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THE映画評論論『Dear Evan Hansen』

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『ディア・エヴァン・ハンセン』

 

 

 

 

 

・・「ハンセン」と聞くと、往年の外国人レスラーを思い出します。

他に沖縄県のアメリカ軍もハンセン基地という名前ですね。

 

 

エヴァン・ハンセン・・なんだか、それだけで強そうな名前だ。

 

アメリカでは珍しい苗字ではないと思いますが、スポーツやエンタメ、日本で活躍した人物の苗字は馴染み深く感じます。

 

 

と言っても、アメリカ映画・・特に学園映画では、相手のことを苗字で呼ぶことは少ないので、劇中の呼び名は「ハンセン」じゃなくて「エヴァン」なんですね。親しくなくても、下の名前で呼ぶアメリカ映画が私は好きでもあります。

 

 

では始めます。

 

 

 

監督🎬【スティーブン・チョボスキー】

 

 

エヴァン・ハンセン

【ベン・プラット】

 

ソーイ・マーフィー

【ケイトリン・デヴァー】

 

 

コナー・マーフィー

【コルトン・ライアン】

 

 

(エヴァンの友人)アラナ

【アマンドラ・ステンバーグ】

 

(エヴァンの友人)カルワニ

【ニック・ドダニ】

 

 

 ハイジ・ハンセン

👑【ジュリアン・ムーア】

 

 

ラリー・マーフィー

【ダニー・ピノ】

 

シンシア・マーフィー

【エイミー・アダムス】

 

 

配給

アメリカ[ユニバーサル・ピクチャーズ]

ジャパン[東宝東和]

 

 

本編[2:17]

 

 

 

今作品は2015年に上演が開始されたブロードウェイ・ミュージカルの映像化作品で、演劇界で最も権威のある「トニー賞」を受賞しております。これらの情報は受け売りの知識のため、ウィキペディア先生のページを貼り付けますので、鑑賞されるからは参考になさってくださいませ。

 

 

 

 

 

主演の【ベン・プラット】[28]とヒロイン役の【ケイトリン・デヴァー】[24]は双方が舞台版からの出演となったようで、板の上から銀幕の中へ。

 

 

この両名。初見の映画ですと見た目が先に印象に来ますから美男美女というお顔立ちには感じませんが、初見の舞台だったら、躍動感があって一発でファンになるのでしょうね。

 

 

舞台はその土地の劇場に出向かなければ観れませんし、ショーの本場アメリカやロンドンまで飛行機andパスポートを用意して海外旅行・・このご時世では到底無理な話。その点、映画は世界公開。おまけにシネコン時代。手っ取り早く最寄りの映画館へ行き、其れを楽しむことが出来る。

 

 

映画で物語の全体図と展開を知ることが出来たので、いつの日かブロードウェイで観劇してみたい作品になりました。

 

 

細かい作品情報が私にはないので、映画から観て感じた内容とその都度の情報を素直に伝えます。

 

 

 

mAb的あらすじ)

 

 

 

オープニング

 

 

高校生のエヴァン・ハンセンがパソコン画面に自身に宛てた手紙を書いている。

 

 

「ディア・エヴァン・ハンセン(親愛なる自分へ)・・・」

 

 

自分への手紙。ポジティブ(陽気)な未来を想像して書く。

しかし途中まで書いてDelete。すぐに消してしまいます。

 

 

(一昔前だったら、紙にペンで手紙を書いて、クシャクシャ丸めて床にポイ捨ての描写でしたね。時代も変わったなと思いました。)

 

 

彼は社会不安障害という心の病を持っていて、クリニックのセラピストから「自分宛ての手紙を書く」宿題を課せられているのでした。

 

 

 

 

 

パソコン画面を消したら、自分の心情や行動を鼓舞するように歌い出します。ミュージカル映画ですから突然歌い出す。

 

 

ミュージカルの舞台や映画で、この「突然歌い出す」演出が苦手で敬遠される方も少なくないでしょう。

映画の進行を止めてまで行いますし、何より馴染みが全くない初見の外国の楽曲ですからね。

 

 

しかし、従来のミュージカル映画と違うのが、エヴァンの声が聞きやすく、耳心地がいい事!

