することが多いので個人的には(女性が汚い言葉を使い話し、それを熱演だと評価する傾向は)好みではないのだけれど、今回のマクドーナンドは淡々とシニアの未亡人を演じているぶん主人公像にそれ(汚い言葉遣い)はなくて、自然体に演じられていたから内心ホッとした。

 

 

状況説明はあるけれど特に経緯の説明がない。展開の中で誰かとの会話で話してしているものを鑑賞者は吸収する感じ。そもそも独り旅なのだからセリフよりも表情や態度で表現されているわけで、マクドーナンドのスキルは相当なもの。

 

ノマドは「老人が多い」という説明から多くは語らない。それが歳を取るということなのかもしれない。中盤あたりから、かなり淡々と描かれ、南部地方の乾燥地帯のように枯れ草や凪のように抑揚のない展開になる。鑑賞者はそこに魅力を感じられるかが課題。

 

 

経済危機により家を失い、旅に出ているシニア女性。

初見の場合、すでにノマド歴が数年目の状態で、旅の途中から映画は始まるので、ある程度の下調べがなければ「老人の孤旅」に見えてしまうかもしれない。

 

 

今に至るまでの説明は台詞などから拾うしか手段はないが、経緯を知り内容を理解した上で鑑賞すれば、ハートフルな要素を手に入れることになる。アメリカの経済や実情を描いているアメリカらしい作品なので、今年のアカデミー賞は作品賞を受賞する可能性が高い。

 

 

楽しい映画ではないけれど、昔、単館映画で上映されていたような哲学映画の要素もあるし、感じ方はそれぞれだろう。

主人公がノマド生活を経て何を感じたか?それを劇中内で表現出来れば、さらに素晴らしい作品になったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

脚本 14点

演技 16点

構成 15点

展開 13点

完成度13点

 

 

(各項目20点満点)

 

 

[71]点

 

 

 

 

前記事で私の鑑賞履歴を載せましたが、鑑賞数が落ちている中の4月に唯一TOHO-CINEMSで鑑賞した2作品が、アカデミー賞の主要部門を受賞したことは嬉しいですし「持ってるな」なんて思います(笑)

 

 

冒頭で書いたように、新作を鑑賞しておりません。

 

 

緊急事態宣言延長で一部緩和される施設やイベントがあるかと思いますが、映画館が再開するまで当面の間は映画評論を休止とさせていただきます。

 

 

・・・気持ちが高ぶったら過去の鑑賞作品や不定期なマイベストムービーを書くかもしれませんので、その際は読んでやってくださいネ。

 

 

 

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THE映画評論『Cruella』

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およそ1ヶ月ぶりの記事投稿となります。

 

 

元々が不定期の投稿なので、文章勘が鈍ったなど言っていられないな。自分らしくおちゃらけ乍ら真面目に描こう。

 

 

久しぶりに都内の映画館で観る映画。都内では未公開の新作映画。鑑賞の選択肢は何作品もある。

 

 

このところヌルくなっていた映画温度を帯びさせるため。まるでそんな私のために日本で先行公開されたばかりの洋画を都合良く見つけた。

 

 

ディズニー製作ということで・・夢を貰おうと思った。最近は睡眠中でしか夢を見ていなかったから。

 

 

さあ楽しい映画の時間。

今回も宜しくお付き合い下さいませ。

 

 

____

 

 

 

映画の進行と共に私のコメント付き(テレビの副音声的な文)でお送りします。

 

 

 

『クルエラ』

 

 

 

 

監督🎬

【クレイグ・ガレスピー】

 

 

エステラ&クルエラ

【エマ・ストーン】

 

バロネス

【エマ・トンプソン】

 

 

ジャスパー

【ジョエル・フライ】

 

ホーレス

【ポール・ウォルター・ハウザー】

 

執事ジョン

【マーク・ストロング】

 

母親キャサリン

【エミリー・ビーチャム】

 

 

新聞記者アニータ

【カービー・ハウエル=バプティスト】

 

 

 

配給[ウォルト・ディズニー・ジャパン]

本編[2:14]

 

 

 

1960年代 イングランド

 

 

母子家庭の母娘が郊外の道を車で移動している。そんなオープニング。

 

 

「母子家庭」(Fatherless)というワードは劇中にはありませんが、母1人・子1人という家庭の状況を視て、そう思いました。

 

 

車中、運転席の母親は娘に釘を刺します。新しい転校先で今度は問題を起こさないでね、と。

 

 

娘は何度も問題を起こして、その度に母と共に新しい学校と移住先へ向かうというパターンを繰り返しているご様子。

 

 

これまで何校ほどの学校を変えて来たんだろう?・・そんな細かいことを知りたくなりました。

 

 

問題を起こさないでね。大人しくしていてね。

 

この言葉は問題児にはフリにしか聞こえませんね。

 

 

ダチョウ倶楽部さん的なフリの導入。

押すなよ押すなよ!は押せがオチ。

問題起こすなよ!は問題を起こすんだろうな(^◇^;)

 

 

少女エステラは、いかにも気の強そうな少女です。

この点はヤング期のエステラを演じた子役女優さんが見事に表現しています。

 

 

(本国未公開のため、現時点で公式サイトに記載がなく子役の名前が判りませんm(_ _)m)

 

 

髪の毛の色がハーフ&ハーフで、まるでオセロ。黒と白に分かれた毛色が見事に真ん中で半分ずっこ。

 

 

彼女の将来の夢はファッションデザイナー。「あなたは特別な子よ」と母親。「私は特別なの」と子供も自信満々で言う。

 

 

英国らしいブレザーにピンバッチなどをいくつも付けて、独特なアレンジを加える。

 

 

その個性的な髪型と、なによりも奇抜なファッションは目立つ。目立つことを気に入らないとヤッカムのが学校という社会ですね。

 

 

転校した小学校ではイジメの標的に。

しかしエステラは売られた喧嘩は全て買うというタイプで、男の子にも怯まず馬乗りになって殴る。

 

 

『ハリーポッター』などでも観られますけど、英国の子供の喧嘩シーンって基本的にタイマンで、喧嘩をしている2人を取り囲んで同級生たちが「やれー!やれー!」と興奮して拳を突き上げているのが特徴的です。この点は賭け事が大好きな国民性だからかなと解釈してます。

 

 

日本だったら学校内で喧嘩が始まると職員室に先生を呼びに行く優等生がいたりしますけど、「やめろ!やめろ!」と喧嘩を止めるという流れがないんだよなぁ。

 

 

一応、教師が喧嘩を止める描写も存在しますけど、首根っこを掴むような感じです。学校側はそんな彼女を再三注意しますが、問題児は問題児のまま、素行の悪さを理由に「退学宣告」。

 

 

この辺りの教育も英国式の展開だとは思います。

 

 

確かにとっつき難い子供ですけれど、エステラから喧嘩を売ることはしないので、学校側は先に攻撃(ちょっかいを出)した生徒に対して「彼女に構うな」という指導はなかったのかな?

 

 

問題を起こして退学⇆それを繰り返す。現実的に考えて、何の解決にもならないと思ってしまうのは私だけかな?(^_^;)理解者に出逢えれば、この問題は解決するんだろうけど・・。

 

 

エステラは子供らしく好奇心が旺盛で、そして母親キャサリンのことが好きなのが伝わります。

赤子の頃から母子家庭の様子なので、より一層お互いのことを大切に想い、愛し愛されているのでしょう。

 

 

「退学だ!」と校長、「私が先にこんな学校辞めさせてもらうわ!と言ったのよ!」と母親。母親も負けてはいない。

 

 

まるで冒頭シーンに巻き戻ったかのように、再び母親のキャサリンは車を走らせる。

次なる移住&転校先は大都市ロンドンのよう。彼女のファッションは、余所者を嫌う田舎よりも、都会の方が馴染むと、私は思った。

 

 

そして学校教育は受けさせるよう。退学になって直ぐに次の学校へ。これって転入先は受け入れてくれるのかな?

 

 

後に描かれますが時代背景は1960・70年代のロンドン。

 

 

ホームレスや孤児も多かった時代ですから、学校(集団)生活自体が「水に合わない」エステラを考えれば、もっとこの子が伸び伸び育つ環境先を与えてもいいのではと思いました。

 

 

おそらく母親キャサリンにとっては、娘にはちゃんとした教育機関で成長させたいという義務感があったのだろうけど・・・。学校には校則や集団行動というルールがあるわけで、保護者である以上は、基本的な傾向と対策を子供と語り合うなどしなければならないのではないかな??

 

 

道中。

ロンドンに向かう前に寄る処がある。

 

 

雲行きが怪しい宵だった。断崖に建つお城に寄り道。

 

 

そのお城で今宵はパンティーが開催されている模様。

 

 

(パーティーね)

 

 

「車で待っていてね」と母親は娘に伝え、お城の中へ。その際に「家宝」である赤い宝石のネックレスを娘に預ける。

 

 

こちらもダチョウ倶楽部さん方式。念を押すのは、約束を破れのフリ

 

 

待っててね、と言われた数分後には、車から降りてお城に潜入するエステラと愛犬。

 

 

先程退学になった学校のシーンで出逢った捨て犬が相棒。愛犬とはその後も10年以上行動を共にします。

 

 

テーブルの下などに隠れるも、すぐに見つかり警備員や警備犬(3匹のダルメシアン)に追われ、中庭に出る。

 

 

 

 

そして逃げた先には、女城主にお金の援助を懇願中の母親の姿があって・・。

 

 

隠れたエステラは追跡を巻くけれど、ダルメシアンは止まることなく進行方向にいた母親キャサリンと接触。

 

 

崖から落ちる母親を目の前で目撃。

 

 

雨が降ってきました。。。(出来ればこの雨という描写を伏線にして、後半に繋げて欲しかったですね)

 

 

「私のせいで母が死んでしまった」

 

 

自責の念にかられ大きなショックを受けるエステラですが、事故現場には目撃者がいないので騒ぎになりません。

 

 

騒ぎになっているのは、パーティーに忍び込んだ少女(自分)を捕まえろ!という件。

 

 

エステラは、お城から出発するトラックに飛び乗って、脱出に成功します。

 

 

先ほど、死んだ母親から貰ったばかりの形見のネックレスを中庭に落としてしまう、という不運も重なり、

 

 

涙と雨粒が混ざる、とても混ざる、空を仰ぎながら、少女は眠るのです。

 

 

(ところで、この時の自家用車は、その後の展開で一切触れていないけど、どうなったのだろう? 上手く使えば重要なアイテムになったのかもしれないのに。。)

 

 

___

 

 

 

トラックが辿り着いた先は奇しくも目的地だったロンドン。母親と次に暮らす予定だった街。

 

 

フラフラと写真で見ていた憧れの噴水に辿り着く。「まずは噴水広場まで行ってお茶を飲んで今後を考えましょう」なんて母娘で話してた、さっきまでの過去。

 

 

あてもなく途方もないけれど、母親が死んだという事実はしっかりと理解しているエステラは、高尚に観える。

 

 

うとうと・・エステラが目を覚ますと、同世代の男の子が2人。2人は孤児のようだ。

 

 

 

 

 

勝気な少女は絡まれると手を出す女番長タイプ。

 

 

警察が現れて逃げる男子。スリ常習犯だからか、孤児だから、追われる理由は分かりません。エステラも2人の後を追う。行くところがないからだ。2人が住んでいる廃墟ビル。エステラは彼らの仲間になる。それから10年後・・・。

 

 

(大きな廃墟のビルに子供だけが2人住み着いている状態。他にも孤児はいたのかな?警官はこの場所を突き止められないのかな?なんて色々と想像を働かせてしまいます。)

 

 

・・・ここまでがオープニング約15分で繰り広げる展開です。

 

 

(オープニングに割く文量じゃないぜΣ(・□・;))

 

 

____

 

 

 

以下は、簡単に中盤までの流れを紹介いたします。

 

 

この時(母親が亡くなった翌日)に出逢った少年ジャスパーとホーレス、そして主人公エステラの3人の孤児は、スリや強盗などをして大人に成長します。

 

 

ハリウッド映画の定番の展開ですが、私は毎回のように指摘いたします。

その後(あの後)10年間で彼らがどうやって生き延びて成長したのか?を映画は描いていないので、そこの成長過程は個人的に気になる部分ですね。孤児が施設に入らず3人で生きるって・・病気とか成長期とか、どう通過したのだろう??子供時代を描くのならば、成長過程も描くのが、大人(制作)の責任だと思うんだけどなぁ(^◇^;)

 

 

3人と2匹の犬は、バスや電車など公共機関や、ホテルの清掃員に扮したりするなど、連携の取れたチームプレイで盗みを働いています。

 

 

(2匹の犬は冒頭から登場しますので10歳以上の老犬になっている筈。映画では大活躍しますので、老け感はありません)

 

 

金庫破りなど怪盗的な大犯罪は行いませんが、呼吸をするように万引きやスリなどを行なっています。

 

 

身長の高い黒人系のジャスパーと肥満体型のホーレス、そしてオセロ髪のクルエラは状況によってズラを被るなど使い分け。

 

 

犯罪トリオですが、詰めも甘いので、被害者に見つかり逃げたりするのも、しょっちゅう。

 

 

 

 

 

 

 

(エマの走り方。前のめりで短距離走者向きだな。)

 

 

そうそう、忘れてはいけませんね。

 

 

彼女には【エステラ】と【クルエラ】。2人分の人格があります。

 

 

映画のタイトルが『クルエラ』なので後者を優先的に考えますが、名前の文字数も4文字で・・「エ」と「ラ」が入っているので・・初聞の場合は、ややっこしかったです(^_^;)

 

 

社会人として働くのはエステラ。

 

 

 

 

社会不適合者となるパンク人格がクルエラ。のちにカリスマ性を発揮します。

 

 

 

 

単純に、穏やかで優しい時はエステラ人格で、喧嘩している時はクルエラ人格と解釈すればいいかな。

 

 

子供時代を含めた前半部分は殆どエステラ人格なので、陰と陽がハッキリしているぶん、どの人格か?は理解が早いですが、『101匹わんちゃん』の物語を知らない私の場合、鑑賞中は耳馴染みがないぶん役名の認知に苦戦しました(^_^;)

 

 

___

 

 

 

3人の小悪党。3人のリーダー格であるジャスパー。王子様タイプではありません。

今作品はディズニー映画には珍しく、ラブストーリー要素がない相棒で新鮮でした。

 

 

ジャスパー役を演じた俳優は【ジョエル・フライ】[38]。英国王立演劇学校出身の英国俳優で、2年前にThe Beatlesがいない世界を描いた『イエスタデー』に出演していたことで私は認知していました。

 

 

多少の恋心もジャスパーにはあるのでしょうけど、子供の頃から一緒に生きてきた大切な家族(妹分)という感覚の方が強いのだろうと、今作の彼を見ていて私は思います。もし続編を作る場合は恋愛に発展させるキャラクターになるのでしょうけどね。

 

 

子供の頃から一番近くで彼女を見てきたジャスパーは、彼女の誕生日にロンドンきってのファッションデパートメント『リバティ』の雇用通知をプレゼントします。

 

 

勿論、裏で細工を働いてネ。不採用の履歴書を採用の箱へと入れ替えます。

泥棒稼業で生きてきた彼らの悪さは正義。『ルパンの娘』と同じ価値観。

 

 

夢にまで見たファッション業界に足を踏み入れてからは泥棒稼業から足を洗う。見事なまでにスパッと。やはり好きに勝ることはありませんね。キラッキラしています。

 

 

掃除など雑用係から始めるエステラ。ピラミッドの一番下から。

その立ち位置にも関わらず、常に上司に自分を売り込む姿勢はトップの器。

 

 

だけれどそこは幼少期の母親の言葉を思い出してください。

 

 

「問題を起こさないでね」。ミス問題児。

 

 

集団行動の出来ない彼女はデパートでも問題を起こしてばかり・・というか真面目に働いていても悪目立ちするんですよね。

たまたま休憩していたらサボっているとみなされたり・・そういう子って世の中にいますよね。

 

 

そんなある日、彼女が勤める百貨店にファッション業界の大物バロネスが視察に訪れ、彼女のセンスに注目。自分の元に雇用する流れに。

 

 

 

 

(最近、写真左の名優【マーク・ストロング】[57]を観ると錦鯉の長谷川さんを連想します)

 

 

パリコレクションなど常連で業界では知らぬ者はいない存在であるバロネスの下で働くことになったエステラは、初日から頭角を現し、早々に彼女の右腕として活躍します。

 

 

 

こうなってくると、最初に勤めた幼少期から憧れていた百貨店リバティが、引き合わせる為のキッカケに過ぎない存在になってしまうので、そこの描写は残念ですけどね。ピラミッドの一番下で下積みを続けていた彼女が一夜にして飛び級するわけ。人生何が起きるか分からない。

 

 

そしてバロネスと運命的な出逢いを果たしたエステラは・・・ファッション界の革命児クルエラになるのです。

 

 

 

 

 

(この変わりよう・・何があったんだΣ(・□・;))

 

 

(詳しい内容が気になる方は映画館にGO!!)

 

 

____

 

 

 

この映画の舞台となるのが1970年代。パンクブームの英国ロンドン。「パンク」という抗うジャンルが確立された時代。

 

 

ヨーロッパのファッション業界の歴史において、このセンセーショナルな時代を語れない人は皆無に等しいと思います。

 

 

[パンクムーブメント]について、分かりやすく書かれている記事を載せます。お時間のあるときにでも読んで見てください。

 

 

 

 

私自身。パンクファッションをカッコいいと思う肯定意識がありまして・・それが学生の頃に流行した『NANA』の原作の影響なんですよね。

 

 

矢沢あい先生は偉大で、そこ方『ヴィヴィアン・ウエストウッド』のブランドが好きになりました。

今でもヴィヴィアンを持って入る人は、矢沢あい信者なんだなって思いますもん(笑)

 

 

昔、ロンドンに滞在した時もピカデリーサーカス店で買い物したのが良い思い出です٩( ᐛ )و  ・・・と言うことで、この映画で登場するロンドンファッションは私自身の目の保養でもありました。

 

 

 

 

 

 

主人公エステラは少女時代から「なんだよ、その服」と周囲に揶揄われ、それでも自分のスタイルを貫き、何を言われても、どんな状況でも前を向いて自分自身を主張しています。

 

 

彼女が本当の自分に辿り着くまでのこれ迄の描写は、生きる手段とはいえ犯罪とか迷惑行為なのだけど、彼女の貫き方であったり生き方の部分は心底カッコよくて感動します。

 

 

劇中の中盤、彼女は悪役側(マジョリティー)を徹することで、そのスタイルやファッションに独自性を見出したファンが肯定派(マイノリティー)となり、若者やファッション界のカリスマとして君臨します。

 

 

一貫して曲げなかった彼女の感性と時代の流行とが合う時が来た!それは爽快という名の波のようでした!

 

 

あ💡この映画の中で忘れてはいけないのが、彼女のブームの背景にマスコミ(新聞記者)がいること。

 

 

一番重要な存在だと思います。

 

 

 

クルエラはパーティー先で小学生時代の同級生である旧友アニータと再会。彼女が新聞記者だと知ると野心的に自分の計画を売り込み、そうしてアニータはファッション業界に旋風を巻き起こす彼女のサポーターとして暗躍します。

 

 

いつの時代もマスコミがブームを助長している描写の仕方が裏テーマに想像できて面白かったです。

 

 

_______

 

 

 

主演は【エマ・ストーン】[32]で主演女優賞を受賞した2016年度『ラ・ラ・ランド』で演技派女優の仲間入り。

 

 

2011年度公開の『ヘルプ』で、黒人差別が色濃く残る南部の状況を執筆する白人女性を演じた時から彼女の大ファンになりました。

 

 

 

(2012年のMY記事)

 

 

その後の『アメージング・スパイダーマン』のヒロイン、作品賞でオスカーを受賞した『バードマン』もそうですね。そして主演女優賞を受賞した『ラ・ラ・ランド』と女優の軌跡をスクリーンを通して魅せて頂いています。

 

 

 

(2017年のMY記事)

 

 

ご活躍は大変嬉しい限りですし、今作品はまさにファン冥利に尽きる出来栄えでした!

 

 

新型コロナの影響により、残念ながら今作の予告編を(東京都の)映画館で観れずに鑑賞本番を迎えました。

 

 

先ほどもチラッと書きましたが、私は『101匹わんちゃん』の物語を知りません。

絵であったりキャラクターとしては目にする機会が多いので知っていますが、映画『101』も未鑑賞で此処まできたんですよね。

 

 

なので終始初見のリアクション・・運よく手に入れた映画のチラシでは、「ディズニー史上最も悪いヒロイン」などの謳い文句が表面に書き出してあったので、想像するにジョーカーのハーレクインみたいな感じなのかな?と。

 

 

何度か書いているのですが、口の悪さや言葉遣いの汚さが苦手な書き手なので、気持ち的に大丈夫かな・・って(^_^;)

特に大好きなエマ・ストーン。不安だなって。

 

 

(昔『タイタニック』のローズ役で憧れたケイト・ウィンスレットが『レボリューショナル・ロード』で物凄い言葉遣いをしていて、それ以降ちょっと怖くなりました(^_^;)女優ってすごいなぁ)

 

 

・・あゝ良かった。

 

 

____

 

 

 

この映画はドラマ部門よりもデザイン部門で魅せていくので、憑依型女優であるエマ・ストーンは適役。見る角度で楽しめる、こんな映画は見たことがない!何よりズームの絵が持つ。美しいしカッコいい。物憂げな表情から喜怒哀楽、全てに溜息をつけました!!

 

 

ブリーチではなく地毛で生まれつきのツートンカラーという設定。

黒髪と白髪は左右どちらの印象も強い。この女優は左右対称のお顔立ちなので、だからこそハーフ&ハーフがハマる。

 

絶世の美女という女優ではないけれど、瞳が大きく白眼の部分が多いエマ・ストーンは兎に角バランスがいいし愛嬌がある。今まで映画館で観たどのディズニー映画よりもキャスティングがあって入ると私は思う。

 

 

 

では最後の改と致しまして。

私が気になった点がいくつか在るので、指摘をしながら記事の締めに向かっていきます。

 

 

・まずは物を大事にしないこと。

 

 

こういうのってハリウッド映画で見慣れていますが、気持ちとしては見慣れないんですよね。

私が日本人だからかな?。物を大事にする精神が強いので、やりっ放し・片付けない、の映画の描写進行は気になるのです。

 

 

(映画の世界に入って、お掃除したい。。。これは潔癖の性格ゆえだろうな。)

 

 

実際の『101匹わんちゃん』の物語でもこの設定はあるようですが、

クルエラは運転が荒く無免許で、曲がり角では必ずと言っていいほどゴミ箱や電柱を破壊して突き進む。

 

 

 

 

(ジャスパー、運転代われΣ(・□・;))

 

 

例えば。CIAのアクション映画では、車をぶつけたり、街を壊したり、迷惑被害を被ったり、極論、人を殺しても、組織が後始末や尻拭いをしてくれます。

 

アクション映画やアベンジャーズではないのだから、映画で描かれない世界ですけど後処理を想像してしまう私は、少しばかり損な鑑賞者かも知れませんね。気にならない方はならないでしょうから。

 

 

一方、主人公が勤めることになるファッション業界の女王バロネスも物を粗末に扱います。

ファッション業界の大ボスの右腕という設定なので、『プラダを着た悪魔』のミランダを演じた【メリル・ストリープ】を連想します。

 

 

演じる【エマ・トンプソン】[62]もポイ捨てなど物を粗末に扱う描写が多いけれど、それは女王様だし、沢山いる助手が掃除をしていると想像できるから、そこまで悪い印象がありません。

 

 

(召使いに躊躇なく暴力を振るったりするけど・・現代映画の設定だったらパワハラで訴えられるほど(^_^;))

 

 

少し脱線しまして、昔のロンドンの街は地面が汚く、最近の記憶ですが私が滞在していた時も、タバコの吸殻などポイ捨てが地面に目立ちました。産業主義・英国民営化の代表格、鉄の女マーガレット・サッチャーが街の整備を強化したことは有名な歴史。

 

 

綺麗にするに越したことはありませんからね。特に洋服の話ですから。

 

 

ファッション業界に憧れロンドンを代表する有名百貨店の店舗スタッフになったエステラ。雑用専門。ここから上に登っていくのは至難の技に感じる雑用業務ですが、我慢して働く。積極的に上司にアピールするけれど、いつもあしらわれる。

 

 

トイレ掃除やゴミ処理をした後に、店内を歩いたりディスプレイを触ったりしているので、こういう箇所のプロ意識って日本では考えられないと思うのですが。。

 

 

もう1つ言えば。盗まれた被害者の気持ちになって考えると、結構キツイなって(^_^;)

あなたが街中で財布をすられたらと想像したら・・やりきれないですもんね。

 

 

・ 泥棒稼業の3人が目立ちすぎる点

 

 

少年少女時代から孤児として生きていく3人。廃墟のビルに住み着き、スリなどをして成長。

 

 

彼女を仲間に迎え入れる際に、ジャスパーは「女の子がいると泥棒稼業が楽に働く」とホーレスと話します。多分一目惚れの気持ちもあるのでしょう。

 

 

彼の読み通り、成長するにつれて女の武器を使うようになり、連携プレイで公共機関などで強盗を働く。

 

 

コソ泥とは言え犯罪なので、それを微笑んで見れるような気分ではありませんが、なんというか3人は指名手配されてもおかしくないほど目立っています

 

 

特に男性陣は特徴的で・・リーダー格のジャスパーと相棒のホーレス。

 

 

ジャスパーは非白人で長身。ホーレスは肥満体で短身。

 

 

エステラは悪女クルエラの人格を隠せば、カツラもかぶるし変装もするから紛れますが、男2人は逆の意味で目立つかな。

 

 

中盤に、業者に紛れて潜入現場から帰宅するホーレスの背格好を見て、身元がバレてしまうシーンがありますけど、

 

 

とにかくこれまで散々、強盗業を働いてきて変装したとしても、この特徴的な巨漢が「犯人の特徴」として映画でクローズアップされていないのは明らかに違和感でした。まったく・・ロンドンの警察も何やってるんだろう。こんなに目立つのに。

 

 

____

 

 

 

前半と後半の印象が私には違いました。

 

毎回ディズニー映画は右肩上がりに気分が上がっていくのですが、この作品も同じ。

 

 

展開が進むにつれ徐々に徐々にと面白くなり、このキャラクターにハマって興奮が達したタイミングでエンディング。

エンディングテーマも最高にクールで、まるでブロードウェイ・ミュージカルを聞いているようでした。そういうのもセットでこの映画は満足感がありました。

 

 

『101匹わんちゃん』と言えばダルメシアン。

 

 

3匹のダルメシアンは、前半本当に怖い存在だし・・こんなのに追いかけられたら恐怖だろうな・・と映画を見ていて思うのですが、そこはやはりディズニーで・・途中から「かわいい」になるし愛着が湧いてくる。最後の子犬なんて「尊い」のレベル( ◠‿◠ )

 

 

 

 

____

 

 

 

今回も長々と書きました。この時点で1万文字ですm(_ _)m

 

 

では最後の最後に。映画『クルエラ』のファンになった私のメッセージです。

 

 

ここ何年かで毎回ディズニー製作映画の鑑賞中に感じることは「ありふれた脚本だなぁ。。」という手応えの少なさ。

 

 

既存のディズニー作品は物語もよく知られているし、きっとそれをヒントに数々の映画脚本のヒントにも取り込まれてきたはず。

 

だから作品を見ていなくても、どこかに刷り込まれているからか、私の場合は見たような記憶が生じるのだと見解しています。

 

 

そんな邪念を感じても、展開が進むごとにディズニーの世界観に入っていくので初見なのに「どこか懐かしい」という気分になります。

 

 

この作品は言ってしまえば普通。

ただし、それは脚本先行型で伝える場合に限り。

表面は普通でも中身は夢に溢れています。

 

 

ありふれたストーリーにも関わらず、物足りなさを感じないことは単純に凄いですし、異常なほど映像美などクオリティーが高く、尚且つエマ・ストーンのカリスマ性が恐ろしく高い事で飽きが来ませんでした。

 

 

欠伸の1つでも出るかな・・なんて考えていたんですけどね。鑑賞中はお目目まん丸!

 

 

流石ディズニー映画と言う気持ちが強く、世界観が統一さてている感じに気分が良くなります。

 

 

そんな気分を味わたのも、幼少期に多くの子供達が馴染む童話という絵本の実写化なのかも知れませんね。

 

 

「絵本」が左右すると思うのですね。

 

 

私が少年時代の時代は・・今でもそうかな。アニメと言えばジャンプ漫画のアニメーションでした。

 

 

これが少年よりも幼い幼少期のことは、アニメよりも絵本でしょ。

 

 

『シンデレラ』や『白雪姫』『3匹の子豚』、グリム童話なら『赤ずきんちゃん』『ヘンゼルとグレーテル』など、子供の頃に読んで、大人から聞いて観て覚えます。(日本昔話は今回はスルーします。)

 

 

アニメーションの印象が強い『101匹わんちゃん』も、ストーリーを全く知らないで今日まで来た私ですが、作画ははっきりと認識していて、ダルメシアンという犬の犬種もこのアニメーションの影響で認知しました。

 

 

この作品を前々から知っている人は「語れるかor語れないか」という愛情が違うと思いますが、

 

子供の頃に読んで覚えた好きだった物語が、大人になった時に映画化されるって感慨深い。

 

 

今の若い世代は、物心付いた頃にはディズニー実写があるので、絵本とアニメと実写映画を同時期に視界に入れられますが、

 

30代の私や上世代にとっては、幼少の頃に読んでいた絵本・アニメから今日の実写化までの期間は数十年という間隔になるので、懐かしさや興奮度が違うかも。

 

 

何より私が大好きな街である英国はロンドンを舞台とした物語ですし、ロケーションは古城。話はダーク・ファンファジー。

 

 

ラブストーリーもお姫様の雰囲気もない映画で、複雑な絡み合いにハッピーエンドの着地点が気になりましたが、これはこれで新たなディズニーヒロインの誕生に鼓舞した次第です。

 

 

このご時世で映画館に足を運ばれる方も少ないとは思いますが、私自身東京都の映画館再開1作目に選んだ作品が『クルエラ』で良かったと大満足しました。リアルタイムで鑑賞される方は感染対策をされた上で、この作品の世界に浸透的に溺れてくださいませ。

 

 

 

 

 

 

 

 

脚本 13点

演技 14点

(エマ・ストーンの完全憑依に敬意を払い +2)

 

構成 13点

展開 14点

完成度14点

 

 

[70]点

 

 

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映画館にエールを送ります。

 

 

フォローしてね

 

 

【mAb】

THE映画評論『キネマの神様』

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1993年。約27年前。

 

 

小学生の私は父親に連れられて浅草六区の地下にあった松竹で『学校』を鑑賞しました。

当時の浅草はゴーストタウン化していて薄暗く、治安も悪かったので、小四ながら父親と手を繋いで歩いたのを覚えています。

 

『ドラゴンボール』を筆頭に数作品をまとめ上映していた人気企画『東映まんが祭り』や、藤子アニメ『ドラえもん』『忍者ハットリくん』『キテレツ大百科』そして『ジブリ映画』などを好んでいた小学生の私にとって、それが初めての「大人の映画」でした。

 

 

 

 

(ありがとう田中邦衛さん)

 

 

あなた様にもあるでしょうか?

「子供の頃に何処何処へ連れて行ってもらった」等、幼少時代の体験を人間は記憶の海馬に印象深く残しているものです。

 

 

少年少女から時を経へ大人の年齢になっても、いい年齢になっても、子供時代の記憶やキッカケを覚えているのですから、小さいお子様がいらっしゃる方は思い出づくりをされると良いのではないでしょうか。

 

 

これまでも過去を振り返る際に何度か紹介しましたが、1本の作品『学校』が私のバイブル(聖書)になったのです。

 

 

「相手の気持ちを考える」という人間形成の基礎の部分を山田洋次監督は私に教えてくださった、もしくは私が勝手に山田洋次監督作品から読み取ったのかも知れません。人の出入りが多い家庭環境と人情味ある昭和平成初期の下町で生まれ育ったことも影響があるのでしょうね。

 

 

とにかく私は人情ドラマが好きだし、そんなこんなで人情的な性格になったと思っています。前書き終わりぃ!

 

 

___

 

 

 

アメブロで映画を描くようになって10年越え。「映画評論」と偉そうに題打っているのに、ここ数年間で「鑑賞した映画を全て書く」という当初のスタンスは完全に崩れましたし、日本映画に関しては基本スルーに。

 

 

20代から30代。体力や気力も低下する。同じ熱量で続けるのは難しい(^◇^;)と月並みな言い訳。

 

 

それでも【三谷幸喜】監督作品と、【山田洋次】監督作品は、文章にして紹介しようと、これだけは心がけるようにしています。

 

 

 

『キネマの神様』

 

 

原田マハ先生著の原作小説を、文庫本で初読したのは今から5年ほど前。

 

当時の私は映画漬けの毎日で映画検定試験を受けたりするなど玄人ぶっていたので、話の内容は面白いけれど、知識力としては物足りなさを感じて読みました。

 

 

本作品を8月6日。公開初日の金曜日に鑑賞。

緊急事態宣言下での外出になるため、念には念を入れることが大切。

 

 

今年のお盆は多くの上京者が帰省を諦めた為、東京の街は例年より人が多い。

公開二週目となる翌週はお盆休みとぶつかり映画館の混雑が予想される。

 

だからこの日がいい。

さらにこの日は夕方からサッカー五輪男子の3位決定戦。

個人的にはコロナ渦の中で密にならない映画鑑賞日和だ。

 

 

鑑賞1時間前に、前もって各劇場の座席購買状況を確認。

運営側には申し訳有りませんが、座席数が多い大きなシアターでお客様が少ない上映回を選んで出発です。

 

 

夏休み期間なので、クーラーの効いたショッピングモールや映画館は混んでいる都内。事前予想と鑑賞経験を活かし一切密になることなく、有意義に作品を鑑賞することが出来ました。

 

 

鑑賞後。自宅に直帰し本棚の『キネマの神様』を再読。

 

 

ブログを書く資料として、正直、印象薄く曖昧だった当時の読破本を照らし合わせる。

先日。大量に本棚を整理し、多くの書物を処分したのですが、この原作は残していた・・縁なのかな。

 

 

原作小説と今回映像化された映画では大きく舞台設定が変わっていますので、原作のファンの方には違和感があるかもしれません。

 

 

この下からは原作小説の内容を少し紹介致します。

 

 

主人公の最寄駅は東京メトロの九段下。JRなら飯田橋駅。

靖国神社から徒歩1分という都心の超一等地に建つマンションで管理人業をしている円山家の物語。

 

都内の超一等地のマンションですから住人も超リッチなのでしょう。

マンションオーナーならば話は別ですが、マンションの管理人というだけで、住人のようにお金持ちではない円山家。

 

管理人に与えられた部屋で両親と暮らす主人公の長女・歩は勤続17年の再開発企業を退職。退職金は300万円。

そのタイミングでギャンブル依存の道楽者である父親の借金の額が300万円、という事実を知ります。

 

(わーぉ、ピッタリΣ(・□・;))

 

 

_____

 

 

 

話の途中ですが映画の本文に入ります。

 

 

(わーぉ、ビックリΣ(・□・;))

 

 

原作と違うのは、主人公を娘の視点から父親に変えたことですね。

小説では父親は中心人物(自身が再就職した会社の映画コーナーで父親の批評が人気となる流れ)で、それを娘の視点で語っていますが、映画では主人公は主に父親の視点を移し、山田洋次作品らしく、「みんなが主人公・カメラが映す家族像」を愉しめます。

 

 

娘・歩(あゆみ・以下歩)役を演じた【寺島しのぶ】さん[48]はバツイチの出戻りで、高校生の息子と、一軒家の実家に住んでいる設定に変更しています。

 

個人的には原作の中年の独身女子の描き方に好感を覚えていて。主人公より若い同性の登場人物を俯瞰で視る女流作家ならではの着眼点が好きだったんだけど。

 

 

【宮本信子】さん[76]演じる母親・淑子(よしこ・以下淑子)は陰日向に咲く存在。

酒に女に賭け事に。そんな道楽者の旦那に強く言えずに「飯炊き母ちゃん」とも言える昭和の母親像。

「母さん、メシ!」「はい。分かりました」

 

 

映画を観ながら・・

今の男女平等参画社会の世の中だと、こういう「男性に尽くすだけの女性」は現代人にどう見えるのだろう?と少し思いました。

 

 

旦那や世間に対して強く言えない。

女性は3歩下がるのが・・古い考えかも知れませんが、日本人の美人(大和撫子)の考え方。

 

 

宮本信子さん演じる淑子が大正昭和の日本人母親像だとしたら、それに対して、娘の歩はその女性から生まれた子供の世代。

 

 

見方によって面白いのが、この老夫婦の娘の代(40代〜50代)は時代も社会的な価値観も違う。

「女性は家庭に入るもの」という考え方は今では古い。映画と外れるが「将来の夢はお嫁さん」も多分古いのだろう。

 

 

離婚率も高くなり、劇中のような実家暮らしのシングルマザーも多くなる。

 

https://www.gender.go.jp/policy/men_danjo/pdf/basic/kiso_chishiki1.pdf

 

 

これを老夫婦の孫の代(10代〜20代)まで焦点を移すと、又違った三代の社会的な価値観が出てくるのだろうと思った。

 

 

___

 

 

 

旦那や世間に対して強く言えない女性。

 

 

「ちょっとお父さん!」と働く世代の娘が、母の気持ちを代弁して父にモノを言う。

 

こういう昭和の父親に強くモノが言えるのは、息子よりも娘の方かなと思います。

 

 

娘の背中に隠れるように母親はバツが悪そうに、上目遣いで戦況を見つめる。

女優さんなので、肌も綺麗ですし佇まいはお美しいけれど、現実の70代後半女性で考えると「小さくなった母親」という親子のフォルムになるのかなと想像。

 

 

彼女達が対峙しているのが、この映画の主人公・郷直(さとなお・愛称ゴウ・以下ゴウ)。

 

 

 

 

【沢田研二】さん[73]演じるゴウ。年齢は78歳と実年齢よりも老いた役を演じています。

メタボリックな体型に長髪の白髪頭と髭面が特徴的。赤い服を着せればサンタクロース(笑)

 

 

公園の清掃と年金が現在の収入ですが、その殆どは競馬と麻雀と酒代に消えてしまう、生粋の体たらく気質。

 

 

(賭け麻雀=賭博?をしているってことなのかな?)

(素朴な疑問ですが、この亭主、ちゃんと年金納めてたのかな?多分、奥さんに任せていたんだろうな。)

 

 

冒頭。公園の清掃(仕事)中にラジオで競馬中継を聞き、ハズレ馬券にチクショー!と掻き集めた落ち葉を蹴る。

 

 

その際に、彼の近くにいた子供連れの親御さんが我が子を守る動作をしているのが、いかにも山田洋次演出らしいです。

 

 

実際に街中で清掃員が感情的に暴れていたら・・・近寄りたくないですからね。

ここ何年かで「キレる老人」がニュースになっているからそれを連想します(^_^;)

 

 

こういう咄嗟の判断で、子供を守る親の防衛本能って私は美しいと観れて。

 

 

近年はファンクラブ会員にエキストラを協力してもらっていますが、昔のように給料が発生するエキストラ事務所の方が個人的には作り手も演出も熱を入れられると思うのです。勿論、好きな俳優に会えて、その作品にチラッとでも出演できれば記念になるとは思うんですけどね。

 

 

ハプニングが起きてもエキストラを素通りさせている「主人公中心」の作品が多くなりましたが、どう考えても街中で物音がしたら一度は見ますから、こういう昔ながらの演出の方が自然に感じます。冒頭の一瞬の描写ですが、作品を鑑賞される方は、作り手のこだわりも同時に観てくださったら、更に映画は活きるでしょう。

 

 

____

 

 

 

相も変わらずグダグダ描いていますが・・改めまして・・・さあ楽しい映画の時間だ!

 

 

(えっ、また最初から書くのΣ(・□・;)??)

 

 

 

 

 

監督【山田洋次】

 

 

ゴウ:

オールド【沢田研二】ヤング【菅田将暉】

 

 

淑子:

オールド【宮本信子】ヤング【永野芽郁】

 

 

テラシン:

オールド【小林稔侍】ヤング【野田洋次郎】

 

 

 

令和時代:

 

 

2人の娘【寺島しのぶ】

 

その孫【前田旺志郎】

 

 

 

昭和時代:

 

 

監督【リリー・フランキー】

 

看板女優・園子【北川景子】

 

 

 

配給[松竹]

 

本編[2:05]

 

 

 

物語)

 

 

時代進行は2019年の秋から始まり、追加設定で撮られた緊急事態宣言下(コロナ時代)の現在まで。

 

 

日本開催のラグビーW杯で国中が盛り上がっていた2019年(大会開催期間は9月から11月)。その翌年には新型コロナウイルスの猛威がわが国を襲うことになるとは・・と寺島さんによるナレーション。

 

 

(※ナレーションの文言は正確ではありません)

 

 

長女・歩が勤める会社のオフィス。

社内の人たちはラグビーのテレビ観戦中。

仕事に支障をきたす様子だが、社内ムードは良い。

 

 

そこに「円山さーん。お電話です。」と、応援のテンションのまま受話器を取る歩。

 

 

電話の相手は闇金融(架空の会社名を名乗る闇金)。父親の借金をどうにかしろ、お宅に伺いますよと。

緩んだ表情が一変。私は父と関係ありませんから。と受話器をガチャ。

 

 

ラグビー応援の社内ムードの中、一変し溜息に変わる。この時、鼻息荒く、血圧が上がった顔色を魅せる寺島しのぶさんが見事!

 

 

(ただ、このシーンに苦言もあります。歩の設定は「派遣社員」とのことですが、劇中で視るにベテランのお局感(正社員感)がありました。派遣と正社員の間に発生する「特有の空気感」をもう少し役作りで出しても良かったのかな?と思います。)

 

 

その夜、長女が帰宅すると家の前には闇金融が1人。山田洋次監督作品の常連【北山雅泰】さん[54]。

恫喝するオラオラ系ではないが、ニヤニヤとねちっこいタイプの方が現実的に怖い。

 

 

閉めるドアに足を挟み強行突破!!

家の中に入って玄関先でニヤニヤ。円山さーん、いるんでしょ!

住居不法侵入になるので境界線は突破しない。

 

 

「警察呼びますよ!」「取り立てなんて、いちいち警察は守ってくれねーよ!」と。

こういう「個人の緊急事態」時に警察は守ってくれない、そうした現実もセリフの中に込められているのでしょう。

 

 

結局・・長女は財布から抜いた紙幣を5、6枚渡し、ヒーフーミーと指で数える。「これじゃ全然足りないんだけどね。また来月、来るわ」とバイバイ。

 

一応は場が収まりますが、観ているこちらは映画の中の物語とは言え、気の毒に思ってしまいます。追い詰めれば身内が助ける、ある意味、闇金取立ての常套手段。

 

 

私と父は関係ありませんから、という日中の電話口の切り捨ては、その日の夕方、あっさりセロテープでくっ付けられるわけだ。例えが微妙ですけど。

 

 

借金取りが帰った後。お風呂から居間に姿を現した父親。

お風呂に入っているなら浴室・脱衣場で物音一つは生活音として出ると思うから・・典型的な確信犯。

 

 

バツが悪い様子も恥じる素振りも見せず、トボける父親。

 

娘に「夕ご飯は抜きよ」と強く言われ、解散。

立場は逆転。まるで子供を叱る親。反省しない父親。

 

 

居間の向かいの部屋から孫が登場。

夕食をトレイに乗せて、「部屋で食べる」と再び自室にこもる。

 

孫の部屋へ行き、その食事を恵んでもらう祖父。

「お祖父ちゃん。食べますか?」「いいのか!」。

 

 

食い意地が張っていそうだが、食欲こそ長生きの秘訣だろう。

 

 

そんな円山家。70代後半の父母。娘・孫の4人家族。

 

 

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借金取りが自宅にやってきた!

 

 

(サンタが街にやってきたみたいに書くなΣ(・□・;))

 

 

母と娘はそれをキッカケに『ギャンブル依存症と闘う家族の心構え』というセラピーに参加し【原田泰造】さん演じる「家族の会」代表からアドバイスを受けます。

そのアドバイスの内容は、借金は本人に返済させること・本人のために自己破産させること・など家族である自分たちが心を鬼にすることが患者にとって最も大事だと有ります。

 

 

早速「情けをかけないこと」を実行。

 

 

その夜。ソファで寝転がってテレビを見ている父。リモコンを取りテレビを消す娘。当然「なに消してるんだ!?」の流れ。

お母さんも私も決めたの。お父さんが作った借金は自分で返してもらうって。通帳やカードは私が預かります。毎月振り込まれる公園の清掃アルバイトと毎月の年金を借金の返済に充てていきます。と娘。

 

 

この突き放す展開。現実の世界で考えても、世の中に数多く存在する各依存症者の言い分は大抵同じだと思います。

 

 

お前は鬼か。

俺の生きがいを奪おうっていうのか。ギャンブルが出来なければ、俺は何をすればいいんだ。

 

 

(働けよ!と言いたいところですが、78歳・・もう元気に働ける年齢ではないから、返答が難しいですよね。)

 

 

「映画があるじゃないの」と後ろから母(妻)。あなたは昔、活動写真家だったでしょ。

 

 

その会話きっかけで、シニア割やミニシアターなどの料金を算出。毎月の年金とお給料から借金を返し、余ったお金で映画を見れば良いと提案。

 

 

そうじゃないんだ・・このオヤジはアルコールとギャンブルが生き甲斐なんだ(^_^;)。

 

 

グーの音も出なくなり出て行くゴウ。ちょっと待って!

娘に銀行と郵便局のカードをここに置いていって!と言われ、ワナワナワナ、まるでメンコのように自分のカードをテーブルに叩きつけ出て行く父親。

 

 

(公園のシーンみたいに、カッとなって物に当たったり、家族に当たったりしなくてよかったぁ。)

 

 

そして山田洋次監督しかり、日本映画のドラマで、こういう自己中心な生き方をしている登場人物から「生きがい」というワードが出た場合は、基本的に「家族」に行き着くのがセオリーのように感じます。「生き甲斐」=「家族」。これぞ人情ドラマ。

 

 

 

 

 

 

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円山家のシーンが終わり、続いての登場人物です。

 

 

「テアトル銀幕」という屋号。今となっては懐かしい町中の映画館。

 

 

ちなみに、よく名前を目にする「テアトル」はフランス語で「劇場」という意味になります。近年では英語の「シアター」を屋号にする劇場が多いかな。ミニシアター(単館劇場)もそうですしネ。映画の始まりはフランスですので、個人的にはヨーロッパの言語発信に惹かれてしまいます。

 

 

原作小説では「テアトル銀幕=JR市ヶ谷駅から徒歩圏内のミニシアターで、洋画を中心に上映している名画座」と背景のイメージがしやすかったのですが、映画は都内のミニシアターという「セット感」(舞台建造物)ある様子になっているので、少し寂しかったです。

 

 

平成の初期辺りまでは同じような映画館はごく自然に街中にありましたが、20世紀末のショッピングモール建設ラッシュにより、モール内に併設されたシネコン。その時代の波に飲まれ閉館した映画館は数知れず。

 

 

映画館も世代交代なのかな?ベテランよりも若い人の方がいいんだね。

残念ながら街中の劇場は閉館していくサダメになるのだろうと想像します。

 

 

今作品の中でもテーマにしている新型コロナウイルス。

作中にもコロナ渦での撮影の難しさ、制限の中でも製作陣の工夫さを映画を見ていて随所に感じます。

 

 

街の映画館・テアトル銀幕。銀幕とは映画館で映写する幕のことを言います。

 

 

現在、妻の淑子が清掃員としてテア銀でアルバイトしていて、今では見かけなくなった小便器やトイレの背景が印象的。

 

 

これは前半のうちに紹介されますが、淑子とゴウ、劇場支配人のテラシンの3人は旧知の仲間。

 

 

若い頃。松竹の撮影所で映画監督を目指し働いていたゴウ。映像技師として働いていたテラシン。撮影所近くの映画人行きつけの飲食店の看板娘だった淑子。この関係性は映画の早々で分かるため、紹介します。

 

 

何らかのきっかけで、ゴウは映画監督の道を諦めることになり、テラシンとは半世紀近く疎遠となります。

そのきっかけは是非、映画でご覧くださいませ。

 

 

妻・淑子のアルバイト先が、まさか偶然、旧友テラシンの劇場だったことで友人関係が復活したという経緯。

人生って面白いですね。50年前の親友と老人になってから再会して語り合うなんて・・!!

 

 

家を飛び出したゴウは、その足でテアトル銀幕へ。(ある意味、行き場所。)

 

 

銀行カードを置いてきた父親が無一文状態で家出する流れですが・・Suicaとか持ってるのかな?

自宅⇄劇場間の距離あるだろうし単純に疑問。細かすぎるか。

 

 

【小林稔侍】さん[80]演じる劇場支配人テラシン。

役名「寺」林「新」太郎で、愛称がテラシンです。

 

 

 

 

(看板の1文字が消えているのに拘りを感じます。年季の入った消えた看板・・最近見ないなぁ。)

 

 

小林稔侍さんは山田洋次作品の常連で、個人的にお会いした事もある大好きな俳優さん。

近年の作品でも名脇役として出演されてきましたが、今作品では脇役やゲスト出演ではなく、メインの立ち位置で演じられているのが大変嬉しく思います。

 

 

この作品を語る上で、原作小説も映画も、テラシンは最重要人物です。

 

 

昭和の映写技師時代は代役可能ですが、「テラシンなくして令和バージョンはない!」と言っても過言ではない。

それだけ、主人公ゴウの「逃げ場所」だし、彼らにとって映画とは「人生が詰まっている」大きな存在だと思います。

 

 

私も映画を書いているし、語ってきましたが、年季の入った先輩方が好きな映画を話されていると「あぁ良いなぁ」と思いますもん( ◠‿◠ )

 

 

____

 

 

 

テラシンはとことん善い人で、ゴウが家出をすれば自宅に泊めて、営業後に無料で映画を見せて、売店のビールが盗られていることにも目を瞑る。さすがにお金は貸しませんが、それ以外のサポートはしてくれるという親友。

 

 

おそらく初見の方は、このテラシンを見て「お人好し過ぎる!」と思われるのでしょう。

テラシンの家族はこの映画に登場しませんけど、もし身内だったら「あんな人と付き合うのはやめて!」と止めるはず(^_^;)

 

 

だけど・・その理由が私にはなんとなく分かります。

テラシンは旧友でもあり元映画人であるゴウの才能に惚れているからだと思うのです。

 

 

松竹撮影所時代での交流は数年だけで、その後50年近く会わなかったように映画は描いていますが、若い頃のテラシンにとって監督ゴウは最たる才能を秘めていて、彼のヒーローだったのでしょう。

 

 

おそらく映画を見る観客の殆どが、ゴウよりテラシンの方が立派な人間に見えるでしょうし、私もそう思いますが、男が男の才能に惚れるってよっぽどのことなんですよね。憧れの存在。私はこの映画でオールド・テラシンが一番好きなキャラクターです。

 

 

さてさてW主演となります。

オールド・ゴウの沢田研二さんからヤング・ゴウの【菅田将暉】さん[28]へ引き継ぎです。

 

 

____

 

 

 

閉店したテアトル銀幕。デジタルではなく古いフィルムで、映写室からカタカタカタと銀幕に命を吹き込む。

テラシンは当時、松竹で映像技師として働いていた「この道」50年以上の大ベテラン。

 

 

単館劇場と映写機。日本映画史では初期から近年までセットだった上映方法。

 

 

その日本映画の歴史を共有する老人たち。

こうした描写が現代劇で観れるのは、もう少なくなっていくのでしょうね。

 

 

銀幕に古い映画が映し出され、始まり、ガサツな態度だったゴウも真剣な顔つきに変わる。

映写室から出た親友テラシンが後ろに座って、小津安二郎風の作品の批評をしている。

 

 

なんたる偶然(必然)だろうか。非常に縁が深い作品が映し出される。

 

次のシーンで桂園子の黒目にカチンコを持った僕が映るぞ!とゴウ。

 

どうやらこの作品の助監督を務めていたらしい。

 

 

回想に入るための動線部分。

銀幕では【北川景子】さん演じる昭和の大女優・桂園子が映り、黒目のアップになっていく。

 

 

 

__カット!!__

 

 

 

どの作品でも、回想シーンへの入り方にパターンがあります。

 

 

写真を撮るシャッター音。ハイ、ポーズ!カシャ。その時撮った写真を現在で(写真立て等のアイテム)見る主人公。逆もあり。

 

 

オーソドックスですが、これら一番輝いていた時代・瞬間キッカケで、過去・現在に繋げたり、

 

今作品のようにカチンコのヨーイスタート!で回想シーンに繋げる技法と切ない雰囲気が好きです。

 

 

キャメラの真横でカチンコを鳴らした若き日の郷直(さとなお)。愛称はゴウ、ゴウちゃん。以下、ゴウ。

 

 

沢田研二さんは新鮮(プレミア感)ですが、【菅田将暉】さんは年に何回も主演作品を観ているので、新鮮さは感じません。

 

 

髪を伸ばしたり刈ったり巻いたり・・毎回髪型に変化をつける俳優さん。

演技自体は舞台俳優向きだと視ているのですが、表情筋を使い熱演する様子は勢いがあるし、本当に器用な男優だなと毎回感心。

 

 

 

 

上の写真。若い助監督にピントを合わせると、後ろの老いた監督の立ち位置が霞む。縦社会の芸能界に若者の台頭。これはなかなか面白い映像ですね。

 

 

令和でオールド・ゴウが観ていた映画。

 

 

半世紀以上前に自分が助監督を務めていた映画を、令和の時代の波に飲まれていく映画館で鑑賞し回想シーンに入るという流れ、個人的に浪漫があって胸高まる気持ちです。

 

 

エンドロールで名前が出るわけですから、もう少し自慢したっていいのに・・。

 

 

先程。過去への回想シーンは「一番輝いていた時代・瞬間」と書きましたが、忙しなく過ぎる20代の夢老い時代こそ輝いていた時代であり、彼の人生の分岐点となるのですね。寝なくたって体力がありました(笑)

 

 

朝も夜も毎日のように撮影していた時代ですので、六畳一間のアパートには寝に帰るぐらいで、撮影所と酒場の往復がメイン。

 

 

山田洋次作品ならでは、人気だけの選出ではない実力派俳優陣の場面出演も魅力。

 

 

松竹の看板女優・桂園子役を【北川景子】さん[34]。

 

 

松竹の人気監督役を【リリー・フランキー】さん[57]。

ここ数年のフランキーさんは、下を巻く喋り口調が田中邦衛さんみたいに感じるので山田洋次監督に合うのかな?と懐かしい感覚にもなります。

 

 

劇中の松竹撮影所の現場は、まるで家族のような空気感があって、ピリピリもしているしワイワイもしている。

 

1つの作品を生み出すまでの「期間限定の家族」なんですけど、多分現在の芸能界よりももっとはっきりと物を言っていたと思います。縦の関係も凄かったんだろうけど。

 

 

フランキーさんも登場から、看板女優に対して「演技が下手くそ!」だとか、今だったら相当な関係性と信頼がなければ言えないだろし、そこだけ切り取られたらハラスメントになるセリフにドキドキ(^_^;)

 

 

____

 

 

 

文字数も絶賛増量中ですし、読者の方にとっても読みづらくなっていると思うので、要所だけを紹介します。

 

 

昭和と令和。この2つの時代を交互に展開し、20代と70代の主人公ゴウを、沢田研二さんと菅田将暉さんが演じます。

 

 

(平成はスルーΣ(・□・;)トリプル主演にして連続ドラマ化にして!)

 

 

昭和と令和、どちらも登場するキャラクターは、「ゴウ」と後に夫婦となる「淑子」、「テラシン」の3人です。

 

 

令和では二人の間に産まれた長女「歩」とその孫「勇太」。それとなくテアトル銀幕のアルバイト役に【志尊淳】さんが出演しているのにも魅力を感じます。さりげなく良い若手俳優が山田洋次作品に起用されてる!

 

 

昭和では、フランキーさんが存在感を出してのご出演ですが、演技の癖が強い為、この位の出演時間が丁度いいのかも(^◇^;)

 

 

北川景子さんが演じる松竹の看板女優・園子。

 

 

プライドは高そうだが、お高くとまる女性ではなく、現場スタッフとも親しい。

 

看板女優ですから、俳優や監督と交際している勝手なイメージがありますが、

 

桂園子は年下の助監督ゴウに対して好意を寄せていたり、ゴウの周りの仲間とも交流する。

 

そして引き際もしっかりしている女性で、ラストシーンが何とも印象的です。

 

 

 

 

私は記事の投稿数の割に北川景子さん出演の映画を書く率が高いのですが、毎回、驚く際の表情についてを書きます。

 

ドラマでもサスペンスでもコメディでも・・目(上瞼)をクワッとさせて仰け反る場面が特徴だと思います。

 

 

それが今作にはなく、終始「お姐さん」として若い子達を見守る様子に好感を覚えました。

 

 

昭和の女優さんって、相手役の俳優の目を、今の時代より、もっとしっかり見つめているから、雰囲気があったのでしょう。

 

目鼻立ちがハッキリしているから澄まし顔が絵になる!

