福島第一原発がある福島県の双葉町を自分の田舎だと思っています。
正確に伝えると、父親の兄である伯父の奥様が双葉町出身で、伯父はそこで所帯を構えました。
なので「従兄弟の実家」であって、僕の故郷が福島というわけではないのですが・・
両親とも東京生まれで、山も畑も田んぼも無い建物ばかりの下町で昭和平成と育った自分にとっては、毎年の夏休みに10日間ほど滞在していた双葉町は、唯一、田舎と呼べる場所です。
従兄弟と僕とは10個ほど年の差があって、小学生の時はすでに家を出ていた為、夏の滞在中は従兄弟のベッドで寝泊まりをし、家の中はオジ・オバ・甥(僕)という構成でした。
この時期になると、双葉町の風景をテレビの特集で見ます。
今はもう住めない地域になってしまいましたが、子供の頃の記憶に「日本昔話」のような風景が残っていてよかったです。
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何か役に立ちたいと、その時の私は思ったのだと思います。
伯父の家の敷地に畳六条ほどの大きさの鶏小屋があって、夏の滞在中は「鶏の世話」をするのが僕の役目でした。
青い巨大ポリバケツの中に、鶏のエサがギッチリ入れてあって、それを巨大柄杓で掬い、左手で柄杓を持ったまま、小屋のカギを利き手の右手で開け、中に入る。
エサの匂いに誘われて扉の入り口に寄ってきたニワトリが逃げないように、中に入るとすぐに内側の鍵を締める。
長方形の長細いエサ入れにザーッとエサを撒き、食事に夢中のニワトリの隙をついて、産みたての卵を回収する。
数十分後の朝ご飯で、さっき自分が取ってきた卵をご飯にかけて、「なんでこんなに美味しいんだ・・」と何度思ったことだろう。
多分。今も昔もニワトリを一般飼育している家庭では日本全国・日常の行動なのだと思いますが、僕にとってはとても貴重な体験でした。
夏休みの宿題の作文日記にニワトリの話を書き、表彰されたことがあります。
詳しくは覚えていませんが、「ニワトリは懐かない」みたいな内容を書きました。
例えば、
犬や他の動物のように、飼い主の顔をジーッと見る愛嬌は、ニワトリにはない気がします。
エサをあげる時だって、エサしか見てない気がします^^;
東京の下町にはハトが沢山いますが、ハトは結構、エサをあげる人のことを見てきます。
叔父さんは、当時住んでいた双葉の家で、鯉と犬を飼い、ニワトリを飼育していました。
「僕の夏休み」は、鯉の餌やり、犬の散歩、そしてニワトリの餌やりと卵回収をお手伝いしました。
ワンコは毎夏「久しぶり!」と言って尻尾を振ってくれました。
鯉も、エサをくれるなら誰でもいい!ってくらいに懐いていました。
だけどニワトリは、なんだか毎回、我関せずみたいな表情をしている気がしました。
飼い主でもあるまいし、1年に1度来るだけの少年に対して、
「3歩歩けば忘れる」とされるニワトリは・・僕の顔を覚えているのかなぁ?
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訪問介護の仕事をしていたオバが、「困ったなぁ」と言っています。
「どうしたの、おばちゃん?」
聞くと、急な仕事でこれから行かなければならない・・と。
オバが仕事のときは、お留守番をしたり、隣の子供と山や川で遊ぶのが好きだったので、特に問題はありません。
それに、隣の家の子供は同い年の男の子で、東京から来た僕に色々と自然の遊びを教えてくれました。
その子が「東京では何が流行っているの?」と毎夏興味津々に聞いてくるのも新鮮だったなぁ。
今だったらスマホで知れるし、ショッピングモールもあるけど、口で伝える情報は心に残るものでしたね。
「急な仕事でこれから行かなくちゃいけないけど・・◯◯さんの家からニワトリを1羽頂くことになっているのよね。」
「じゃあ。僕が代わりに行くよ。」
「えっ?大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫。任せて!」
どういうやりとりでニワトリを譲り受けることになったのか?