そして劇中に歌う曲の「歌詞」も映画の「セリフ」になっているから、映画の進行を妨げずにスムーズさを感じて楽しいです。

 

 

主演の【ベン・プラット】は女子コーラス映画『ピッチ・パーフェクト』で、対戦校の代表として歌声を披露した実績がある。

吐息交じりの高音が本当に耳心地がいいし、声に凄みや迫力はないけれど、歌の技術が確かに高い安心感は強みです。

 

 

そんなミュージカル映画って・・最初で決まると私は思っています。

主人公の歌声と技量、映画の楽曲。この第一印象で、映画の良し悪し、好き嫌いが分かれる。

 

 

上でも書きましたが、ミュージカル映画によくある「初めて聞く英語の歌」への違和感←

これがそこまでなかったので、心は踊れると思いました。

 

 

何しろ2時間を超えるミュージカル映画。最初の自分の感度が大事

それを踏まえて伝えます。「あゝこの映画は大丈夫だ」と。大丈夫、というのは最後まで楽しめる予感がしたという意味です。

 

 

___

 

 

 

自分宛の手紙を書くことをヤメた主人公は、自宅から学校までの道のりを歌いながら登校です。

 

 

カメラワークで家族構成と生活環境を伝えて行きます。

 

 

母親と一軒屋で暮らしている環境。

2階にある自分の部屋から、1階のキッチンに降りて行ってきます。

学校へは母親の運転で向かう。そんな朝の日常風景。

 

 

 

 

上記のワンシーンは、母親は通常の演技で、息子のエヴァンだけが歌の世界観の中で演じています。

歌い手が歌唱しながら演じ、それ以外の出演者は通常のドラマを演じる、この映画に多い演出でした。

 

 

上記の静止画でエヴァンが歌っているように見えず、表情が冴えないのは、単純に俳優の顔だと思います。悪しからず。

 

 

(静止画よりも動画向き)

 

 

精神安定剤を複数瓶も常備しているから心配だったけれど、なんだぁ・・明るい子なんだ!と思う。

映画を見るに、未成年者に複数の精神安定剤や抗うつ剤の処方が出来るのだから、改めてアメリカという国の自律性を知った思いです。こういう薬は保護者のサインだったり色々と手続きがあると思うのですが・・その点は実際にはどうなのでしょうか?

 

 

母親の職業は看護師。夜勤の時は家で1人で過ごすことが慣れっ子。その後の展開で紹介されていくエヴァンの情報です。

親しい友達もおらず、観た感じ特定の趣味がない主人公にとって、1人で過ごして来た夜は長く感じたのかも知れないと思います。

 

 

また母子家庭で金銭的に余裕がないハンセン家は、大学への進学に向け、賞金の出る作文コンクールで優勝することを目指しています。文才のあることが母親の自慢。この進路という点も映画のポイント。ただ・・映画の中で作文を書くシーンがなかったことは残念です(^_^;)

 

 

学校での活動は音響係・・かな。インド系の友達カルワニと2人でいることが殆ど。

 

 

 

エヴァンは「僕らは友達でしょ」と確認する描写が劇中に何度かありますが

 

カルワニは「君の母親と僕の母親が仲良いだけで、僕は君の友達ではない」とその度に言います。

 

 

誰がどう観ても2人は友達だと思うので、そのやり取りは「ふざけ合い」なので放っておきましょう(笑)

 

 

学校の活動でギターを弾く女の子【ゾーイ】に片思い中のエヴァン。

 

 

他に司会進行役の黒人のクラスメイト【アラナ】がクローズアップされ、冒頭部分でこの映画の主要登場人物が出揃います。

 

 

 

 

ここ迄で私がこの映画に感じたのは・・「主要登場人物。それ以外の学生キャストは目立たさずにエキストラという「立ち位置」がハッキリしている学園ミュージカル」という感覚でした。

 

 

主人公が片思いをしているゾーイも、普段の学園生活では弦楽器3人組で行動を共にしていまますが、両脇の2人(男・女)も「友人A・B」という感じで目立っていない。いや、演出的に目出立せていないんですよね。

 

 

役付きの俳優はセリフも見せ場もしっかり用意されているけれど、他のエキストラは「その他大勢」の感じがとても強く感じる映画です。

 

 

個人的には「脇役だけど目立つ・印象に残っているキャラクター」が在って欲しかったです。

 

 

ですが、エキストラと言ってもミュージカル映画のエキストラなので質が高く、ちゃんと踊りを披露できるアンサンブルであることも伝えておきたいです(^^)

 

 

また。主人公が精神的に脆い性格であるという設定も考慮されているのでしょうけど、アメリカの青春学園映画にはお馴染みである金髪チアリーダーはいないし、いじめっ子だったり、派手な学生が出てきません

 

 

派手な学生を単純に書けば、「美男子」「美女」「お調子者」「いじめっ子」。この4タイプ。いずれも出ていません。

 

 

映画館でのロードショー鑑賞を初めて約20年が経ちました。

私はそういう「分かりやすく元気系」のアメリカン学園ムービーを観て今の映画感を培ってきたので、少し映画の色的に物足りなさも感じつつ、これも時代の流れなんだろうけど、色々な人種の学生がいて、隠キャで目立たない子にスポットライトをあてる映画が多くなっているので、うまく切り替えられない自分も正直います。

