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THE映画評論『そして、バトンは渡された』

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本作品の鑑賞は11月初旬。
鑑賞から約1ヶ月を空けて書き始めますが、記憶力もきっと健在ですから、なるべく近々で観たテイで文章を書いていこうと思います。
 
 
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年に数作品、テレビで目にする感動系映画の観客リアクションCM。

今作品も鑑賞中の観客の様子が公開され、映し出される女性の方が大粒の涙を流していらっしゃいました。

 

 

これを見て「あゝ感動系の日本映画なんだ」と「ジャンル分け」が解りやすい。

 

 

感動系ドラマ映画は、静かにシクシク泣く観客と、画面を見つめながら涙を拭かずに頬にこぼれ落ちていくリアクションが基本です。

 

 

ホラー映画だったらリアクションの定番は仰け反るコメディ映画だったら口角を上げて笑う。なんなら手を叩く素ぶりのオーバーリアクションをすればテレビ(宣伝)で使いやすいという話を、その筋の方から聞いたことがあります。

 

 

(宣伝予告を斜めに視ていてすみません(>人<;))

 

 

これは日本の宣伝CMの伝統なので否定する気は無いですが、正直、100%肯定派・満足派の意見・感想しかテレビは映しませんよね。肯定だけでは進化は無いので辛口な意見もCMにあっていいと思うのです(^_^;)

 

 

それよりも、観客のリアクションを撮るカメラは、どのくらいの近さで撮っているんだろう?と毎回気になります。下アングルから女性の膝辺りを映し、リアクションがあれば顔(目元)がド・アップに寄って撮っていますから。仮に自分がコマーシャル用に試写会を訪れた鑑賞者ならテレビ映りを意識するか、気が散るかどっちかです(^_^;)

 

 

 そしてそして。いつも気になるのは、そういう感動系の番宣CMでは省かれている印象の男性の反応だったり、宣伝の女性客は20〜30代が基本なので、中年から高齢の女性はどういう反応を示すのか?など、そちらも知りたいところです。この映画は中年の女性から見れば「子供が可哀想」という心情で観ていくはずですから。

 

 

例えば、女性客が中心ですけど、カップルや夫婦で鑑賞されている方もいますので、男女2人を同じ画角で撮って、2人ともが泣いたタイミングをCMで放送すれば、男性の集客にも繋がると私は案を出したいんです。誰も読んでいない小さな場で語ってみました。

 

 

 

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近年「涙活」という言葉を耳にしますので泣ける映画もいいですけど、個人的には感情論より完成論を優先。そして、長年映画の魅力を語ってきた者としては「鑑賞から得るもの」が欲しい。

 

 

鑑賞の決め手は・・・(ここ最近の自分には鑑賞に理由や決め手が必要です。面倒くさい男ですね。)

 

 

宣伝が「女性満足度が高いこと」を売りにしていたのと、出演者が自分と同年代の「実力派」一流俳優(田中圭・石原さとみ)だったこと。

 

 

「女性の集客が多い」で真っ先に思い浮かぶのがジャニーズ事務所です。しかし「ジャニーズを起用していない」←この条件で「女性の集客」が多い・「満足度」が高く「収益」を上げるのは純粋に凄いことなので、映画の完成度が高いと想像しました

 

 

そして鑑賞日の話。

 

 

平日の渋谷周辺で仕事をしていました。この周辺のTOHOは渋谷・新宿・六本木・日比谷・日本橋。

 

 

TOHOシネマズ渋谷の夕方の時間帯を選択。コロナ渦ですが、座席は7割方埋まっていました。

女性の観客が8割。学生やOLさん。土地柄、若い世代。一応はテレビコマーシャルの状況を再現できたわけだ。

 

 

全然、関係はないのですが、映画の時間まで40分あったので、TOHOが入るビルの地下にあるラーメン中本で店外待ち8人で15分並び、蒙古タンメンを食べてから鑑賞に臨みました。中本、セブンイレブンのカップラーメンも備蓄するほど好きなんです(笑)

 

 

では楽しい映画の時間です!