今となっては、よく当時の事情を覚えていないのですが、僕は結果的に失敗してしまいます。
オバは「頼んだよ」と言い、車を発信させます。よほど急を要していたのでしょう。
直線距離で100メートルほど、1軒1軒の間隔が離れていたので、たしか3軒先のお宅だったかな。
僕はピンポンして「使いのものです」と伝えます。
電話してから仕事に行ったのでしょう、「話は聞いているわ」と、そのお宅の鶏小屋へ。
「マブぐん東京からよぐぎだねぇ」
早口な福島県浜通り地方の訛りも、難なく聞き取れるようになっている僕。
多分、もうしばらく滞在したら、福島弁が移ったのかも知れません。
結婚して福島に移り住んだ伯父も、移住20年程で相当訛っていましたからね。
そのお宅からニワトリを1羽、譲り受けます。
そのオバ様がニワトリの両翼をグワッと掴んで「はい、どうぞ」と僕に差し出しました。
この時の僕は、ニワトリを入れるカゴがあると思い込んでいました。
なので「えっ、直接なの?」と心の中で抵抗します。
ニワトリの餌やりはしていたけれど、ニワトリを持ったことはありません。
子供心にビビっちゃ駄目だ、ビビったらカッコ悪いと思って、「はい、どうぞ」と差し出されたニワトリを受け取りました。
今考えると、子犬を抱くように包み込めばよかったのですが・・
トーシロな僕は、ニワトリを右手と左手で持ち上げ、両腕を伸ばした状態で、家に向けて歩き出します。
体の可動域に自由があるニワトリは足や羽をバタつかせ、「コケッ!コケ!」とクチバシを動かして威嚇する。
至近距離でニワトリが大暴れ。首を回し手首を突いてくる。
絶対に離すもんか!と意気込んでいた僕でしたが、時すでに遅し。
まるで波打ち際で恋人に波をかける両手のように、手のひらを空へと仰ぎました。
空を飛べないニワトリはバサバサと羽をバタつかせながら着地し、あっという間に田んぼの稲穂の中を走って消えていきました。
茫然自失。その言葉の意味を小学生で知るとは(^_^;)
しばらく呆然としたあと、直ぐにどうしよう どうしよう・・と頭を抱えます。
ニワトリを譲り受け、その数分後にニワトリが逃走した。最悪です。
なんでも「出来る」という子供でした。そんな自信が裏目に出た時に、身の程を知ります。
責任感なのか達成感なのか、オバから「すごいね」と言われたかったのか、よく分かりませんけど・・
とにかく、格好をつけて任せてもらったオバの頼みに失敗して・・
あと、動物(生き物)を逃した、ということは、とても重罪な気がしました。
真っ昼間なのに、途方に暮れます。頭の中に「夕焼け小焼け」が流れている切なさ。
「おーい。ニワトリくん・・」
いるはずも、いたとしても捕まえられるはずもないのに、近くの畑や田圃を捜したり、
先程のお宅に戻り「逃しました」と事情を告白する勇気もなく。
例えば、四つ葉のクローバーを探すぐらい根気がいって・・ただただアテもなく、オバが車で帰ってくる時間まで過ごしました。
ヒクヒクと涙を流す僕を心配したオバは、車から降りて開口一番「どうしたの?」
「ニワトリが・・逃げたぁ・・」
まるで野比のび太くんが泣きながら「ドラえもん」を呼ぶ時の顔みたい。
そのフレーズが面白かったのか、オバは微笑んで優しかったです。
それから毎夏ニワトリ小屋に入るときは、必要以上に気をつけてお手伝いをしました。
まさか僕が今でも、そのことを忘れられないとは、叔父夫婦は思っていないでしょうね。
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高校生の時に、ビデオレンタルショップで『ロッキー』を借りて観て、
ロッキーのトレーニング方法にニワトリを捕まえるという描写があったときは・・小学四年生の「あの夏のワンシーン」を思い出しました(笑)
嗚呼そうか・・ニワトリはこうやって持てば逃げないのか・・
ミッキーみたいに喉首と足首を抱えて持つのか・・もっと早くこの映画を見ていれば良かったな。
体の弱かった幼少期。都会の喧騒と排気ガスから離れた夏休みの二週間。
福島の太平洋。緑豊かで長閑な空気を吸いながら、夏のモクモクとした大きな雲を見て、綿あめみたいだと、想像力を鍛えたものです。
あの日はもちろん忘れませんし、あの町ももちろん忘れません。
2022年3月11日
【mAb】