 

 

(心の中では、キラキラした主人公を中心とした爽やかな青春映画を求めています。)

 

 

そして、それぞれがストレスや悩みを感じて学園(集団)生活を送っていると、現代社会の若者の精神状態も考慮した脚本。

 

諄いようですが「若い時は悩みなんかなかった!」という天真爛漫な描写を90年代〜数年前まで観てきた自分にとって、表現の在り方が現代仕様になって来たと考えざるを得ないです。

 

 

SNSやインターネットは便利だけれど、本来無邪気な存在だった若者の精神面も変えてしまいましたね。

そして、この映画では、その便利さを利用している「いい面」も脚本の中に取り組まれています。

 

 

_____

 

 

 

映画の進行に戻ります。

 

 

学園内では友人カルワニ以外とは会話をしないエヴァン。

下を見て歩いたり、常に周囲の様子を伺って目を泳がせたり、仮に話しかけられても緊張で声が震える。

 

 

こういうタイプの人って集団生活を送る中で自分の学生時代にも複数人いましたが、現代はその行動に「病名」(社会不安障害)が付き意味を持たせるので、周囲の理解が必要になるのでしょうね。

 

 

片思いをしているゾーイに声をかけられた時に、あまりの緊張でその場から逃亡するシーンが印象的ですが、その後の展開で仲良くなると不自由ない関係になるのも印象的です。

 

 

関係はないですけど(外国の)アメリカの学園映画に出てくる廊下って、馴染みがないので憧れます(^_^)

 

 

 

 

アメリカの学校は廊下にズラッとロッカーが並んでいて、そこがパーソナルスペース。

ロッカーを開けば、その人の趣味嗜好が分かるポスターやシールが貼ってあって個性的。

 

 

私の学生時代の思い出は、ロッカーはクラスの後ろの黒板の下にあって・・体操着などの衣類を入れるJRの駅にある300円のコインロッカーみたいな感じでした。観るにアメリカは縦ロッカーが多いので、JRの駅だったら500円・700円だな(笑)

 

 

____

 

 

 

誰かに声をかけられるわけでもなく友達もいないエヴァンは「見えない存在」で、このロッカー前にいますが、

 

斜め後ろのロッカー【コナー・マーフィー】の孤立の仕方は、彼とは少し違う。

 

 

彼もまたエヴァンと同じく、普通(通常)のようであり、個性的な青年なのですが、

 

背が高く、顔立ちはイケメン。見た目だけなら、私が求めていた従来の学園ドラマにおける目立つ存在です。

 

しかし急に癇癪を起こしたり、過去に精神病院に入院経験があったりと、扱いにくいタイプ。

 

 

男子グループは彼をからかう。ロッカーの前で彼の背中を小突く程度。

この映画で唯一の「イジメっ子たち」でしたが、他のシーンでは目立たなくなるので、やはりエキストラの印象。

 

 

その様子を見ていたエヴァンに気付いたコナー。

 

 

気不味いエヴァンは控えめに会釈をします。するとコナーは近づいて来ました。

遠くから「なに見てんだよ!」と怒るのなら分かりますが、わざわざ無言で近づいてきて、殴りかかるわけでもなく、耳元で「なに見てんだよ!」と怒鳴りつけるから、耳がキーンとなる。注目されたくないエヴァンはその場から離れることに必死。

 

 

こういう描写の1つ1つに、社会不安障害の要素が組み込んであるので、やはり精神的なものに理解が必要だと思った。

彼も彼で脆いのだけれど、脆い者同士は紙一重で噛み合いません。

 

 

シーン展開、その後。

 

 

思い出したように学校のパソコン室で、今朝(オープニング)の自分宛の手紙を書くエヴァン。

 

 

セラピストから毎日の課題として、手紙を書くことを義務付けられていることを思い出したのだろうか?

自宅で書けばいいものを・・学校内で書くから・・こんなことになる。。(映画らしくていいじゃない)

 

 

今度は消すことなく手紙を書き終わり印刷ボタン。

※ 冒頭に「作文コンクールで優勝する実力」を持っていると紹介されていることを忘れないでください。

 

 

プリンターまで取りに行く最中。先程、一悶着あったコナーに声をかけられる。

 

 

「おい!」

 

 

 

「(ビクッ)えっ?」

 

 

コナーにとっては、エヴァンに同志的なフィーリングを感じたのだろう。目に見えるものが全てではないから。

 

腕を骨折しギプス着用中のエヴァンに、自分の名前のサインをしようと、彼の後を追って喋りかけてきます。

 

 

 