 

 

 

『そして、バトンは渡された』

 

 

 

 

 

監督🎬

【前田哲】

 

 

【永野芽郁】⇄【稲垣来泉】

 

【石原さとみ】

 

【岡田健史】

 

【田中圭】【市村正親】【大森南朋】

 

【戸田菜穂】【木野花】他

 

 

 

配給[ワーナー・ブラザーズ]

 

本編[2時間17分]

 

 

 

主要俳優以外の情報がなかったので、Wikipedia先生で検索します。

 

 

 

 

 

 

2019年に本屋大賞を受賞した人気小説の映像化らしいです。

 

 

恥ずかしながら「話題の本」に関してはかなり疎いです。書店を訪れた際に「ベストセラーコーナー」だったり、書店員がポップを書いた「話題の新書コーナー」でハードブックのカバーを見たことだけは記憶に残っていました。

 

 

 

あぁこの原作本の映像化なんだぁとなる感じです。

 

 

小説本は、主に時代小説と【東野圭吾】先生しか読まない私は、この作品の内容を存じておりませんが、

 

Wikipediaには「20歳が一番読んだ小説ランキング」にランクインした作品だと紹介されていました。

 

 

そういうランキングが世にある事も初めて知った所存ですが、それを聞いて「仕事が早い」・・と強めの関心。これぞ「鉄は冷めぬうちに打て!!」。

 

 

近年は本屋大賞に選ばれるイコール映像化という流れが確約されているように思いますが、大賞受賞から約2年で映画公開迄を果たし、当時20歳だった小説の愛読者はまだ22歳です。コロナ渦の状況を経ての公開ですから、物凄い早い映像制作の印象を受けます。

 

 

漫画の実写化。小説の映像化。特に小説は読者1人1人が頭でイメージしている人物像がいる。否定派・肯定派はいるでしょうけど、好きな小説がすぐ(熱冷めやらぬうち)に映像化された!と喜ぶ方も多いでしょう。

 

 

 

まず初めに。映画のタイトルに句読点が付いていることに、注目しました。

 

 

『そして、バトンは渡された』。「そして」の接続詞で一旦区切るのですね。

 

 

『そしてバトンは渡された』でも「そして誰もいなくなった」みたいで文学的にはスムーズだけれど、そしてで句読点を入れることで、主人公の人生のバトンを辿っていく意味合いにしたかったのではないかな?と勝手に想像しています。

 

 

(以下。読者の方にはお馴染みの「mAb調」の物語文。解説しながら、雑談しながら、あらすじを追っていきます。)

 

 

主人公は「優子」。彼女の2つの時代を交互に展開していきます。

 

 

※ 前半のうちに観客に同一人物だと想像させる交互展開なので、ここでは最初から合繋で紹介していきますm(__)m。

 

 

【大森南朋】さん演じる父親:水戸。妻が他界し、小学生の娘:優子(愛称:ミータン。以下、幼少時代ミータン表記)とアパート暮らし。まずは2人の父子家庭の日常から描かれます。

 

 

 

 

幼少期の優子役を演じるのは人気子役の【稲垣来泉】さん。

 

 

(来泉(く(る)/(いず)み)で、クルミと読ませるそう)

 

 

子役のお顔は、宮崎あおい、引退された『ポニョ』大橋のぞみさん系統。

この系統のお顔立ち=演技派をイメージします。10年後も活躍していそうな予感がします。

 

 

すぐにみぃみぃ泣くので「ミータン」という愛称が付いたようです。「泣き虫のんたん」と同じ類いですかね。

 

 

(泣く擬音がエンエンだったら、愛称はエンタンに変わったのかな。)

 

 

小学校の校門前。授業参観の後かな?「どうして私にはママがいないの?」と涙顔。

「(子供の目の高さまでしゃがむ父親)ミータン。ママはいるよ。(どこに?)お空にいるよ。」

 

 

自宅に帰ると父親は、赤ん坊の頃に撮った亡き母親との2ショット写真を見せる。さらに泣いてしまうミータン。

覚えていない母親像。父親が娘を想う愛は深い。映画を見ているだけで分かる。

 

 

父親の愛は彼女自身、十分に感じているだろう。しかし母親の愛を知らない幼子は泣くしかない。

 

 

ママが欲しい年齢だよね。

 

 

(シーン代わり)そんな娘とのやりとりがあった後、父親が女性を連れて来た。もちろんこの場合新しい母親として。この映画のキーマンだ。

 

 

(母親を恋しがる子供の様子〜父親が結婚相手を連れて来るまでの時間の経過は分からない。多分数ヶ月後だろうけど、数日だったら嫌だなぁ(^_^;))

 

 

ミータンが学校から帰って来ると、家の内装がピンク色になっていて、お姫様気分。

父子家庭の生活風景は殺風景→それが女性が家に加わるだけで彩々風景。「小学低学年の女の子」が大好きなパステルカラーですから、顔の綻び方が違う。

 

 