 

 

「北川景子=人情ドラマ」というイメージが私には湧かないのですが、ここ何年かで母性的なオーラが自然と出ているように視えるので、次は山田洋次監督作品のヒロインとして銀幕で観たいです。

 

 

令和時代では(オールド)園子は登場しませんが、ご存命なら80代かな。個人的には生死の情報(ベタですが新聞で知るなど)なども作中にあったらドラマに感じるでしょうね。

 

 

___

 

 

 

そして、この映画のヒロインが淑子。

自己紹介で「紳士淑女の淑子です」と自身の名前の漢字の伝え方はウケました。

 

 

令和では【宮本信子】さんが演じ、昭和では【永野芽郁】さん[21]が演じます。

 

 

笑顔の感じが違うタイプの2名。永野芽郁さんは口角を上げてニコニコ笑いますが、宮本信子さんは口角を少し下げて笑顔を表現する女優です。この50年の間に「淑子も苦労したんだなぁ」と、私は良いように変換しました。

 

 

永野芽郁さん演じるヤング淑子は、撮影所の近くにある飲食店「ふな喜」の看板娘。

 

 

 

【広岡由里子】さん演じる女将は主張をせずに店の奥。陰日向に咲く「らしさ」が大変良い。

 

 

このお店は、撮影所のスタッフが行きつけで打ち上げにも使われますが、普通に芸能人も来店する大衆割烹屋って・・何だかいいなぁ。

 

 

 

 

撮影所に出前。「ふな喜のカツ丼」。

この時ゴウは、仕事仲間テラシンに馴染みの店の淑子を紹介するキューピッド役。三角関係の系図。

 

 

この映画の最重要人物であるテラシン。令和で再会する3人の最初の出会いです。

 

 

ヤング・テラシン役はRADWIMPSの【野田洋次郎】。

コロナ渦で誕生会を開いたことが明るみに出てネットで叩かれていますが、初演技とは思える小慣れた感がありました。

唇の動きが人情系ドラマと合いそうなので、今作品のように準主役で三枚目のポジションが個人的に合っていると思います。

 

 

テラシンは淑子に一目惚れし、淑子は密かにゴウに片想い。そんなゴウは純粋に親友のためを思い女の子を紹介する。

 

 

ゴウはお姉ちゃん遊びに勤しみ、酒・女・博打・仕事の毎日。これは令和でも引き継いでいる性分(酒と博打)。

 

 

大変残念なのは、菅田将暉さんが、女遊びやギャンブルをするよう軟派な男に視えないことです。

劇中でもその場面は台詞のみで、何となく暈されているように感じました。ギラギラはしているけどテカテカしてないんですよね菅田将暉さんって。

 

 

助監督として数々の現場を経験し場数を踏んでいくゴウ。

いつか自分の監督作品を撮りたいと、彼女や仲間に構想を語る。

 

 

 

 

生きた時代が悪かったと言ってしまえば、それだけのこと。

型に嵌まるセオリーや似たり寄ったりの演出、カメラワーク・・。

ゴウの頭の中の思いは、なかなか現場の家族(年上のスタッフ)には伝わりません。

 

 

そうして映画は、令和と昭和を行き来するのです。

 

 

物語はここでおしまい。最後にもう少し「現代劇」を書いて終わります。

 

 

____

 

 

 

昭和も令和も、どちらも現在進行の映画になりますが、20代と70代と間が半世紀あるので、夫婦生活の50年間も想像させて欲しかったのが正直な気持ちです。

 

 

令和のゴウは、俺なんかじゃなくて別の男と一緒になった方がお前は幸せになれたはずだ、と弱気になるたび悔いています。

 

 

映画が好きで松竹の撮影所で働いて、型にハマらない自分の作風を取り入れた監督作品を目標に突っ走っていたあの頃。ギラギラもキラキラもしていた若い日のゴウ。それがただただ落ちぶれて。。

 

 

高齢になって後悔している様子を観るのも観客としては寂しい気持ちになりますし、酒に溺れ女々しく嘆く老人の様も切なく思う。

 

だからこそ、そんな過去を知る友人テラシンの存在がこの映画では観客にもゴウにも救いになると思うのです。

 

 

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最後に1人、気になった登場人物。

 

 

長女、歩は出戻り。

バツイチかバツ2かは分かりません。その情報を気にするのは私ぐらいでしょうね(^_^;)

 

 

劇中に淑子の会話でチラッと察する「別れた夫」。

その夫との間に生まれた高校生の息子・勇太と実家に出戻り暮らしています。

 

 

細かい設定の説明がなされていないので私の想像となりますが、このお孫さんの描写が大雑把。

 

 

 

 

「学生」なのでしょうか。学校へ行っているシーンはなく、部屋に引き篭もりパソコン作業をしているので、よく分かりません。

 

 

孫役は【前田旺志郎】さん[20]。是枝映画2011年公開『奇跡』など、子役の頃から観ていて、現在上り調子の俳優さん。

 

 

演出だと思いますが、不思議な喋りをする役でした。

セリフも最初は棒読みで、黒目の位置も伏し目がち。

所々間が抜けているので、社交性が低い子なのかな?とも映画を見ていて感じると思います。

 

 

後半に大活躍しキーマンとなる孫。

 

 

 

そんな彼に対し、一番気になったのが、だらしない所作です。

 

 

孫がトイレから出てくる流れが劇中にありますが、太ももまでズボンを下ろした状態でトイレから出てきて、移動しながらズボンを上げる。

 

 

自分としては考えれられない!

 

 

現実のシーンで例えると

よくデパートなど公衆トイレなどで、入口の段階でチャックを触っていたり、ベルトをガチャガチャしたり下ろしながら小便器に向かって歩いていく男性がいますけれど、彼はそのタイプの人種なのかな??

 

 

私の場合は羞恥心の塊ですから(笑)家で1人の時も完全着衣の状態でトイレから出ます。

 

 

孫や息子に干渉していない家庭環境。ご飯も一緒に食べない。

親のしつけ的にもどうかと思いますし、あまり気持ちのいいシーンではなかったですね。

 

 

ただ孫・勇太は祖父・ゴウと芸術的感性が似ている血筋を描いているのと、劇中に数カ所DNAを見つけました。

 

 

テラシンと同じ「才能に惚れている」ことの尊敬があるため、ここに意図があるでしょうし、それを考えると興味深い映画脚本に思います。

 

 

____

 

 

 

鑑賞した日の帰り道で、スマホのメモアプリに残した恒例の書き殴りを載せます。これまで書いてきた内容と被ることはご了承下さい。(今回、ちょっと長いです(^_^;))

 

 

 

 

後半の20分ぐらいはコロナ渦と言う今の時代風景を作品に差し込んでいて、私には映画の進行上余計な描写かなと思いましたが、映画スタッフもたくさんメッセージを込めて思うことがあるだろうし、私自身も10年以上映画と言う愛すべきものを書いてきているので気持ちが分からなくもない複雑な気持ちになります。

 

残念だったのは、魅力的な登場人物・・銀幕女優だったり映画技師だったり沢山登場するのに、その描写・編集は場面出演感が拭えず結構消化不良な感覚になりました。この点は人情ドラマの第一人者である山田洋次監督らしくないな、と。

 

沢田研二さんはギャンブル依存症の老人役を荒っぽく、そして無邪気に演じられていらして、空元気なリアクションなので演技が上手いかどうか特には分からないけれども、その点を小林稔侍さんや周りの人たちがうまく固めているような気がしました。「あー生きていればこうだったかなぁー」など沢田研二さんに志村けんさんの面影を重ねたり、ある意味映画の中に志村さんの魂が描写されているんだと至る所で感じました。映画の中に魂が宿る。きっと相当な愛が込められて出来上がった作品なんだね。

 

細かいことを気にすれば、例えば大井競馬場に行くのなら勝ち馬投票権(馬券代)はいくら使うのか(100円から購入出来る)そういうことを考えたり、闇金融から借金を借りて返しているわけだけど取り立てがそこまでの感じだったし、借金の描写が前半のみに集中していて、それが設定の1つぐらいにしか考えを感じないのが残念です。銭ゲバ感はゴウだけでいい気がするのに、後半は家族で100万円を連呼したり、ここもしつこいように感じます。

 

 

今回の菅田将暉くんの演技にほとんど欠点はなかったんですけど強いて言えばギャンブルや麻雀や女好きって言う設定があまり感じられなかったので、それは沢田研二さんの接点や雰囲気に寄せて欲しかったです。

 

 

今は話題になった漫画や小説は大概映像化される流れで、この小説もいずれ映像化するのだろうと想像しながら読んだ原作小説。それを山田洋次監督がメガホンをとる知った時は意外に思いました。小説の設定である洋画の名画座で上映される『ニューシネマパラダイス』から、昭和の日本映画を上映するミニシアターに変更になっていたけれど、それが「ヨサ」になっているから素敵。文庫本の解説を書いていた片桐はいりさんが1場面で出演されていたのも嬉しかった。一度見れば満足する邦画が多い昨今、時々、ふっと観たくなる伝統的な日本映画。

 

 

____

 

 

 

テラシンの「テアトル銀幕」。

 

 

映画という完成度で考えてしまうと、新型コロナウイルスという社会情勢を作品に入れ込んだことで、後半部分はメッセージ性が高くなってしまっている。

 

 

これでいいのかもしれないが、何事もなく通常で映画製作されたのなら、どんな作品になったのだろう?とやはり思ってしまい、それが私のこの映画の鑑賞法の後悔です。

 

 

山田洋次監督が手がけた作品ということで、今後リメイクする可能性が低くなるため、やはりこれでいいのでしょう。

 

 

小学生の頃。父親に連れられて浅草六区の地下にある松竹の小劇場で『学校』を観た。

そんな幼少期の記憶が重なる幸福なデジャヴを得た作品です。

 

 

 

ありがとう 志村けん さん。

 

 

 

 

フォローしてね

 

 

【mAb】

THE映画評論『Old』

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ポリシーがありました。

 

I have a policy.

 

シネコンで上映される新作映画(知識のないアニメーションや女子受けラブコメ以外)は、ほぼ全て劇場鑑賞しようと。

特にシネコンで上映される洋画は全て鑑賞しようと。

 

 

多少の方向転換もありましたが、それを続けて19年。

20年目となる本年は、どうやら自己記録を更新出来そうにありません。

 

 

(T . T)

 

 

時代の世も変わりましたし、年齢も20代から30代に上がりました。

精神的にも肉体的にも変化を感じます。悔しいけれど。

例えれば、シンバルの音より木琴の音の方が心地よくなった。

 

 

現在は、コロナ渦で行動を制限したいという理由で、月に2・3本(多くても4本)のペースで鑑賞しています。

 

 

20年近く染み付いた、私自身の劇場鑑賞・テアトル体質も、この異変に順応してくれています。

 

 

___

 

 

 

今年に入り、新作の外国語映画も徐々にではありますが毎週金曜日になると日本で公開されるようになり、シネコンのラインナップを埋め尽くしていた日本映画オンリーの状況から、ようやく本来の光景を取り戻しつつあります。

 

 

上に書きましたが、「全て劇場鑑賞する気質・姿勢」ではなくなったため、

そのロードショウの中から、好きな人物が関わっている作品や直感で気になったものだけを選び、足を運びます。

 

 

読者の皆様に伝えれば

あの映画に狂っていたmAbが、月に2・3本しか映画を観ないんですよ!

 

 

・・・この鑑賞ペースならば、同じ本数分の記事を書けるかな・・なんて性懲りも無く考えていますけど(笑)

 

 

ならばそりぁ、その月に観る3本は、良作の映画を確実に観たいじゃない!?

 

 

20年近く、年間120本以上の劇場鑑賞を続けてきたからか、

「タイトル」と「キャスト」それと簡単な「あらすじ」があれば、例え予告編さえ観ていなくても、大概の予想とイメージが出来てしまうのが、幸か不幸か自分の特技です。

 

 

___

 

 

 

ハリウッド映画を愛する私にとって、シネコンを彩るマーベル映画やBC映画も気になるところですが、今の時期は商業映画よりも何かもう・・スカッとするアクション映画よりも・・渋い作品が観たいんですよね。

 

 

(この場合の「渋い」は観客が少ない劇場や作品の意味も含みます)

 

 

作品に携わる関係者には申し訳ないけれど、観客動員を見込めない本格派の劇場公開作品を狙って、当たり作だったらベスト!

 

 

それこそ筆者はシネコン上映の映画中心のブロガーですが、かつてはミニシアターに足蹴なく通って、変に玄人ぶって紹介したりしていた時期があったので、そういう発掘心は今でも残っています。

 

 

(ミニシアター系に通い続けると玄人の雰囲気になるんですよね。今は王道路線ですけど。)

 

 

コロナ渦での鑑賞となるため、自分なりの「感染対策映画鑑賞」を心掛けます。

私が鑑賞する際のソーシャルディスタンスは貴方様が想像するよりも広いと思います。念には念を入れるように心掛けております。

 

 

緊急事態宣言が発令されている都道府県の映画館は、座席を1席空けての販売。

 

 

券売窓口や券売機で指定席を選ぶ際に、2席以上・・いや、間隔が空けば空くほど気持ちが安心するので、四方八方に人がいない席を購入します。

 

 

それなのに後から購入された人が、私の真横に座ってこられたら、「どうしてここを選んだのΣ(・□・;)」と焦ることも(^_^;)

 

 

でもまぁ、基本的に観客の方々は静かに言葉も発さずに鑑賞されていますから、私の気の張り方が強いだけなのかもしれませんけどね(^_^;)

 

 

この日もフライデーナイト。最新作の封切日でしたが、事前にキャストやジャンルから観客入りをイメージしていたのと、基本的に混まない劇場を選んだため、1割ほどの観客人数の中で有意義に鑑賞する事が出来ました。

 

 

では始めます。

 

 

_____

 

 

 

8月27日。金曜日。

公開初日となるハリウッド映画『オールド』を鑑賞。

 

 

 

 

監督🎬

【M・ナイト・シャマラン】

 

 

配給[東宝東和]

 

本編[1:48]

 

 

 

純粋に凄い映画に当たったと思います。

 

 

何が凄いと思ったのか?

 

 

色々と興奮しましたけど、一番伝えたいのは「脚本を映像で伝える能力」が圧倒的だったことです。

 

 

この脚本って・・撮り方や描写次第で、非常に退屈になるだろうし駄作にもなりかねない。

 

それを絶妙なテンポと空間認識能力で押し進めていくから・・・純粋に凄いと思いました。

 

 

人が死んでいく映画であり、楽しい気分になる映画でもない。

好き嫌い・好み苦手、得意不得意は其々だと思いますし、今作は描写的に受け付けない方もいらっしゃるでしょうけど・・個人的には大当たりです。

 

 

今年は本数自体を観ていないので分母は少ないですが、現時点で今年一番の映画だと推します。

 

 

まぁでも・・何回も観たいと思う内容ではないけどね(^_^;) 二回は観たい。

 

 

一度目の初見で充分に楽しめて、二度目を観る場合を想定すれば、出演陣の動作や発言(セリフ)に注目しながら鑑賞する。

 

それできっと、私は二回目を見終わった後に、再び思うのでしょう。「凄い映画だ」と。

 

 

___

 

 

 

前半中盤入りまでの描写を膨らませて書き綴るスタイルなので、勿論後半部分の内容は語りません。安心して読み進めてください。

 

 

冒頭から伝えています通り、この作品は私の思う傑作である。その気持ちが強いです。

展開を大事にしている作品なので、書ける内容は限られますが、基本的にこの記事はベタ褒めで最後まで書くと思います。

 

 

サスペンス映画やミステリー映画といった当たり外れのあるジャンルで、ましてや【M・ナイト・シャマラン】[51]という・・これまた近年は当たり外れのある監督なので、「当たればいいなぁ」と願いながら鑑賞しました。

 

 

M・シャマランは、ブルース・ウィリスとコンビを組んだ『シックスセンス』『サイン』で世界的成功を収めた新進気鋭のインド監督で、特に『シックスセンス』は世界というよりもアメリカ国民の賞賛度がケタ違い。

 

 

アメリカ人が選ぶ国民的ホラー映画の1つです。

 

 

しかし、ここ10年くらいのM・シャマランは、ヒットメーカーには変わりないにしても、絶対的な立場には君臨していない気がします。個人的に『エア・ベンダー』はmAbラジー賞。以降『デビル』。ウィル・スミス親子共演で話題となった『アフター・アース』。『ヴィジット』等も申し訳ないけれど低評価にm(__)m

 

 

アメリカ国内では新作が公開されると毎作注目され、収益も見込まれるネームヴァリューの強い監督なのですが。

 

 

そんな停滞期の印象を監督に持っている私が、鑑賞前に注目したのが「本編の時間」で、予告を入れて115分ほどと、このジャンルにしてはやや長め。

 

 

(この映画の本編はエンドクレジットを含め108分)

 

 

最近は数えるほどしか劇場に足を運ばないけれど、運よくGETしたチラシ。

 

 

その裏面には・・

 

 

 

 

「海岸に打ち上げられた女性の死体、次々に意識を失う人々、砂浜に残された謎のメッセージ」と紹介されていて・・

 

 

長年のチラシ収集ゆえの経験から、こういう文言で紹介される場合は、大抵、削ぎ落としが多く、※観客を飽きさせない為にサクサクと展開を進めた結果、本編の時間は100分あるかないかです。

 

 

(※ハリウッド映画はこれが重要)

 

 

なので経験より10分ほど多い尺を意外に思いました。

無駄に説明を入れるのか?ドラマ要素を強くするのか?。

それは「観てからのお楽しみ」ですが、鑑賞前にそれが気になりました。

 

 

「観てからのお楽しみ」と劇場に来場。約2時間後、当たり前のことですが「鑑賞前」が「鑑賞後」に変わる。

 

この映画を「観たこと」に変わります。

 

 

まず思ったのが「(自分の)予想よりも上じゃん」という嬉しさ。

 

 

そして、チラシを制作された方には大変申し訳ありませんが

 

「海岸に打ち上げられた女性の死体、次々に意識を失う人々、砂浜に残された謎のメッセージ」の文言は紹介文としては駄文だなと思いました。

 

 

特に「次々に意識を失う人々」ですと、意味が変わってしまうし、作品の世界観を軽視しているように感じます。

 

なんだかこう・・他に観客を呼び込める紹介の仕方が広告であったのではないかと思ってしまったのです。

 

 

全ては今作をS-RANKだと信じてやまない私の生意気な気持ちが、そう感じてしまうだけなので、この文言で正解と感じる人も多いと思いますm(_ _)m

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

物語)

 

 

都会の喧騒から離れたリゾート地に建つ高級ホテルが舞台となり、主人公[カッパ]一家を中心に物語が進行していきます。

 

 

・・カッパ一家と書くと、日本人には妖怪の河童一族みたいに想像・・される方もいらっしゃるかな(^_^;)

 

 

カッパという個人的には聞き慣れない苗字の4人家族。国籍は分かりません。

父親役がメキシコ人俳優なので中南米からのお旅行者かと勝手に想像。

奥様は白人。二人の子供の肌の色は娘が白色、息子がスペイン系に多い褐色。

 

 

Wikipedia、公式サイトとも詳しい情報がないため、今回はウィキペディアのページから役名一覧を引用し、物語の紹介は鑑賞した記憶を思い浮かべながら記事を書いていきたいと思います。

 

 

都会から離れたリゾート地に宿泊。

 

 

今作品の撮影地がドミニカ共和国ということ。世界中でロケをするハリウッド映画の場合、ロケ地と本編の土地は関係しない事が多いけれど、ドミニカ共和国は元々アメリカ州でしたし、スペインの植民地。ヨーロッパの観光客も多いため、南国のリゾート地で考えるとしっくりくるかも。

 

 

カッパ一家。

父親ガイ・母親プリスカ・長女マドックス11才・長男トレント6才。

 

 

この家庭は現在離婚の危機に直面していて、高級リゾートホテルに宿泊しているのに夫婦喧嘩をしているという。。。個人的にはお金の無駄遣いかなと思ってしまいます(^_^;)

 

 

まぁでも・・お金持ちは、こういう旅行で「リラックス」を求めると言いますもんね。

観光地に行ったり遊んだりしないで「のんびりする時間」を大事にするイメージです。

 

 

食事以外は各自別行動。子供達もプールやビーチを探索。

 

 

長男のトレントはホテルに住んでいる?同い年くらいの「現地の男の子」と友達になり、2人で遊びます。

高級リゾートのホテルに、宿泊客でもない現地の少年が出入りしている光景も、なんだか奇妙でした。

 

 

旅行者は滞在期間が終われば家に帰る。

 

 

「もう会えないんだよね」と何やら意味深で寂しそうに呟く現地のトモダチにトレントは伝えます「僕らは友達だろ。別々の場所にいても、ネットや電話で繋がることができるよ。」。嬉しそうな少年。

 

 

(※台詞の文言は正確ではありません)

 

 

夜になると夫婦喧嘩。子供は親の喧嘩が終わるまで身を寄せて待つ。

「もう終わったかな」。慣れっこのようだ。

 

 

翌朝。朝食時。

 

 

家族のテーブルにやってきたホテルのマネージャーから「宜しければ、秘密のビーチに招待します。私はあなた方が気に入りました。他のお客様には内緒です。どうしますか?」と優しく尋ねられます。

 

 

断る理由もなく、気分転換と旅の思い出に、と家族は2つ返事で承諾。

暫くして集合時間となり、ホテルから出発するワゴン車に乗り込むのです。

 

 

移動者の運転手の顔に見覚えが・・M・シャマラン監督でしたΣ(・□・;)

 

 

 

 

日本ではよくあります「監督and出演」。

でも本来は元々「俳優で活躍されていた方」が監督をする際に、「自身も出演するパターン」が多かった。

『ピッチ・パーフェクト2』のエリザベス・バンクスなどもそうかな。

 

 

監督が自身の映画にも出演するのは珍しい。それも結構・・重要な役なんですよね。俳優シャマラン・・職権乱用だ(笑)

 

 

車に乗り込むと他にも車内には宿泊者がいて、自分たちだけだと思っていた家族は少しガッカリします。

 

 

マネージャーは、他の方には内緒ですよねと誘ったけれど、他のグループにも「特別ですよ」と言って回っているわけですから。

 

 

(現実の世界でも、こういう口説き方をする人間は信用なりません(^_^;))

 

 

長男のトレントは初対面の相手に「名前と職業」を訊ねる6才の少年。「こんにちは。名前と職業を教えて!」

子供ならではの社交性。

 

 

海外の高級リゾートホテルですから、宿泊者はそれなりの地位や身分にいる方々ばかり。

 

 

よくあるシチュエーションですが、怪我や病気の緊急時に「お医者さん、いませんか!?」と叫べば、「ここにいるよ!」と返ってくるから、映画的には好都合な状況が創られます。

 

 

「参加者」の内訳は。

 

 

主人公一家の四人。

 

 

もうひと家族は・・ごめんなさい。名字を覚えていないため「特徴」で紹介していきます。

「医者」チャールズとバービー人形のような妻クリスタル。二人の一人娘6才のカラ。さらに医者の母親(老婆)と小型犬。こちらは3世帯4人(+1匹)でバカンスに来ている旅行者です。

 

 

それと2家族に遅れて、後続便で合流する中国系男性ジャリンとアフリカ系黒人女性パトリシア夫婦がプライベートビーチのメンバーです。中国系男性と黒人女性のカップル。日本だと性別が逆の夫婦が多いですけど、昭和生まれの私にはまだ違和感があるなぁ。

 

 

運転手は立ち入り禁止のゲートの前に車を止める。

 

 

ゲートを開くと積み込んだ荷物を男性陣に渡し「ここから先は歩いて向かって下さい」と、パラソル等バケーションアイテム、そして食料が入ったクーラーボックスを預けます。「こんなに食料・・多くないか?」と尋ねる。

 

 

半日ほどの滞在(おそらく日暮れ前には送迎車が来る計算)を予定しているのに大量の食料を手渡される・・・

 

 

(これ明らかに「これからサバイバルをして下さい」と伝えているようなもんだな)

 

 

運転手はそれら客の疑問をそれっぽく答える。

一同は特に疑うこともなく道なりに歩き、入江を目指して進みます。

 

 

この映画の流れを見ながら、

高級リゾートホテルが管轄する立ち入り禁止エリアを一部の客に解放するのは分かりますが、

密林地区を抜けて目的地のビーチまで、客自身に荷物を運ばせるなんて、一流ホテルではないと思いました。

でもまぁ、そのことはスルー致しましょう。禁止エリアに行くなんて、悪いことをしているみたいでスリリングですね!

 

 

南国の草木を抜け、現れた洞窟を潜ると、プライベートビーチが180度広がり興奮。

 

 

 

 

ビーチには同じホテルに宿泊していた先客が1人います。

 

それを見て11才の長女マドックスは大興奮。

 

 

若者に人気の黒人ラッパーのセダン。

 

 

一人で座っている彼に「話しかけていいかな」。父親は「プライベートだからよしなさい」なんて話している。

 

 

 

 

不仲の関係は継続中の夫婦。

旦那のガイが「一緒に(海へ)行こう」と誘っても、妻のプリスカは「今何しているか分かる?本を読んでいるのよ」と避けた態度で読書タイム。。旦那の方が歩み寄ろうと努めているのに、この態度って・・同性としては可哀想に思いました。

 

 

このビーチに足を踏み入れた瞬間から、カメラワークが横に180度スライドしたり、観客が酔わない範囲で画面が歪む感じがしました。

 

 

そして各自、それぞれのグループに分かれてこのプライベートビーチを楽しむのですが・・

 

 

すぐに緊張した状況に変わります。

 

 

トレントが海水浴をしていると

 

 

 

 

水死体がやってくるのです。

 

 

 

 

子供の叫び声に大人たちが走り、男たちの手でビーチに引き上げられた全裸の女性。

 

 

ちなみにこの映画。上の女性の「ヌードシーン」や、以降の展開で「開腹・残虐なシーン」はありますが、全て映像で「見せない」ように務めています。

 

 

おそらくリアルなシーンが見たい人は「見せない演出」に物足りなさを感じるのでしょうけど、私は逆で見せないからこそ想像力を働かせる事が出来ると思うのです。

 

 

そういう描写が苦手な方も安心して鑑賞できる仕様になっています。

 

 

____

 

 

 

プライベートビーチに到着早々。水死体が流れ着く展開。

 

 

普通なら、遊び心など無くなると思いますが、彼ら数分後には浜に打ち上げた死体にシートを覆って、ビーチ時間を楽しむようになっているから不思議。

 

 

そしてこれらも全て伏線になるから、それが繋がる時こそ悦ばしい。

 

 

それから時間にして30分ほど流れ、更に奇妙なことが目の前で起こります。

 

 

「うちの子見ませんでしたか?」と子供を探す母親のプリスカの元に現れたのは・・・ティーンに成長した娘と息子でした。

 

「・・マドックス? ・・トレント?」

 

さすが母親。状況は飲み込めないけれど、この二人が自分の子供であることは理解します。

 

 

「ママ、ぼくたち何だか変なんだ」

 

 

医者は言います「どう見ても11歳くらいだぞ」。

 

 

この前のシーン。ビーチに到着した辺りから、6才のトレントは母親に海水パンツのサイズが小さいことを2度ほど訴えています。

短時間で6才から11才の体に成長。成長期の股間の違和感は「性の悩み」。精神的に不安であると想像できる描写。

 

 

このビーチに来てから滞在1時間ほどで、子供の肉体がプラス6才ほど成長したのです。

 

 

娘のマドックスも17・8歳ほどになり、胸も膨らみ大人の女性の体に。

 

 

同じく、医者家族の6才の一人娘カラも、長男と同じ期間で11才に成長しました。

 

 

観客はここで1つ理解します。

 

 

「この場所にいると子供が成長してしまう映画なんだ」と。

 

 

____

 

 

 

(前半が終わり中盤へ。中盤で描かれる内容まで消化します。)

 

 

するとこの後、全容が見えて来て、作品自体が大幅に面白さを増しました。

 

 

お婆さんが死にました。苦しまずに逝きました。それとほぼ同時に犬が死にました。

 

 

子供だけではなく、全ての生物が、この場所に滞在すると、異常なまでのスピードで時の流れの犠牲となるのです。

 

 

(ちなみこの、世にも奇妙な砂浜には、人間と犬以外の生物は登場しません)

 

 

先程の6才の子供が11才くらいに成長した、という流れで、1時間で5年間、という成長が理解できました。

 

 

(正確な時の年数は映画の後半に出てきますので、ここでは5年間で伝えます)

 

 

ここの発想も秀逸!

 

 

この5年間。

 

 

子供の場合は成長ですが、大人の場合は老化になることを忘れてはいけません。

 

 

丁度、私がネットで読んでいた東京薬科大学のサイトに書いてあるので、リンクを貼ります。

 

 

 

 

「おい。息してないぞ!」

 

 

到着時点、すでに老人だった老婆は、滞在わずか1時間ほどで息を引き取ります。

体のケアもしっかりなされているオシャレな淑女老婆でしたが、おそらく死因は老衰でしょう。

 

 

「おい。犬も死んでるぞ!」

 

 

犬種にもよりますが、犬の寿命は15年ほどですから、老婆と同じタイミングで寿命がやって来ました。

 

 

(この寿命という考え方が、この場合は正解かと思います。)

 

 

立て続けに死んでいく人々、犬。

一同は集まり、魔女狩り(犯人探し)を開始。

 

 

なんだか、それまでリーダー格で発言力があった医者のチャーリーの様子が変です。

何かに取り憑かれたように、冒頭の彼とは人格や雰囲気が違うようにブツブツ喋るようになっています。

 

 

1時間で5年の歳月が流れるビーチ。

人間も1時間で5つ、年齢が増える。

 

 

それに気付いた時、「冗談じゃないぞ!」と脱出を試みる者。

しかし洞窟を抜けようとすると、強烈な目眩に襲われ、失神してしまう。

 

 

そうこうしているうちに また1時間が過ぎて、最年少6才だった、トレントと、医者の娘カラも、お年頃のティーンエイジャーに成長します。

 

 

 

 

 

 

(僅か滞在1・2時間で、上の女児がここまで成長します)

 

 

早く出なければ老化現象が・・1時間・・いや10分だけでも体に変化が現れる。

10時間滞在すれば50年。ここにいる殆どのメンバーが死んでしまうだろう。

 

 

正確な数字ではありませんけど

単純計算で1時間で5年の月日が経過すると想定した場合。

365日✖︎5年=1825日がわずか1時間で経過。

 

 

1時間は60分ですから、1分間で約30日間の肉体の成長が進むわけです。

 

 

ここに集められた人間たちは、高学歴や高収入で、頭が良く生活的にもゆとりがある人ばかり。

 

急激に老化が進む刻の中で次を予測します。「もうすぐで◯◯になるぞ」。

 

 

 

 

さあ!

果たして、彼らはこの場所から脱出できるのでしょうか!?

 

 

_____

 

 

 

物語の流れと、このビーチの時空の件については書かせて頂きました。

 

 

続いて、気になった点などを紹介し、作品の見所を私なりに紹介します。

 

 

映画に登場する役者は、白人・黒人・スパニッシュ系にアジア系。

 

監督がインド出身なので多国籍の俳優を起用する傾向なのかな。

 

 

参考までに。最近サイトで読み勉強した記事によると、インドの男性は色白の女性を好むそうです。

褐色のイメージが強かったけれど、そう言われればインド映画の女優さんは色白ですもんね。リンクを載せます。

 

 

 

 

 

 

話を戻しまして・砂浜に多国籍の人々、この場所から脱出が出来ない状況。

 

冒頭の全員集合の場面は海外ドラマ『LOST』を見ている感覚に一瞬なりました。

 

 

その後、先ほども書きましたが、ビーチ一帯は1分間で30日ほどの時が流れます。

 

この映画は多くの場面で、右から左、左から右へと、180度にスライドしていくカメラワークが多く、

 

その際にモワ〜ンとした時空の歪みを感じてGOOD!ですし、これから観られる方はスライドカメラワークの際に、様々なドラマが行われているところに注目してくださいませ。

 

 

例えば、舞台のように、舞台上で全ての役者が其々の家族ドラマを演じている感じです。

 

 

1時間で5年間の成長です。

私も直ぐに40代になりますよ。ゾッΣ(・□・;)

 

 

それを考えたら1分間でも・・もっと細かく1秒単位やミリ単位・マイクロ単位・ナノ単位でも、人間の成長はエグいことになるでしょう。

 

 

それより何より怖いのはいつまで生きていられるか?いつ死ぬか?ということですね。

 

 

年齢と共に思考能力も低下し、脱出を試みる者も次第に減っていきます。

一番厄介なのが、年を取るということで、気力を奪われたり、どうでもよくなること。

 

 

若い年齢の、マドックス、トレント、カラが助かる方法を模索。

 

時々ピカッと光る反射物に気付き、ほら!対岸の山の上に建物が見えるだろ。僕らは監視されているんだ。

 

 

断崖の壁では過去にこのビーチで絶命した人達の私物を発見する。脱出を試みた者もいただろう。だけれどそれが叶った例はない。

 

 

1時間、2時間、3時間、4時間、ここまで来れば約20年間の年数が流れます。

SF映画の冷凍保存みたいに、時だけが進むのではなく、確実に彼らは20年分老いていきます。

 

 

5時間、6時間、親の番が来ます。「何に対して喧嘩していたのか、もう何も思い出せない。」

このセリフは大変印象的で、この後のシーンは美しく。胸に沁みました。

 

 

終盤の流れも黒幕の紹介も、分かりやすく。ある意味、納得する自分もいて。

もう少し詳しく知りたいとモヤモヤに思う反面、これくらい方がいいと思うスッキリさもある。

 

 

このビーチだけが時間の進み方が違う。

他の場面では時間の進みが通常ですから、夫婦は言い争いもするし、当たり前に日が暮れる。

 

途中からは喧嘩する時間が勿体なくなり、どうでもよくなり、家族で励まし合うようになる。

 

 

 

いかに「秒」と言う概念が「贅沢」なのかが分かり、映画冒頭からの終盤まで初志貫徹です。

 

 

_____

 

 

 

この映画の中で最も優れていると感じたのが「メイキャップ」

 

殆どが初見の俳優で、経歴を見ても、日本のシネコンで上映される作品には出演されている方が少なかったです。

 

 

主人公夫妻。

父親ガイ役はメキシコを代表する中堅俳優の【ガエル・ガルシア・ベルナル】[42]。

 

 

母親プリスカは【ヴィッキー・クリープス】[37]で西ヨーロッパのルクセンブルク出身の女優さん。

フィンランドを舞台にした2011年アメリカ映画『ハンナ』にも出演されていますが、見覚えくらいの印象です。

 

 

子供達は年齢とともに役者も変わりますが、大人たちは一人の俳優が人生の終焉まで演じ切ります。ゆえに役者の技量も問われますが、メイキャップに全てがかかる。

 

 

5年10年と、しっかり人間の年の経過を感じることが、映画の画面越しから分かる。

 

「こういう感じで年を取るんだろうな」とイメージする俳優の将来の顔に。

 

特に母親プリスカは「お見事!」で違和感が全くないし、父親ガイは年とともに視力や焦点が低下していく。

 

 

(誰かガイに老眼鏡をあげてΣ(・□・;))

 

 

さらに。

「黒人はシワが少ない」と言う何気なく入れている作中のセリフも秀逸。

 

 

中国系夫の妻パトリシアは、滞在中「テンカン」で倒れるシーンがあります。

癲癇は意識障害系の脳の疾患で、突然意識を失って倒れ、全身が硬直し痙攣する病気。

 

 

 

映画で黒人は二人。彼女と人気ラッパーのセダン。二人は年を取っても皺は殆どない。

 

 

個人的な見方で、年齢と共に小ジワ・大ジワが気になる人も多いと思うけど、黒人の皺が少ないをヒントに美容薬品を開発してもいいんじゃないかな?人類の発端はアフリカなんでし。

 

 

子供達は、この映画の中で、四人の役者を起用し、時間が経過するたびに似たような顔立ちの役者が引き継いでいます。

 

 

例えば長男トレントで言えば、冒頭の6才、11才、15才、oldと子役から大人まで計四人の役者がトレントを演じる。

シーンが変わるたび「あっ。役者がチェンジした」と、やはり役は一緒でも役者は別人なので気付きます。しかし、皆が大体似ているので、そこまで違和感がなく成長過程として観ることが出来ました。

 

 

ちなみに15才トレントを演じるのは【アレックス・ウルフ】[23]で、ハリウッド映画『ジュマンジ』で主演を務めるまでの若手俳優。コメディでもないのに、いつもちょっと口が開いてて、トボけた表情をする俳優だなと思います。

 

 

登場人物の紹介はこれで最後です。

 

 

徹底的に美容に気をつけているブロンド女性クリスタルがいて、医者の妻、義母との家族旅行。基本、娘のカラと二人で行動します。

 

 

印象的なのは、ホテルのテラスでの食事シーン。

 

 

自分の娘に「イスは深く腰掛けてはダメよ」と教えます。背中をつけて座ると将来、腰が曲がるから、というのが理由。

 

この映画で個人的には一番、拘っているのではないか?と思ったのが、この女性クリスタルで、抜群のプロポーションを誇ります。

 

 

 

 

まさに論より証拠で、年を取っても姿勢の歪みはないし、背筋がピンとしているんですよね!

 

 

そして大病院の院長の妻という「玉の輿」に乗ります。

 

 

自分がそうであるように、(おそらく)娘の将来のためを思って、女性に生まれてきたからには完璧な女性のルックスを、の精神。

 

 

彼女はこの映画を語る上で、精神的支柱だと思います。単なるバービー人形的キャラクターと思ったら違うぞ!

この映画で訪れるビーチの空間は超高速で過ぎ去りますが、彼女はおそらく娘の年齢の時期から、ゆっくりしっかり時間をかけて女性の肉体や姿勢を作っています。

 

 

結構、勉強になります。クリスタル先生の教えは。

クリスタル先生の美への心得や姿勢をもう少し聞きたいと思った女性も多いはず。

 

 

将来への投資を忘れなかった

 

だけれど、こんがり日焼けはするので・・・年を取り、骨は丈夫だけど・・皮膚は・・。

 

 

この映画のポスターはクリスタル。

 

 

年を取り、麦わら帽子は、もう遅い。

 

 

 

 

 

クリスタルを演じた女優はオーストラリア出身の【アビー・リー・カーショウ】[34]

なんと身長が181cmもあるスーパーモデルといて世界中で活躍しています。

 

 

 

 

美しさを求めて追求する女性が多いし、

 

それこそエリザベートのように若い女性の生き血を飲んで不老不死の美を求めるようなキャラもいますけど、

 

彼女の場合は幼少期からキレイでいるための努力と「将来の投資」を一切欠かさずに怠らなかった女性なんですよね。

 

彼女の旦那が「何だその顔、メイクをしろ!」とパワハラ気味に言いますが、年老いてもカッコいいとさえ私は思いました。

 

 

____

 

 

 

全体を通して、少ない(掛け合い)セリフの中に、かなり映画を解読する伏線となる言葉を入れている脚本だと思います。

 

 

自分自身の肌感・・というか、ラストのオチを知った時の納得・腑に落ちる、好きな感覚で・・

 

 

大概の作品が生意気ですけど「こんなものか」と鑑賞の労力を考え自分自身をポジティブに納得させますが、この作品は違う。「腑に落ちる」感覚がずば抜けています。

 

 

グロテスクな描写もないし、怪物が出てきて人間を捕食する描写もない。

ただ時間だけが異常なまでのスピードで流れていくだけです。

 

 

更に、登場人物たちの行動を淡白な描写で描いているけれど、実は1人1人の内容が濃厚なのもいいです。

本来こうした次々に場面展開していく作品を作ると、出来上がりは消化不良を感じてしまうものですが、いい意味で観客に頭を使わせて想定させてくれる為、鑑賞中に飽きが来ることはありませんでした。

 

 

あらゆる想定を映画の中で入れているので、これ以上はいらないと思いますが、食事のシーンがあまりに少ないのと、数十年の時の流れが経っても「体型」が変わらなかったのは、少しだけ説明が欲しかったです。一人を除いて。

 

 

冒頭に書きましたけど・・少ない鑑賞数で、非常に完成度の高い作品に当たったという充実度が高いです。

 

もし劇場で映画鑑賞をされるようでしたら、この作品を一押しさせて頂きます。

 

 

 

 

 

 

脚本 17点

演技 14点

構成 16点

展開 14点

完成度15点

 

 

[76]点

 

 

 

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【mAb】

THE映画評論『The Conjuring: The Devil Made Me』

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公式サイトのホームページに

 

>もはやマーベル(MCU)に匹敵すると言っても過言ではないほど急拡大を遂げるメガヒットシリーズ<

 

との紹介文が書かれてありました。

 

 

映画情報誌などをチェックしなくなってから、流行や情報に対してかなり疎くなりました。

正直そんなことになっていたのかΣ(・□・;)と現状に驚き。

 

 

飛ぶ鳥は全て落とす勢いのハリウッドの超花形でドル箱のアクションヒーロー映画を、実話が売りのホラー映画のシリーズ物が迫るってくる・・・まさにどこまでも食い憑いてくる存在脅威。

 

 

___

 

 

 

シリーズの初期作品を劇場で見たときの事は、今でも鮮明に覚えています。

 

あの頃は、まさか悪魔祓い系のホラー映画がシリーズ化するなんて思わなかったから、単発映画を楽しもうと思った初秋の夜。

 

 

(あっても2か3の続編止まりかなって)

 

 

鑑賞中。

一番の興奮材料になったのが、出演する子役陣の中に【マッケンジー・フォイ】[現20歳・当時12歳]の名前があったこと。

一人でマッフォイ!マッフォイ!なんて心が躍る声を出していましたね(笑)

 

 

彼女はその後、ディズニー映画のプリンセス(くるみ割り人形)になるまで登り詰めますが、デビュー作となる『トワイライト最終章』で大ファンになってから、大人の女性になった今日まで熱い気持ちは変わらないし、当然インスタもフォローしている(笑)(乗馬の写真が多い)エルファー(エル・ファニング)と同じ熱量で彼女のビッグファンを続けよう。

 

 

そして第1作目の監督に【ジェームズ・ワン】[現:44]という名前。

ホラー映画界隈では既に名の知れた人物だったけれど、この頃はやはりアジア系がハリウッドで活躍するのは少なかったし、正直、物珍しさがありました。何より30代でハリウッドの映画監督でしたからね。

 

 

10年前はエンドクレジットの一番先頭に少なかったアジア系の個人名。

現在は増えてきました。10年後はもっと活躍が予想できるな。世界は欧米ではなくアジアを中心に回るかもしれません。

(なーんてね)

 

 

今から8年前の2013年10月。

シャレオツなショッピングモールららぽーと内にあるユナイテッド・シネマ豊洲で本作品を鑑賞。

 

 

22時台のレイトショーとなり、終了時刻はシンデレラなら大ピンチな深夜24時。

確か・・上映している劇場もかなり少なかったと記憶しています。

 

 

 

 

(この頃は2日に1作品は映画批評を書いていました。あの頃にはもう戻れない(⌒-⌒))

 

 

 

それから3年後に続編。日本公開7月。こちらも記事にしていました。この頃くらいまでは大体書いていました✒️。

 

 

 

 

 

 

それ以降は『mAbによる映画一期一会』は筆者が怠慢モードに突入していくので、劇場鑑賞はしましたが記事にしなかった続編となります。

 

 

一応「実話」という最大のウリがあるため、ネタが続く限り今後も長きに渡り続いていくであろうシリーズ。

時系列をまとめているWikipediaのページを貼らせて頂きます。

 

 

 

 

そして今作。都内のTOHO-CINEMASで上映されていることに一番に驚きました。

 

 

初期の頃はTOHOでの上映がなかったので、慣れない他系列シネコンに足を運んでいたから「念願叶う」と言った感覚。

 

 

でも・・皮肉にも現在はメインで鑑賞するシネコンがTOHOではなくなり、他シネコンの方に観に行っているんですよね(^_^;)

 

 

では始めます。

 

 

___

 

 

 

原題『The Conjuring』。

日常の英語では使わないであろう単語。

 

「Conjuring」は日本語で「祈祷」を意味し、基本的には悪魔祓いの物語

 

 

邦題に注(イチャ)文を付けることが私は多いですけど・・・『死霊館』というタイトルはなかなか味があると思います。

 

 

このジャンル(悪魔系ホラー)を代表する邦題だと『死霊のはらわた』がありますけど・・「死」んだ「霊」の「館」って3つの漢字が想像力を働かせてくれる。

 

 

そもそも死んだ霊の漢字を想像すると面白い。

元々、幽霊=死んでいますので、あえてそこを強調する必要性って何だろう?

 

 

これだから日本語は面白い。英語は基本的に記号ですから深みはない。だからこそ解釈された邦題が私の中では重要になってきます。

 

 

これまでのおさらい。

 

 

主人公のウォーレン夫妻は、悪魔祓いを成功した戦利品に、悪魔(悪霊)が取り憑いたアイテムを持ち帰り、自宅の一室にそれらを保存します。

 

 

特にタチが悪いのアイテムが、第1作目のアナベル人形で、夫妻はケースの中に閉じ込め厳重に鍵をかけて保管します。

それ以外は基本的に置いてあったり壁に飾ってあったりするだけですから、ちょっと扱いがコレクション的に見えます(笑)

 

 

完全に成仏していない状態で保存するので、時としてそれらは悪さをします。

悪さをしなけりゃ映画になりませんからね。

死霊館ではなくて、ある意味、生き霊館みたいです(^_^;)

 

 

アメリカはカトリックがメインなので大元の元凶は悪魔。

9割型、取り憑かれる被害者は信心深いカトリック教徒です。

 

 

そもそもカトッリック教会や、今作の主人公のように教会から認可を受けたスペシャリストが悪魔祓いを行い、聖水をかけて悪魔が「ギャー!」と叫ぶ。宇宙語というか悪魔語を喋り、人間の体の限界を超えた異形でハイチーズ。これが定番。

 

 

低級の悪魔ならそれで済むけれど、それで済まないからこそ映画になる。

 

 

所変われば品変わる。

 

これが他の宗教、日本でいうなら神道と仏教などですから、「悪い存在」の描き方は変わるのでしょうね。

悪魔ではなく幽霊や呪い等「いにしえ」系ホラーと形を変えます。

 

 

以前、日本でも2018年に中島哲也監督の『来る』という神道系のホラー映画を製作しました。日本中からこの日のために集まった巫女など信仰の使いが祈祷をお捧げますが、結果全滅。神(いにしえ)には叶わないというオチでした。

 

 

悪魔系ホラーも基本線の構成は似ていて、解決策は悪魔退治ではなく結局「悪霊退散」くらいしかないんですよね。

 

 

なんとかして取り憑いた体から悪魔を追い出す。そのために悪魔祓いが暗躍する。

 

それまでの描写を、観客の飽きが来ぬよう、頻度高めに驚かせながら描写を進めているような気がします。

 

 

(私はハリウッドのホラー映画を「お化け屋敷ホラー」と名付けて呼んでいます)

 

 

____

 

 

 

派生作を含め、シリーズ8作目となる今作品。

 

 

 

 

監督🎬

【マイケル・チャベス】

 

 

エド

【パトリック・ウィルソン】

 

ロレイン

【ヴェラ・ファーミガ】

 

 

アルネ・シャイアン・ジョンソン

【ルアイリ・オコナー】

 

デビー

【サラ・キャサリン・フック】

 

 

配給[ワーナー・ブラザイー・ピクチャーズ]

 

本編[1:52]

 

 

 

最初に伝えてしまうと「なんだか微妙」。これあくまで独り言ね(^_^;)悪魔だけに。

 

 

私の死霊館に対する平均の期待値が高いからであって、初見の方は十分楽しめると思います。ご了承くださいませ。

 

 

正式な邦題が『死霊館:悪魔のせいなら、無罪』

 

 

今までの系統と異なり、サブタイトル(副題)がThe Devil Made Me Do It (悪魔のせいなら、無罪)と、ホラー映画に裁判ドラマを組み合わせた内容です。要するに悪魔のせいで人を殺してしまった殺人犯の無罪主張裁判の物語。

 

 

私は劇場スケジュールの検索ページで今作のタイトルを見た時。開口一番は「おっ!死霊館の続編だ!」と興奮しましたが、正式な邦題タイトルを読み、頭で思いましたね・・・「タイトル、ダサっΣ(・□・;)」と。

 

 

「・・なに? 悪魔のせいなら、無罪」って。

 

 

そもそも句読点が、ダサくない??

悪魔のせいなら無罪でよくない??

 

 

いくら訴訟大国アメリカとはいえ、裁判で「人(悪魔)のせい」にしていいの?

 

 

物語は、アメリカの田舎町で殺人事件が起こります。

悪魔に取り憑かれた若者が、殺人を殺害したのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

町初まって以来の殺人事件に州に衝撃が走るのですが、これだけだと田舎町で起きた普通の殺人事件です。

 

 

事件の関心が全米にまで広がった一番の理由が、この被告の若者の供述内容で、「悪魔に取り憑かれて殺人を犯した」という無罪の主張だったからです。(本編に被告人の若者による供述はない)

 

 

そして、その事件の背景に、オカルト研究家として知られる「ウォーレン夫妻」の存在があることも関心を高めたのかもしれませんね。

 

 

悪魔に取り憑かれて殺したと主張する犯人。その犯人に関わっていたのは悪魔祓いのウィーレン夫妻。

マスコミにとっても格好のネタでしょう。

 

 

ここまではいいけれど・・サブタイトルを見た時に感じた違和感・・・ってか「悪魔のせいなら、無罪」のサブタイトルだと、既にネタバレじゃないΣ(・□・;)??

 

 

せめてサブタイトルは横文字にしたり、ホラー映画なら漢字だけでもいいと私は思うのですけどね。

『死霊館:悪魔裁判編』みたいな感じで。

 

 

ってか、このサブタイトルだと、余韻が子音なので。

調子に乗ってる顔文字を語尾に付けたくなってしまうよ。

 

 

『悪魔のせいなら、無罪 (☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎』 って。

 

 

(無理に言葉を差し込みましたが、今月末発売の日向坂46のニューシングル『ってか』。今年は他に目立ったライバルもいませんし、年末のレコード大賞を受賞出来るいい曲です。皆様聞いてね。)

 

 

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アメリカを代表する心霊研究家ウォーレン夫妻が関係した事件は数多い。

 

 

今回の出来事は、細かい描写は映画的だとしても、実際の裁判となった実話です。

 

 

映画のオープニングにテロップで「THE TRUE STORY」と表記してから物語に入るのは、もうお馴染み。

 

 

我流で、おさらい。

 

 

その道の第一人者ウォーレン夫妻。

夫エドと妻ロレイン。非常に仲のいい2人で、仕事以外でもいつも一緒に時間を共有している印象です。

第1作目で女児だった娘ジュディは、成長し大人の女性に。映画のシリーズも時系列を辿っているのでしょう。

 

 

夫エドは非聖職者でカトリック教会に認められた唯一の「悪魔祓いの専門家」。非常に博学です。

体格はいいですが、アクション向きではないので、悪魔に殴られたら普通に倒れます。

あくまで悪魔祓いに徹している主人公像に徹底しているんですよねエド。

 

 

一方の妻ロレインは第六感に長けた霊能力者です。

シリーズが進むごとに、だんだんと能力も超人化してきました。

 

 

物や人物、空間や残穢などに触れるとトリップ出来たりします。

殺人現場などで犯人の形跡や遺留物を触ると、その記憶を辿れたり、今作だと遺体を直接触って黒幕を突き止めたりします。

 

 

実在した妻のロレインは2019年。92歳で逝去されるまでアメリカの心霊現象に携わってきた人物。

第1作目で、旦那エドに君の能力を使うと、君の死期を早めるからあまり無理しないでくれ、と気遣っていましたので、長寿ということで素直に嬉しい気持ちになりました。

 

 

(エド・ウォーレンは2006年に79歳で逝去されました)

 

(映画とは関係ありませんが、心霊研究家は死後、どちら側の世界に行くのでしょうか?)

 

 

___

 

 

公式サイト↓

 

 

 

 

 

1981年。アメリカ合衆国コネチカット州。

 

 

シリーズ8は悪魔祓いのシーンから始まります。

 

 

依頼を受けたウォーレン夫妻が「グラツェル家」で今まさに悪魔祓いを執り行っています。

 

 

悪魔に取り憑かれているのは・・メガネをかけた少年デヴィッド。

ウォーレン夫妻は、スタッフ、そして男児の家族が立ち会いのもと、悪魔祓いを執り行いますが、今回の敵は相当強い。

 

 

家中にポルターガイスト現象が起こっているし、デヴィッド少年は中国雑技団みたいな軟体人間と化している。

 

 

 

 

(もしくは『ラブストーリーは突然に』の小田和正先生の仰け反り方)

 

 

慣れているはずの悪魔祓いチームも吹っ飛ばされたり、エドも攻撃され気を失ったり、まったく歯が立ちません。

 

 

オワタオワタ・・今回こそはマジでヤバいと。

もう本当に最悪の状況になった時・・・少年のもとに姉の恋人アルネが近づき、中の悪魔に伝えるのです。

 

 

「デヴィッドの体から出て行け!代わりに俺に取り憑け!」

 

 

なんという愛なのでしょう!まるで血縁関係の言葉です。

恋人の幼い弟が悪魔に取り憑かれて、俺が変わってやる!と悪魔に言う。それも懇願ではなく命令口調で。こういう口の聞き方は悪魔は嫌います・・多分。

 

 

そのやり取りを真横で聞いていた悪魔祓いエドは「・・や・・め・・ろ」と言いながら意識を失い、病院に搬送され昏睡状態となるのです。

 

 

_____

 

 

 

グラツェル家は平穏な生活を取り戻します。

 

 

しかし悪魔は少年デヴィッドの体から、青年アルネの体へと移っただけ。

 

その事実を知っているのは私たち観客と、瀕死の状態で病院に搬送された後、峠を越し昏睡状態のエドだけ。

 

 

 

私の見解ですが、視線の高さも行動も制限される子供と違い、社会人の青年アルネに取り憑けたということは、人間界で悪さをする悪魔にとって好都合だと思います。

 

 

悪魔が完全に人間の体を乗っ取る(適応する)迄には少々時間(数日程度)が必要なようで、その間にアルネは恋人デビーに、この田舎町を出て都会で生活しようとプロポーズを含めた夢を語ります。

 

 

おそらく、悪魔が人間の肉体に適応するこの数日間こそが、悪霊退散の確率が高くなる「隙」になると思うのですが、それを行えるエドは病院で闘病中。昏睡状態でも強力な霊能力である妻にテレパシーで事情を説明すればいいのになぁ。。とこれまでの『死霊館』の傾向から脚本に手を加えたくなりました(゚o゚;;)

 

 

そして白昼。アルネは殺人を犯してしまうのでした。

 

 

幻覚や幻聴などの違和感が現れます。

 

 

映画を観るに、彼に憑依した悪魔が見せた脳内の映像は、家主のおっちゃん(被害者)が彼や彼女を襲うもの。

それを防ぐために殺した。彼にとっては正当防衛だと思います。

 

 

実際には、家主(被害者)は、自宅に招いた友人をもてなし、音楽をかけて酒飲んでダンスしているだけ。

 

 

映画でなければ、錯乱状態であるジャンキーによる殺人事件ですよ。

それに22回もナイフで滅多刺しにしておいて、裁判で「自分はやってない。悪魔に取り憑かれたんだ」なんて・・ただのサイコパスの供述ですよ(^_^;)

 

 

この物語は実話を基にしていると番宣などでも再三伝えますが、殺人の様子は、彼が悪魔に取り憑かれているという前提での行動であるから、少々映画的に都合よく解釈されていると思います。殺人は殺人ですからね。

 

 

先ほど使用した画像を今一度、貼ります。

殺人を犯した後、アルネは田舎の道を歩いています。

 

 

 

 

遺体には悪魔の法則に則った刺し数。

返り血を浴びた洋服姿で田舎道を歩いていたところ(おそらく通報を受けた)パトカーとすれ違い、警官に逮捕されるという流れです。(パトカーに乗るシーンや取り調べのシーンも用意して欲しかったな)

 

 

昏睡状態から目を覚ましたエド・ウォーレンは、悪魔祓いを行なった際に、デヴィッドに取り憑いた悪魔が→アルネに移ったことを関係者たちに伝える。ここ(病院)には夫妻の娘ジュディ(スターリング・ジェリンズ)もご出演。正当シリーズの3作品には全て

ご出演。

 

弁護士にもその旨を伝えます。

 

僕はやっていない。友人であるボノを殺すはずがない!!

最初は疑心的だった弁護士も、ウォーレン夫妻の説明等で納得。

アルネは無罪を主張するようになるのです。

 

 

____

 

 

 

物語の流れは以上です。

ここからは私の見解と鑑賞中の感触をお伝え致します。

 

 

正当なシリーズの3作目となりますが、個人的には面白さ(ワクワク・ビクビク)よりも、物足りなさの方が勝っております。

 

 

怖いにも種類があると思いますね。作り手に驚かされビクッとなる怖さ、と、深層心理で震撼する怖さ。

 

それこそ今作は「お化け屋敷ホラー」と私が呼称しているハリウッド映画の典型。

怪物が現れるのではなく、主人公自らが動いて怪物に遭遇してワーとなっています。

 

 

これが「日本の場合」だと、悪魔ではなく幽霊が背後からジワジワ近づいてきて、観客の恐怖を煽る深層心理があるのですが・・

 

・・「ハリウッドの場合」は主人公(主点者)自らがベッドの下を覗いたり、それで何かを発見したりと、驚かしのキッカケを演出するんですよね。

 

 

体感型の日本ホラーに、俯瞰型の米国ホラーという、視点の違いがあるように私は思っています。

 

 

それがいいようにハマれば「最恐」になるのでしょうけど、今作に関してはそこまでではない。

怖さだけを売りにしていないのが『死霊館』のセールスポイントだと思っているので、人情の部分は今回もいいです。

 

 

残念なのは、何度もスミマセン。

副題(サブタイトル)で強調するような(僕が殺人を犯したのは)悪魔のせいだ!」と被告人が主張する無罪裁判。

 

 

それに対して、法廷の描写があまりに少ない

 

この点に関しては、とても残念ですね。

 

 

悪魔に取り憑かれて人を殺してしまった。

そう無罪を主張する実際にあったアメリカの裁判。これだけでどんな映画なんだろうとわくわくするじゃないですか。

 

 

だけど蓋を開けてみれば、裁判シーンよりも、悪魔に取り憑かれた青年の描写だったり、ウォーレン夫妻が悪魔を召喚した黒魔術の魔女を追いかけていく描写の方を中心に描かれ、肝心の裁判の様子はタイトルに沿ってはいないように感じた。

 

 

タイトルで謳うなら、本編の半分の時間(45分程度)を使ってもいいと思うけれど・・。

結局、悪魔の方向(ホラー)に本編の尺を使っている。

 

 

削ぎ落としかは分かりませんが、もう少し裁判シーンであったり、被告の青年アルネの発言なども映画に欲しいです。

 

無罪!だとか有罪!という結果や結論を描くのではなく、

 

原告側・被告側・そして裁判官側、三方向のドラマが描かれた方が深みが出たんじゃないのかな。

 

 

____

 

 

 

上記に三方向のドラマを描いても面白いのでは?と書きましたが、

 

ホラー映画としては真相を追うべく、主役を含めた3方向のドラマを中心に展開します。

 

 

 

時代は1980年代。

 

 

まずは主人公ウォーレン夫妻。夫妻は1920年代の生れなので年輪は50代の期になるはず。

 

 

 

【ヴェラ・ファーミガ】[48]【パトリック・ウイルソン】[48]

俳優のお顔立ち・見た目は変わりません。若々しい。ウィルソンの髪の後退は進むも、むしろ凛々しくなっている気がします。

お二方とも他の作品で拝見しても、すっかり死霊館夫婦のイメージが私の中で定着して、別作に没入できません(^_^;)

 

 

今回は2人の馴れ初め。出会いのシーン。

第1作目で妻のロレインが、「家族の楽しかった記憶を思い出すのよ」と、悪魔が嫌がる愛や絆こそが悪魔撃退法だと被害家族に伝えます。今回は夫婦の出会いの「ご縁(英語だと運命)」から「2人の歴史」を「愛」に繋げています。

この夫婦は大ピンチになると「愛こそすべて」で乗り越えるのがパターン化しています。The Beatlesだな(^ ^)

 

 

2つ目が、悪魔に取り憑かれたアルネ青年と、その彼女アビーのドラマ。

冒頭に取り憑かれた少年の姉がアビーになりますが、少年の体から悪魔が退散して以降は、自分の彼氏に悪魔が移るという・・何とも「憑いていない女性」だなと思いました。むしろ彼女の方をフューチャーしたほうがいいんじゃないかな(^_^;)

 

 

彼氏を助けるためにウォーレン夫妻の助手にもなるアビー。

 

 

 

裁判の傍聴席で、どうしてアビーが夫妻に挟まれているのかは・・・描かれていないけれど、意味があるのかも知れませんね( ̄▽ ̄)

 

 

そして3つ目が、冒頭からチラリチラリと出現する魔女のドラマです。

 

 

 

 

「実話」という括りが、今回はやけに私には引っかかったのですが、

この魔女のような人間や、黒魔術を行う組織は必ず存在していると思うから、妙に怖い。

魔女のドラマは映画の後半になるので紹介は控えます。

写真の彼女のように、見た目が水分量の少ない肌質で男性的なお顔立ちの白人女性って、一点集中でジッと相手を見ているだけで、睨まれているようで・・画になるんですよね。(関係はないですが、ニラメッコをしたら笑ってくれなさそうだな。)

 

 

裁判シーンの描写が少ない代わりに、主人公・悪魔祓い依頼者・敵の三方向シーンは優秀でした。

 

 

____

 

 

 

ハリウッドではマーベル映画に迫る勢いであると称される死霊館シリーズ。

 

ネタには限りがあると思いますので、マーベル映画のように量産型ではないにしても、今最も勢いがある。

 

ゆえに出演者にも注目します。

 

 

無罪を主張する殺人犯役を演じた【ルアイリ・オコナー】はアイルランド出身の30歳。

日本語版のウィキペディアがなかったので、参考にした英語版を貼り付けます。

 

 

 

 

英国風の爽やか青年というイメージ。演技力は今回視る限りは無難ですが、見た目的にエディ・レットメインを彷彿とするので魔法使い系の作品などが似合いそうですね。

 

 

もう一人。

彼と交際中の彼女役を演じた【サラ・キャサリン・フック】はアメリカ出身の31歳。

 

 

20代のカップルなのかなぁ、と映画を鑑賞しながら思っていましたが、年齢的にはお二方とも良いお年。

 

 

サラ・フックは日本で公開された映画がないため経歴が分かりませんが、『ルーム』のブリー・ラーソンに似ているなと思って見ていました。この系統だと今後も活躍しそうなお顔立ち。演技的には眉間でセリフを迎えてから言葉を返すのでセレーナ・ゴメスを連想しました。チェックしたい女優の一人です。

 

 

『死霊館』シリーズはこれからも続編が続く筈ですから、マーベル映画と言わずDC映画のようにアカデミー賞に選ばれるようなライトではなくディープな映画を製作して欲しいです。

 

 

エンドクレジット中に、実際の裁判の様子や、悪魔に取り憑かれた人物とのやりとりを記録した音声など紹介されるのが、恒例となりますが、肝心の・・例えば首がネジ曲がったり、体がよじれたりする映像って、多分見せてくれないんですよね。

 

 

 

(mAb大喜利:「角野卓造じゃねーよ」)

 

 

実際に本編にあるような体の動かし方をすれば、成長期の子供なんて特に後遺症が残るだろうし、内臓だって損傷するはずと想像します。体から悪魔が抜けた後は、何事もなく生活している様子を映していますが、個人的には体の被害も興味がある所です。

姉の彼氏に悪魔が移り、憑依中の感覚を説明するセリフがあります。そこはゾクッとしました。

 

 

留置所の中では、ビジュアル的な悪魔降臨映像が展開されるも、

 

 

ここも自分としては『ショーシャンクの空に』かΣ(・□・;)なんて冷静に鑑賞していました(笑)

 

 

第一回目『死霊館』の時代は1971年。夫妻はまだ若く、巷で有名なオカルトな心霊研究家でした。

 

 

シリーズと共に夫婦も年輪を重ね、順を追うのがシリーズの魅力。

 

 

今回は第一回目から約10年後の世界。夫婦も立派な中年で、小さかった子供も成人しています。

 

 

悪魔祓い映画って、今すぐどうにかしなければならない状況で「カトリック教会の判断を待つ」という・・「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ!」と叫びたくなる「踊る大捜査線状態」になりがちですが、

 

 

夫のエドも今では自分の判断で悪魔祓いを行なっているように箔がつき、映画からは観て取れました。

 

 

初期の頃はキワモノだったウォーレン夫妻も全米の心霊捜査に協力したり、今作だと行方不明の少女の遺体を発見したりします。

 

 

 

(この下に引きずるシーンは、日本ホラーみたいで鳥肌が立ちました!!)