「俺が名前書いてやるよ!いいだろ」

 

「・・いいけど・・いいけど。。」断るに断れずペンを渡す。

 

 

骨折をした友達のギプスに寄せ書きをしたり自分の名前を書いたり・・私も書いた覚えがあります。青春時代の1ページ描写。

この場合のコナーは、自分の名前を刻むような心理なのでしょうね。独占欲というか、多分、もしこの時点でエヴァンのギプスに他の名前が書いてあったら、その名前の人物を攻撃するような嫉妬心がコナーにはあると思います。

 

 

冒頭の自宅シーンで、息子の交友事情を知らぬ母親から「ギプスに友達から名前を書いてもらうのよ!」とマジックペンを手渡されていました。母親にとっては沢山、友達がいると思ったのでしょうか??

 

 

ギプスに目立つ表面に自分の名前を大きくCONNORと主張的に書いた後、プリンターから手紙を奪うコナー。

 

 

慌てて「返してよー!」と紙に手を伸ばすエヴァン。

 

 

自分宛の手紙を読まれることは、相当恥ずかしいことでしょう(^_^;)

さらに片思いをしているゾーイについても書いている。

 

 

「ゾーイって・・俺の妹か??お前、俺の妹に惚れてるのか?」

 

 

自分宛の手紙を読まれるだけではなく、好きな女の子についても一気に知られてしまった。

感情が混在したエヴァンは必死に「返してよ」と懇願し伝えるけれど、結局、コナーはその手紙を持って帰ってしまうのです。

 

 

仲良くしたいのか?、からかいたいのか?、この時のコナー本人の心境や精神状態は・・誰にも分からないままとなります。

 

 

_____

 

 

 

今は小学生でも個人の携帯を所有し、親名義の個人アカウントを持つ時代。

 

 

SNSが若者の社会。

もし彼が自分の手紙を公開してしまったらと思うと、気が気じゃない。

 

 

「エヴァン 手紙」などを検索しては、生きた心地がしないまま過ごす。

 

 

(アメリカのSNSなのでFacebook)

 

 

そして事の発端から3日後。

 

 

友人のカルワニには唯一、一部始終を話しています。

 

 

「どうしようどうしよう。あれからコナー、学校に来ていないから確認できないよ〜」と話していると、校内アナウンスで校長室に呼び出されたエヴァン。

 

 

自分の胸の内を綴った手紙がSNSで公開された程度で、目立たない生徒が校長室に呼び出されるか??とも思うのですが、ここもエヴァンという人間の被害妄想を膨らませている状態を鑑みなくてはなりませんね。

 

 

待っていたのはコナーの両親でした。

 

 

 

 

コナーの両親は、息子が自殺したことを告げます。

 

 

青天の霹靂。考えてもいない報告に声を詰まらせるエヴァン。

 

 

彼の母親がここに来た理由を伝えます。

 

 

精神的に不安定の息子は周囲に馴染めず友達もいなかった。

そう思っていたが、遺品のポケットの中から「手紙」が出てきて、そこには「親愛なるエヴァンへ」と書いてあるではないか!?

 

 

発見された時のコナーの所持品は、この一通の手紙のみ。

 

 

息子に死に喪失する両親は、この遺品の手紙こそが息子の全てを表していると信じ、ディア・エヴァン・ハンセンを訪ねたというわけです。

 

扱いにくい息子だった。だけど大事な大事な息子を失った。プライベートを語らなかった亡き息子のことを知りたい。それを知っている唯一の人物はエヴァン・ハンセン君のみ!

 

 

彼の両親はエヴァンに息子との思い出を聞きたいと願います。

 

 

思い出もなにも・・自分はコナーと友達でもなければ、殆ど喋ったこともない。

 

 

3日前に怒鳴られた事と、少し喋って、自分宛ての手紙を奪われたことしかない。

 

 

映画もその描写(事実)のみを描いていますから、私も「そうだそうだ」と心の中で頷きました。

 

 

しかしモジモジ君なエヴァンは、すぐにそれを伝えられずにいて・・おまけに心も優しい少年。

 

 

「息子と友達で本当にありがとう」と感謝の瞳と希望の瞳を真っ直ぐに向けるコナーの両親に、真実を伝えられない。

 

 

特に息子を失ったばかりの母親シンシアは、この世でたった一人の息子の親友に心底 感謝の気持ちで向き合っている。

 

 

その日はこの会話でシーンが切り替わる。

 

 

______

 

 

 

「思い出話を聞かせてね」と後日、マーフィー家に招かれ食事をすることになったエヴァン。

 

 

真実を伝えなければいけない・・そう思い続け、それが出来ない自分自身に対して胸が張り裂けそうになるのだけれど・・この真実を伝えるチャンスはその後も訪れることはありません。