「ミータンのママになってもいーい?」

「ミータンのママになって!」

 

 

happy wedding ٩( 'ω' )و

 

 

 

友達を呼んで誕生会。これもきっと、映画は言わないけれど、母親の提案だろう。

 

 

周りの友達から「ミータンのママ、綺麗だね」と言われ嬉しそう。

 

 

こういう言葉(同級生から母親を褒められる)を言われるのも、きっと初めてだもんね( ◠‿◠ )嬉しいし、誇らしいはず。

 

 

 

 

(工場勤務の家庭にしては、お金がかかった内装かな。)

 

 

笑顔絶えぬ新婚生活も長くは続かない。

 

 

それから暫く経ち、「幸せ家族計画」が一変。夫婦に衝撃的な選択が起こります。

そしてその選択が、後の少女の人生行き先を左右することに・・・。

 

 

この日。家族で遊園地にお出掛け。乗り物を楽しむ妻と娘に、手を振り見守る父親。

チラッと映った携帯はガラケー。時代を表すアイテム。(ガラケーではなくて一眼レフとか使い捨てカメラで撮ればいいいのにな。動いている乗り物をガラケーで撮ると絶対ぶれるから(笑))

 

 

広場のテーブルで昼食タイム。すると父親が前触れもなく、こんな決定事項を母娘に伝える。

 

 

「(簡略)最高のチョコレートを作れるカカオ豆を見つけたからブラジルに行く。すでに仕事は辞めた来月3人でブラジルに移住しよう!

 

 

妻の梨花は「は?」

なんの相談もしていないし・・会社を辞めた?

やめようと思うじゃなくて辞めたの?

 

 

行こうと思っているではなく、行くことが決まったと決定事項を伝えられる。

 

 

よりによって海外。言語も違うし知人もいないブラジルに?

 

 

映画を見ている私も「は?」ですよ。こんな大事なことを一人で決めて、当たり前に自分に連いてきてくれると思っている父親の感覚にビックリです(^_^;)  新しい母親も変な明るさを見せる人だけど、スポンジタイプの父親との価値観が合わないのは意外でした。

 

 

梨花の答えはNO。おそらく結婚元年でしょうけど、相手をよく知らずに結婚した結果にも思えます。

 

 

その日から夫婦の空気も最悪に。元々、手料理を作らない梨花に「弁当ばかりだろ」と指摘し、険悪に。

と言うことは、先ほどの誕生会の料理って・・手料理じゃなかったんだと私は少しショックを覚える。

 

 

私はブラジルには行かない。じゃあどうすんだ?。あなたが一人で行けばいいじゃないの。ミータンはどうすんだ?。どっちの側にいるかはミータン自身に決めてもらいましょう。

 

 

ミータンは学校の友達と離れたくない。この気持ちが決定打となり、父親1人が単身でブラジルに移住し、継母と2人で日本に残ることになりました。

 

 

夫婦の婚姻関係は、この映画では結局よく分からないままでしたが、離婚などせずに遠距離夫婦になったように見えました。

 

 

映画に水を差してしまいますが、この父親は家族だったらどこにでも着いてくると確信する価値観の持ち主。

 

 

家族になんの相談もしないで「ついてくるもの」だと裏で動いていた(移住計画)のは身勝手に感じますが、仮に再婚相手の梨花が「あなたの決めたことを尊重してついていくわ」と言えば、めっちゃハッピーに収まったと思います。そう思う理由は、梨花の登場シーンがキャピキャピしていたから。

 

 

 大森南朋さん演じる水戸氏は「裕福」と言う感じではなく庶民派の中年男のため、彼女は彼のどこに惚れて結婚したのだろう?と冒頭の彼女の振る舞いから注目していました。冒頭から表されていた梨花像は、条件の良い男性を探して婚活しているので、庶民派の水戸を選んだことで、余計そう疑念を抱いてしまいました。

 

 

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結婚期間を映画は伝えていませんが、数ヶ月間くらいなんじゃないかな。

 

 

この部分まで映画を観ていて、私が思ったのは、「これでよかったのかな?」という家族の形。

娘のミータンを保護者目線で客観的に鑑賞しました。

 

 

パパが結婚して、家に若くて綺麗なママがきて、でも別々に暮らすことになって、友達がいるからNEWママと暮らす事を選択したんだけれど・・・現実として考えれば、血の繋がっていない母親を選ぶって・・ある意味バクチじゃないですか。子供は純粋ですが、知り合って数ヶ月ということも心配になります。

 

 