 

 

描いているシーンはどれも興味深いので、1つ1つを切り取って考えると、脚本のストーリー性は高いと感じます。

 

 

何より自分の根底に「死霊館の世界観が好き」という優越感を持って鑑賞しています!

今回は圧巻なホラー感は少なく感じましたが、夫婦の愛の物語は作品への情があるぶん感動もするし、感慨深くもありました。

初見の方に見やすい体感型。興味のある方は鑑賞されてください。それでは、この記事も完です。

 

 

 

 

 

脚本  14点

演技  14点

構成  13点

展開  13点

完成度 13点

 

 

[67]点

 

 

 

フォローしてね

 

 

【mAb】

 

THE映画評論『そして、バトンは渡された』

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本作品の鑑賞は11月初旬。
鑑賞から約1ヶ月を空けて書き始めますが、記憶力もきっと健在ですから、なるべく近々で観たテイで文章を書いていこうと思います。
 
 
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年に数作品、テレビで目にする感動系映画の観客リアクションCM。

今作品も鑑賞中の観客の様子が公開され、映し出される女性の方が大粒の涙を流していらっしゃいました。

 

 

これを見て「あゝ感動系の日本映画なんだ」と「ジャンル分け」が解りやすい。

 

 

感動系ドラマ映画は、静かにシクシク泣く観客と、画面を見つめながら涙を拭かずに頬にこぼれ落ちていくリアクションが基本です。

 

 

ホラー映画だったらリアクションの定番は仰け反るコメディ映画だったら口角を上げて笑う。なんなら手を叩く素ぶりのオーバーリアクションをすればテレビ(宣伝)で使いやすいという話を、その筋の方から聞いたことがあります。

 

 

(宣伝予告を斜めに視ていてすみません(>人<;))

 

 

これは日本の宣伝CMの伝統なので否定する気は無いですが、正直、100%肯定派・満足派の意見・感想しかテレビは映しませんよね。肯定だけでは進化は無いので辛口な意見もCMにあっていいと思うのです(^_^;)

 

 

それよりも、観客のリアクションを撮るカメラは、どのくらいの近さで撮っているんだろう?と毎回気になります。下アングルから女性の膝辺りを映し、リアクションがあれば顔(目元)がド・アップに寄って撮っていますから。仮に自分がコマーシャル用に試写会を訪れた鑑賞者ならテレビ映りを意識するか、気が散るかどっちかです(^_^;)

 

 

 そしてそして。いつも気になるのは、そういう感動系の番宣CMでは省かれている印象の男性の反応だったり、宣伝の女性客は20〜30代が基本なので、中年から高齢の女性はどういう反応を示すのか?など、そちらも知りたいところです。この映画は中年の女性から見れば「子供が可哀想」という心情で観ていくはずですから。

 

 

例えば、女性客が中心ですけど、カップルや夫婦で鑑賞されている方もいますので、男女2人を同じ画角で撮って、2人ともが泣いたタイミングをCMで放送すれば、男性の集客にも繋がると私は案を出したいんです。誰も読んでいない小さな場で語ってみました。

 

 

 

___

 

 

 

近年「涙活」という言葉を耳にしますので泣ける映画もいいですけど、個人的には感情論より完成論を優先。そして、長年映画の魅力を語ってきた者としては「鑑賞から得るもの」が欲しい。

 

 

鑑賞の決め手は・・・(ここ最近の自分には鑑賞に理由や決め手が必要です。面倒くさい男ですね。)

 

 

宣伝が「女性満足度が高いこと」を売りにしていたのと、出演者が自分と同年代の「実力派」一流俳優(田中圭・石原さとみ)だったこと。

 

 

「女性の集客が多い」で真っ先に思い浮かぶのがジャニーズ事務所です。しかし「ジャニーズを起用していない」←この条件で「女性の集客」が多い・「満足度」が高く「収益」を上げるのは純粋に凄いことなので、映画の完成度が高いと想像しました

 

 

そして鑑賞日の話。

 

 

平日の渋谷周辺で仕事をしていました。この周辺のTOHOは渋谷・新宿・六本木・日比谷・日本橋。

 

 

TOHOシネマズ渋谷の夕方の時間帯を選択。コロナ渦ですが、座席は7割方埋まっていました。

女性の観客が8割。学生やOLさん。土地柄、若い世代。一応はテレビコマーシャルの状況を再現できたわけだ。

 

 

全然、関係はないのですが、映画の時間まで40分あったので、TOHOが入るビルの地下にあるラーメン中本で店外待ち8人で15分並び、蒙古タンメンを食べてから鑑賞に臨みました。中本、セブンイレブンのカップラーメンも備蓄するほど好きなんです(笑)

 

 

では楽しい映画の時間です!

 

 

 

『そして、バトンは渡された』

 

 

 

 

 

監督🎬

【前田哲】

 

 

【永野芽郁】⇄【稲垣来泉】

 

【石原さとみ】

 

【岡田健史】

 

【田中圭】【市村正親】【大森南朋】

 

【戸田菜穂】【木野花】他

 

 

 

配給[ワーナー・ブラザーズ]

 

本編[2時間17分]

 

 

 

主要俳優以外の情報がなかったので、Wikipedia先生で検索します。

 

 

 

 

 

 

2019年に本屋大賞を受賞した人気小説の映像化らしいです。

 

 

恥ずかしながら「話題の本」に関してはかなり疎いです。書店を訪れた際に「ベストセラーコーナー」だったり、書店員がポップを書いた「話題の新書コーナー」でハードブックのカバーを見たことだけは記憶に残っていました。

 

 

 

あぁこの原作本の映像化なんだぁとなる感じです。

 

 

小説本は、主に時代小説と【東野圭吾】先生しか読まない私は、この作品の内容を存じておりませんが、

 

Wikipediaには「20歳が一番読んだ小説ランキング」にランクインした作品だと紹介されていました。

 

 

そういうランキングが世にある事も初めて知った所存ですが、それを聞いて「仕事が早い」・・と強めの関心。これぞ「鉄は冷めぬうちに打て!!」。

 

 

近年は本屋大賞に選ばれるイコール映像化という流れが確約されているように思いますが、大賞受賞から約2年で映画公開迄を果たし、当時20歳だった小説の愛読者はまだ22歳です。コロナ渦の状況を経ての公開ですから、物凄い早い映像制作の印象を受けます。

 

 

漫画の実写化。小説の映像化。特に小説は読者1人1人が頭でイメージしている人物像がいる。否定派・肯定派はいるでしょうけど、好きな小説がすぐ(熱冷めやらぬうち)に映像化された!と喜ぶ方も多いでしょう。

 

 

 

まず初めに。映画のタイトルに句読点が付いていることに、注目しました。

 

 

『そして、バトンは渡された』。「そして」の接続詞で一旦区切るのですね。

 

 

『そしてバトンは渡された』でも「そして誰もいなくなった」みたいで文学的にはスムーズだけれど、そしてで句読点を入れることで、主人公の人生のバトンを辿っていく意味合いにしたかったのではないかな?と勝手に想像しています。

 

 

(以下。読者の方にはお馴染みの「mAb調」の物語文。解説しながら、雑談しながら、あらすじを追っていきます。)

 

 

主人公は「優子」。彼女の2つの時代を交互に展開していきます。

 

 

※ 前半のうちに観客に同一人物だと想像させる交互展開なので、ここでは最初から合繋で紹介していきますm(__)m。

 

 

【大森南朋】さん演じる父親:水戸。妻が他界し、小学生の娘:優子(愛称:ミータン。以下、幼少時代ミータン表記)とアパート暮らし。まずは2人の父子家庭の日常から描かれます。

 

 

 

 

幼少期の優子役を演じるのは人気子役の【稲垣来泉】さん。

 

 

(来泉(く(る)/(いず)み)で、クルミと読ませるそう)

 

 

子役のお顔は、宮崎あおい、引退された『ポニョ』大橋のぞみさん系統。

この系統のお顔立ち=演技派をイメージします。10年後も活躍していそうな予感がします。

 

 

すぐにみぃみぃ泣くので「ミータン」という愛称が付いたようです。「泣き虫のんたん」と同じ類いですかね。

 

 

(泣く擬音がエンエンだったら、愛称はエンタンに変わったのかな。)

 

 

小学校の校門前。授業参観の後かな?「どうして私にはママがいないの?」と涙顔。

「(子供の目の高さまでしゃがむ父親)ミータン。ママはいるよ。(どこに?)お空にいるよ。」

 

 

自宅に帰ると父親は、赤ん坊の頃に撮った亡き母親との2ショット写真を見せる。さらに泣いてしまうミータン。

覚えていない母親像。父親が娘を想う愛は深い。映画を見ているだけで分かる。

 

 

父親の愛は彼女自身、十分に感じているだろう。しかし母親の愛を知らない幼子は泣くしかない。

 

 

ママが欲しい年齢だよね。

 

 

(シーン代わり)そんな娘とのやりとりがあった後、父親が女性を連れて来た。もちろんこの場合新しい母親として。この映画のキーマンだ。

 

 

(母親を恋しがる子供の様子〜父親が結婚相手を連れて来るまでの時間の経過は分からない。多分数ヶ月後だろうけど、数日だったら嫌だなぁ(^_^;))

 

 

ミータンが学校から帰って来ると、家の内装がピンク色になっていて、お姫様気分。

父子家庭の生活風景は殺風景→それが女性が家に加わるだけで彩々風景。「小学低学年の女の子」が大好きなパステルカラーですから、顔の綻び方が違う。

 

 

「ミータンのママになってもいーい?」

「ミータンのママになって!」

 

 

happy wedding ٩( 'ω' )و

 

 

 

友達を呼んで誕生会。これもきっと、映画は言わないけれど、母親の提案だろう。

 

 

周りの友達から「ミータンのママ、綺麗だね」と言われ嬉しそう。

 

 

こういう言葉(同級生から母親を褒められる)を言われるのも、きっと初めてだもんね( ◠‿◠ )嬉しいし、誇らしいはず。

 

 

 

 

(工場勤務の家庭にしては、お金がかかった内装かな。)

 

 

笑顔絶えぬ新婚生活も長くは続かない。

 

 

それから暫く経ち、「幸せ家族計画」が一変。夫婦に衝撃的な選択が起こります。

そしてその選択が、後の少女の人生行き先を左右することに・・・。

 

 

この日。家族で遊園地にお出掛け。乗り物を楽しむ妻と娘に、手を振り見守る父親。

チラッと映った携帯はガラケー。時代を表すアイテム。(ガラケーではなくて一眼レフとか使い捨てカメラで撮ればいいいのにな。動いている乗り物をガラケーで撮ると絶対ぶれるから(笑))

 

 

広場のテーブルで昼食タイム。すると父親が前触れもなく、こんな決定事項を母娘に伝える。

 

 

「(簡略)最高のチョコレートを作れるカカオ豆を見つけたからブラジルに行く。すでに仕事は辞めた来月3人でブラジルに移住しよう!

 

 

妻の梨花は「は?」

なんの相談もしていないし・・会社を辞めた?

やめようと思うじゃなくて辞めたの?

 

 

行こうと思っているではなく、行くことが決まったと決定事項を伝えられる。

 

 

よりによって海外。言語も違うし知人もいないブラジルに?

 

 

映画を見ている私も「は?」ですよ。こんな大事なことを一人で決めて、当たり前に自分に連いてきてくれると思っている父親の感覚にビックリです(^_^;)  新しい母親も変な明るさを見せる人だけど、スポンジタイプの父親との価値観が合わないのは意外でした。

 

 

梨花の答えはNO。おそらく結婚元年でしょうけど、相手をよく知らずに結婚した結果にも思えます。

 

 

その日から夫婦の空気も最悪に。元々、手料理を作らない梨花に「弁当ばかりだろ」と指摘し、険悪に。

と言うことは、先ほどの誕生会の料理って・・手料理じゃなかったんだと私は少しショックを覚える。

 

 

私はブラジルには行かない。じゃあどうすんだ?。あなたが一人で行けばいいじゃないの。ミータンはどうすんだ?。どっちの側にいるかはミータン自身に決めてもらいましょう。

 

 

ミータンは学校の友達と離れたくない。この気持ちが決定打となり、父親1人が単身でブラジルに移住し、継母と2人で日本に残ることになりました。

 

 

夫婦の婚姻関係は、この映画では結局よく分からないままでしたが、離婚などせずに遠距離夫婦になったように見えました。

 

 

映画に水を差してしまいますが、この父親は家族だったらどこにでも着いてくると確信する価値観の持ち主。

 

 

家族になんの相談もしないで「ついてくるもの」だと裏で動いていた(移住計画)のは身勝手に感じますが、仮に再婚相手の梨花が「あなたの決めたことを尊重してついていくわ」と言えば、めっちゃハッピーに収まったと思います。そう思う理由は、梨花の登場シーンがキャピキャピしていたから。

 

 

 大森南朋さん演じる水戸氏は「裕福」と言う感じではなく庶民派の中年男のため、彼女は彼のどこに惚れて結婚したのだろう?と冒頭の彼女の振る舞いから注目していました。冒頭から表されていた梨花像は、条件の良い男性を探して婚活しているので、庶民派の水戸を選んだことで、余計そう疑念を抱いてしまいました。

 

 

___

 

 

 

結婚期間を映画は伝えていませんが、数ヶ月間くらいなんじゃないかな。

 

 

この部分まで映画を観ていて、私が思ったのは、「これでよかったのかな?」という家族の形。

娘のミータンを保護者目線で客観的に鑑賞しました。

 

 

パパが結婚して、家に若くて綺麗なママがきて、でも別々に暮らすことになって、友達がいるからNEWママと暮らす事を選択したんだけれど・・・現実として考えれば、血の繋がっていない母親を選ぶって・・ある意味バクチじゃないですか。子供は純粋ですが、知り合って数ヶ月ということも心配になります。

 

 

そんな心配も、まだ序章の話。映画でいうと始まって15分ほどしか経っておりません。

 

 

そして、この映画の主人公はミータンだということを念頭に置いておきたい。

 

 

(どうしても保護者目線で書いてしまう(^_^;))

 

 

かくして再婚早々、実の父親だけ単身で海外移住し、血の繋がりのないママと2人でのアパート生活が始まります。

 

 

(太文字にした部分が重要だったりします。涙腺ポイント。)

 

 

住居も家賃の安いアパートに引っ越し、部屋も散らかり放題。夫婦生活を冷凍食品で済ましていた梨花でしたから、家庭料理は望めない。

 

 

印象的なシーン。

 

 

「ただいまぁー!お洋服、買ってきたよ!」と梨花。子供の分と自分の分を見せる。

 

 

それを見たミータンは、出会った頃のようには喜びません。「ねぇ大丈夫なの?お米もうないよ」。

さすが名子役!。戸惑いを含めたセリフを自然に発します。

 

 

貧乏描写の定番。

梨花はパン屋からパンの耳を無料でもらって来て、フレンチトーストにする。そのクッキングを描いた母娘は楽しそうです。

 

 

パンの耳だけをかじっている描写だったら・・悲し過ぎますからね。楽しそうでなにより。

 

 

でも、冷静に視ると・・・えっ、夕食これだけ?パンの耳だけ?子供の栄養を考えない母親に視えました。

 

 

子供の洋服は買うけど、お米を買うお金は考えない。そんなに困窮しているの? などと育児放棄に向かうのではないか?という心配のほうが私には勝ります。実際、鑑賞された方で原作を読んでいないと同じような想像をするのではないかな。

 

 

 

父子家庭→母子家庭に変わったわけですが、やはり血の繋がりのない継母との生活は、見ていて心配しかありませんでした。

 

 

ブラジルに渡った実の父親・水戸の映像はその後、一切ありません。(ブラジルで頑張る大森南朋さんの様子を銀幕越しに勝手に期待したけど(笑))

 

 

パパに会いたいと泣く娘。じゃあ手紙を書きましょうと母は言う。書いた手紙を母に渡すミータン。

 

 

書いたら母親に預ける⇄手紙を受け取るも、いつも浮かない表情を見せる梨花←この繰り返し。郵便が来るたびにワクワクし、そのあと溜息。パパから一度も手紙が来ないと落ち込む娘

 

 

この涙も時が解決する。共有する時間が愛を育てる。

一緒にいる時間が増えていき、遠くにいて返事もくれないパパより、ママの存在の方が大きくなる。

 

 

この安アパートでの母娘2人暮らし迄を描いた様子で、私が切なく感じたシーンは・・

 

 

父親と母親。どちらについていくかの選択時、父親に付いて行かない事を決めた決定打は先ほども書きましたが友達と離れたくなかったからになりますね。

 

 

しかし、その親友だった女の子2人が、しばらくして習い事が忙しくなり遊べなくなります

そしてそのあとは、この2人といる描写がなくなるので、習い事が縁で疎遠になったのかな。

2人して同じ習い事をするのに、ミータンは誘われていない。短い描写ですけど、子供の頃から女子にハブかれていたのかな?なんて、のちの展開と重ねて想像しました。

 

 

仲良し3人組って、どこかで位置付けや仲間割れが生じやすいもの。奇数なので。

 

 

父親と離れてまで優先した友達だったのに、遊べなくなるのを見ると、切ないというか儚いですね。ミータンは放課後は真っ直ぐアパートに帰り鍵っ子になる。なら父親についていったほうが良かったのでは?とも考えてしまう。

 

 

多分、友達がいない子だったら、未練なんてないですから、迷わず父親に付いて行ったはず。映画もそこで終了です。

 

 

手紙も何もパパは音信不通。ご飯はパンの耳。昼は給食があるだろうけど・・。

仲良さげだし、育児放棄はしていないけど、、お洋服は子役のお顔立ちに似合う彩色だけど・・。食事風景を見る限り、子供の洋服より栄養だろ!とどうしても思ってしまう。

 

 

 

 

子供が泣くたびに「辛い時こそ笑うのよ」とホッペに手を当てて伝える母親。

 

 

 

 

 

勿論、この言葉が、映画のパワーワードになるのだけど・・なんだか悲しい物語だなぁ・・映画を見ながら私も溜息。

 

 

スムーズに第2章(優子の年表展開・出会い→成長→過渡期)が始まります。

 

 

____

 

 

 

お友達がピアノのお稽古で自分と遊べなくなり、

 

梨花(母親)の顔色を窺いながら「私もピアノを習いたい」と伝える。

 

 

家の経済状況を考えるミータンは、他の同級生より大人っぽい。

 

考え込む梨花。「なんとかする」と返答。

 

 

映画の展開の中にちょいちょい挟むのが、梨花のプライベートカット

婚活や同窓会の会話など、男性に寄り添う(ナレーション紹介→)彼女のキャッチコピーは「魔性の女」。

 

 

 

 

「なんとかする」発言の後。高級天麩羅店で老紳士とカウンターテーブルで食事をしている。

板前が目の前で揚げたてを提供してくれる、いかにも高級店といった内観。揚げたての海老が美味しそうだった。

 

 

ブラジルに単身赴任している夫から預かった娘を置いて、何してんだ、この母親!?と憤りを覚えるmAb・・映画の思う壺だな。

 

 

(これはあくまで想像に過ぎないけれど。この食事シーンの時間帯。映画を見ているときは夜だと思ったが、映画を観終わっら後は「娘が学校に行っている時間帯」なのかも?と考えを改めました。)

 

 

ピアノを習いたいと言った娘。その願いは叶う。

 

 

町のピアノ教室どころじゃない。規模が違う。

 

 

梨花が連れてきたのは、大きなリビングにグランドピアノが置いてある上流階級のお屋敷

 

 

【木野花】さん演じる家付きの家政婦さん迄いる。

 

 

「弾いていいのよ」。音を鳴らし喜ぶミータン。

 

 

 

 

吹き抜けの階段から優雅に降りてくるのは、前のシーンで天麩羅を食べていた老紳士。

 

舞台の帝王【市村正親】さん演じる泉ヶ原さん。

 

 

足長おじさん、かなと思ったら、びっくり。

 

 

「今日から、この人があなたのパパよ。」

 

 

「でもパパは??」

「あなたのパパは、手紙を出しても返事をくれないような人よ」

 

 

まるで実の父親を忘れろと言っているような言い方。

 

 

ミータンはひとまず父親への気持ちを置いて、当然の疑問を尋ねます。

 

 

「でもあの人・・(お爺さんだけど)・・。まさかピアノがあるから、あの人と結婚したの??」

 

 

「もうパンの耳を貰いに行かなくて済むわ」と薄く笑う梨花。

 

 

(書いているセリフは雰囲気を合わせているだけで、正確ではありません。)

 

 

 

 

説得には時間を要しません。今のミータンには、梨花しかいない。梨花しかいないのです。

 

 

こうしてミータンにとっては実の父親とは別に、母親が連れてきた新しい父親との新家族生活がスタートするわけです。

 


いやぁ・・先ほども書きましたが、冒頭に「梨花さんは魔性の女と最初に紹介しているけど、正直イカれてるよ(^_^;)

 

 

娘の「ピアノが習いたい」という願望を叶えるために、新しい男を見つけてくるなんてさ。それも大金持ちで、なんでも受け入れてくれる大らかなお爺ちゃん。

 

 

 

 

(祖父と娘と孫じゃんΣ(・□・;))

 

 

そしてこう言うのは誰でも出来るわけがないし、人柄もあるだろうけど、女という武器があればこその芸当なんですよね。

この映画に梨花の同性の友達は一切出て来ないけど、代わりに男友達や旦那は登場するから、天性のものなのでしょう。

 

 

・・というかずっと気になってること(^_^;)

戸籍とか婚姻関係はどうなっているのだろう?

先ほども書きましたが、その疑問は映画内で描かれていない残念点です。

 

 

苗字はその都度変更しているので、最初の水戸優子から泉が原優子へ。これって離婚して、再婚したということなのか、事実婚とかでもいけるのかな。なんにせよ、知識のない私には分かりません。

 

 

画して、町の音楽教室から飛翔し、家庭教師の指導のもと、ミータンは新しい自宅でピアノを学ぶことになるです。

 

そのピアノの腕は再婚後に留守がちになる梨花が驚くほど成長を遂げ、のちの展開に繋げられていきます。

 

 

時々。子供を置いていなくなる梨花が帰ってくると、「ひとりにしないで」と泣きじゃくるミータンを見て。嗚呼この子は彼女しかいないんだなと思いました。

 

 

 

 

_____

 

 

 

(映画は2時代の優子を交互に展開しています)

 

 

【永野芽郁】さん演じる森宮優子は高校三年生。

成績は優秀ですが、進路を料理系の短大とし、担任の教師から「もったいないわ!あなたの成績ならもっと良い大学に行けるわよ!」と説得されています。

 

 

 

 

(言われてみたい、そんなセリフ。)

 

 

そんな優子ですが、特定の女子からイジメに遭っています。

 

男子と軽く言葉を交わしただけで、「優〜子。◯◯くんを狙ってるの。」と横入りしてくる性格悪女風の女子グループ。

 

 

(たまたま話しているのを目撃されちゃうんですよね。)

 

 

健気で透明感イメージがある永野芽郁さんが演じるので、そんなに「女子が嫌いな女子」という雰囲気ではないのですけど、辛い時こそ笑うの教えを守り、いつもニコニコしている優子は、上手く友達も作れず、同級生たちから気持ち悪がられる。

 

 

辛い時こそ笑う、ということは、劇中で彼女が笑っている時は辛い時、という見方になるでしょう。

 

 

そしてピアノの伴奏をクラスの多数決で押し付けられる。

優子は小学生の時に少しだけピアノを習っていただけ。クラスにはピアノ経験者もいるのに、明らかに押し付け。

担任もそれを指摘するが「森宮さんでいいって人!?」「はーい・賛ー成」で決まる感じ。

 

 

 

(個人的に神保さんの5票が気になる)

 

 

本人は至って純粋で悪の部分なんてない性格なのだけど仲のいい友達がいない。

 

 

映画を観るに、一部の女子からイジメを受けているが、男子からは特にそういう描写はない。

これって多分、魔性の女と言われた母親の天性さを引き継いでいるからだと思う。

 

 

細かいことを言えば、一部のクラスメイトだけなのか、それとも学年の女子が優子に対して冷たく扱っているのか?を知りたいところだが、映画的には「一組の女子グループ」に集中して描いている。攻撃されてもエヘヘと笑うから、さらに腹立たしくなるのだろう。序盤、優子を目の敵にしている女生徒A・Bがいじめっ子の目付きをしているのが良かった。

 

 

そんな優子は現在。【田中圭】さん演じる森宮と2人で暮らしている。

 

 

 

 

母親の梨花は数年間、音信不通らしい。「泉が原時代」も娘を再婚相手の家に置いて旅に出たが、今回は数年と長期間に及ぶ旅。

 

 

ある意味、映画は原点回帰か?

父子家庭になるが、優子は父親のことを「森宮さん」と呼んでいて、父親は娘を「優子ちゃん」と呼ぶ。

 

 

東大卒の森宮は真面目な性格で人と争えない優男

そして貯蓄もあるし、料理が趣味の家庭的な男。

 

 

2人の関係性は良く、喧嘩もしなければ、互いに否定もしない。

ただし、どことなく他人に見えるような雰囲気を出している。

父娘関係は、実の父親を抜いて一番長いのだが、友達みたいな関係性。

 

 

優子は森宮に対してよくツッコム。「父親だったらこういうときはこういう行動をするだろ」と父親のあり方を行動で説明する森宮に、「いちいち父親ぶらなくていいから」「だって(俺はミータンの)父親だろ」という遣り取りが何度も劇中にある。

 

 

田中君は東大卒に見えないが(早稲田や慶應だったらイメージしやすい)Sっ気の強い永野芽郁(優子)と俳優の相性が良い!

 

よく「姉妹のように仲がいい」と母娘の関係性を言うけれど、異性の父娘だと「恋人のように仲がいい」と表現されることもある。

 

子供時代の優子ならばパパと娘に見えるが、高校生の優子だとそう見えなくなるから、この点は童顔の男優の不思議なところ。

 

 

「ミータン優子・高校生編」は映画の前半と後半、そのちょうど中盤部分に位置され、やはり分岐点・選択肢的に描かれている。

 

 

クラスメイトに押し付けられたピアノ伴奏が縁で、【岡田健史】さん演じる音大志望の同級生とも知り合う。

 

 

 

 

映画は進行上何気なく描いているけど、多分、イジメに遭う事で伴奏者になって→それで好きな人ができて→自分が進んできた選んできた道も悪くないみたいな縁も計算されているんだろうな。

 

 

 

 

私の見方だと多分・・この映画が描きたいのは「表面的」には優子の生活環境や成長記録なので、学校生活の描写は・・個人的には正直あってもなくてもいいものだと思っています。

 

 

何よりこの映画が勝ち組の作品になるのは、劇中歌に使用する楽曲

 

優子のクラスが伴奏する合唱曲を『旅立ちの日に』に選んだこと。

 

 

 

 

この映画では高校3年生時で歌いますけど、

 

年齢設定が「小学6年生」でも「中学3年生」でも、どの「山場」で使用しても・・保護者はこういう表情になるよ。

 

 

 

 

(老け顔のメイキャップ。ちょっと皺のゴツゴツ感の見た目が気持ち悪いな。)

 

 

正直、ちょっとズルイなぁ・・と思ってしまうんですよね。

これが合唱曲の定番だった『翼をください』や『君をのせて』、最近だったら『栄光の架橋』などがありますけど・・

今作品が上記の曲をチョイスしていたら、まず観客の涙の量は相当激減していたと思います。

 

 

『旅立ちの日に』は・・言い方は悪いですが「なんでもあり」と言いますか、どんな映像を見せても感動する体質になる(魔法の)魔曲だと思います。

 

 

特に年齢を重ねていくと、いい思い出も、いやな思い出も、たくさん増えていきますから。

未来しかない若者が歌う『旅立ちの日に』は、聞くだけで走馬灯が浮かんできます(笑)

 

 

(私はこの曲と『思い出のアルバム』が神曲)

 

 

この曲が全国に拡がったのが1990年代から。

現在30代・ギリ40代ならば、学生の時にこの曲に触れたはず。

田中君だったり他の役者も、気持ち作りをしなくても、この曲を聴けば自然と色々思い出して泣けて来るじゃないかな。彼は苦労人ですし。

 

 

『旅立ちの日に』が流れるのが、映画が始まって1時間ほど経ってからでしたが、正直それまでは退屈な気分でした。

これが歌の力なのか、映画の構成力なのか、俳優の演技なのか、私自身は歌の力だと思っています。

 

 

他のシーンは展開もピッチが早いのに、この曲だけはほぼフルコーラスですもん。

 

 

いやぁ・・この曲はそれまでの構成とか疑問点を帳消しにするほど、一気に心穏やかになる魔力がある。

 

でも、この曲を今後「最終学年を描いた学園ドラマ」で流すことに味をしめたら・・『旅立ちの日に一択』の時代が来ると思う。

 

 

______

 

 

 

えーっと、どこまで語りましたっけ?

 

 

(覚えとけよΣ(・□・;))

 

 

高校生活を送る優子です。

 

 

一方・・(幼少期とティーン期を交互に展開していく映画の作りです)。

 

 

幼少期の優子。

 

 

二番目の旦那・泉ヶ原との結婚生活を送っていた梨花だが、「娘をお願いします」と置き手紙を置いて家を出て行けば、気まぐれに戻ってくる等、自由奔放な行動に母親としての役割を果たしていないように映る。

 

 

この頃になると娘の優子にとって梨花は掛け替えのない存在になっていて、「ひとりにしないでよ」と泣く様子は、母親から受ける愛情になっていました。

 

だからこそ、置いて行かれて、広い家の隅っこ(ピアノの下)で泣いている子供の描写は、可哀想で気の毒に感じるものです。

 

 

そして三度目の正直といいますか、ある日、新しいパパとして森宮を紹介されるのですが・・・

 

 

泉ヶ原との結婚関係・夫婦関係の様子・営みがあまり見えない中で3回目の結婚に移るので、男関係や生活環境がコロコロ変わって忙しい。子供時代は親がコロコロ変わる怒涛の展開。だからこそティーン期の永野芽郁・田中圭はコロコロ変わらないから安心を覚えます。

 

 

そうして物語は後半に入っていきます。

高校卒業後の優子の「それから」と、前半の至る場面で蒔いた種の開花、伏線の回収、矛盾点の解消などを、2人の女性の温かい心模様で描かれていきます。

 

 

映画にないところで・・

 

 

森宮と子役との描写は結婚式くらいで、一気に高校生まで飛びます。

 

 

父親だったらこうする。と男親は言うけれど、呼び方が「森宮さん」「優子ちゃん」で、聞くたび切ないのでね。

ここは「優子」、もしくは「ミータン」でもいいのではないかな。そしてどのタイミングで「ミータン」から→「優子ちゃん」に呼び名が変わったのか、子供の呼び方の変化もターニングポイントにして欲しかったな。特に「渾名呼び」から「名前呼び」は子供と大人になる。この映画には、その中間点(子役から永野芽郁までの間)がない。

 

 

個人的には「どこで父子家庭になったのか?」映画で描き切れていない空白の小学生高学年〜高校2年生に興味があります。もう一人優子役の女優が必要になるけどスピンオフを作らないかな。

 

 

 

_____

 

 

 

最後に。劇場鑑賞直後にスマホに走り書きした短評のメモです。

 

 

描写やカットがあるので想像できるし、同性である女性は「もしかしたら」と前半の段階で後半を考えるのではないか。中盤に卒業、後半に結婚式、と人生の晴れの場を用意することで、特に「旅立ちの日に」は、それまで感情移入していなかった気持ちにスイッチが入った。この曲があるとないとではえらい違う。すごい効果のある名曲。平凡なドラマが非凡に変わる相乗効果。

 

 

永野芽郁さんの体の細さが終始気になった。特に背中。肩甲骨周りの脂肪が少なすぎて痩せすぎ。

健康的な痩せ方には見えないし、この方は女優としてもっと水分のある身体の方が似合うと思います。平成の体型の方がいい。逆にこれだけ細いと保護者的には心配になるので、父親役の田中圭さんが「痩せすぎだから食べなさい」みたいに心配するセリフがあったほうが、自分としては成立する気がします。まぁこの父娘、劇中はカロリー高め(中華、パスタなど)の食事のシーンが多いので比例しないんですけどね。

 

 

高校卒業後の数年間が双方省略ベースだったことで雑に感じた。ほどほどに「子供がかわいそう」とムカついたぶん感情が乗ったし、退屈することなく2時間半の長い映画を見れた。日本映画は身近だからいい。永野芽郁さんとは逆に石原さとみは、細いけれど出るとこ出ている体型。「血の繋がり」を描くのが私には理想だが、女性の底深さに共感出来るから、これもよし。何よりこれほど女性の満足度が高いのだから、文句は言えない。

 

 

この映画に限ってではないけれど、結婚式はビックフィッシュやアベンジャーズ(はアイアンマンの葬儀)のようにこれまで映画に出演したキャラクターを総出演させてほしい。あと新郎、このビジュアルなのに参列客が少な過ぎて気になった。前半、母子家庭となった状況で、娘と自分用に洋服を購入し、「もうお米ないのに」と娘が言う。パンの耳を乞いてもらう。娘としたいことのリストがあるのは分かるが、この点はやはり気の毒に思ってしまうだけだったのが残念。ミータンを演じた子役は上手いけど、それが逆に嘘っぽく見る。末恐ろしい。

 

 

 

上記メモにも同じことを書きましたが。

2時間半の映画なので、テレビドラマだとCMなし(45分)で計3話分ですね。

見る世代や人生経験によって感動具合は変わる作品だと思います。

小さかった小学生の優子〜20代の優子まで2人の女優によって成長記録を観られますので、感情移入しやすいのではないでしょうか。

 

 

映画の途中途中に数秒間だけ入れる、主人公の優子以外の別視点映像は先を予測できるように匂わせていますが、サブリミナルみたいな印象に感じたので、チラつかせるのではなく10秒程で表しても良かったのではないかなと思いました。

 

 

実の父親との父子家庭から始まり、18才に自立するまでの優子には合計3人の父親がいて、父親の年齢も三者三様です。

そして基本的な時間は父子家庭で育っています。根底には母親の存在がありますが、「男親に育てられて育った」ということも忘れずにこの作品を語りました。登場人物たちの心根が優しくて良かったです。

 

 

 

 

 

 

 

脚本 14点

演技 15点

構成 13点

展開 13点

完成度14点

 

 

[69]点

 

 

 

 

______

 

 

 

 

余談に。

 

 

 

緊急事態宣言が明けて以降に日本で公開された映画は、日本映画、ハリウッド映画とも、長尺の作品が多いです。

 

今作品も137分と、予告を入れて2時間半くらいあって、

 

シネコンのラインナップを見ても、150分前後の作品が3割以上あるんです。。

 

そんなことって今まであったかなぁ・・稀だと思います。

 

 

私は映画の本編って予告を含め120分が基本。

本編は110分台が理想だと思っていて、映画鑑賞の体力も長年の鑑賞体質を覚え、120分間が全集中の常駐になっています。

 

 

日本映画は描写も多いし、私の文章なんてモロ該当しますけど、「もったいない精神」が働き、ついつい長くなります。ですがミスター削ぎ落としの国「ハリウッド映画」まで長尺映画が多いから、かなり不思議だなと思っていますね。

 

 

10年以上シネコンに通って来た経験から、140分・150分の洋画は、年に数本ぐらいの上映だったんだけどなぁ・・・。

 

 

伝えたいことが沢山あるんだね。

 

 

 

フォローしてね

 

 

【mAb】

THE映画評論論『Dear Evan Hansen』

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『ディア・エヴァン・ハンセン』

 

 

 

 

 

・・「ハンセン」と聞くと、往年の外国人レスラーを思い出します。

他に沖縄県のアメリカ軍もハンセン基地という名前ですね。

 

 

エヴァン・ハンセン・・なんだか、それだけで強そうな名前だ。

 

アメリカでは珍しい苗字ではないと思いますが、スポーツやエンタメ、日本で活躍した人物の苗字は馴染み深く感じます。

 

 

と言っても、アメリカ映画・・特に学園映画では、相手のことを苗字で呼ぶことは少ないので、劇中の呼び名は「ハンセン」じゃなくて「エヴァン」なんですね。親しくなくても、下の名前で呼ぶアメリカ映画が私は好きでもあります。

 

 

では始めます。

 

 

 

監督🎬【スティーブン・チョボスキー】

 

 

エヴァン・ハンセン

【ベン・プラット】

 

ソーイ・マーフィー

【ケイトリン・デヴァー】

 

 

コナー・マーフィー

【コルトン・ライアン】

 

 

(エヴァンの友人)アラナ

【アマンドラ・ステンバーグ】

 

(エヴァンの友人)カルワニ

【ニック・ドダニ】

 

 

 ハイジ・ハンセン

👑【ジュリアン・ムーア】

 

 

ラリー・マーフィー

【ダニー・ピノ】

 

シンシア・マーフィー

【エイミー・アダムス】

 

 

配給

アメリカ[ユニバーサル・ピクチャーズ]

ジャパン[東宝東和]

 

 

本編[2:17]

 

 

 

今作品は2015年に上演が開始されたブロードウェイ・ミュージカルの映像化作品で、演劇界で最も権威のある「トニー賞」を受賞しております。これらの情報は受け売りの知識のため、ウィキペディア先生のページを貼り付けますので、鑑賞されるからは参考になさってくださいませ。

 

 

 

 

 

主演の【ベン・プラット】[28]とヒロイン役の【ケイトリン・デヴァー】[24]は双方が舞台版からの出演となったようで、板の上から銀幕の中へ。

 

 

この両名。初見の映画ですと見た目が先に印象に来ますから美男美女というお顔立ちには感じませんが、初見の舞台だったら、躍動感があって一発でファンになるのでしょうね。

 

 

舞台はその土地の劇場に出向かなければ観れませんし、ショーの本場アメリカやロンドンまで飛行機andパスポートを用意して海外旅行・・このご時世では到底無理な話。その点、映画は世界公開。おまけにシネコン時代。手っ取り早く最寄りの映画館へ行き、其れを楽しむことが出来る。

 

 

映画で物語の全体図と展開を知ることが出来たので、いつの日かブロードウェイで観劇してみたい作品になりました。

 

 

細かい作品情報が私にはないので、映画から観て感じた内容とその都度の情報を素直に伝えます。

 

 

 

mAb的あらすじ)

 

 

 

オープニング

 

 

高校生のエヴァン・ハンセンがパソコン画面に自身に宛てた手紙を書いている。

 

 

「ディア・エヴァン・ハンセン(親愛なる自分へ)・・・」

 

 

自分への手紙。ポジティブ(陽気)な未来を想像して書く。

しかし途中まで書いてDelete。すぐに消してしまいます。

 

 

(一昔前だったら、紙にペンで手紙を書いて、クシャクシャ丸めて床にポイ捨ての描写でしたね。時代も変わったなと思いました。)

 

 

彼は社会不安障害という心の病を持っていて、クリニックのセラピストから「自分宛ての手紙を書く」宿題を課せられているのでした。

 

 

 

 

 

パソコン画面を消したら、自分の心情や行動を鼓舞するように歌い出します。ミュージカル映画ですから突然歌い出す。

 

 

ミュージカルの舞台や映画で、この「突然歌い出す」演出が苦手で敬遠される方も少なくないでしょう。

映画の進行を止めてまで行いますし、何より馴染みが全くない初見の外国の楽曲ですからね。

 

 

しかし、従来のミュージカル映画と違うのが、エヴァンの声が聞きやすく、耳心地がいい事!

そして劇中に歌う曲の「歌詞」も映画の「セリフ」になっているから、映画の進行を妨げずにスムーズさを感じて楽しいです。

 

 

主演の【ベン・プラット】は女子コーラス映画『ピッチ・パーフェクト』で、対戦校の代表として歌声を披露した実績がある。

吐息交じりの高音が本当に耳心地がいいし、声に凄みや迫力はないけれど、歌の技術が確かに高い安心感は強みです。

 

 

そんなミュージカル映画って・・最初で決まると私は思っています。

主人公の歌声と技量、映画の楽曲。この第一印象で、映画の良し悪し、好き嫌いが分かれる。

 

 

上でも書きましたが、ミュージカル映画によくある「初めて聞く英語の歌」への違和感←

これがそこまでなかったので、心は踊れると思いました。

 

 

何しろ2時間を超えるミュージカル映画。最初の自分の感度が大事

それを踏まえて伝えます。「あゝこの映画は大丈夫だ」と。大丈夫、というのは最後まで楽しめる予感がしたという意味です。

 

 

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自分宛の手紙を書くことをヤメた主人公は、自宅から学校までの道のりを歌いながら登校です。

 

 

カメラワークで家族構成と生活環境を伝えて行きます。

 

 

母親と一軒屋で暮らしている環境。

2階にある自分の部屋から、1階のキッチンに降りて行ってきます。

学校へは母親の運転で向かう。そんな朝の日常風景。

 

 

 

 

上記のワンシーンは、母親は通常の演技で、息子のエヴァンだけが歌の世界観の中で演じています。

歌い手が歌唱しながら演じ、それ以外の出演者は通常のドラマを演じる、この映画に多い演出でした。

 

 

上記の静止画でエヴァンが歌っているように見えず、表情が冴えないのは、単純に俳優の顔だと思います。悪しからず。

 

 

(静止画よりも動画向き)

 

 

精神安定剤を複数瓶も常備しているから心配だったけれど、なんだぁ・・明るい子なんだ!と思う。

映画を見るに、未成年者に複数の精神安定剤や抗うつ剤の処方が出来るのだから、改めてアメリカという国の自律性を知った思いです。こういう薬は保護者のサインだったり色々と手続きがあると思うのですが・・その点は実際にはどうなのでしょうか?

 

 

母親の職業は看護師。夜勤の時は家で1人で過ごすことが慣れっ子。その後の展開で紹介されていくエヴァンの情報です。

親しい友達もおらず、観た感じ特定の趣味がない主人公にとって、1人で過ごして来た夜は長く感じたのかも知れないと思います。

 

 

また母子家庭で金銭的に余裕がないハンセン家は、大学への進学に向け、賞金の出る作文コンクールで優勝することを目指しています。文才のあることが母親の自慢。この進路という点も映画のポイント。ただ・・映画の中で作文を書くシーンがなかったことは残念です(^_^;)

 

 

学校での活動は音響係・・かな。インド系の友達カルワニと2人でいることが殆ど。

 

 

 

エヴァンは「僕らは友達でしょ」と確認する描写が劇中に何度かありますが

 

カルワニは「君の母親と僕の母親が仲良いだけで、僕は君の友達ではない」とその度に言います。

 

 

誰がどう観ても2人は友達だと思うので、そのやり取りは「ふざけ合い」なので放っておきましょう(笑)

 

 

学校の活動でギターを弾く女の子【ゾーイ】に片思い中のエヴァン。

 

 

他に司会進行役の黒人のクラスメイト【アラナ】がクローズアップされ、冒頭部分でこの映画の主要登場人物が出揃います。

 

 

 

 

ここ迄で私がこの映画に感じたのは・・「主要登場人物。それ以外の学生キャストは目立たさずにエキストラという「立ち位置」がハッキリしている学園ミュージカル」という感覚でした。

 

 

主人公が片思いをしているゾーイも、普段の学園生活では弦楽器3人組で行動を共にしていまますが、両脇の2人(男・女)も「友人A・B」という感じで目立っていない。いや、演出的に目出立せていないんですよね。

 

 

役付きの俳優はセリフも見せ場もしっかり用意されているけれど、他のエキストラは「その他大勢」の感じがとても強く感じる映画です。

 

 

個人的には「脇役だけど目立つ・印象に残っているキャラクター」が在って欲しかったです。

 

 

ですが、エキストラと言ってもミュージカル映画のエキストラなので質が高く、ちゃんと踊りを披露できるアンサンブルであることも伝えておきたいです(^^)

 

 

また。主人公が精神的に脆い性格であるという設定も考慮されているのでしょうけど、アメリカの青春学園映画にはお馴染みである金髪チアリーダーはいないし、いじめっ子だったり、派手な学生が出てきません

 

 

派手な学生を単純に書けば、「美男子」「美女」「お調子者」「いじめっ子」。この4タイプ。いずれも出ていません。

 

 

映画館でのロードショー鑑賞を初めて約20年が経ちました。

私はそういう「分かりやすく元気系」のアメリカン学園ムービーを観て今の映画感を培ってきたので、少し映画の色的に物足りなさも感じつつ、これも時代の流れなんだろうけど、色々な人種の学生がいて、隠キャで目立たない子にスポットライトをあてる映画が多くなっているので、うまく切り替えられない自分も正直います。

 

 

(心の中では、キラキラした主人公を中心とした爽やかな青春映画を求めています。)

 

 

そして、それぞれがストレスや悩みを感じて学園(集団)生活を送っていると、現代社会の若者の精神状態も考慮した脚本。

 

諄いようですが「若い時は悩みなんかなかった!」という天真爛漫な描写を90年代〜数年前まで観てきた自分にとって、表現の在り方が現代仕様になって来たと考えざるを得ないです。

 

 

SNSやインターネットは便利だけれど、本来無邪気な存在だった若者の精神面も変えてしまいましたね。

そして、この映画では、その便利さを利用している「いい面」も脚本の中に取り組まれています。

 

 

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映画の進行に戻ります。

 

 

学園内では友人カルワニ以外とは会話をしないエヴァン。

下を見て歩いたり、常に周囲の様子を伺って目を泳がせたり、仮に話しかけられても緊張で声が震える。

 

 

こういうタイプの人って集団生活を送る中で自分の学生時代にも複数人いましたが、現代はその行動に「病名」(社会不安障害)が付き意味を持たせるので、周囲の理解が必要になるのでしょうね。

 

 

片思いをしているゾーイに声をかけられた時に、あまりの緊張でその場から逃亡するシーンが印象的ですが、その後の展開で仲良くなると不自由ない関係になるのも印象的です。

 

 

関係はないですけど(外国の)アメリカの学園映画に出てくる廊下って、馴染みがないので憧れます(^_^)

 

 

 

 

アメリカの学校は廊下にズラッとロッカーが並んでいて、そこがパーソナルスペース。

ロッカーを開けば、その人の趣味嗜好が分かるポスターやシールが貼ってあって個性的。

 

 

私の学生時代の思い出は、ロッカーはクラスの後ろの黒板の下にあって・・体操着などの衣類を入れるJRの駅にある300円のコインロッカーみたいな感じでした。観るにアメリカは縦ロッカーが多いので、JRの駅だったら500円・700円だな(笑)

 

 

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誰かに声をかけられるわけでもなく友達もいないエヴァンは「見えない存在」で、このロッカー前にいますが、

 

斜め後ろのロッカー【コナー・マーフィー】の孤立の仕方は、彼とは少し違う。

 

 

彼もまたエヴァンと同じく、普通(通常)のようであり、個性的な青年なのですが、

 

背が高く、顔立ちはイケメン。見た目だけなら、私が求めていた従来の学園ドラマにおける目立つ存在です。

 

しかし急に癇癪を起こしたり、過去に精神病院に入院経験があったりと、扱いにくいタイプ。

 

 

男子グループは彼をからかう。ロッカーの前で彼の背中を小突く程度。

この映画で唯一の「イジメっ子たち」でしたが、他のシーンでは目立たなくなるので、やはりエキストラの印象。

 

 

その様子を見ていたエヴァンに気付いたコナー。

 

 

気不味いエヴァンは控えめに会釈をします。するとコナーは近づいて来ました。

遠くから「なに見てんだよ!」と怒るのなら分かりますが、わざわざ無言で近づいてきて、殴りかかるわけでもなく、耳元で「なに見てんだよ!」と怒鳴りつけるから、耳がキーンとなる。注目されたくないエヴァンはその場から離れることに必死。

 

 

こういう描写の1つ1つに、社会不安障害の要素が組み込んであるので、やはり精神的なものに理解が必要だと思った。

彼も彼で脆いのだけれど、脆い者同士は紙一重で噛み合いません。

 

 

シーン展開、その後。

 

 

思い出したように学校のパソコン室で、今朝(オープニング)の自分宛の手紙を書くエヴァン。

 

 

セラピストから毎日の課題として、手紙を書くことを義務付けられていることを思い出したのだろうか?

自宅で書けばいいものを・・学校内で書くから・・こんなことになる。。(映画らしくていいじゃない)

 

 

今度は消すことなく手紙を書き終わり印刷ボタン。

※ 冒頭に「作文コンクールで優勝する実力」を持っていると紹介されていることを忘れないでください。

 

 

プリンターまで取りに行く最中。先程、一悶着あったコナーに声をかけられる。

 

 

「おい!」

 

 

 

「(ビクッ)えっ?」

 

 

コナーにとっては、エヴァンに同志的なフィーリングを感じたのだろう。目に見えるものが全てではないから。

 

腕を骨折しギプス着用中のエヴァンに、自分の名前のサインをしようと、彼の後を追って喋りかけてきます。

 

 

 

「俺が名前書いてやるよ!いいだろ」

 

「・・いいけど・・いいけど。。」断るに断れずペンを渡す。

 

 

骨折をした友達のギプスに寄せ書きをしたり自分の名前を書いたり・・私も書いた覚えがあります。青春時代の1ページ描写。

この場合のコナーは、自分の名前を刻むような心理なのでしょうね。独占欲というか、多分、もしこの時点でエヴァンのギプスに他の名前が書いてあったら、その名前の人物を攻撃するような嫉妬心がコナーにはあると思います。

 

 

冒頭の自宅シーンで、息子の交友事情を知らぬ母親から「ギプスに友達から名前を書いてもらうのよ!」とマジックペンを手渡されていました。母親にとっては沢山、友達がいると思ったのでしょうか??

 

 

ギプスに目立つ表面に自分の名前を大きくCONNORと主張的に書いた後、プリンターから手紙を奪うコナー。

 

 

慌てて「返してよー!」と紙に手を伸ばすエヴァン。

 

 

自分宛の手紙を読まれることは、相当恥ずかしいことでしょう(^_^;)

さらに片思いをしているゾーイについても書いている。

 

 

「ゾーイって・・俺の妹か??お前、俺の妹に惚れてるのか?」

 

 

自分宛の手紙を読まれるだけではなく、好きな女の子についても一気に知られてしまった。

感情が混在したエヴァンは必死に「返してよ」と懇願し伝えるけれど、結局、コナーはその手紙を持って帰ってしまうのです。

 

 

仲良くしたいのか?、からかいたいのか?、この時のコナー本人の心境や精神状態は・・誰にも分からないままとなります。

 

 

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今は小学生でも個人の携帯を所有し、親名義の個人アカウントを持つ時代。

 

 

SNSが若者の社会。

もし彼が自分の手紙を公開してしまったらと思うと、気が気じゃない。

 

 

「エヴァン 手紙」などを検索しては、生きた心地がしないまま過ごす。

 

 

(アメリカのSNSなのでFacebook)

 

 

そして事の発端から3日後。

 

 

友人のカルワニには唯一、一部始終を話しています。

 

 

「どうしようどうしよう。あれからコナー、学校に来ていないから確認できないよ〜」と話していると、校内アナウンスで校長室に呼び出されたエヴァン。

 

 

自分の胸の内を綴った手紙がSNSで公開された程度で、目立たない生徒が校長室に呼び出されるか??とも思うのですが、ここもエヴァンという人間の被害妄想を膨らませている状態を鑑みなくてはなりませんね。

 

 

待っていたのはコナーの両親でした。

 

 

 

 

コナーの両親は、息子が自殺したことを告げます。

 

 

青天の霹靂。考えてもいない報告に声を詰まらせるエヴァン。

 

 

彼の母親がここに来た理由を伝えます。

 

 

精神的に不安定の息子は周囲に馴染めず友達もいなかった。

そう思っていたが、遺品のポケットの中から「手紙」が出てきて、そこには「親愛なるエヴァンへ」と書いてあるではないか!?

 

 

発見された時のコナーの所持品は、この一通の手紙のみ。

 

 

息子に死に喪失する両親は、この遺品の手紙こそが息子の全てを表していると信じ、ディア・エヴァン・ハンセンを訪ねたというわけです。

 

扱いにくい息子だった。だけど大事な大事な息子を失った。プライベートを語らなかった亡き息子のことを知りたい。それを知っている唯一の人物はエヴァン・ハンセン君のみ!