 

 

私感ですが。とても選択が難しいなと思うんです。「友達じゃありません」と一言言ってしまえば解決するけれど、それだと彼の両親が相当気の毒ですし、この場合のオドオドしてハッキリ答えない性格が幸いにも災いにもなるので、映画的には好選択なのかも。

 

 

亡きコナーの妹は、彼がずっと片思いしていたゾーイである。

 

 

 

 

ゾーイは死んだ兄を「善人」だとは思っていない。

いつも両親に迷惑をかけ、頭を下げさせて、いい兄ではなかった。

両親が兄のことを保護したり庇うこと、それが納得できない。

 

 

だから兄を偲ぶ両親に苛立つし、兄の話を広げるために訪れたエヴァンも受け入れない。

そもそも「あなた、兄と仲良かったっけ?」と学校での接触を見ていないゾーイは半信半疑。

 

 

食事会が始まる。両親は「さぁ!思い出を聞かせて!」と興味津々の姿勢だ。

エヴァンにとっては思い出すらなにも、わずかな面識しかないのだから、冷や汗が止まらない。

 

 

そんな極度の緊張状態に達した中、突然、歌い始めるエヴァン。

映画の最重要分岐点です。

 

 

思い出が脚色されていきます。・・鑑賞した人、それぞれに解釈が分かれるだろうな。

 

 

私の見解で書いていきます。

 

 

僕とコナーは2人で遊んだんだ・・そんな歌詞で当時の様子を回想する。

 

 

「もしかして果樹園?」と母親が言う。

子供達が幼い時に、よく家族4人で訪れた場所だそう。

 

 

その問いかけに乗っかり、想像の翼を広げたエヴァンは、そうさ!コナーと果樹園で遊んだんだ、という歌詞で「綴り歌」を歌い続ける。

 

 

(作詞家としては、客席のお客にテーマをもらい、即興で歌詞を続けていくような感じなので、そう難しい作業ではありません)

 

 

コナーと僕は果樹園で遊んだんだ。それはとても幸せな時間だった。僕が木登りをした際に、木から落っこちてしまった。コナーは僕に駆け寄ったよ。そうして骨折した僕のギプスに、コナーは親友である自分の名前を書いたんだ。CONNOR と。

 

 

(注:歌詞の内容は雰囲気を似せただけで正確ではありません)

 

 

このエヴァンの歌唱シーンと、歌詞の世界観を表す果樹園映像を観ながら、ABBAの『Our last summer』を思い出しました。

過ぎ去りし一夏のアバンチュール。懐かしく振り返る感じで歌う。Bee GeesとかABBAの世界観に感じたので懐かしかったです。

 

 

コナーの歌(思い出話)には説得力がありましたし、コナーに対しての友情・愛情がありました。

両親は心から感動を覚え改めてエヴァンに感謝をする。仲を半信半疑に思っていたゾーイも、兄との記憶が蘇り、涙を流し信じる。

 

 

それ以降、エヴァンとマーフィー家は家族のように親密になっていきます。

 

 

エヴァンは人知れず「家族」という「温かさ」に憧れを持っている青年。

仕事で家を空けがちであるシングルマザーの母親と2人でいる時はそれを感じないらしいです。

母親からの愛情は感じますが、家族や家庭という温かみは漠然としている。

 

 

マーフィー家は、穏やかで生活的にも人間的にも裕福。家族揃って同じテーブルでご飯を食べて、他愛のない話をする。

エヴァンはこの家族との生活に居心地の良さを感じていて、またマーフィー家も彼に対して家族と同じ無償さで接する。

 

 

そうして関係性が築かれていったある夜。

母親ハイジがマーフィー家に招かれ、息子さんの大学費用を援助したい、と伝えられます。

息子さんは絶望の淵にいた私達家族を救ってくれた。亡き息子のために貯めた貯金を、感謝を込めてエヴァンに使いたいの。

 

 

穏やかムードが一変。ハイジ・・いやジュリアン・ムーアのプッツン演技。私がシングルマザーで経済的に困窮しているから??そもそもあんた、いつの間に彼らと親しくなったのよ??ふざけるんじゃないわよ!!善意と行為を偽善と思う母親。どちらの家庭の心理状態も分からなくないので、丁寧に描かれていると思います。

 

 

そして受験生という立場が、この映画はそこまで丁寧(設定推し)に描かれていないので、こういう進路描写のたびに状況を思い出します。

 

 

____

 

 

 

さらにアラナ主導の『コナー・マーフィーを偲ぶ会』にて壇上でスピーチした歌唱シーンが、動画サイトで拡散し大きな反響を呼ぶことになります。

 

 