そんな心配も、まだ序章の話。映画でいうと始まって15分ほどしか経っておりません。

 

 

そして、この映画の主人公はミータンだということを念頭に置いておきたい。

 

 

(どうしても保護者目線で書いてしまう(^_^;))

 

 

かくして再婚早々、実の父親だけ単身で海外移住し、血の繋がりのないママと2人でのアパート生活が始まります。

 

 

(太文字にした部分が重要だったりします。涙腺ポイント。)

 

 

住居も家賃の安いアパートに引っ越し、部屋も散らかり放題。夫婦生活を冷凍食品で済ましていた梨花でしたから、家庭料理は望めない。

 

 

印象的なシーン。

 

 

「ただいまぁー!お洋服、買ってきたよ!」と梨花。子供の分と自分の分を見せる。

 

 

それを見たミータンは、出会った頃のようには喜びません。「ねぇ大丈夫なの?お米もうないよ」。

さすが名子役!。戸惑いを含めたセリフを自然に発します。

 

 

貧乏描写の定番。

梨花はパン屋からパンの耳を無料でもらって来て、フレンチトーストにする。そのクッキングを描いた母娘は楽しそうです。

 

 

パンの耳だけをかじっている描写だったら・・悲し過ぎますからね。楽しそうでなにより。

 

 

でも、冷静に視ると・・・えっ、夕食これだけ?パンの耳だけ?子供の栄養を考えない母親に視えました。

 

 

子供の洋服は買うけど、お米を買うお金は考えない。そんなに困窮しているの? などと育児放棄に向かうのではないか?という心配のほうが私には勝ります。実際、鑑賞された方で原作を読んでいないと同じような想像をするのではないかな。

 

 

 

父子家庭→母子家庭に変わったわけですが、やはり血の繋がりのない継母との生活は、見ていて心配しかありませんでした。

 

 

ブラジルに渡った実の父親・水戸の映像はその後、一切ありません。(ブラジルで頑張る大森南朋さんの様子を銀幕越しに勝手に期待したけど(笑))

 

 

パパに会いたいと泣く娘。じゃあ手紙を書きましょうと母は言う。書いた手紙を母に渡すミータン。

 

 

書いたら母親に預ける⇄手紙を受け取るも、いつも浮かない表情を見せる梨花←この繰り返し。郵便が来るたびにワクワクし、そのあと溜息。パパから一度も手紙が来ないと落ち込む娘

 

 

この涙も時が解決する。共有する時間が愛を育てる。

一緒にいる時間が増えていき、遠くにいて返事もくれないパパより、ママの存在の方が大きくなる。

 

 

この安アパートでの母娘2人暮らし迄を描いた様子で、私が切なく感じたシーンは・・

 

 

父親と母親。どちらについていくかの選択時、父親に付いて行かない事を決めた決定打は先ほども書きましたが友達と離れたくなかったからになりますね。

 

 

しかし、その親友だった女の子2人が、しばらくして習い事が忙しくなり遊べなくなります

そしてそのあとは、この2人といる描写がなくなるので、習い事が縁で疎遠になったのかな。

2人して同じ習い事をするのに、ミータンは誘われていない。短い描写ですけど、子供の頃から女子にハブかれていたのかな?なんて、のちの展開と重ねて想像しました。

 

 

仲良し3人組って、どこかで位置付けや仲間割れが生じやすいもの。奇数なので。

 

 

父親と離れてまで優先した友達だったのに、遊べなくなるのを見ると、切ないというか儚いですね。ミータンは放課後は真っ直ぐアパートに帰り鍵っ子になる。なら父親についていったほうが良かったのでは?とも考えてしまう。

 

 

多分、友達がいない子だったら、未練なんてないですから、迷わず父親に付いて行ったはず。映画もそこで終了です。

 

 

手紙も何もパパは音信不通。ご飯はパンの耳。昼は給食があるだろうけど・・。

仲良さげだし、育児放棄はしていないけど、、お洋服は子役のお顔立ちに似合う彩色だけど・・。食事風景を見る限り、子供の洋服より栄養だろ!とどうしても思ってしまう。

 

 

 

 

子供が泣くたびに「辛い時こそ笑うのよ」とホッペに手を当てて伝える母親。

 

 

 

 

 

勿論、この言葉が、映画のパワーワードになるのだけど・・なんだか悲しい物語だなぁ・・映画を見ながら私も溜息。

 

 

スムーズに第2章(優子の年表展開・出会い→成長→過渡期)が始まります。

 

 

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お友達がピアノのお稽古で自分と遊べなくなり、

 