 

 

彼の両親はエヴァンに息子との思い出を聞きたいと願います。

 

 

思い出もなにも・・自分はコナーと友達でもなければ、殆ど喋ったこともない。

 

 

3日前に怒鳴られた事と、少し喋って、自分宛ての手紙を奪われたことしかない。

 

 

映画もその描写(事実)のみを描いていますから、私も「そうだそうだ」と心の中で頷きました。

 

 

しかしモジモジ君なエヴァンは、すぐにそれを伝えられずにいて・・おまけに心も優しい少年。

 

 

「息子と友達で本当にありがとう」と感謝の瞳と希望の瞳を真っ直ぐに向けるコナーの両親に、真実を伝えられない。

 

 

特に息子を失ったばかりの母親シンシアは、この世でたった一人の息子の親友に心底 感謝の気持ちで向き合っている。

 

 

その日はこの会話でシーンが切り替わる。

 

 

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「思い出話を聞かせてね」と後日、マーフィー家に招かれ食事をすることになったエヴァン。

 

 

真実を伝えなければいけない・・そう思い続け、それが出来ない自分自身に対して胸が張り裂けそうになるのだけれど・・この真実を伝えるチャンスはその後も訪れることはありません。

 

 

私感ですが。とても選択が難しいなと思うんです。「友達じゃありません」と一言言ってしまえば解決するけれど、それだと彼の両親が相当気の毒ですし、この場合のオドオドしてハッキリ答えない性格が幸いにも災いにもなるので、映画的には好選択なのかも。

 

 

亡きコナーの妹は、彼がずっと片思いしていたゾーイである。

 

 

 

 

ゾーイは死んだ兄を「善人」だとは思っていない。

いつも両親に迷惑をかけ、頭を下げさせて、いい兄ではなかった。

両親が兄のことを保護したり庇うこと、それが納得できない。

 

 

だから兄を偲ぶ両親に苛立つし、兄の話を広げるために訪れたエヴァンも受け入れない。

そもそも「あなた、兄と仲良かったっけ?」と学校での接触を見ていないゾーイは半信半疑。

 

 

食事会が始まる。両親は「さぁ!思い出を聞かせて!」と興味津々の姿勢だ。

エヴァンにとっては思い出すらなにも、わずかな面識しかないのだから、冷や汗が止まらない。

 

 

そんな極度の緊張状態に達した中、突然、歌い始めるエヴァン。

映画の最重要分岐点です。

 

 

思い出が脚色されていきます。・・鑑賞した人、それぞれに解釈が分かれるだろうな。

 

 

私の見解で書いていきます。

 

 

僕とコナーは2人で遊んだんだ・・そんな歌詞で当時の様子を回想する。

 

 

「もしかして果樹園?」と母親が言う。

子供達が幼い時に、よく家族4人で訪れた場所だそう。

 

 

その問いかけに乗っかり、想像の翼を広げたエヴァンは、そうさ!コナーと果樹園で遊んだんだ、という歌詞で「綴り歌」を歌い続ける。

 

 

(作詞家としては、客席のお客にテーマをもらい、即興で歌詞を続けていくような感じなので、そう難しい作業ではありません)

 

 

コナーと僕は果樹園で遊んだんだ。それはとても幸せな時間だった。僕が木登りをした際に、木から落っこちてしまった。コナーは僕に駆け寄ったよ。そうして骨折した僕のギプスに、コナーは親友である自分の名前を書いたんだ。CONNOR と。

 

 

(注:歌詞の内容は雰囲気を似せただけで正確ではありません)

 

 

このエヴァンの歌唱シーンと、歌詞の世界観を表す果樹園映像を観ながら、ABBAの『Our last summer』を思い出しました。

過ぎ去りし一夏のアバンチュール。懐かしく振り返る感じで歌う。Bee GeesとかABBAの世界観に感じたので懐かしかったです。

 

 

コナーの歌(思い出話)には説得力がありましたし、コナーに対しての友情・愛情がありました。

両親は心から感動を覚え改めてエヴァンに感謝をする。仲を半信半疑に思っていたゾーイも、兄との記憶が蘇り、涙を流し信じる。

 

 

それ以降、エヴァンとマーフィー家は家族のように親密になっていきます。

 

 

エヴァンは人知れず「家族」という「温かさ」に憧れを持っている青年。

仕事で家を空けがちであるシングルマザーの母親と2人でいる時はそれを感じないらしいです。

母親からの愛情は感じますが、家族や家庭という温かみは漠然としている。

 

 

マーフィー家は、穏やかで生活的にも人間的にも裕福。家族揃って同じテーブルでご飯を食べて、他愛のない話をする。

エヴァンはこの家族との生活に居心地の良さを感じていて、またマーフィー家も彼に対して家族と同じ無償さで接する。

 

 

そうして関係性が築かれていったある夜。

母親ハイジがマーフィー家に招かれ、息子さんの大学費用を援助したい、と伝えられます。

息子さんは絶望の淵にいた私達家族を救ってくれた。亡き息子のために貯めた貯金を、感謝を込めてエヴァンに使いたいの。

 

 

穏やかムードが一変。ハイジ・・いやジュリアン・ムーアのプッツン演技。私がシングルマザーで経済的に困窮しているから??そもそもあんた、いつの間に彼らと親しくなったのよ??ふざけるんじゃないわよ!!善意と行為を偽善と思う母親。どちらの家庭の心理状態も分からなくないので、丁寧に描かれていると思います。

 

 

そして受験生という立場が、この映画はそこまで丁寧(設定推し)に描かれていないので、こういう進路描写のたびに状況を思い出します。

 

 

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さらにアラナ主導の『コナー・マーフィーを偲ぶ会』にて壇上でスピーチした歌唱シーンが、動画サイトで拡散し大きな反響を呼ぶことになります。

 

 

このシーン。

極度の緊張状態で板の上で慌てふためくエヴァンを客席の学生たちは嘲笑い、各自スマホを取り出し動画を撮り始めますが、

 

彼が歌い出すと違った意味で撮り始める。この場面はミュージカル界で歌声を高く評価されたベン・プラットの腕の見せ所。

 

 

 

 

コナー・マーフィーは精神的に不安定で、自ら死を選びました。

 

残された者は、突然いなくなってしまった存在に、戸惑います。

 

 

エヴァンは「歌という方法」で彼を偲び、その歌を聞いた人が、また人から人へと電波に乗せて伝染していきます。

 

 

兼ねてから校内で同じ志を持つ賛同者を捜していたアラナ。彼女の呼びかけでプロジェクトが本格的に立ち上がり、

 

 

エヴァンとコナー・・2人が遊んだ思い出の場所だという、廃業した果樹園を再園しようとクラウドファンティングを行うなど、エヴァンが真実を飲み込んだ1つの嘘が全米の学生を巻き込んでいくのです。

 

 

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物語文は以上です。

 

 

続いて、出演する俳優陣には驚きがあったので紹介いたします。

 

 

主演のエヴァン・ハンセンを演じる【ベン・プラット】[28]は、父親が数々の大ヒットミュージカル映画を手がけるショービジネス界の重鎮【マーク・プラット】。プラット家はエンタメ界の名家として知られています。

 

 

そんなショービジネス一家のサラブレッドであるベン。

 

 

 

 

三枚目のお顔立ち。柔らかそうな癖っ毛と前髪位置のご様子から、将来はお頭もお禿げになりそうだなと予想します。

 

 

公開時のご年齢が「27歳」という事で、全米では相当叩かれたそうです。

 

奇しくも作品のようにデジタル・タトゥーを残します。

 

 

まぁ・・日本のように学生服を着るわけではなく私服ですけど・・20代でも童顔だったり肌質だったりで高校生役が違和感ない方もいるけど・・確かに彼は高校生(ティーン)には見えなかったな。

 

 

「老け顔の高校生」の違和感は初見から感じていたので、鑑賞後にご年齢を知って納得です。

 

舞台だったら10代役は通用しますが、「見た目から入る」のが映画ですから、他のティーンのキャストよりも年上に感じてしまうのは致し方ないのかもしれません。

 

 

将来的にはハリウッドの花形であるアクション映画にもご出演されるのかな?と少し思いながら鑑賞しました。顔や演技の系統でいうと『ソーシャルネットワーク』の【ジェシー・アイゼンバーグ】。日本でいうと【菅田将暉】さんが近いタイプの演技をされるように視ます。

 

 

そしてベン・プラントについて調べた記事に

「12歳の時に、両親に自分がゲイであることをカミングアウトした」と書いてありました。

 

 

日本で考えると小学校6年生時に、僕はゲイですと親に告白する、と言うことなので、生物学的な判断がかなり早いんだなと思います。それについては、エンタメ界の重鎮家庭は理解があったそうです。

 

 

もう1方。

 

共演者のアラナ役を演じる【アマンドラ・ステンバーグ】[23]も自身がレズビアンであることを公表しています。

 

 

本編鑑賞中は、あまり観ないお顔立ちの黒人女優だなと思っていました。

 

今の時代は肌の色などで判断してはいけないと分かっておりますが、アフリカ系黒人にしてはアーモンド型の瞳の形や大きさに、親しみを感じます。なんと言うかハーフっぽさがあって、南国のお顔立ちに、黒人の血が入っているようにも思いました。

 

 

調べてみるとスエーデンの白人男性とアフリカ系の母親とのハーフという情報を得ました。

なるほど白人の中でも特に白肌の北欧の男性。この何か物憂げな瞳が印象に残りました。

 

 

彼女自身も肌の色やルーツには強い誇りを持っているらしく、マーベル映画の『ブラックパンサー』では純粋な黒人ではないからと断ったというエピソードがあります。

 

 

主演のベン同様、彼女も同性愛者であることを世間に公表しているので、

それを知った上で鑑賞し、「見方が変わらない」という人もいれば、「見方が変わる」という鑑賞者もいらっしゃるでしょう。

 

私自身は2人ともに、何か独特な色を感じて鑑賞していたので、それを知り、妙に納得した気持ちになりました。

 

特にアラナ役の彼女は、他の女優さんよりもが違ったので、いい意味で納得します。

 

 

日本の芸能界ではカミングアウトは考えられないけれど、時代も変わってきたのだとこの映画を観て感じました。

男女の恋愛ドラマであるという映画の形は変わらないけれど、俳優のプライバシーの公表は変わってきましたね。

 

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物語文の中にも書きましたが、派手な見た目の出演者がおらず、また主演・助演の学生役が少ないので、初見で覚えられます。

 

 

主人公のエヴァン

 

エヴァンが片思いする女の子ゾーイ

 

エヴァンの親友カルワニ

 

校内活動に意欲的な少女アラナ

 

自殺してしまうコナー

 

 

この5名だけにスポットをあてていて、他の生徒は舞台でいうアンサンブル。

 

 

ヒロイン役の【ケイトリン・デヴァー】も、素朴で可愛らしいお顔立ちですが、別格な美人という女優ではなく庶民的に視えました。なので個人的には「今後が楽しみ!」というスターを発掘するようなワクワク感はありません。

 

 

彼女が演じるゾーイは、エヴァンやアラナのような精神疾患があり抗鬱剤を持ち歩いているわけでもなく、至って普通の女子高生。しかし彼女もまた、身内を・・いや血を分けた兄を亡くしたというショックを抱えることになり、後半は元気がないです。

 

 

 

 

さらにエヴァンの友人カルワニはインド系で、この映画で観ると根暗なオタクな見た目。僕たち友達だよね?と言う主人公に「親が仲良いだけ」と淡々と伝える一見冷たい男の子に見えます。

 

 

こういうカルワニのような隠キャのキャストが、例えばエヴァンがイジメられている時なのに声を張って熱演したら、作品は盛り上がるんだろうけどな・・最後まで淡々と自分のスタイルを崩さない男の子でした。

 

 

卒業したら友人関係もなくなっていますが、エヴァンの学校生活にカルワニがいるといないとでは、安堵感も違うでしょうし、単純に主人公のエヴァンに話し相手がいて良かったなと思いました。

 

 

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冒頭に付いた1つの嘘をキッカケに話がどんどん大きくなって引き戻せなくなり、後半で回収する。

アメリカ映画では比較的よくある物語だと思います。

 

 

学園ミュージカル映画なので生徒役の出演者は多いですが、役付きの登場人物は限られているので、初見で顔と役割を覚えやすいのは単純にいい。

 

 

学校にいるごくごく普通の生徒に、ものすごく的確にスポットライトを浴びせて、エンターテイメントのショーを演出しているところが、いかにもアメリカ映画らしい。

 

 

そしてあえてニューヨークなどの都会ではなく、郊外の田舎で白人も黒人も黄色人種も普通に壁を作らずに集団生活を送り、それをあえて差別的に描いていないところが、2010年代の近代演劇の脚本らしいなと思った次第です。

 

 

ワクワクしたり、抜群に面白い!の感覚には私はなりませんでしたが、最初から最後まで飽きることなく2時間半の映画を鑑賞できたことに満足感をかなり得る作品でした。

 

 

最後になります( ´ ▽ ` )

 

 

若い出演陣の中で、主人公とヒロイン、双方の母親役として脇を固める女優がいずれもビッグネーム。

 

 

個人的な感覚だと、若い出演陣に映像演劇の魅力をそこまで感じていなかったので、双方のママ女優の方が銀幕映えして目立っている感じですかね。

 

 

エヴァンの母親役でシングルマザーの看護師を演じる女優は、2014年のアカデミー賞で『アリスのままで』にて主演女優賞を受賞したオスカー女優【ジュリアン・ムーア】御年60歳。

 

 

過去に彼女の主演作を何作か書いてきましたが、母性より女性のほうが強めに感じるんですよね。二の腕を出してるイメージ。

 

 

ジュリアン・ムーアは主演で女盛りのヒロインを演じてきた印象ですが、今回はシングルマザーで戀愛描写は無し。これも私にとっては珍しい。

 

 

登場シーンで「あれ少し体が細くなった?」と銀幕越しに思いましたが、ご年齢的には還暦なんですよね。

ご年齢的に「高校生の息子」というよりは、「高校生の孫」で通しても通用すると思いました。

 

 

 

(母親と息子が似ていないから、別れた父親似なのかな?と勝手に想像。)

 

 

ジュリアン・ムーアって、喜怒哀楽の中でも・・例えば「売られた喧嘩は買う」じゃないけど、目を横に見開いて相手に言い返してくる表現をする女優さん。いつもカッ!と目を見開いて、こめかみ周辺に血管が浮き上がる。そういう演技をされる女優さん。

 

 

過去に主演作を記事にした回数も多いですけど、今回も「らしさ」、爪痕を残しています。

 

 

対照的にヒロインの母親役に【エイミー・アダムス】[47]

 

 

2人の女優の演技力と役柄が本当に対照的に描かれていたので、観察眼を少し説明します。

 

 

エイミー・アダムスは演技派らしく、相手をじっと観る瞳を観ていると、吸い込まれていく感覚に私はなります。

 

 

 

 

ジュリアン・ムーアは怯まずに歯を食いしばって相手に向かっていく下町タイプの女優で、独りになった時にリビングで泣いている感じ。

 

エイミー・アダムスは相手の口撃をひとしきり聞いた後に、「でもね」と自分の考え方を喋り、結果的に論破するタイプの女優。

 

 

猪突猛進タイプのジュリアン・ムーアの方が軽く視えて、吸引力タイプのエイミー・アダムスは重い(深み)に視えます。

 

 

(『羊たちの沈黙』でジョディ・フォスターの後任に、ジュリアン・ムーアがなった時に、一番ファンから言われたのが透明感なんですよね。)

 

 

今作は、この2名の大女優が気質的にも形にハマっていて

 

シングルマザーで鍵っ子の主人公エヴァンが「家族」に憧れる描写は、感情的なジュリアン・ムーアが合いますし

 

些細な思い込みから片思いの同級生宅に行き来するエヴァンが、家族を感じられる描写は、母性的なエイミー・アダムスが合います。40代夫婦の家庭に高校生という環境も、しっくり来ますもんね。

 

 

この2名の女優が逆だったら評価も違うと思うので、キャスティングも見事なものです。

 

 

従来のミュージカル映画は、どうしても歌唱・ダンスシーンが展開の進行を妨げがちだったので、映画の流れを文字に起こしたい自分としては物語文が書きにくかったのですが、今作品は物語がしっかりと頭に入ってきて、その中で音楽を楽しむことが出来たので、満足できる仕上がりに感じました。

 

 

令和4年2月公開のスティーブン。スピルバーグ監督最新作『ウェストサイド物語』が、公開前ではありますが、アカデミー賞を独占すると予想できます。

 

 

今作品も当然ノミネートすると思います。作品賞と脚本賞のノミネートは確実かな。

ミュージカル映画や歌手伝記映画が流行していますので、歌唱は見事でしたが主演男優賞のノミネートは個人的には微妙。

例年のアカデミー賞よりもエンターテイメント性が高い授賞式になりそうですね。

 

 

個人的にはヒロインの母親役を演じた【エイミー・アダムス】が、今作品の演技で助演女優賞にノミネートするようなら、念願のオスカー像を抱くと思っております。

 

 

エイミー・アダムスは派手さはないけれど、最高の女優だと私は思います。

 

彼女が持つ包容力が、深い存在感を醸し出す。決して目立つ演技をしていないので、この安定感は本当にすごい。

 

 

正直。

高校生役の主役・ヒロインの2名の見た目の華のなさと、感情起伏の激しいジュリアン・ムーアでは「ドラマ部門」に頼りなさが生じますので、この女優が相手方の母親役にいるといないとでは、作品のドラマ性の良し悪しが左右したと思います。

 

 

亡き息子の将来のために貯めていたお金をエヴァンに使いたいと、食事会の際に彼の母親に伝えた時のエイミー・アダムスの表情は圧巻で、このワンシーンだけでもアカデミー賞です。

 

 

_____

 

 

 

本編の余韻に浸りながらボーっと英語字幕を見ていると、

 

エンドクレジットの最後に

 

一人で抱え込まないで欲しい。

 

団体のメッセージが書かれていました。

 

 

アメリカ映画ではエンドクレジットで、「for」などを付けて、感謝や追悼など、関係者に向けたメッセージが書かれていることは珍しくないですが、このような言葉は今回初めて見ました。

 

 

あるにはあるのかもしれませんが、日本語の字幕が表記されると意識せずに要られません。

 

 

私自身は無知識で鑑賞した今作品を、そのような心の不安や病を描いた映画だとは思っておらず、現代の学園ミュージカル映画として視ていきました。

 

 

この映画の軸足が正直どの方向に向いているのか?分からないまま多少の消化不良を感じていましたが、エンドクレジットでようやく、楽しむだけではなく、隣の人と手を繋ぐメッセージが込められた映画だと「表現者たちの真意」を知り、この記事を書きながら「もう一度観たいなぁ」なんて思っております。

 

 

人間は脆いです。

1度壊れた心を修復するのには、もしかしたら一生を費やすかも分かりません。

その一生の作業には覚悟が必要だし、先の長さを考えると途方がないし、その不安は誰にも理解されないかも知れません。

 

 

生きて行くことのほうが大変です。

だからこそ、庇うのではなく、助け合うことが心の救いなのかも知れませんね。

 

 

 

 

 

 

脚本 14点

演技 14点

構成 15点

展開 15点

完成度14点

 

 

[72]点

 

 

 

 

フォローしてね

 

 

 

 

【mAb】

 

 

 

 

 

 


THE映画評論『Last Night in Soho』

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英国はロンドンの街が好きで過去には留学も計画していました。結果は断念しましたが・・。

 

 

2度の滞在。いずれも観光客として、人の賑わう綺麗な場所に訪れ、建造物などを鑑賞しました。

強い憧れも相変わらず持っています。霧の都と呼ばれるロンドンの曇り空と、どこか肚の中を見せない人の雰囲気。そして流行への拘り。

 

 

そんなロンドンの街を舞台にした映画がロードショウされていると知ると、ついつい出不精になった自分の膝が「映画館に行くよ」と笑い出すから・・原動力。

 

 

(例えが怖いΣ(・□・;))

 

 

・・やってくれたな!と思います。まさに新感覚ミステリーホラーだと思います。

 

 

____

 

 

 

ここ数年間。映画雑誌や映画サイトもチェックしなくなった為、新規の俳優の名前も、最新の公開情報もかなり疎くなっております。

 

 

映画を語る者としては、以前のような熱度で書けないことに申し訳ない気持ちがありますが、読んで頂いている方のためにしっかり描こう。微力ながら、かつてのような洋画に賑わいを取り戻す為、貢献できたらイイなと思っております。

 

 

 

LAST NIGHTを直訳すると「昨晩」。昨日の夜。

私はLAST=「最後」が頭に浮かびますが、LAST NIGHTになると意味合いが変わるから・・もうちょっと真面目に英語の授業を受けておくんだったなぁと、受験生には反面教師。

 

 

『ラストナイト・イン・ソーホー』

 

 

 

 

 

 

監督🎬

【エドガー・ライト】

 

 

エロイーズ

【トーマシン・マッケンジー】

 

 

サンディ

【アニャ・テイラー=ジョイ】

 

 

ジョン

【マイケル・アジャオ】

 

 

ジャカスタ

【シノーヴ・カールセン】

 

 

祖母ペギー

【リタ・トゥシンハム】

 

 

管理人ミス・コリンズ

【ダイアナ・リグ】

 

 

謎の老人

【テレンス・スタンプ】

 

 

配給[パルコ=ユニバーサル]

 

本編[1:58]

 

 

 

映画が始まる前に、今作が遺作となった英国の大女優【ダイアナ・リグ】を追悼するメッセージが銀幕に映されます。

[1938ー2020]享年82歳。

 

 

彼女の名前を検索しますと、昨年老衰のため90歳で逝去された【ショーン・コネリー】時代の1969年『女王陛下の009』にてボンドが本気で恋に落ちた「ボンドガール」として出演された代表作がメインに記載されていました。20世紀の英国演劇界を盛り上げた女優。

 

 

本編の中でも、60年代にタイムリークしたロンドン市街の映画館で『007』が上映されています。

国民的女優の追悼として最も粋な計らいだと思います。ありがとうダイアナ・リグ。

 

 

では始めます。

 

 

 

 

 

広告に使われている上記写真からもラブストーリーを連想しました。

角刈りオールバッグのイケメンと若い金髪女性の2ショット写真。

「なんだか爽やかで、良さそうな雰囲気の映画だな」これが私の第一印象。

 

 

イングランドの田舎町。

 

自宅の部屋で一人、音楽をかけて踊っている少女に、玄関先から祖母の呼び声が響く。

 

少女には両親がおらず、育ての親的存在の祖母と一軒家で二人暮らし。

 

(母親は他界。父親の存在は不明。)

 

 

 

 

専門学校の合否を知らせる手紙です。

 

結果は合格。祖母と抱き合い喜ぶ。

 

 

冒頭。祖母のさり気無い一言が大変印象に残りました。

 

 

「いい報せが届いたよー」と孫を呼ぶのですが、開封前です。

 

 

手紙の封を開け、合格を知らせると「そうだと思ったよ」と祖母。

そんな予感がした。というニュアンスでしたが、後々考えると意味深。

のちの展開でどうやら母方の家系は霊的能力があると想像できます。

 

 

少女は部屋の鏡から亡き母の姿が現れるのに慣れている。幽霊なのか、死んだ当時の姿なのかは分かりませんが、見守っているにしたって、無表情なので決して気持ちのいい現れ方ではありません。

 

 

死んだ母親も、感覚が鋭い人間だったと紹介されますので、では母方の家系がそうなのかなと想像します。

 

 

祖母は普通のお婆ちゃんのように映りますが、セリフを起こすと沢山のキーワードを言っている最重要キャラ。冒頭とラストに登場し、中盤に電話越しで声の出演などがありますが、もう少し出番が欲しかったのが正直なところ。

 

 

ファッション業界に強い憧れを持っている【エロイーズ】は、念願だったロンドンの服飾学校ロンドン・カレッジ・オブ・ファッション校(LCOF)の入学に心を躍らせます。

 

 

彼女は非常に強い拘りを持っていて、1960年代のヨーロッパ(特に英国)ファッションを着こなし、発信することに情熱を注ぎます。着ている服も自分がデザインし製作したものですから、手先も器用なのでしょう。

 

 

まるで、生まれる時代を間違えた、という感じ。

この感覚が以降の展開でリンクすることになります。

 

 

ロンドンへの上京を祖母は素直に喜び、送り出しますが、口を酸っぱくして伝え続ける言葉は「ロンドンは危険な街」「あなたの母親はロンドンに飲まれて心が壊れた」「気を付けるんだよ」。

 

 

どうやら祖母の娘、エロイーズの亡き母親も、かつてロンドンに上京し挫折した過去があるらしいのです。

母親はその後、心身を喪失し自殺してしまう。祖母にとっても、エロイーズにとっても、曰くのある場所。

 

 

冒頭はエロイーズの上京物語です。

自室で荷造り。古いレコードばかりを詰め込む孫に、靴下も持っていきなさいと苦笑する祖母。

「それもそうね」とタンスの引き出しから小棚を引き抜き、キャリーバックにドーン。

 

 

(結局。この先の展開に靴下の描写はなかったなぁ・・)

 

 

上京の描写も、わずかなカットの継なげですが、印象に残っています。

 

 

 

 

ロンドン(都会)は怖い場所。と祖母から聞かされていた孫娘の様子がよく出ているし、この子は素直でいい子なんだと思えます。

 

こういう純朴田舎娘が都会に出て、垢抜けるという変身が、東京を舞台にしたドラマでも描かれますが、

 

どういう作品でも「田舎を出るまで」が可愛いんですよね(^_^;)

 

 

快速列車でキョロキョロ。都心部が近づいてくると乗客の客層も出入りも変わる。

 

そしてロンドンに到着。住居となる女子寮まではタクシー利用。

 

 

そのタクシー運転手と雑談していると、フロントガラスから自分の足を見る運転手の気配を感じ、一気に怖くなるエロイーズ。

 

 

「お姉ちゃん。ロンドンは何しに?」「ファッションの学校に通います」「モデル?」「服飾です」「お姉ちゃんなら、モデルも出来ると思うけどな」とニヤリ。

 

 

エロオヤジの視線に気付き、ロングスカートのスリットから除いた膝小僧を慌てて隠すエロイーズは「ここで降ります」。

 

女子寮まで送るという運転手を断り、近くのコンビニに逃げる。コンビニの棚から様子を伺うと、しばらく停車しているタクシーにゾクッ。善意か好意か、正直分かりませんが、犯罪の匂いがする雰囲気の描き方に感じます。

 

 

祖母の言葉がよぎる。「ロンドンは怖いところよ」。

 

 

タクシーが去ったのを確認したエロイーズは重い荷物を引き摺って入寮。

 

 

ルームメイトの【ジョカスタ】との初対面。

 

 

扉を開ける前に挨拶してきた「自分が中心にいたいマウント女子」。

 

 

ジャカスタはいわゆる典型的な「主人公を虐める役回りを担う女子」。

珍しい名前で唯一無二だからブランドネイムにすると、苗字を名乗らず、部屋のネイムプレートは苗字だけマジックで消しています。

 

 

学校の規模や影響力は残念ながら映画で紹介されていません。

授業風景も教室の1部屋ぐらいなので、服飾の専門学校というイメージしか私には湧きませんが、おそらく入寮の時期ですから、全国や海外からも、ファッション最先端のロンドン校に入学するはず。何しろ学校名がロンドン・カレッジ・オブ・ファッションですからね。

 

 

ジャカスタはそんな入寮してくる女の子たちに声をかけています。「はーい。私はジャカスタ。あなたの名前は?どこから来たの?」と。

 

 

性格が悪いだけで、心根は優しい女の子。ちょっと古いタイプのいじめっ子でしたね。

 

 

(言い方Σ(・□・;))

 

 

60年代のファッション・音楽に強い憧れを持つ主人公の上京

 

 

1960年代で考えれば、現代から60年前。

母親より祖母の時代を愛する。だけれど祖母にその時代の話を聞いたりしないから不思議に思います。

 

 

私でいうと、子供の頃に今は亡き祖母達に大正や昭和の時代の話を聞いていたので、どこかその時代の会話にも愛着があったりしますが。空前のバンドブーム、その頃の英国背景も映画の中で教えて欲しかったかな。

 

 

10数年間(年齢設定は不明) ブレずにオールディーを過ごしてきたのでしょう。

 

 

しかし大都会ロンドンの専門学生たちは最先端ファッションやブランドが主流。

 

 

「我が道を行く個性派」というより、「純朴な田舎娘」という感じに映ります。

 

 

____

 

 

 

入寮した初日。

ルームメイトのジョカスタに誘われて、女子グループで夜の街に出かけます。

 

 

もう私はこの場面。保護者的な感情になって・・田舎から出てきた娘に悪い遊びを教えないで!とハラハラしてしまいました(笑)

 

 

中高生時代の彼女が、どういう学生生活を過ごしてきたのか?を、映画は描いてはいませんが、純朴さは伝わってきます。

 

 

(「祖母に育てられて不良になる田舎娘」というイメージを私は持っていない)

 

 

場の雰囲気に馴染めずトイレに逃げ込むと、聞こえてきたのはジョカスタ率いる女子の本音。慌てて足を上げる。

 

 

「あの子、ほんとウザい」「あの子って、エロイーズのこと?」「そうよ。あの手作りの服もダサいわ」「アハハ」女子会の同調。

 

 

女子寮のはずなのに、夜になると男子も普通に入れて乱痴気パーティー。

酒もドラッグも性に対しても、とにかく居場所がないと心で泣く日々を送っている。

どこにいても落ち着かない。しばしばヘッドホンで孤独を愛するようになる。

 

 

____

 

 

 

そんなある日。学生掲示板の下に落ちていた「入居者募集」の貼り紙を見つけ応募するエロイーズ。

 

 

彼女が訪ねたのは学校から程近く、都心部にある地域「ソーホー」の一軒家。

管理人の老婆コリンズと面談。三階の屋根裏部屋を内見し、一目惚れ。

 

 

ロンドンのソーホーと言えば、日本でいうと東京の新宿だと思います。

オシャレなお店が建ち並び、一歩裏通りを歩けば古い建物も混在する。

そして現在は高級地区ですが、以前は風俗街としての有名だった夜の街です。

 

 

 

 

管理人のミス・コリンズは、あまり融通が通じない真面目で無口な老婆。

あまり笑わないお婆ちゃんだなと思いました。

 

 

 

入居する条件を出します。家賃を計4ヶ月ぶん先に預けること。男を連れ込まないこと等。

エロイーズはここに住む気満々ですから、はい!はい!と笑顔でそれらに応じます。

 

 

実家のある田舎で祖母と二人暮らしという環境を冒頭に見ているぶん、女子寮よりも安心かなと勝手に思いました。

 

 

即座に引越し。彼女の荷物は少ないので荷造りも楽だったことでしょう。

キャリーバックに詰め込んだ実家から持って来た大量のレコードも、結局、若い子たちが集まる女子寮では流すことも出来ませんでした。いや、ジャカスタが居なければ、流せたかもしれないです。古い音楽が好きな若者だったいますしね。かもしれない。

 

 

エロイーズが住むことになった部屋は、隣のフレンチレストランの外看板から蛍光灯の灯りが入ってくる屋根裏。

 

 

契約時に「ニンニクの臭いがするわよ」と管理人はニヤリと伝えますが、臭いの描写は特にないです。それよりも青や赤に点滅する飲食店の看板の光が部屋に入ってくる映像の方が気になりました。ブルーライトやレッドライト・・ソーホーは夜の街ですからね。歓楽街に住んでいる感じが背景から想像できます。

 

 

ちなみに「臭うわよ」という管理人の発言を、異臭と表現を変えることで作品を読み解くヒントになると思います。鑑賞される方は頭の片隅に入れておいてくださいね。

 

 

あとは隣がレストランですけど、酔っ払いなどの賑わった騒音が聞こえてこないのもいいですね。

嵐の前の静けさ・・ってやつかな(^_^;)単純に店が繁盛していないとも考えられるけど。

 

 

____

 

 

 

公式サイトのストーリーを読んだ時に、私はウディ・アレン監督の『ミッドナイト・イン・パリ』みたいな展開なのかな?と予想しました。夜な夜な古い時代のロンドンに主人公が訪れる、と言うので。

 

 

(そんな巨匠ウディ・アレン監督も、夜の出来事が原因で追放状態になっていますけど)

 

 

予想は見事に外れました。

 

 

その夜。就寝したエロイーズは限りなく現実に近い夢を見ます。

 

 

夢の中の人物は、玄関を開けて道路を渡り、正面にあるカフェ・ド・パリというショーパブに行きます。

隣にはフレンチレストランはなく、煌びやかな電飾と交通量、人で賑わうソーホーの街並み。

 

 

ソーホーのナイトクラブ。まるで『タイタニック』の一等客船!(笑)

 

紳士淑女の面々が集い、ダンスを踊り、看板の女性歌手が美声を披露する。

 

 

この時の映像は、とても私には斬新で、とてもミステリアスで、感激しました。

 

 

夢の中で主役となるのは、サンディと名乗る金髪の若い女性。

顔と頭が小さくて、目が大きい。お人形さんみたいな女性。

 

 

 

 

サンディは歌手になりたくて、この店を訪ねています。

「オーナーに会わせて頂戴」とかなり自信満々な女性です。

 

 

このサンディの言動をエロイーズは追体験という形で見ております。鏡の中から。

 

 

60年前の出来事を現代にいるエロイーズが、就寝中に観ていく流れ。

その人物本人になるのではなく、限りなく近い位置で、様子を観ていくのも特徴ですね。

 

 

 

 

上の写真のようにサンディの左右対称もあれば、ただ単に出来事を目撃しているだけもある。

 

サンディだけを観ているのではなく、サンディのいる世界を観ている。

 

 

 

 

『ハリーポッター』で言えば、スネイプ先生の涙から出来事を追体験したり、ダンブルドア校長の過去の記憶を見ているようなものかな。(英国映画なので、なにかしら共通点を見つけてしまいます(^_^;))

 

 

サンディは店のエンタメ業務のまとめ役を束ねるジャックと知り合い、すぐに恋に落ちる。

ジャックは「ヒモ」と呼ばれています。女性歌手を束ねてお金を儲けるから・・なのかな。

 

 

雇ってもらいに店を訪ねたと思ったら、そのスカウトマンに口説かれるんですから、展開早いなぁ。まぁ夢なんで展開飛び飛び。

 

 

 

 

ナイトクラブのジャック。

ジャックナイフのように危険な男。

 

君を店の看板スターにすると約束する。

 

 

___

 

 

目を覚ましたエロイーズ。その世界観が変わっています。奇妙で刺激的な60年代のナイトクラブを追体験し、夢の中のサンディという金髪女性に強い親しみと憧れを持つようになるのです。

 

 

元々この時代を愛していた彼女にとって好影響に繋(リンク)がる。

 

 

その奇妙な感覚を持ったまま、頭の意識の中に鮮明に存在する彼女をモデルにしたデザイン画を描き、女性講師からベタ褒めされる。「あなたは凄いわ!」。

 

 

昨日までとは違う世界、そして周囲の反応。 唯一、ジャカスタだけは面白くない態度。「なによ、あの子。」

 

 

髪の色を金髪に染め、大胆なイメージチェンジ!

 

 

 

 

それから夜な夜な夢の中で逢うサンディに寄っていく。

 

 

2人の女優のお顔立ちタイプが違うので区別は出来ますが、現代を生きるエロイーズの方が過去に生きた彼女に近付い(寄せ)て行っているのが分かります。

 

 

それだけサンディは魅力的な女性でした。

 

 

 

 

しかし、サンディの歩いた黒歴史・出来事を、現代のエロイーズが追体験していくにつれ、ナイトクラブの門を叩いたその後の彼女が決して思い通りにスター街道を進んでいったわけではないことを知ります。

 

 

眠るたびに更新されていく記憶。「もう続きを見たくない!」

エロイーズは次第に夜眠ることが恐怖になっていくのです。

 

 

60年の時を超えてツイの状態になった2人。

部屋の中には留まらず、学校内、街中など、昼夜問わずに幻覚・幻聴にエロイーズの意識は支配され、精神的にも危険な状況に。

 

 

果たして、エロイーズの身に何が起きているのか?

 

衝撃の夢の続きが描かれる。

 

 

 

 

________

 

 

 

前半部分の描写を細かく広げました。

 

 

細かい部分になりますが、いくつか気になった点をお伝え致します。

 

 

普段。アメリカのホラー映画を見る機会が多いので、ヨーロッパのホラー映画を見ると新鮮に感じることが多いです。

 

 

基本的に白黒映画のように静かでアナログさがある英国ホラーでしたが、物足りない点もいくつかあります。

 

 

まず。1960年代という時代背景がこの映画の大きなポイントの1つとして冒頭から紹介されていますが、

 

この作品で自分が弱いと思ったのが、良くも悪くも若い女性の主人公という点です。

 

 

主人公エロイーズの絶対的存在 が 1960年代のファッションと音楽

劇中では日本でも大ヒットしたオールディの名曲が挿入歌として流れるので楽しめると思います。

 

 

ではそれ以外は?と考えた時に、彼女の知識は偏っていて世間知らずに映るので、設定が弱く感じました。

 

もっとこう・・1960年代の歴史背景だったりを勉強したり、音楽以外に映画だったりテレビ番組だったりを研究するなど、60年代全体を好きな主人公であって欲しいです。

 

 

流行の背景には時代という存在がありますからね。ファッションデザイナーになるなら、それを知り得た上で上京しないと(^_^;)

 

 

「この時代のフッションと音楽が好き」と特定されていた時代があるぶん、脚本は設定を固めやすいとは思いますが、それに関しても、例えばオタクのような知識力が備わっているようには見えず、ただ好きと言っているだけなので、それだけだと、他に60年代好きの人間が現れた時に会話にならないと思います。60年代の英国ファッション文化が好きな人なんて沢山いるでしょうから。

 

 

その偏った知識が災いするから映画だと思うのです。

 

 

住み慣れた街から都会のロンドンに上京し学生生活に入る主人公。ロンドンと言っても1577㎢と範囲が広い世界都市ですので、一括りにせずに、「ソーホー地区」に住むという情報もあってほしいですね。自分が住む街の情報もなしに都会で出るって結構リスキーかな、と。

 

 

祖母も「ロンドンは怖いところ」と真剣に伝えますが、ロンドンのソーホー地区に住むということまで知っていたのかな?

細かい部分への興味ですけど、最愛の孫娘が都会に上京するというだけでも心配だと思いますのに、その状況先の住所がソーホー。英国民ならば、ここが過去、どんな街色だったかぐらいは知っていると思います。

 

 

アンティークの洋服店で出会った60年代の洋服を買いたいからバイトすることになったパブも、キッカケだけではなく、もう少し丁寧に描いて欲しかったと思います。

 

 

脚本は水準以上です。

 

 

Wikipediaなどで地区を検索すれば、一発でどんな場所なのかを知れます。

 

 

過去に多くの性風俗店で栄えたロンドンの夜の街。風俗と繁華街、殺人事件もマフィアも何でもあり。

現在はオシャレタウンと化していますが、夜の街の名残は残りゲイバー等で賑わっているそう。

 

 

自分も地名だけは知っていたので、夜の街の匂いを出さない前半から、夜の街の匂いを出すように変わる中盤以降は、見応えがありました。

 

 

このパブの常連客である老人が、際立った演技をされています。

 

 

 

俳優は【テレンス・スタンプ】[82] 英国を代表する名バイプレイヤー。

「俺はこの街の女は全て知っている」が常套句。主人公エロイーズが最も警戒する存在です。

この老人は、映画を視終わった後、もう一度、設定を知った上で鑑賞したくなるキャラクターでした。

 

 

主演のエロイーズを演じる【トーマシン・マッケンジー】[21]も、個性的でいいと思います。

元々が霊感気質の女の子。亡くなった母親の姿が鏡などに映っている。

 

 

そんな彼女が、間借りする一軒家に引っ越したのを機に、就寝すると60年代の同地区の時代に意識が移り、サンディという歌手志望の女性の出来事の様子を追体験します。

 

 

繁華街でナンバーワンのナイトクラブを訪ね「オーナーに会わせて」と自分を売り込むサンディは、スター気質で自分に自信を持つ。遂にはクラブのまとめ役の男性と恋に落ちる。

 

 

目を覚ますと彼女への憧れを強く出す主人公。髪をサンディと同じ金髪に染め、彼女をイメージしたデザイン画を描き、講師から一目を置かれる。イメチェン大成功。隠キャから陽キャへの変身・変貌はホント見事。完全憑依型の女優。

彼女に寄せる事で、謎の老人が接近したり、日常でも亡霊たちが襲ってくるようになる。

 

 

トーマシン・マッケンジーは目と鼻が日本のハーフタレント【ベッキー】にしか私は見えないので、20代の頃のベッキーが演技をしている感じがしました(^_^;)

 

 

 

 

相当大胆なイメチェンで、金髪になると印象が全く変わる為、とても振り幅を感じて、英国人の変身も楽しめた映画です。

 

 

 

 

英連邦王国の一国であるニュージーランド出身の女優。今回の相手役が黒人俳優であるから肌の白さが際立って見えました。

近々で記事にした『Old』にも出演されていましたし、『ジョジョ・ラビット』など、私の少ない投稿数の中でも触れることが多い女優。ご年齢も21歳と若く、出演した作品の質を視ても、今後間違いなくトップスターになる出方を魅せているので要注目です。

 

 

一方。主人公が追体験する60年代のソーホーを生き抜くサンディ。サンディ役の女優も印象深いです。

 

 

【アニャ・テイラー=ジョイ】[25]は・・おそらく初見の女優です。

プロフィールに書かれている出演作は日本で公開されない作品が多かったので馴染みがないのですが、これまた個性的なお顔立ちの女優さんだなと思います。

 

 

 

 

爬虫類系のお顔立ちですが、一度見たら忘れられない印象の強さがあるし、凛としていてお美しい。

特に初登場シーンから暫くは、自信に満ちた雰囲気で演じているので、相当絵になっています。

主人公のエロイーズが強い憧れを抱くのも分かります。女性がカッコいいと思う魅力があるのではないかな。

 

表情筋の弾ける演技をするようになる中盤以降は、個人的にはそこまで演技派には観えませんでしたが、とにかく華があって良い。

こういう身長が高くてスラッとしている女性はアクションをさせてもカッコいいし、ラブストーリーでもギャップがあっていい、悪役をさせても似合うと思うので、どのジャンルでも味を出せる万能型だと思います。同じく要注目女優です。

 

 

最後に。

 

 

減点する程でもないですが、増点となる満足感もないのが、主人公の恋仲相手ジョン役を演じる黒人俳優の【マイケル・アジャオ】の存在感の低さです。

 

 

出会いのシーン。重い荷物を持って入寮した主人公に「手伝おうか?」と声をかけるのですが、女子寮の前で携帯いじって暇してる黒人男子という感じなので、鑑賞する私としても断った彼女の気持ちが分かりました。

その前のシーンでタクシー運転手から舐め回されるような視線を感じて怖がっていますから、警戒されるのも無理はない。

 

 

その後、他の英国男子のように肉食系ではなく、草食系で優しい性格の持ち主であるジョンは、主人公に寄り添うよう見守るような存在に。

 

 

男子生徒が少ない学科。ジョンは筋肉隆々の黒人ではなく、細身で優しい黒人。

 

肉食系の装飾男子より、草食系の装飾男子の方が、オネェ感もあるぶんシックリきました。

 

 

ただ、中盤以降は、亡霊に取り憑かれた主人公が、過去と現在を見境なく行き来し、今世紀最大級のパニック状況(^_^;)となる流れの中で、ジョンは愛する彼女を守るために男気を見せていくのに、、これと言った印象に残らない存在感の低さも正直生じました。

 

 

この手の「主人公の彼氏・彼女」という役回りは印象に残ったり、見せ場があったりすることが多いのに・・・。

 

 

Wikipediaや公式サイトでもキャスト紹介の番手が下の方なのも気になります。

出演時間で行ったら、ナイトクラブのヒモ男よりも多いのにな。

 

 

そうそう。記事にするなら、これを書こうと思ってました。

今作は過去と現在をリンクさせる共通点が線になって描かれていると視ていましたが、

1960年代のロンドンのナイトクラブに黒人を登場させていないのに、2020年代にはラブストーリー仕立てで結ばせるというのも、キャスティングがイマイチに感じました。ここは無難に白人の若手俳優の起用の方が良かったのかなと思います。これは私の見方ですが、役のポジションのわりに、いまいちパッとしないんですよ。

 

 

人種の問題が真意にあるのか?は分かりません。

ジョンはジョンで、ロンドンに上京してきて、親しい友達もいないし、学校の友達と出かける時があっても独りに映る。周りに黒人もいない。エロイーズとの共通点も見つかります。

 

 

例えば、イギリスは人種差別傾向のある国だったりもするので、それを根底に置いて見た場合、黒人もそうですがアジア人やアラブ人だったり、この学校の生徒役にいて孤立していたとしたら、また違った見方でこの映画を作品として視れるのかも知れませんね。

 

 

とにかく脚本が面白く、表面で描かれている映像よりも、内容は深いと思います。

主人公がどうしようもないくらい過去の亡霊に取り憑かれていく様子と、英国のモノクロなホラーと煌びやかな60年代の花街の様子がクラシックで、半世紀前の歴史の闇も感じる事が出来ます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

脚本 15点

 

演技 13点

[サンディ役 加点+1]

 

構成 13点

展開 13点

完成度13点

 

 

[68]点

 

 

 

 

明けましておめでとう御座います。

本年もどうぞ宜しくお願いします。

 

 

月1ペースで不定期の投稿ですが、今年はもう少しだけ投稿数を増やし、読みやすい文章で、言葉に情熱を注げたらいいなと思っております。

 

 

ここで出逢うのも何かの縁。

あなた様の2022年が良き年でありますように🌄。

 

 

 

【mAb AcAdemy】

 

 

THE映画評論『Cry Macho』

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自分が子供の頃。シュワルツェネッガーやスタローンという肉体派俳優が全盛の時代で、その名称を「マッチョ」と言っていて、男の子同士で「マッチョマン」と連呼していた記憶があります。ウルトラマンやスーパンマンなど「○○マン」がヒーローの象徴だったので、子供心では、その響きだけで気持ちよくなったものです。

 

 

今日の日本で「マッチョ」は、死語に近い言葉に感じます。何となく昭和・平成の言葉の匂いがします。英語を勉強しておいて恥ずかしいのですが、Machoという言葉が若者の造語だと今日まで思っておりました(^_^;)日常会話で使っていたのはマッスルで、マッチョを検索したこともなかったです。

 

 

【Macho】

スペイン語で「男らしい」を意味する言葉。

そもそも英語ではなかったんですね(^_^;)

今作の舞台がメキシコなので、出てくる用語ですけど、無知識がお恥ずかしい。ディスクルペ。

 

 

今作の字幕で、「マッチョ」を「強き者」と表現していたので、単語のニュアンス1つで幾通りにも連想出来るんだと改めて感じることが出来ます。

 

 

そういえば、夏目漱石がまだ公式の日本語訳がなかった時代に、「I Love You」を「月が綺麗ですね」と日本語に訳した話は有名ですものね。

 

 

では始めます。楽しい映画の時間です。

 

 

『クライ・マッチョ』

 

 

 

 

 

監督兼主演マイク

【クリント・イーストウッド】

 

 

青年ラファエル

【エドゥアルド・ミネット】

 

 

雇い主ハワード

【ドワイト・ヨアカム】

 

 

ハワード元妻リタ

【フェルナンダ・ウレハラ】

 

 

レストランの女主人マルタ

【ナタリア・トラヴェン】

 

 

配給

[ワーナー・ブラザース・ピクチャー]

 

 

本編

[1:44]

 

 

 

公式サイト↓

 

 

 

 

 

物語の始まりはアメリカの中南部テキサス州。

 

 

(Wikipediaより)

 

 

御年91歳!!

 

 

生きる伝説イーストウッド監督の40作品目となる今作。監督兼業主演。やはりイーストウッドらしく南部のカウボーイです。

 

 

ちなみに「カウボーイ」とは主にアメリカ西部を指す牧夫のこと。牛や馬を扱う技術に長け、調教する役割の者もいれば、主人公のように大会に出ていた者もいます。そして彼らの履くズボンといえば世界中に愛用者がいるジーンズですね。

 

 

ジーンズにティンガロンハット。この組み合わせ、憧れるんだけど・・西部かぶれでもないし、東京在住だと出来ないなぁ。

 

 

 

 

 

 

ロデオのチャンピオンだった主人公マイク。

 

 

ロデオはアメリカの人気スポーツで、暴れ牛の上に乗ったカウボーイが、いかに乗りこなすかで採点が決まる競技です。

死亡事故も多く発生する危険なスポーツですけど、その死と隣り合わせの操縦ぶりにファンは熱狂し尊敬するのでしょう。

 

 

社内の壁に貼られた新聞にはその輝かしい時代の写真が紹介されます。そこには若かりし頃のマイクが映っています。

 

 

人間を振り落とそうとする暴れ牛を乗りこなす「ブル・ライディング」という競技を写した写真だと思いますが、カメラが寄って行くと、この写真を撮った後のシーンが動画に替わり動き出します。

 

 

「写真の中身が動きだす映像技術」が、個人的に好みなのですが、今作は白黒写真のまま動き出すことに徹底しているので、そこに強いこだわりを感じます。カラーにするのが一般的です。

 

 

主人公は過去を振り返りません。物思いに更けるのは焚き火の時くらい。炎は感情を揺るがしますから。

 

過去の栄光はあくまで過去の栄光。高齢になった現在も未来を向いているように思えます。だから白黒動画にしたのかな?あくまで私の想像の解釈です。

 

 

輝かしい瞬間を映した写真ですが、その10数秒後、主人公は落馬をします。

当時の新聞記事の写真が動き出し、主人公が落馬した様子を紹介します。本当に落馬しているように見えます。(スタントマンだとしても実際に落馬したら大怪我するレベルの落ち方・・。)

 

 

ロデオ界のスター選手だったマイクは、この落馬事故で選手生命を絶たれてしまいます。

 

 

引退後の彼がその後、どのように生きていったのか?

この点は展開の中で少し自身が語るのと、観客が想像するしかありません。

 

 

イーストウッドは「説明説明」して映像を展開する監督ではないので、分からなければ各々で想像すればいい!ブルース・リーの言葉を借りれば「考えるな、感じろ!」ですね。

 

 

老人となったマイクは選手引退後も牧場でスタッフとして働くカウボーイ。

 

 

テキサス州にある牧場に出勤する冒頭。「ここには2流3流の馬しかいないな」厩舎の前でボヤく老人。遅刻をしても平然と自分の業務に向かう態度。そんな彼に「老兵を雇ってはいられない」「もう来なくていい」と牧場主ハワードはクビを宣告します。

 

 

長い付き合いの2人。冗談だろと目を丸くするマイクですが、最後は捨て台詞を吐き捨てて、上等だよ!と喧嘩別れのような形で職場を後にします。

 

 

南部のカウボーイって妙にプライドが高くて、媚を売ったり、へこへこしないイメージがあります。

 

 

ハワード役の俳優は【ドワイト・ヨアカム】[65]。俳優活動もするアメリカン・カントリー音楽の大物です。

 

 

イーストウッド演じるマイクの年齢設定は分かりませんが、古い友人役を演じるヨアカムの年齢が60代ということで・・さすがに80後半や90歳ってことはないでしょう。せいぜい[70後半〜80前半]の年齢設定なのかなぁ?と思い視るようにしました。

 

 

テロップ表記「1年後」

 

 

1年後。ハワードから呼び出されたマイクは、彼から頼みごとをされます。

 

 

「メキシコに住む元妻の元から、一人息子のラファエルを連れて来てほしい」との依頼です。

 

 

このシーンを観ながら、

この男とは喧嘩別れしたんだし、そんなの放っておけよ!と浅い人生経験の私は銀幕越しに思うのですが、義理深いマイクは考え込む。

 

 

旧知の仲であるハワードは「お前も息子を覚えているだろ」と、幼少時代のラフォの屈託ない笑顔の写真を見せ「俺には恩があるはずだ」とマイクに言う。前者のセリフは友達として関係性の言葉で、後者の言葉は雇い主(怪我後も仕事を世話した恩人)という関係性の言葉でしょう。

 

 

どういう説得をすれば、相手がOKするか、ハワードは知ってるのでしょうね。

 

 

マイクは「確かに恩があるな」と独り言くらいの声量でブツブツ呟くぐらいですから、相当な関係性と主従性がこの2人にはあるのかな。

 

 

多くを語らない主人公。聞かれれば答えますが、自分からは過去を話すことはしません。

落馬し選手引退後の人生は、リハビリ生活や家庭の事情などを乗り越えていく。

仕事をしなければ生きてはいけないものですから、ハワードに働き口を与えられ、引退後もカウボーイとして働けたことに相当恩義を感じているのだろうと私は推察し、その後の描写を観ていきました。

 

 

脱線しますが、日本人は義理人情の描写が好きだと思います。

その後の展開でも、ハワードの方が優位に立ち偉そうに感じるので、雇い主に恩を返す老人マイクの姿勢に胸が熱くなるのではないでしょうか。

 

 

弱みを握られているわけでもない。成功報酬などの具体的な話は劇中にない。だけど彼を旅に向かわせる動機はなんだろう?

 

 

冒頭の「きっかけ」の部分をしつこく書いていますが、決して簡単に果たせないであろう依頼を受けるには、それ相当の関係性がなければ叶わないことだと思います。映画的には「頼むよー」「分かったよ」のやりとりで済ませますが、ここは注目したいし、鑑賞される方は注目して頂きたいと願います。

 

 

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テキサス州はメキシコとの国境に接している州。国境を越えればメキシコ政府の管轄、ルールの中へ。

 

アメリカとメキシコの国境線の問題は、社会的にも映画的も意識してしまいます。

 

 

 

 

 

 

少し脱線して。

 

 

学生の頃にロスに留学していた時の思い出。

お世話になるホストファミリーがある日、メキシコに車で薬や食品を買い出しに行ったため、自宅に「帰国」するまでの間、留守番をする体験をしました。

 

 

アメリカ映画を長年見て来た知識で、アメリカ側からメキシコ側への入国は比較的に楽なようですが、メキシコ側からアメリカ側に戻るのは、時間がかかるそうですね。いきはヨイヨイかえりはコワイ。

 

 

私なんて全く経験者でも何でもないんですけどね。

こういう国境線の列を映画で見るたびに、ホストファミリーのお父さんのことを思い出したりします。

 

 

そしてイーストウッドといえば共和党の支持者として有名。

共和党の前大統領のドナルド・トランプは、任期中にメキシコ国境線に壁を建設していました。

イーストウッド自ら、トランプの下品な言動には失望していると発言した、とWikipedia先生には書かれています。

 

 

政権が代わりバイデン現大統領は、メキシコの壁建設を中止しました。

相当な巨額を投じて行われていたプロジェクトなので、今後はどうなるのかな?

 

 

こういうメキシコ入国や、不法移民について、どう考えているのかなぁ?と鑑賞中に要らぬことを考えておりました。

 

 

映画に戻りますm(_ _)m

 

 

主人公が託される、「メキシコに住む元妻の元から、息子を連れてきてほしい」、という依頼は、かなり危険で依頼主の都合のいい話だと思います。

 

 

国境を越えて、メキシコ→ から彼の元妻の息子を連れ去り ←アメリカに戻る。

国境線まで戻って来さえすれば、独自のルートで入国させる事ができるとハワードは言います。

 

 

元妻の了解を得られなければ「誘拐」になります。この時点で元妻の素性も分かりません。

 

かなり危ない橋を渡ることになるでしょうけど、マイクはこの依頼を「1言の説得」と「1言の懇願」で了承することになります。

 

 

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ドンパチがある映画ではありませんが、南部の砂埃が舞う荒野の凪風と、誰も目撃者がいないような広大な地が背景にあると、どうしても西部劇を連想し、静寂の中に突然銃声が響くのではないか?と想像させる緊張感が生じてきます。

 

 

ロデオスター(写真紹介)→クビ宣告→依頼懇願。ここまで約10分ほどで描かれ、その後もサクサクと物語が展開していきます。

要所要所に無駄なカロリーがないから、アクション映画のように派手さもなく、削ぎ落とし感が少なく感じます。

 

 

依頼を受けたマイクは、自家用車(アメ車)でメキシコ国境を横断する列に並んでいます。

 

 

彼の前を進む車からシーンが始まるのが印象的ですね。最初から自分の番でも成立するシーンだと思いますが、あえてこういう紹介をするところがイーストウッドぽい。

 

 

セクシーな若い女の子が3人。国境検問所の職員は彼女たちを見ながらニヤケ顔で会話をしている。

「どこのビーチに行くの?」。刺激を求める女の子たちも満更ではない。舐め回すように会話した後は「じゃあ楽しんで」と入国を許可する。

 

 

続いてマイクの順番になると職員の顔は分かりやすく無表情。関心がないのでしょう。

 

 

 

「入国の目的は?」「休暇でふらーっとしようかと」「ふーん。メキシコへようこそ」。問題なく入国。

 

 

___

 

 

 

無事メキシコに入国したマイクは、その足で雇い主の元妻の邸宅を訪れます。

 

 

元妻は豪邸に住んでいて、パーティー中のご様子。

 

こんな豪邸に住んでいるなんて・・カタギとは思えないな。

 

 

マイクは臆することなく家の中に入っていき元妻リタと接触。

彼女の2人の用心棒に睨まれながら、「ラファエルはどこにいるんだ?」と尋ねます。

 

 

リタはアルコール依存症という説明をハワードからされています。アルコール依存症の元妻から息子を守るために、アメリカに連れて来てほしい。

 

 

目つきが鋭い女優なので「アルコール依存症」には正直観えないけれど、情緒が安定しない女性には観えるなぁ。

 

 

(別れた妻に対する男の言い分なんて信用できないとハナから思って観ていますが)

 

 

セクシーなドレスを着ている。男を脇に添える美魔女。カタギには視えない独り身の中年←こちらは私のイメージ。リタは正直、掴みきれないキャラクターでした。

 

 

「お前の息子はどこにいる?」と聞かれ、自分の息子をボロクソ言う母親。あの子はロクデナシで不良よ。私のアクセサリーみたいなもの。ゴロツキが集まる闘鶏場にいるから捜してみれば?。

 

 

起伏の激しいリタは、用心棒(恋人?)に「もういいでしょ、追い出して!」と指示。用件が済んだら出て行って。

 

 

この掃け際のシーンが印象的で、用心棒が手荒に追い出すのではなく、気を使いながら腕を持ち上げようとしているので、イーストウッド主演兼監督を労っているのだと思いました。ちょっと介護士を連想したなぁ。

 

 

主人公は、結構、従順な性格で、基本「相手に言われた通り」に行動します。

 

 

言われた通り行動するから、話も早いし、展開もスムーズ。いい意味で伝えると「無駄な動きがない」

 

 

依頼をされれば受ける。あそこにいるから捜せと言われれば行く。その後の展開でも、風がそよぐように動いていました。

 

 

闘鶏場にいるわ。そう教えられたマイクは早速、その場所に向かいます。

この場所をどうやって割り出したのかは描かれていません。想像すればいいです。

 

 

夜のメキシコの路地裏を、長身で白人の老人が躊躇わずに進んで行く後ろ姿は、なんだか新鮮に感じたなぁ。

 

 

闘鶏が行われている広場に到着すると、目的の人物はすぐにマイクの視界に入ります。

 

大人たちの中に1人だけ少年が混ざっている映像なので、主人公でなくとも、観客にも捜しやすいです。

 

 

 

 

(ストリート・チルドレン役のエキストラを用意して欲しかった)

 

 

彼は自慢の雄鶏を試合に出す。「さぁ行け、マッチョ!」

その瞬間にパトカーがパトランプを鳴らして現れ、一斉摘発の流れ。そこにいた誰もが逃げるのに必死となる。

 

 

違法闘鶏場だったΣ(・□・;)

 

 

このシーンも無駄がないですね・・。

 

 

警官が現場に乗り込んでくるわけですが、マイクは動じません。「チッ」と舌打ちをし壁の後ろに隠れるだけでスッと気配を消し、

ほとぼりが冷めるを待つだけ。外国人だから捕まったら色々と面倒な筈ですが、ただ壁の隙間に隠れるだけです。

 

 

・・・まるで忍者のようです。メキシコの警官が無能なのか、マイクの判断が凄いのか、きっと後者。

結構、分かり易いところに隠れるのですが、無駄な動きが全くなくて、忍者やカメレオンのように擬態する。

 


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誰もいなくなった闘鶏場で、マイクは雄鶏を捕まえて、ラファエルの名前を呼びます。

 

闘鶏の鶏ですが、マイクにかかれば大人しい。彼はカウボーイ、動物使いですからね。

 

 

「出てこいラフォ!出てこなければ、このチキンの首をへし折るぞ」とカウントダウンを始める。

 

 

姿を現したラファエルに、自分の目的を伝えます。「お前のオヤジが、お前に会いたがっているから、連れにきたんだ」

 

 

青年は悪ガキですけど、単にストリート(路上)で生きる知恵を身につけているだけの、、親の愛情を欲しがっている純粋な子供。

 

 

父親が自分に会いたがっていると知ると目を輝かせる。「でも誕生日に電話をくれなかったのに・・」。どうやらマイクに付いて行く流れになるんだろうな。

 

 

ただ会話中にラファエルは姿を消してしまいます。

 

仕方なくマイクは再びリタ邸を訪ねる。

 

(この一連のシーンは、よく分からなかったので、展開面で減点しています)

 

 

リタ邸の部屋の中にいるマイク。用心棒が「何してるんだΣ(・□・;)」と現れる。

 

 

(その前に不法侵入なんだけどな(^_^;)せめて入室前のシーンを入れてほしい)

 

 

再びリタと1対1の会話となり、グラスに注いだ酒を渡し、ベッドに誘われる。それを紳士に交わすと半狂乱で大激怒するリタ。

 

 

「メキシコの刑務所はいやでしょ?」「もうアメリカに帰れ」「2度と来るな」と伝えます。めっちゃくちゃ怒っています。

 

 

前述の通り、命令されると素直に従う主人公です(^_^;)

はいはい分かりましたよ、とアメリカに帰ります。

 

 

リタは用心棒に「念のため、尾行しなさい」と指示。

 

 

どうやら本当にアメリカに帰るようです(^_^;)あれ?やけにあっさりだなぁ。普通に任務失敗?

 

 

その帰路の道の途中に、後部座席から飛び跳ねる鶏、驚いたマイクは急停止。

 

 

そして後部座席を覗き、隠れていたラファエルを問いただす。

 

 

(ラファエルはいいけど、鶏の気配には気付かなかったの?とは正直思います。)

 

 

僕を父親の元に連れて行って欲しいと懇願。

 

 

数時間前までは、そのつもりでメキシコまで来ていた主人公ですが、リタとのやりとりで考えが一変しています。

 

 

「いや、まずいから戻りなさい」「嫌だ、アメリカに行くんだ」「、、、分かったよ」。

 

 

映画開始30分ほどが流れ、中盤は、老人と少年の交流記のドラマとなります。

 

 

当然ながらリタは「私の息子が誘拐された」と警察に通報。

彼女が息子を手放したくないという精神心理は強い利己主義に感じます。

 

 

国境まで行けば、雇い主のハワードが国境警察を買収しているため、何とかなりますが、それまでが大変。

メキシコ側で捕まったらどうにもなりません。死ぬまで刑務所が確定する。

 

 

家があるのに路上生活を送っていた少年ラファエルの理由だったり、家庭環境に関する情報は、映画をご覧になって頂きたいので書きません( ◠‿◠ )

 

 

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この映画の中盤シーンの「ドラマ部分」をとても気に入っているので、そちらは丁寧にご紹介いたします。

 

 

マイクは事あるごとに休憩をとります。休息とも言えますね。

 

 

ダイナー(食堂)だったり、夜は焚き火をするなど、こういう「1日の休憩時間」を104分の映画の中で惜しみなく使っているのが、とても印象的に感じます。

 

 

そこで会話をして、絆が深まっていく、その様子がとても好きです。

 

 

テキサス州との国境へ向かう道中に立ち寄る町。

ちなみに道中色々あって・・メキシコの水で下痢をした主人公が用を足そうと車外に出ると泥棒に車を盗まれ、辿り着いた町で車を盗み返すなど・・色々経て立ち寄る町です(^_^;)

 

 

到着すると2人は町のダイナーへ。

 

 

アメリカ人のマイクは、スペイン語が一切分かりません。通訳役は少年ラファエルが担います。

 

 

この映画の面白い箇所は、殆どのスペイン語のやり取りに、日本語字幕が入らないこと。

配給ワーナーの指示なのか、それとも字幕を入れない方が面白いと判断したのか?