このシーン。

極度の緊張状態で板の上で慌てふためくエヴァンを客席の学生たちは嘲笑い、各自スマホを取り出し動画を撮り始めますが、

 

彼が歌い出すと違った意味で撮り始める。この場面はミュージカル界で歌声を高く評価されたベン・プラットの腕の見せ所。

 

 

 

 

コナー・マーフィーは精神的に不安定で、自ら死を選びました。

 

残された者は、突然いなくなってしまった存在に、戸惑います。

 

 

エヴァンは「歌という方法」で彼を偲び、その歌を聞いた人が、また人から人へと電波に乗せて伝染していきます。

 

 

兼ねてから校内で同じ志を持つ賛同者を捜していたアラナ。彼女の呼びかけでプロジェクトが本格的に立ち上がり、

 

 

エヴァンとコナー・・2人が遊んだ思い出の場所だという、廃業した果樹園を再園しようとクラウドファンティングを行うなど、エヴァンが真実を飲み込んだ1つの嘘が全米の学生を巻き込んでいくのです。

 

 

________

 

 

 

物語文は以上です。

 

 

続いて、出演する俳優陣には驚きがあったので紹介いたします。

 

 

主演のエヴァン・ハンセンを演じる【ベン・プラット】[28]は、父親が数々の大ヒットミュージカル映画を手がけるショービジネス界の重鎮【マーク・プラット】。プラット家はエンタメ界の名家として知られています。

 

 

そんなショービジネス一家のサラブレッドであるベン。

 

 

 

 

三枚目のお顔立ち。柔らかそうな癖っ毛と前髪位置のご様子から、将来はお頭もお禿げになりそうだなと予想します。

 

 

公開時のご年齢が「27歳」という事で、全米では相当叩かれたそうです。

 

奇しくも作品のようにデジタル・タトゥーを残します。

 

 

まぁ・・日本のように学生服を着るわけではなく私服ですけど・・20代でも童顔だったり肌質だったりで高校生役が違和感ない方もいるけど・・確かに彼は高校生(ティーン)には見えなかったな。

 

 

「老け顔の高校生」の違和感は初見から感じていたので、鑑賞後にご年齢を知って納得です。

 

舞台だったら10代役は通用しますが、「見た目から入る」のが映画ですから、他のティーンのキャストよりも年上に感じてしまうのは致し方ないのかもしれません。

 

 

将来的にはハリウッドの花形であるアクション映画にもご出演されるのかな?と少し思いながら鑑賞しました。顔や演技の系統でいうと『ソーシャルネットワーク』の【ジェシー・アイゼンバーグ】。日本でいうと【菅田将暉】さんが近いタイプの演技をされるように視ます。

 

 

そしてベン・プラントについて調べた記事に

「12歳の時に、両親に自分がゲイであることをカミングアウトした」と書いてありました。

 

 

日本で考えると小学校6年生時に、僕はゲイですと親に告白する、と言うことなので、生物学的な判断がかなり早いんだなと思います。それについては、エンタメ界の重鎮家庭は理解があったそうです。

 

 

もう1方。

 

共演者のアラナ役を演じる【アマンドラ・ステンバーグ】[23]も自身がレズビアンであることを公表しています。

 

 

本編鑑賞中は、あまり観ないお顔立ちの黒人女優だなと思っていました。

 

今の時代は肌の色などで判断してはいけないと分かっておりますが、アフリカ系黒人にしてはアーモンド型の瞳の形や大きさに、親しみを感じます。なんと言うかハーフっぽさがあって、南国のお顔立ちに、黒人の血が入っているようにも思いました。

 

 

調べてみるとスエーデンの白人男性とアフリカ系の母親とのハーフという情報を得ました。

なるほど白人の中でも特に白肌の北欧の男性。この何か物憂げな瞳が印象に残りました。

 

 

彼女自身も肌の色やルーツには強い誇りを持っているらしく、マーベル映画の『ブラックパンサー』では純粋な黒人ではないからと断ったというエピソードがあります。

 

 

主演のベン同様、彼女も同性愛者であることを世間に公表しているので、

それを知った上で鑑賞し、「見方が変わらない」という人もいれば、「見方が変わる」という鑑賞者もいらっしゃるでしょう。

 

私自身は2人ともに、何か独特な色を感じて鑑賞していたので、それを知り、妙に納得した気持ちになりました。

 

特にアラナ役の彼女は、他の女優さんよりもが違ったので、いい意味で納得します。

 

 

日本の芸能界ではカミングアウトは考えられないけれど、時代も変わってきたのだとこの映画を観て感じました。

男女の恋愛ドラマであるという映画の形は変わらないけれど、俳優のプライバシーの公表は変わってきましたね。

 