梨花(母親)の顔色を窺いながら「私もピアノを習いたい」と伝える。

 

 

家の経済状況を考えるミータンは、他の同級生より大人っぽい。

 

考え込む梨花。「なんとかする」と返答。

 

 

映画の展開の中にちょいちょい挟むのが、梨花のプライベートカット

婚活や同窓会の会話など、男性に寄り添う(ナレーション紹介→)彼女のキャッチコピーは「魔性の女」。

 

 

 

 

「なんとかする」発言の後。高級天麩羅店で老紳士とカウンターテーブルで食事をしている。

板前が目の前で揚げたてを提供してくれる、いかにも高級店といった内観。揚げたての海老が美味しそうだった。

 

 

ブラジルに単身赴任している夫から預かった娘を置いて、何してんだ、この母親!?と憤りを覚えるmAb・・映画の思う壺だな。

 

 

(これはあくまで想像に過ぎないけれど。この食事シーンの時間帯。映画を見ているときは夜だと思ったが、映画を観終わっら後は「娘が学校に行っている時間帯」なのかも?と考えを改めました。)

 

 

ピアノを習いたいと言った娘。その願いは叶う。

 

 

町のピアノ教室どころじゃない。規模が違う。

 

 

梨花が連れてきたのは、大きなリビングにグランドピアノが置いてある上流階級のお屋敷

 

 

【木野花】さん演じる家付きの家政婦さん迄いる。

 

 

「弾いていいのよ」。音を鳴らし喜ぶミータン。

 

 

 

 

吹き抜けの階段から優雅に降りてくるのは、前のシーンで天麩羅を食べていた老紳士。

 

舞台の帝王【市村正親】さん演じる泉ヶ原さん。

 

 

足長おじさん、かなと思ったら、びっくり。

 

 

「今日から、この人があなたのパパよ。」

 

 

「でもパパは??」

「あなたのパパは、手紙を出しても返事をくれないような人よ」

 

 

まるで実の父親を忘れろと言っているような言い方。

 

 

ミータンはひとまず父親への気持ちを置いて、当然の疑問を尋ねます。

 

 

「でもあの人・・(お爺さんだけど)・・。まさかピアノがあるから、あの人と結婚したの??」

 

 

「もうパンの耳を貰いに行かなくて済むわ」と薄く笑う梨花。

 

 

(書いているセリフは雰囲気を合わせているだけで、正確ではありません。)

 

 

 

 

説得には時間を要しません。今のミータンには、梨花しかいない。梨花しかいないのです。

 

 

こうしてミータンにとっては実の父親とは別に、母親が連れてきた新しい父親との新家族生活がスタートするわけです。

 


いやぁ・・先ほども書きましたが、冒頭に「梨花さんは魔性の女と最初に紹介しているけど、正直イカれてるよ(^_^;)

 

 

娘の「ピアノが習いたい」という願望を叶えるために、新しい男を見つけてくるなんてさ。それも大金持ちで、なんでも受け入れてくれる大らかなお爺ちゃん。

 

 

 

 

(祖父と娘と孫じゃんΣ(・□・;))

 

 

そしてこう言うのは誰でも出来るわけがないし、人柄もあるだろうけど、女という武器があればこその芸当なんですよね。

この映画に梨花の同性の友達は一切出て来ないけど、代わりに男友達や旦那は登場するから、天性のものなのでしょう。

 

 

・・というかずっと気になってること(^_^;)

戸籍とか婚姻関係はどうなっているのだろう?

先ほども書きましたが、その疑問は映画内で描かれていない残念点です。

 

 

苗字はその都度変更しているので、最初の水戸優子から泉が原優子へ。これって離婚して、再婚したということなのか、事実婚とかでもいけるのかな。なんにせよ、知識のない私には分かりません。

 

 

画して、町の音楽教室から飛翔し、家庭教師の指導のもと、ミータンは新しい自宅でピアノを学ぶことになるです。

 

そのピアノの腕は再婚後に留守がちになる梨花が驚くほど成長を遂げ、のちの展開に繋げられていきます。

 

 

時々。子供を置いていなくなる梨花が帰ってくると、「ひとりにしないで」と泣きじゃくるミータンを見て。嗚呼この子は彼女しかいないんだなと思いました。

 

 

 

 

_____

 

 

 

(映画は2時代の優子を交互に展開しています)

 

 

【永野芽郁】さん演じる森宮優子は高校三年生。

成績は優秀ですが、進路を料理系の短大とし、担任の教師から「もったいないわ!あなたの成績ならもっと良い大学に行けるわよ!」と説得されています。

 