 

 

何れにしても、主人公マイクと同じく、私自身もラファエルの通訳待ちの状態でした。

 

 

女主人のマルタさん。第一印象は無愛想なのかな?と思いましたが、とても心温かい女性です。

警官がうろついている状況を見て、2人を庇ってくれたり、食事を提供してくれたりします。

 

 

マイクは「ありがとうセニョーラ」と伝えます。すると通訳するラファエルは慌てて「セリョリータだよ」と伝えます。

 

セニョーラは既婚女性。セニョリータは未婚女性。

 

彼女は未亡人で、1人で食堂を切り盛りしていました。

 

 

すごく、楽しいと感じた映画のワンシーン。

 

 

マイクは食堂で仮眠を取ることにします。日本だと行儀が悪くて考えられませんけどね。

長椅子に足を伸ばして壁に寄りかかり、テンガロンハットをアイマスクがわりに寝る。

 

 

目を覚ますと、テーブルの上に鶏のマッチョ君。

 

 

 

 

(イーストウッドの表情が面白い!)

 

 

この鶏のマッチョは、ニワトリとは思えないほど大人しいし、あまり頻繁にコケコッコーとは鳴かない。

 

 

(アメリカだから擬音は「ドゥードゥルドゥー」か)

 

 

カウンターテーブルで、マルタの手伝いをするラファエルの笑顔を見て、この子は母親からの愛情を知らない子なんだな、と考えることが出来るし微笑ましい光景に感じます。

 

 

マイクが起き上がると、マルタが喋りラファエルが通訳。その表情は優しい。

 

「なんて言った?」

 

「「あなたはイビキをかかないから静かで良い」って言ってるよ」

 

 

このシーンはホント微笑ましくて観ていて心地良かったです。

 

 

旅人である身、長居はしません。

 

 

町を出て車を走らせる。国境が近くなるにつれパトカーが目立つように。

「俺たちを探しているんだ」とマイクは言いますが、実際どれくらいの包囲網で誘拐事件として警察が動いているのか?、この映画からは分かりませんでした。

 

 

基本的に一本道で裏道があるわけでもなく、脇道に逸れてサボテンの影に隠れるような感じ。

 

 

パトカーを見かけると、スーッと迂回するかUターン。それを見て警察が追ってくることもないので、何らかのアクションが見たい気持ちも生じました。

 

 

基本的に焚き火を炊き野宿をしていた2人ですが、その日は雲行きが怪しかったので、先ほどの町に戻り、小さな町の教会に避難します。

 

 

当然のように横になるマイクに対して、ラファエルが「なにしてんの!!!???」と驚く。「なにしてんの?って、寝るんだよ」「マリア様の前だよ!」。宗教観など私には分かりませんけど、このやり取りも面白かったです。

 

 

翌朝。目を覚まし外に出ると、教会の前の長椅子に2人分の朝食が置いてある。

 

 

歩いて行く後ろ姿に声をかける。「朝、教会に行ったら、車が停めてあったので」。マルタは微笑む。

 

 

 

 

車体の底を見るとオイル漏れ。仕方ない、修理するまでの間、ここに留まろう。

 

 

・・・この故障車。元々、盗んだ車なんだから、修理するのではなく新しく盗めばいいのに・・とは思いましたが、ドラマが始まる展開になるので、読まなかったことにしてください(笑)

 

 

マルタの店に行くと子供たちが店の手伝いをしたり、テーブルに座っていたりする。

 

 

「君の子供たち?」「いいえ。私の孫よ。不慮の事故でね。」「そうか。。」

 

多くは尋ねません。

 

 

この町に滞在することを決めたマイクは2つの行動を起こします。

1つは荒れ馬の調教。手に負えない荒れ馬を調教し、買い手に渡す。マイクの手にかかれば、どんな気性の荒い馬も落ち着き、気持ち良さそうな瞳になります。

 

 

 

 

(動物の瞳、幸せそう)



もう1つがラファエルに乗馬を教える。

 

 

「テキサスに行ったら、カウボーイになるんだろ。馬鹿にされないように、俺が乗り方を教えてやる」

 

 

 

 

どちらも行き当たりばったりで起こす行動なのですが、結果として、この町に滞在することが良い方向に向うので、人生なにが起こるかわからないなぁ・・と思える出逢いのシーンでした。

 

 

 

 

 

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劇場鑑賞直後に、iPhoneのメモに箇条書きした素直な感想を紹介。

 

 

 

時折入るカントリーミュージックのBGMが耳に心地よく響き、なによりも微笑ましい老人と少年の描写。ウルルン滞在記のように別れ際の寂しさもある。冒頭、年老いたイーストウッドにショックを受けるし、一つ一つの所作がゆっくりでカクカク動いているから、観る側も労りと理解が必要かなと思ったが、追っ手から逃げる様子などは動じることなく、枯れ葉のように存在を消す展開が、ユニークでスムーズで、段々と映画の世界だけに入って行く感覚になった。「俺はドリトル先生か?」と突っ込む様子はとても見ていて面白かった。そしてタイトルにもなるマッチョ。マッチョと名付けられた雄鶏。「クライ・マッチョ」で「叫ぶマッチョ(ニワトリ)」。実にユニークだ。メキシコの荒野を二人と一匹で並んで歩くシーンは最高。ニワトリ・・それも雄鶏がこんなに利口だとも知らなかった。遅ばせながら、今年最初の映画鑑賞。あー楽しいなぁ、この時間がもう少し続いて欲しいなぁと思いながら・・だけどイーストウッドの事だから勿体振るようなことをして本編を伸ばすわけもないなと思ってて・・もうすぐ終わるのは明らかだったけど、この映画を好きになれるには十分な時間でした。色々と細かい部分を探りたい気持ちもあるけれど、腹八分目で十分満腹になれた。

 

 

 

・・ニワトリの件ですが、劇中にイーストウッド演じるマイクが、ことあるごとに飼い主の少年に「食ってやるぞ」と言います。もちろん冗談なのと、彼は動物に愛されるのが微笑ましいぐらい分かるので、嫌な気持ちはしません。昔のお爺さんはこういうジョークを言っていたなぁと、なんだか懐かしかったですね。

 

 

 

 

コピペでも書いていますが、「俺はドリトル先生じゃないぞ!」と言うくらい動物に対しての知識があり、噂を聞きつけた町民が長蛇の列を作るくらい重宝されます。

 

 

この町に動物病院がないことも分かりますし、学ぶ場所がないことも分かります。

年老いた犬を診て欲しいと訪ねた飼い主に、「寿命だけは治せない」と現実を伝えるのではなく、「そばで眠ってくださいね」と伝えるシーンがあります。それこそ、この映画が本当に伝えたいことなのかなと思います。

 

 

人に必要とされるのを、見ていると、こちらも幸せな気分になります。

 

 

____

 

 

 

私の中ではまず、今作品を鑑賞する前の姿勢として、イーストウッドのご年齢が91歳であり、撮影時は80代後半だったことを考慮しなければならないと思ってチケットを購入しました。

 

 

監督業はご年齢が高齢でも現役で撮られる方がいますが、役者業はどうでしょう。

普通の後期高齢者なら、それプラス、セリフを覚え、役になりきり、その役を演じることなんて出来ないと思います。

凄いと言う言葉しか表現がありませんが、それだけ脳が元気なのでしょうね。

 

 

体の動きに関しては、歩くのも遅いし、関節を曲げる時は一拍を置いている。急に俊敏な動きをすると、やはり怪我に繋がると思うので、ご自身が体を気遣っておられる感じが画面から出ております。

 

 

想像さえすれば、横に介護士のスタンバイしていてもおかしくないような映像でしたが・・先ほども書きましたけど・・肉体が老いて行っても、脳は進化して行っているようで、理屈ではないような相当な活力の漲りが銀幕越しに感じます。それだけでも、この映画を映画館で見ることで、パワースポットに行くようなエネルギーを頂けると思います。

 

 

私が映画館で映画を観ると言う行為を始めてから、今年で20年になります。

昔の作品もDVDを借りてなどで観ていますが、あくまでも(新作映画)ロードショーにこだわる書き手です。

 

 

イーストウッドのファンになったのは、2004年の『ミリオンダラー・ベイビー』です。

女子ボクサーを育てる老いたトレーナーの役。こちらも監督兼俳優であり、アカデミー賞で作品賞・監督賞を受賞されました。

主演のヒラリー・スワンクが主演女優賞、助演のモーガン・フリーマンが助演男優賞に輝き、計4部門を受賞した作品。

 

 

当時74歳。私が映画館でイーストウッド作品を見た鑑賞処女作は前年の『ミスティック・リバー』(監督専念)。最初から彼はお爺さんでした。

 

 

映画鑑賞生活20年で、彼はずっとお爺さんですが、新作が公開されるたびに好きの気持ちが強くなります。

 

 

大変失礼ながら・・

 

 

これが最後かもしれない・・そう思いながら鑑賞したり、いやいや、まだまだ現役で新作を撮るだろうと確信するような気持ちで鑑賞したり、本当に本当に、私の映画鑑賞において無くてはならない人物です。ウルトラ級のかしこ。

 

 

 

 

 

 

 

 

脚本 14点

演技 15点

構成 13点

展開 13点

完成度14点

 

 

[69]点

 

 

 

映画を観る前に、本編時間が「104分」と調べていたので、気は楽でした。

最近の流行りは140分以上の長尺映画なので、どんなに内容が良くても約3時間のシアター滞在だけで、億劫に感じています。

 

 

前半30分・中盤60分・終盤30分で合計2時間の映画が私の理想であり、慣れです。

 

 

元来の2時間以内の作品は肉体的にも精神的にも、集中力(アドレナリン)が続くように身体が出来ているので、上映時間を知っただけでホッとするのも、、、変な鑑賞体質ですね(^_^;)

 

 

 

【mAb】

THE映画評論『Coda』

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『コーダ』

 

副題)あいのうた

 

 

 

 

監督🎬

【シアン・ヘダー】

 

 

ルビー・ロッシ

【エミリア・ジョーンズ】

 

 

父フランク

【トロイ・コッツァー】

 

 

母ジャッキー

【マーリー・マトリン】

 

 

兄ロイ

【ダニエル・デュラント】

 

 

マイルズ

【フェルディア・ウォルシュ=ピーロ】

 

 

ベルナード(V先生)

【エウヘニオ・デルベス】

 

 

配給

[ギャガ]

 

 

本編

[1:51]

 

 

 

__________

 

 

 

CODAと書いて「コーダ」と読むこのタイトルは、

 

Child Of Deaf Adultsの頭文字を取った略語で

 

 

「聾唖の親を持つ子供」という意味。

 

 

 

♩♫♩♫♩♫

 

 

 

聾唖(ろうあ)

 

(辞書より引用)耳が聞こえず、話し言葉が話せない状態。先天性あるいは乳幼児期から高度の難聴があって音声言語の習得ができなかったことによる。

 

 

聾唖の聾の字の作りは、龍の下に耳、となります。

どうしてこの漢字が合わさったのか?を調べるのも、日本語の感覚を知れるかな。

 

 

♩♫♩♫♩♫

 

 

 

コーダって何?

 

 

自分自身は初めて知った言葉でした。

この用語は英語の略語なので、日本語ではどう呼ばれるのでしょう?少し気になります。

 

 

音楽記号にも同じ発音のCODAがございますので、映画を観る前は、こちらを意味(意図)したタイトルなんだろうと想像していました。

 

 

((イタリア語)楽曲や楽章の終わり。曲中の大段落の締め。新たな章の始まり。などを意味する記号)

 

 

音楽記号でしか知らないコーダの言葉でしたが、音楽ドラマにもなりますので、2つの同じ言葉を掛けたタイトルを連想し、なるほど、と。

 

 

 

 

 

 

物語と共に私感入りの解説を入れて語りますね。

 

 

それでは楽しい映画の時間です。

 

 

_____

 

 

 

アメリカ合衆国・田舎の港町。

 

 

(街の名前は分かりませんでしたが、都市ボストンまで車で移動するので、カナダ寄りの東海岸と予測し映画を観ました。尚、ロケ地はマサチューセッツ州との情報です。)

 

 

 

 

 

家族構成:父親・母親・長男・長女。

4人家族のコッソ家は、家族愛が強く、仲のいい家族です。

 

 

 

 

漁師の父親フランクと長男ロイ。女子高生の長女ルビーも家業を手伝い、船に乗ります。

 

 

主人公は高校生のルビー。以下、ルビー視点で物語を書いていきます。

 

 

 

 

父親のフランクと母親のジャッキーの夫婦愛は強く、性行レスとは無縁。毎晩、運動会のようにベッドを軋ませ、体を交える現役っぷり(笑)

 

 

夫婦は思春期の娘に下ネタや赤裸々なトークをしますが、ルビーにとってみればそれは普通のこと。

 

 

(日本のテレビだと放送禁止用語を連発するよう発言。)

 

 

そんな両親の下で育ったルビーは、家族思いの心の優しいティーンエイジャー。

 

 

この日も早朝から漁に出て、魚の匂いが染み付いた体で登校します。

 

 

______

 

 

 

ルビーは学校では有名人。「周りから見れば」異様な家庭の元で育っている生徒です。

 

 

それは、両親と兄の3人が、生まれつき聴覚に障害を持った聾唖者であり、家族の中でルビーだけが健聴者だからです。

 

 

迎えの車の軽トラ。音楽を爆音で流し停車中。聞こえはしないがベース音が心地いいからとヒップホップ音楽で両親ノリノリ。

 

 

彼女は慌てて車に走り、手話で「やめてよ」と怒る。登下校で使う自転車を荷台に乗せて、早く行こうよと発進。それを見ている学生達はヒソヒソと嘲笑。

 

 

学校でも浮いた存在で、学生達からはからかいの対象で、敬遠されている。

幼馴染のガーディー以外の学生は、むやみやたらに彼女に話かけようとしません。

 

 

昔の時代のように障害者に石を投げたりだとか、無視するなどの悪質な「いじめ行為」は描かれませんが、聾唖である「家族のことをからかわれるのが彼女の日常」という紹介で描かれます。

 

 

(面と向かってからかうのではなく、わざと聞こえるように言ったり、こっちを見ながらヒソヒソ、ニヤニヤしている人が多い)

 

 

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4人家族の中で「唯一」の健聴者であるルビーは、漁業(家業)の手伝い・交渉・漁業組合との連絡、飲食店での注文など、第三者とのやりとりに欠かせない存在です。

 

 

子供の頃から家族の通訳役を担ってきました。

 

 

※ こういう状況の場合に私が気になるのは。「物心」の部分です。

聾唖の親が手話を教えたのか?彼女は健聴者ですから「一般の学校」に通っています。

いつ、どのタイミングで手話を覚えたのか?その「キッカケ」は映画からは知り得ませんので、細かい部分を描いて欲しかったですね。

 

 

普通の環境が羨ましいとは思ったこともあるでしょうし、胸に秘めているのでしょう。

 

 

しかし、ルビーはそんな自分の境遇を不憫には思ったことがありません。家族のことが大好きで、いつも一緒にいる掛け替えのない存在。

 

 

しかし、学校の一部の学生たちは後ろ指を指して嘲笑する。

ルビーはその度、グッと堪えます。注意しても意味がないと知っているからです。無駄な体力は使いません。

 

 

健常者であろうと、障害者であろうと、自分の親兄弟を赤の他人に悪く言われるのは、精神的に傷つくものです。

 

 

まったく・・・お前たちに真似が出来るのか?って話ですo(`ω´ )o

朝早く起きて漁に出て、家族の面倒も見る、立派じゃないか・・と映画を観ながら憤想うアラフォーの日本人です。

 

 

彼女をからかう学校の生徒たちに、彼女の1日を見せてやりたい気持ち。

 

 

学校生活でのルビーは、引っ込み思案で人見知り。陽気なキャラクターではない。

しかし他の生徒より大人びた表情に見えるのは、やはり人生の経験値が同年代の男女とは圧倒的に違うからだと思います。

 

 

親友のイケイケガール・ガーディーが彼女の側にいるのが良いです。1人だったら可哀想すぎますもん。

 

主人公の親友ガーディーという女の子は、性に興味があったり肉食のサブキャラクターですが、驚くほど普通に接している性格の善き女性。ガールズトークをしたり、ルビーの家に遊びに行くと、彼女の兄のロイを誘惑したりするけど憎めない!

 

 

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映画開始冒頭で「ひとまず」観客に紹介される主役のルビーの家庭・事情。

その「ひとまず」に配色が加わっていき、彩りに変わります。

 

 

彼女にとって、それが「当たり前」の日常だということで、周囲の学生との間に相当な温度差が生じます。

 

 

4人家族。2人兄妹の末っ子。

 

世間から見れば→聾唖の夫婦の星の下に産まれてきた女の子。

 

 

彼女だけが唯一、健聴者ということですが、4人家族の中で唯1人だけ耳が聞こえるというのも・・こう言っては失礼かと思いますがな設定だと思います。「一人」と書きましたが「独り」とも書けます。彼女だけが加われない「あるある話」もあるのでしょう。

 

 

健常者の学校に通い、健常者の職場で家業を手伝うルビー。

彼女にとっては「育ってきた環境」だとしても、観客にとって見れば、心配や疑問が興味として付き纏うのではないか?

 

 

私としても、疑問がたくさんある映画でした。

それが日常生活の中で顕著に表れるホウレンソウ。報告・連絡・相談がどこまで行き届いているか?という疑問です。

 

 

漁に出る船はロッシ家の持ち物ということですが、どういう経緯で手に入れたのか?だったり、船舶免許はどういう手続きで取得したのだろう?なども・・出来れば作品の中で知り得たい情報でした。

 

 

帰船後の魚の交渉のシーンは1場面にありますが、私の知りたい興味や疑問は、答えがないから残念です。

 

 

特に親子で漁業をしているのも観ていて怖い。緊急時はライトが点滅しますが、それに気づかないというシーンもある。

そうなった時は、何かあってからじゃ遅いわけで、心配になっていまいます。

 

 

ルビーは健聴者・健常者が通う公立高校に通っているので、この映画では描いていませんが、保護者会とか、学校行事などの「保護者⇄学校間」の連絡はどうして来たのだろう?・・・先を進めます、心配のタネが次々に蒔かれる。

 

 

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コメディの要素も映画にはたくさん用意されているので、そんな彼女の「息抜き」の様子が度々描かれています。

早朝3時から目覚めの音楽を大音量で流したり、一般の家庭なら「うるさーい!」と怒鳴り声が飛んでくるけど、この家では皆無。

 

 

「聞こえない」ことを、揶揄ではなく、ユニークに描く描き方が良質。

 

 

また「聞こえない人」と「聞こえる人」の差が分かるのが、この映画のミソである「音」。

 

 

 

印象的なのが食事のシーンです。一家は玄関先の屋外テーブルで食事をとります。オープンテラスみたいでオシャレ。

 

 

そのテーブルでルビーは勉強したりするのですが、とにかく音の出し方が健聴者からすれば、規格外の音量です。

 

 

お皿をテーブルに置く音はガシャンガシャン!ナイフやフォークもガシャンガシャン!

 

例えば、お賽銭を投げるように食器を置いていきます(^_^;)

 

 

食器や調理器具の音が耳障り。

この時、気分が晴れないルビーは気が散って文句を言います。でも家族にとって見れば「何、怒ってるの?」。

 

音が耳障りで、イヤホンをつけて現実逃避。それを娘の耳から外し、人差し指を振って「聞きなさい」という母親。

 

 

私なんて金属音や食器音が本当に苦手でイーッとなってしまうので、申し訳ないけど、この食卓は集中出来ないですね(^_^;)

そういう意味でも、この映画は、こうした些細な「生活風景のあるある」を描いているのだと教えてもらえます。

 

 

きっとルビーは、外食の時に、何度も人の目や耳が気になっていたんだろうなと思うと、切なくなります。

その逆もちゃんと書いているので、安心してくださいね。

 

 

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時間軸がよく分かりません。

展開の部門に高得点が付けられませんから、総合点は低くなります。

 

 

この映画の物語の展開はとても早く、要所要所の重要な伝達部分だけを編集して繋げているように感じました。

 

 

例えば、2時間ドラマ2本分を、放送時間の都合で泣く泣く2時間にまとめた感も生じます。

 

 

あくまで想像ですが、4時間あるドラマを2時間に凝縮した場合、真っ先に削るのは、どこでしょうか?

 

 

それは見せ場性の低い、通学通勤・朝晩ルーティーン・練習風景などの日常シーンになると思います。

 

 

ただ、そういうシーンがあることで、繋がりだったり、スムーズさだったり、成長家庭だったり、それが見る側の受け入れやすさになるので、この映画の残念な点は展開の省略です。

 

 

もう少し、日常の生産性のない無駄な時間だったりを映画の中に入れて、編集に遊び心があればもっと良かったなぁ・・先を進めます。まだ映画の物語を書き始めたばかりでした(^_^;)

 

 

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ルビーは親友のガーディーと、部活動に入る列に並んでいます。

どこに入るか?は直前まで決めてないまま並んでいます。

おそらく、生徒は必ずどこかに属するという校則なのかな。帰宅部はないみたい(笑)

 

 

映画的には最終学年(高校3年生)の様子なので、この時期に部活動に入らなければならないのか?

「キッカケづくり」のための部活ですが、この点は分かりません。ここも多分、削ぎ落としなのかな。

 

 

ルビーには片思い中の男の子がいます。見ているだけで、話しかけたことはありません。

 

 

そんな片思い中のマイルズが「合唱部」に入部することを隣の列から聞き耳を立て、自分も合唱部に入部をすることに。

 

 

元々、歌うことが大好きで、船の上でも熱唱していた女の子。好きな男の子が合唱部に入るから・・という不純な動機を隠しても、歌が好きなのは正当な入部理由。

 

 

ちなみに船の上で熱唱しても父兄は聞こえませんので、恥ずかしげもなく大熱唱です。1人だけ熱唱する光景はまるでミュージカルのよう。

 

 

ガーディーは別のクラブに入部。友達を誘って部活に入る、というスタートではないので、心細さがあるかな。

 

 

放課後。音楽室に集まる入部希望者。正確な人数は数えませんでしたm(._.)m

白人と黒人で10名ほど。北米の学生映画にはよく出演されるアジア系はいなかったんじゃないかな。

他の部活の入部希望者はどれほどいたのか分かりませんけど、少数精鋭が集まった感じです。

 

 

合唱部の顧問である音楽教諭の登場です・・情熱的なメキシカン。ベルナド。

 

 

自己紹介では「ベルナーーーード」と舌を巻いて発音しろと言う。

これが出来ない生徒は「V先生」と呼びなさい言う。

 

 

(初対面のような自己紹介ですが、常任の音楽講師ではないのかな?)

 

 

主人公のルビーは「V先生」と以後呼びます。舌を巻いて発声するタイプじゃないもんな(^_^;)

 

 

それでこのV先生。アメリカの名門音楽大学を卒業しただけあって、かなり本格的に声楽の指導をします。

 

教えることは合唱であり、ボイストレーニングの基礎なのですが、無駄がないし、本人も「時間を無駄にしたくない」と考えるほど合理的な指導者。

 

 

ボストンにある名門の音楽大学を卒業したあと、どういった経緯で音楽教師になったのかは不明ですが、腕がいい。そして性格もいいと思います。

 

 

自己紹介後、まずは「僕は先月、誕生日だったから、ハッピーバースデイを各自に歌ってもらおう」と、生徒1人1人に歌わせて、パートを振り分けて行く。

 

 

(今度、自分の授業にも取り入れようと映画を見ながら思ってしまった(笑))

 

 

「はい。君はアルト。君はソプラノね。」

 

 

普通、部活動ですから、友達に付き合って入部したり、歌が苦手な生徒も含まれると思いますけど、最初から・・みんな上手。

 

 

自分の番が来て・・怖気付いて、その場から逃げ出してしまうルビー。

歌が大好きで毎日歌っているけど、人前で歌を歌う経験はなかったし、片想いの男子もいる状況。

 

 

(この場合の人前は健聴者の前という意味。映画で説明しているわけではないので、私の勝手な解釈です。)

 

 

音楽室を飛び出したあと、湖で1人、ハッピーバースデイソングを歌うルビー。

 

 

 

 

(学校からここまで、結構、遠くまで走ったな。自転車かな。)

 

 

この湖は、以降、数回映画に登場します。ルビーにとっての静寂なのだと解釈します。

 

 

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合唱部に入部したあとは、まさに「二足の草鞋を履く」展開です。

ルビーの両立が交互に展開展開されて描かれます。

 

 

家族の事情と、自分の将来。

 

 

漁業を営むロッシ家では重大な問題が発生していて、理不尽な雇用形態の変更に組合員が異議を唱えている。

 

 

詳しいことは私には分かりません。Wikipedia先生や公式サイトにも、この部分のあらすじが掲載されていないので、自分の無知識な分野では説明できませんm(._.)m 漁師たちは理不尽な「上」の決断に頭を抱えていて、それならば自分らで組合を作ろうぜ!と兄のロイは独立を考えている。

 

 

ルビー家は特に裕福ではないけれど、コツコツと自分たちの仕事をしている、勤勉な海の男たち。

 

 

 

 

(いや・・まったく、季節感がよく分からない服装(^_^;)。父はジャンバー。兄はタンクトップ。ルビーはネルシャツ。)

 

 

これまで家業の手伝いを当たり前のようにして来たルビー。家族は仲良く、助け合うが家訓。

 

 

一方で、合唱部に入部し、V先生と出逢ったことで、彼女の人生は大きく変化します。

 

 

入部初日の逃亡事件から一夜明け、V先生は彼女の歌を聴き、以降目にかけます。

 

 

部活の練習にも無事に参加するようになると、校内で行う発表会で、V先生は男女デュエット枠にルビーを選ぶのです。

 

 

相手役の男子には勿論(映画的に)片思い中のマイルズです( ◠‿◠ )

 

 

 

 

V先生は1に練習、2に練習。デュエットは相手との意思疎通が大事だと伝える。思春期のドキドキの距離感。

 

 

 

 

主人公の相手役マイルズを演じるのは、【フェルディア・ウォルシュ=ピーロ】[22]。

 

 

アイルランド出身俳優との情報です。ほっぺたが赤い白人のアイリッシュ。

Wikipediaに載っている写真は長髪でしたが、若い頃のディカプリオみたいな爽やかさで、見た目的には『トワイライト』のロバート・パティンソンかな。何れにしても今後ハネそうな雰囲気が漂っています。

 

 

V先生は2人を個別に指導し、自宅に呼んで、ボイストレーニングを行います。

「いち高校の音楽講師がそこまでする?」と思ってしまうほど、この2人に対して熱血指導。

 

 

この合唱部について。

 

最初のハッピーバースデイソングの時にも思いましたが、他にも歌が上手い生徒がいるので、他の生徒の気持ちも描いて欲しいなぁ・・と少し思いました。

 

 

マイルズは満場一致で構いませんが、それまで距離を置かれていたルビーが選ばれた事で、贔屓されていると思う部員も中に入ると思います。なので、少しで構わないので・・部室の中の和気藹々とした様子だったり、他部員がルビーを受け入れる様子などが描かれると尚良かったですね。

 

 

マイルズは好青年で、学校の有名人であるルビーの家庭事情も噂で知っています。

のちにデュエットを練習するために訪れたルビーの家庭で、体験した出来事を同級生に話してしまうところは子供らしいと思いますが、好青年という言葉がよくにあう田舎のお兄ちゃんです。

 

 

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発表会に向けての練習の中で、V先生は自分の母校であるボストンの音楽大学への進学をルビーに勧めるのです。

 

 

高校卒業後のビジョンは漠然としていて、当然ながら自分は家族の通訳やサポート役として漁業を営むつもりでいました。

 

 

「君がCODAということは知っている。だけど、君は君の未来を生きるべきだ。」

 

 

(COAD「聾唖の親を持つ子供」)

 

 

歌うことが好き。でも家族はかけがえのない存在であり、私がいなければどうするの?

 

 

合唱部での楽しい日々を過ごすうちに、歌うことへの愛が深まっていく。

 

 

一方で、部活を優先したことで、ルビー(通訳)不在で漁に出たため通報され、父親の船舶免許が停止処分になってしまったりと、家族にも影響が及ぼしていく。

 

 

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「子供の幸せを願わない親はいない」

 

 

家族ドラマでは一番多く表現される「根っこ」の部分が、この作品の中にもふんだんに詰まっていました。

 

 

聾唖の家庭に、1人だけ健聴者で生まれてきた高校生の女の子。その子が進路を決める時期になって、所属する合唱部の顧問から音大を勧められ、自分の将来と向き合い揺れ動く、という脚本です。

 

 

漁師の家庭で生まれ育ち、彼女(以下ルビー)も子供の頃から漁に出ています。漁師の世界は殆どが男性ですから、男社会の中で成長してきたルビーは、父親の通訳で「直接的な下ネタ」を口にすることなんて普通のことです。

 

 

父親と長男の兄貴(独身)が漁をして、ルビーは手伝いと通訳役を担う。言葉を話せないと「あまりに難しいこと」も多いので、ルビーの存在はとても重宝的です。

 

 

「子供の幸せを願わない親はいない」を改めて思います。

 

 

合唱部に入部し、顧問に才能を認められ、音楽大学への進学を勧められる。だけど私には家族がいるの・・。

 

 

この時点でルビーがどちらの進路を選択するのかは安直に想像できますが、そこは製作陣の腕の見せ方次第でしょうから、話の展開よりも内容の描写に注目して今作品を観進めました。

 

 

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自分の評価は中の中の中です。

1場面ごとの映像・完成度は素晴らしいのですが、繋がりは悪いし、展開も早い。

 

 

何を伝えたいか?というテーマは分かりやすいので、気分は良くなりますし、感動もしますが、映画の出来で考えたら中の中の中。

 

 

外国映画らしい「ドラマ」だなと思います。

 

日本でも定期的に手話を扱うドラマが放送されます。

 

 

「障害を持ったヒロイン」と「健常者の彼」の恋愛ドラマが多いですね。

 

私が学生の頃にテレビで観ていたのは『愛してると言ってくれ』に『星の金貨』。そしてDVD-BOXも購入した『オレンジデイズ』など。

 

 

令和の時代は、こうしたドラマを製作すること自体にリスクがある筈ですが、

 

でも多分、私は、こうしたドラマのおかげで、手話を勉強したり、いい意味で障害を持った方々を知ることが出来ました。

 

 

昨年の冬ドラマの『恋です!』。杉咲花が演じた視覚障害者とヤンキー君の恋愛ドラマが心に残っています。

「迷ったら笑ってくださいね」とR1王者の芸人・濱田祐太郎さんがワンポイント解説していたりと、1話ごとにクスリと笑わせて頂きました。

 

 

だけど『恋です!』も、そういうつもりはないのに、一定数の方が差別だとクレームを入れるそう。楽しく観ていたし、製作陣も気をつけて描いている印象がしたけど。。(ある意味差別主義者に思ってしまうなぁ・・。)

 

 

だから多分、この映画のような設定の家族ドラマは日本では無理なのかな。

 

 

(製作するならドラマより1話完結の映画にしたほうがいい)

 

 

こうした特異な家庭で育った主人公の場合、1つ1つの行程を見せたり、1つ1つの壁や山を超える描写を描くことで、思入れ生じ感情移入に繋がると思うのです。

 

 

そういう点では、実際に聾唖の俳優さんが出演し熱演を見せ、受け手側にも感じ取るものがとても大きいです。

 

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あまりに自然すぎて錯覚するのですが、全員が他人(役者)なんですよね。

 

まるで「本当の親子」に見えるシーンが多くて、息がピッタリと合っていたので、それを感じた時に純粋に感動しました。

 

 

 

「こうきたら、こうくるんだろう」と予想した展開に案の定なるので、意外性はなく、

 

作品の展開や物語性(ストーリーテラー)も有り触れていて、特に目立っていませんが、

 

 

主人公とその家族を応援したくなる気持ちが芽生え、若い2人の恋物語も観ていて心地い。

 

何よりも、ずば抜けて演者の質が高いです。

 

 

例えば、イジメにあった過去を持たない人が、イジメられっ子の役を演じた場合は、気持ちが乗らない役作りを銀幕で視えることが時々あります。弱い人の気持ちは弱い人が演じた方が説得力がある。金持ちは金持ちを演じた方が、いじめっ子はいじめっ子役を演じた方が・・やはり合うと思うんです。

 

 

この映画の家族4人のうち3人が聾唖者で1人が健聴者。実際の役者も3人が聾唖者で1人が健聴者。

 

 

実際に聾唖の方が、聾唖の役を演じることで、ふとした時に見せる表情に経験談が視えるんですよね。

 

説得力演技力まで加わっているから、もう・・最強でした。

 

 

特に父親役の【トロイ・コッツァー】[53]が素晴らし過ぎる。

 

前半と後半の表情も違うように観えます。

 

 

前半はとにかく我が強い漁師で、奥さんとイチャイチャ。家族思いのオヤジさん。

 

 

病院に行って「インキンだから夜の営みは禁止」と医師に伝えられ、娘の通訳で時間差で「オーマイガー」と夫婦揃って絵仰け反るシーンは爆笑必至です。(日本は下ネタで笑い声をあげてはいけない空気があるけれど、この場面は館内が湧いた感じがします)

 

 

家族の中だと威厳的でおふざけもする。その反面で、漁師の世界だと聾唖であることで意見を言えなかったりする。

 

 

娘が自ら自分の進路を伝えてきた中盤以降の表情は、険しくなり、陽気だった前半から一変し考え込むよう描写が多くなる。

 

 

 

ハリー・ポッターの「ダンブルドア校長みたいだな」と俳優の見た目を観て私は思いますけど、素晴らしい俳優の素晴らしい演技を銀幕越しに観られて大満足です。

 

 

中盤の合唱発表会では、父親から見えた視界・聴覚の様子を観客に伝える演出がなされ、

2分間ほど続き、完全無音の時間帯となるため・・・気にしぃな観客ならば咳払いも出来ず、物音も立てられないでしょう。

 

 

青春映画で音楽発表会の最高潮の時に、突然完全無音状態になると、観客である自分としてはアドレナリンが出ているし、集中力が高まっているので、唾を飲み込む喉の音だって聞き取れると思います。

 

 

自分が鑑賞した回は、お客様も3割ほど入っていた(元々、混まないシネコン)ので、私は何故か息を殺していました(^_^;)

 

 

(ポップコーン食べてる人も、さすがに手を止める静寂。)

 

 

これまで何度か、ご老人や障害を持った方々の日常を体験をするイベントに参加したことがあるのですが(重りをつけたり視覚を奪われるメガネを着用したり、ヘッドホンを装着したり等)その体験を映画の展開に入れた感じでした。

 

 

彼らにはこういう風に見えていて、音がないんだよ、と、娘が歌う様子を、周りの表情や反応を介して知るという、親心にはドキドキのシーン。

 

 

 

 

この合唱部の発表会も、変に本格的なステージではなくて、学園祭の1幕という感じで面白かったです。

学生たちの服装もバラバラで、一張羅のドレスを着る子もいれば、普段着のような私服で出る子もいる。

娘・息子の晴れ姿を見にきた父兄たちの拍手や声援に、なぜだか自分までも嬉しくなるほど、感情移入していました。

 

 

最後へ向かう展開は、大好きな『リトルミス・サンシャイン』の一場面のようで、家族で協力して団結する絆の深さ、波長を合っている様子に、涙が溢れました。

 

 

ブラボー。

 

 

 

 

 

 

 

 

脚本 13点

演技 16点

構成 14点

展開 13点

完成度14点

 

 

[70]点

 

 

 

フォローしてね!

 

 

 

【mAb】

 

 

THE映画評論『355』

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映画のタイトルが『355』というスパイ映画なので、もし続編になった場合の表記は『355×2』になるのかなぁ?

 

なんて鑑賞中にそんな馬鹿な未来を考えていました。

 

 

『The355』

 

 

 

 

監督🎬

【サイモン・キンバーグ】

 

 

アメリカ代表諜報機関CIA所属 

 

メイス

【ジェシカ・チャスティン】

 

 

元イギリス代表諜報機関MI6所属 

 

ハディージャ

【ルピタ・ニョンゴ】

(2012年度アカデミー賞助演女優賞受賞🔱)

 

 

ドイツ代表諜報機関BND所属

 

マリー

【ダイアン・クルーガー】

 

 

コロンビア諜報機関所属

 

グラシエラ

【ペネロペ・クルス】

(2008年度アカデミー賞助演女優賞受賞🔱)

 

 

中国代表諜報機関MINISTRY所属

 

リン

【ウォン・ビンビン】

 

 

CIA諜報員ニック

【セバスチャン・スタン】

 

コロンビア諜報員ルイス

【エドガー・ラミレス】

 

 

 

 

配給

[キノフィルムズ]

 

 

本編

[2:02]

 

 

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あゝ10年。


映画ならばどのジャンルでも語ってきたけれど、ハリウッドの花形である「アクション映画」を語るのは・・2020年以来で実に2年ぶり!(◎_◎;)

 

 

 

 

いつだろうと自分の記事を振り返る。あまりに記事を書いていないので見つけやすかった(^_^;)

 

安倍政権下の第一次緊急事態宣言明けの初秋の頃らしい。。その頃から2年間で総理大臣は2人も代わりました。

 

 

今回の見所は・・売りは・・多分、これしかありません。「各国の女スパイが大集結」。


女スパイというのがミソですね。

 

 

(昭和生まれの筆者ゆえに、女性スパイ・女性エージェントよりも女スパイ表記の方が描きやすいので「女スパイ」と書きます・)

 

 

この映画は、各国の諜報機関に属する女スパイが、各諜報機関から各1人ずつ集結し、合計5名。共通の敵からの攻撃を協力して乗り越える仕立て方です。悪の手に開発された武器が渡ると世界は滅亡の危機に瀕してしまう。その武器を5名で回収します。

 

 

洞察系の本格的スパイ映画ではなく、格闘シーン多めのスパイアクション映画で、5国の諜報機関の女スパイ役には、それぞれ国を代表するアクション女優が起用される。

 

 

こういうパターンの売り方が今後のHollywoodは多くなるのかな?

 

 

アクション映画でトップスターが集結する映画は、これまで幾作とありますし、それこそ『エクスペンダブルズ』みたいに長年アクション映画の最前線で活躍してきたレジェンド男優「野郎」達が、夢の共演と謳い大集結し、ネームヴァリューを売りにした大娯楽アクション。

 

 

とは言え女性(女優)メインのアクション映画というものは、正直、まだまだ手探り状態に見えるので、今後、こういう「女アクション」が主流になっていくにつれて良くなっていくのだろうと、今はまだ時代の始まりのエアスポットの中で、それぞれがバラバラにアクションをしているように視えます。

 

 

では少し語ります。楽しい映画の時間です。

 

 

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最近のハリウッド映画のアクションを観ていて・・今作品なんて特にそう思ったのですが、

 

 

おそらく動機(キッカケ)は何でもいいのではないのかな。

 

 

今回のネタが遠隔テロであって、「初回」だから「興行が大事」なので派手なネタにしているけれど、これが核爆弾だったり、電磁波だったりと、続編が作られるたびに変えていくんだろうと思っています。

 

 

(最初が肝心だと、第1作目で大花火を打ち上げるけど、最初から線香花火くらいの出方の方が、私的には斬新に感じると思うんですよね。)

 

 

アクション映画はハリウッドの花形。

 

 

要は、オールスターを集結させて、共闘させる動機があればいい。

それにはやはり政府機関という男社会の中で「女性」という括りの立場からの脱却も兼ねているんだろうと思いますし、この映画が一役買おうとしているのだろうとも思います。

 

 

第1作目のとなる今作。まずは5人の五カ国代表の女スパイが登場します。

 

 

基本的にはFiveよりW主演という感じの立ち位置にはなっています。

 

 

【ジェシカ・チャスティン】[44]演じるCIAのメイスが主軸。主役はやはりアメリカでしょう。アメリカ映画なので。

 

 

 

 

ジェシカ・チャスティンといえば?で、私の勝手な3つの特徴を上げると

 

「泥臭い」「赤毛」「ケツアゴ」女優です。

 

 

(アゴが割れている方は白人に多いけれど、眉間のシワみたいに表情の変化の中で動くから、ついつい観てしまうんですよね。)

 

 

アカデミー賞ノミネートでのちの快進撃が始まった印象の『ゼロ・ダーク・サーティー』は記憶に新しい。

Hollywoodは当然ながらアメリカになるので、自国を主役とした戦争映画は製作陣の気合が違うし、賞レースに必ず入ってきます。

彼女のキャリアは賞レースと共にあるような気がします。

 

 

そして『ヘルプ』のご婦人役のようなドラマを演じる印象もあるけれど、私としては軍人だったり諜報系アクション映画にも出演する印象が強いです。

 

 

1970年代生まれのハリウッド女優だと、10年前だとこの諜報系アクションは【アンジェリーナ・ジョリー】が飛び抜けていましたが、現40代のHollywood女優だとチャスティンになるのかな??

 

 

個人的にはジェシカ・チャスティンにはエロスを画面から感じないのと、肩幅があるので中性的に見えるんですよね。顔立ち的には『博士と彼女のセオリー』でオスカーに輝いた男優の【エディ・レッドメイン】に見える時も多いです。カッコかわいい系のお顔立ち。

 

 

_____

 

 

 

この映画の回収物となるデバイス(情報端末)は最強兵器だと思います。

 

 

理系の解説が不得意なので、理解度の低さはご了承ください。

南米の麻薬カルテルが開発したハッキング装置で、大きさはiPadぐらい。

これ1つで、携帯電話や旅客機などをハッキングすることが可能となり、持ち主は意のままに扱う事が出来るのです。

 

 

映画の中では、このデバイスを使って旅客機をハッキング。遠隔操作によって、何機もの飛行機が山や街に突っ込んでいく映像があります。

 

まさに近未来の最強兵器。

 

 

911のように各旅客機の乗客にテロリストを送り込まなくても、空を飛んでいる飛行機をハッキングして、そのまま敵国に落とせばいい・・とそれが可能になるから本当に恐ろしい。映画の発想で終わる仮想兵器であってほしい(^◇^;)

 

 

まず流れをご説明します。

 

 

この端末機のデバイスを開発した南米コロンビアの麻薬カルテル。組織はデモンストレーションで貨物機を墜落させてみせます。どうだ凄いだろ、と。

 

 

何が起きたのか?は一般人には分からないと思います。(ニュースは墜落事故として報道するのか、それともテロの疑いとして報道するのか?その後日談にも興味があります。)

 

 

しかしプロは分かります。これは攻撃だ!!犯罪組織が貨物機を乗っ取って墜落させた事を。

各国の諜報機関は脅威を察して、それぞれの国の諜報機関がエージェントを派遣し、デバイスの回収に向かう流れです。

 

 

そこにはやはり、国同士のライバル関係だったり世界の権力争いが存在すると思います。

 

例えば、このデバイスを回収したとしても、中立国が保管するわけではないでしょうね。

 

 

アメリカが回収したらアメリカが保管(保有?)するだろうし、他国からすればアメリカだけには渡したくないとか、ロシア・中国だけには渡したくないとか、いろいろな覇権・利権が絡んでくると思います。(あくまで推測です)

 

 

貨物機の墜落というショッキングな事故(遠隔テロ)が起き、真っ先に動いたのは、コロンビア諜報機関でした。

 

 

オープニング。

麻薬カルテルのアジトにコロンビア諜報機関が突入し、銃撃戦の末にカルテルの最重要人物を抹殺する。

 

 

机の上に置いてあるデバイスを見つけたのは、コロンビア諜報員のルイス。

 

目的のものを回収することに成功・・しかしルイスは、組織を裏切ってデバイスを持ち去り、国内逃亡を図るのです。魔が刺したのでしょうか。

 

 

___

 

 

 

アメリカCIA側。

 

 

ホテルの一室・密室。

CIAエージェントの【メイス】は相棒の【ニック】から新たな任務を告げられます。

 

 

異性同士でバディを組むのは、諜報活動において何かと都合がいい。

これまで2人は何度も任務を遂行させてきた相性のいいコンビの模様。

 

 

今回の任務では、夫婦を演じフランスに入国し、目的の品となる「デバイスの回収」にあたります。

 

 

 

 

この際、これまでは一貫して仕事のパートナーだった2人は、一線を超え恋人同士になります。

 

「ダメよ」と言いながらも、まんざらではないメイス。どうやら2人とも「その気」があった様子。

 

 

仕事に私情を持ち込む。一流のスパイにはあるまじき行為。あゝこれは任務失敗になる流れだな、と予想(^◇^;)

 

 

これまで何度も恋人や夫婦役を演じてきたけれど、どうしてこの時にあっけなく崩れたのだろう?

一線を超えたことで、彼らの運命は大きく変わってしまいます。案の定、ある意味、予想通りの結果です。

 

 

取引相手は、オープニングでデバイスを持ち去ったコロンビア(元)諜報員のルイスです。

 

そのルイスから、CIAがデバイスを金銭と引き換えで手に入れる流れ。

 

 

犯罪者からすれば喉から手が出るほど欲しい機械兵器。

なぜアメリカなんだろう?と疑問に感じます。

 

 

取引現場はフランスのパリ。

 

街のオープンテラスのカフェ。

 

 

取引相手から指定された同じ形状の黒バッグを隣り合わせで置く。

要はお互いに相手のバッグを手に取ればいいだけ。

 

 

その瞬間。カフェ店員に扮したドイツの女諜報員がバッグを奪い逃走。

 

現場が騒然とする中で、取引相手のコロンビア男も逃走。

 

 

虚を突かれたアメリカCIAの男女両名は2手に分かれて追走します。

 

 

男は男を・女は女を。という男女別2手に分かれます。

その後の展開で「vsの構図」にするように描いたのでしょう。

 

 

ここまでを見ていて。従来のCIA映画をよく観てきたからかな? 

スパイ映画にしては目立ちすぎていて、プロっぽくないなと思います。

 

 

こういう武器を持って街中でダッシュをしたり、民間人を巻き込んだりして、リアルだったらSNSに投稿されてジ・エンドでしょ。

 

 

 

 

スパイって動揺を顔に出したり、カッとなって欲しくないし、目立って欲しくない、かな。

 

 

男女2手に分かれた後は、ドイツ諜報員BNDの女スパイ[マリー]と対峙します。

 

 

マリー役を演じるのは【ダイアン・クルーガー】[45]

 

 

 

ダイアン・クルーガーは丁度、自分が映画を見始めた頃に欧州の若手女優としてハリウッド映画で活躍していたドイツ出身女優なので、今観ても懐かしさがこみ上げてくる感覚になりました。20代の頃から観ていた銀幕女優が40代に。。感慨深いです。

 

 

(まぁ同じく観ている自分自身も同じ年数分年齢を重ねるんですけどね。)

 

 

アクション映画にも多くご出演でアグレシッブなイメージが付いていますが、2004年『ナショナル・トレジャー』もそうですし、ダイアン・クルーガーは「一般人」のヒロイン設定で主人公がスパイや冒険家などのアクションの世界に強制的に誘う「巻き込まれ系」のイメージも私にはあります。2011年『アンノウン』が好きです。

 

 

映画開始早々にアメリカとドイツの女スパイ同士。W主演の2人の格闘シーンが盛大に繰り広げられます。

 

これまでの女性アクション映画を見ていても、基本的に女同士の闘い方って格闘技になりやすいです。

 

 

従来の男性アクションだと、刃物でスパッと切ったり、顎を持って首を回して即死させたり「力」で展開していくのですが、

女性アクションは、異種格闘技戦やストリートファイターみたいに、パンチ・キックに関節技・打撃技系の戦い方になるので、闘いが長い。

でもまぁ最終的には銃でBANGなんですけどね。

 

 

奪ったバッグを取り返しに追いかけるアメリカ中央情報局・通称CIA

逃げるドイツ連邦情報局・通称BND

 

 

一風変わっているな、と思ったのが、このスパイ映画は民間人を巻き込むんですよね。

 

 

追われる側が逃げる中で、ゴミ箱だったり商品棚みたいなものを路地にばら撒く描写って多いですが、この映画は座っている人とかカフェでお茶飲んでる民間人の首根っこ掴んで、追っ手の進路を塞ごうとします(^_^;) もし自分が巻き込まれたら・・嫌だなぁ(^_^;)

 

 

追いかける側を想像すれば、人間が転がって来たら、反射的に中腰になって助けてしまうんじゃないか?・・いやいやスパイ映画は使い捨て。情けを見せた方が負け。一瞬の判断が命取りになる。人情なんてないのが特徴です。

 

 

なるほど合理的だ、と思う反面、とんでもない奴らだ、と思います。

 

 

ドイツ女性にしても、街中で逃走中に、上の写真のバイクを盗み、逃走に使います。これも運転している男性を降ろして乗り替わるんですから(^_^;)

 

 

追う側のCIAは無駄な乱射をせずに、バイクを狙って命中。バイクが転がった場所が地下鉄の入り口だったので、そのまま地下鉄の線路戦となる流れ。

 

 

地下鉄ではホームに降りて、線路にも降りて、電車が走り抜ける線路内で戦い合います。

 

 

この格闘シーンは前半の「見せ場」なんでしょうけど、アクション映画を見慣れた私としては、「決め手がないまま」危険な場所で非効率のアクションをしている程度にしか思えなかったのが残念です。

 

 

結果、ドイツBNDがこの奪い合いを制し、電車の中でバッグの中身を確認。しかし中身は現金。つまり1/2でハズレを引いたのです。ため息を吐くドイツBNDのマリー。

 

 

一方。もう1つのバッグを追いかけるCIAのメイスの相棒ニック。もう1方のバッグは1/2ですから当たりのデバイスが入っている筈です。

 

 

しかしニックは別の追っ手に取り囲まれ射殺されてしまいます。世界中の諜報機関がこのデバイスを狙っているんですからね。

 

 

___

 

 

 

取引に邪魔が入り失敗し、超冷や汗のとんぼ返り。

デバイスが入ったバッグを持ち帰ったコロンビア諜報員の逃亡者ルイス。

 

 

ルイス役は【エドガー・ラミレス】[44]。CIAとの取引が失敗に終わり、持ち帰るデバイス。

 

 

泊まる部屋にチャイムが鳴る。

最大までに警戒しながらドアに近づくと、彼にとって聞き慣れた声が。

 

 

同じコロンビア諜報機関で心理カウンセラーをしているグラシエラが現れます。

 

 

 

 

ルイスは同国を裏切った逃亡者で、デバイスを持っている以上世界中から追われる身ですが、どうやらグラシエラだけには居場所を教えていて、彼女は純粋に友として患者として心配だから遠路遥々フランスに来た模様です。

 

 

ちなみに不純な関係ではない御様子。

 

さすが心理カウンセラー。グラシエラの説得によりデバイスを渡すことを決めたルイスは、受け渡し場所の港の市場へと向かいます。

 

 

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CIAの隠れ家で任務の失敗を報告中のメイスは、上司から恋人であり相棒のニックの殉死を報される。

 

 

映画の展開で言うと、昨日の今日恋人同士になったばかりですから(^◇^;)結ばれた次の任務で殉死。


愛する人を失った。冷静を装いますが、同業者が視れば動揺が伺えます。

 

 

その場を退席し、カツラを外し、顔を洗います。

 

 

一変して復讐心を燃やすメイスは、デバイスの再回収、そして仇を討つために、元イギリス諜報機関MI6に所属していたエージェントでコンピューターの専門家【ハディージャ】と接触。

 

 

 

 

旧知の仲であるハディージャに、パートナー協力を懇願するメイス。

現在は一般人として大学で教鞭をとるハディージャは、同棲する恋人の存在(愛する人)があり、再び現場に復帰することに対して一度は断るが、ニックが殺されたと唇を噛んで報告するメイスに同情し協力することを決めます。

 

 

ハディージャ役を演じるのは黒人女優の【ルピタ・ニョンゴ】[38]

 

 

2013年『それでも夜が明ける』でアメリカ南部の黒人奴隷の娘を演じアカデミー賞助演女優賞を受賞。初の長編映画でいきなりアカデミー賞を受賞した当時の記憶は私の中でもよく残っています。以降、marvel映画『ブラックパンサー』や『スターウォーズ』シリーズなど世界的な人気シリーズなどにコンスタントに出演。

 

 

近々では映画評論でも書きました『Us』がサイコアクション。この作品の広告は彼女の顔のアップなので、とても印象的に残っています。正統派のスパイアクション映画はどう映るんだろう?と予想しずらかったのですが、何の心配もありませんでした。

 

 

スパイアクション映画でコンピューターの達人的なポジションのキャラクターって・・ホント頼りになる存在だと思います。味方でよかった。逆を言えば敵が欲しがる人材。

 

 

旧友の死をキッカケに再び諜報の世界に戻ることになったハディージャ。一応、期間限定・このミッションだけの為の復帰。的確な指示を出し予測力も高いハディージャを相棒にしたメイスは、暴走傾向だったアクション映画の進行を合理的に進めるようになっています。

 

 

____

 

 

 

グラシエラに連れられ漁港市場にやって来たルイスは、そこで待ち構えていた元同僚コロンビア諜報員に襲撃され、命を落としてしまいます。諜報機関に属するテロ組織のメンバーだったのです。

 

 

突然の事態にグラシエラは助けを呼びながら泣き叫びます。デバイスを渡すまでを担うのが彼女の役割。撃ち殺されるとは思っていませんでした。

 

 

別の場所で銃声を聞いたメイス&ハディージャが駆けつける。そして虎狼の女スパイ・ドイツのマリーが戦闘に加わり、「昨日の敵は今日の友」的流れで共通の敵を追いますが、あと一歩のところで逃げられてしまいました。

 

 

マリー、メイス&ハディージャの3人は、グラシエラを確保します。

 

 

ルイスは死の直前、デバイスの追跡装置を搭載した携帯電話にグラシエラの指紋を登録し、後を託したのです。

 

コンピュターの専門家であるハディージャは即座に状況を把握し、指紋認証を行い携帯のロックを解除。

 

追跡装置の位置情報から一路モロッコへ追いかけます。

 

 

(モロッコ戦でのワンシーン)

 

 

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物語文はここまでにします。各諜報機関に属している4人が仲間となりチームを結成し、デバイスの悪用を阻止する結成までを描きました。


(ちなみにチーム名はありません)


女性を主人公にしたスパイ映画は以前からありましたが、基本的に戦士は1人で単独主演です。

最近多くなってきたのは複数名の女性スパイを先頭にした映画。

 

 

自分としては、冒頭から中盤までが、非常にありふれた定番のスパイアクションに感じ、ハリウッドのネタ切れ状態を視る気分でした。

 

 

ですがしかし。中盤以降はチームワークも取れてきて、かなり「いい感じ」になります。バラバラだったチームが1つになる様子と、目に馴染んでいく様子が楽しかったです。

 

 

それはやはり、キャリアを積み世界的に名の知られた名女優たちの共演と、個々の存在感が銀幕に馴染んだからでしょうね。

 

 

アンジェリーナ・ジョリー、チャーリーズ・エンジェル、スカーレット・ヨハンソン、オーシャンズ8のメンバー。etc。。

女性のアクションは身軽さを活かしたキレ重視の格闘技になるので、素手では致命傷の攻撃がなく、いつまでも経っても決着がつかない感じも焦ったく感じました。

 

 

強靭な男たちと死闘を繰り広げますが、腕力ではどうしても男性には敵いませんから、関節や急所を狙ったり頭を使います。

 

最終的には銃や刃物などを使って先に進むのですが、そのキメ顔・キメ方に女性アクション映画は重きを置いて、見せようとしているように感じています。

 

 

 

 

物語文の中で紹介しきれなかった女優を2名。

 

 

デバイスを盗んだ諜報員を追って渡仏してくるコロンビア諜報機関の心理カウンセラー・グラシエラ。

 

 

コロンビアには愛する夫と息子がいる幸せな家庭。

おそらく家族には諜報機関に所属していることを隠しているのでしょうけど、仕事で家庭を留守にしている間は、ビデオ通話をするなど常に家族のことを気にかけています。

 

 

コロンビア諜報機関の心理学者という肩書きも、かなり興味がありますけど(u_u)

彼女は兵隊ではないので銃撃戦になると腰を抜かして涙を流すという観客に一番近い感情・感覚を持ったキャラクターです。

 

 

だけれど、こうも考えます。ひねくれた考えです。

 

 

「女の涙」は「武器」の1つなのではないか?

 

 

グラシエラは同僚の死や銃撃戦でパニックとなり、大きなショックをその表情から表しています。だから、彼女のことが可哀想と思ったり同情したりします。劇中でも本気で泣いているように見えます。

 

 

最初にデバイスを誕生させた国(麻薬カルテル)の諜報機関のメンバーなので・・完全に信用していない自分がいるんですけどね。

 

 

グラシエラを演じるのは【ペネロペ・クルス】[47]で、この中で一番華がある女優だと思います。

ホテルを訪ねた初登場シーンは、久しぶりに銀幕で観たアラフィフのペネロペ・クルスに、懐かしさと時の流れを感じたものですが、展開が進むにつれて、いつの間にか「彼女を中心に映画のピントが進んでいる気」がしてきます。

 

 

 

オークション会場に潜入し、ドレスアップした時のオーラ・存在感だったり、富豪を口説き落とせという指令で、ガラッと変わる女豹ぶりは、彼女が2008年に『それでも恋するバルセロナ』でアカデミー賞を受賞した演技派だということを思い出すキッカケとなる時間帯でした。

 

 

こうして4名の写真を改めて見て、

 

 

 

 

(左から・コロンビア・アメリカ・イギリス・フランス)

 

白人の2名は「強い女性」という外見で、スパイ映画の登場人物らしいです。

 

主演のジェシカ・チャスティンは肩を入れてグイグイ歩いているし、いかにも戦闘体制、隙がない。

 

スパイ映画でこんなに鋭い目をして、セレブ会場に潜入していいの?という疑問もありますが(^_^;)

 

 

対して、ペネロペはハデージャの指令がない登場部分から、腰をくねらせ歩いています。

スパニッシュのペネロペは小麦色の肌で、このメンツにラテン系は異色に観えます。

身長も公式で168cmあるので、ヒールを履いたら更に目立つのでしょう。

 

 

他の面々は、見た目も行動も「クールでカッコいい女性」、対してペネロペは「妖艶で守ってあげたくなる女性」と「女性の部分」を全身から醸し出しているように私には見えるので、ある意味これまで描かれて来たスパイ映画として鑑賞に望むと一番しっくりくるタイプに感じます。

 

 

主演の2人が格闘系の白人女スパイ。W主演の両脇を固めるのが、黒人とラテンの女優と、それがある意味際立っていて注目させます。

結果。この映画は(ボンドガール・タイプの)ペネロペがいるから、成り立つように思えたんですよね。

 

 

他に。

 

アジアの雄、中国の女優【ファン・ビンビン】[40]がご出演。中盤から登場し、355メンバーの一員となります。

 

 

 

 

少々、口元が左に曲がっているのが気になるのと、顎が左にしゃくれているからか?英語の発音がネットリとしていて違和感があります。

 

 

フランス編→モロッコ編→中国編→??