____

 

 

 

物語文の中にも書きましたが、派手な見た目の出演者がおらず、また主演・助演の学生役が少ないので、初見で覚えられます。

 

 

主人公のエヴァン

 

エヴァンが片思いする女の子ゾーイ

 

エヴァンの親友カルワニ

 

校内活動に意欲的な少女アラナ

 

自殺してしまうコナー

 

 

この5名だけにスポットをあてていて、他の生徒は舞台でいうアンサンブル。

 

 

ヒロイン役の【ケイトリン・デヴァー】も、素朴で可愛らしいお顔立ちですが、別格な美人という女優ではなく庶民的に視えました。なので個人的には「今後が楽しみ!」というスターを発掘するようなワクワク感はありません。

 

 

彼女が演じるゾーイは、エヴァンやアラナのような精神疾患があり抗鬱剤を持ち歩いているわけでもなく、至って普通の女子高生。しかし彼女もまた、身内を・・いや血を分けた兄を亡くしたというショックを抱えることになり、後半は元気がないです。

 

 

 

 

さらにエヴァンの友人カルワニはインド系で、この映画で観ると根暗なオタクな見た目。僕たち友達だよね?と言う主人公に「親が仲良いだけ」と淡々と伝える一見冷たい男の子に見えます。

 

 

こういうカルワニのような隠キャのキャストが、例えばエヴァンがイジメられている時なのに声を張って熱演したら、作品は盛り上がるんだろうけどな・・最後まで淡々と自分のスタイルを崩さない男の子でした。

 

 

卒業したら友人関係もなくなっていますが、エヴァンの学校生活にカルワニがいるといないとでは、安堵感も違うでしょうし、単純に主人公のエヴァンに話し相手がいて良かったなと思いました。

 

 

____

 

 

 

冒頭に付いた1つの嘘をキッカケに話がどんどん大きくなって引き戻せなくなり、後半で回収する。

アメリカ映画では比較的よくある物語だと思います。

 

 

学園ミュージカル映画なので生徒役の出演者は多いですが、役付きの登場人物は限られているので、初見で顔と役割を覚えやすいのは単純にいい。

 

 

学校にいるごくごく普通の生徒に、ものすごく的確にスポットライトを浴びせて、エンターテイメントのショーを演出しているところが、いかにもアメリカ映画らしい。

 

 

そしてあえてニューヨークなどの都会ではなく、郊外の田舎で白人も黒人も黄色人種も普通に壁を作らずに集団生活を送り、それをあえて差別的に描いていないところが、2010年代の近代演劇の脚本らしいなと思った次第です。

 

 

ワクワクしたり、抜群に面白い!の感覚には私はなりませんでしたが、最初から最後まで飽きることなく2時間半の映画を鑑賞できたことに満足感をかなり得る作品でした。

 

 

最後になります( ´ ▽ ` )

 

 

若い出演陣の中で、主人公とヒロイン、双方の母親役として脇を固める女優がいずれもビッグネーム。

 

 

個人的な感覚だと、若い出演陣に映像演劇の魅力をそこまで感じていなかったので、双方のママ女優の方が銀幕映えして目立っている感じですかね。

 

 

エヴァンの母親役でシングルマザーの看護師を演じる女優は、2014年のアカデミー賞で『アリスのままで』にて主演女優賞を受賞したオスカー女優【ジュリアン・ムーア】御年60歳。

 

 

過去に彼女の主演作を何作か書いてきましたが、母性より女性のほうが強めに感じるんですよね。二の腕を出してるイメージ。

 

 

ジュリアン・ムーアは主演で女盛りのヒロインを演じてきた印象ですが、今回はシングルマザーで戀愛描写は無し。これも私にとっては珍しい。

 

 

登場シーンで「あれ少し体が細くなった?」と銀幕越しに思いましたが、ご年齢的には還暦なんですよね。

ご年齢的に「高校生の息子」というよりは、「高校生の孫」で通しても通用すると思いました。

 

 

 

(母親と息子が似ていないから、別れた父親似なのかな?と勝手に想像。)

 

 

ジュリアン・ムーアって、喜怒哀楽の中でも・・例えば「売られた喧嘩は買う」じゃないけど、目を横に見開いて相手に言い返してくる表現をする女優さん。いつもカッ!と目を見開いて、こめかみ周辺に血管が浮き上がる。そういう演技をされる女優さん。

 

 

過去に主演作を記事にした回数も多いですけど、今回も「らしさ」、爪痕を残しています。

 

 

対照的にヒロインの母親役に【エイミー・アダムス】[47]

 

 

2人の女優の演技力と役柄が本当に対照的に描かれていたので、観察眼を少し説明します。

 

 