 

 

 

(言われてみたい、そんなセリフ。)

 

 

そんな優子ですが、特定の女子からイジメに遭っています。

 

男子と軽く言葉を交わしただけで、「優〜子。◯◯くんを狙ってるの。」と横入りしてくる性格悪女風の女子グループ。

 

 

(たまたま話しているのを目撃されちゃうんですよね。)

 

 

健気で透明感イメージがある永野芽郁さんが演じるので、そんなに「女子が嫌いな女子」という雰囲気ではないのですけど、辛い時こそ笑うの教えを守り、いつもニコニコしている優子は、上手く友達も作れず、同級生たちから気持ち悪がられる。

 

 

辛い時こそ笑う、ということは、劇中で彼女が笑っている時は辛い時、という見方になるでしょう。

 

 

そしてピアノの伴奏をクラスの多数決で押し付けられる。

優子は小学生の時に少しだけピアノを習っていただけ。クラスにはピアノ経験者もいるのに、明らかに押し付け。

担任もそれを指摘するが「森宮さんでいいって人!?」「はーい・賛ー成」で決まる感じ。

 

 

 

(個人的に神保さんの5票が気になる)

 

 

本人は至って純粋で悪の部分なんてない性格なのだけど仲のいい友達がいない。

 

 

映画を観るに、一部の女子からイジメを受けているが、男子からは特にそういう描写はない。

これって多分、魔性の女と言われた母親の天性さを引き継いでいるからだと思う。

 

 

細かいことを言えば、一部のクラスメイトだけなのか、それとも学年の女子が優子に対して冷たく扱っているのか?を知りたいところだが、映画的には「一組の女子グループ」に集中して描いている。攻撃されてもエヘヘと笑うから、さらに腹立たしくなるのだろう。序盤、優子を目の敵にしている女生徒A・Bがいじめっ子の目付きをしているのが良かった。

 

 

そんな優子は現在。【田中圭】さん演じる森宮と2人で暮らしている。

 

 

 

 

母親の梨花は数年間、音信不通らしい。「泉が原時代」も娘を再婚相手の家に置いて旅に出たが、今回は数年と長期間に及ぶ旅。

 

 

ある意味、映画は原点回帰か?

父子家庭になるが、優子は父親のことを「森宮さん」と呼んでいて、父親は娘を「優子ちゃん」と呼ぶ。

 

 

東大卒の森宮は真面目な性格で人と争えない優男

そして貯蓄もあるし、料理が趣味の家庭的な男。

 

 

2人の関係性は良く、喧嘩もしなければ、互いに否定もしない。

ただし、どことなく他人に見えるような雰囲気を出している。

父娘関係は、実の父親を抜いて一番長いのだが、友達みたいな関係性。

 

 

優子は森宮に対してよくツッコム。「父親だったらこういうときはこういう行動をするだろ」と父親のあり方を行動で説明する森宮に、「いちいち父親ぶらなくていいから」「だって(俺はミータンの)父親だろ」という遣り取りが何度も劇中にある。

 

 

田中君は東大卒に見えないが(早稲田や慶應だったらイメージしやすい)Sっ気の強い永野芽郁(優子)と俳優の相性が良い!

 

よく「姉妹のように仲がいい」と母娘の関係性を言うけれど、異性の父娘だと「恋人のように仲がいい」と表現されることもある。

 

子供時代の優子ならばパパと娘に見えるが、高校生の優子だとそう見えなくなるから、この点は童顔の男優の不思議なところ。

 

 

「ミータン優子・高校生編」は映画の前半と後半、そのちょうど中盤部分に位置され、やはり分岐点・選択肢的に描かれている。

 

 

クラスメイトに押し付けられたピアノ伴奏が縁で、【岡田健史】さん演じる音大志望の同級生とも知り合う。

 

 

 

 

映画は進行上何気なく描いているけど、多分、イジメに遭う事で伴奏者になって→それで好きな人ができて→自分が進んできた選んできた道も悪くないみたいな縁も計算されているんだろうな。

 

 

 

 

私の見方だと多分・・この映画が描きたいのは「表面的」には優子の生活環境や成長記録なので、学校生活の描写は・・個人的には正直あってもなくてもいいものだと思っています。

 

 

何よりこの映画が勝ち組の作品になるのは、劇中歌に使用する楽曲

 

優子のクラスが伴奏する合唱曲を『旅立ちの日に』に選んだこと。

 

 

 