リンは最後の舞台から登場するので、出演時間も他に比べると少ない。ここはせめてフランス編あたりで登場させ伏線を敷いて欲しかったなぁ。



そう考えると、スパイ映画の脚本にしては、本人たちが核心に気付く流れがあるだけで、手繰り寄せる伏線(工夫)が少なく感じました。

 

 

中華人民共和国国家安全部=通称MINISTRYに所属するリンは、古美術のオークション会場の主催側で、彼女たちの動向を注視しています。

 

 

 

 

ファン・ビンビンは中国を代表する女優ですので、初見の女優ではありませんが、正直、アジアの女スパイ役で期待したほど華がなかったです。上の写真だって、大喜利で答えれば、「中国の教育ママ」って感じでしょ。

 

 

中盤以降は登場シーンも多く、戦闘にも加わりキーマンとなるのですが、表情の変化・パターンが少なく、もう少し「見せ場」が欲しかったかなと思います。

 

 

各国を代表する諜報機関に所属している女スパイが、皆それぞれに機関(つまり国)の敵となって独立し、共通の目的の奪還を目指す。

 

 

 

 

(ハディージャってコンピューターのスペシャリストなのに、前線の戦闘に参加するんだ?それまで実践タイプの描写がなかったので・・ここが少し意味が分かりません。点数が上がらない要因の1つです。)

 

 

色仕掛けというポジションはペネロペ演じるグラシエラぐらいで、映画的なビジュアルショットでドレスアップを披露しても、あくまで任務遂行のために、その都度、臨機応変・効率的に行動している感じがして、いい意味で新しい。

 

 

捨て駒もいなく少数精鋭の女スパイチーム「(コードネーム)355」は、ある意味で人間くさい部分を出したリアリティなのかも知れませんね。

 


 最後に。



劇中のワンシーンがとても印象に残り、少し後味が悪くなったのでご紹介します。

 

 

任務遂行後。子供を連れて幸せそうに散歩する家族を眺める355のメンバーたちが、「幸せそうな顔しちゃって。私たちがいなかったらどうなってたと思うのよ?」と口にして、相槌を打つように鼻で笑う。

 

 

そういえば・・彼女たちは、何のためにデバイスを回収しようとしているのだろう?このセリフで原点回帰。


所属する諜報機関を離隊し・追われる身となり、敵国の諜報機関の面々と共闘する。その先にあるものは何?

 

 

スパイ映画を見ていると、エージェントは諜報機関の従順な犬となっている。だから任務の遂行に命懸けで取り掛かるのは分かる。

 

 

その任務で恋人である相棒を失い、主人公に復讐という原動力が新たに加わる。

 

 

この際に、CIA所属の彼女が、同じ国の職場で相棒を探すのではなく、旧知の仲だが他国の元MI6エージェントを相棒にするため訪ねたのは何故だろう?


米国CIAと英国MI6・・殺されたニックの名を出し、現役を退いた彼女を復帰させるのだから、スピンオフでいいから過去の交友を知りたいところです(^_^;)

 

 

受け渡し任務の失敗後。

「何のために?」というのは、あまり考えてはいけないかも知れませんが。。

 

 

主役メイスの最初の動機は、愛する人を殺されたから。だと思いました。

 

黒人のハディージャーに関しては、何のために現場復帰をするのだろう?義理や友情なのか、それとも正義感からなのか?

 

 

ドイツのマリーは一匹オオカミのタイプでサイボーグのように行動。

 

コロンビアのグラシエラは「巻き込まれた」ので、生きて家族の元に帰る、という目的が解る。

 

 

その最愛の人を亡くすことで、この映画の女スパイたちは、先へ進むのですが。

その先にあるものは何? 共通の敵は何になるのだろう?

 

 

しつこくてすみませんけど・・その疑問を考えながらエンドクレジットをボーッと眺めていました。

 

 

ヒーロー映画だったら「多くの命を救えてよかった!」という締めになります。

 

この映画は世界を救った後に、幸せそうな人たちを見て「呑気な国民」などと揶揄しているから・・ある意味人間的ですし、「女性同士の冷めた会話」を聞くことによって、裏も表も表現されたスパイアクション映画に感じることが出来ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

脚本 13点

演技 14点

構成 13点

展開 13点

完成度14点

 

 

[67]点

 

 

 

フォローしてね

 

 

 

【mAb】

 

 

 

 

 

 

THE映画評論『West Side Story』

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『ウエスト・サイド・ストーリー』

 

 

 

 

 

監督🎬

【スティーヴン・スピルバーグ】

 

 

マリア

【レイチェル・ゼグラー】

 

トニー

【アンセル・エルゴート】

 

 

アニータ

【アリアナ・デボーズ】

(本年度アカデミー賞助演女優賞ノミネート)

 

 

ベルナルド

【デヴィッド・アルヴァレス】

 

 

リフ

【マイク・ファイスト】

 

チノ

【ジョシュ・アンドレス】

 

 

未亡人ヴァレンティナ

【リタ・モレノ】

 

 

 

配給[ウォルト・ディズニー・ジャパン]

 

本編[2時間36分]

 

 

 

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昨年、コロナ禍を懸念して長年通っていたジムを退会。それから約1年の間でコロナ太りというものを体感することに。

 

退会と怠慢は全く別物だとは思いますが、お腹周りのお肉が気になって仕方ありません。

 

キレッキレのダンスを魅せるこの映画のダンサーのように、しっかり自己管理しなければ・・

 

 

それは・・ウエストサイズの物語・・THEオヤジギャグΣ(・□・;)

 

 

 

過去の大名作を、大巨匠監督スティーブン・スピルバーグがリメイクする、との情報は、昨年末に『ディア・ハンセン』の記事内でチラッと書きました。

 

 

そしてその際、鑑賞する前から、アカデミー賞は『ウエスト・サイド・ストーリー』が独占するとも書きました。見る前から分かるものです。

 

 

スピルバーグ×ミュージカル×(日本で)2月公開となれば・・そりゃあねぇ〜。予想もなにも確定みたいなもの。

 

 

今年のアカデミー賞は現地時間で3月27日。

今作は合計6部門にノミネートされています。

 

 

授賞式は例年より少し遅めとなりましたが、鑑賞してより一層、その確信を高めました。

 

 

 

 

アカデミー賞は昨年中にアメリカのカリフォルニアで公開された作品から各部門の候補が選ばれます。

 

 

先にアメリカで公開(評価)されたのち、日本に入ってくるわけですが、

 

 

宣伝を見ていると、日本ではこれから公開される黒人テニス伝記映画『ドリームプラン』の評価が高く、アカデミー賞は【ウィル・スミス】で間違いなしという賛辞の報道がされています。

 

 

確かに今年の「主演男優賞」の顔ぶれだと、ウィル・スミスが当確だと私も思います。遂に黒人アクションスターのパイオニアがオスカー像を抱くのか!と考えるだけで、胸が熱くなります。

 

 

しかし。これから紹介するこの作品がアカデミー賞では、作品賞と監督賞を獲ると素直に思います。

 

 

_________

 

 

 

1950年代 アメリカ合衆国 ニューヨーク マンハッタン

 

 

夢や富を求めて世界中から移民が集まるウエストサイド地区が舞台。

 

 

 

オープニング。

 

 

 

白人の若者たちが街中を行進し、彼の仲間たちが次々に合流し、歌とダンスが始まる。

 

 

彼らはポーランド系移民の「ジェッツ」というチームで、敵対する移民の地区に向かっていく最中です。

 

 

1950年代にアメリカで生活するユダヤ系白人の移民ということで、第二次世界大戦下のナチスによる迫害という歴史も頭に意識します。親や兄弟たちの中にも同胞をなくした方がいることでしょう。

 

 

ジェッツの面々は、目当ての場所に到着する。

 

 

空き地の壁にプエルトリコの国旗が描かれている。どうやらその一帯がプエルトリコ移民が暮らす地区らしい。

 

 

ジェッツの面々は一斉に走り出し、持っていたペンキを、その国旗にぶちまける。

 

 

 

 

 

移民にとって故郷の国旗を汚されるなんて、相当な屈辱でしょうね。

 

すぐさま、プエルトリコ移民の若者たちが報復しに走ってきて、そのまま乱闘する流れに。

 

 

プエルトリコ系移民の「シャークス」と、ポーランド系移民の「ジェッツ」は、この一帯の縄張り争いをしている、各同胞の集まりです。

 

 

シャークスとジェッツ、お名前だけでも覚えて帰ってくださいね。

 

 

 

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公式ホームページには

 

 

 

 

 

>夢や成功を求め、多くの移民たちが暮らすニューヨークのウエスト・サイド。 だが、貧困や差別に不満を募らせた若者たちは同胞の仲間と結束し、各チームの対立は激化していった。

 

 

と背景を紹介されています。

 

 

気になったのは、この映画は完全に2手に分かれているので対立構造が分かりやすいのですが、極端に「大人」が出てきません。

 

 

この場合の大人というのは、移民を経験した大人を指します。

若い彼らは、アメリカで生まれたのか、親や親戚と一緒に海を渡ってアメリカにやって来たのか?そこのところを私は知りたかったです。

 

 

白人のジェッツは20前後の若者が中心のヤンキー集団ですし、彼らの家や親は登場しないし、孤児なのかも、なんの仕事をしているのかも分からない。この点は劇中に披露される「歌詞」のセリフの中に編まれているので、そこから色々と考察することにしました。

 

 

対して、ラテンアメリカ・プエルトリコ人のシャークス側はリーダー宅がメインの舞台となるので、生活感が見えます。

だけれど若い同棲カップルの生活風景なので、親や兄弟は母国に残っているのか?移民の経緯などの情報も私にとっては映画の中で知り得たかったです。

 

 

___

 

 

 

今にも戦争が起きそうな一触即発の日々。

 

警察車両がサイレンを鳴らし乱闘現場にやってきて終了、というパターンが劇中は何度かあります。

 

 

 

 

オープニングの乱闘では、警察側の差別が分かります。

 

ニューヨークの警察官は欧州系の白人である彼らの味方。

 

 

肌の色の違うプエルトリコ人を、箒で履くように、その場から退散させます。

 

その際に、シャークスのチームだけでなく、周りで状況を見ていたプエルトリコ移民たちが一斉に歌い出すシーンも、結束力があって沁みました。自分たちの国旗をペンキで汚されているんですからね。

 

 

『パイレーツ・オブ・カリビアン』の処刑の首つり台でヨーホー!ヨーホー!と海賊歌を合唱するシーンみたいで良かったなぁ。

 

 

___

 

 

 

乱闘騒ぎからしばらくして、中立地帯の学校の体育館で、移民混合のダンスパーティーが開かれます。

 

 

会場に他の移民がいるのかは分かりませんが、映画的には「白人」と「プエルトリコ人」(ラテンアメリカ)が境界線を引いて、パーティーに参加しています。

 

 

 

 

シャークスのリーダー・ベルナルドは、プエルトリコ移民が暮らす集合住宅で、恋人のアニータと暮らしています。

 

アニータは針仕事をしています。自宅にはミシン。

 

ベルナルド本人はボクサーですが、収入が少ないのか彼女のヒモといった生活を送る。結婚はしていないが結婚を考えている模様。

「稼ぎもないのに何夢物語みたいなことを言ってるのよ!」とカカァ天下。だけれどラブラブでお似合いなお二人。

 

 

集合住宅、部屋の一室。この映画のヒロイン・マリアが、ダンスパーティーに着ていくドレスを着替えています。

 

 

 

 

マリアはベルナルドの妹で、まだアメリカに来てから日が浅い18歳。兄の恋人で同居人のアニータとは仲が良く、この初登場シーンでは自分がつけている赤いベルトをマリアの腰に着用したり、口紅を引いたりと、大人への階段を登っていく少女の理解者。

 

 

初めてのダンスパーティーに胸を躍らせて、お化粧したりする様子は、純粋で可愛らしいし、まるで素敵な姉妹のように見える。

 

 

其々の移民が故郷を愛しながらアメリカで暮らしていく背景があるのと、各々が外国で助け合って協力していく同郷の絆の強さは、それ以外の者には分からない、計り知れない安心感なんだと思います。

 

 

兄ベルナルドが女性陣を迎えに来て、マリアの同伴者に同じプエルトリコ移民のチノという真面目な青年を紹介。

 

 

 

 

そしてダンスパーティー会場に向かうのです。

 

 

___

 

 

 

一方のジェッツのリーダーであるリフは、このダンスパーティーにある男を誘うため、彼の働いている薬屋を訪ねます。

 

 

【トニー】は元ジェッツのリーダーでしたが、喧嘩で相手を半殺しにした罪で半年間刑務所に入っていました。出所後はこの薬屋で働きながら更生の道を進んでいます。

 

 

刑務所上がりのトニーに「プエルトリコの奴らと決着をつけるから参加してほしい」と声をかける。

 

 

再会した2人ですが、トニーは落ち着いているのに対し、リフは不良のまま。という印象。

お前はまだそんな意地を張って生きているのか? 元々(逮捕前)のトニーの性格が分からないので何とも言えませんけど、殺気立っているジェッツのメンバーにいたとは思えないほど落ち着いている男性です。

 

 

『ドクの薬屋』は、未亡人の【ヴァレンティナ】が一人で切り盛りしている店。

ヴァレンティナはプエルトリコ人で、白人(ドク)と結婚したことで、対立する両方のチームから信頼されている存在の老婆です。

 

 

 

 

リフは間もなく始めるプエルトリコ人との戦争に、お前の力が必要だと誘いに来ますが、乗り気ではないと断られる。

 

 

「お前たちが赤ん坊の頃から私は知っているんだ」

不良の道へは戻さないと、リフを叱りつけるヴァレンティナの存在感もありますね。

 

 

ジェッツのメンバーは皆が若く、親が出演していないので、このヴァレンティナが母親代わりだったり、年齢的に祖母代わりになって、彼らを見守っている感じでした。

 

 

___

 

 

 

ダンス会場。

 

 

バスケットゴールがある体育館で行われます。日本だと1950年代の学校の体育館にバスケットゴールはない筈だから、なんだか不思議に思いました。(バスケットの歴史は誕生から1世紀ほど)

 

 

楽団のトランペットが心地よく吹かれ、プエルトリコ人も白人も楽しく踊っているけど・・やっぱり仲良くできないΣ(・□・;)

 

 

踊ると息が合うのに、喋った途端にマウントの取り合いになる。

 

 

司会進行役が「仲良くしましょうよ」とマイクで伝える気持ちも分かりますよ(^_^;)

 

 

そんな中、マリアは一人の男性と会場内で目が合います。

 

 

 

 

反対側にはトニーがいます。行かないと言いつつ来たトニー。それはこの先の展開を考えると「運命のお導き」なのでしょう。

 

 

初対面の2人ですが、運命的なものを感じ、目を合わせたまま横歩き、そのまま舞台裏に移動し、初めての会話。そしていきなりのキス。まるで神様が2人を引きあわせるように。

 

 

キスは見られませんでしたが、2人でいるところは見つかり、プエルトリコ人たちは「冗談じゃないぞ」と2人を引き離す。

ジェッツの男たちも応戦して、結局、楽しいダンスパーティーはお開きに。

 

 

ダンスパーティーのトイレに場所を移し、我慢の限界を超えた2チームのリーダーは、決着をつけるべく最終決戦を決める。

 

 

決闘は翌日の夜。場所は塩倉庫。

 

 

リフは相手が武器(ナイフ)を携帯することを予測し、優位に立つため拳銃を調達する。

 

 

____

 

 

 

ダンスパーティーの夜。

 

 

トニーは、恋に落ちたマリアに会いにプエルトリコの集合住宅へ足を向ける。

 

 

「マリア・・マリア」と歌うたびに、いくつかの窓から、老人のマリアや、少女のマリアが顔を出す。

 

(クスッとなれるシーン)


そして愛しのマリアが顔を出すと、トニーはベランダの非常階段をよじ登り、彼女の近くへと向かう。

 

 

若い2人は、理屈ではなく本能で運命の人に巡り会えたのだ。

 

 

 

 

そして明日、駆け落ちをすることを約束する。

 

 

それはジェッツとシャークスの決戦の日でもあった。

 

 

____

 

 

 

ブラボー。マジでブラボー。

 

 

白人の若者たちが、歩を進めながら踊っていくオープニング。

1人1人増えていく様子はフラッシュモブみたいに感じて少し余興の感じがしましたが、スラム街の舗装されていない道や廃墟跡を使ってアクロバットに躍動していくダンスは心を掴まれていきます。

 

 

イカンイカン。最初からこんなにテンションを上げたら、3時間もたないぞ、と思いました(笑)

 

 

ゴミ箱だったり、信号機だったり、街中にある「使えるものは全て使って」というダンスは、何というかエコにも感じるから今の時代に合っているのかもな。

 

 

ただ欧州系白人の移民「ジェッツ」は、基本的に若者たちの10数人規模のチームです。

町中を踊り歩いている時も、周りの大人たちは、そこまで彼らを意識していないので、「少年たちの孤独」とも捉えられると思います。

 

 

対して対立するプエルトリコ移民のダンスは、1人が踊り出してから仲間が加わっていく展開はジェッツと同じなのですが、周りの大人たちも笑顔にするしノリも違う。周りを巻き込んでいくダンスの楽しさは、プエルトリコの方が上でしょう。

 

 

何より身体能力の高さを伺えるダンスを披露するので、ラテンのダンスは、私は見ているだけで興奮するというか、とてもエネルギッシュに感じます。

 

 

 

 

 

 

話は変わって。日本はミュージカルという舞台はあっても、ミュージカル映画というジャンルはありません。あるにはありますし、

近年はミュージカル俳優たちが音楽番組で歌声を披露するようになりましたが、今はまだ日本語ミュージカルは流行しないと思います。

 

それで日本映画で一番最後にダンスシーンを見たのはいつだったっけ・・と劇中にふと思い記憶を遡ると、『マスカレード・ナイト』の冒頭・終盤で中村アンさんと社交ダンスのアルゼンチンタンゴを踊る元SMAPの木村拓也さんが浮かんで来ました。

 

 

比較対象にするのは申し訳ありませんが、あの映画のダンスシーンを見た後では、この映画は観れないと思ってしまうほど、エンターテイメントショーの圧倒的な違いを見せ付けられた思いです。

 

 

日本は歌謡曲を作る人ならば沢山いますが、ミュージカルの作曲家・作詞家は少ないので、ミュージカル舞台を観にいくと、初見の曲を聴いてノルにノレない自分がいます。

 

 

だけれど、この曲なんて特にそうですが、初見の曲なのにパッと心を掴まれて、そこにキレッキレのダンスが混ざって完落ちする。

 

 

10年後の日本映画を考えた時に私も勉強しておこうと思わせてくれる敗北感と焦燥感と可能性。

 

 

_____

 

 

 

兎に角、ダンスシーンがどれも素晴らしいので、こんな「興奮冷めやらぬ」というテンションで書いている珍しい状態の自分がいます。

 

 

 

 

ラテンのダンサーたちは歌も踊りもハイレベルです。

 

中でも私のお気に入りは、警察署での白人たちのダンスシーンです。

 

警察は2つの移民チームの抗争を止めるべく拘束するなどして、情報を聞き出そうとする。

 

 

少しでもズレたら全てが台無しになるほど、完璧な呼吸感で披露するワンショットダンス。

 

 

おまけに、この作品の凄さは、楽曲の作詞が掛け合いになっていることで、展開の流れが円滑に進んでいくこと。

 

 

彼らの置かれている状況・境遇などを、台詞長の歌詞で風刺や皮肉を沢山込めて歌い合う。

 

 

なんだか・・例えば「嫌になっちまうぜ」「こんな人生はクソだ」なんて歌詞でも、相手の顔を見合って真っ直ぐ歌うと、スカッとするし、ネガティブな言葉や状況を歌にすると、こんなにパワフルになるんだなと思います。まさにロックです。

 

 

劇中に何度もあるミュージカル演出ですが、この映画の秀逸さはやはり「エンターティメント性」の高さ。

 

 

「突然歌い出す」ミュージカルはどうしても、物語の進行を止めがちですが、この作品は物語の流れを止めることないから非常に作品の世界に入りやすい。

 

 

歌詞の中でも物語が進行するから、見逃せないし、そのどれもが楽しめるから飽きがこない。

 

 

スピルバーグの魔法(術中)が見事にハマっていく感覚を楽しんでいる自分もいました。

 

 

____

 

 

 

エンターティメントの部分に心底満足感を得ているので、多分、それだけ伝えればいいと思うのですが・・

 

 

強いて言えば、「規模が狭い」ところがドラマ性としては減点になるかなと思いました。

 

 

ニューヨーク・マンハッタンのウエストサイドという地区で、2つのルーツから来た移民たちが威嚇をしている。

 

肩身の狭い者同士で協力するのではなく、男たちは縄張り争いという主権を主張する意地。

 

 

 

アメリカに住む移民の中でも差別は存在しますが、「白人」は得をしていて、色のついた人種は対象となる。

この映画の中ならプエルトリコ人、ドミニカ人、キューバ人などが上がっていました。

 

 

それが顕著に現れるのが警官とのやりとりなので、同じ移民同士なのに、こんなに差が出るのは何故だろう?とアメリカという国についてを考えることになります。

 

 

スピルバーグには是非、プエルトリコも発見した「コロンブス」の映画を撮って欲しいと願います。

 

 

欧州系の白人とラテン・アメリカ人種のプエルトリコ人、映画はこの2つだけを主軸にして描くため、それ以外のウエストサイド物語も知りたいと思います。

 

 

それ以外は、やはり出来の良さの方が、私には目立ってしまいます。

 

 

対立する移民グループに属する男女が出会い恋をするまでの期間が、たった1日なのに、その1日のやりとりが充実しているからそれを感じさせない。

 

 

二人が電車に乗ってデートをする中盤のシーンが、ウエストサイド地区から離れる唯一のシーンになりますが、その電車のシーンの二人が「普通のカップル」に見えたのが少し残念でした。

 

 

前日は非常階段であれほどドラマチックに愛を交わしたのに、都市に出ると、そのうち喧嘩別れをしそだと想像できる若いカップルに見えます。

 

中世ヨーロッパの世界観から、急に現代の世界観になる感じに私が捉えたので、ここは少し違和感を覚えました。

 

 

だけれど、その後の教会での愛の誓い合いのシーンで、再び挽回するので問題はなし。

 

 

____

 

 

 

ウイリアム・シェークスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』を軸にしている作品が『ウエスト・サイド・ストーリー』。

 

 

ロミオとジュリエットを舞台や映像作品で観た方は、まず間違いなく連想することでしょう。

 

 

特に非常階段での愛の誓い合いシーンなんて、もろロミジュリですよね。

 

 

こういうキザでロマンチックなシーンが、今の時代の今の映画で、新鮮に愛おしく思えるのだから、純粋に感動したし凄いと思います。

 

 

一目で恋をして、運命だと確信し、愛に境界線はないと考える。2つの人種は大喧嘩をしているけれど、2人にとっては障害さえ燃える。むしろロミジュリの時代のように、戦争はないし、殺し合いもないから、ラブロマンスとして観ていられる。

 

 

そして、マリア役を演じた【レイチェル・ゼグラー】[20]

 

 

彼女の声が・・本当に天使みたいでした。

 

例えば、『マッチ売りの少女』の背景に、『フランダースの犬』のエンディングが合わさった感情。

 

 

その瞬間、私は映画館にはおらず、誰も座っていない教会にポツリ座っていました。

 

 

(何を言ってるの?)

 

 

そこで歌っている1人の女性の歌声を聴き、涙を1滴、頬に溢していました。

 

 

悲しい物語だからとか、それまでの経緯ではなく、純粋に彼女の歌声に感動して、自然と涙が溢れました。

 

 

どうして彼女の名前が、主演女優賞にないのかが、ひどく疑問に思います。

 

 

 

 

もし日本版で舞台化されるのなら【知念里奈】さんしかいないかな。

お顔立ちがそっくりなのと、お歌がお上手なのでね。

 

 

(日本版のマリア役のイメージは【生田絵梨花】です。日本版ロミオ&ジュリエットもヒロインも観に行ったので。)

 

 

レイチェル・ゼグラーは今作が映画デビュー作のようですが、これ以上はない!という程のハマリ役ですし、高音が神がかって綺麗に聴こえ・・ちょっと信じられないくらい歌姫でした。

 

 

3万人の中から選ばれたと紹介されていますが、300万人がオーディションに参加したって彼女が合格すると思えます。

 

 

_____

 

 

 

エンドクレジットに入る前に、あまりの儚さから目頭が熱くなっていました。

 

 

そしてエンドクレジットに入った瞬間に、瞳を閉じて、その涙を頬に落しました。

 

 

これまで何度もいい映画に出会いましたが、これほど「余韻」を悲しめるとは夢にも思っていません。

 

 

その「悲しい名残」を残す演出の御蔭で、しばらく映画の世界から抜け出せられませんでした。

 

 

 

10年以上、ここで映画評論を書いていますが、多分私は「満足感」というものを得点で表すタイプではない書き手です。

 

絶賛するけれど、点数的には平凡だとか、そういう評価が多いと思います。

 

 

読者の方にはお馴染みの採点方法でしょうけれど、5項目各20点満点で合計100点。

どの項目も20点満点で13〜15点くらいです。

 

 

この作品の「展開」の点数は20点満点を付けます。

 

 

冒頭のフラッシュモブのように感じた若者のダンスが、面白みに変わり、そして説得力に変わっていく。

 

 

尻上がりに良くなっていく展開は「3時間近くあるミュージカル映画」だと考えると、物凄い魅力です。

 

 

そしてアカデミー賞を受賞したスピルバーグ不朽の名作『シンドラーのリスト』のような、立場の弱い人間の生き様を透写し、それをエネルギーに変える迫力さはドラマミュージカルとは思えない完成度でした。

 

 

 

1950年代のアメリカ・ニューヨークの数日間を描いた映画ですが、

 

アメリカの移民問題は、その数日間だけではなく、今尚続く問題にもなるので、そこは映画以外にも考えなければならないし、

 

移民の方々が、どうして移民という選択をしたのか、どういう覚悟でアメリカに入国したのか、また彼らを受け入れる移民大国アメリカという国の存在も合わせて考えていきたいですね。

 

 

これまで沢山のミュージカル映画を映画館で観ましたが、最初から最後まで気分が乗った作品は初めてですし、

本当にエンターテイメントの傑作だと言えます。この感動を劇場で体感してください!

 

 

 

 

 

 

 

 

脚本 14点

演技 16点

構成 15点

展開 20点

完成度15点

 

 

[80]点

 

 

 

 

2並びの2月22日は縁起が良いらしいよ。

 

 

誰かが言っていました。

 

 

私はゾロ目投稿を長年して来ましたし、ゾロ目と揃い目の投稿・・個人的にこだわりを持っています。

 

 

なので2022年2月22日22時22分投稿です。

 

 

何回か生まれ変わって、2222年も同じことを書いていたいです。

 

 

その頃までアメブロが続いていたら良いなぁ・・(続いているかっΣ(・□・;)!)

 

 

 

フォローしてね

 

 

【mAb】

 

THE映画評論『牛首村』

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『牛首村』

 

 

 

 

 

監督🎬

【清水崇】

 

 

奏音 & 詩音

【Kōki,】(木村光希)

 

【萩原利久】

 

将太

【高橋文哉】

 

山崎さん

【松尾諭】

 

 

牛首頭の少女

【芋生悠】

 

 

父親

【ココリコ・田中直樹】

 

母親

【堀内敬子】

 

祖母

【竜のり子】

 

祖父

【麿赤兒】

 

 

配給

[東映]

 

本編

[1時間55分]

 

 

 

______

 

 

 

主演はKōki,さん。本名の木村光希さんは公表されているので、多分私しか呼ばない呼び方で、時々「キムコー」と書かせていただきます。

 

 

(ハマコーみたいだΣ(・□・;))

 

 

富山県魚津市にある実際の心霊スポット・坪野鉱泉。ここで起きた怪現象や失踪事件をヒントに、オリジナルストーリーを書き下ろされたそうです。実際に建物内で撮影も行われたそうなので、もう・・そういうのが可能な時代になったんですね。

 

 

かつては温泉施設だったそうで、温泉好きな自分としては、どんな湯心地だったんだろうと、この廃墟跡を想い偲びます。

 

 

 

 

では始めます。楽しい映画の時間です。

 

 

_____

 

 

 

ホラー映画ではなくホラードラマといった感じ。

清水崇監督は、ハリウッド映画を撮られてから作風が変わり、エンターテイメントを感じるようになりました。だから今作品はエンタメ傾向のホラー映画かな。

 

 

日本ホラー映画は、外国ホラーのような「間を埋める」ために脅かさず、あえて無音・静音で、観客を神経質にさせ恐怖の想像をさせる為、溜め(我慢)を長く作れるのが私は日本映画の作風の魅力だと思っております。

 

 

お化け屋敷ホラー(←と勝手に命名している)のアメリカ映画からは一線を置いて、日本らしいドラマ性を大事にしている。その「らしさ」とは日本人の性格だったり風土・風習など。

 

 

当たり前ですが、日本人にとって馴染みや共感があるのが日本映画なので、それを全面に描いている脚本は良かったです。

 

 

主演のキムコーさんをInstagramやYouTubeで拝見しているわけではないため、全くの初見で今回鑑賞しました。

『キムタクの娘』というメディアの売り出し方のイメージが強いですが、映画を見ているうちに、そのイメージが薄れていきましたよ(^ ^)

 

 

物語を紹介。いつものように物語の進行と自分の私感を同時進行で書いていきます。

 

 

オープニング。

再生数を稼ぎたいがために命知らずの肝試し配信をする3人。心霊スポットで中継しているシーンから始まります。

富山県魚津市にある坪野鉱泉ホテル廃墟。彼らは富山県在住の高校生です。

 

 

 

 

(田舎でこんな金髪の女子高生がいたら、目立つだろうなぁ)

 

 

シリーズ前作の『樹海村』がそうでした。視聴者は動画中継中に自由にコメントを入れているので、彼女達はコメントも読みつつ、動画撮影と進行の3役を行うので、結構大変な作業を労いたい。

 

 

そして、ほらみろ!撮影中に最悪のトラブルが発生。「エレベーターの中に入ると異空間に行く」という都市伝説を実行。

その場で1人の女子高生が忽然と消えて行方不明になってしまう。そして動画はそこで終了しているようです。その後がどうなったのかの追い動画もないままなので、無責任に思います。

 

 

清水崇監督の代表作は勿論『呪怨』になりますが、基本的に「無差別殺人」という方法で、登場人物全員に「死」が迫るオチ。

呪怨の場合は呪いの家に一歩でも足を踏み入れたら問答無用で死んでしまう、となるので一応の法則がありますが、少し悪い言い方をすれば、命を粗末にするような展開を好む監督ですね。

 

 

所変わって関東。高校3年生(という発言を相手役の男子がいうため断定)のカップル。

 

 

 

 

男子生徒・蓮は無邪気な性格だが子供っぽい。

女子生徒・カノンは無口なタイプで大人っぽい。

 

 

主人公カノンは絹のような黒い髪の毛を腰の長さまで伸ばしている。

シングルファーザーの家庭。特に仲が悪いわけではないが、父親との会話が弾まず、どこかお互いの様子を伺っているような印象。

父親の携帯が鳴る。(多分)「食事中は携帯を見ないこと」という家族ルールがあるからだろう、断って携帯を出ると「あっ!ずるい」と口にする娘。父親は明日から出張に行くと娘に伝える。

 

 

場面を移し彼女がバイトをするカフェ。(カメラの写し方かもしれないが)彼女目当ての客がいるらしく、画面中央の男性客がストーカーのような目線を向けているのが気になった。その後、バイト先に蓮がやって来て、今話題の肝試し動画に映っている女性が、自分とソックリだと伝える。

 

 

この世界には自分の顔と似ている人間が三人いると言われたり、ドッペルゲンガーの発想だってあり得るけれど、動画を見たカノンの初見の反応(リアクション)は「顔が似ているなぁ」で済ませるほど、この時点ではピンと来ていない表情をしていた。

 

 

(動画再生中の下に関連動画みたいな演出も映画の中にあったらリアルっぽかった)

 

 

その数日前。つまり肝試し動画が撮影された当夜から、彼女の部屋シーンに人影や視線が映り込んでいるなど、ホラーの定番演出だけれど多くの伏線を張っています。

 

 

もう一つ。

 

 

カノンは、スマホアプリのキーボードを使い、頭に浮かんでいる曲を鼻歌を歌いながら鳴らしています。現代の女の子が作曲するようなリズムではありません。古いわらべ唄のようなので、この年代の女子高生が口ずさむ音程ではないから少し新鮮。(一応、音楽家なので分かります。)曲の音程は童謡の『おつかいありさん』に似ていると聞いていて思いました。

 

 

(名前がカノンなのだから、クラシックのカノンに寄せた作曲をするのかな?と少し予想しましたが、それはなかったみたい)

 

 

ここまでを見て。今年最初の邦画鑑賞ということもあるのか、ハリウッドと比べると画質が荒く、学生服で歩く最初のシーンでは、役者を正面から撮るためのカメラワークの揺れ方に少し酔ってしまった自分がいる。きっとカメラマンが後ろ歩きで撮ったんだろうけど、固定にして欲しかったです。

 

 

____

 

 

 

自分の顔とそっくりな女子高生が、肝試し動画の撮影中に行方不明になった!?

 

 

一番初めの視聴の時はそれほどでもなかった反応でしたが、家での怪奇現象なども経て、動画のことが頭から離れず、スマホで何度も再生するようになります。

 

 

関連として、失踪した女子高生が閉じ込められたエレベーターの中で、上から伸びて来た白い腕を、その女子高生が爪で引っ掻くという描写があり、その引っ掻き傷の跡がカノンの手首に現れています。

 

 

見ているだけでも痛々しい結構な深傷ですが、簡単な応急処置をしているあたりが安っぽい(^_^;)

 

 

「動画の映像」には引っ掻いた映像はありませんが、観客には、この2人に何らかの関係性があると察することが出来る。

エレベーターに乗ると「異空間・異次元」に行く、という都市伝説なので、「どこでもドア」みたいに彼女の部屋と繋がったのかな?と浅はかな推理をしました。

 

 

カノンは、(冒頭)「高校最後の思い出に、どこかに行こうよ!」と誘われていた彼氏の蓮に声をかけ、動画の撮影場所である「坪野鉱泉ホテル」を訪ねるために富山県に向かいます。

 

 

はい。保護者的な感覚で、少し指摘をします。

 

 

富山県には夜行バスで向かうのだけれど、18歳未満だし、保護者の承諾とか、何泊するのとか、色々と疑問(心配)に思います。そこを描いてこその日本映画の謙虚さ・気遣いだとは思うが、ホラー映画は基本こういう行動には「本人たちが良ければいいという考え方」で進んでいくような気がしています。(ここはきっぱり)個人的にはあまり良くは思っておりません!

 

 

ちなみに東京から富山間は夜行バスで5、6時間ほど。となると深夜に出発した可能性が高い。

私も一時期夜行バスをよく利用したのでイメージが出来るのですが、高校生のカップルが、夜行バスに乗るまでの間、どうやって時間を潰したのかも気になります。

 

 

カノンは父親が出張という状況を前場面で説明しているので想像できますが、彼氏の方は親御さんが登場しないので、どう言って家を出てきているのでしょう?


仮に「彼女と2人で数日間旅行に行ってくる」と親に言ってから出てきたとして、普通の親御さんなら承諾しないと私は思うんですけどね。男友達と旅行だと嘘をついてたとしても、やはり高校生というのが引っかかります。『樹海村』みたいに設定を社会人や大学生にすれば問題ないけど(^_^;)

 

 

こういう現実的じゃないなど、あーだこーだ言う批評家が一定数はいると思います。

いちいち説明していたら先に進まないだろ!と清水崇監督の声が聞こえて来そうですが(^◇^;)

 

 

___

 

 

 

到着した2人は、魚津にある道の駅に行き、そこで富山湾の名物である蜃気楼を見ます。

「蜃気楼」という自然現象が、この映画のキーポイントになっているので、鑑賞後にウィキペディア先生で用語を調べました。関連ワードから想像力を広げるのは多分私の得意分野なので、想像するだけで様々な発想をしてしまいます。劇中の防波堤を越えないためにもあまり深追いはしないようにします。

 

 

 

 

 

道の駅・蜃気楼。

Backする車に気づかずに、駐車場枠でウンチング座りをしている彼。幽霊以外でハラハラする場面です。

 

 

彼氏のリュックサックがクッションになって、軽い接触をしただけで済みます。

どちらもよそ見をしていますが、こういう不注意って、運転手側の気持ちになるので見ていて嫌です。ってか本当に不注意なのか?結果的に、その運転手と仲良くなり、心霊スポットまで車で送り迎えをしてもらえるので。。。展開を助けるキッカケになるのかな。

 

 

地元民のオッチャンの車で坪野鉱泉に向かいます。

魚津駅から現場までは10kmほどですが、山道なのでタクシーだと相当かかるし、バスだってそんなに本数がないでしょう。

行き当たりばったりなのか?それらの計画性が映画で描かれていないので、説明不足を残念に思います。

 

 

高校生カップルが富山にやってきたのはいいけど、所持金は少ないと思うし・・富山に着いてもそうだし・・泊まる場所はどうするんだと思っていました。

 

 

足は解決です。地元のオッチャンの車で目的地まで送り迎えしてもらって、おまけに入り口まで誘導してももらえるんだから、ある意味ラッキーな巡り会いだと思いますよ・・ある意味ではアンラッキーか。

 

 

地元民の「山崎さん」と心霊スポットに向かう。山崎は運転しながら、後部座席に座る2人に、その地に伝わる「牛首伝説」を話します。

 

 

二人の反応を確認しながら話をするので、志村うしろうしろ!じゃないけど、山崎まえまえ!って思わず叫びたくなりますね(^_^;)

 

 

(ほら、お約束の展開にΣ(・□・;))

 

 

トンネルの途中に窪みがあって、そこに頭が牛のお地蔵様が祀られていると伝えられ、この話を聞いたものは生きては帰れないと脅かすように語るのです。まぁ話を聞くと死ぬと言うホラー映画は、謎を解く主人公以外は大抵その通りになるので、このワードが出た時点でハッピーエンドはないと思う鑑賞体質になっています。

 

 

草をかき分け、立ち入り禁止テープを無視し、最恐の心霊スポットと呼ばれる鉱山ホテルに到着。

立ち入り禁止のルールを無視して侵入するって、土地勘のある地元民ならではの行動だな、と思いました。

 

 

彼氏「えっ!?入っていいんですか?」

地元民山崎「いいんだよ」。

 

 

(未成年の子供に悪さを教える大人に感じる描写)

 

 

坪野鉱泉ホテル跡は、暴走族や北陸の不良達の溜まり場という、ある意味、心霊スポットよりも、そっちの方が怖くて有名な場所です。この山崎も「昔はよく行った」と2人に伝えているから、元ヤンなのかもなぁと感じました。

 

 

山崎は外で待っているからと、タバコに点けて待機。

中に入る二人。肝試し&ホラー映画のお決まりである夜の時間帯ではなく、日中の探索なので、内観がよく映って良かったです。

 

 

 

 

廃墟の中は落書きが沢山あって、建物の老朽化や残穢の記憶というよりも、単純に無法地帯と化している様子が映し出されていました。

 

 

話は変わりますが、Yahoo!ニュースで、鬼怒川温泉の廃墟ホテルに若者が不法侵入している記事がよく出ます。地元住民や自治体は本当に困っているようですが、不法侵入は後を絶たないようです。

 

 

その記事を読むたびに悲しくなりますが、この映画のホテル跡地を見てもそう。スプレーやマジックで壁に書かれた落書きや主張は人為的で、ホラーの怖さとは別に感じるかな。そういう人間は問答無用で悪人なので、正式にバチが当たればいいと思います。

 

 

(せめて描いてよ、バンクシー)

 

 

例えば、江戸時代などの怪談話の背景には壁の落書きはないですからね。

心霊スポットで実際にロケを行うのは、話題性も売れるしリアリティが生じるので、セットよりはいいと思いますが、深層心理を謳う「日本のホラー映画」に「壁の落書きは必要ない」と思います。

 

 

物語に戻ります。

 

 

主人公のカノンは、怖がりつつも、どんどん歩みを進めていくので、まるでアメリカ映画のヒロインのようでした。

途中途中、携帯で動画を確認し、動画と同じ撮影ポイントを見るとミーハー気味に興奮してアドレナリンが出ています。

 

 

そして例の動画で自分と同じ顔をした女子高生が閉じ込められて消えたエレベーター前に到着。

 

 

動画ではエレベーターの鉄扉がありましたが、規制テープとベニア板で扉を封鎖されています。その数日前に失踪事件が起きているので、おそらく警察が来たのだと思います。こういう些細な背景の配慮は良いですね。

 

 

立ち入り禁止の黄色テープをビリビリ剥がして、ベニヤ板も細い指で力技で剥がして、オープンザドア。

壁や物質に触れた瞬間に、過去の記憶を伝承するフラッシュバックが度々起きています。

 

 

都市伝説では、そのエレベーターに乗ると「別の次元」に行くとされています。

 

 

一方。

 

 

どうして心霊スポットで彼氏彼女が別行動をしているのか?よく分からないけれど、彼氏の蓮は屋上に上がり、見晴らしのいい廃ビルから立ちション。THE罰当たり。

 

 

そのお小水を真下にいた山崎にドンピシャで命中するというハプニング。これは清水監督がホラー映画にユーモアを入れたとインタビューで語っています。

 

 

彼の後ろには女性の霊が現れて、道連れにしようと近づいて来ます。ここは屋上。自殺の名所。こんなとこに立つもんではないです。

 

 

(真面目かΣ(・□・;))

 

 

____

 

 

 

場面は飛びます。

 

 

砂浜で海を見ているカノン。彼女の瞳に浮かぶ蜃気楼はよく変化をします。瞬きをするたびに1人また1人と人影がコッテに向かってやってくるように映っていたり、今回は、例の動画で失踪した女子高生が浮かんでいたり。。

 

 

目を外らすのではなく、目を凝らしている様子は、やはりアメリカ映画のヒロインのようです。

 

 

カノンの真横を、一人の男子高生が「シオン」と呟きながら、ヨロヨロと歩き、海に入っていこうとする。

 

 

「おい!おいΣ(・□・;)!おーい!」

 

 

このままじゃ入水自殺。

慌てて蓮と二人で海に入り、彼を砂浜に引き戻します。

 

 

するとその男子高生が、カノンの顔を見て抱きついて来ます。

 

慌てて、蓮が「俺の彼女に何すんだ」と引き離します。

 

 

普通の映画なら何とも思わないシーンですけど、それよりも「木村拓哉さんに消されんじゃないか・・この俳優の子」と思いました。

 

 

(彼氏役の男の子なんて、今時のカップル設定なのに、手も繋がないし接触さえさせてませんもん(^_^;))

 

 

彼もカノン同様、海の向こうの蜃気楼に、女子高生が見えていました。

 

その女子高生は、行方不明中のシオン。彼・将太の恋人だったのです。

 

 

将太は冷静さを取り戻し、間違えた事情を説明するのです。

 

 

 

 

男子高生に連れられて、行方不明中のシオンの実家に出向くと、そこにいたのは出張に行くと言って出かけた父親。そして、死んだと聞かされていた母親でした。

 

彼女は過去を知らされます。自分には双子の妹がいる。行方不明になった女子高生は双子の妹シオンで、カノン自身も幼少期はこの地で育ったこと。しかし何らかの経緯で、その記憶を喪失していたことを。

 

 

記憶の鍵を差し込むと、扉の向こうには恐怖の世界が待っている。

 

 

 

__________

 

 

 

中盤辺りまでを書きました。

 

 

立ち上がりこそイマイチに感じたものですが、展開を追うごとに俳優の演技に抑揚感が出てきたり、物語の面白みが顕著に現れます。

 

 

Kōki,さんの演技は、初めてとは思えない、と他の人のコメントで読みましたが、私からすれば十二分に初めての演技に観えました。一人の演技の際は割と自然なのですが、「相手」がいる時は棒読みだったり、表情が硬かったりして。

 

 

お母様に似たネットリとした喋り方に、お父様に似たお顔立ちと肌の色。左右の眉毛が上下に動く様子は工藤静香さんっぽいなと思いました。

 

さらに失礼ではありますが、これは特徴でもあると思います。

 

おでこにシワが多く、眉間には縦の三本じわが出来ます(4本の時もある)。

 

 

この「タテ3本の皺」はアンガールズの田中さんの自虐ギャグの1つであるWi-Fiのマークや、「携帯の電波」📶を連想しました。

 

シワの多い女優さんは日本であまり思い浮かばないのですが、やはり海外向きなのでしょうね。

 

インターナショナルスクールのご出身との経歴を読んで納得することもあります。

幼少期から英語を喋って成長したぶん、一般的な日本人とは違うネイティブな表情筋が作られ、皮膚が柔らかくなるのだと思います。

 

 

また、映画を前後半で分けた場合に、演技の成長が見て取れます。若手の方には割とよくある現象ですが、Kōki,さんの場合は、前後半でまるで別の人?と思うほど、後半は表情が豊かになっているから感心しました。

 

 

前半は横顔が松嶋菜々子さんのように見えました。

後半は目を見開く演技が多かったので、また違った印象に感じましたし、撮影の順番は分かりませんけど、スンとした顔よりも、笑った顔の方が「あどけなさ」を感じるので印象良く微笑ましいです。私的には後者の表情の方が断然好きです。

 

 

他の男優二人も、若手らしい青春ぽい絵でした。主演女優のお姫様に華を持たせるW助演の位置が板についていました。

 

 

だがしかしです。ホラー映画なので「動き」があるシーンはそこまで演技面は気になりませんが、止まるシーンだと・・劇中の「駅のホーム」での会話のシーンがそれに当たりますが、退屈な舞台を見ているような感じがして、つまらない演技でした。

 

 

 

 

そうは書きますが、10年20年前の日本人男優のレベルも似たようなものでした。

ここから伸び代のある俳優は垢抜けていくし、進化していくのでしょう。

 

 

そして、ホラー映画は女優が主役です。

 

 

10年・20年ほど前の日本のホラー映画は、若手女優の登竜門とも呼ばれていたので、そこまで演技力は求められませんでした。今見ても黒歴史のような演技をしている女優がたくさんいます。だけれど今の時代は違います。ホラー映画でも演技力を求められているような気がします。

 

 

そういう意味では、両脇の男優も、主演のキムコーさんも、演技力としては特に気にならずに観ていられます。

 

 

富山編で出会う双子の妹の彼氏役を演じる男優の【高橋文哉】さんは、前髪が目深まで伸びていて、私なんか「前髪うっとしい」だとか「前髪、分けるか切るかしなよ」と心の中で思いましたが、スマした目の表情などから【吉沢亮】さんみたいな雰囲気があるので、今後跳ねそうな予感がします。

 

 

ただ彼。歩き方がカクカクしていて、カメラを意識し過ぎていて変です。

 

 

お尻を残して、上半身前かがみで足を前に出し歩いているので、例えば、進化論の猿人と人類の間みたいな歩き方になっています。

そこは今後、修正してほしいですね。

 

 

カメラの前で「ただ歩く」だけのシーンって、本当に難しいのです。それこそ、緊張すると右手と右足が一緒に出たりなんて、緊張の度合いが体の姿勢に現れるもの(^_^;)

 

 

Kōki,さんもモデル歩きをしているのと、走り方が男前です。

 

やはり「普通(普段・自然体)」を演じるのが一番難しいのでしょう。

 

 

____

 

 

 

ホラー映画は観客を飽きさせない為にスピード重視の展開となるので、他のジャンルよりも状況説明の不足だったり、「んっ?」と思わず首を捻りたくなるような疑問点が多くなります。

 

 

特に清水崇監督作品は、いい意味でも悪い意味でも、そうなる頻度が多い気がします。

 

 

ここで指摘するの部分は、現実的な疑問点なので、ホラー映画を語るには適していないと思います。ご了承ください。

 

 

まずは父子家庭の娘が、親への連絡なしに同級生の男子と夜行バスに乗って泊まりの旅行をする、という不良行為。私の疑問の大半は、ここ(未成年カップル)の配慮に欠けた説明不足に集中します。ここは父親の感情も表して欲しかったですね。のちの展開で富山の実家で再会した時に、横にいるのは娘の彼氏です、父親はそれよりも他のことで頭が一杯になってはいるのですが、反応の行方が1つだけだったのが気になりました。

 

 

高校生カップルが富山県に旅行。夜はどうするんだろう?と心配になりましたが、同い年の将太を登場させたことで、カノンは実家で、彼氏の蓮は、将太の家に泊まる流れの説明が1場面でなされています。

 

 

とりあえず良かったです。彼の両親は息子の旅立ちに心配しているだろうな。。書き置きとか残したのだろうか。

 

 

 

 

 

あとは肝試し動画で行方不明になったライブ動画を視聴している人は多いけれど、その視聴者が実際に警察に通報したり、興味本位でもいいから撮影場所を訪れたりしなかったのか?という疑問もあります。

 

 

主人公たちの都合で映画を進行するのがセオリーですが、心霊スポットで幽霊以外に普通に生身の人間と遭遇する方が、私としては観客が驚くポイントになるのではないかと思います。「うわ誰だ!」「お前こそ誰だ!」みたいな感じで(笑)

 

 

坪野鉱泉で1人が消息不明となり、動画撮影者も命を落としたという状況に、テレビは何も報道しないのかな?

 

 

映画での進行状況を視るに、動画撮影の後から、主人公の近辺で怪奇現象が起こりますから、被害者が動画をLIVE撮影してから主人公が現場に行くまでは、おそらく数日しか時間が経過していないと思います。

 

 

にも関わらず、現場に着くと、警察の捜査も終わっていて、普段の人気のない心霊スポットに戻っています。

 

 

警察も規制線を貼るだけではなく、事件発生から数日しか経っていないのなら、現場に捜査中の警察官を用意するだけでも、印象の質が違うと思うし、新聞記事やニュースだったり、もっと分かりやすい風景があったら、映画もリアリティも増すんだけどな。

 

 

そこの部分は雑と言いますか・・『リング』の中田秀夫監督とは違うところですね。

 

 

他には。将太が恋人の姿を蜃気楼で見て海の中に入っていくシーンですが、それを描くならば将太の視点がどう見えているのかを説明しなければ、分かりにくいですし、海辺のシーンも、駅のシーンも、「どうしてそこにいるのか」の経緯が前後抜けています。

 

 

接触事故を機会に知り合う山崎も、まるで最初からアポイントを取っていたかのように、2人と行動を共にしたり、高校生のカップルを見守ったりするのも・・なんだかイマイチどういう縁を描きたかったのかが私には不明でした。

 

 

大人の俳優陣は、演技に主張性のないメンツで、主役に華を持たせるキャスティングなのかなと思います。

父親役を【田中直毅】さん母親役を【堀内敬子】さん。お二方とも目力があり、目で語る演技が出来る方。

 

 

相手役の俳優のセリフを、割り込むのではなく、ジッと待てる静の演者は、この映画の空気感によく似合っていました。

 

 

祖父役の【麿赤兒】さんは、『ルパンの娘』で伝説の怪盗を演じていた俳優さんだったので、親しみがあって良かったです。(麿赤兒=まろ・あかじ/大森立嗣監督・大森南朋さんの御父様。)

 

 

 

 

村の歴史や風習を語る解説も分かりやすく、語り部のおかげで十分に理解することが出来ました。

 

 

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富山湾に浮かぶ蜃気楼は、幻想的で神秘的ですが、今後この地を訪れた際、この映画のこの映像を思い浮かべそうです(^_^;)

 

 

蜃気楼に人影が浮かび上がり、それが目の前に近づいてくる映像は、映像というよりも心理的に怖いですし、『リング』の伊豆大島で「亡魂がくる」と云う映像と重なり、クオリティが高かったです。

 

 

海の向こうから亡霊がやってくる、の「海の向こうから」にしたのには、何か意図があってなのかな?と考えましたが、正直私にはよく分かりませんが、きっと理由があって描いているのでしょう。

 

 

日本ホラー映画は投稿数の割に自分はよく書きます。

 

 

 

 

 

 

 

『のぞきめ』の際に日本の集落の風習についてを書きましたが、民俗学というものに私は興味があります。

ダムに沈んだ村だったり、祟りを鎮めるための生贄だったり、その地の住人が何世紀も守って来た風習だったり・・描写的には恐ろしいけれど、日本という国は神道の世界だから、それらを考えるとなんとなく意味がある気がするのです。

 

 

この映画も、まさに「集落に培われる風習」が背景にあるのですが、伏線回収の部分になるため多くは語りません。

 

 

ただ、双子というキーワードが出て来て、それを昔の日本(田舎)で考えれば、ある程度、推理が出来たし、それが繋がった映像は見応えがありました。

 

 

「何かがおかしい?」という違和感の繰り返しが、ホラー映画の描写になります。

近年の清水崇作品はエンタメ性もあるので、アメリカ映画のように間違え探しみたいに、悲しいバケモノ(生き霊含む)を忍ばせたりしますが、根底にあるテーマは大変に面白いと思います。

 

 

まずは今作品、キムコーさんの女優デビュー作という宣伝が一番に来ますが、思いの外演技派なので驚きました。

前半は硬さが見られましたが、感情を爆発させる中盤以降は、開放的な表情でとても良かったです。

 

 

今後はお父様のように、脇を固める俳優に演技派が並ぶと思いますし、しばらくは色眼鏡で見られるのでしょうけど、強い可能性を感じます。

 

 

前半部分は霊の登場が多く、「驚かし」も多く展開されますが、中盤以降は伏線を回収する脚本を楽しめると思うので、驚かしよりもネタバラシに重きを置いている映画でした。怖がりの方も鑑賞しやすいと思います。

 

 

都市伝説に奇々怪界。ハリウッドだと、カルト映画になったり、アドベンチャー映画になりがち。

 

 

自分の知る限り、この組み合わせをしてホラー映画で成功出来ているのは日本だけなので、今後はこのジャンルの新鋭の登場にも期待したいですね。

 

 

日本のことわざに、「三つ子の魂百まで」があります。

3歳頃までに人格や性格が形成されて、それは100歳になっても変わらないという意味ですね。

 

 

この映画の中で「昔は双子を忌み子と呼んで嫌っていた」とあります。双子は不吉と考えられていたとのこと。

6歳までは神の子で、それ以降は人間の子、という日本古来の考え方も紹介されます。

 

 

「三つ子の魂百まで」というコトワザから、双子を考えたり、人格形成を考えたりするなど、色々と自分の興味に収穫がある映画でした。

 

 

私の祖母の時代も、障害を持った方を家から出さないように閉じ込めていたり、そういう話をよく聞きました。

 

 

今の時代はそういう描写は全て差別の対象となってしまいますし、この映画でもエンドクレジットで時代背景によるものと説明が書かれていましたが、その時代を丁寧に描くのが許されない時代になるのは、映像業界にとってマイナスだと私は思っています。

 

 

東映のシンボルである岩に打ち付ける荒波。そこに血吹雪がピシャ。

 

 

ハリウッド映画でも、20世紀フォックスのドラム音、ディズニーのシンデレラ城もそうですし、伝統的なオープニングのロゴ画面に、各作品の主張を加える近年の演出が、個人的に大好物です。

 

 

実際の「曰くの名所」をテーマに描かれるシリーズ計3作品。

『犬鳴村』『樹海村』そして『牛首村』。

 

 

怖がらせるだけではなく、考えさせられるドラマもあったので、内容は3作の中で一番濃かったと思います。

 

 

牛の頭のお地蔵様がある、そう映画の中で説明がなされていましたが、タイトルが「牛」なので、丑の刻だったり、もう少しタイトルに捻りや関連性があっても良かったのかな、とは少し思いますが、それは4作・5作とシリーズのクオリティが上がっていく中で期待していきたいと思います。

 

 

その地の「地名の由来」を辿っていくのは、日本ミステリー探検みたいで面白いです。

 

 

下に貼らせていただく予告編を見て、ピンと来られた方は、映画館にラン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

脚本 13点

演技 13点

構成 13点

展開 14点

完成度13点

 

 

[66]点

 

 

 

【mAb】

 

 

 

『あの日に逃げたニワトリ』

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福島第一原発がある福島県の双葉町を自分の田舎だと思っています。

 

 

正確に伝えると、父親の兄である伯父の奥様が双葉町出身で、伯父はそこで所帯を構えました。

 

 

なので「従兄弟の実家」であって、僕の故郷が福島というわけではないのですが・・

 

 

両親とも東京生まれで、山も畑も田んぼも無い建物ばかりの下町で昭和平成と育った自分にとっては、毎年の夏休みに10日間ほど滞在していた双葉町は、唯一、田舎と呼べる場所です。

 

 

従兄弟と僕とは10個ほど年の差があって、小学生の時はすでに家を出ていた為、夏の滞在中は従兄弟のベッドで寝泊まりをし、家の中はオジ・オバ・甥(僕)という構成でした。

 

 

この時期になると、双葉町の風景をテレビの特集で見ます。

 

 

今はもう住めない地域になってしまいましたが、子供の頃の記憶に「日本昔話」のような風景が残っていてよかったです。

 

 

___

 

 

 

何か役に立ちたいと、その時の私は思ったのだと思います。

 

 

伯父の家の敷地に畳六条ほどの大きさの鶏小屋があって、夏の滞在中は「鶏の世話」をするのが僕の役目でした。

 

 

青い巨大ポリバケツの中に、鶏のエサがギッチリ入れてあって、それを巨大柄杓で掬い、左手で柄杓を持ったまま、小屋のカギを利き手の右手で開け、中に入る。

 

 

エサの匂いに誘われて扉の入り口に寄ってきたニワトリが逃げないように、中に入るとすぐに内側の鍵を締める。

 

 

長方形の長細いエサ入れにザーッとエサを撒き、食事に夢中のニワトリの隙をついて、産みたての卵を回収する。

 

 

数十分後の朝ご飯で、さっき自分が取ってきた卵をご飯にかけて、「なんでこんなに美味しいんだ・・」と何度思ったことだろう。

 

 

 

多分。今も昔もニワトリを一般飼育している家庭では日本全国・日常の行動なのだと思いますが、僕にとってはとても貴重な体験でした。

 

 

夏休みの宿題の作文日記にニワトリの話を書き、表彰されたことがあります。

 

 

詳しくは覚えていませんが、「ニワトリは懐かない」みたいな内容を書きました。

 

 

例えば、

犬や他の動物のように、飼い主の顔をジーッと見る愛嬌は、ニワトリにはない気がします。

 

 

エサをあげる時だって、エサしか見てない気がします^^;

 

 

東京の下町にはハトが沢山いますが、ハトは結構、エサをあげる人のことを見てきます。

 

 

叔父さんは、当時住んでいた双葉の家で、鯉と犬を飼い、ニワトリを飼育していました。

 

 

「僕の夏休み」は、鯉の餌やり、犬の散歩、そしてニワトリの餌やりと卵回収をお手伝いしました。

 

 

ワンコは毎夏「久しぶり!」と言って尻尾を振ってくれました。

 

鯉も、エサをくれるなら誰でもいい!ってくらいに懐いていました。

 

 

だけどニワトリは、なんだか毎回、我関せずみたいな表情をしている気がしました。

 

 

飼い主でもあるまいし、1年に1度来るだけの少年に対して、

 

 

「3歩歩けば忘れる」とされるニワトリは・・僕の顔を覚えているのかなぁ?

 

 

___

 

 

 

訪問介護の仕事をしていたオバが、「困ったなぁ」と言っています。

 

 

「どうしたの、おばちゃん?」

 

 

聞くと、急な仕事でこれから行かなければならない・・と。

 

 

オバが仕事のときは、お留守番をしたり、隣の子供と山や川で遊ぶのが好きだったので、特に問題はありません。

それに、隣の家の子供は同い年の男の子で、東京から来た僕に色々と自然の遊びを教えてくれました。

 

 

その子が「東京では何が流行っているの?」と毎夏興味津々に聞いてくるのも新鮮だったなぁ。

今だったらスマホで知れるし、ショッピングモールもあるけど、口で伝える情報は心に残るものでしたね。

 

 

 

「急な仕事でこれから行かなくちゃいけないけど・・◯◯さんの家からニワトリを1羽頂くことになっているのよね。」

 

 

「じゃあ。僕が代わりに行くよ。」

 

「えっ?大丈夫?」

 

「大丈夫、大丈夫。任せて!」

 

 

どういうやりとりでニワトリを譲り受けることになったのか?