エイミー・アダムスは演技派らしく、相手をじっと観る瞳を観ていると、吸い込まれていく感覚に私はなります。

 

 

 

 

ジュリアン・ムーアは怯まずに歯を食いしばって相手に向かっていく下町タイプの女優で、独りになった時にリビングで泣いている感じ。

 

エイミー・アダムスは相手の口撃をひとしきり聞いた後に、「でもね」と自分の考え方を喋り、結果的に論破するタイプの女優。

 

 

猪突猛進タイプのジュリアン・ムーアの方が軽く視えて、吸引力タイプのエイミー・アダムスは重い(深み)に視えます。

 

 

(『羊たちの沈黙』でジョディ・フォスターの後任に、ジュリアン・ムーアがなった時に、一番ファンから言われたのが透明感なんですよね。)

 

 

今作は、この2名の大女優が気質的にも形にハマっていて

 

シングルマザーで鍵っ子の主人公エヴァンが「家族」に憧れる描写は、感情的なジュリアン・ムーアが合いますし

 

些細な思い込みから片思いの同級生宅に行き来するエヴァンが、家族を感じられる描写は、母性的なエイミー・アダムスが合います。40代夫婦の家庭に高校生という環境も、しっくり来ますもんね。

 

 

この2名の女優が逆だったら評価も違うと思うので、キャスティングも見事なものです。

 

 

従来のミュージカル映画は、どうしても歌唱・ダンスシーンが展開の進行を妨げがちだったので、映画の流れを文字に起こしたい自分としては物語文が書きにくかったのですが、今作品は物語がしっかりと頭に入ってきて、その中で音楽を楽しむことが出来たので、満足できる仕上がりに感じました。

 

 

令和4年2月公開のスティーブン。スピルバーグ監督最新作『ウェストサイド物語』が、公開前ではありますが、アカデミー賞を独占すると予想できます。

 

 

今作品も当然ノミネートすると思います。作品賞と脚本賞のノミネートは確実かな。

ミュージカル映画や歌手伝記映画が流行していますので、歌唱は見事でしたが主演男優賞のノミネートは個人的には微妙。

例年のアカデミー賞よりもエンターテイメント性が高い授賞式になりそうですね。

 

 

個人的にはヒロインの母親役を演じた【エイミー・アダムス】が、今作品の演技で助演女優賞にノミネートするようなら、念願のオスカー像を抱くと思っております。

 

 

エイミー・アダムスは派手さはないけれど、最高の女優だと私は思います。

 

彼女が持つ包容力が、深い存在感を醸し出す。決して目立つ演技をしていないので、この安定感は本当にすごい。

 

 

正直。

高校生役の主役・ヒロインの2名の見た目の華のなさと、感情起伏の激しいジュリアン・ムーアでは「ドラマ部門」に頼りなさが生じますので、この女優が相手方の母親役にいるといないとでは、作品のドラマ性の良し悪しが左右したと思います。

 

 

亡き息子の将来のために貯めていたお金をエヴァンに使いたいと、食事会の際に彼の母親に伝えた時のエイミー・アダムスの表情は圧巻で、このワンシーンだけでもアカデミー賞です。

 

 

_____

 

 

 

本編の余韻に浸りながらボーっと英語字幕を見ていると、

 

エンドクレジットの最後に

 

一人で抱え込まないで欲しい。

 

団体のメッセージが書かれていました。

 

 

アメリカ映画ではエンドクレジットで、「for」などを付けて、感謝や追悼など、関係者に向けたメッセージが書かれていることは珍しくないですが、このような言葉は今回初めて見ました。

 

 

あるにはあるのかもしれませんが、日本語の字幕が表記されると意識せずに要られません。

 

 

私自身は無知識で鑑賞した今作品を、そのような心の不安や病を描いた映画だとは思っておらず、現代の学園ミュージカル映画として視ていきました。

 

 

この映画の軸足が正直どの方向に向いているのか?分からないまま多少の消化不良を感じていましたが、エンドクレジットでようやく、楽しむだけではなく、隣の人と手を繋ぐメッセージが込められた映画だと「表現者たちの真意」を知り、この記事を書きながら「もう一度観たいなぁ」なんて思っております。

 

 

人間は脆いです。

1度壊れた心を修復するのには、もしかしたら一生を費やすかも分かりません。

その一生の作業には覚悟が必要だし、先の長さを考えると途方がないし、その不安は誰にも理解されないかも知れません。

 

 

生きて行くことのほうが大変です。

だからこそ、庇うのではなく、助け合うことが心の救いなのかも知れませんね。

 

 

 

 

 

 

脚本 14点

演技 14点

構成 15点

展開 15点

完成度14点

 

 

[72]点

 

 

 

 

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