 

この映画では高校3年生時で歌いますけど、

 

年齢設定が「小学6年生」でも「中学3年生」でも、どの「山場」で使用しても・・保護者はこういう表情になるよ。

 

 

 

 

(老け顔のメイキャップ。ちょっと皺のゴツゴツ感の見た目が気持ち悪いな。)

 

 

正直、ちょっとズルイなぁ・・と思ってしまうんですよね。

これが合唱曲の定番だった『翼をください』や『君をのせて』、最近だったら『栄光の架橋』などがありますけど・・

今作品が上記の曲をチョイスしていたら、まず観客の涙の量は相当激減していたと思います。

 

 

『旅立ちの日に』は・・言い方は悪いですが「なんでもあり」と言いますか、どんな映像を見せても感動する体質になる(魔法の)魔曲だと思います。

 

 

特に年齢を重ねていくと、いい思い出も、いやな思い出も、たくさん増えていきますから。

未来しかない若者が歌う『旅立ちの日に』は、聞くだけで走馬灯が浮かんできます(笑)

 

 

(私はこの曲と『思い出のアルバム』が神曲)

 

 

この曲が全国に拡がったのが1990年代から。

現在30代・ギリ40代ならば、学生の時にこの曲に触れたはず。

田中君だったり他の役者も、気持ち作りをしなくても、この曲を聴けば自然と色々思い出して泣けて来るじゃないかな。彼は苦労人ですし。

 

 

『旅立ちの日に』が流れるのが、映画が始まって1時間ほど経ってからでしたが、正直それまでは退屈な気分でした。

これが歌の力なのか、映画の構成力なのか、俳優の演技なのか、私自身は歌の力だと思っています。

 

 

他のシーンは展開もピッチが早いのに、この曲だけはほぼフルコーラスですもん。

 

 

いやぁ・・この曲はそれまでの構成とか疑問点を帳消しにするほど、一気に心穏やかになる魔力がある。

 

でも、この曲を今後「最終学年を描いた学園ドラマ」で流すことに味をしめたら・・『旅立ちの日に一択』の時代が来ると思う。

 

 

______

 

 

 

えーっと、どこまで語りましたっけ?

 

 

(覚えとけよΣ(・□・;))

 

 

高校生活を送る優子です。

 

 

一方・・(幼少期とティーン期を交互に展開していく映画の作りです)。

 

 

幼少期の優子。

 

 

二番目の旦那・泉ヶ原との結婚生活を送っていた梨花だが、「娘をお願いします」と置き手紙を置いて家を出て行けば、気まぐれに戻ってくる等、自由奔放な行動に母親としての役割を果たしていないように映る。

 

 

この頃になると娘の優子にとって梨花は掛け替えのない存在になっていて、「ひとりにしないでよ」と泣く様子は、母親から受ける愛情になっていました。

 

だからこそ、置いて行かれて、広い家の隅っこ(ピアノの下)で泣いている子供の描写は、可哀想で気の毒に感じるものです。

 

 

そして三度目の正直といいますか、ある日、新しいパパとして森宮を紹介されるのですが・・・

 

 

泉ヶ原との結婚関係・夫婦関係の様子・営みがあまり見えない中で3回目の結婚に移るので、男関係や生活環境がコロコロ変わって忙しい。子供時代は親がコロコロ変わる怒涛の展開。だからこそティーン期の永野芽郁・田中圭はコロコロ変わらないから安心を覚えます。

 

 

そうして物語は後半に入っていきます。

高校卒業後の優子の「それから」と、前半の至る場面で蒔いた種の開花、伏線の回収、矛盾点の解消などを、2人の女性の温かい心模様で描かれていきます。

 

 

映画にないところで・・

 

 

森宮と子役との描写は結婚式くらいで、一気に高校生まで飛びます。

 

 

父親だったらこうする。と男親は言うけれど、呼び方が「森宮さん」「優子ちゃん」で、聞くたび切ないのでね。

ここは「優子」、もしくは「ミータン」でもいいのではないかな。そしてどのタイミングで「ミータン」から→「優子ちゃん」に呼び名が変わったのか、子供の呼び方の変化もターニングポイントにして欲しかったな。特に「渾名呼び」から「名前呼び」は子供と大人になる。この映画には、その中間点(子役から永野芽郁までの間)がない。

 

 

個人的には「どこで父子家庭になったのか?」映画で描き切れていない空白の小学生高学年〜高校2年生に興味があります。もう一人優子役の女優が必要になるけどスピンオフを作らないかな。

 