 

今となっては、よく当時の事情を覚えていないのですが、僕は結果的に失敗してしまいます。

 

 

オバは「頼んだよ」と言い、車を発信させます。よほど急を要していたのでしょう。

 

 

 

直線距離で100メートルほど、1軒1軒の間隔が離れていたので、たしか3軒先のお宅だったかな。

 

 

僕はピンポンして「使いのものです」と伝えます。

 

 

電話してから仕事に行ったのでしょう、「話は聞いているわ」と、そのお宅の鶏小屋へ。

 

 

「マブぐん東京からよぐぎだねぇ」

 

早口な福島県浜通り地方の訛りも、難なく聞き取れるようになっている僕。

 

 

多分、もうしばらく滞在したら、福島弁が移ったのかも知れません。

 

結婚して福島に移り住んだ伯父も、移住20年程で相当訛っていましたからね。

 

 

 

そのお宅からニワトリを1羽、譲り受けます。

 

 

そのオバ様がニワトリの両翼をグワッと掴んで「はい、どうぞ」と僕に差し出しました。

 

 

この時の僕は、ニワトリを入れるカゴがあると思い込んでいました。

 

なので「えっ、直接なの?」と心の中で抵抗します。

 

ニワトリの餌やりはしていたけれど、ニワトリを持ったことはありません。

 

 

子供心にビビっちゃ駄目だ、ビビったらカッコ悪いと思って、「はい、どうぞ」と差し出されたニワトリを受け取りました。

 

 

今考えると、子犬を抱くように包み込めばよかったのですが・・

 

 

トーシロな僕は、ニワトリを右手と左手で持ち上げ、両腕を伸ばした状態で、家に向けて歩き出します。

 

 

体の可動域に自由があるニワトリは足や羽をバタつかせ、「コケッ!コケ!」とクチバシを動かして威嚇する。

 

 

至近距離でニワトリが大暴れ。首を回し手首を突いてくる。

 

 

絶対に離すもんか!と意気込んでいた僕でしたが、時すでに遅し。

 

まるで波打ち際で恋人に波をかける両手のように、手のひらを空へと仰ぎました。

 

 

空を飛べないニワトリはバサバサと羽をバタつかせながら着地し、あっという間に田んぼの稲穂の中を走って消えていきました。

 

 

茫然自失。その言葉の意味を小学生で知るとは(^_^;)

 

 

しばらく呆然としたあと、直ぐにどうしよう どうしよう・・と頭を抱えます。

 

 

ニワトリを譲り受け、その数分後にニワトリが逃走した。最悪です。

 

 

なんでも「出来る」という子供でした。そんな自信が裏目に出た時に、身の程を知ります。

 

 

責任感なのか達成感なのか、オバから「すごいね」と言われたかったのか、よく分かりませんけど・・

 

 

とにかく、格好をつけて任せてもらったオバの頼みに失敗して・・

 

 

あと、動物(生き物)を逃した、ということは、とても重罪な気がしました。

 

 

真っ昼間なのに、途方に暮れます。頭の中に「夕焼け小焼け」が流れている切なさ。

 

 

「おーい。ニワトリくん・・」

 

 

いるはずも、いたとしても捕まえられるはずもないのに、近くの畑や田圃を捜したり、

 

 

先程のお宅に戻り「逃しました」と事情を告白する勇気もなく。

 

 

 

例えば、四つ葉のクローバーを探すぐらい根気がいって・・ただただアテもなく、オバが車で帰ってくる時間まで過ごしました。

 

 

ヒクヒクと涙を流す僕を心配したオバは、車から降りて開口一番「どうしたの?」

 

 

 

「ニワトリが・・逃げたぁ・・」

 

 

 

まるで野比のび太くんが泣きながら「ドラえもん」を呼ぶ時の顔みたい。

 

 

そのフレーズが面白かったのか、オバは微笑んで優しかったです。

 

 

それから毎夏ニワトリ小屋に入るときは、必要以上に気をつけてお手伝いをしました。

 

 

まさか僕が今でも、そのことを忘れられないとは、叔父夫婦は思っていないでしょうね。

 

 

 

____

 

 

 

高校生の時に、ビデオレンタルショップで『ロッキー』を借りて観て、

 

 

ロッキーのトレーニング方法にニワトリを捕まえるという描写があったときは・・小学四年生の「あの夏のワンシーン」を思い出しました(笑)

 

 

 

 

嗚呼そうか・・ニワトリはこうやって持てば逃げないのか・・

 

 

 

 

ミッキーみたいに喉首と足首を抱えて持つのか・・もっと早くこの映画を見ていれば良かったな。

 

 

体の弱かった幼少期。都会の喧騒と排気ガスから離れた夏休みの二週間。

福島の太平洋。緑豊かで長閑な空気を吸いながら、夏のモクモクとした大きな雲を見て、綿あめみたいだと、想像力を鍛えたものです。

 

 

あの日はもちろん忘れませんし、あの町ももちろん忘れません。

 

 

 

2022年3月11日

 

 

 

【mAb】

 

 

 


THE映画評論『The Duke』

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『ゴヤの名画と優しい泥棒』

 

 

 

 

 

2月25日の全国公開。

公開3週目となりますが、渋めの出演者ゆえ、すでに上映終了となっているシネコンもあるかと思います。映画鑑賞の参考になさってくださる読者の方、ご了承下さいませm(_ _)m

 

 

ミニシアター系の作品らしく日本題名も説明的になっている印象を覚えます。

 

原題は『The Duke』。Dukeは日本語で「公爵」を意味する英単語です。

 

 

 日本題名は『ゴヤの名画と優しい泥棒』

 

 

まぁ・・そのまま『ザ・デューク』だと、サスペンス映画やアクション映画のタイトルみたいで、ポップなタイトルではないからヒットしないでしょうね。

 

 

『デューク更家』だったらポップな感じがしますけど。。。

 

 

 

 

ゴヤの名画『ウェリントン公爵』を英国ナショナル・ギャラリー美術館から盗んだ老人。

 

 

日本の題名は、ゴヤとかゴッホとかピカソなど、美術史に対して詳しくない人でも「聞いたことがある!」という人物名をつけがち説。

 

 

物語・展開は割と単純で、ヨーロッパ映画らしい古き良きの建物が背景にある映画でした。

 

 

個人的な話です。

 

 

ここ数年は、以前のように「TOHOシネコンで上映している外国語映画は全て見る」というPolicyがなくなり、鑑賞する作品を厳選するという姿勢になりました。

 

 

監督や俳優を決め手として選ぶのが基本ですが、以前と大きく違うのが「その時の気分」で選ぶようになったことです。本当・・個人的な話ですね(^_^;)

 

 

この作品を観る前に、同時間帯に上映する未鑑賞作品の候補がありました。

 

 

タイトルを挙げますと、『ナイル川殺人事件』『シラノ』そして今作品『ゴヤの名画と優しい泥棒』の3作品。

 

 

ナイル・・は前作の『オリエント急行殺人事件』が自分的にハマらなかったので、今回はいいかなと。シラノは中世のフランスが舞台なのと、ブログを書く前提で考えた時に、書きづらくなるだろうと予想。それで消去法になりましたが今作を選びました。上記2作品は鑑賞無・記事無になります。

 

 

何より上映時間が「90分台」なのがいいですね。

上記2作品は2時間(120分)を超えますし、最近は殆どの新作が2時間越えで、作品の良し悪しは別にして、上映時間を聞いただけで、しんどくなります。

 

 

(日本映画史上初めてアカデミー賞にノミネートした『ドライブ・マイ・カー』も上映時間が3時間以上(本編179分)あると知り、それだけの理由で鑑賞しませんでした。)

 

 

(公開初週の『ザ・バッドマン』も予告と合わせて3時間を超える上映時間となるので、場合によっては映画館で観ないかも知れません。以前の私を考えれば大事件。)

 

 

(長くても140分くらいまでの上映時間が私の限界です。)

 

 

だけれど、時間が短いは短いで経験上、信用出来ないのも有ります。

90分台のドラマだと、削ぎ落としが多いのか、それとも纏まりがいいのか、どちらかです。

 

 

では始めます。楽しい映画の時間です。

 

 

_____

 

 

 

 

 

 

 

1961年 イングランド 

 

 

スペイン最大の画家と称される【フランシスコ・デ・ゴヤ】[1746−1828]の名画『ウェリントン公爵』が、ロンドン屈指の美術館ナショナル・ギャラリーに展示され、「公爵来英」のニュースがイギリス中の話題をさらっていた。

 

 

 

 

(ウェリントン公爵は、ナポレオン戦争の英雄アーサー・ウェズリーが1814年に叙されたのに始まるイギリス諸島の公爵位。連合王国貴族の中では筆頭となる爵位。)

 

 

 

 

 

イングランド北東部の工業都市ニューカッスル・アポン・タイン(以下ニューカッスル)

 

 

タクシー運転手として働くケンプトンは小説家志望。60歳の高齢者。

 

 

公共放送であるBBCに対して「社会的弱者となる老人」は受信料無料にするよう活動をしていた。

 

 

 

 

その活動に信念を注ぐケンプトンは、BBCの受信許可料の支払いを拒否した罪や社会活動で刑務所に入れられる。

 

逮捕された罪状が新聞に載るなど、周囲から「変わり者」だと敬遠され笑われる、ある方面では地元の有名人。

 

 

 

 

ケンプトンはとにかくよく喋る男だ。しかし本人は楽しくても、周りからすれば愉快な男ではない。

 

話す内容が、とにかくつまらない。その自覚もない。

 

運転中のタクシーでも、お客相手に一人で喋り続けることでクレームが相次ぎ、ある日、会社からクビを宣告される。

 

 

そんな彼はニューカッスルの小さなアパートで妻と息子と暮らしている。

 

 

妻のドロシーは中流家庭でハウスメイドをしながら、夢想家で稼ぎの少ない夫と一家の生活費を支えているが、夫を愛しているため不幸せではない。

 

 

 

 

夫婦は娘のマリアンを交通事故で亡くして以来、心に深い傷を負い、暗い影を落としていた。

 

 

___

 

 

 

ある夜。ロンドンのナショナル・ギャラリー美術館にトイレの窓から侵入し、ゴヤの名画を持ち去ったケンプトン。

 

 

自宅の洋服ダンスの奥に保管するウェリントン公爵絵画。その事実を唯一知るのは息子のジャッキーだけ。

 

 

 

 

ケンプトンとジャッキーは父子で秘密を共有し、その後も協力して隠し続ける。

 

 

ロンドンのトラファルガー広場。ナショナル・ギャラリー(国立美術館)から、話題のゴヤの名画が盗まれたというニュースが、国中の話題をさらう。

 

 

___

 

 

 

「絵画を返して欲しければ、年金受給者はBBCテレビの受信料を無料にせよ」

 

 

脅迫状を送ったケンプトン。

 

 

ロンドン警視庁は専門家に依頼して脅迫状を分析するが、この脅迫状は犯人とは関係のない賞金目当ての人物による仕業だと結論付け、犯人像を「プロの犯罪組織」か「元特殊部隊の軍人」だと推測し捜査をする。

 

 

まさかロンドン市内の小さなアパートに住む高齢者が盗んだとは微塵も思っていない。

 

 

ナショナル・ギャラリー美術館は、情報提供者に5000ポンドの賞金を出すと市民に呼びかける。

 

 

(1960年代当時の固定相場。1ポンド=1008円。1ドル=360円)

 

 

劇作家志望のケンプトンは、性格が災いし、それまで何をしても上手くいかない。

 

 

タクシー運転手をクビになり、新しく始めたパン工場のバイトも、人種差別を行う上司に意見を言いクビに。

 

 

受信料を払えと、自宅にやってくるBBC職員とも度々トラブルを起こしている。

 

 

彼には劇作家として成功し家族を養いたいという目標と共に、貫き通したい信念があった。

 

 

そんな中。妻のドロシーに、ゴヤの名画を盗んだ犯人が自分であることを知られてしまうのだった。

 

 

 

監督🎬

【ロジャー・ミッシェル】

 

 

 

ケンプトン・バントン

【ジム・ブロードベント】👑

 

 

妻ドロシー

【ヘレン・ミレン】👑

 

 

息子ジャッキー

【ファイオン・ホワイトヘッド】

 

 

グロウリング夫人

【アンナ・マックスウェル・マーティン】

 

 

息子ケニー

【ジャック・バンデイラ】

 

アイリーン

【エイミー・ケリー】

 

 

 

配給[ハピネットファントム・スタジオ]

 

本編[1時間35分]

 

 

 

 

____

 

 

 

ケンプトン・バントン氏というお名前を私は初めて耳にしました。

 

 

トントントントンヒノノニトン・・

 

 

英国では、時代を変えた有名人の方のようです。

 

 

工業都市ニューカッスル。

 

英語表記はお城を意味する「Castle」。アメリカでの発音はニューキャッスル。

フットボールのプレミアリーグがお好きな方にはチーム名としても有名な地名ですね。

 

 

1960年代に入った辺りに実際に起きたお話です。

アパート暮らしの一般市民バントン氏は60歳の年金受給者。

 

 

年金受給者にはテレビ(BBC放送局)の受信料を無料に!!という運動を精力的にされている活動家。

 

賛同者は映画を観るにおらず、署名を求めれば後ろ指をさされて、殆ど集まりません。

 

 

劇中は息子のジャッキーにプラカードを持たせて、基本2人で活動していました。

 

 

『FREE TV FOR THE OAP』

 

OAP(老齢年金受給者)。公共放送料金をタダにしろ。

 

 

息子(家族)がいなければ「独りぼっちで活動している老人」という寂しい絵になるのでしょうから、息子の存在が視聴者の安心となることでしょう。

 

 

ルールはルール。受信料を払って下さい。と自宅に集金にくる訪問調査員にも、あの手この手の言い訳で凌ぎ、挙句の果てに逮捕される。受信料未払い・無料運動の老人活動家バントン逮捕のニュース。

 

 

彼は老人たちのために社会運動をしているのですが、その真意が中々伝わらず、町の人達からは「関わってはいけない人」だと粗側鎖邪険にされています。

 

 

それで(中途省略)ロンドンの国立美術館から世界的絵画を盗んで、「返してほしければ受信料を無料にしろ!」と警察に脅迫状を送るんですからね。ある意味、どこまで純粋なんだ!と思いますよ。

 

 

とりあえず実際問題。そういう運動をされている人には、言い分がある筈なので、怖がらずに話をちゃんと聞いたほうが良さそうだと思いました(^_^;)

 

 

映画を視ていて問題なのは、そんなウン十億円の価値もあるような名画を、一般市民が忍び込んで盗むことが出来てしまった国立美術館のセキュリティーの低さだと思います。

 

 

劇中中盤に行う実験では、逮捕後の裁判で、実際に絵画に包んで町中を歩いてみると、誰も気にしないという結果になりました。

コソコソするより堂々としている方が怪しくない。誰も中身がウン十億もの絵画であるとは思わない。

 

 

この人間心理はある意味では納得します。しかし、盗んだ後の行動よりも、侵入して盗み出すほうが大変なのでは?と映画を視ていて疑問に思いました。そこの部分はもう少し具体的に描いてほしかったです。

 

 

おおもとにあるのは「テレビ(公共放送)の無料化」に向けての社会活動。ゴヤの名画を盗んだのは「弾み」の行動のように描いています。

 

 

ここで参考程度の豆知識を。

 

 

日本では60歳を「還暦」という言葉で祝いますが、これは日本特有の文化で、英語圏では還暦という考え方はありません。

 

 

なので主人公のバントン氏を「還暦のおじいさん」と考えるのは日本人だけで、批評を書く身としては何だか違う気がして、還暦=日本独特の空気感みたいな労りが発生すると思います。

 

 

そして「昔の60歳」と「今の60歳」では、世間の見方もだいぶ違うと思います。

 

もっと気楽に観ればいいのになぁ・・と客観的に思ってしまう私の見方(^_^;)

 

 

 

 

続いてバントン氏の家族構成です。

妻と3人の子供がいて、一人娘を事故で亡くした喪失感の中で生きています。

 

 

バントン氏はとにかく「一人で喋り続けるような男性」で、喋りすぎておまけに話がつまらないという客のクレームで、タクシーの運転手をクビになるオチ。喋りすぎて面白いなら人気者ですが、喋りすぎてウルサイなら嫌われ者・・皮肉な話です(^_^;)

 

 

(だけれど、じっくり話を聞くと「意味のあること」を喋っていると人は知ります。中盤からの裁判シーンでは、彼の「主張」や「考え方・捉え方」を傍聴者が真剣に聴くことになるので、要は「孤独防止」には「話し相手」が必要になるのだと、私なりに映画のメッセージを解釈しました。)

 

 

劇作家を志していますがシナリオコンクールは落選が続きます。職はコロコロ変わり60歳フリーターという感じですかね。

 

 

そんな「オシャベリな夢想家」を支える妻のドロシーは、経済的にも一家の大黒柱です。

お金持ちのお宅で専属のハウスメイドとして働き、家族の中で唯一、安定して給料を家庭に入れる存在。

 

 

構成的には、駄目な夫としっかり者の妻、という王道路線の描き方です。

 

 

活動に対しても、収入に対しても、作家になるという夢に関しても、それに対してヤイヤイ言ったりせず、いい意味で放っておいてくれるので、夢想家の男性にしては理想的な女性でしょう。

 

 

ドロシーは日中は働き、家に帰れば夫と息子に尽くすという女性。

中盤からお終いまで徐々に存在感が増していくキャラクターでした。

 

 

 

 

子供を失った親。突然の事故だったそうです。

相当な喪失感の筈ですが、男性とは違い、母親であるドロシーは娘のお墓参りには頑なに行きません。

今回、夫婦役を演じるのは英国を代表する俳優になるので、安定して描写を追いました。

 

 

____

 

 

 

2人の息子は父親譲りか、良い奴なんだけれど・・ちょっと変な奴です。

 

 

もっとぶっ飛んでいるキャラクターに上げても成立する作風だと思いますが、実話ベースとなるのでキャスティングの段階で、実在した人物と俳優との特徴を合わせているのでしょう。

 

 

同居をしている息子ジャッキーは、冒頭から父親の活動を手伝っていて、造船所でバイトをする心優しい青年。

交際している女性ともいい感じで、頑固で信念を曲げない父親に文句も言わずに付き合う、協力者ジャッキーが好印象でした。

 

 

 

 

演じる【フィン・ホワイトヘッド】[24]はクリストファー・ノーランの戦争映画『ダンケルク』で映画デビューを果たした今後の活躍が期待される英国男優。末っ子基質のようなキャラクターのジャッキー役がハマっていました。

 

 

父親の活動を手伝うジャッキーとは対象的に、フラフラしている兄弟ケニーは、家に帰ってきたり帰ってこなかったり、映画の中でも、いたりいなかったりするキャラでした。なので俳優の印象としてはあまり残っていません。

 

 

印象に残っているのは、彼が付き合う女性のタイプ。既婚女性と交際するというフェチです。

 

 

自宅に既婚の彼女を連れてきて、バントン家で生活を共にしたりするので、やはり変な奴です(^_^;)

 

 

その連れてきた彼女は、彼氏の実家の食卓でタバコを吸ったり、勝手に他の部屋に入ったり、日本人の私としては考えられない馴れ馴れしさ・図々しさなのですが、絵画を盗んだ犯人がバントン氏であると分かると、分け前の話を出して取引してくるから、映画の中では唯一、嫌われ者で「動き」がある「第三者」のキャラクターになる。多分、彼女がいなければ、抑揚のない映画になっていたから◯。

 

 

___

 

 

 

内情を知らなければ、なんて頑固なおじさんなんだ、と思うのですが、内情を知れば、親しみの持てるおじさんに。

 

 

お年寄りの楽しみはテレビを見ること。当時のイギリスは殆どの高齢者にとってテレビは友達でした。

 

 

第二次世界大戦後のイギリスは「ゆりかごから墓場まで」という労働党が掲げたスローガンが有名です。

 

 

裕福と貧困の差が極端にあり、年金受給者の生活は、年金だけでは厳しい。

 

 

家にいる時間くらいは「ゆとり」を感じたい。それがテレビ視聴となる。

劇中で、私のような老人はテレビこそ社会と通じるツールであると紹介されます。

 

 

彼が「公共放送を無料にしろ!」と運動していることは、ないものねだりではなく現実的欲求だと思います。

 

 

年齢的にも半人前の私が英国をイメージすると、湖畔地方の自然だったり、薔薇などの花を育てる・・なんというか外国の「老後の生活」の有り方を想像するんですね。

 

 

だけど現実はそんなに甘くなくて、贅沢もなければ、多くの人が声を上げられずに我慢して日銭を稼いでいる現状がある。

 

 

その背景には、イギリスの社会福祉制度だったり、不平等であったり、矛盾があって。漠然と伝えると「幸せとは?」「普通とは何か?」などもテーマに感じました。90分という短い上映時間のなかで、鑑賞後に検索させてくれる宿題を多く残してくれる作品です。

 

 

 

 

 

____

 

 

 

上映時間も短いですし、私の文字量も省エネにします(笑)

 

 

(SDGsのマイ項目に「文章は短く分かりやすく」って加えよう。それでも長いぞΣ(゚Д゚))

 

 

最後に出演者をご紹介して終わります。

 

 

今作は英国を代表する2名の大御所俳優が夫婦役を演じています。

 

 

特に『クイーン』でアカデミー賞主演女優賞を受賞したオスカー女優の【ヘレン・ミレン】[76]が、妻役で出演しているのも魅力的でした。御年76になられた今も精力的に映画女優業を続けられ、今後も出演作が続々と日本で上映されることでしょう。

 

 

 

 

度の強いメガネを掛けると、『ハリーポッター』のシビル先生を演じたエマ・トンプソンに感じが似ているなぁと思ったり・・英国女優ってどこか容姿や雰囲気が似ているように私は感じるのです。

 

 

私にとってヘレン・ミレンは、柔らかい表情のお婆様というよりは、女性の女の部分も現役で出しているマダムで、キッと鋭い瞳をする繊細な女優のイメージです。

 

 

今作品で、我が道を行く夢想家の夫を文句も言わずに愛しながら、自身がハウスメイドで稼いだ給料が一家の生活費の殆どを占める英国婦人ドロシーを演じています。

 

 

ヘレン・ミレンは、例えば、旦那に「今日も頑張って稼いできなさいよ!」とお尻を叩いて送り出す姉さん女房みたいな妻のキャラクターの方が似合うと私は思うので、夢想家の夫に尽くしながらも、冷たくあしらうSっ気のある今役は理想的でした。

 

 

 

主人公ケンプトン・バントンを演じるのは、こちらもオスカー俳優の【ジム・ブロードベント】[72]。

 

 

助演男優賞を受賞した2001年の『アイリス』は、丁度、私が洋画を映画館で観始めた年のアカデミー賞になるので、ブロードベントは映画にハマる時期に意識した俳優さんです

 

 

『ナルニア国物語』のカーク教授だったり、『ハリー・ポッター』のスラグホーン先生だったり、世界的映画には欠かせない大ベテラン。

 

 

今回は「口数の多い老人」というスタンダップコメディのような役どころでしたが、ふとした時に一息ついた「セリフの間」が秀逸。ブロードベントが俯いたとき時の肩の落とし方は引き込まれます。

 

 

バントン氏のキャラクター。

亡くなったロビン・ウイリアムズが私にとっての映画の神様なので、ロビンがこの役を演じたら似合いそうだなぁ・・なんて映画を視ていて懐かしみました。

 

 

 

俳優のご年齢はお二方とも70代で、ヘレン・ミレンは日本で言う後期高齢者の年齢。

 

 

60代の夫婦を演じていると観れば、少し老け過ぎかなとは思いますが(^_^;) 

作品が伝えたいのは「俳優の年齢」ではなく「夫婦のご年齢」。

 

 

現代は60歳でも現役でバリバリ働く人は多いですが、1960年代の価値観だと、老骨に鞭打つという見方に変わる。

 

 

人間にとって最も大事なのは「気力」だと私は思っております。

 

 

美術館から絵画を盗み、テレビで大きく報道されて、美術館は(日本円で)1500万円の懸賞金が出されると報道。

それを自宅で保管するバントン氏は、それまでの空元気とは打って変わって活気に満ちていて、それが気力になっていく様子がとてもユニークに感じました。

 

 

そして予告が大変素晴らしい出来栄えです。

予告だけでも是非ご覧になって下さいね。

予告だけ観れば100点満点!の気分になれます。

 

 

もちろん日本題名で『優しい泥棒』というくらい、「I HAVE A DREAM」の言葉のように優しい作品でしたよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

脚本 13点

演技 15点

構成 14点

展開 13点

完成度14点

 

 

[69]点

 

 

 

フォローしてね

 

 

 

【mAb】

 

 

 

 

 

THE映画評論『King Richard』

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『ドリームプラン』

 

 

 

 

日本の題名が『ドリームプラン』。英題の原題が『キング・リチャード』。

 

和題ならばともかく、カタカナに対してカタカナ文字でタイトルを変更するのは、自分としては好ましくありません。

 

 

映画タイトルを原題の英語表記に徹しておりますが、初期の頃は、このポリシーについてをよく書いていました。

 

 

外国の方と映画の話をするときに、一番困ったのがタイトルの違いです。

 

特にこうしたオスカー候補になるような話題作は、会話の話題にもなりやすいので、何度も噛み合わないことがありました。

 

その対応法として、原題と日本題を別にしています。

 

 

でもまぁ・・外国の方と話す機会が私自身は、ここ数年の間で、ほぼ無くなってしまったんですけどね(汗)念のためにどちらのタイトルも覚えておいたほうが、何かあった時の身のためだと思っています。

 

 

 

監督

【レイナルド・マーカス・グリーン】

 

 

リチャード

【ウィル・スミス】

 

 

ビーナス・ウイリアムズ

【セナイヤ・シドニー】

 

 

セリーナ・ウイリアムズ

【デミ・シングルトン】

 

 

オラシーン

【アーンジャニュー・エリス】

 

 

ポール・コーエン

【トニー・ゴールドウィン】

 

 

リック・メイシー

【ジョン・バーンサル】

 

 

 

配給

[ワーナー・ブラザーズ]

 

本編

[2時間24分]

 

 

____

 

 

物語)

 

 

【リチャード・ウイリアムズ】はテレビ画面で4万ドルの小切手を手にするテニス・プレーヤーを見て、将来自分の子供をプロテニスプレーヤーにすることを決意する。

 

テニスは白人のスポーツと暗黙の認識があるが、彼は未経験でありながら独学で教育法を研究していく。

 

 

そして「世界王者にする78ページの計画書」を書き上げ、愛称ドリームプランと名付けた計画書を遂行した彼は、後の世界女王を輩出することになる。

 

 

1990年代前半

アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郡南部コンプトン市

 

 

リチャードは、若い頃に掲げた「ドリームプラン」に向けて動いていた。

 

 

5人の娘のうち【ビーナス】と【セリーナ】の2名が、将来歴史に名を残すテニスプレーヤーになる器だと確信し、自分の人生を全て捧げ指導を行い続けていた。

 

 

 

 

妻【オラシーン】との間に生まれた娘達は、「こだわり」(信念)が強い父親の教育のもとで日々を過ごしている。

 

 

彼女たちは皆、(映画で観るに)反抗期もなく、学業も優秀で、心の優しい子供達に育っていた。

 

 

夫の夢を叶えるために、妻のオラシーンは全面協力。

 

 

日中は妻が、夜間は夫が交代で働き、子育ての隙間を開けないように努めている。

 

 

オラシーンも、リチャード同様テニス経験のないコーチだが、夫婦二人三脚で二人の娘を熱血指導する。

 

 

 

 

__

 

 

彼らの住むコンプトンは黒人が多く暮らす街。街には縄張り争いをするギャングが蔓延り治安が悪い。

 

 

練習に使用する公営テニスコートには、ギャングの若者たちが入り浸り、娘たちに声を掛けてくる。

 

 

彼らが現れたら、練習を切り上げて、車に乗り帰宅するのが、ウイリアムズ家のパターンになっていた。

 

 

 

 

(練習に参加しない姉妹達も行動を共にする)勉学に勤しむ長女のJDに、卑猥な言葉で声をかける男たち。

 

 

トラブルを避けるため、相手にしないようにしていたリチャードだったが、この日は踵を返し、ギャングのリーダー格の男を睨みつける。

 

 

「先に車に乗っていなさい」

 

 

リチャードは娘達を守るため、手を出さず、袋叩きにされる。車の中で怯える娘たち。リチャードは車内で「父さんはよく殴られるんだ」と痛々しい顔で笑った。

 

 

___

 

 

 

ビーナスとセリーナは、両親の指導下のもと伸び伸びと成長して行くが、

 

その成長をさらに伸ばし、将来ウインブルドンで勝つ選手にするためには、今の段階で「一流のプロのコーチ」を娘の指導者につけることが近道だった。

 

 

妻の進言もありコーチを捜すリチャード。しかし彼らには一流のコーチを雇うほどの資金がない。

 

 

そこで様々なプロのコーチに娘たちを売り込み、無料(無償)でレッスンをしてくれるように頼んで回った。

 

 

そんな自分に都合のいい条件はあるか!と鼻で笑われ、門前払いを受け続けるが、リチャードは確信している。娘のプレイを見れば彼等の考えが変わることを。そのために「アマチュアレベル」ではなく「一流・本物レベル」の指導者だけに娘を見せに行っている。

 

 

 

最初のコーチは【ポール・コーエン】に決まる。

 

リチャードは娘2人を連れ、直接、彼のいるテニスコートに足を運ぶ。

 

 

 

 

練習中だった一流プレーヤーのジョン・マッケンローに声をかけ、半ば強引に「娘のテニスを見て欲しい」と懇願するリチャード。それに押される形で、姉妹の実力を試すことにしたコーエン。

 

 

そして見事に「無料で一流コーチの指導」を手に入れたのだった。

 

 

ただし、指導するのはビーナス・ウイリアムズのみ。

 

姉妹のうち、姉のビーナスのみが練習生に選ばれた。

 

 

主導権はリチャードにある。コーチのマンツーマン指導中に、横槍を入れ、度々意見の衝突をする。

 

 

 

 

無料のメリットを最大限に活かし、その練習風景を自前のビデオカメラで撮影し、そっくりそのまま母親オラシーンがセリーナを特訓する。

 

 

そうして記念すべき初めての大会を優勝で飾り、その後もビーナス・ウイリアムズは出場するすべての大会で優勝し続け全戦全勝。カリフォルニア中で彼女の知名度が上がって行く。

 

 

姉の影に隠れながら両親に黙ってエントリーしたセリーナも、初めての大会で準優勝をし、それからは両親公認で大会に出場。日の目を浴びることになる。

 

 

__

 

 

 

連勝街道を突き進むビーナス・ウイリアムズ。

 

 

リチャードはコーエンを切り捨てる様に解任すると、新たに【リック・メイシー】に姉妹を売り込むことにする。

 

 

フロリダ在住のメイシーは、広大な敷地に自身のテニスアカデミーを構え、そこで名選手を育てている。

 

 

リチャードの熱烈なラブコールでロサンゼンスに飛んだメイシーはウィリアムズ姉妹と対面。

 

 

テニス界の成功者であるリック・メイシーを、家族総出で自宅に招いたあとは、早速公営のテニスコートに向かい、娘の実力を見てもらう。

 

 

 

 

カリフォルニア州では負けなしのビーナス・ウイリアムズ・11歳。

そして大きな可能性を秘めているセリーナ・ウィリアムズ・10歳。

 

 

ビーナスと妹のセリーナの可能性に惚れ込んだメイシーは、その日のうちにエージェント契約を申し入れる。

 

こうなればリチャードのもの。懇願する立場が逆転する。

 

リチャードは事前に用意しておいた何枚もの条件・項目が書かれた自前の契約書をメイシーに提出し、サインをさせる。

 

 

その契約書には

 

 

一家全員でフロリダに移住。

その移動に使うキャンピングカーを提供。

一家全員が暮らせる住居を提供。

 

自分をアカデミーのコーチとして雇う。

信仰する新興宗教(エホバの証人)への理解。

 

 

などが書かれていた。

 

 

全ての出費をメイシーが支払うことになり、成功報酬は15%。それまではメイシーの完全自腹。出世払いの契約というわけだ。

 

 

かくして支給されたキャンピングカーで大陸横断のお引越し。

メイシーの巨大アカデミーがあるフロリダに一家で移住した。用意された一軒家はこれまでの家よりも大きく、近隣トラブルもない邸宅を提供された。

 

 

大物コーチ、メイシー直々の本格指導のもと、2人の姉妹は才能を開花しながら成長して行く。

しかしここでもリチャードの頑固さが発揮し、メイシーは常に彼の顔色を窺いながら過ごすことになる。

 

 

ジュニアの大会には2人の娘を出場させない!と断言し一悶着。

同年代の【マルチナ・ヒンギス】など若いスター選手が次々と頭角を現している時代。

一流プレーヤーが通るジュニアの道順を、父親リチャードは頑なに拒否し、通せんぼするのだ。

 

 

結局、ビーナスはジュニア時代の3年間を練習だけに費やし、大会には一度も出さなかった。

 

 

そんな頑固親父の方針にマスコミが注目。

リチャードはテレビに出演し、世間の有名人になりつつあった。

 

 

そうしてフロリダに移住してから3年後。

 

 

リチャードの承諾を得て、遂にビーナス・ウイリアムズの初陣。

 

 

マスコミはこぞって、本物か否か?を報道する。

 

 

親子二人三脚。

リチャードの長年の人生計画が証明される時が来た。

 

 

___________

 

 

 

いい映画です。

 

 

ビーナス・ウイリアムズ。セリーナ・ウィリアムズ。

2名の偉大なる黒人女子テニス選手の活躍をテレビを通して存じているぶん、映画を視ている間は、じんわり感動している自分がいました。

 

 

世界女王を育てた「父親」を描いた物語。

ビーナス・ウイリアムズのプロデビュー戦の試合の再現が後半は中心となりますが、基本的に父親の主観をカメラを通して移す展開に仕上がっています。

 

 

では始めます。楽しい映画の時間です。

 

 

父親リチャードが、まだ(姉妹の)父親になる前。子供さえ産まれていない段階で、その子の将来を考えるのが始まりです。

 

 

テレビが映しだすのは、テニスの大会で優勝した選手が4万ドルの小切手を受け取る映像。

 

 

そこで彼は思い込む。強い妄想だが、どこか確信的に思い込む。将来、自分の子にテニスを習わせて、この(テレビ)選手のように大金を手にする未来を、描く。

 

 

黒人テニスプレーヤーのパイオニアがこの映画の主人公ウイリアムズ一家です。

 

 

1990年代当時。テニスはアメリカの国民的なスポーツでしたが、主に白人のスポーツという認識。

 

 

黒人ということだけで「人種差別の激しい時代」を経験したリチャードが、数多くあるスポーツ競技の中から「白人のスポーツとして認識されているテニス」を選ぶのは、相当なハンディがあると思うので、例えばバスケや陸上のほうが黒人向きなのでは?とも思ってしまいます。

 

 

私の見解だと、確率的なビジョンで、「黒人が成功し大金を手にする」というシナリオは、20世紀のアメリカで思い描くのは難しい。

 

ならば身体的能力が高い黒人の血だと、スポーツの世界ではトップに立てるのではないか?=賞金を手にする。白人スポーツのテニスに目をつけたのは凄い。

 

 

日本でもテニスが根付いたのはつい最近。90年代のトレンディドラマや、大学生のサークルで男女が出会いの場のテイで描いたり。。。それまでは日本でテニスと言えば上流階級の優雅なスポーツというイメージだったと思います。

 

 

この点で「私の疑問」なのは「他のスポーツの選択肢・適正」なのですが、結果的にウイリアムズ姉妹は全スポーツ界に旋風を巻き起こすことになり、特に妹のセリーナはスポーツ界で世界一稼いだ女子プロ選手になるので、父親がモノクロのTVでテニスを見て、まだ見ぬ子供の将来を意識したのは、運命のシナリオなんだと思っています。

 

 

自分の子供をテニスの世界王者にするための計画書。

合計78枚の「ドリームプラン」を描き、その計画のためには努力を弛まない。

 

 

タイトルにもなるリチャードは、まさに王様。

まるで「こうあるべき」だと何かに取り憑かれたように、自分の信念を曲げずに突き進みます。

 

 

 

 

 

観ていて思うのが・・思うと言うより感じるが正しいかな。

とにかく、主導権を握ろうとします。その頑固さに鑑賞中は何度も焦燥感を覚えます。たぶん同じような感覚の鑑賞者はお多いと思います。ちょっとは妥協しなよって(^_^;)

 

 

特に、環境が整ってからが偉そうで頑な性格に感じます。

ロサンゼルスの黒人街にいたころは、もっと弱くて謙虚だったんだけど・・娘が活躍し、周囲が金の卵と認めてからは、主導権を握るので、「この分らず屋!」と銀幕に向かって言いたくなるのです(^_^;)

 

 

 

 

リチャードは選手としてはプレイしません。その代りに子供に夢を託します。子供が大きくなる頃には人種差別も少しは収まっていると期待して。

 

 

当時テニスは白人のスポーツであり、白人のいる場所で目立ったことをした場合、命の危険となります。

公共の施設は基本白人専用なので、テニスなんて以ての外ですね。黒人同士の目というものもあるでしょう。

 

 

そのために、独学で指導法を研究し、相当なハングリー精神を持って(映画の)現在となる。

 

彼がそれを志してから、現在(映画進行時期)になるまでの中途空間は、想像するしかありません。

 

 

映画を視ていて思ったのは、この計画書は、あくまでも子供(この時点では生まれる子供の性別は不明で、息子か娘かは分からない)中心の78ページであって、それを達成するために、自分が何をするか、しなければならないのか?の具体的な計画は映画として視た場合、説明不足に思えます。

 

 

この父親、子供への指導は本当に徹底している。けれど、自分の私生活は離婚経験があったり、自分中心で回そうとする。

幸い後妻のオラシーンが全面協力的な女性で、彼にとっても良かったという・・巡り合わせを描いているのだけれど、

 

 

もしドリームプランを作成した際に、こういう女性と結婚して、こういう仕事について、こういう人脈作りをして・・など自分自身の未来のプランを計画していたら、後々になって揉めたりしなかったんだろうなって・・「かも知れない」を考えてしまいました。

 

 

____

 

 

 

こちらは映画で描かれる以外の情報です。

 

 

映画の進行時期では、彼は妻のオラシーンと5人の娘を育てている7人家族。

 

 

上の3人の娘はオラシーンの連れ子で、下の娘つまりビーナスとセリーナだけが2人の間に出来た娘。

 

 

あまり映画の中では「血の繋がり」についてを説明しませんので、ここはあえてあまり触れていないのかもしれません。

 

 

連れ子・異父姉妹、などの先入観を持ってこの映画を観るか?

 

現在進行系の展開を優先しこの映画を観るかで、大幅に見方が変わると思います。

 

 

オラシーンは2人目の妻で、お互いバツイチ同士2度目の結婚とのこと。

 

 

その後、リチャードはオラシーンと別れ、3度目の結婚をし、67歳で新たに子供を設けています。

 

 

合計3度の結婚で、血の繋がりは関係なしに10人の子供がいるリチャード。

 

 

映画を視ている最中に、あまりにリチャードが2人の娘ばかりを中心に描くので「他の子は?」という違和感を感じていたのですが、その違和感を解消させるのが、彼ら家族の歴史をネットで検索することにより、理解できました。

 

 

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5人いる子供たちの中でテニスの才能を感じたのは2人です。

彼はその2人の娘のために全てを掛けて人生を捧げています。

 

 

素朴な疑問。

 

 

彼は2人の娘に対してドリームプランを実践していきますが、他の娘にはテニスの才能はなかったのかな?と映画を観ていて思います。(オラシーンの連れ子3人)

 

 

映画は最初からテニスをさせるのは2人だけというテイで描いていたし、それに対して他の娘達は不満を言ったりしていないし、姉妹喧嘩もなく仲がいいけれど、そこの部分は気になります。なにしろ後の世界女王の姉妹たちですからね。一番上の長女は「学者」という職種を紹介していますが、他の姉妹は成績優秀ということ以外は描いていません。

 

 

オラシーンの連れ子の娘3人は勉学。

リチャードとの子供はテニス。

かなりハッキリと区別されている描き方でした。

 

 

ただ、子供への扱いは区別がありますけれど、子供への愛は平等に注がれているように見えるので、まだ良かったです。

 

 

もう1つ。素朴な疑問。

 

 

無償で雇うプロコーチの存在について疑問を持ちます。

 

 

プロのコーチを雇う資金がない。そこで無償で指導してくれる有志を捜す。

 

 

デビューしてからの賞金にはパーセンテージが発生しますが、それまでは完全無償。

 

 

報酬は名誉ということになる。

なにしろ父親のリチャードは娘が世界女王になる器だと確信していますからね。

 

 

彼女たちをコーチしたという肩書きは、将来とても名誉あることになる筈。だから兎に角上から物を言う。

 

 

このコーチ選びは難航しますが、アマチュアレベルのコーチでは駄目だということは、説明しなくても、観ていてよく分かります。

 

 

アマチュアならば今までどおり自分が教えればいい。プロに教わるからこそ、実力向上と環境が整う。「環境は人を変える」という言葉もあるくらいです。

 

 

だけれど、先程書いた話の復習疑問になりますが、「計画」と言うけれど、そもそもコーチを雇う資金だったり、環境作りの計画はしなかったのか?

 

 

町の公営テニスコートを借りて、練習するのはいいけれど、治安が悪くギャング同士の抗争も起きている。向かいの家の婦人は、自分たちのことをよく思ってはおらず、警察に児童虐待などと通報したりする。

 

 

「スタート地点の環境」を劣悪から描く、サクセス系の映画は多いですけど、彼のドリームプランの項目に自身の環境づくりをハナから描いていれば、こうしたトラブル自体がなくなると思うので、なんだか映画的に感じたものです。

 

 

計画(ドリームプラン)に「コーチを雇う資金を貯める」という項目があれば、劇中はそこまで苦労しなかったんじゃないかな?(・・・それだと映画にならないですけどね)

 

 

原題の『キング・リチャード』だったら気にならなかったこと。

 

日本題『ドリームプラン』だから、この部分が気になっただけ。

 

 

____

 

 

 

映画の核心部分になりますが、自分なりの考えがあるので紹介します。

 

 

移民大国のアメリカは、常に人種差別という問題を抱えています。

 

 

その中でも特に差別の対象の人種だったのが「黒人」で、「白人至上主義」、その時代を描いた映画が数多く制作されます。

 

 

『ドリームプラン』の主人公リチャードも、白人と手が触れただけで殴られ、白人たちから半殺しにされた経験を何度もしていて、白人による人種差別を経験しています。

 

 

そういう時代を経験し生き抜いたことは、大人になった彼の人格に顕著に現れます。

 

 

1990年代ロサンゼルス。

人種差別が昔ほど少なくなった時代に、彼が最も大事にしているのが、映画を観るに「教育」です。

 

 

娘たちは不自由なく勉学を行い、皆が優秀な学力を持っている。本はよく読んでいます。しかし塾に行かせる経済的余裕などない。それなのに学年でトップクラスの成績を収めている。(頭脳に関しても遺伝だと思うんですよね)

 

 

ビーナス&セリーナに限ると、成績が悪いとテニスをさせない、というルールを家訓にしているので、2人はテニスをするために勉強をするという。。かなりの文武両道さの徹底です。

 

 

「テニスをしたいなら勉強するべし」

 

 

この教育で、2人の娘にとって「テニスという存在」が、親の強制ではないことが分かるし、かけがえのない事になっていることも分かりました。

 

 

描いてはいないので、あくまで想像ですが、

幼少期から「お前はテニスをするんだ」と父親に刷り込まれているわけなので、そこを考えるとちょっと怖いですけどね^^;

結果的に子供たちが「テニスが好き」という脳になっているから、1つ1つの描写が安心出来るようになるのが救いです。

 

 

例えば歌舞伎の世界みたいに、生まれながらに家業を意識したり伝統芸能を伝承するのなら理解しやすいのですが、

 

テニス経験のない父親が、生まれた子供を世界チャンピオンに育てるなんて、成功するほうが稀。

 

 

神様のお導きとか、ある意味、そういうほうが納得できるものですが、その動機もテレビで大金が書かれた小切手を見て決心したとなるので・・やはり結果論として、成功して良かったと思う気持ちが強いです。

 

 

_____

 

 

 

私事ですが、映画館で映画を観始めて今年で20年目。

 

 

2002年のアカデミー賞を現地ハリウッドで(遠目から)観て、世界観が変わりました。

 

 

このブログのネーミングも「アカデミー」の屋号を頂きました(^o^)

 

 

アメリカは「移民の国」である反面、「人種差別のある国」という一面もあります。

 

アカデミー賞は、黒人をメインにした作品が、受賞できると年と・出来ない年があります。

 

 

最近でも事前評価の高い黒人映画が蓋を開けてみれば、一切ノミネートされない年もありましたね。

 

 

そういう人種差別をやめようという運動や意識が濃いと翌年以降の、アカデミー賞にも影響しているような気がします。

アジア映画初の快挙。韓国映画『パラサイト』の作品賞受賞。翌年『ミナリ』で助演女優賞。そして今年は日本映画『ドライブ・マイ・カー』がノミネートされています。これはアメリカで人種差別意識が色濃い年だとノミネートさえなかったことだと思います。

 

 

(『ドライブ・マイ・カー』は上映時間による体調面の懸念で鑑賞はしませんでしたが、是非とも近年の波に乗って受賞して頂きたいです!)

 

 

話を戻します。

 

 

今作は勿論、アカデミー賞を意識して製作されたでしょうけど、

 

アカデミー賞として予想した場合、インパクト・描写が弱い点が1つだけあります。

 

 

それが上でも書いた「人種差別」の描写です。

 

 

黒人差別の描写が、過去の名作に比べて、この映画は薄めな(浅い)気がします。

 

 

リチャードを演じる【ウィル・スミス】は、この役を完璧に演じたと思いますが、

セリフのみで過去の差別体験を伝えるのではなく、映像として実際の回顧描写を交えたほうが、より真に迫った作品になると思ってしまうのです。

 

 

また試合中や日常生活のシーンで、もっと黒人差別の描写があってよかったと思うのです。

 

 

テニスドラマとしては優秀ですが、黒人ドラマとしては平凡。あくまで私の見方です。

現代のデリケーナなコンプライアンスを少し意識しているのかな?と視ていて想像しました。

 

 

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また。ウィリアムズ姉妹は有名だから知っているけれど、父親を知らなかったと言う方は多いと思います。私はまさにその一人です。

 

 

映画の中で、マスコミが父親のリチャードを追いかけてTVで特集を組んだりしている様子が描かれていますが、単純に日本で報道していなかっただけで、アメリカやテニスのファンの間では、この父親は当時から有名人だったのかとも思いました。

 

 

例えば、日本だと亀田親子ですね。大阪のスラム地区から息子たちを独学のトレーニング方法で世界チャンピオンにした名コーチがキングSIROU。

 

 

当時亀田親子をマスコミが追いかけていた時、印象的だったのはコワモテの父親の人柄や指導法だったので、私の記憶に残っているのは、選手よりも父親です。大阪弁も当時の東京のテレビでは聞かない時代でしたから、より強烈におぼえているのかも。

 

 

おそらく、ビーナス・ウイリアムズのプロデビュー戦前に、父親の指導法が特集を組まれて全米で放送され世間の注目を浴びたように、亀田親子も日本で放送され日本で盛り上がったのが最初だと思います。

 

 

活躍してからは選手の方が注目されるようになりますから、それもリチャードのプランなのかな?と深読みして鑑賞していました。

 

 

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実際の映像や写真を観ると、

 

ウィル・スミスがいかに本人に近付けた役作りをしているのが見て取れます。

 

過去の傾向的にアカデミー賞の受賞の可能性が高まる。

 

 

なにより、ウィリアムズ姉妹の少女期を演じた2人の子役女優が、完璧すぎて驚きます。

 

 

 

 

劇中のテニスのシーンは全て子役の女優さんによるもの。

実際にテニスの特訓をして、本当にテニスの才能が開花したとの情報です。

役作りのためにテニスを覚えたそうですが、あまりの飲み込みの速さに、実際の大会に出ても、いい位置まで行く実力だそう。

 

 

アメリカの子役のレベルが世界的に高いことは分かっていますが、今回はそれよりもレベルが高いと思ったのが親子感の高さ。

 

 

比較をして申し訳ありませんが、

日本の映画を観ていると、親子というより親子役って感じの関係性が強いです。

 

 

一番に顔が似ていないじゃないですか。親と子って遺伝子的に顔が似るものです。

 

 

女の子の場合は、中年になると母親の顔に似てきますが、思春期は父親の顔を視ます。

 

 

顔や雰囲気が似ているということは、それだけで説得力が生まれると私は思っています。

 

 

せめて同じ顔立ちの系統の俳優を親子役にするなど出来ることをして欲しいのですが、日本の場合は父親・母親役の売れている俳優と、人気子役を組み合わせるだけの即席の親子って感じがしています。

 

 

(日本映画も映画評論で書いていますが^^;)

 

 

だけどハリウッドの凄いところって・・もう何度も書いていますが、親子役を役だと感じない時が多いです。

 

 

特に、今作のアフリカ系ブラック。

 

 

この父親と母親の間に出来た子供なんだ、と純粋に思って見れるほど、とても自然なので、私のように捻くれた鑑賞者でも、違和感なく感動できるのだと思います。

 

 

ビーナス・ウイリアムズとセリーナ・ウィリアムズは1つしか年が離れていませんが、顔立ちが似ていません。

普通、年子だと顔立ちは似る傾向にあると言われます。劇中の2人の子役も顔立ちが似ていません。体型も似ていません。だけど本当の姉妹に視えるから凄い。

 

 

そういう観点で映画を視た場合に、今作の母親役でアカデミー賞の助演賞にノミネートされている【アーンジャニュー・エリス】の選出理由が私の中で納得できるのです。

 

 

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黒人差別の描写が弱いと書きました。

 

 

黒人であることで受ける人種差別の生き辛さは、きっともっと、現実としては体感していたのだと思います。

 

 

しかし劇中のリチャードはそれを子供たちに見せません。

 

 

子供たちに見せたのは、同じ黒人のギャングにボコボコに殴られるシーンだけで、白人による差別は見せていません。

 

 

これにも意図があると思います。

 

 

映画の中の親子を観ていると、あまり差別的な扱いは受けておらず。

 

黒人が多く暮らす地区では黒人が相手ですし、過度とは言いませんがスキンシップも紳士的。

 

これだと逆に父親のほうが神経過敏になっているのではないか?という見方でも取れます。

 

 

例えば、

黒人に対する差別用語のヤジが飛んだり、イジメられる描写があっても、この場合は描いてもいいと思いますが、あまりそうした映像で観客の同情を買うようなことはしなかったのではないかと、考えるようにします。

 

 

黒人の中で、コミュニティーで、物事を展開している様子は、移民や沢山の人種が暮らす超大国ならではの描写かなと思います。

 

そして、偉大な女子テニスプレーヤーを育てた「キング・リチャード」を主人公に描いた作品ですが、妻のオラシーンが「縁の下の力持ち」みたいな役割を担っているのも、見どころの一つだと思います。

 

 

方向性は夫が決めて、自分は娘たちのメンタルだったり、家事育児全般しながら、ついていく。

 

彼女の子供は2人以外にもいますから、そちらへの愛情も欠けてはならないですし、「お母ちゃん」って大変な役回り。

 

 

印象的だった「帰宅中の車の中」と「ビーナスの大会出場について独断で認めない夫」との2シーンでのやり取り。

 

 

彼女は全面的に夫の夢に協力しますし、文句も言わない。そりゃリアルならばあるのでしょうけど、映画は衝突もしなければ妻へのハラスメント的な描写は一切ない。

 

 

普通に考えて、生まれる前から生まれる子供をテニスプレーヤーにしようと、考えている男はちょっと怖いです。

これがテニスをしていて、子供に夢を託すみたいな、目標ならば分かりますが、全くそういうのがないですからね。

 

親のエゴだとか、子供には好きなことをさせてほしい、という意見もあるとは思います。

 

 

鑑賞中に考えていたのは

母親のオラシーンは、生まれる子供にテニスをやらせて世界を狙うと真面目に伝える夫に素直に「はい、分かりました」と納得したのだろうか?という疑問。そこは・・例えば、自分のプランを妻にプレゼンして、了解を得るような過去を描いても良かったのではないかと思っています。夫の夢を叶えるために尽くすのと、子供に尽くすのは違うと思いますからね。

 

 

 

リチャードは「子供をテニス界で活躍するためのプラン」を思い描き、そのためには何をすべきかで?指導者としての勉強に尽くす。

 

 

観ていて感心するのは文武両道の精神が強いことです。英語でなんと言うのかは知りません。

 

 

昭和生まれの私の感覚だと、運動が出来る子供は、頭がおバカというイメージがあります(笑)得意科目は体育とかね。

 

 

父親の教えで、勉強もスポーツも平均以上に出来る子供に、ウィリアムズ家の娘たちは早い段階で成っています。

勉強が出来るというのも「才能」ですけど、2人の娘に至っては、「成績が悪いとテニスをさせない」という懲罰を設けていて、テニスをするために勉強をするという相乗効果も出来ている。

 

 

まぁ「その他」になっている3人の子供にも、そのような褒美的なルールはあったのか?という事も描いてほしかったのだけれど。

 

 

娘たちは皆、連れ子も含め成績が優秀なので、彼自身も頭がいいのでしょう。

 

 

劇中に自分の計画に沿って、物事が上手く進むようになります。

娘に敏腕なプロコーチを付いて大会に出るようになると、全線全勝という活躍を見せる。

 

だけどお祝いムードも、車の中や家の中では、テニスの話はしない。これがリチャード・ルール。

 

 

車の中で「もうテニスの話をするな!」と怒る様子は、扱いにくい・難しい父親だなと思ってしまいます。

 

それでジュースでも買ってこいと、子供全員を商店に車外に出して、置き去りにしちゃうんですから^^;

 

 

助手席に座るオラシーンは驚きながら「あなた、それは間違っているわ!」と必死に説得。

 

年頃の女の娘を所持金も持たせずに町中に放置して、何かあったらどうするんだ?と、観ている側も少し、この父親を嫌になったシーンでした。

 

 

 

大会出場の件もそう。

 

リチャードの手腕もあって、一家で高級住宅を手に入れます。それが「無償」で手に入れるんですから本当に驚きです。

 

家賃も養育費も雇用費も、雇い主のコーチが全て負担するという、信じられないような契約を交わしてしています。

 

 

だからオラシーンも、仕事をやめて、これまで以上に娘に尽くせているのだと、映画を視ていて思いました。

夫への感謝も相当でしょう。あなたに付いてきてよかったと思うのでしょう。

 

 

しかし、娘の幸せについてを考えたときに、オラシーンは意見をします。

 

 

こういう目に見える「暴走」がリチャードは度々起こるので、子供のように偏見を持つリチャードに常識を教える母親にもなる。

 

 

母親役の【アーンジャニュー・エリス】[53]は助演女優賞にノミネートをしていますので、ウィル・スミスとの夫婦役W受賞も可能性は高いかもしれませんね。

 

 

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またウイリアムズ一家は新興宗教団体「エホバの証人」を信仰していて、劇中でも度々、名前を出していました。

 

教団にとっては物凄い宣伝効果になると思います。

 

 

私は「無宗教の日本人」なので、特に新興宗教は「得体」が知れない為に関わらないようにしておりますが、こうして映画で名前が上がると、検索をかけて多少の知識を仕入れるようにはしています。決して深い入りはしませんが。

 

 

アメリカ映画を観ていると、かなり多くの作品でカトリックを扱っています。アクション・サスペンス・ホラー、全てのジャンルで登場します。この一家の宗教はキリスト教系から派生し、「国際聖書研究者協会」という組織名で1970年代に発足した団体との情報。

 

 

映画は1990年代を描いた話なので、発足から20年ほどだと判ります。

父親リチャード・ウイリアムズがいつどのタイミングで、この宗教を信仰するようになったのかは分かりません。

 

 

キリスト教系の宗教ということと、アフリカ系黒人なので、そもそもがクリスチャンなんだろうとは想像しています。

 

 

そして、捻くれた考え方だとは思いますが、こうした新興宗教に入信するのは、心の隙間を埋める勧誘だったり、それ相応のキッカケがあったと思います。そこのところの、繊細な部分も、この機会に描いても良かったのではないかと思います。

 

 

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この映画を語るならば、2人の娘よりも、2人の夫婦だけを意識すればいい。

 

 

子供よりも親が目立ってどうするんだ!?とは思いますが(^_^;)。そもそもの映画の(原題)タイトルが「リチャード王」ですからね。目立って当然のタイトルだと思えば。

 

 

それだけ子役は完璧に演じていて、思春期や反抗期的部分の描写もないので、観ていてクセを感じない。

 

 

父親のリチャードは誰よりも黒人という人種を気にしているように感じます。

 

 

劇中の前半。彼はギャングの若者に目をつけられて、娘のテニス練習にも影響が出ます。

 

 

彼はよく言います。「自分はいいんだ」と。だからこの場合も、自分の身より、成長期の娘のプランを妨害されるのが耐えられなかったのだと思います。

 

 

このままだと危険だと予測したのか、ある日、拳銃を携帯して、その若者のもとに向かうシーンがあります。

 

 

標的を見つけて目掛けて歩いていく途中で、他のギャングがマシンガンで標的を撃ち殺す場面に遭遇。

我に返ったリチャードは踵を返して自宅に戻る。その後は絡んでくる輩もおらず、ビーナスが大会で優勝をするようになるとボディーガードをするようなフレンドリーさに。

 

 

もし本当にあの時にギャングを撃ち殺しでもしたら、当然ながら報復され、彼の守りたかった家族(子供たち)の命まで危険に晒すことになるし、こんな最高な結果にもならないでしょうね。

 

 

確信めいた思い込みの激しさが、その後の娘の成功に繋がるわけですが、思い留まって良かったと安堵する、劇中で唯一スリリングなシーンでした。

 

 

日本時間3月28日に開催されるアカデミー賞で、今作品は合計6部門がノミネートされています。

 

 

私個人の予想だと2部門。

 

 

主演男優賞にウィル・スミス。まず間違いないでしょうね。

いつ取るの?今でしょ!

 

 

そして主題歌を歌ったのが世界の歌姫【ビヨンセ】ということで、ネームバリュー的にも大賞を受賞するのでしょう。

 

 

2人のプロコーチが、父親のリチャードに振り回され、スポンサー契約にはギャンブルめいた駆け引き。観ている観客がイライラするほどの主導権を譲らない。最後は子供の本音・気持ちを聞くようになるので、一気に人情ドラマの描き方にシフトチェンジ。

 

 

俳優陣の自然体の良さが飛び抜けている作品だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

脚本 14点

演技 17点

構成 13点

展開 14点

完成度14点

 

 

[72]点

 

 

 

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【mAb】

 

THE映画評論論『Belfast』

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『ベルファスト』

 

 

 

 

 

私が学生の頃は、イギリスはイギリス、という考え方で勉強しました。

 

 

正確には、イングランド、ウェールズ、スコットランド(この3つの地域を合わせたものがグレートブリテン)、北アイルランドの4つの国から成り立ち、その総称が「イギリス諸島」・「ブリテン諸島」になるのですが、なぜ日本は4つの国からなるイギリスを「国」として覚えさせるのでしょう?