 

 

_____

 

 

 

最後に。劇場鑑賞直後にスマホに走り書きした短評のメモです。

 

 

描写やカットがあるので想像できるし、同性である女性は「もしかしたら」と前半の段階で後半を考えるのではないか。中盤に卒業、後半に結婚式、と人生の晴れの場を用意することで、特に「旅立ちの日に」は、それまで感情移入していなかった気持ちにスイッチが入った。この曲があるとないとではえらい違う。すごい効果のある名曲。平凡なドラマが非凡に変わる相乗効果。

 

 

永野芽郁さんの体の細さが終始気になった。特に背中。肩甲骨周りの脂肪が少なすぎて痩せすぎ。

健康的な痩せ方には見えないし、この方は女優としてもっと水分のある身体の方が似合うと思います。平成の体型の方がいい。逆にこれだけ細いと保護者的には心配になるので、父親役の田中圭さんが「痩せすぎだから食べなさい」みたいに心配するセリフがあったほうが、自分としては成立する気がします。まぁこの父娘、劇中はカロリー高め(中華、パスタなど)の食事のシーンが多いので比例しないんですけどね。

 

 

高校卒業後の数年間が双方省略ベースだったことで雑に感じた。ほどほどに「子供がかわいそう」とムカついたぶん感情が乗ったし、退屈することなく2時間半の長い映画を見れた。日本映画は身近だからいい。永野芽郁さんとは逆に石原さとみは、細いけれど出るとこ出ている体型。「血の繋がり」を描くのが私には理想だが、女性の底深さに共感出来るから、これもよし。何よりこれほど女性の満足度が高いのだから、文句は言えない。

 

 

この映画に限ってではないけれど、結婚式はビックフィッシュやアベンジャーズ(はアイアンマンの葬儀)のようにこれまで映画に出演したキャラクターを総出演させてほしい。あと新郎、このビジュアルなのに参列客が少な過ぎて気になった。前半、母子家庭となった状況で、娘と自分用に洋服を購入し、「もうお米ないのに」と娘が言う。パンの耳を乞いてもらう。娘としたいことのリストがあるのは分かるが、この点はやはり気の毒に思ってしまうだけだったのが残念。ミータンを演じた子役は上手いけど、それが逆に嘘っぽく見る。末恐ろしい。

 

 

 

上記メモにも同じことを書きましたが。

2時間半の映画なので、テレビドラマだとCMなし(45分)で計3話分ですね。

見る世代や人生経験によって感動具合は変わる作品だと思います。

小さかった小学生の優子〜20代の優子まで2人の女優によって成長記録を観られますので、感情移入しやすいのではないでしょうか。

 

 

映画の途中途中に数秒間だけ入れる、主人公の優子以外の別視点映像は先を予測できるように匂わせていますが、サブリミナルみたいな印象に感じたので、チラつかせるのではなく10秒程で表しても良かったのではないかなと思いました。

 

 

実の父親との父子家庭から始まり、18才に自立するまでの優子には合計3人の父親がいて、父親の年齢も三者三様です。

そして基本的な時間は父子家庭で育っています。根底には母親の存在がありますが、「男親に育てられて育った」ということも忘れずにこの作品を語りました。登場人物たちの心根が優しくて良かったです。

 

 

 

 

 

 

 

脚本 14点

演技 15点

構成 13点

展開 13点

完成度14点

 

 

[69]点

 

 

 

 

______

 

 

 

 

余談に。

 

 

 

緊急事態宣言が明けて以降に日本で公開された映画は、日本映画、ハリウッド映画とも、長尺の作品が多いです。

 

今作品も137分と、予告を入れて2時間半くらいあって、

 

シネコンのラインナップを見ても、150分前後の作品が3割以上あるんです。。

 

そんなことって今まであったかなぁ・・稀だと思います。

 

 

私は映画の本編って予告を含め120分が基本。

本編は110分台が理想だと思っていて、映画鑑賞の体力も長年の鑑賞体質を覚え、120分間が全集中の常駐になっています。

 

 

日本映画は描写も多いし、私の文章なんてモロ該当しますけど、「もったいない精神」が働き、ついつい長くなります。ですがミスター削ぎ落としの国「ハリウッド映画」まで長尺映画が多いから、かなり不思議だなと思っていますね。

 

 

10年以上シネコンに通って来た経験から、140分・150分の洋画は、年に数本ぐらいの上映だったんだけどなぁ・・・。

 

 

伝えたいことが沢山あるんだね。

 

 

 

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【mAb】


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