 

 

世界史を勉強した際に、日本史もそうですが、社会の授業が現代史に入る頃には3月期。

2月3月の慌ただしい時期に、省略するように社会科の教師が生徒に教える・・なんてこともよくあります(^_^;)

 

 

北アイルランドの首都ベルファストというのは地名だけで、その地に関する歴史についてを知らなかった私にとっては、この映画を、次々に状況が変わる忙しい展開と、見慣れないモノクロ背景の作風についていくのがやっとでありました。

 

 

いや・・ついていく、という表現より、必死に食らいついていくといった感じでしょうか。

分からなかったで済ませるには、10年以上映画を語ってきた身として男が廃る。なので必死に見覚えました。

 

 

本年度のアカデミー賞でも多くの部門でノミネートしていた作品で、予告も「今年最高の1本」とテロップが出ていて、多分、その好評を提出している方々は、事前の知識だったり歴史観などに理解があるのだろうと純粋に思いました。

 

 

言い訳がましくなりましたけれど、

 

 

映画鑑賞中に何度も悔やみました。あゝ自分にもっと知識があればなぁと。だからこれは、作品の善し悪しがどうこう言うのではなく、あくまでも自分へ自責の念を送るだけのもの。

 

 

歴史についてを鑑賞中に理解できなかったので、自分に出来ることに切り替えます。

それは、今観ている映画を記憶に焼き付けることです。

 

 

私の映画評論は、パソコンのキーボードで文章を書きながら、映画を視た記憶を脳内に呼び覚まして、同時進行のように作業をします。頭の中で記憶を頼りに再放送する・・それは得意分野。

 

 

まずは受け売りの知識でも構わないから映画鑑賞後にウィキペディア先生を読み、1時間ほど記憶と照らし合わせて、なるほど、だからこうなってこうなったのか。。などと独り言をつぶやきながら、映画評論を書く意識脳を発動しました。

 

 

では始めます。

 

 

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1969年

 

 

イギリス諸島 北アイルランド 首府ベルファスト

 

 

以下オフィシャルサイトより引用

 

 

 

ベルファストで生まれ育ったバディは家族と友達に囲まれ、映画や音楽を楽しみ、充実した毎日を過ごす9歳の少年。たくさんの笑顔と愛に包まれる日常は彼にとって完璧な世界だった。しかし、1969年8月15日、バディの穏やかな世界は突然の暴動により悪夢へと変わってしまう。プロテスタントの暴徒が、街のカトリック住民への攻撃を始めたのだ。住民すべてが顔なじみで、まるで一つの家族のようだったベルファストは、この日を境に分断されていく。暴力と隣り合わせの日々のなか、バディと家族たちは故郷を離れるか否かの決断に迫られる――。

 

 

監督🎬

【ケネス・ブラナー】

 

 

少年バディ

【ジュード・ヒル】

 

 

母親

【カトリーナ・バルフ】

 

父親

【ジェイミー・ドーナン】

 

 

祖母

【ジュディ・デンチ】

 

 

祖父

【キアラン・ハインズ】

 

 

配給[パルコ=ユニバーサル]

 

本編[1時間38分]

 

 

 

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最近の映画は上映時間が長いと、前書きに書くことは多くなりましたが、

 

 

今作品は1時間38分と平均よりも短く。アカデミー賞の作品賞を狙った作品としてはとても短く感じます

 

 

それを良しと考えるだけの内容の濃さがアレばいいのだけれど、その短さが、削ぎ落としや展開の速さ(省略)が本編に表れていなければいいなぁ・・なんて鑑賞する前は気にしました。長いと説明的で、短いと簡素的に感じてしまう。

 

 

私はそれよりも、出だしで書きました、自分の歴史観の無知さに絶望して鑑賞することになりましたが、

 

ヨーロッパの反応を見ていると、とても評価の高い映画になっているとのことなので、感覚の違いもあるのかな?なんて考えるのです。

 

 

アカデミー賞は7部門にノミネートをし、見事「脚本賞」を受賞しました。

 

最優秀脚本賞を受賞する作品は、「話の内容」を認められたと考えられるので、やはり評価的に相当レベルの高い出来なのでしょう。

 

 

欧州の映画は歴史を映しはしますが、歴史を教えてくれるように描かないように気がします。

特にその歴史を知らない方にとっては、これはこうだよ、と説得されても、なるほどと納得はできない難しさもあると思います。

 

 

前述の通り。映画を観ている中で、「歴史背景を知っておくべきだった・・」と後悔した事実があるので、これから鑑賞される方は、私のようにならないためにも多少の知識と理解度を持った上で本作品の鑑賞をオススメしたいです。

 

 

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以下はウィキペディア先生から仕入れた情報です。

 

 

本作品は白黒映画となっております。近年では勢いそのままでアカデミー賞を受賞したフランス映画の『アーティスト』が、この手法を取りましたので、やはりアカデミー賞を相当意識した作品なんだという印象を私は受けました。

 

 

(『アーティスト』は2011年度のアカデミー賞で、作品賞・監督賞・主演男優賞を受賞しました。)

 

 

俳優業としても活躍し、今作品は監督業に専念した【ケネス・ブラナー】監督[61]が、白黒にした理由を説明しています。

 

 

僕がベルファストで育った時は、よく雨が降っていた。街の色合いは灰色。空は、炭や暗い灰色だった。ベルファストは、カムチャツカ半島中部と同じ緯度なので、かなり寒い。モノクロ撮影は、当時の記憶を呼び起こすためのものなんだ」と語っている。

 

 

イングランドしか滞在経験がない筆者ですが、霧の都ロンドンと言われるほど、純度100%の晴れ男である私であっても、青空の日は少なかったなぁ・・なんて振り返ります(笑)

 

 

今作は監督の自伝を映画化した作品。彼の幼少期の生まれ故郷の空が、雨が降り曇り掛かっていたとは、なんとも晴れない記憶ですね。

 

 

私は、本編の中で、数箇所カラーを取り入れているシーンがあるので、それが新鮮でした。

突然現れるカラー映像の鮮やかさに「安心」する自分もいました。やっぱり(見慣れた)カラーがいいなぁと(笑)

 

 

 

昔のモノクロ映画時代の作品と違うのは、やはり「現代人のカラーの想像力」だと思います。

 

 

白黒映画は鑑賞中に「色を想像」すると思いますが、逆に色を想像できてしまうのが現代人。

 

 

50年前くらいに白黒映画をリアルタイムで観ていた方は、これはどんな色なんだろう?と想像したと思います。

しかしカラー映像で育った私達のような世代は、物に溢れテレビやスマホの映像を見慣れ、殆どの色が最初から想像できてしまいます。思い描くことが可能です。

 

 

だからこそ、モノクロ写真だったり白黒映画に、芸術的みたいな付加価値を付けがちなんでしょうね。

 

 

この映画を本来の全編カラーで観た場合は、どんな観え方なんだろう?

その場合でも、高評価を得たのだろうか?

 

などと考えてしまう私は、この映画をあえてモノクロ映画にしたという手法や発想を気に入っていないのかも知れませんね。申し訳ありませんが。

 

 

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映画の内容を記憶し、記事を書くまでの宿題にして持ち帰りました。

 

 

映画は、ごく有り触れたヨーロッパの街角から始まります。

突然暴徒が現れて、窓ガラスを割ったり火炎瓶を投げたり爆発物を使用するなど、民族間の抗争が起こるという展開です。

 

 

 

 

主人公の少年バディはこの勃発時、 T字路状の縦道の真中に立っていて、右側に建つ家のドアから母親が必死に家に入るようにと息子を呼びかけている状況。

 

 

暴徒は口々に「カトリックの家を狙え!カトリックはこの街から出て行け!」と攻撃対象を叫びながら、やはりカトリックの住宅や商店を襲っています。

 

 

暴徒化した人達の流れ弾に当たったら嫌だなぁ・・と、少年に対して「早く逃げて」と声をかけてしまいたくなる出だし。

 

 

暴徒たちは狙う家と狙わない家が区別できているけれど、

 

無宗教の私からすれば、どこでカトリックを判断すればいいのか?がよく分からないので、この主人公の家庭はどの宗派なんだろう?という説明も少なからず教えてほしい気持ちが募ります。

 

 

例えば、ユダヤ人迫害映画や、アメリカの黒人差別映画だと、そういう判別マークなどが映画の中で紹介されるので、映画としては分かりやすいと今考えると思います。

 

 

この時期。

 

 

プロテスタントとカトリックとの間で、深いイザコザがあり衝突が起こります。

 

 

ウィキペディア先生で検索をするならば「北アイルランド問題」「北アイルランド紛争」という事件名です。

 

 

 

 

この紛争は21世紀に入ってからも続き、テロ行為を行った2万人近くの人間が逮捕され、多くの犠牲者を出した歴史的な出来事。

 

 

領土問題・地域戦争。そして宗教戦争。

今なお、イギリス人の意識としては主権争いが続いているこの出来事を、よく知らない自分がやはり情けない。

 

 

 

 

上は「カトリック」と「プロテスタント」の違いを説明されている記事です。

私もリンクを貼られていただいた記事を読破させていただきましたが、ただ単純に「キリスト教」として学校で教わり、大人になっても授業で教わった大元の「ジャンル」(世界三大宗教)として覚えているので、色々と勉強になります。

 

 

「カトリック」と「プロテスタント」は元々、同じ西方教会のキリスト教から派生したグループですが、ローマ法王をトップに考えるカトリック教徒と、神様以外の人間は皆同じと考えるプロテスタント。こう考えると前者のほうが日本という国に近く感じます。

 

 

前記事に書いた『ドリームプラン』の主人公もキリスト教から派生した教派を信仰していたので、たぶん今後も私には迂闊に語ることが出来ない話題になると思います。

 

 

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映画が描いていることは理解できます。その背景が理解できなかっただけだと思います。

 

 

事前準備。それの不足です。映画鑑賞後に、それを補ったので、少し語れるようになりました。

 

 

監督が自らの体験を映像化した今作品。

ケネス・ブラナー監督は俳優としても活躍し、英国王立演劇学校を主席で卒業した実力者。シェークスピア俳優として舞台や映画で地位を築きます。自分の印象としてはマーベル映画の『マイティ・ソー』を監督した人物と、ハリー・ポッターシリーズの『秘密の部屋』でギルデロイ・ロックハート先生を演じたブラナーが印象に残っています。

 

 

今作品の劇中でも、ブラナーのモデルを演じるバディ少年が、後に自身が監督するマイティ・ソーの漫画本を読んでいるのが、ハングリーの成り上がりといいますか、浪漫を感じてユニークでした。

 

 

 

 

少年バディが若干9才にして、住んでいる地域が宗教紛争に巻き込まれ、混乱の生まれ故郷北アイルランドから、一家でイングランドに移住をするまでがフルセットで描かれます。

 

 

少年の家族構成は、両親と兄弟。父親は出稼ぎ労働者で、家には殆どおらず、劇中の描写で「子供たちは君が育てたようなものだ」と自身が口にするような家を空ける期間が多い父親像です。

少し離れた場所に祖父母が暮らす家があります。少年バディは小学校に通いながら、放課後はよく祖父母の家で過ごしています。

 

 

小学校の席順は、テストの成績順で振り分けられていて、頭のいい子は教壇の前。そこから後ろに行くにつれて劣等生となるので、70年代のヨーロッパの教育のあり方みたいなものも垣間見れます。バディはクラスの中でベスト3には入りますが、上には上がいて高い壁。祖父母の家では勉強しているシーンが多い。

 

 

祖母役の【ジュディ・デンチ】[87]は今作のオファーを快諾し、アカデミー賞でも助演賞にノミネートしました。

『恋におちたシェイクスピア』以来のオスカー受賞はかないませんでしたが、映画は彼女のド・アップショットでエンディングに入るので、鑑賞された方の印象に残るのはジュディ・デンチの表現者としての姿を目に焼き付けて、席を後にする筈。

 

 

 

 

このカットは祖母が娘一家の行く末を「俯瞰」で案じている演技プランだとは思いますが、なんだか戦争映画のドキュメントを観ているような「恐ろしさ」を感じたものです。夢に出てくるようなインパクトある怖さ(^_^;)

 

 

英国の俳優に特に思うことですが、自国やイギリス諸島の歴史を取り扱うヨーロッパ映画では、必ず国を代表する名俳優が出演して、最高の演技をされます。

 

 

ジュディ・デンチは実際にプロテスタント(キリスト友会)とのことで、私のような素人には解らない国籍や宗教の考え方があるのでしょう。

 

 

私生活では加齢による網膜の病気で台本が殆ど見えていない状態とのことですが、やはり台本を読むというより、その役が憑依している状態なのでしょう。

 

 

名俳優がお年を召して、映像で魅せるのは、到達するのは、無駄のない人間像だと思います。

若い頃はどうしても脂が乗って、癖があったり出たりしますが、年齢と共に、そういう無駄な脂が削ぎ落とされていく。

 

 

円熟味しか感じませんでした。偉大なる銀幕女優です。

 

 

___

 

 

 

映画の展開には、北アイルランド問題という歴史の背景が常にあると思うので、やはり歴史を知らない自分としては、少年の目線を通して展開される「年表の出来事展開」には、鑑賞の苦戦を強いられました。

 

 

バディ少年は、街の治安が悪化した状態でも、普通に学校に通い、家族同士もパーティを開いたり、街に出かけたり、緊張感はありません。

 

 

こっちとしては、こうした内戦・紛争が起きていると、いつどこで彼のような子供が紛争に巻き込まれるのか、ヒヤヒヤしながら観ていたものでしたが(^_^;)おそらく直接的な攻撃や被害がない状況なのか、やけに淡々と展開されていくのが不思議でした。

 

 

祖父母の家を行き来し、祖父母と孫の様子は、なかなか微笑ましい。

 

 

 

 

(日本人の感覚としては、テーブルの上に足は乗せないでいただきたい。)

 

 

だけれど、上の写真のように孫を溺愛するとか、そういう愛情表現は劇中のシーンには少ないので、そこは北欧州の白人に感じる表情の薄さなのかなとも想像します。

 

 

また、彼の他にも年の離れた兄が劇中にはいたと思いますが、お兄ちゃんは祖父母の家に行ったりしないのかな?と少し気になりました。

 

 

時々、鮮やかなカラー映像も差し込むので、当時はなかった映像技術との融合も新鮮でした。

 

 

鑑賞される方のホッコリする名場面だと思います。映画館に家族で行き、銀幕の世界にのめり込む当時の人々の様子が楽しい。

 

 

 

 

 

 

 

どんなに臨場感たっぷりなカメラワークでも、映画を観ながら、観客が体を前に突っ込んだり、後ろに仰け反ったり、そういう一体感は今の時代に人々は無いと思います。

 

 

日本だと『ALWAYSー三丁目の夕日ー』のワンシーンでも印象的だった石原裕次郎氏の『嵐を呼ぶ男』を観ながら、観客が一緒にドラムを叩いたり、体を揺らしたりする当時の人々の反応が、本当に楽しそうで羨ましく思います。いつから日本人は映画鑑賞のノリが悪くなったのだろう?

 

 

(私の子供の頃に『マリオカート』が登場したので、一緒に体が動いてしまう感覚は分かります(笑))

 

 

北アイルランド問題については、勉強したてで、ネットの受け売りの知識だけですから、ここでは語れません。

 

 

映画については、とにかく展開が忙しく、暴動や警察との衝突など、歴史的事件があった日々に焦点を当てて描いているように感じました。

 

 

その事件年表以外の部分を、少年と少年の家族の些細な日常にあて、ドラマ性を足し補ったのかと。

 

 

例えば、日本で報道される欧州のニュースと、欧州で放送される欧州のニュースは、同じではありません。それを言い始めたら、中国で放送されるニュースだったり、日本と違う思想や主義を持った国で放送されるニュースも本質は異なる。

 

 

もう少しじっくりと、何が起きているのかの状況説明をして欲しかったのですが、欧州の人々にとっては説明は皆無なのかも知れませんね。

 

 

今、世界の何処かで起きている戦争や紛争などで、犠牲になるのはいつだって罪もない民間人です。

 

 

子供の目線から時世の世の中を描くことは、訴えかけるメッセージも強くなると思うし、私としては、また1つ映画をキッカケに「学校では教わらない歴史」を知れることになったので、いい教材になりました。

 

 

この作品は歴史や宗教を知っていたほうが、より理解が速くなるでしょう。

 

 

「故郷への愛と家族の映画を描いた感動作」と広告に書かれています。

なにを本筋(テーマ)にしているかを優先して鑑賞すれば、良かったのかもね。

 

 

ケネス・ゲブラー監督の人生。北アイルランドのベルファストで生まれ、9歳の時に家族でイングランドに移住を決めます。

その移住の理由が、戦争でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

脚本 15点

演技 15点

構成 14点

展開 12点

完成度14点

 

 

[70]点

 

 

 

【mAb】

 

 

 

 

 

THE映画評論論『Nightmare Alley』

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『ナイトメア・アリー』

 

 

 

 

 

監督🎬

【ギレルモ・デル・トロ】

 

 

スタン

【ブラットリー・クーパー】

 

 

リリス博士

【ケイト・ブランシェット】

 

モリー

【ルーニー・マーラ】

 

マダム・ジーナ

【トニ・コレット】

 

 

クレム

【ウィレム・デフォー】

 

エズラ

【リチャード・ジェンキンス】

 

ブルーノ

【ロン・パールマン】

 

フェリシア

【メアリー・スティーンバージェン】

 

 

ピート

【デヴィット・ストラザーン】

 

 

配給[ウォルト・ディズニー・ジャパン]

 

 

本編[2時間30分]

 

 

_____

 

 

 

原題タイトルを始めてみた時は、ティム・バートンの『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』を思い浮かべました。

 

 

実際には最初の「ナイトメア」の部分しか合っていないのですが、パット見 同じように思い浮かべた人がいるのではないでしょうか。同じだったよ!という人・・友達になりましょう(笑)

 

 

本編の上映時間が合計150分。予告を入れたら165分と・・今回も長くてね(^_^;)。

 

 

(※ mAbの映画劇場鑑賞における全集中のスタミナは120分)

 

 

2時間半分のスタミナを補うために、朝から体に優しいお粥を食べたり(笑)モチベーション&コンディションを整えて鑑賞(試合)に望みます。

 

 

Nightmare(悪夢)とタイトルにあるようにダークファンタジー。「非現実」と「現実」の丁度「間」のような私利私欲の世界観。2時間半のあいだ人間ドラマの「嫌な夢」を映画館で観ているようでした。

 

 

アメリカで有名な小説「ナイトメア・アリー 悪夢小路」が原作。

計算された脚本。その時代の世界観に合った素晴らしい作品だと思います。

 

 

場合によっては人を騙す気色の悪い内容なので、心のキレイ過ぎる人にはオススメできません(笑)

 

 

1947年に1度映像化されていて、私は小説・映画とも未読・未鑑賞です。

 

 

 

 

75年も前に製作された映画ということなのと、監督のギレルモが「リメイクではない」とハッキリ明言しているので、今作品を新作と考えても問題ないと思います。(日本で考えると終戦から2年後のアメリカ映画ということ)

 

 

自分の話をしますね。

今よりももっと映画に夢中で、映画こそ「我が世界の中心」だった頃の話。ノストラダムスが空から恐怖の大王が降りてきて、世界を滅亡に追い込む、と予言した辺り。

 

 

古いハリウッド映画ばかりを観ていた時期があります。それでもリアル帯ではなく「ビデオレンタル」の時代でしたので、店頭に並んでいる名画の括りの「古い映画」は「60・70年代」の作品が多かったです。俳優で伝えるとジャック・ニコルソンやアンソニー・ホプキンス、クリントイーストウッド、オードリー・ヘップバーンなどの作品をよくビデオ借りて見たなぁ・・。

 

 

それ以前の作品、ましてや白黒やトーキー時代の映画が、回転商売であるレンタルショップに並ぶことはあまりなかったです。

 

 

ホントに映画が好きだったら、古い映画も詳しくなれよ!とお叱りを受けるかも知れませんが、私の名画知識といえば60年代〜で、ビデオレンタルでしたから、ミニシアターや名画座などに足を運んだ経験は少ない。

 

 

ビデオレンタル時代を経て、映画館で最新作を観始めたのは2000年代に入ってからです。そこからはロードショウが世界の中心となりました。寝ても覚めてもロードショウ地獄って感じです(笑)

 

 

映画と出逢い、スカスカだったから、なんでも新鮮に感じて、知識を詰め込めた・・あの頃の自分に「古い映画も勉強しておくように」と伝えたいけれど、、こればっかりは仕方ない。この映画のことも知らなかった。だからティム・バートンの映画名を真っ先に思い浮かべた。まさしくロードショウで育った書き手だ(^_^;)

 

 

そろそろ本題に入ろう。うん、これは独り言。気にしないでほしい。日常で独り言は殆ど喋らないから、危ない奴ではない(笑)

 

 

監督・脚本・製作にも携わる多彩・メキシコ人監督の【ギレルモ・デル・トロ】[57]は、こうしたノワール調(暗黒)のサイコミステリーを撮らせれば手腕が光り、それを神懸っていると感じることが多い。

 

 

監督として注目された2006年の『パンズ・ラビリンス』。脚本を手掛けた『ホビット』三部作。そして2017年の『シェイプ・オブ・ウォーター』で半魚人のオスと人間の女性との恋愛を描き、アカデミー賞4部門(作品賞・監督賞・作品賞・美術賞)受賞。見事にオスカー監督の仲間入り。今、最も脂が乗っているハリウッド監督だろう。

 

 

シェイプ・・の時も記事で書いたと思いますが、想像力を映像として具現化することに長けた監督だと思います。

 

 

人間の偽善だったり腹黒い部分って、小説としてはありふれていますね。作者が内に籠もって書くのでダークな部分って文章で表現しやすいですが、これを撮る場合、映像として残す場合は難しさが増すし、俳優も表現するのが難しいと思う。

 

 

頭で思い描いた内容を表現するのってなかなか難しいと思いますが、ギレルモ監督は上手い。リスペクト。

 

 

(監督作品は『シェイプ・オブ・ウォーター』『魔女がいっぱい』を記事にしました。)

 

 

それでは物語の展開を進めながら、mAb調の解説をして行きます。

 

 

____

 

 

 

 

 

野原の丘に建つ一軒家に火をつける若い男。上記に貼った写真を見て分かるように、円を描くように灯油をまいて、複数箇所に火を点けます。

 

 

(灯油の撒き方を見て分かる、こいつはナルシーでキザな野郎だぜ)

 

 

そして男は火を放った家を背にして歩いていく。

 

 

 

 

その後。移動式興行を行っているカーニバル(サーカス団)に行き着き、そこで行っていた獣人ショーを見学する流れに。

 

 

 

 

呼び込みの男が、テントの前で誘い込む。

「世にも珍しい獣人(ギーク)のショーを見れるよ!さぁ入った入った!」

 

 

正体不明な生き物を見世物にするカーニバルの一座。

 

 

一般客が目にする獣人は「怪物」。しかし実際には、アル中や薬物中毒で平常心を失っている小汚い人間を監禁して見世物にしていることが、この後すぐに種明かしされます。

 

 

(20世紀より以前のサーカスは、実際にそういう奴隷や障害者を見世物として使用していたのでしょうね)

 

 

レディース・アンド・ジェントルメン!!

 

 

檻に入れた獣男の前にニワトリを一羽放り込む。獣人はニワトリを捕まえ首を噛みちぎる。「OU!」「キャー!」の観客の反応。

 

 

飲まず食わずにさせ飢えた獣人の、貪り食う一部始終を、観客は悲鳴を上げながら高みの見物。

 

 

生き物には気の毒だが、このショーを見る限りでは、需要と供給は出来ている。

 

 

係員が鑑賞料を徴収する時間。

 

 

男はそれを見た途端、関係者たちが行き来する裏口に進み、バッグヤードの中へ。

 

 

そこでカーニバルの団長【クレム】と右腕【ブルーノ】に呼び止められる。

 

 

声をかけても、相槌は打つが、何も喋らない男。

 

 

「おい、お前、暇ならここで作業していくか?」

「その手に持ってるラジオ、買い取ってやるよ」

 

 

団長クレムは、ここで働く奴らは誰もが素性知らずな流れ者だと男を雇う。

以降、カーニバルの一員として落ち着き、彼らと行動を共にすることになる。

 

 

冒頭から「謎の男」として登場する主演の【ブラットリー・クーパー】[47]と言えば、なんと言っても出世作である『ハングオーバー!』シリーズ(2009〜都合3部作)の印象が強くあります。私はハングオーバー!3部作の大ファン。何度観ても同じ部分で大笑いできます。

 

 

ブレイク後に『世界に1つのプレイブック』で主演男優賞にノミネートをし、以降『アメリカン・ハッスル』『アメリカン・スナイパー』『アリー』と、ブレイク後の10年間で合計4度も俳優部門でアカデミー賞にノミネートしている男優。

 

 

しかし私にはハングオーバー!の印象が強くあるので、演技派?とは思っておらず「爽やかで面白い男優」というイメージになってしまいます。

 

 

さらに主張の強い。ブラットリー・クーパーのツブラな青い瞳と、少しニヤけたような表情。

日本でいうと堺雅人さんのような感じですね。まぁ堺雅人さんのほうが演技力では上だと思いますが。

 

 

 

 

彼の登場シーンは悲哀の演出から始まります。民家を放火した後、燃やした民家を振り返ることなく歩き出す。ラジオとバックを持って。

 

 

獣人や超人などを見世物にしているカーニバル団の見物客を経て、いつの間にか正体不明のまま働くことになっていくのですが、冒頭から移動式遊園地までの間のかなり長い時間、一言も言葉を発しないので、最初は話せない人間なのかな?と考えました。

 

 

 

 

話せない人間=サーカスの見世物にされる、この時点でこの想像をしました。

 

 

持っていたラジオをサーカス団の団長が買い取ることにより働くことになるので、初めからそういうつもりで持っていったのかも知れませんね。

 

 

その後、脱走した獣人の捕獲を手伝うシーンで第一声を出し、それからは何ら普通に喋るようになっています。

 

 

あの冒頭から日当たり作業員の採用までの間、ニヤケ顔で「無言を貫いた展開」は何だったのか?意図したものなのか?すべてを見終えた後で、私には少しこの出だしの部分が疑問に残りました。

 

 

その後の彼の行動は、後半に繋がるための伏線を張っている事が多いけれど、全てが伏線だとは少々思えないような展開の流れがあります。脚本は巧みに計算されているのでしょうけど、映像で伏線を張りすぎるのもよくないですね(;´∀`)

 

 

おそらく私の解釈だと、「状況によって臨機応変に自分の生き方を変えていった男の物語」。

 

 

男の名前は【スタン・カーライル】。以下スタン表記。

 

 

 

 

撤収後、移動先の民家で、風呂を借りることにしたスタン。

風呂と言っても風呂屋ではなく、カーニバルの主要メンバーが暮らす民家のお風呂を有料で貸しているだけ。

 

 

風呂場は扉がないので、リビングから丸見え。

女宿主[マダム・ジーナ]は入浴中のスタンに話しかけ、湯船の中に手を伸ばし、男を刺激し行為に及ぶ。

 

 

関係を持ちファンファンファンとフェイドアウト。次のシーンでは、本番のステージ準備に取り掛かるスタンがいます。先程までとは打って変わり元気一杯。

 

 

女宿主の助手として、サーカス団で働くことになるスタン。日当たり作業員から、メインキャストの助手に昇格。

 

 

ここではステージに立つ人達は皆「特技」を持っています。

ジーナは占術師。彼女の助手の老紳士[ピート]は読心術を得意とします。

 

 

 

 

ジーナ、ピート、電流を流しても無傷な超人的パフォーマーの[モリー]、そして新メンバーのスタン。

スタンはまだ、この時点で「特技」を見つけていないので、呼び込みやMCなどの手伝いに精を出します。

 

 

彼らはチームプレイで、ステージ上にいるマダムに情報をコンタクトし、観客の個人情報を言い当てていくのです。

 

 

 

 

その工程を紹介しているため、種も仕掛けもあるインチキですけど、集まっている観客の反応を見れば、ちゃんとした興行になっています。

 

 

この映画の時代背景がルーズベルト政権。フランクリン・ルーズベルトは第二次大戦時のアメリカの大統領ですね。1945年の連合軍の勝利目前という状況で脳卒中により急逝する人物。

 

 

劇中では日本軍が真珠湾を奇襲攻撃するニュースがラジオから流れる1941年12月8日。ここがクライマックス。

単純計算で1939年〜1941年プラスアルファが映画の時代背景になっています。

 

 

現代のようにテレビもインターネットもない戦前ですと、こうしたラジオ放送での言葉だったり、劇中のサーカス団やステージで観客が目で見て驚いた不思議体験だったりは、相当な影響を与えるのでしょう。

 

 

前述にも書いたとおり、何を考えているかがよく分からない流れ者のスタンですが、一座のメンバーになってからは、笑顔も見せるし、人付き合いもするし、人当たりもいい。居場所を確保し落ち着いた様子。

 

 

スタンを採用した団長と団長の右腕の俳優方も魅力的。

 

 

4度のアカデミー賞ノミネートという経歴を持つ技巧派【ウィレム・デフォー】[66]と、『ヘルボーイ』で巨漢ヒーローを演じた【ロン・パールマン】[71]という俳優の組み合わせ。どちらも善人というより、平時でも悪人顔に視えるから、一癖も二癖も魅せれる俳優。ダークミステリーというジャンルにはもってこいの人選でしょう。

 

 

場末のサーカス団。オフの時は、華やかさ・賑やかさがあまりありません。

 

 

1930年代後半の時代ですから、背景には「世界恐慌のアメリカ」があるのかも知れません。

だからこそ、貧富の差が生まれ、貧乏者には暇がなく、富を得ている者は娯楽を求めていたのかも知れません。

 

 

スタンが占術師のマダムのもとに落ち着き、活動を始めたこの辺りから、色んな種類の人物が登場してきますが、スタンだけを主軸として映画を観ていけば、分かりやすい。

 

 

例えば登場人物たち。脇役は目立たないし、目が行かない。誰もが主人公という考え方は存在しない。

 

 

ヒュー・ジャックマンの『グレイテスト・ショーマン』のように、特異体質の人達が歌い踊るような華やかさはなく、もっと現実的な泥々さや干渉のしなささみたいな、生きるか死ぬかの世界で暮らす人間の肉々しさが表されています。

 

 

観ていて思ったのは、

誰も、これが天職だとは思っておらず、食いつなぐために働いているという印象を受けます。だからといって、貪欲さのような野心は、このサーカス団全体の雰囲気からは伝わってきません。そこがまた現実的でいいと思います。

 

 

この頃になると、主人公のスタンは、ある1つの能力を自分の「特技」にしたいと考えます。

それが読心術でした。

 

 

(先程から「特技」という表現をしていますが、私の見方が一芸なだけで、劇中ではそのような入団条件は一言も紹介していません。元々スタンは肉体労働者としてサーカス団に雇われています。)

 

 

読心術は、チームメイトのピートが得意としている能力。普段はアルコール中毒者で呂律が回っていませんが、その能力は誰もが認めていて、スタン自身も飲みの席で心を読まれ、その際にかなり心を揺さぶられて動揺しています。こいつは本物だ!これを自分のものにしたい!とでも心の中で思ったのでしょうか。

 

 

ショービジネスを意識したスタンは、彼のその能力と、彼の「芸の心得」が書き込まれた「ノート」を手に入れたいと考えます。

 

 

その時点で、他の団員の「その日暮らし」の空気感と、彼が身にまとっている「野心」の空気が違って観えます。

スタンは、この読心術の能力を手に入れて、もっと上に行こうと考える上昇志向さが垣間見れます。

 

 

結果として、ピートは原因不明で死亡し、彼の秘伝のノートはスタンが所有することになります。

 

 

「僕と一緒に行こう」と前もってアプローチしていた恋人のモリーを相棒に独立し、カーニバルを離れます。

 

 

あとはノウハウを身につけるだけ。その後のスタンは読心術師として有名人となりますが、このノートの心得を自分のものにするまでには相当な練習と実戦経験があったのでしょう。努力の天才。徹底的に作り込まれた天才ペテン師への道へ。

 

 

テロップ。「2年後」

 

 

アメリカのショービジネス界で成功するスタンは、一流ホテルのエンターティメント・ショーに出演するなど、セレブたちの間で話題になるまで上り詰めています。

 

 

彼は死んだピートの手帳に書かれた読心術の極意を自分のものにして、見事なまでに相手(客)の心を読みながら、まさに「独壇場」と呼ぶのに相応しいショーを披露し続けています。

 

 

客席に座る紳士淑女は、拍手喝采、心を読まれた客も大喜び。

 

 

楽屋に戻ると、予習復習を、相棒であり恋人のモリーと行う。ダメ出しもする。当然のことながら、読心術の裏側の努力が客に知られてしまったとすれば、一気に信用を無くしてしまいますから、失敗はできないし、入念な練習の成果が先程のショーに出ていることが分かります。

 

 

モリーとはカーニバル時代に出会い、引き抜いた女性であり、サーカスでは「ビックリ人間」のパフォーマーでした。電気椅子に座り、ショック死レベルの電流を体に流し、無傷でいるようなショーを行う女性。

 

 

度胸と器用なパフォーマーでもあるので、恋人という存在以上に、ビジネスパートナーとしても、スタンはモリーを愛しています。

 

 

彼女が「2年後の現在」でも舞台上でビックリ人間を行うのか?は、描かれていないので想像でしかありませんが、基本的にステージは大衆相手のサーカスではなく、お金持ち相手の読心術がメインとなります。なので余興ぐらいで披露しているのかも知れませんね。

 

 

モリー役は【ルーニー・マーラ】[36]

わたくしmAbが演者として大変好みな女優でもあります。

これまでは3作品をここで書いています。

 

 

正直な気持ち。150分の映画を率先して観るには動機(モチベーション)が必要。

(鑑賞当時)「アカデミー賞ノミネート作品」という魅力も動機の1つですが、映画のキャストに彼女の名前を見つけ出演されていることを知り、今作品を観たようなものです。そういうのってあるよね。もう昔みたいにシネコンで上映されていれば何でも鑑賞するmAb君じゃないもの。。

 

 

ルーニー・マーラと言えば日本でも大ヒットしたハリウッド・リメイク映画2011年の『ドラゴン・タトゥーの女』出演でブレイクしたアメリカ人女優。彼女の役作りに対する本気度などを当時のインタビュー記事などで読んで、とても感銘を受けた覚えがあります。

 

 

演じるモリーの「年齢」の紹介は(多分劇中に)なかったと思いますが、劇中のセリフから幼き頃よりカーニバルの一座にいて、団員達とも家族のような関係性。男性経験のない生娘。パフォーマンス中はハイレグで電気ビリビリと何かとインパクトが有りましたが(;´∀`)

 

 

なので、突然現れた流れ者がモリーを誘い一緒に独立しようと誘惑していることを知った時、娘のように可愛がってきた団長は猛反対。。結局は別れを惜しむ形で離脱を許可します。

 

 

劇中では同窓会のような集まりもするし、家族(サーカス)を離れた今も、時々モリーは電話なのでお互いの様子を気にかけている。それって多分、「孤独」なスタンにはない「家族感」。

 

 

団長が反対するのも無理ありません。なにしろスタンは良い奴だけれどペテン師だから。

 

 

劇中の1場面。(占術師としては優秀な)マダムのタロット占いで、スタンに対してよろしくないカードが出ています。

 

 

「吊し人」。英語だとHanged Man。「静止」を意味するカードです。タロットは正位置・逆位置と捲ったカードの向きによって判断しますが、映画でチラッと映っていたのは吊る人の逆位置でした。

 

 

詳しく解説すれば、このカードの逆位置の解説として、「自分が身動きの取れない状態になり、現実を受け入れられずになる」。アドバイスとしては「現状をありのままで見つめることが大切。」と。タロットは内容的には万国共通なので、私の知識で合っていると思います。

 

 

占いに詳しくない人でも、このカードを見たマダムの反応を見て、観客も彼の行末を案じることが出来るでしょう(^_^;)

 

 

サーカスを離れ2年間で、2人の関係性にも変化が生じます。

私生活では口喧嘩も増え、ステージ助手としては主従関係があり、もっとこうしろ、どうしてあそこを間違えた?しっかりしろ!命令口調になる。モリーに対して苛ついている。

 

 

めおとコンビでステージでは息ピッタリも楽屋では注意。それでもモリーは彼の言うとおりに従う。その様子が健気に感じます。

 

 

映画の前半部分と流れを書きました。

この下からは私のこの映画の見解と、「第三の女」の登場による中盤部分と流れを紹介いたします。

 

 

______

 

 

 

この映画は主人子スタンと3人の女たち、で構成されていて、それ以上でもそれ以下でもないです。

 

 

成り上がり思考の強い彼は、その時々に出会う女性により、方向性が変わる。

かと言って悪女ばかりではないから、その「恋愛模様」も魅力に感じました。

 

 

その時その時で、恋仲の間柄になる女性から、強いエネルギーを貰い、仕事に繋げていく「孤独な男」、という私の見方。

 

 

最初の女性は【トニ・コレット】[49]演じるマダム・ジーナ。

 

 

額が広く面長のトニ・コレット。年齢の割に少し老けて視える印象です。

 

 

 

(ドラッグクイーンのようにも観える)

 

 

彼女は流れ者のスタンを、一座に留まれさせた後、自分の助手として傍に置きます。

結果として主人公がマダムと出会ったことで、今後の展開で巡り合う2人の女性を繋ぐキッカケになるのです。

 

 

お風呂を借りにきたスタンに攻め寄り、体の関係を持つ性欲マダムな第一印象が強いのですが、

 

 

 

 

彼女には「本物の能力を持つ読心術師」のピートという恋人(相棒)がいます。

演じる俳優は名脇役の【デヴィッド・ストラザーン】[73]

 

 

 

 

ピートは自分が生み出した「読心術の極意」が書かれているノートを携帯していますが、非公開。弟子を取る主義でもないので会得する機会がない。

 

 

「読心術」と出会い、強い興味を示す主人公は、そのノートをどうしても読みたい。だけどこっそり見ようとして見つかって以降、彼から警戒されてしまいます。

 

 

ゆえにピートはある夜、殺害されてしまうのです。何者かの手によって。。(想像(諸説)あり)。

 

 

1番目の女性として登場するマダム・ジーナは、主人公に大きな出逢いをもたらす役割を持ったキャラクター。

 

 

もしも主人公が、ピートと出逢わなければ、後に「読心術師」といしてショービジネス界で成功することはなかったのかも知れません。

 

 

2番目の女性はルーニー・マーラ演じるモリー。

彼女と彼は婚姻関係を結んでいるのか?ちょっと分かりませんが、見たところ内縁の妻みたいな感じですかね。

 

 

 

 

独立後は彼と2人二人三脚で一流ホテルでエンターテイメント・ショーを行えるまでになりました。

第一の女性ジーナ同様、彼に「キッカケを与えた女性」ということになります。

 

 

2人のショーは、基本的に主人公が喋り続け、進行する。

その後ろでモリーはアシスタント兼パフォーマンスを行う。

 

 

元々、子供の頃からサーカス団にいたモリーは、外の世界を知らない純粋な女性。

そんな彼女を口説き、家族同然の一座から旅立たせたのだから、もっと幸せにしてほしいのが、正直な気持ち。

 

 

テロップ「2年後」で展開が飛びます。その2年間の間にどういう下積みの苦労が2人にあったのかも描いてほしかったな。だけれどまぁ・・説明的になるのもアレですし、そういう情景は観客が想像すれば済む話なんですけどね。

 

 

成り上がり思考がとにかく強い主人公にとって、彼女のような特技・才能があって純粋で賢い女性は、理想的なんだろうな。

 

 

だけれどモリーには、「したたかさ」がないです。野心と言ってもいいかな。おそらく主人公には物足りなさがあるのでしょう。

 

 

ちなみにモリーは芸名で、本名は「メアリー・エリザベス・ケイヒル」とのことです。タイトルになった「ナイト「メア・(ア)リー」」ですね。

 

 

そんなモリーと恋人・仕事の相棒の関係を継続しながら、新たな女性が登場します。

 

 

3番目の女性。

それがリリス・リッター博士。

 

 

 

 

演じる女優はオスカー女優【ケイト・ブランシェット】[52]

大トリに現れたのはアカデミー賞常連女優。日本で言う宝塚出身の女優さんのような雰囲気が彼女にはありますね。

 

 

この第三の女性と出逢うことで、彼の本性が浮き彫りになり、破滅への道をUターンすることになる。

 

 

心理学者のリリス博士は、ショーマンとして活躍していたスタンの舞台に観客を装い、彼らと接触をします。

その後、スタンが一人で彼女のオフィスを訪れ急接近。

 

 

読心術降霊術の2つを組み合わせ、資産家たちを相手に、彼らの亡くなった大切な人を自分に降霊させ会話をする。日本で言うイタコを行います。ただ・・イタコもどき、です(^_^;)

 

 

興行と降霊。ショーマンとシャーマン。英語の言葉の響きが似ているのは、元々、単語を名付けた人が似てると思ったのでしょうね。知りませんけど。

 

 

心理学者のリリス博士は、患者の個人情報と、催眠療法時に仕入れた「極秘」情報をスタンに渡し、スタンは降霊術と見せかけて、誰も知らない顧客の超個人情報を口にすることで、相手に信じ込ませる。報酬は超高額。

 

 

成り上がりの男の末路といいますか、、実際の社会でも、だいたい同じなんですけどね。

そこで止めておけばいいものを・・どんどんエスカレートしていく。もう愛を持って接するモリーだって愛想を尽かせます。最後だから、次が最後にするから協力してくれ・・懇願するスタン。

 

 

 

上の写真からも感じるでしょう、ペテン師の雰囲気が。

 

(この写真、見ているだけで、インチキ臭い)

 

 

最初の客となる高齢の資産家老夫婦に、亡くなった子供の霊を下ろし(た演技をしながら)「あの世で待ってるからね」とメッセージを伝える場面は、映画を観ながらバチが当たればいいと思ってしまったものです。

 

 

こうして出会う女性たちによって、主人公はその度、「生きるすべ」を1つずつ身につけていきますが、全体的には映画冒頭の出発地点である「流れ者」がずっと続いていく感じに視えました。

 

 

____

 

 

 

 

 

 

ウィキペディア先生に書かれています。

元々、主人公スタン役は【レオナルド・ディカプリオ】に主演交渉を行っていたとのことです。しかし交渉が難航しブラットリー・クーパーに決定したとの事。

 

 

若い頃ならば爽やかでいいですけど、現在のディカプリオは眉間にシワを寄せて癖の強いキザ系の演技をするので・・結果論ですけど、ブラットリー・クーパーで良かったのかも。しっかり自分の色にしている感じもします。

 

 

ブラットリー・クーパーは、良い意味でも悪い意味でも「隙がある」ので、緊張感の高い現場で熱演中だとしても、例えば矢を放てば命中しそうな気がする隙を感じます(笑)

 

 

この役柄は、ある意味完璧にキャラを作り上げ演じていた主人公が、仮面を剥がされ崩れていくさま。そこに観客は見応えを感じると思います。

 

 

また、動揺を顔に出すのが上手な俳優なので、作品の展開の中で流れが生まれます。

 

 

舞台終わりのバックヤードで、感情を表に出したり、ネタの練習をしたり、、それは読心術を見に来た観客にとっては、分からない「素」になりますから、これまた映画の見せ場に感じました。

 

 

何度も見返したいと思えるような、体が欲しているような感覚はなく、1度の鑑賞で十分満足しました(笑)

エンドクレジットへの入り方も、実に見事で、後味の悪さの中で、「なるほど」と唸る自分もいた。

 

 

こういう気持ちの悪い映画を芸術的に描くギレルモ・デル・トロ監督の才能を観た気持ちが強いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

脚本 14点

演技 15点

構成 14点

展開 16点

完成度14点

 

 

[73]点

 

 

 

【mAb】

THE映画評論『Shadow in the Cloud』

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シャドウ・イン・クラウド

 

 

 

 

監督🎬

【ロザンヌ・リャン】

 

 

モード・ギャレット

【クロエ・グレース・モレッツ】

 

 

クエイド

【テイラー・ジョン・スミス】他

 

 

 

配給[カルチュア・パブリッシャーズ]

 

 

本編[1時間23分]

 

 

 

_____

 

 

 

2010年代。彼女がティーンだった当時。

アイドル的人気を博していた【クロエ・グレース・モレッツ】の出演作品をかなりの数、記事にしました。

 

 

(ダコタ&エル・ファニング姉妹。マッケンジー・フォイ。クロエ・モレッツのビッグファン。現在進行系であるが、クロエに関しては少々過去形です。)

 

 

当時は私も毎日のように映画を観て、毎日のようにアメブロを開き、毎日のように・・は言いすぎだけれど記事を書いていましたので、語る機会も多く。

 

ザッと調べたところ、クロエのティーン期のロードショウ映画を約6年間で12作品書いていました。

 

 

中でも作品にハマり、熱く書いた記憶があるのは『モールス』『HICK』『ヒューゴ』『ダーク・シャドウ』『キャリー』かな。

 

 

2011年の夏にミニシアター系で上映された『HICK』は、後にオスカー主演男優賞を受賞し、ハリポタシリーズの主演となる【エディ・レッドメイン】が性異常者役で出演していたのを覚えています。

 

 

10代で活躍していた人気女優を、20代になると観なくなることはよくあることです。

 

 

この数年間。クロエを劇場で観ることが少なくなり心配していました。

インスタグラムもフォローして拝見しているのですが、写真だと頬がコケて見え、口角を上げた時に福々と広がるホッペタが印象的だったから、ちょっと心配になっていました。今回数年ぶりに新作映画で拝見したのですが、やはり彼女は動画のほうがいいですね。犬みたいで(U^ェ^U)

 

 

ウィキペディア先生で調べると、ペース的には変わらずに主演作が公開されているようですが、日本のシネコンの取り上げ方が冷めた印象で、熱しやすく冷めやすい日本の国民性とでも言うのかな。単純な話、上映する映画館が少なくなったってこと。

 

 

それらはミニシアターや他系列のシネコンで上映されていた模様。それは(当時)TOHOフリークだった自分には不利でした。TOHOのシネコンで上映していれば観に行っていた筈ですからね。

 

 

 

 

 

そんなクロエも1997年生まれの25歳。すっかり大人の女性を演じ、今作なんて「肝ったま母さん」の役柄に挑戦していました。

 

 

全米では1年半前に公開されている2020年度扱いの映画で、撮影時期は2019年。年齢は22歳あたりでしょうか。

 

 

では始めます。

 

 

_____

 

 

 

TOHOシネマズ一筋15年。

 

最近は、TOHO、MOVIX、ユナイテッド・シネマの3つのシネコンに足を運ぶようになりました。

 

今作品は4月の第一週に松竹系シネコンのMOVIXで上映が開始されていたので、迷わずに鑑賞しました。

 

私が今もTOHO一筋で鑑賞していれば、もしかすれば上映を知らずに終了していたのかも知れません。

 

 

結果論ですが、良かったなぁ(^o^)

「映画館で観れた」と言うことだけで、何だか満足してしまいました。

 

 

本編は83分。感覚的には1時間ほどで終わってしまうので、短いのはいいのだけれど、逆に短すぎて話を纏められるの?と疑問を感じる上映時間です。

 

 

1時間ちょいの作品だと、「書いていい内容」も限られますから、いつもの半分くらいの文字数を心掛けようと思います。

 

 

オープニングとエンディング前は陸でのシーンですが、殆どが軍事飛行機内での出来事になります。

 

 

 

 

 

 

尚、アメリカでの公開が昨年の1月ということで、1年と3ヶ月を経ての日本公開。時々見かけますが、あらすじが最初から最後まで事細かく書かれていました。ウィキペディア先生を読まれる方はご注意をお願いいたします。

 

 

1943年8月

第二次世界大戦時

 

 

ニュージーランドのオークランドからアメリカ領サモアへ向かう軍用飛行機に乗り込んできた1人の白人女性。

 

 

サモアは、「サモア独立国」と「アメリカ領サモア」の2つの国がありますが、今作品の目的地となるのはアメリカ領サモアになるのかな。

 

 

18世紀に発見され、西洋人に侵略された後、アメリカ領土となり、戦争中はアメリカ海軍の基地があり、アメリカ軍はサモア人を訓練し、戦地に送ったそうです。

 

 

(発見したら、普通に暮らしていた原住民を追い出し、侵略するんだよね。歴史って。)

 

 

 

 

 

 

大型爆撃機B-17。今回の映画で主人公らが搭乗する戦機です。

1943年頃まで活躍していたそうなので、映画の時代的にもドンピシャリ。

 

 

 

 

第二次世界大戦・太平洋戦争は、英米を筆頭とする連合国にとって、日本は彼らの敵。

 

 

クロエ・モレッツ演じる【モード・ギャレット】士官が、大きな革鞄を持って搭乗。

極秘任務でサモアまでこの鞄を届けると伝え、B−17に乗り込む場面から映画は始まります。

 

 

 

 

所属は「婦人補助空軍」。階級は下級士官。

婦人補助空軍は実在する組織。Women's Auxiliary Air Force。通称「WAAF」ダブリューエーエーエフ。

 

 

第二次世界大戦中にイギリス空軍内において編成された女性軍事組織。

最大で18万人もの女性兵がいて、パイロットなどの戦闘任務というよりは主に裏方業。今作品のように軍の機密を運ぶ役割や、空軍の迎撃管制、軍事工場に所属するなど任されたそうです。表向きではね。

 

 

乗組員はみな男。彼らは突然「公務」だと言い乗り込んできたモード・ギャレットという女性士官に対し、困惑する。

「余所者」ということ、「女性」ということで、彼女を狭いボールターレットに閉じ込める。

 

 

ボールターレットはアメリカ製爆撃機に搭載された経緯台式架台式銃塔のこと。

 

 

(ウィキペディアより)

 

 

こうして実際の写真を観ると、かなり狭いですよね。トイレ事情はその場で垂れ流すのかしら。

 

 

銀幕の画角的なサイズではもう若干、広く感じますが、多分それは中に入るのが女性だからそう感じただけで、

 

実際に鍛え抜かれた男性兵が入ると想像すれば、動作1つでも変えづらい程の窮屈な空間なんでしょうね。

 

 

(クロエの公式の身長は163cm)

 

 

また、ご覧のようにガラス張りなので真下が丸見え。高所恐怖症の方は間違いなく気絶するでしょう。

 

 

狭いボールターレットの中に荷物は持ち込めない。

 

機密文書が入っているという鞄を【クエイド軍曹】に預け、文句を言わずにポールターレットに入るモード。

 

 

(モードと書くと、私の文章的にややこしくなるので、ギャレットと表記します。ロマンチック浮かれモード。)

 

 

飛行中。機内の男たちの会話がボールターレット内のスピーカーに丸聞こえ。彼女をおかずにしたエロい妄想話を、男たちが話している。

 

 

こういう戦時中の兵隊同士の下ネタトークは、アメリカ映画では非常にありふれていますね。日本だと放送禁止用語だから、まず聞かないな。

 

 

ギャレットは英国婦人空軍に所属しているので、職場には女性もいるでしょうけど、戦地に出向けば男世界。

 

 

こういう・・今で言うセクハラは慣れっこ。ラジオを聞くように彼らの会話を聞いた後、マイクをオンにし、「聞こえているわよ、お坊っちゃん達」みたいな呆れた応対をします。

 

 

その後は、コックピットとの通話だけの会話が続きますが、この時間帯は、まさに狭い個室で女性が1人ラジオを聞いているという絵みたいでした。

 

 

機内の様子は音声のみ。映像は主人公だけで、しばらくのあいだ進行します。

 

 

どうやらクロエの1人演技になる流れ。そう分かると、あまり期待はしないように心掛けました。

 

 

なぜならクロエは、良い意味でも悪い意味でも「顔で演技をするタイプの女優」だと思っているので、トーク力と言うよりは、リアクションが大きいのが特徴(持ち味)だからです。表情は豊かだけど、表現は少ないと言えばいいかな。

 

 

 

 

この映画で何らかのアクションが起きるまでは1人演技になるので、その時間帯は絵を中心に楽しもうと切り替えて観ていきました。好きな女優だからこそ、盲目になるのではなく、客観的に視るのがポリシーです。

 

 

___

 

 

 

それを知ってか知らずか、子供のようなあどけないお顔立ちを鑑賞しながら、やはり尺的にもあまり「間を開けない」展開になる。

 

 

彼女の居るボールターレット内は、後方部を除き見通しが良く、外の様子を常に監視できるような作りになっています。

 

 

警戒を怠らないギャレット女官は、常に外の様子を伺っていますので、些細な変化も見逃しません。

一方で、機内にいる空軍の乗組員達は実戦経験も少なく、この飛行も運搬目的で緊張感はありません。

 

 

そんなギャレットの目に2つの違和感が現れます。

 

 

1つは日本軍の爆撃機。雲の中に隠れた日本の爆撃機を確認します。

 

 

(個人的には私は日本人ですから、日本人を撃ち落とそうとする描写って、少しだけ嫌な気持ちになります(^_^;))

 

 

2つ目は、巨大な生物です。羽のないコウモリみたいな気持ち悪いやつです。

 

 

1つ目の設定がリアルなのに、2つ目で急に映画的になりましたね(;´∀`)

 

 

(日本軍と怪物、、なんか合わない組み合せ。だったら怪物よりも馴染み深い妖怪のほうがいいかな。天狗とか鬼とかでも(笑))

 

 

この違和感、勿論すぐにコックピットに報告をしますが、どちらの存在も信じてもらえません。

 

 

「グレムリン」と名付けられた怪物は、まずギャレットを見つけ、襲いかかります。

 

 

 

 

この時、隠し持っていた拳銃をグレムリンに向け発砲。驚いたグレムリンは機内の中へと入っていきます。

 

 

 

 

(体幹が凄くいい)

 

 

ちなみにグレムリンと聞けばスピルバーグ監督のギズモを思い浮かべる方が多いと思いますが、元々はイギリスに伝わる妖精で、第一次・第二次世界大戦の時に出現の噂が流行したバケモノです。

 

 

初見では非現実的な登場人物だなと思って観ていましたが、この後付の知識で少しだけ理解力が増したのも事実です。闇雲に映画的に描いているわけじゃないんだね。

 

 

話を戻します。

 

 

驚くことに、この気持ち悪いバケモノ(おそらくメス)は、ちょっとのことでは死なず、銃で撃たれるなどダメージを受けても何度となく彼女たちの前に現れる厄介さな存在です。

 

 

ギャレットは直ぐに機内に報告し「グレムリンが出たわ!」と注意を呼びかけますが、銃声を聞いた彼らにとって最も危険なのは「ギャレット」ということになりました。

 

 

「銃は持っていないって言わなかったか?」「持っていないわ」「じゃあ、さっきの銃声はなんだ?」「さぁ?銃声なんて聞こえなかったわ」「それとな、さっき問い合わせたんだけど、婦人補助空軍にモード・ギャレットという士官は存在せず、同乗者名簿にも載っていない。どういうことだ?」「・・・それは・・それよりもカバンは無事?」。

 

 

などとやり取りをしているうちに。グレムリンは機内の中に入り込み、クルーの1人が機内で目撃。「なんか居た!」

 

 

しかし他の乗組員たちは信用しない。なーにを馬鹿なこと言ってやがるんでい!ってな感じ。

 

 

(どうして江戸弁で書いたの?Σ(゚Д゚)特に意味はない)

 

 

まぁ・・第二次世界大戦中の南太平洋で連合軍機の乗組員が、日本軍機を見たと伝えて、信じてもらえないのも、少し平和に思ってしまうのだけれど。。

 

 

この無線でのやり取り・音声だけのやり取りが、暫く続きます。前半部分はクロエとバケモノだけが登場。

 

 

 

 

 

予想したとおり、クロエは顔芸で「熱演」しがち。ウォーやギャーなど、リアクションのパターンは少ないけれど、熱演という見方が出来る女優。このシーンは挟まった指が歪な角度に曲がってしまい、自力で指を真っ直ぐに治すという痛々しいシーンなどです。

 

 

さらに日本軍の機体が計3機、姿を現し、B-17を攻撃してきます。

ここでようやく、彼女の言葉を信じ、機内の兵隊たちも戦闘モードになります。

 

 

ホントに日本軍がいたぞ! うわぁ・・何だこのバケモノは!? 機内は一転パニックに。

 

 

彼女にしても、観客にしても、「さっきから言ってるじゃないかーいΣ(゚Д゚)」と突っ込みたくなります(^_^;)

 

 

同時進行する2つの攻撃物。

 

 

銃塔で日本軍機を1機、迎撃し墜落させることに成功したギャレット。

 

 

びっくり仰天だったのは、ハッチの開閉棒が壊れ、中から機内への移動が出来なくなったことにより、一旦、外に出てから機内の中に戻るという・・・トム・クルーズでも断りそうなアクロバットなアクションを披露。

 

 

 

 

ニュージーランド→サモア間の約3000kmの飛行だとしても・・

上空の気圧だったり、アイアンマンじゃあるまいし・・生身の人間がどこまで耐えられるのか?などは少し教えてほしいところです。

 

 

化け物と戦うアクション映画だとしても、「第二次世界大戦」「日本軍」「英国婦人補助空軍」など、描いている機関の存在が結構リアルだったりするので、ここらへんは説明不足に感じました。

 

 

・・個人的にはバケモノを登場させたことで、リアリティがなくなるわけで、最初からバケモノなしで紅一点の女性士官が活躍する軍用機アクションにすれば良かったのになぁ・・なんて台無しにする指摘を考えてしまいます(;´∀`)

 

 

 

日本軍の攻撃。グレムリンという得体の知れないバケモノ1匹が機内に潜入。戦闘経験の少ない軍用機の乗組員たちはパニック。

 

 

そうして、冒頭から彼女がしきりに確認する「カバンの中身」。映画の中盤、しびれを切らした乗組員の手によって、いよいよ開ける時が来ます。

 

 

___

 

 

 

物語の紹介はここまでに致します。

 

 

現在、4000文字。前回、前々回の記事が1万文字を越しましたので、今回はあと1000文字だけ書いて終わりたいと思います。

 

 

この映画は「カバンの中身」に重きを置いているので、その部分を抜かして見せ場を紹介しますと、

 

 

例のグレムリンと、ギャレット演じるクロエとの、戦いが後半に用意されています。

 

 

最初の方は相手はバケモノですから銃や武器を使用しますが、最後の方は素手で異種格闘技戦のような戦い方をしています。

 

 

 

 

グレムリン「こいつは頂くぜ」

 

 

 

 

ギャレット女官「返せ、この野郎!」

 

 

見方によってはB級映画になるし、なんだかこのバケモノが、上空にいた時はコウモリに思えたので、なんだかウイルスを運んできそうで気持ち悪いなと思ったものです。

 

 

ちなみに、このバケモノは生物学的にはメスだと思うので、後半は女同士の闘いみたいな構図にもなります。

 

 

軍用機だったり、バケモノだったり、細部をこだわっているのが伝わり、予告を入れても1時間半くらいで終わる映画。

 

 

エンドクレジットには、第二次世界大戦当時のイギリス婦人補助空軍で活躍した婦人兵隊の活動の様子が、写真で紹介されます。

 

 

実際の婦人兵隊の方々が、この映画のように素手でファイトクラブをするようなアクションをしていたとは思えませんけど・・映画鑑賞後に、「グレムリン」や「婦人補助空軍」というワードを検索して、あながち空想だけのフィクションではないという妙な説得力がある脚本に感じました。

 

 

戦地で戦う男達は、女性から生まれる。

 

 

それは人間にとって当然のことではありますが、女性という母の生命力の強さに圧倒される男達、という後半の構図がとてもよかったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

脚本 14点

演技 13点

構成 13点

展開 14点

完成度13点

 

 

[67]点

 

 

 

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【mAb】

 

 

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